ゴンは実在した高野山の案内犬です。
麓(ふもと)の慈尊院というお寺から高野山まで、22kmの山道を、お遍路さんの道案内をしました。町石道(ちょういしみち)という今では世界遺産になっている参道です。
ゴンは、どこからともなく慈尊院のある九度山の地にやってきました。それは昭和の終わりの頃のことでした。やがてゴンは、慈尊院のご住職に飼われるようになり、平成14年6月5日に天に召されます。その間、平成4年にガイド犬を引退するまでの数年間、ゴンは人々を案内し続けたのです。
ゴンは紀州犬と柴犬が混じった、白い雄犬でした。
不思議な能力を持った犬で、人の目指す行き先がわかるのです。最初は子供たちと一緒に、学校と家とを行き来しました。次いで、最寄りの九度山駅についたお遍路さんを、慈尊院へと案内します。そして慈尊院から片道7時間はかかる町石道を高野山へ。人の心が求める行く手に応じて、ゴンは人々を案内したのです。ただ一途に案内に献身するゴン。その姿は、やがて犬嫌いであった慈尊院のご住職の心をも開いていきます。こうしてゴンは、晴れて慈尊院の飼い犬となりました。昔お大師様(弘法大師空海)が始めてこの地を探し求めて来られた時、白と黒の二匹の犬がお仕えし、案内したと伝えられます。ご住職はまた、このお大師様の御使いとして働いた犬の再来を、ゴンに見たのでした。
でも、どうしてゴンは高野山までの山道を案内することが出来たのでしょうか。そしてゴンは、いったいどこからやってきたのか。詳しいことはわかりません。高野山は、修験道とも縁の深い霊場です。また深い森林に覆われた太古からの信仰の地である紀伊の山々にも連なります。ひょっとしてゴンは、この地に隠れ住み、この地を知り尽くして今も祈りと秘儀を守り続ける“山の民”と共に生きた犬であったかもしれない???- なんて言ったら、「そんな荒唐無稽なことがあるか!」- とお叱りを受けることでしょう。でも、私たちの取るに足りない知恵の範囲だけで、すべてを判断しようというのも考えものかもしれません。
では次に、ゴンはどうして人が心の中で求める行方を知ることが出来たのでしょうか。これもわかりません。でも1つはっきりしていることは、犬であるゴンは、言葉がしゃべれない分だけ人の心の動きを鋭敏に感じることができたということです。そして特にゴンは、その心の痛みにも深く寄り添うことができた犬でした。はるばる山深い霊場高野山を訪れる人々は、多くは生きる苦悩を抱えて救いを求めにやってくる人たちです。ゴンはこの苦悩を感じ取り、その心に深く寄り添うことで、じつはその人たちの地理的な求めのみならず、その人たちの深い魂の求めをも感じ取っていたのです。そしてその傷ついた心に寄り添い、いのちの救いへとも案内していった。
でもそんなことって、本当にあるのだろうか?- だから人間の常識に囚われた、限られた知恵の範囲だけで考えてはいけないって言っているのです。
ペットが傷ついた飼い主の心に寄り添い、その心を癒し、立ち直りへと導いていった事例は、枚挙に暇がありません。言葉をもたぬ動物たちが、私たちと心を通わせることができるということ、また深いところでいのちがつながっていると感じる人は少なくありません。もちろん科学的には、十分な検証が困難なことではありますが。そしてそのいのちのつながりは、互いに思いやり、励ましあうことを求める本質を持っている!
- こら、そんなことを勝手に決めるな!!- というご批判が飛んできそうですが、確かにごもっとも。科学的には実証できないことです。ただ、科学では検証できなくても、大切なことがたくさんあるのも事実です。そもそも科学の知というのは、経験で実証できるものだけを“真”としているだけの話で、経験では検証しづらいものや価値観によって異なる領域になると、たちまち歯が立たなくなってきます。例えばその科学を使って、どうすれば私たちが幸せに暮らせる社会をつくっていくことができるのか?- という問いに対しては、たくさんの“主張”があるだけで、“科学的真理”はありません。ましてや“死”に至っては、経験すらできない領域なのですから、科学は対象にすることすらできないのが現状です。
そうすると心の問題や生きがいなどの領域の場合、何が“事実”なのかと問うのではなく、どういう考え方をすると、一人でも多くの人が“うれしく”なれるのか、“生きる希望を共感できる”ようになれるのかという問いの方が、もっと大切なことになってくるように思われます。
だからゴンは、私たちすべてをつなぐいのちの力を知っていたと考えたいのです。そして犬であるゴンが、自分にできる精一杯のこととして、そのいのちの力のもとへと、傷ついた人々を案内していったと考えてみたいのです。さて、皆さんはいかがでしょうか。
こうしてゴンは、高野山を訪れたたくさんの人たちを、立ちなおりのいのちへと案内していきました。飼い主である慈尊院のご住職も、そして寺を継ぐことをためらっていたその息子さんをも。
ゴンはたくさんの人の思いやる心に看取られて、平成14年6月5日、いのちのつながりの源へと旅立っていきました。奇しくもこの日は、お大師様のお母様の命日。女人高野として知られる慈尊院は、またお大師様のお母様とも縁の深いお寺でした。
ゴンは今、ゴンの働きに励まされた多くの人々の願いから、慈尊院の境内で石像となって、お大師様の側にお仕えしています。そして今も道に迷う私たちを、お大師様のもとへと案内し続けています。その姿は、今度は私たちがゴンの心を受け継いで、苦悩する人々に寄り添い、立ちなおりのいのちへと案内していくことを求めているようです。もちろん私たち自身には、人をも自分をも癒す力などありません。でも、いのちのつながりの力を求めて、ゴンの物語を語り継ぐことはできます。またゴンのように、実際に案内することが出来る人もいるでしょう。それが、ゴンの教えてくれたことです。すぐに生きる気力を失い、自分の都合のために他人を顧みない私たちですけど、そんな私たちが、いのちのつながりを求めて、互いにその望みに向かって導きあおうとする時、私たちの生きる世界は少しずつ変わっていくのかもしれません。
さて皆さんは、高野山の案内犬ゴンについて、いかがお感じになったでしょうか。出来れば皆さんのお一人お一人が、自分がうれしなくなるゴンの物語を描いてみて頂ければと思います。それにはまずは、自分の物語からです。誰も聞いてくれず、誰にも語れなかった自分の物語。でも、ゴンは聞いてくれます。ゴンはそのためにこの世に遣わされた犬だからです。そして寄り添って励まして案内もしてくれます。そのゴンとあなたの物語を、つくってみてはいかがでしょうか。そして出来ればお聞かせ下さい。ひょっとするとみんなが励まされて力の湧いてくるゴンの物語が、生まれてくるかもしれません。そして私たちに、生きる勇気与えてくれるかもしれません。どんなに簡単で、短いものでも結構です。もし“私のゴンの物語”がおつくりになれて、お聞かせいただけるなら、下の投稿フォ-ムまたはgon@pensee-du-koyasan.comにお寄せ下さい。
また皆さんが考える、ゴンのイメ-ジやイラストもお待ちしております。
*現在ゴンの物語の映画化や小説化、マンガ・アニメ化も検討しております。皆さんといっしょに作品化していければと思っておりますので、よろしくお願い致します。