ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信No.128『どうなる世界-現在の政治ゲームを明らかにするために』

Mar 18 - 2017

■2017.3.18パンセ通信No.128『どうなる世界-現在の政治ゲームを明らかにするために』

皆 様 へ

1.オランダの極右政党の伸び悩みと日本の森友学園問題
3月15日に行われたオランダの下院選挙で、極右と称されるヘルト・ウィルダース氏率いる自由党が、事前予想とは裏腹に伸び悩み、与党自由民主党が第1党の座を維持しました。欧州では昨年6月のブレグジッド(イギリスのEU離脱)に引き続き、自由党のような移民排斥・EU離脱を唱える政治勢力が支持を伸ばし、政権を獲得するかどうかが注目されていました。一方アメリカでは、トランプ大統領による、イスラム圏の一部の国からの入国を禁止する2回目の大統領令が、連邦地裁により再度差し止められました。そして分裂と混乱の度を増す欧米先進国を後目(しりめ)に、一人盤石の政治的安定度を誇っていたはずの日本も、国有地払下げ問題の疑惑に端を発した森友学園問題によって、安倍政権の基盤を揺るがしかねない事態が生じています。

今回から2~3回は、このオランダの選挙結果、トランプ大統領のもとでのアメリカの混乱、そして日本の森友学園問題を繋ぐ線から浮かんでくる事態を考え、現在の世界の政治ゲームの様相と課題を整理する作業を、先に行ってみたいと思います。その上で、今パンセ通信で取り進めている、これからの人間の生き方と社会・経済のビジョンを明らかにする試みを、一人でも多くの人たちに納得と共感が得られるような形で、引き続き展開していってみたいと思います。

なお次回のパンセの集いの勉強会は、3月20日月曜日が春分の日の祝日ですのでお休みとし、3月27日月曜日に開催することと致します。また3月27日は月末ですので、ホームシアターサークルの活動を予定しております。課題映画は日本映画の最盛期の名作、衣笠貞之助監督の『地獄門』(1953年公開、カンヌ映画祭パルム・ドール、アカデミー名誉賞・衣装デザイン賞受賞)を予定しています。時間は18時からで、場所は渋谷区本町の本町ホームシアターで行います。

2.政治ゲームの状況を理解するための概念整理
(1)従来の政治概念では捉えられない現状
さてヨーロッパでは今、極右政党が台頭していると言われます。ブレグジットを推進したイギリス独立党、すでに選挙を終えたオーストリアやオランダの自由党、そしてこれから選挙を控えるフランスの国民戦線、ドイツにおけるドイツのための選択肢などです。それでは一体「極右」というのは、どのような政治勢力なのでしょうか。またイタリアの五つ星運動のように、ポピュリズムと言われる政治勢力もあります。こうした政治勢力は、例えばドイツのキリスト教民主同盟(メルケル首相の党)や社会民主党などの既存の政権政党に対抗して、近年台頭してきた勢力です。それでは、既存の政権政党というのは、一体何を目ざして政権運営を行っているのでしょうか。さらにアメリカ第1主義を掲げて露骨な保護主義を推進しようとするトランプ大統領の政治は、どう位置付けて考えれば良いのでしょうか。

こうした現在の政治状況とは別に、伝統的に政治勢力を区別する言葉として、右派、左派、保守、中道、革新、自由主義、社会主義、独裁、全体主義(ファシズム)、そして最近では緑の党のようにエコロジカルな環境保護主義を掲げる勢力など、様々な表現があります。これらはこれまでの政治状況を区分する言葉ですが、こうした概念で現在の政治状況を捉えようとすると、現状の政治的対抗関係がうまく浮かび上がってこずに、混乱してしまいます。既存の概念の範疇では捉えられない状況が生じているからです。そこで一度、これまでの政治区分の概念を整理し、それとの比較で現在の政治状況を観察し、何がどう変化しているのか捉えてみないと、一体どのようなゲームのルールで現在の世界と日本の政治が動いているのか、見えてこないものと思われます。

(2)これまでの政治状況を区分する概念
そこでまず、これまでの政治状況を区分する概念(言葉)の定義から、もう1度整理し直して考えてみたいと思います。政治というのは、国家の統治をめぐる様々な勢力による権力争奪のゲームです。従って最初に、どんな勢力が政治ゲームのプレーヤーとして存在するのかという区分を表す概念が必要となってきます。2つ目は、どんな社会や経済のあり方を目指して、国家を統治しようとしているかという理念(目的)によって区分する概念が必要となってきます。そして3つ目には、どんな統治のスタイル(方法)によって、権力を行使しようとしているのかという区分による概念が必要となります。政治ゲームの状況を把握する場合、だいたいこの3つの次元によって区分するアプローチによって概念を整理することで、ゲームのプレーヤー、ルール、展開状況が理解できるもの思われます。

それでは最初に、政治勢力(政治ゲームのプレーヤー)の区分から考えていってみたいと思います。大きな対抗区分で見ると、現状を維持しようとする勢力と、これを変革しようとする勢力とに大別することが出来ます。現状を維持しようとする勢力に対して「保守」という言葉が用いられ、変革しようとする勢力に対して「革新」という言葉が使われます。なお「右派(右翼)」と「左派(左翼)」という言葉は、フランス革命当時の国民議会において、貴族や聖職者などの旧体制を代表する大土地所有層が議会の右翼に座り、市民革命を推進する平民層が左翼に席を占めたことに由来するもので、当初は「保守=右派」、「革新=左派」という図式が成り立っていました。しかし時代が下るにつれて、「右派(右翼)」、「左派(左翼)」という用語は、単なる勢力区分だけではなく政治理念的な意味合いも加味されるようになり、「保守」、「革新」とは多少内容が異なって理解されるようになってきます。

次いで「保守」「革新」の大別を、政治ゲームに参加する個々のプレーヤーが属する勢力という区分でさらに細かく見ていくと、階層や階級などの利害を共有する勢力による区分と、政治理念によって区分される勢力という分け方が出来てきます。階層や階級による区分は、フランス革命(市民革命)の当時においては、大きくは貴族などの大土地所有層と平民層との2つの区分でした。それが資本主義の進展に伴い、封建的な特権を有する貴族などの身分階層が没落し、それまでの平民階層が大きく「資本家(ブルジョアジー)」と「労働者(プロレタリアート)」という2つの社会階級に分かれて、それぞれを代表する政治勢力(政党)を有するようになってきます。またアフリカの諸国のように、西欧列強の植民地獲得競争の都合で恣意的に引かれた境界線をもとに独立した国々の場合には、1つの国の中に他民族が混在することになり、各民族ごとに政治勢力を形成することになります。あるいはレバノンのように多宗教が混在する国家では、宗派ごとに政治勢力を形成するということも起こってきます。

3.政治理念による区分
(1)自由主義と社会主義
さて次に政治ゲームに参加するプレーヤーを区分する2つ目の概念としての、政治理念による区分と用語について考えてみたいと思います。現代の先進諸国においては、かつてのイギリスのトーリー党のように君主権の擁護(特権擁護)を理念として目指す勢力は無くなっていますので、市場経済と資本主義が発展して以降の段階において考えてみることにします。まず資本主義生産様式による経済発展を目指す理念を表すのが「自由主義」という用語です。経済の成長のためには、利益獲得を目指した“自由”な経済活動と競争が欠かせないからです。一方自由な(貪欲な)利益追求は、労働力となるマジョリティーの人々の生活を、長時間労働と低賃金で悲惨なものへと追い込みます。そのために自由よりも社会的生産物(富)の配分の“平等”を理念とするのが「社会主義」です。

次に「自由(放任)主義」のもとで激化する労働運動によって被る経済損失を緩和し、またより良質な労働環境の提供による生産性の向上を図るために、自由経済のもとで社会保障などの福祉を充実させようとする動きが出てきます。それが「自由民主主義」です。普通選挙制などによって、国家権力の意思決定機構(政治ゲームのルールづくり)の中に、資産家階層以外の全階層の参加を許容し、あらゆる階層の利害を民主的に調整していこうとすることから用いられた用語です。経済政策としては、福祉に予算を配分するので政府支出が大きくなり、ケインズ型(大きな政府)となります。一方社会主義の側から、市場経済と資本主義により発生する労働者の貧困や失業などの問題を、議会や政府を通じて働きかけて軽減・解消していこうとするのが、「社会民主主義」です。「自由民主主義」と「社会民主主義」は、結果としてその目指す所が重なってくるので、ここに「中道」という理念が生まれてきます。

(2)右派、左派、極左、極右、ファシズム
なお国内市場を統合した資本主義は、やがて貿易と資源・市場の獲得を目指して海外に進出し、国家間競争(帝国主義)へと移行していきます。この時、大国に席巻(せっけん)されるような弱小国では、「民族主義や国粋主義」などの理念が台頭してきます。国民の大多数が信仰する宗教がある場合には、「宗教原理主義」が勢力を増したりします。現代は市場経済・資本主義を体制の基盤とする社会ですから、政治勢力としての区分と政治理念による区分を重ね合わせて考えてみれば、「保守」=「自由主義、自由民主主義」という相応関係となりますが、保守の中でより民族主義的理念の色彩を濃くした勢力が、「右派(右翼)」と呼ばれるようになります。一方「保守」に対する変革勢力が「革新=左派」でしたが、現代においては「保守」に対する最大の対抗勢力と理念は、「労働者、社会主義」ですから、「社会主義」や「社会民主主義」を理念として掲げる勢力が、「左派(左翼)」と同一視されるようになってきました。

また「民族主義・国粋主義」の理念のみを強調し、他の理念を許容せずに民主主義的原理を喪失させるのが「極右」勢力であり、逆に「社会主義・共産主義」理念が先行し、他の理念に不寛容で民主主義的原理を顧みないのが「極左」勢力と分類されます。

資源・市場を求めての資本主義の国家間競争は、植民地獲得を支えとして、市場拡大と経済成長と遂げていきます。しかしやがて植民地の分割が終焉し、経済成長が鈍化して、需要に対する供給力の過剰から大恐慌などが生じるようになります。するとその影響は、列強諸国の中でも比較的政治経済基盤の脆弱な国において、より大きく現れてくることになります。そして他の列強諸国に対する競争上の不利と、失業などの増大に伴う社会の不安定化により、国内外に対する危機感が一気に高まってくることになるのです。この大きな危機を乗り越えるために、国内外に敵をつくり、また個人としては無力化した庶民を、民族主義的な国家の栄光に統合することによって誇りを取り戻させ、大規模な大衆運動を伴って国家への求心力を高めようとする理念が生まれてきます。それが戦前のドイツやイタリアや日本で現れた全体主義あるいはファシズムです。

加えて近年においては、生態系の調和による環境保護と、多文化主義、反戦などの価値観を重視してエコロジカルな理念を掲げる「緑の党」も、欧州などでは一定の影響力を持つに至っています。なお政治勢力と政治理念との関連について考えれば、経営者層・資産家層などが自由主義的理念を持ち、中産所得層が中道的理念(自由民主主義から社会民主主義までの幅はありますが)を持ち、労働者層が社会主義的理念を抱くといった対応があり、階層から理念が生まれてくるという関係があります。しかし社会変化に伴い、階層が流動化したり不安感が高まると、階層と理念の対応関係は崩れ、当面より不安感を解消したり、少しでも希望の持てる理念に群がって、理念から政治勢力が形成されてくるということも生じてきます。

4.統治方法による区分
(1)独裁制と民主制
最後に政治ゲームに参加するプレーヤーを区分とする3つ目の概念として、統治のスタイル(方法)による区分について考えてみます。統治の方法による区分は、原理的には「独裁制(覇権統治)」と「民主制(民主主義)」の2つです。「独裁制」というのは、少数勢力(究極的には1人)による少数理念(究極的には1理念)に基づき意思決定され、権力行使される統治システムです。言い換えれば少数者だけが特定理念に基づいて、ルールを決めてプレイする政治ゲームです。歴史的には政治統治のスタイルとしては「独裁制(君主制)」しかありませんでした。狩猟採取社会から農耕牧畜社会に移行して後に始まる普遍闘争を終結させるためには、戦いを勝ち抜いた勝者(覇権者)、つまり最も強い武力を持った者に権力を委ね、その武力に従属して国内の安全安定の確保と、対外的な防衛にあたるしかなかったからです。

現在でも「独裁制」は、意思決定と行政機構を通じた権力の行使が迅速であるために(場合によっては司法権による正当性チェックも機能させないようにして)、有効な統治手段として登場してきます。特に国内外での危機が増し、不安が増大した場合や、途上国が産業構造を近代化させる場合のように、目標が明確で、その目標達成に向けてより速く効率的に国家の舵取りをせねばならないような時には、民主制を駆逐して支持されるようになります。なお「国家主権」という用語も、権力の源泉は国家にあるということですから、結局はその時の国家の権力を握っている勢力に主権を委ねるということになり、「独裁制」と同義となります。

(2)民主制の仕組み
一方「民主主義」というのは、全員の参加者によって平等に、そして自由にルールが決められてプレイ出来るゲームのことです。民主主義が国家の政治ゲームの方法として採択される場合には、ゲームの参加者は(思想信条、宗教、民族の違いを超えて)国民全員ということになり、こうした政治ゲームのことを「民主制」(デモクラシ-、民衆の支配)と言います。なお「民主制」を国家の政治形態という側面から見れば「共和制」という用語が用いられ、内容は実質的に同じです。また「民主制」は、国民全員の参加によってルールがつくられプレイされる政治ゲームですから、権力の源泉は“国民”ということになり、「国民主権」となります。

さて「民主制」では、国民の全員が政治ゲームのルールの決定に参加できます。そうするとそのルールは、全員の利益を反映したルールということにならざるを得ません。つまり民主制における政治ゲームの目的は、国民すべての幸せの実現ということになるのです。こうした全員の利益・幸せを実現しようとする意志のことを、“一般意思”と言います。フランス革命を導いた思想家ジャン・ジャック・ルソ-の言葉です。この“一般意思”を実現するために、すべての国民が社会契約を結んで、国民政府(民主政府)に権力を委ねます。そしてその政府が、国民が定めたルールに基づき、国民全体の幸せを実現するために、軍事力(国民軍)を背景とした強制力をもって、国民のために権力を行使することになるのです。ルールの制定は立法府(国会)によって行われます。現代では一般的に国民が選挙で選んだ代表が国会を開き(代議制)、多数決の原理によってルール(法律)の決定を行います。この代議制、多数決などのルール決定の手続きについても、国民で合意して決めることになります。

こうして合意したルール(法律)に基づいて、行政府(内閣)が行政機関を通じて政治施策を執行します。また司法府において、ルール(法律)が行政機構において適正に執行されているか、あるいは立法府で制定したルール(法律)が、一般意思(あるいは憲法)に反していないかがチェックされることになるのです。

(3)民主制の課題
このように「民主制」においては、原理的には一般意思(国民全部の利益・幸せ)の実現を目指して国民全部で政治ゲームのルール(法律)を決め、また三権分立によってそのルールが適正に執行され、またチェックされるシステムとなります。もし自分が不利益を被っているなら、ゲームのルールを変更することにも参加出来ます。このために「民主制」のもとで国民は、誰かに支配されたりルールを強制されたりすることなく、全員が自由で平等となります。一方独裁制においては、国民は政府や国家に服従することになり、一般的に立法府や司法府の権力は形骸化し、行政府が独裁者の意思に基づいて実質的にルールを定め、それを権力行使することになります(つまり三権分立は崩れます)。

ところで「民主制」は、市民革命を経て近代市民社会が成立する過程で、初めて登場してきた政治形態です。しかし「民主制」の理念が、原理どうりに実現された国家はこれまでありません。その大きな原因は、一般意思に対する理解の不足と多数決制の弊害に基づくものです。近代社会では、一方で封建的身分制度から解き放たれて、人々が様々な価値観のもとに多様な職業に従事し、様々な利害関係を切り結ぶことになります。そしてそれぞれに利益集団をつくっていきます。例えば大企業の組合や中小商工者の組合、労働者の組合や農業従事者の組合、また医者の組合や公務員の組合などです。この時、それぞれの階層や業種・職業によって利害が異なり、各々が自分たちの利益を政治ルール(法律)に反映させたり、場合によっては直接行政機構に働きかけて、自分たちに都合の良い政治施策を実行させようとプレイします。このように国民の中に生まれてくる階層や職業集団ごとに、それぞれに異なる利益を求め実現しようとする意志のことを、一般意思に対して“特殊意思”と言います。

近代市民社会は、国民全部の利益と幸せを求める“一般意思”の実現を目指して「民主制」をスタートさせたのですが、やがて“一般意思”は“特殊意思”にとって代わられ、民主制による政治ゲームは、それぞれの利益集団の“特殊意思”を反映させるための、利益や優遇措置の分捕り合戦のゲームプレイへと変質していきます。この時議会における多数決は、国民全部の利害を調整して、なお国民全部の幸福と利益を求めて衆議を尽くして意思決定を行うための手段から、特定集団の利益を、多数派工作によって実現する手段へと変様していきます。こうして「民主制」が、“特殊意思”の実現を目指した多数決による政治ゲームへと変転し、議会における多数決ゲームに影響力を及ぼせる勢力以外の国民が、ルールの決定・改変から締め出され、プレーヤーにもなれなくなります。この時“民主政治”は、“衆愚政治”へと変貌することになるのです。

ここまで述べてきた「独裁制(覇権統治)」と「民主制」の統治原理については、次回以降のパンセ通信で詳しく述べていくことにします。そして「覇権統治」の問題点と、一般意思の実現を目指す本来の「民主制」のメリット明らかにし、それを実現するための必要十分条件を検討することによって、これからの時代のビジョンを描くための一助としていったみたいと思います。

5.現在の政治ゲームの解明へ
さてここまで、現在の混迷と不安に満ちた世界と日本の政治状況について、誰もが理解しやすいようにするために、まずこれまでの政治ゲームの構造について、用語(概念)と併せて整理してみました。基本的には資本主義⇔社会主義という対立構図であったものが、第二次世界大戦後には、民主主義の統治システムのもとで、自由民主主義⇔社会民主主義という対立構図に変わります。

この対立構図が、1990年代初頭のソ連邦の解体と東ヨーロッパ社会主義諸国の崩壊、および1980年代から始まる新自由主義によって、大きく変質してことになります。次回のパンセ通信では、その変遷の後を辿(たど)りながら、「新自由主義」、「グローバリズム」、「自由至上主義(リバタリアニズム)」、「リベラリズム」、「ポピュリズム」などのキーワードを手掛かりに、現在の世界の政治ゲームのプレーヤー、対抗関係、ルールとプレイ状況について解き明かしていってみたいと思います。その上で、日本の状況についても見ていきたいと思います。

次回のパンセの集いの勉強会は、3月20日の月曜日が春分の日の祝日ですのでお休みとし、3月27日月曜日に開催し、ホームシアターサークルの活動を行います。課題映画は日本映画の名作、衣笠貞之助監督の『地獄門』です。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターで行います。お時間許す方はご参加下さい。

P.S. 現在パンセ通信は、No.126まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。

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