ゴンと高野山体験プロジェクト〜

増田対談第1回『葬儀、病、お墓の持つ豊かな意味』4/4

Dec 30 - 2014

増田対談第1回『葬儀、病、お墓の持つ豊かな意味』4/4 両国大徳院 増田住職 『ゆったりまったりお茶のみ法話』

第1回『おらぁ~まだ死にたくねぇ~!』
その4 葬儀、病、お墓の持つ豊な意味の捉え方(4/4)


(対談者)
増田任雄
高野山真言宗 大徳院住職(東京両国)
御府内八十八ヶ所霊場50番札所
両国陵苑(堂内陵墓)を建設、運営

トリ・コ-ジ
プロテスタン系のキリスト教徒(バプテスト派)
宗教おたく。脱力系生活宗教を実践
愛視聴番組:心の時代(Eテレ)、宗教の時間(ラジオ第2)
高野山の時間(ラジオNIKKEI)

■意味喪失の現代の葬儀から、穢れをハレに変える本来の葬儀へ

トリ・コ-ジ;
  ということで、『おらぁ~まだ死にたくね~!』というテ-マで、ここまで死の問題を見てきたのですけど、この純粋ないのちの領域の活性化との関連で見たとき、お葬式って本来どんな意味を持っているのか。これはもう多分次回のテ-マになってしまうと思うんですけど、ちょっと気になるところです。そこで昔からよく使われる言葉に、ハレ(晴)とケ(褻)という言葉があるのですけど、ハレというのはまさにハレ舞台のハレで、日常とは違う時間と空間です。そこにおいて私たちが、今まで取り上げてきたような純粋ないのちの源とつながって、もう1度自分を再生していくような場ですね。一方でケ(褻)というのは日常のことで、日常の惰性が積み重なっていくと、やがてケガレ(ケ枯れ)になっていくような生の領域ですね。それでは、お葬式って、ハレなのかケなのかって考えると、結構深い問いだと思うんです。ひょっとするとお葬式って、穢れではなくハレかもしれないって。

増田住職;
  ケガレをハレに変えるってことはあるね。

トリ・コ-ジ;
  ああ、なるほどなるほど

増田住職;
  両面性があるんだよ。それでね、他の宗派のことはよくわからないんだけど、真言宗の場合は、お葬式には必ず本尊っていうのがあるんだよ。まさに大元のいのちだね。ところがね、最近こう葬式を見ていると、一生懸命に宗教性を排除しようという傾向があるんだ。あんまり仏教的な飾り物とかしないでね。例えば極端な場合だと、仏像とか仏様とかそういうものは一切置かない。

トリ・コ-ジ;
  お花がザア~って飾られているだけとか、ありますよね。

増田住職;
  そりゃまあ置かなくてもいいんだろうけど、それじゃなんで葬式をするのかって話になってくるんだ。例えば人類の祖と言われるネアンデルタ-ル人なんかを見ても、その遺跡を調べると、遺体の出てきたところに、花束が添えられていたっていうんだよ。

トリ・コ-ジ:
  すでに弔いの心が芽生えていたのですね。

増田住職;
  人が死んだときに花を手向けるっていう気持ちは、やっぱりね、単に死の穢れの浄化だの、飾りだのっていうことでなくて、やっぱり死者の魂に対する慈しみみたいなものが、あったのだろうと思う。あるいは、別れの寂しさみたいなものを、ああいう形で和らげようとしていたのかもしれない。とにかく花束が枕辺に置かれていたというんだ。そうするとね、今見ているような単なるセレモニ-としての葬儀の形式で、本当に遺族の人は満たされるのかと思うんだ。もちろん、宗教性なんて排除してもいいんだよ。だけど葬儀っていうのは、もちろん死者のための儀式っていう面もあるけど、やっぱり遺族、残された人たちが、悲しみに区切りをつけ、以降は死者からの祈りに支えられて、より良く生きていくための、いわば社会的な通過儀礼という側面もあるわけじゃないですか。だからね、死者が成仏することへの祈りの無い葬儀なんていうので、遺族っていうのは、本当に満たされているのかって思うことがあるよ。それどころか最近では、葬儀もせずにいきなり火葬場へ持って行って、お骨にしちう。そして、そのまま納骨しちゃうってこともあるんだね。まあ私らなんかはやっぱり、いわゆる本尊っていうのを置いて、祈るしかないと思うだよ。少しでも死んだ人の生前の業が消えるように、そして前に話した言葉でいえば、如去できるように祈るしかないんだよ。葬儀っていうのは、まあそのためのいろんな作法があるんであって、死者のいのちが本尊に帰るという祈りを抜きにして、花だけ飾って形式だけ真似てみても、葬儀の用を足すのかなって思うんだね。

トリ・コ-ジ;
だから葬儀の捉え方も、死の捉え方とつながっている所があると思うんですね。自我のレベルにしか生き得ない今の私たちにとっては、死は思いのままに生きることを断絶する、単なる邪魔者でしかない。そうではなく、根源的な私たちのいのちの領域を覚醒し、豊かにする死というものがあるという捉え方ができないと、お葬式も、それを執り行う意味が希薄化していきます。そして、まあ過去からの伝統だからやるとか、やらないと世間体が悪いからという、単なる形式的なものになっていってしまう。それが更に進むと、昔からの形式で仕方なくやっているんだったら、思い切ってここで止めちゃえということにもなって、直葬なんて形式が、広がっていってしまうんでしょうね。しかしそれが何世代も続くと、どれだけ味気なく、虚無的な生活に帰結していくことか。それこそ如来となって生者を励ます死者との応答もなく、それによって自分の本来的ないのちが呼び覚まされて、新たに力づけられることもなく、虚無的な日常が積み重なって、機械部品のように窒息して生きていくことになるのでしょうね。

■戒名の持つ力

増田住職;
  あのね、密教の葬式の作法の最初の段階で、戒名を授けるという作法があるんだよ。その時ね、粗動散乱の心(粗くて千々に乱れる心)を静めて、寂静法性無為の真都に入るべしという文言があるんだよ。それで亡くなった人のことを祈って求めていると、生前の名前である俗名とは別に、仏様の世界の名雨である戒名が、こう分かれて与えられる所があるんだね。この戒名なんだけど、これは私が何遍も経験していることなんだけど、じつは戒名の持っている力っていうのがあって、戒名に対しては、南無阿弥陀仏の南無をつけて拝むことが出来るんだね。さっき話した通り、如来となって還ってくるのだからね。この南無っていう言葉が、やっぱり特殊な言葉なもので、時に戒名に南無をつけて拝むと、大変な力を発揮する場合があるんだよ。それを俗名のままに南無をつけると、これはもうしっくりこなくなってしまう。
  ここ大徳院では、生きて元気なうちに戒名を下さいっていう人が随分いるんで、生前戒名というのを出しているんだ。その時には、戒名の意味合いについてそれなりの話をするから、ここでは分かってくれている人もいると思うけど、葬式の時に戒名をつける時というのは、派手なパフォ-マンスは何もないんだけど、何ていうか非常に力が入る所だね。

トリ・コ-ジ;
  なるほど、先ほどの如去如来という話とあわあせて考えると、すごくよくわかるところがあります。例えば今ここにAさんという亡くなった人がいて、この世を生きたままのAさんというのは、ろくでもないことをいっぱいやってきたAさんで、でもそれも仕方ないんですよね、人間だから。それで俗名で拝むというのは、そのろくでもないAさんを拝むということになり、南無Aさん、Aさんに帰依します、依り頼みますと言ったら、それはとんでもない話ですよね。だけどこの人が如去如来で、先ほど臨死体験して帰ってきた人のいのちが変わるという話もありましたけども、まさに彼岸に行って浄化されて変わってくる。そしてその戒名をもらって、今までとは違う如来となって還ってきた人とするなら、その人に対して南無というのは、これはほんとによくわかることです。この世に生きたままの私たちというのは、自我が拡張してお化けみたいになった存在で、そんなものに南無しちゃったら、これはいけませんよね。
  まあそんなわけで、ここまで増田ご住職にお話し頂きながら、葬儀にも触れつつ死の問題について考えてきたわけですけど、もちちろ死の問題なんて、そんな簡単に答えが出るものではなく、ずっとこれから考えていかなくてはいけない問題です。でも死が追いやられてきた現代にあって、生を豊かに継承していくために死が持つ意味を考えるということは、大事な意味があると思います。さらにここだけでなく、たくさんの人が考え始めるということは、私たちが自我の好き勝手で生きてゆくことから、人間を含めたすべてのいのちの慈しみを軸にして生きていくように変わっていくために、1つの契機になると思うのです。その死を考え続けつつ、次回以降のテ-マとして、お葬式や戒名、お墓の持つ意味、そして死を準備する老いの意味等を考えていければと思っています。また私たちが、人生を生きるにあたって、数々の苦しみに遭遇せざるを得ないのですが、仏教ではそれを、四苦 - 生老病死とまとめていますよね。だから病気や生きることの苦しみの問題も、考えていく対象となってくると思います。自我を中心に生きる現代にあっては、生が中心で、老病死は生にとっての邪魔者でしかない。そのように老病死は、否定的に捉えられるのですが、実は生についても、生きていく苦しみというのが数多くあるのですよね。でも、今はやりの勝ち組負け組なんて発想をすると、生きる苦しみを感じるのは負け組の証拠なんて捉え方をされて、苦しみの意義は抹殺されてしまう。こうして今の時代は、苦しみはすべ良くないことと否定され、無視されていくわけなんですけど、しかしそんなことはない。生老病死の苦しみにはみんな意味があって、その捉え方によっては、私たちがこれまでもこれからも、人生を良く生きていくために、実に深く豊かな契機を与えてくれるものなのです。そして私たちが、すべてを育む深いいのちの慈しみを自分自身の中に悟り、即身成仏へと歩んでいくための道しるべともなっていきます。そのことを仏教や密教を手掛かりに、じつは私たちの先輩方はちゃんと考えて、教えて下さっているんですね。そうしたことを、次回以降少しずつ、増田ご住職に伺っていければと思っています。

■病の捉え方と加持祈祷

増田住職;
  例えば病気の捉え方について、空海なんかの場合には、鬼病(きびょう、鬼の病気)という捉え方があるんだよ。病気にも2つあって、肉体の病気と心の病気、つまり魂の病気がある。それで空海は、肉体の病気の治療はできないが、鬼業(鬼のごう)とか鬼病に罹ったら、私の所に来なさい、真言陀羅尼で私は必ず治すと、そういう言い方をしているんだよ。

トリ・コ-ジ;
  なるほどね。昔はよくお大師様を始めとして、加持祈祷で病気を治したって言うけど、だいたいそこで加持祈祷の意味について、大間違いをしているんですね。現代人が加持祈祷というと、すぐに呪術的魔力の力に依り頼んで、愚かな自分の願い通りに肉体の難病でもなんでも、こううわ~と儀式をやって治してしまうという、何か眉唾もののいかがわしいイメ-ジを持つのですけど、心から来る病のことだけを対象としたのですね。

増田住職:
  はっきりと肉体の病と魂の病とを分けて、肉体の病は薬師(くすし)の所へ行きなさいと言っているんだね。しかし、空海自身に薬師の知識が無かったわけもないんだ。若き日の空海を扱った映画「曼荼羅」の中で出てくるシ-ンだけども、空海たちの乗った船が嵐に流されて、中国にたどり着く。その時他の連中は熱射病みたいな病気で倒れてしまうんだけど、空海だけは元気で、そこでまだ上陸許可が出ていないにも関わらず、中国の役人とかけあって、山に薬草を探しに行く場面があるんだね。私もその映画に関わっていたから、その場面の撮影に立ち合っていたんだけど。空海を始め、昔の平安時代の宗教家っていうのは、やっぱり修行で山の中を歩いていたから、薬草の知識もあったんだね。だから肉体の病も、空海は治せなかったわけではないんだ。
奈良時代から流行り病っていうのは随分あって、国が金を出して建てる国分寺の本尊というのは、ほとんどが薬師如来。だからやっぱり病気への人々の不安、恐怖というのは、死に匹敵する重さがあったわけで、特に死に結びつくことの多かった当時の病への対策は、為政者にとっては、大変な政治課題だったんだよ。

トリ・コ-ジ:
ここのところエボラ出血熱で大騒ぎをしていますけど、当時はどんな病気でも、あのようにエピデミックに流行する恐怖のイメ-ジで捉えられていたのでしょうね。だから死の問題を考え続けつつ、次回以降どこかで、病に対する捉え方の問題も扱っていかなければなりせんね。

■死を扱わず、葬儀を軽視することで衰退する宗教

増田住職:
  そこで最後に、死の問題でもう1つ心に留めておきたいことがあるんだ。それは私自身が仏教ホスピスなんかやってて思ったことなんだけど、死というのは、目の前に起こる他者の死を語ることと、自分自身の死のこととは、全然違うことなんだね。

トリ・コ-ジ;
  これは:非常にはっきりしていることなんですけど、人の死は経験できるけど、自分の死は:経験できないということなんですね。そりゃまあ、厳密には自分も死を経験するんでしょうけども、生きて返って来れないから、その経験を語れない。

増田住職;
  それがありますよね、やっぱり。だから自分のものとして実感できる死というのが、本来的に考えにくい。それに加えて近代日本においては、仏教学においても死を語ることをしなくなった経緯があるんだね。それは明治になって、近代インド学というのが西欧から入ってきて、それに乗っかる形で近代仏教学っていうのが、日本で出来てくるんだけど、このインド学の実証研究によると、昔のインドには葬式論なんて無かったて言うんだよ。それが日本に入ってきて、新しいトレンディな仏教学として形成されてもてはやされて、学術的には、葬式というものを揶揄し、軽視する風潮が高まっていったんだ。

トリ・コ-ジ:
  昔のインドの資料が、一回ヨ-ロッパ流の実証的な文献学かなんかを通って、向こうの合理的な視点で読み込まれたものが、日本に紹介されてきたのですね。

増田住職:
  だから明治以降、仏教学は葬儀も扱わないし、葬儀と結び付く死を語ることさえしなくなったんだ。もともと日本人には、死は穢れで、その死を処理する葬儀は忌むべきもの、精神的にも社会的にも、秘して恥ずべきものという感覚があったからね。それで近代の仏教学者っていうのは、生老病死と言いながら、死を語らないで、学問の対象ともしなくなってしまったんだ。実は死というのは、ここまで語ってきたように、生にとっていろんな豊かな意味があり、社会的にも意味があるのにね。実際インドで仏教が滅びたのは、死を語らず、葬儀によって死を取り扱わなくなったからなんだね。ところがね、最近になってインドで唯一、いわゆる葬式カ-ストっていうのが残っていたのが発見されたんだ。それは葬儀をする仏教徒の集団で、ある地方の小さな村落だったんだけど、そこでは仏教が完全な姿で生き残っていた。仏教がインドで滅びていなかったんだね、そしてそこではちゃんと葬儀が行われていた。つまり文献学とは別に、昔のインドの仏教社会でも、葬儀は行われており、葬儀をきちんと守り続けてきたからこそ、その地域では仏教は生き残ってきた。
インドで覚者仏というのを生み出し、悟りの世界を拓いてきたのも、やっぱり死によって消滅してしまうという空しさに対して、生きて存在すること確かさを、確認したいという思いがあったからじゃないかな。宗教なんだから、やっぱり死を語らないと仕方がないんだね。

トリ・コ-ジ:
それこそ、ほんとに科学が扱えない分野ですからね。そして死を語れるのは、やっぱり宗教でしかない。哲学も倫理学も優れているんですけど、やっぱり論理ですからね。論理整合性でちゃんと説明できないといけないから、単に人のいのちを励ましたり、安心させたり、豊かにする捉え方や考え方だけで良しとするわけにはいかない。だけどワンちゃんやニャンちゃんとのコミュニケーションとか、論理でない世界、言葉でない世界って、いっぱいあるんですよね。

■三有 - 生死を越えた意識の転回

増田住職:
  それからあともう1つだけ死と葬儀の問題で、付け加えておきたいのは、三有(さんう、さんぬ)の捉え方だね。仏教の場合は、瞑想するでしょう。瞑想するっていうのは、やっぱり意識というものを見つめるわけですよ。この意識には、まず五感六感の世界があるのは分かるよね。そしてその意識の深層に、五感六感を司る領域としてあと三層ぐらいあるんだ。瞑想というのは、こういう意識構造として存在する人間を捉え、意識を見つめるというのは、その深層の領域まで自分自身を見つめることなんだね。それでこの意識が生から死に移り、また死から次の生に移る状態を捉える表現として、三有(さんう、さんぬ)という言葉があるんだ。三つの有と書いてね。まず生きている時の心の働きのありよう様を示す生有というのがあって、次に死ぬ時のありようを示すのが死有、そしてもう1つ、生と死では定義の仕様のない中有というのがある。だから人の意識は、生有あるものはやがて死有に移り、死有にあるものは中有に移るという動き方をするんだ。そしてまた新しい生に移っていく。この中有というのが、なんとも定義ができないんだよ。生でもないし死でもない。魂はそこへ行くって言うんだね。だから葬儀をしないっていうことは、魂がこの中有に漂うことになってしまう。死を語る時には必ず、この三有のイメ-ジを踏まえておかなければいけないだね。
  こうした心と意識の捉え方は唯識論っていうんだけど、この心理学にのめりこんで、どうにもあがきが取れなくなったのが三島由紀夫だったんだ。泥沼に足を突っ込んだようになって、彼の割腹自殺に至る思想にまで影響していく。まあそれは余談だが、唯識論というのは、奈良の法隆寺や薬師寺などの奈良仏教が非常に大事にした心理学で、世界は人間の意識で出来ているという唯心論的な考え方なんだね。それに対して唯物論的に捉える倶舎論というのもある。まあどっちにしても、瞑想というのは自分の意識を捉え、それを深層にまで踏み込み、前に述べたタブラ・ラサではないけれど、一番根底の純粋な生の領域にまで踏み込んでいく。フロイトもユングも、近代の心理学はみんなインドの心理学がもとになっていると言われている。インド人はさらにそこにア-トマンという言葉があるけど、不滅で輪廻転生する魂の存在を加えて考えるんだね。そうするとね、その意識のありようと、生から死への魂の移り行きというものが見えないと、葬式というのは、単なるパフォ-マンスになってしまう。そうなればそのパフォ-マンスを、出来るだけ美しく演出することに終始すればいいってことになってしまうんだ。そうではなく、意識の深層のありようとその生から死への移り行きを見つめないと、死から先へと人の意識あるいは魂を送り出していけないし、葬儀によって死とは何かを、生きて参列する人たちに示してはいけない。だから葬儀っていうのは、非常に大事な役割があるんだよ。

トリ・コ-ジ:
  つまり死者にとっても生者にとっても、とても大事な意味があるということですね。

増田住職;
  だからね、私は空海が俺もう死ぬよって言わないで、定に入る言ったのは、中有の先に移って入った、意識の至福に満ちた不滅の状態、そしてそれはまた瞑想によって深層心理の奥底にも見出されるのだけど、その意識の状態が、三有を経て過たず移りゆく道筋を見たのではないかと思う。

トリ・コ-ジ:
  なるほど、我々日本人の先祖も、お葬式はほんとに大事にしてきたけれど、世界中どこでもすべての民族が、人間である以上葬儀というものを大事にしてきた。それは単に儀式とか形式ではなしに、深い意味があったんですよね。それをもう1度ちゃんと見つめ直すということが、今の私たちの行きづまった、そして惰性化された生活や社会を見直す何かヒントを見い出すことになるかもしれませせんね。いやきっと見い出すものがあるでしょうね。

増田住職:
  そりゃありますよ。たとえば社会が惰性で動くような時代というのは、人々の魂がまさにこの中有の状態にあるって言うんだね。だからその中から出て行かないと。

トリ・コ-ジ;
  確かに高度経済成長の時なんて、日本はこれからもっと物質的に豊かになって、自分たちの生活も豊かになるんだという、共通の目標と実感がありましたよね。だからなんか、わくわくどきどきする気分があったと思うんです。だけど今は、わくわくどきどきするものが何も無いですよね。どこまでも行き詰まっていって、やがてどん詰づまりになってしまう。
まあこんな感じで、つらつらご住職のお話を伺いながら、私たちのご先祖の智慧から、何かのヒントになるものを頂いていければと思っています。

■人生を充実させる墓

増田住職;
  あと墓についてもちょっとだけ触れておくと、例えばここの両国陵苑をPRすると、いろんな人が関心を持って、問い合わせてくるんだね。お墓に関していくつかの選択肢がある中で、ここが選択されるというのは、それなりの理由があるんだろうけど、そこには、こういう形式のお墓が良いっていうある人たちの思いが集約されてきていると思うんだ。そのように、この現代おいても失われない人間の墓に対する思いというのを、しっかり見つめていかなければならないと思うんだね。実際墓の持つ機能とか働きというのは、いろんな意味があるんだよ。ただ単に骨をしまう、納めるということだけじゃなしにね。それこそ社会的にも、非常に意味があるんだ。また個人の意識の面でも、墓を持っちゃうと、ある種の開き直りができるようになる。よく終の棲家って言うでしょ。

トリ・コ-ジ:
  そうか、お墓こそほんとの終の棲家ですね。

増田住職;
  あとはもう、精一杯生きりゃいいんだから。

トリ・コ-ジ;
  なるほど、自分の残された人生を、いかに一生懸命生きるかということに、お墓を持つことはつながってゆくということですね。

増田住職;
  だからね、生きているうちに、自分のために生前墓、寿陵墓っていうのを造る人もあるんだよ。

トリ・コ-ジ;
  そう言えば、昔あるお仏壇のメ-カ-が、墓のない人生ははかない人生って宣伝していましたね。

増田住職;
  そういう例えで言えば、関東大震災の時、浅草あたりのお寺が随分被害を受けて、墓なんかごちゃごちゃになったんだね。それで、そこから今の世田谷の烏山通り、寺町通りっていうんだけど、あそこへお寺をみんな移したんだよ。その時墓石も一緒に移した。場合によっては大きな墓石もあるし、運びづらいものもあったでしょう。そこでその運搬がスム-に行くと、「墓が行く」と言った。また手間ばっかりかかっちゃって、その実たいしたものが運べないと、「墓がいかねぇ、墓が行かねぇ」って言ったというんだ。そこから「はかがゆく」という言葉が生まれたというんだね。「墓が行く」ってね、精神的にはかなり充実した状況なんだよ。だからその精神の拠り所が無い、「墓ない」というのも、ほんとにはかなくて空虚だと思うよね。

トリ・コ-ジ:
  「墓ない」も「墓が行く」も、本来の語源が別にある駄洒落かもしれませんけど、そうした語呂合わせが、けっこうある本質を言い当てている時がありますよね。一瞬一瞬をどう充実して生きていくかということは、私たちにとってとても大事なことで、墓の存在は、そうした私たちの心の態度に関わってくることなんですね。それこそ、死を隠して生きているというのが私たちの日常ですけど、それは、毎日をいい加減に生きていくということにつながっていきます。かといって、自我を張って頑張りすぎるのもいけないのですけどね。
  さて本日は、現代社会が押しやってきた死の問題について、私たちの先祖が培ってきた伝統宗教の智慧から、非常に豊富な内容を、増田ご住職からお伺いしてきました。次回以降も、引き続き死の持つ意味を考えつつ、とりあえず次回は、まず葬式の持つ意味について焦点をあてながら、増田ご住職に伺っていければと思っています。本日は本当に、長時間にわたり有難うございました。