ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信No.93『世代間格差と暮らしから乖離し続けてきた政治』

Jul 16 - 2016

■2016.7.16パンセ通信No.93『世代間格差と暮らしから乖離し続けてきた政治』

皆 様 へ

(1)はじめに
天皇陛下が生前退位のご意向を表されました。参議院選挙で改憲派が2/3以上を占め、改憲に向けての運動が加速しようとする矢先でのタイミングです。天皇制はこの国の歴史と文化、私たちの精神構造、そして国のあり方を顕す憲法の内容にも関わる大きな問題です。世界が不安と危機に翻弄されている状況にあるだけに、私たちに1度立ち止まって、最も基本的なことからよく考えてみるようにという、陛下の深いご意向が隠されているのかもしれません。それ故に天皇制の問題は、憲法と合わせて、また別に機会を設けてじっくりと考えてみたいと思います。

さてアメリカでもイギリスでもヨーロッパでも、欧米では庶民の不満が高まり、トランプ現象やブリグジッド(英国のEU離脱)が起こり、移民排斥を唱えるポピュリズム政党が躍進しています。またアメリカでの黒人射殺に端を発した警官射殺事件のように、何か衝撃的な出来事が起こると、庶民の怒りが暴発しかねない状況にもあります。テロも異常なほどに頻発しており、昨年1月以来主なものだけでも10件、ほぼ2ヶ月に1度の頻度で発生しています。そしてトルコでは、クーデター未遂が起こりました。ところが日本では、私たち庶民が実質的に不利益を被っているにも関わらず、不満を口にしません。その理由について前回のパンセ通信では、グローバル競争の脅威、庶民の利益を代弁する政治勢力の不在、官僚主導による“管理民主主義”による統制という3点について考えてみました。今回はさらにもう2~3点にわたってその理由を考え、私たちが不満を言わない深層の理由を明らかにしていってみたいと思います。その上で、明治以来の日本の政治が欠いてきた盲点を洗い出し、仮に経済が破局的な事態に陥ったとしても、私たち庶民が自分たちの暮らしと心のあり方を守り、いのちと生活を再建していく道筋について検討していってみたいと思います。次回のパンセの集いは7月18日の月曜日の18時からです。この日は海の日で祝日のために原則お休みとしますが、近隣等でお時間のある方はお越しください。天皇制の問題や東京都知事選もありますし、補足的に集いをもってご一緒にお話を楽しめればと思っております。普段お仕事で疲れの皆様は、ゆっくり体を休めるか、夏のレジャーをお楽しみ下さい。場所は、初台・幡ヶ谷の地域で行います。

なお、幡ヶ谷ホームシアター劇場(言葉の意味が重なっていますが)の補修が、ようやく完成に近づいてきました。うちの大家さんにご提供頂いた、ビルの地下のスナック跡地の10坪ほどのスペースを、モルタルを塗り、床の段差を無くし、天井の穴を塞ぐなど合間を見てコツコツ補修してきましたが、なんとか体裁が整ってきました。7月25日の幡ヶ谷ホームシアターサークルからは、この場所で活動を行えればと思っております。さらに私たちが地域において生きる力を養い、暮らしを支え合い、具体的な生活づくりを行っていくためのささやかな拠点に育てていければとも思っています。次回の課題映画作品は、ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマン主演の『カサブランカ』を予定しています。

(2)庶民が不満を言わぬ理由 - 世代間格差の果たす役割
 ①高齢者が不満を言わぬ理由
さて日本でも所得格差が拡大していることはこれまでもお話ししてきましたが、実はもう1つ、高齢者と若者との間でも世代間格差が広がっています。かつてバブル経済が崩壊し、金融危機を迎えた1990年代から2000年代の初めまでは、就職氷河期の時代と言われました。この間大卒者の内定率は、10月1日現在で60%代、4月1日現在で90%代に達するという状況が続きます。30%は不本意なところに就職したということでしょう。その結果多くの若者が転職を繰り返し、やがて非正規労働者化していきます。現在非正規労働者の全労働者に対する割合は40%に達し、その平均年収は168万円にしかすぎません。つまり非正規雇用の若者の場合には、200万円弱の年収で一生を暮らしていくことになるのです。また正社員であっても、受給する年金は高齢世代と比べて著しく格差があり、現在70歳の人が受給する厚生年金の額が、保険料負担額の5.2倍であるのに対して、30歳の若者が受給できるのはわずか2.3倍にしかすぎません。国の予算の社会保障費の割合を見ても、高齢者向けが69.9%を占めるのに対し、家族・子育て向けの割合はわずか3.8%です。しかも誰もが直感しているように、現在のわが国の社会保障の体系が、将来にわたってこのまま維持できる保証はありません。若い世代のほとんどが、内心では将来の年金や保障を当てに出来ないという疑念を抱いているのです。

このように現在の日本における格差は、所得格差に加えて高齢者と若者との間での世代間格差があり、二重の格差が生じていることが特徴となっています。それではこの状況から、いったいどんな事態が生じてくるのでしょうか。まずある程度の所得や年金、資産のある高齢者の場合から考えてみましょう。彼らにとってみれば、現状はそれほど余裕が無くても経済的には不足はなく、充実した医療・介護サービスも受けられるので不満は無いでしょう。もちろん国家財政は単年度ベースで破綻しており、現在自分たちが不足なく暮らせるのも、将来世代の収入を先食いしているからであることは分かっています。だからこのまま長続きしないことは自覚しているのですが、当面の間はなんとかなると思っているのです。それに自分は老い先が長くないのだから、危機が生じる前になんとか逃げ切れるのではないかとも考えてしまう。人間というのは、今ここでの具体的な生活の痛みや脅威に晒されない限り、迫りくる危機には目をつぶって、対応を先送りしてしまうものなのです。高齢世代の場合には、確かに庶民あるいは生活者という側面から見れば、経済格差の拡大から不利益を被って、徐々に生活水準は低下しているのですが、それでも現時点ではなお平穏で、なんとか生活が出来て社会保障の恩恵にも預かれる状況にあります。一方でその平穏な生活が、世代間格差によるもので若者世代の不利益によって賄われていることも分かっています。だからあえて今ここでへたな声を上げて、自分の利益が消し飛んでしまうようなことはしたくないのです。こうしたことが、高齢世代がことさら不満の声を上げて抗議しない理由となっているのでしょう。

②若者が不満を言わぬ理由
それでは若者たちの方はどうでしょうか。現時点で不利益を被り、将来の稼ぎまで高齢世代に掠め取られて、しかも負債まで背負わされているのですから怒って当然でしょう。それなのになぜ怒らないのでしょうか。ここでもし若者が怒りを爆発させていれば、高齢世代もその非難に耐えかねて危機感を覚え、社会保障費の削減をも含めた痛みを伴う改革にも踏み出していけることでしょう。ところがそうはならないのです。

若者たちが寡黙でいる第1の理由は、高齢世代と同じで、とりあえず今の生活が何とかなっているからでしょう。非正規雇用であれ、フリーターであれ、ニートであれ、何とか今を暮らすことは出来ているのです。現在ここで、耐えがたい生活の窮乏に見舞われているわけではありません。そして未来があまりにも重くて改善の方策も見たらないので、その事実に目を向けたくは無くなるのです。そして2つ目の理由は、これは若者世代だけに関わらず現役世代全体に言えることなのですけど、今の生活で手一杯で、とても将来の不安や老後の備えについてまで考える余裕が無いのです。しかし若者たちが不満をこぼさない理由は、どうやらそれだけでは無いようです。実は若者たちは、無意識のうちにも今の時代が、そう長くは続かないことを予感しています。私たちの国は現在、経済対策や社会保障費の不足を補うために、政府が発行する赤字国債を銀行を介して日銀が買い入れるという、実質的な財政ファイナンス(ヘリコプターマネー)を行っています。つまりお金を刷ってばら撒いているのですから、いずれお金の信用が無くなり、貨幣価値が暴落(つまりインフレ)する時がやってきます。実際に私たちの国は、第二次世界大戦中に国が発行する国債を日銀が直接買い入れるという財政ファイナンスを行い、戦費を調達しました。その結果敗戦を契機に猛烈なインフレに襲われ、昭和21年の預金封鎖、新円切替時点でも物価は約100倍に上昇し、その後も上昇し続けました。

それでは仮にこうした事態に至った時には、いったいどういうことが起こるのでしょうか。高齢世代がこれまで必死に貯め込んで、老後の安心の担保としてきた貯蓄は一挙に目減りし、その価値を失います。そして恐らく社会は混乱するでしょう。現在NHKの朝ドラで『とと姉ちゃん』が放映され、ドラマは丁度戦後の混乱期にさしかかっていますが、現実にはドラマ以上に過酷な状況が生じていました。生きるために、女性や高齢者、戦災孤児から、強い者が食料を平気で奪い取っていったのです。このために昭和20年の冬場にかけて、戦災孤児を中心に多くの人々が餓死しました。もしこうした混乱の状況に立ち至ったなら、若者の立場はどうでしょうか。もともと貯蓄はたいしてありませんから、ハイパーインフレになっても影響は大きくないでしょう。そして若さと、体力、健康がありますから身体的には“強く”、混乱の中でも生き残れる確率は高くなります。また将来があるのですから、1から働いてこれから資産をつくっていくことも可能です。つまりもし若者たちが、どうせこんな時代は長く続かない、そして時代の切り替わりの時には混乱があって、若い自分たちの方が生き残れるチャンスがあると本能的に予感しているとしたらなら、今何も無理をして声を上げる必要は無く、無駄なエネルギーを消費しないで静かに待っていた方が良いのです。

こうして世代間格差は、高齢世代にとっても若者世代にとっても、現状置かれている不利益の構造や将来の破綻の可能性に目を向けさせず、とりあえず文句を言わずに問題を先送りする状況を生み出しているのです。こうして世代間格差が、庶民が不満を言わぬ4つ目の理由を形づくっているのです。

(3)政治と暮らしの乖離 - 空無化してきた政治
①暮らしから遊離した“政治”概念
さて私たち庶民が不満を言わない5つ目の理由は、明治以降の日本の風土の中で理解されてきた“政治”概念と関わってきます。これは不満を言わぬ3つ目の理油である「庶民を代弁する政治勢力の不在」の問題とも関連しますが、ここで取り上げるのは、単に政治勢力の側だけの問題ではなく、日本人全体が抱く“政治概念”の誤解に由来する問題なのです。元来“政治”というものは、何か特別なものではなく、人が集まって暮らしていけば必然的に生じてくる、利害関係の調整や相互扶助、水路・道路の修築や防災・自警などを取り仕切るものでしかありません。いかに自分たちが平穏に支障なく暮らしていけるかを調整する仕組みなのです。私たちの先人たちは、“寄合”という仕組みで立派に政治を行ってきました。“経済”というのも、暮らしを維持するために必要なものを作って、分け合って、消費することにしかすぎません。“金融”についても、資金を融通し合って必要なことのために投資する“講”という仕組みを先人たちは発達させてきました。そして暮らしの単位である“(惣)村”が集まって“(惣)郷”を形成し、より広範囲で人々が調整したり協力したりする、大きな“社会”も生み出していたのです。

このように元来私たちの先人にとっては、“政治”も“経済”も“金融”も“社会”も、何か特別のものではなく、暮らしに根づいた、生活実感で容易にわかる当たり前のものだったのです。ところが明治維新になって、私たちはこれらの概念を含めて多数の概念を西洋から輸入しました。そして私たち 


現実の暮らしとは切り離されて、何か自分たちの知らない特別の価値のあるもののように、改めて“政治”などの新しい言葉を生み出し、その概念を抽象的に定義していったのです。その時の明治のエリートたちは、“政治”も“経済”も“金融”も“社会”も、私たちの日常の暮らしのような卑賎なものとは異なった、国家全体を扱う特別に高尚なものとイメージしてしまったのです。そしてこのイメージが、現在に至っても受け継がれてきており、政治も経済も、本来の暮らしに根づいたものとは異なった肌感覚で、ただ天下国家の次元だけで論じられるもののように受け取られてきてしまったのです。

②日本の庶民が抱く“政治”のイメージ
それでは私たち日本人は、“政治”をどのようにイメージしてきたのでしょうか。国会にしても地方議会にしても、選挙になれば政党や政治家は政策や公約を掲げます。しかしその内容を本当に私たちは分かっているのでしょうか。結局は自分の好みやその時の気分で、またお世話になったとか知り合いから頼まれたからとかいう理由で、投票する政党や候補者を決めてしまいます。そして選挙というイベントの時だけは、好きなチームがプレーするプロ野球中継を見るかのように、自分が応援した側が勝利したかどうか固唾をのんで見守る興奮を味わうのです。しかし選挙が終われば、“政治”は私たちの意識から遠のき、“政治”とは切り離されて、日々個々人が日常の暮らしを送っていきます。また政治家の使う言葉についても特別なものと判断し、たとえ公約が実現されなくても、それはそんなものとして受け流してしまうのです。これが私たちの意識する政治というものの姿でしょう。

③戦後左派の台頭とカウンターとして始まる保守政治
実際に戦後の日本の政治過程を見ていくと、政治家のスローガンとは裏腹に、政治がいかに現実の暮らしからかけ離れたところで展開されてきたかが良くわかります。敗戦直後は、それまでの国家主義的な軍部独裁体制が崩壊したのですから、抑えつけられていた共産党系や後に社会党としてまとまる様々な左派勢力が、一挙に政治活動の表舞台に躍り出てきます。国土も生活も焦土と化した状態ですから、具体的な政策課題は単純で、とにかく国民がいのちをつなぐために必要な物資の要求です。そしてもう1つは、それまで抑圧されていた労働者や農民などの無産者を中心にした政権を樹立するという、体制選択のための理念的なスローガンでした。戦前・戦中の人間性も生活も抑圧された経験の反省もあるものですから、左派勢力の“理念”は、戦前・戦中の体制の対極にあるものとして映り、多くの人々の支持を得ました。こうして1947年には、社会党を中心とした片山内閣が誕生するに至ります。これは保守陣営の側にとっては脅威でした。日本の保守陣営の側も、戦後多くの者が公職追放されながら、戦前の翼賛体制への回帰を目指す者から自由主義経済を目指す者まで、様々な勢力が活動を始めていました。しかしその共通する心情は、日本固有の伝統や美点を守るということだったでしょう。そんな保守の立場の人々から見れば、突然左翼の勢力が強大に立ち現れて、しかも日常生活とは遊離した体制転換のスローガンを掲げて、乱暴に大衆運動で社会に変化を加えていこうとするのですから、たまったものではありません。保守の陣営も、急遽左翼陣営の掲げるスローガンに対する全くのカウンタ-(対抗)として理念を打ち出し、それを政策としていく必要に迫られたのです。すなわち、反米に対する親米、非武装に対する再軍備、平等に対する自由経済、進歩に対する伝統などです。本来保守というのは、庶民が無理なく暮らしを良くしていけるように、伝統や文化に配慮しながら少しずつ改善を進めていく現実主義です。民族的伝統主義にしても、その動機は、私たちが故郷を愛し、美しい故郷の山河を愛し、家族を愛し、隣人を愛する心を大切にしたいという思いに由来します。しかしながら戦後の日本では、こうした保守思想の概念を深められる余裕もなく、左派勢力のカウンタ-として、保守の政策もスローガン的に打ち出されていくしか無かったのです。こうして1955年には、左右に分裂していた社会党が統一したことを契機に、全くそのカウンタ-として保守合同がなされ、自由民主党が結党していくのです。

③日々の暮らしと“政治”が分離する日本
一方左翼の側も同様で、反左翼を掲げることで冷戦構造下でのアメリカの占領政策と歩調を合わせた保守陣営の政策が、着々と実行に移されてくると、今度はそのカウンターとして日米安保条約反対、反動的な岸信介内閣打倒を掲げて、空前の大衆動員を伴う60年安保闘争を展開します。現在では考えられないような多くの国民を巻き込んでの、政治論議が戦わされたのです。しかしここで1つ注意を留めておかなければならないことがあります。当時始まっていた米ソ対立の東西冷戦下で、日本が保守陣営を選択して西側陣営の1員として歩むのか、左派陣営を選択して中立的・自立的に歩むのかは、確かに日本の将来を左右する重要な選択でした。しかしそこには、それぞれの選択を行った時に、庶民の暮らしがどう変化するのか、どう良くなるのか、あるいは悪い影響を被るのかという、具体的な生活イメージを描く議論は皆無に等しかったのです。まだ戦争の生々しい記憶が癒えぬ状況で、再び米ソ対立による世界大戦の危機も実感された時代ですから、個人の日常の生活イメージどころでは無かったことはよく分かります。しかし問題なのは、この状況が今日に至るまで続いていることです。1960年代以降は、日本の政治は自民党と社会党を核とする保革対立の構図となっていくのですが、そこで展開されたのも国政レベルでの政策の応酬であり、日常的な生活サポートや暮らしのイメージとはかけ離れたものでした。そして自民党対社会党、保守対革新という55年体制が崩れて、1996年に民主党が結党した後も、保守対リベラルという対立の構図は描かれたのですが、例えばリベラルになって、私たちの日常生活はどのように良く変化するのか、そのためにどんな具体的プロセスを講じるのかという議論はありませんでした。そして直近の参議院選挙でも、アベノミクスも憲法改悪反対も重要なのですが、アベノミクスの結果私たちの生活は具体的にどうなるのか、また憲法改悪を阻止して、市民・野党連合は具体的にどんな私たちの暮らしを実現しようとしているのか、そんな議論はありませんでした。

ここに〝政治“というものを、日常の具体的な生活とは切り離して、天下国家を論じるだけのことと考えてしまう日本の特異性がよく表れていると思います。“政治”という概念を先進国から輸入して接ぎ木する必要の無かった欧米では、このような政治の生活からの分離現象はありません。例えばイタリアでは、かつてイタリア共産党が国中のコミュニティーに「人民の家」という居酒屋を設けて、そこで市民の生活を日常的にサポートしたり相互協力を進めたり、さらには日々の暮らしの励ましや相談を行い、具体的な暮らしづくりを担っていたのです。その日常的な生活づくりが、イタリアに西欧最大の共産党を生み出し、今日まで根深く残るファシスト勢力やマフィア勢力への対抗軸となってきたのです。また私がかつて暮らしたスコットランドでも、人々は自分の社会クラスやライフスタイルに応じて様々なサロンやクラブに所属し、それがそのままごく自然に保守党や労働党という政党につながっていたのです。

④成熟社会での暮らしづくりに配慮しない政治
このように日々の具体的な暮らしと天下国家の政治が分離して意識される日本ですが、そんな日本でも、政治が具体的に国民の生活ビジョンを描き、それを政策として推し進めた時代がありました。それが60年安保後に誕生した池田勇人内閣とその後の佐藤栄作首相の時代です。池田首相は重化学工業の発展による高度経済成長を推進し、それに付随する政策として、所得倍増政策を掲げました。これによって太平洋側の主要都市を結ぶ形で重化学工業地帯が形成され、そこに農村からの余剰労働力が投入されていったのです。この過程で日本の庶民の暮らしは一変します。それまでの農村での伝統的な農作業や都市部での家内商工業的な生活から、企業で働き、団地に住み、奥さんが専業主婦として家庭を支え、賃金上昇によって消費生活を楽しみ、経済成長に夢を託すというライフスタイルに変わっていったのです。さらに政府は、1966年に中央教育審議会を通じて「期待される人間像」をも打ち出します。それは自由であるが規範に従い、家庭を大切にして次世代の労働力となる子供を育て、仕事に精励して社会に貢献するという内容の人間像でした。これはまさに工場生産にとってはきわめて都合の良い人間像であって、政治が具体的な人間の生き方モデルまでも描いて示したのです。

しかし冷静に考えてみるとこれは大変なことで、伝統的な日本の生活様式や文化を大きく破壊し、異なる生活へと転換するものだったのです。しかも具体的な生活ビジョンは政府から一方的に示され、国民に選択の余地はありませんでした。現実の日常生活から変えていくというよりは、強引に社会の仕組みが変えられて、国民はそれに従っていく他はなかったのです。これは資本主義的生産・消費に適合した社会へと変革するブルジョア革命ではあっても、本来の保守主義や民族伝統主義とは真っ向から対立する政策だったのです。こんな政策を自民党が推進できたのも、保守政治が現実のリアルの生活に根ざしておらず、また保守勢力が様々な点で相違はあったとしも、“反左翼”というただ1点だけで結束して、そのために効果ある政策を採っていくことが出来たからでしょう。そして時代は丁度経済成長の時代、つまり人々の物質的な欲望が開花する時代へと入ってきていたので、人々は保守派によるブルジョア革命を受け入れていったのです。

ところが今問題になるのは、この経済成長に適合したライフスタイルモデルが、崩れ始めていることです。人々は、今更ながらに自分たちが失ったものの大きさに気づき始めています。祖先たちが伝統の中で大切育んできた自然や、絆や、信頼や、居場所や、生きる意味などです。そしてまた庶民は元来保守的なもので、第1に大切なことは、昨日と変わらぬ生活が今日も明日も大過なく送っていけることです。しかしそれが今困難となってきているのです。それなのに今の私たちには、日常生活レベルで生活をサポートしてくれるところも相談に乗ってくれるところもありません。宗教も多くの人が捨て去ったので、慰めてもらったり励ましてもらったり、生き方を諭してもらって生きる勇気が取り戻せるようなところもありません。ましてやリベラルの陣営からの、新しいライフスタイルのモデルの提示もありません。そこに不満や怒りやSOSの叫びがあっても、政治はそんなリアルな日常生活から切り離されて、天下国家の政策論争と選挙戦だけを展開するものとなっているのです。この現状が、人々に現実の暮らしの中で困難や苦悩を抱えていても、政治に不満を言っても仕方がないと思わせる理由となっており、また本当に不安な時には好きなサッカチームの応援も出来なくなるように、政治どころではなくなり、投票にも行かなくなってしまうのです。

以上ここまで、庶民が不利益を被っていても不満を言わぬ理由として、グローバル競争の脅威、庶民の利益を代弁する政治勢力の不在、官僚主導による“管理民主主義”、そして今回において、世代間格差の果たす役割と政治と暮らしの乖離という5つの点について見てきました。これに加えて、次回は現在日本で進行しているソフトファシズムによって庶民が不満を感じぬようになっている理由を見ていった上で、私たちが日々の暮らしから政治に影響力を及ぼし、困難な状況に陥っても暮らしを守っていけるようになる道筋を考えていってみたいと思います。

次回のパンセの集いは7月18日の月曜日、18時からです。祝日ですので希望者のみで行いますが、お時間が許しご興味のある方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)