■2016.7.9パンセ通信No.92『なぜ私たちは、不利益を被っても不満を言わないのか?』
皆 様 へ
(1)私たちの小さな幸せを押し潰す危機と現在の政治
『見よ、良きものは身近にある。幸福はいつも目の前にある』(ゲーテ) 私たち庶民にとっての幸せとは、日本が世界で活躍することでも、経済成長を果たすことでもなく、日々の暮らしの中で小さな幸せを積み上げていくことでしょう。そんな私たちの小さな幸せづくりを、しっかりと支える社会と経済の仕組みをつくっていくのが本来の政治です。ところが今、私たちのこの小さな幸せづくりを妨げる社会と経済の脅威が、世界的な規模で生じております。すでに少なからぬ人が、小さな望みさえ奪われる状況に陥り、自ら命を絶ったり、自暴自棄になったりしています。そうでない人たちは不安にかられて、今ある自分の小さな幸せを守ることに汲々としているようです。そして数年の先の内には、間違いなく起こるであろう恐ろしい破綻の事態を予感しながらも、私たちは今日も目を背けて問題を先送りし続けているのです。
この社会と経済の脅威に対して、政治も混乱して為す術を失っているようです。それは歴史的に見れば、30年周期、60年周期、そして300年周期でやってくる大きな変動の波が、現代に同時に重なって生じていて、途轍もない転換点を迎えているからでしょう。たかだかここ数十年来積み上げてきた政策手法では、今までにはない変化が起こっているのですから、とても太刀打ちすることは出来ません。そしてまたこのように為す術を失った時に、“政治”は往々にして暴走を始め、私たちの小さな幸せや幸せづくりを守るのではなく、逆にそれを奪い去っていく方向で機能し始めたりするのです。その方法は、私たちが現実から目を背けている間に巧妙化し、“政治”は第二次大戦前のファシズム体制や戦後の経済混乱から、預金封鎖とハイパーインフレによって国民の資産を国家負債の穴埋めに用いる方法を十分に研究し尽し、私たちが脅威を自覚せぬままにソフトに破滅に追い込む道程をすでに見出しているようです。少子高齢化と財政危機で世界の最先端を歩む日本は、実はこのソフトファシズムの政治手法においても最先端で、着実にその歩みを進めているのです。
それではその行きつく先にはどんな事態が待ち受けているのでしょうか。危機にあって感覚を麻痺させて逃避している私たちは、“何とかなるだろう”と内心思っているのですが、残念ながらその困難は、近年の人間の歴史が見てきた以上に過酷なものとなる可能性が想定されます。しかしだからと言って、不安を煽り立てているわけではありません。人類史レベル、あるいは生命史のレベルでものごとを眺めてみれば、私たちの先人たちは、何度も絶滅の危機を迎えてはそれを乗り越えて生き残り、今日までいのちを受け継いできました。私たちの中には、この人間を生き残らせる“いのちの力”が流れています。このいのちの原点に立ち返る時、私たちはバビロン捕囚後のイスラエルの民が神殿を再建したように、どんな廃墟からでも立ち上がることができるのです。それが宗教の智慧が教える“信仰”というものです。そこで、今後の日本の社会のあり方を方向づけて世界にも影響を与える第24回参議院選挙の投票日を控えて、いのちの原点に立ち返った私たちの本来の求めから、私たちの利益とは何なのかを明らかにし直していってみたいと思います。そのためにまず私たちの利益を妨げる要因を考え、利益を具体的に実現していくための“もう1つの選択”のプロセスについて明らかにしていければと思います。次回のパンセの集いは、選挙後の7月11日の月曜日、時間は18時からです。場所は、初台・幡ヶ谷の
地域で行います。
(2)格差の拡大がもたらす5つの危機と不利益を被る庶民
さて前々回のパンセ通信では、私たちの生活に暗い影を投げ落とす世界の経済・社会の危機の状況を整理してみました。まず根本の原因としてあるのが、格差拡大による新自由主義政策の行き詰まりです。庶民にお金が回らず、内需が落ち込み、経済成長が果たせなくなっているのです。その結果として、次の5つの危機が生じています。
①富裕層に集中した資産が金融市場に流れ込むものの、需要不足により投資先が無く、バブルを生じさせて頻繁に金融危機を引き起こす。
②需要不足を補うために、政府は財政支出を拡大し、中央銀行は金融緩和政策を強力に推し進めて経済を刺激しようとするが、その効果が出ず、逆に財政破綻の不安が消費を一層萎縮させる。
③庶民所得の目減り分と政府部門の負債分の財が、企業部門に移転してその利益を拡大するが、グローバル化した企業はタックスヘイブンにより節税し、税収減をもたらして経済循環を阻害する。
④自由貿易の推進によって、途上国の富がグローバル企業に移転して庶民が窮乏し、政情不安を引き起こす。そのことが移民や難民を増大させ、テロの温床となり、先進国の社会秩序を圧迫する。
⑤先進国内部においても、不利益を被る庶民の不満が高まり、政治不信を背景にポピュリズム政党が勢力を伸ばして、社会と政治の安定の攪乱要因となっている。
こうした危機と不安の状況の中で、現実的に不利益を集中的に被っているのが“庶民”です。ここで“庶民”というのは、自分たちの利益や権利を守る組織や団体を持たず、不利益を被るがままになっている人々のことを言います。かつて日本が経済成長を遂げていた時代には、国民の多数は何らかの利益団体に組み込まれ、なにがしかの成長の果実を手にできる状況にありました。その時代に自分たちを守る組織を持たず、不利益を被るがままになっていたのは“下層”の人たちで、けっしてマジョリティーではありませんでした。その頃の日本においては、大多数の人々が自分たちは“中流”と意識していたのです。ところがバブルが崩壊して経済成長が停滞し、新自由主義が始まると、政府の施策はグローバル企業の競争力強化に集中し、国民の多くは瞬く間に自分の権利や利益を守る術を解体されていきました。そして不利益を被るがままの“庶民”がマジョリティーとなっていくのです。もし生活者という括りで見ていくならば、大企業の役員クラスまで含めて国民のほとんどが、消費税増税や円安による物価上昇、社会保障の切り下げや教育費の増大等の影響を受けて、生活が苦しくなっています。ここまでが、前々回のパンセ通信No.90
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(1)私たちの小さな幸せを押し潰す危機と現在の政治
『見よ、良きものは身近にある。幸福はいつも目の前にある』(ゲーテ) 私たち庶民にとっての幸せとは、日本が世界で活躍することでも、経済成長を果たすことでもなく、日々の暮らしの中で小さな幸せを積み上げていくことでしょう。そんな私たちの小さな幸せづくりを、しっかりと支える社会と経済の仕組みをつくっていくのが本来の政治です。ところが今、私たちのこの小さな幸せづくりを妨げる社会と経済の脅威が、世界的な規模で生じております。すでに少なからぬ人が、小さな望みさえ奪われる状況に陥り、自ら命を絶ったり、自暴自棄になったりしています。そうでない人たちは不安にかられて、今ある自分の小さな幸せを守ることに汲々としているようです。そして数年の先の内には、間違いなく起こるであろう恐ろしい破綻の事態を予感しながらも、私たちは今日も目を背けて問題を先送りし続けているのです。
この社会と経済の脅威に対して、政治も混乱して為す術を失っているようです。それは歴史的に見れば、30年周期、60年周期、そして300年周期でやってくる大きな変動の波が、現代に同時に重なって生じていて、途轍もない転換点を迎えているからでしょう。たかだかここ数十年来積み上げてきた政策手法では、今までにはない変化が起こっているのですから、とても太刀打ちすることは出来ません。そしてまたこのように為す術を失った時に、“政治”は往々にして暴走を始め、私たちの小さな幸せや幸せづくりを守るのではなく、逆にそれを奪い去っていく方向で機能し始めたりするのです。その方法は、私たちが現実から目を背けている間に巧妙化し、“政治”は第二次大戦前のファシズム体制や戦後の経済混乱から、預金封鎖とハイパーインフレによって国民の資産を国家負債の穴埋めに用いる方法を十分に研究し尽し、私たちが脅威を自覚せぬままにソフトに破滅に追い込む道程をすでに見出しているようです。少子高齢化と財政危機で世界の最先端を歩む日本は、実はこのソフトファシズムの政治手法においても最先端で、着実にその歩みを進めているのです。
それではその行きつく先にはどんな事態が待ち受けているのでしょうか。危機にあって感覚を麻痺させて逃避している私たちは、“何とかなるだろう”と内心思っているのですが、残念ながらその困難は、近年の人間の歴史が見てきた以上に過酷なものとなる可能性が想定されます。しかしだからと言って、不安を煽り立てているわけではありません。人類史レベル、あるいは生命史のレベルでものごとを眺めてみれば、私たちの先人たちは、何度も絶滅の危機を迎えてはそれを乗り越えて生き残り、今日までいのちを受け継いできました。私たちの中には、この人間を生き残らせる“いのちの力”が流れています。このいのちの原点に立ち返る時、私たちはバビロン捕囚後のイスラエルの民が神殿を再建したように、どんな廃墟からでも立ち上がることができるのです。それが宗教の智慧が教える“信仰”というものです。そこで、今後の日本の社会のあり方を方向づけて世界にも影響を与える第24回参議院選挙の投票日を控えて、いのちの原点に立ち返った私たちの本来の求めから、私たちの利益とは何なのかを明らかにし直していってみたいと思います。そのためにまず私たちの利益を妨げる要因を考え、利益を具体的に実現していくための“もう1つの選択”のプロセスについて明らかにしていければと思います。次回のパンセの集いは、選挙後の7月11日の月曜日、時間は18時からです。場所は、初台・幡ヶ谷の
地域で行います。
(2)格差の拡大がもたらす5つの危機と不利益を被る庶民
さて前々回のパンセ通信では、私たちの生活に暗い影を投げ落とす世界の経済・社会の危機の状況を整理してみました。まず根本の原因としてあるのが、格差拡大による新自由主義政策の行き詰まりです。庶民にお金が回らず、内需が落ち込み、経済成長が果たせなくなっているのです。その結果として、次の5つの危機が生じています。
①富裕層に集中した資産が金融市場に流れ込むものの、需要不足により投資先が無く、バブルを生じさせて頻繁に金融危機を引き起こす。
②需要不足を補うために、政府は財政支出を拡大し、中央銀行は金融緩和政策を強力に推し進めて経済を刺激しようとするが、その効果が出ず、逆に財政破綻の不安が消費を一層萎縮させる。
③庶民所得の目減り分と政府部門の負債分の財が、企業部門に移転してその利益を拡大するが、グローバル化した企業はタックスヘイブンにより節税し、税収減をもたらして経済循環を阻害する。
④自由貿易の推進によって、途上国の富がグローバル企業に移転して庶民が窮乏し、政情不安を引き起こす。そのことが移民や難民を増大させ、テロの温床となり、先進国の社会秩序を圧迫する。
⑤先進国内部においても、不利益を被る庶民の不満が高まり、政治不信を背景にポピュリズム政党が勢力を伸ばして、社会と政治の安定の攪乱要因となっている。
こうした危機と不安の状況の中で、現実的に不利益を集中的に被っているのが“庶民”です。ここで“庶民”というのは、自分たちの利益や権利を守る組織や団体を持たず、不利益を被るがままになっている人々のことを言います。かつて日本が経済成長を遂げていた時代には、国民の多数は何らかの利益団体に組み込まれ、なにがしかの成長の果実を手にできる状況にありました。その時代に自分たちを守る組織を持たず、不利益を被るがままになっていたのは“下層”の人たちで、けっしてマジョリティーではありませんでした。その頃の日本においては、大多数の人々が自分たちは“中流”と意識していたのです。ところがバブルが崩壊して経済成長が停滞し、新自由主義が始まると、政府の施策はグローバル企業の競争力強化に集中し、国民の多くは瞬く間に自分の権利や利益を守る術を解体されていきました。そして不利益を被るがままの“庶民”がマジョリティーとなっていくのです。もし生活者という括りで見ていくならば、大企業の役員クラスまで含めて国民のほとんどが、消費税増税や円安による物価上昇、社会保障の切り下げや教育費の増大等の影響を受けて、生活が苦しくなっています。ここまでが、前々回のパンセ通信No.90
小橋さんのプログは、http://blog.goo.ne.jp/gunbeiroku(9/8アップ文章)参照
炭素循環農法については、http://freett.com/tenuki/etc/home.htmlをご参照下さい。
において見てきたところです。
(3)庶民が不満を言わぬ理由 - グローバル競争の脅威
それでは何故、国民の大多数が不利益を被って生活が苦しくなっているのに、不満の声を上げないのでしょうか。統計データを見ても実質所得は下がり続け、低賃金で不安定な非正規雇用も増えて、マジョリティーが確実に“下層化”しています。もちろん生活が苦しいのはいつの時代も同じなのですが、現在は将来の展望も見い出せないのに、庶民はじっと我慢して事態が悪化していくに任せているのです。これはなかなかに興味深い現象です。そこで何故私たちがこんな奇妙な状況に陥っているのか、その理由について考えていってみたいと思います。
まず第1に考えられるのが、グローバル競争の脅威です。1990年代の初頭にバブルが崩壊し、その後の不良債権処理、金融機関の破綻処理に追われる日本経済は、同時にこの時、日本企業の競争力が失われていることに気がつきます。ジャパン・アズ・No1ともてはやされ、製造業では断トツの競争力があると信じていた日本だったのですが(未だにこの幻想から覚めていない人が少なくないのですが)、すでに1980年代から新自由主義を開始して企業を助成し、IT技術とグローバルロジスティック戦略で飛躍的に生産性を向上させたアメリカを中心とする欧米企業が、日本企業を凌駕していました。そのために、日本企業の競争力を強化しなければ日本が大変なことになる、企業が潰れれば自分たちの生活も立ちいかなくなるという為政者の説明に、日本の庶民が納得したのも当然のことでしょう。
こうして日本も新自由主義に移行し、企業の競争力を強化してグローバル企業を育成し、輸出を拡大して日本全体が潤う戦略を採っていきました。そして企業が儲かれば、自分たちの雇用も確保されて賃金も上昇し、自分も日本の国も豊かなままでいられると人々は信じたのです。いわゆるトリクルダウン効果ですね。それまではこらえて我慢する。「欲しがりません勝つまでは」の忍耐強さは、この国の人々の持つ美点ですからね。そしてこの幻想は今も続いています。しかし現実に起こったことは、企業が海外移転して逆に低価格商品が日本に輸入され、日本国内での雇用の増大と賃金の上昇が抑制されることでした。しかも企業は競争力を強化するために、正規社員を非正規労働に置き換えて、コスト削減を果たしていきました。その結果、期待の輸出は伸びず、一方内需拡大の努力も怠ったために、GDPは停滞したままになりました。国民の所得が低迷して需要も喚起されないのですから、日本市場は魅力がなく、外資による投資も進みません。かつて1位だったこともある日本の国際競争力は27位にまで下がり、一人当たりGDPも今や26位です。そして現在六人に1人の子供、二人に1人の単身女性が貧困状態にあると言われています。また毎日のように心中事件が起こり、自殺者の数は変死者まで含めると年間10万人を上回ります。しかも労働者をコストとしてだけカウントして能力育成を怠ったものですから、日本企業から見るべきイノベーションは生まれず、現在競争力が残るのはわずかに自動車産業くらいです。しかもその自動者産業も、電気自動車と自動運転技術の進展で、凋落は時間の問題です。仕方が無いので、テレビ番組で仕切りに“日本はこんなにすごい”という番組を放映して、自分で自分を慰めているのが現在の日本の姿です。
(4)庶民が不満を言わぬ理由 - 庶民の利益を代弁する政治勢力の不在 冷静に見るとこれほどまでに危機的な状況にあるのに、なぜ庶民は脅威を明確に意識しないのでしょうか。それは何が起こっているのか分からないからです。当時としては正しい政策を打ったはずなのに、あれよあれよという間に状況が落ち込んで、現在のような事態にまで至ってしまったのです。だから何か変だと思いながらも、不利益な状況に陥っている自分が自覚出来ていないのです。この責任は、政治的には日本の野党勢力にあると言って良いでしょう。実は日本には、これまで庶民の利益を代弁する野党勢力が1つも無かったのです。だから危機の現実を明確に描き出して庶民に明らかにし、自分たちの利益を守るために何をなさねばならないかを示す者がおらず、庶民はもどかしいままに無意識で感じているおかしさや不満を、自覚することも言葉にして明確化することも出来なかったのです。これが不利益を被っていても、庶民が不満の声を上げない2つ目の理由です。
戦後の日本の野党を代表するのは社会党でした。社会党は日本労働組合総評議会(総評)という官公庁労働者を主力とした労働組合の支持を基盤とする政党です。日本社会党は第二次世界大戦後すぐに出来た政党ですが、戦後の混乱期の中、当初は無産者庶民の利益を労働組合が代弁するという構図がありました。従って社会党が、庶民の利益を代弁するという地位にもあったのです。しかしながら経済成長が始まると、労働組合は成長の果実を労働者に分配するための組織という意味合いが強くなり、社会党も、庶民ではなく労働組合の利益を代弁する政党というようになっていきました。しかしながら日本が経済的に豊かになるにつれて、労組には属さないホワイトカラー等の中間層が増えて、労組だけに依存する社会党は停滞していきます。そして1980年代になると、国鉄や電信電話公社の民営化などによって官公庁労働組合が打撃を受け、やがて総評は解体して連合(日本労働組合総連合会)に改組されていきます。連合は大企業の労働者を中心とした労働組合で、大企業労働者の利益を守る組織です。つまり実質的には大企業と利害を一つにしているのです。こうした動きの中で、総評を支持基盤とした社会党は衰退し、現在の社会民主党へと移行してかろうじて今も命脈を保っています。
次に、戦後一貫して反政府勢力として活動を展開してきたのが共産党です。結党当初は、庶民の日々の暮らしを良くするというよりは、社会主義・共産主義の理念を実現するためのイデオロギー政党でした。しかしそれから今日までの間に、随分と大きな変質を遂げてきています。唯一共産党だけが、いかなる利権団体からも支援を受けていないので、しがらみ無くものごとが言える政党ということが出来るでしょう。しかしながら共産党には、そうは言っても“党”という組織を守り、拡大させるという命題があります。企業や業界団体などの強大な組織を基盤に持つ自民党、また創価学会を集票マシーンに持つ公明党を敵に回して戦わなければならないのですから、それなりに強力な組織がなければ、選挙や政策論争は戦えません。従って共産党が組織を重視するということは、ある意味仕方が無いことなのです。しかしそれ故に、組織か庶民の飾らぬ生活感情を純粋に代弁するかで、常にジレンマに陥ってしまうのが共産党なのです。
こうした状況にあって、労働組合にも共産党の系列組織にも加入しない中間層の利益を代弁しようとしたのが、1996年に結党した(旧)民主党でした。1990年代になると、それまで何らかの形で自分たちの利益を守れていた中間層が、急速に不利益を被るがままの庶民層へと移行していきました。こうした庶民層の意識を糾合するために、民主党が基軸に据えたスローガンが“リベラル”でした。“リベラル”の概念については、民主党の結党時に著された理念の中で、次のように謳われています。『明治以来の官僚主導による強制と保護の上からの民主主義、中央集権の国家中心社会に代わって、市民主体による自立と共生による、下からの民主主義を推進。そのための多極分散と水平協働による市民中心社会の形成』-この理念が、後の民主党政権の新しい公共、コンクリ-トから人へ、そして鳩山由紀夫元総理の友愛思想などに結実していくことになるのです。分かりやすく言えば、国家や経済成長のために人間があるのではなく、人間のためにある社会や経済をつくろうということです。このコンセプトは強力に中間層・庶民層の心を掴み、保守勢力の求心力を低下させました。その結果新進党が解体し、2003年には自由党が民主党と合併して(新)民主党が結成されることになります。このことが自民党との二大政党制への道を開き、やがて2009年に民主党政権を誕生させるに至るのです。しかしまたこの合併のために、民主党内に自民党内のリベラル派や保守本流の議員が流れ込むことになり、本来のリベラル概念が薄まってしまいました。こうして民主党は、庶民層の利益を代弁する政党から、ただ政権を奪うことだけを目的とする政党に堕していってしまったのです。
(5)庶民が不満を言わぬ理由 - 官僚主導による“管理民主主義 さてこのように、日本には庶民の求めや心情、あるいは願いや利益をストレートに代弁する政治勢力が無いために、私たちは心の中で何かもやもやと鬱屈したものがありながら、それが言葉にならず、またまとまって力にすることも出来ない状況にあります。しかしそこには更に根深い、歴史構造的な問題が横たわっているのです。それが、明治以来の日本における“管理民主主義”の問題であり、これが庶民の利益をストレートに代弁する政治勢力が現れず、庶民が不利益を被り続けても文句の言えない3つ目の理由なのです。私たちがテレビで国会論戦を見ていても、何か歯がゆくて本音を突いたような質疑がなされず、馴れ合いのような議論が続いてちっとも面白くありません。それもそのはずで、実際にある意味での馴れ合いが行われているのです。
1889年の大日本帝国憲法の公布以来、日本の民主主義は、市民の本当に自由な意思と議論によって政策が決せられるのではなく、ある枠の範囲から逸脱しないように管理された形で民主主義が行われてきました。それは無知で蒙昧な民衆が、訳もわからずに政治の意思決定に口を挟めば、大変なことになってしまうからです。だから確かに政治の舵取りの出来る有能な人材が、政治の指針と議論の余地が許容される範囲を決め、その枠組みの範囲内で民間からの政治勢力が討論を行うことには道理があったのです。現在に至るまで、たいして民度の上がっていない私たちのレベルを考えると、確かに一理あることです。そこで理想とされる民主主義というのは、例えば形式的なまちの町会や教育委員会の会合、あるいは学校の方針の範囲内で運営される生徒会といったところでしょうか。この民主主義を管理する主体というのが、その当時確かに優秀だった明治政府の官僚であり、その後もその主体は、有能な人材を選抜し続ける官僚機構に受け継がれていったのです。
しかしこの有能な官僚が見落としていた事実もあります。それは明治憲法が公布される前に、各地で民間の庶民が作成した私擬(しぎ)憲法を見る限り、現代にも通用するほどの先進性があり、日本人は庶民と言えどもきわめてレベルが高かったのです。またそもそも政治などというものを何か改まったものと捉えるのが間違いで、せいぜい村の寄り合いの延長線上にあるくらいのものでしかないのですが、西洋に範を求めて取り入れることを急ぐ当時のエリートたちは、“議会”とか“民主主義”とかいうものを、日本には無い何か特別な概念と勘違いしてしまったのです。日本人は、自分たちの生活の利害に根付いた村の寄合いにおいて、すでに立派な民主主義を実現しており、また民衆のレベルも、その気になれば私擬憲法が作成出来るほどに十分に高かったのです。それはともかくとしてこうして日本では、官僚による管理民主主義が暗黙のルールになり、しかもこのことが官僚の権力の源泉となり、また利権ともなっていったのです。このため政党は、あらかじめ落とし所として決められた枠内で議論を戦わせ、政策を決めていくことが求められるようになりました。言わば官僚の手のひらで踊らされる範囲においてのみ、民主主義が許されたのです。これが(旧)民主党の結党理念で戦おうとした『明治以来の官僚主導による強制と保護の上からの民主主義』の意味なのです。それ故に日本の政党は、支持団体の利益や意向を配慮する一方で、“管理民主主義”を逸脱しない範囲で行動しようとするために、どうしても歯切れの悪い発言となり、与野党が出来レースを演じることになってしまうのです。今度の参議院選挙でも、民進党が本気で安倍政権と戦っているようには見えず、逆に市民・野党連合の足を引っ張っているのではないかと思える情景を目にする背景には、そうした事情があるのです。
それではもし、この“管理民主主義”から逸脱した政治勢力が出てきた場合には、どのようなことが起こるのでしょうか。一貫してこの枠外にあるのが共産党です。そのために共産党は、日本の政界の中では未だに“革命政党”と見なされ、議会制民主主義政党とは認められずにあり、そうした攻撃が執拗に与野党から繰り返されます。しかしここで言う“議会制民主主義政党では無い”というのは、言い換えれば官僚による“管理民主主義”の範疇に入らず、官僚のコントロールに従わない政党というだけの意味です。そんな共産党の存在が許容されているのは、1つには知識人を含めた強固な組織を有しているからでしょう。またそれ故に、組織を束ねる理念や組織保持を優先せねばならず、共産党は100%一般庶民の利益を体現することは出来ないためにマジョリティーとはなれず、“管理民主主義”にとっては本質的に大きな脅威とはならないからでしょう。しかし“管理民主主義”による官僚支配の根幹を揺るがせるような存在に対してはそうは行きません。
そうした存在として最も大きく立ちはだかったのが、田中角栄元首相でしょう。田中角栄首相は、戦後最も力のあった政治家です。党人政治家でありながら、官僚操縦にも長けた人物でしたが、首相になって、日本列島改造や中国との国交正常化を本気で“政治主導”で行おうとしたために、あえなく金脈問題やロッキード疑獄によって官僚機構に葬り去られてしまいました。次いで記憶に新しいのは、小沢一郎です。現在の生活の党と山本太郎となかまたちの共同代表です。小沢一郎は田中角栄に可愛がられた保守本流の政治家ですが、やがて自ら率いた自由党と(旧)民主党の合流により、リベラル政治家に転身します。そして本気で『明治以来の官僚主導による強制と保護の上からの民主主義、中央集権の国家中心社会に代わって、市民主体による自立と共生による、下からの民主主義を推進。そのための多極分散と水平協働による市民中心社会の形成』という旧民主党の理念を、政権を奪おうとする民主党を率いて実現しようとします。これは長年“管理民主主義”によって日本の安定を保ってきた官僚機構にとっては、たまったものではありません。そこで小沢一郎の政治資金疑惑(陸山会事件)を仕立て上げ、執拗に攻撃を加えて、民主党政権にとって最も重要な時期に彼が政権運営に加われないようにすると共に、事実上その政治生命を葬り去りました。小沢一郎の資金疑惑について無罪が確定したのは、奇しくも民主党が政権を下野した2012年11月のことでした。このように“管理民主主義”に対して本質的に脅威となる存在に対しては、官僚機構は断固たる攻撃を加え、その勢力を葬り去ってきたのです。
(6)世代間格差を利用した問題先送りとファシズム化した保守 さて、庶民が不利益を被っていても不満を言わない理由について、ここまで3つの理由について見てきましたが、もう後2つの理由があります。1つは世代間格差を巧みに利用して、危機的な問題を先送りする構造をつくってきたことです。そしてもう1つは、日本会議を背景にした安倍内閣の国家主権への復帰の目論見と、官僚機構とが手を結んだ結果としての統制体制の進展です。これについては、次回のパンセ通信、パンセの集いで考えていってみたいと思います。そして順を追って、私たちの被る不利益の内容や今後予想される危機の詳細、そして本源的なところにまで立ち戻って考えた場合の私たちの利益について、明らかにしていってみたいと思います。さらにその上で、その利益を実現する生き方や社会・経済の仕組みのビジョンの作成、そして現状の政治状況下からいかにそのビジョンを実現していくかについてのプロセスについて、検討していってみたいと思います。
次回のパンセの集いは7月11日の月曜日、18時からです。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)
まず第1に考えられるのが、グローバル競争の脅威です。1990年代の初頭にバブルが崩壊し、その後の不良債権処理、金融機関の破綻処理に追われる日本経済は、同時にこの時、日本企業の競争力が失われていることに気がつきます。ジャパン・アズ・No1ともてはやされ、製造業では断トツの競争力があると信じていた日本だったのですが(未だにこの幻想から覚めていない人が少なくないのですが)、すでに1980年代から新自由主義を開始して企業を助成し、IT技術とグローバルロジスティック戦略で飛躍的に生産性を向上させたアメリカを中心とする欧米企業が、日本企業を凌駕していました。そのために、日本企業の競争力を強化しなければ日本が大変なことになる、企業が潰れれば自分たちの生活も立ちいかなくなるという為政者の説明に、日本の庶民が納得したのも当然のことでしょう。
こうして日本も新自由主義に移行し、企業の競争力を強化してグローバル企業を育成し、輸出を拡大して日本全体が潤う戦略を採っていきました。そして企業が儲かれば、自分たちの雇用も確保されて賃金も上昇し、自分も日本の国も豊かなままでいられると人々は信じたのです。いわゆるトリクルダウン効果ですね。それまではこらえて我慢する。「欲しがりません勝つまでは」の忍耐強さは、この国の人々の持つ美点ですからね。そしてこの幻想は今も続いています。しかし現実に起こったことは、企業が海外移転して逆に低価格商品が日本に輸入され、日本国内での雇用の増大と賃金の上昇が抑制されることでした。しかも企業は競争力を強化するために、正規社員を非正規労働に置き換えて、コスト削減を果たしていきました。その結果、期待の輸出は伸びず、一方内需拡大の努力も怠ったために、GDPは停滞したままになりました。国民の所得が低迷して需要も喚起されないのですから、日本市場は魅力がなく、外資による投資も進みません。かつて1位だったこともある日本の国際競争力は27位にまで下がり、一人当たりGDPも今や26位です。そして現在六人に1人の子供、二人に1人の単身女性が貧困状態にあると言われています。また毎日のように心中事件が起こり、自殺者の数は変死者まで含めると年間10万人を上回ります。しかも労働者をコストとしてだけカウントして能力育成を怠ったものですから、日本企業から見るべきイノベーションは生まれず、現在競争力が残るのはわずかに自動車産業くらいです。しかもその自動者産業も、電気自動車と自動運転技術の進展で、凋落は時間の問題です。仕方が無いので、テレビ番組で仕切りに“日本はこんなにすごい”という番組を放映して、自分で自分を慰めているのが現在の日本の姿です。
(4)庶民が不満を言わぬ理由 - 庶民の利益を代弁する政治勢力の不在 冷静に見るとこれほどまでに危機的な状況にあるのに、なぜ庶民は脅威を明確に意識しないのでしょうか。それは何が起こっているのか分からないからです。当時としては正しい政策を打ったはずなのに、あれよあれよという間に状況が落ち込んで、現在のような事態にまで至ってしまったのです。だから何か変だと思いながらも、不利益な状況に陥っている自分が自覚出来ていないのです。この責任は、政治的には日本の野党勢力にあると言って良いでしょう。実は日本には、これまで庶民の利益を代弁する野党勢力が1つも無かったのです。だから危機の現実を明確に描き出して庶民に明らかにし、自分たちの利益を守るために何をなさねばならないかを示す者がおらず、庶民はもどかしいままに無意識で感じているおかしさや不満を、自覚することも言葉にして明確化することも出来なかったのです。これが不利益を被っていても、庶民が不満の声を上げない2つ目の理由です。
戦後の日本の野党を代表するのは社会党でした。社会党は日本労働組合総評議会(総評)という官公庁労働者を主力とした労働組合の支持を基盤とする政党です。日本社会党は第二次世界大戦後すぐに出来た政党ですが、戦後の混乱期の中、当初は無産者庶民の利益を労働組合が代弁するという構図がありました。従って社会党が、庶民の利益を代弁するという地位にもあったのです。しかしながら経済成長が始まると、労働組合は成長の果実を労働者に分配するための組織という意味合いが強くなり、社会党も、庶民ではなく労働組合の利益を代弁する政党というようになっていきました。しかしながら日本が経済的に豊かになるにつれて、労組には属さないホワイトカラー等の中間層が増えて、労組だけに依存する社会党は停滞していきます。そして1980年代になると、国鉄や電信電話公社の民営化などによって官公庁労働組合が打撃を受け、やがて総評は解体して連合(日本労働組合総連合会)に改組されていきます。連合は大企業の労働者を中心とした労働組合で、大企業労働者の利益を守る組織です。つまり実質的には大企業と利害を一つにしているのです。こうした動きの中で、総評を支持基盤とした社会党は衰退し、現在の社会民主党へと移行してかろうじて今も命脈を保っています。
次に、戦後一貫して反政府勢力として活動を展開してきたのが共産党です。結党当初は、庶民の日々の暮らしを良くするというよりは、社会主義・共産主義の理念を実現するためのイデオロギー政党でした。しかしそれから今日までの間に、随分と大きな変質を遂げてきています。唯一共産党だけが、いかなる利権団体からも支援を受けていないので、しがらみ無くものごとが言える政党ということが出来るでしょう。しかしながら共産党には、そうは言っても“党”という組織を守り、拡大させるという命題があります。企業や業界団体などの強大な組織を基盤に持つ自民党、また創価学会を集票マシーンに持つ公明党を敵に回して戦わなければならないのですから、それなりに強力な組織がなければ、選挙や政策論争は戦えません。従って共産党が組織を重視するということは、ある意味仕方が無いことなのです。しかしそれ故に、組織か庶民の飾らぬ生活感情を純粋に代弁するかで、常にジレンマに陥ってしまうのが共産党なのです。
こうした状況にあって、労働組合にも共産党の系列組織にも加入しない中間層の利益を代弁しようとしたのが、1996年に結党した(旧)民主党でした。1990年代になると、それまで何らかの形で自分たちの利益を守れていた中間層が、急速に不利益を被るがままの庶民層へと移行していきました。こうした庶民層の意識を糾合するために、民主党が基軸に据えたスローガンが“リベラル”でした。“リベラル”の概念については、民主党の結党時に著された理念の中で、次のように謳われています。『明治以来の官僚主導による強制と保護の上からの民主主義、中央集権の国家中心社会に代わって、市民主体による自立と共生による、下からの民主主義を推進。そのための多極分散と水平協働による市民中心社会の形成』-この理念が、後の民主党政権の新しい公共、コンクリ-トから人へ、そして鳩山由紀夫元総理の友愛思想などに結実していくことになるのです。分かりやすく言えば、国家や経済成長のために人間があるのではなく、人間のためにある社会や経済をつくろうということです。このコンセプトは強力に中間層・庶民層の心を掴み、保守勢力の求心力を低下させました。その結果新進党が解体し、2003年には自由党が民主党と合併して(新)民主党が結成されることになります。このことが自民党との二大政党制への道を開き、やがて2009年に民主党政権を誕生させるに至るのです。しかしまたこの合併のために、民主党内に自民党内のリベラル派や保守本流の議員が流れ込むことになり、本来のリベラル概念が薄まってしまいました。こうして民主党は、庶民層の利益を代弁する政党から、ただ政権を奪うことだけを目的とする政党に堕していってしまったのです。
(5)庶民が不満を言わぬ理由 - 官僚主導による“管理民主主義 さてこのように、日本には庶民の求めや心情、あるいは願いや利益をストレートに代弁する政治勢力が無いために、私たちは心の中で何かもやもやと鬱屈したものがありながら、それが言葉にならず、またまとまって力にすることも出来ない状況にあります。しかしそこには更に根深い、歴史構造的な問題が横たわっているのです。それが、明治以来の日本における“管理民主主義”の問題であり、これが庶民の利益をストレートに代弁する政治勢力が現れず、庶民が不利益を被り続けても文句の言えない3つ目の理由なのです。私たちがテレビで国会論戦を見ていても、何か歯がゆくて本音を突いたような質疑がなされず、馴れ合いのような議論が続いてちっとも面白くありません。それもそのはずで、実際にある意味での馴れ合いが行われているのです。
1889年の大日本帝国憲法の公布以来、日本の民主主義は、市民の本当に自由な意思と議論によって政策が決せられるのではなく、ある枠の範囲から逸脱しないように管理された形で民主主義が行われてきました。それは無知で蒙昧な民衆が、訳もわからずに政治の意思決定に口を挟めば、大変なことになってしまうからです。だから確かに政治の舵取りの出来る有能な人材が、政治の指針と議論の余地が許容される範囲を決め、その枠組みの範囲内で民間からの政治勢力が討論を行うことには道理があったのです。現在に至るまで、たいして民度の上がっていない私たちのレベルを考えると、確かに一理あることです。そこで理想とされる民主主義というのは、例えば形式的なまちの町会や教育委員会の会合、あるいは学校の方針の範囲内で運営される生徒会といったところでしょうか。この民主主義を管理する主体というのが、その当時確かに優秀だった明治政府の官僚であり、その後もその主体は、有能な人材を選抜し続ける官僚機構に受け継がれていったのです。
しかしこの有能な官僚が見落としていた事実もあります。それは明治憲法が公布される前に、各地で民間の庶民が作成した私擬(しぎ)憲法を見る限り、現代にも通用するほどの先進性があり、日本人は庶民と言えどもきわめてレベルが高かったのです。またそもそも政治などというものを何か改まったものと捉えるのが間違いで、せいぜい村の寄り合いの延長線上にあるくらいのものでしかないのですが、西洋に範を求めて取り入れることを急ぐ当時のエリートたちは、“議会”とか“民主主義”とかいうものを、日本には無い何か特別な概念と勘違いしてしまったのです。日本人は、自分たちの生活の利害に根付いた村の寄合いにおいて、すでに立派な民主主義を実現しており、また民衆のレベルも、その気になれば私擬憲法が作成出来るほどに十分に高かったのです。それはともかくとしてこうして日本では、官僚による管理民主主義が暗黙のルールになり、しかもこのことが官僚の権力の源泉となり、また利権ともなっていったのです。このため政党は、あらかじめ落とし所として決められた枠内で議論を戦わせ、政策を決めていくことが求められるようになりました。言わば官僚の手のひらで踊らされる範囲においてのみ、民主主義が許されたのです。これが(旧)民主党の結党理念で戦おうとした『明治以来の官僚主導による強制と保護の上からの民主主義』の意味なのです。それ故に日本の政党は、支持団体の利益や意向を配慮する一方で、“管理民主主義”を逸脱しない範囲で行動しようとするために、どうしても歯切れの悪い発言となり、与野党が出来レースを演じることになってしまうのです。今度の参議院選挙でも、民進党が本気で安倍政権と戦っているようには見えず、逆に市民・野党連合の足を引っ張っているのではないかと思える情景を目にする背景には、そうした事情があるのです。
それではもし、この“管理民主主義”から逸脱した政治勢力が出てきた場合には、どのようなことが起こるのでしょうか。一貫してこの枠外にあるのが共産党です。そのために共産党は、日本の政界の中では未だに“革命政党”と見なされ、議会制民主主義政党とは認められずにあり、そうした攻撃が執拗に与野党から繰り返されます。しかしここで言う“議会制民主主義政党では無い”というのは、言い換えれば官僚による“管理民主主義”の範疇に入らず、官僚のコントロールに従わない政党というだけの意味です。そんな共産党の存在が許容されているのは、1つには知識人を含めた強固な組織を有しているからでしょう。またそれ故に、組織を束ねる理念や組織保持を優先せねばならず、共産党は100%一般庶民の利益を体現することは出来ないためにマジョリティーとはなれず、“管理民主主義”にとっては本質的に大きな脅威とはならないからでしょう。しかし“管理民主主義”による官僚支配の根幹を揺るがせるような存在に対してはそうは行きません。
そうした存在として最も大きく立ちはだかったのが、田中角栄元首相でしょう。田中角栄首相は、戦後最も力のあった政治家です。党人政治家でありながら、官僚操縦にも長けた人物でしたが、首相になって、日本列島改造や中国との国交正常化を本気で“政治主導”で行おうとしたために、あえなく金脈問題やロッキード疑獄によって官僚機構に葬り去られてしまいました。次いで記憶に新しいのは、小沢一郎です。現在の生活の党と山本太郎となかまたちの共同代表です。小沢一郎は田中角栄に可愛がられた保守本流の政治家ですが、やがて自ら率いた自由党と(旧)民主党の合流により、リベラル政治家に転身します。そして本気で『明治以来の官僚主導による強制と保護の上からの民主主義、中央集権の国家中心社会に代わって、市民主体による自立と共生による、下からの民主主義を推進。そのための多極分散と水平協働による市民中心社会の形成』という旧民主党の理念を、政権を奪おうとする民主党を率いて実現しようとします。これは長年“管理民主主義”によって日本の安定を保ってきた官僚機構にとっては、たまったものではありません。そこで小沢一郎の政治資金疑惑(陸山会事件)を仕立て上げ、執拗に攻撃を加えて、民主党政権にとって最も重要な時期に彼が政権運営に加われないようにすると共に、事実上その政治生命を葬り去りました。小沢一郎の資金疑惑について無罪が確定したのは、奇しくも民主党が政権を下野した2012年11月のことでした。このように“管理民主主義”に対して本質的に脅威となる存在に対しては、官僚機構は断固たる攻撃を加え、その勢力を葬り去ってきたのです。
(6)世代間格差を利用した問題先送りとファシズム化した保守 さて、庶民が不利益を被っていても不満を言わない理由について、ここまで3つの理由について見てきましたが、もう後2つの理由があります。1つは世代間格差を巧みに利用して、危機的な問題を先送りする構造をつくってきたことです。そしてもう1つは、日本会議を背景にした安倍内閣の国家主権への復帰の目論見と、官僚機構とが手を結んだ結果としての統制体制の進展です。これについては、次回のパンセ通信、パンセの集いで考えていってみたいと思います。そして順を追って、私たちの被る不利益の内容や今後予想される危機の詳細、そして本源的なところにまで立ち戻って考えた場合の私たちの利益について、明らかにしていってみたいと思います。さらにその上で、その利益を実現する生き方や社会・経済の仕組みのビジョンの作成、そして現状の政治状況下からいかにそのビジョンを実現していくかについてのプロセスについて、検討していってみたいと思います。
次回のパンセの集いは7月11日の月曜日、18時からです。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)