■2016.7.23パンセ通信No.94『マイルドファシズムの進展と暮らしの再建に向けて』
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(1)餓鬼・畜生道の世界と、そこにおいてのいのちの写し出し
アメリカでトランプ氏が、正式に共和党の大統領候補に指名されました。世論調査では、民主党から来週大統領候補に指名される予定のヒラリー・クリントン氏と、支持率において拮抗しているようです。トランプ氏に対しては、共和党内部の主流派から強い反発があるようですが、さりとて他に人材が無く、アメリカの民衆の中の、現状をいたたまれなく感じている人たちが強く支持していると伝えられています。また世界ではテロも頻発し、トルコのような中東の要の国でもクーデター未遂が起こり、これまでの私たちの思いの域を超えた動きの連鎖に世界中が震撼させられています。ロシアや中国では、こうした不慮の動きが致命的な事態をもたらさないように、さらに強権的になって自由と民主主義を圧殺していますが、その先に多少なりとも希望を託せるような経済や暮らしの可能性は見えてきません。一方日本では、丁度この時期はご先祖様の追善供養として行われる盂蘭盆会の季節で、それとあわせてお施餓鬼の法要が行われます。お施餓鬼というのは、生前の悪行によって亡者となったり、非業の死を遂げ無縁仏となってしまい、誰からも顧みられることなく飢え渇きに苦しんでさまよっている霊や魂に、供物を施して供養する法要です。日本らしい、死後の弱者や悪者にまで心を向けるやさしい風習なのですが、この法要で戒めの意味も込めて話される法話が、地獄、餓鬼、畜生、修羅の話です。こうした法話を、今月に何件も終えられた後で大徳院の増田ご住職が話しておられたのは、今年ほどこの地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道の話が、単なる戒めとしではなく、世相そのものを鋭く映して身に染みて感じられる時は無かったということでした。
さてまたしても暗い話から始めてしまいましたが、こうした時代において私たちが最も飢え渇きを覚えるのは、何よりもいのちに対する飢え渇きでしょう。かつて俳人正岡子規は、誰もが自分の思いを平易に自由に表現できる言葉を求めて日本語の革新に乗り出し、文化面からこの国の近代を開きました。その子規が行き着いたのが“写生”という概念です。写生というのは、難しい修辞や巧みな表現などに囚われずに、自然の美しさや日常の心打つ思いをそのままに表現することです。その結果として写生は、文字どおり“いのちを写す”ということにつながっていくのです。何の変哲もない日常の些細な出来事の描写が、私たちの心を惹いて止まないのは、そこに“いのち”が写し出されているからでしょう。こうして子規は、日本の庶民の誰もが、なんの衒いもなく素朴にありのままに自分の心を表現することで、互いにいのちの豊かさを分かち合うことの出来る道を切り開いていったのです。実はこうして庶民が、いのちを写し出す描写を積み重ねて暮らしを豊かにつくっていく営みは、万葉集の詠み人知らずの和歌以来の日本の伝統です。現代の私たちも、日々の営みの中であらゆるものを生かすいのちの力を感じ、それを写し出す試みの中から、暮らしと経済を再建する道を見出していければと思います。次回のパンセの集いは7月25日月曜日の18時からです。月末ですので、幡ヶ谷ホームシアターサークルの活動を行い、いのちへの感受性を高めたいと思います。課題映画作品はハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマン主演の『カサブランカ』を予定しています。場所はどうにか手造りで完成した「幡ヶ谷・本町六丁目シアタ-」で行います。
(2)前段としての(ストロング)ファシズムについての整理
①(ストロング)ファシズムの特徴
さて前回と前々回のパンセ通信においては、世界で庶民の怒りが噴出し始めているのに、日本においては庶民が表立って文句を言わない理由について考えてきました。その理由として、グローバル競争の脅威、庶民の利益を代弁する政治勢力の不在、官僚主導による“管理民主主義”、世代間格差の果たす役割、そして政治と暮らしの分離という5つの点について整理してみました。そして今回はもう1つの理由、マイルドファシズムの進展について考えてみたいと思います。その上で、この状況から私たちがもう1度確かな自分自身と自分の暮らしを取り戻し、それを豊かに育んでいく道について検討していってみたいと思います。
ファシズムというと、何か恐ろしさ覚える響きがあるのですが、近現代において大衆という人々が登場し、経済の自由放任主義が行き詰まって恐慌を生じ、また格差があまりに拡大し過ぎてしまった時には、しばしば登場する政治状況を表す概念です。そこでまず、従来からファシズム(ストロングファシズム)と呼ばれている政治状況について、その特徴を整理していってみたいと思います。ファシズムの特徴には2つのものがあります。1つは人々が暮らしの現実的な基盤を脅かされて、国家などの大きな力に自己を同一化して自分の拠り所を求めようとすることです。もう1つは、混乱した経済を集団的な力に依拠する強力な権力を用いて統制し、国家主導で合理的に安定させて、生産量と生産性を効率よく向上させようと試みることです。そもそも近代以前の庶民は、農作業に勤しみ、自然のいのちの循環と共に生きていました。領主が次々と変わって重い年貢を課されようとも、そこには確かな自立した自分の生活と伝統に根づいたライフスタイルがあったのです。しかしそれが近代に至って、人々が農村での農耕から都市での工場労働、事務労働に移行するに従い、暮らしは雇用主や仕事の内容に依存した不安定なものとなっていきます。それでも経済が安定し成長している時には、仕事の機会にも、自由な創意工夫で成功出来るチャンスにも恵まれ、自分の暮らしをある程度しっかりと保つことが出来ていました。ところが不況が続き、社会が混乱してくると、企業に依存する暮らしは不安定化し、生活の信頼が損なわてきます。こうして時に耐え難いほどに高まってくる不安を解消するために、人々はもはや自分自身を拠り所とすることは出来ないようになり、“自身”に変わって何か大きな力による救済に自分の拠り所を託すようになっていくのです。とりわけ現代のように、世代間格差が拡大し、若者たちがニート化したり正規雇用の機会が奪われてくると、若者たちの現実の暮らしは一層空虚化していきます。さらにIT技術の進展による生活のバーチャル化が、この傾向に拍車をかけていきます。こうして若い世代の中には、暮らしと自分の存在の空虚を埋めるために、国家や民族などの大きな存在と自分自身を同一視することで、自分を確かなものにしようとする者が現れてきます。ネトウヨ(ネット右翼)という人たちは、こうして現れてきたものと思われます。さらに中には、過激な排他思想に自身の存在意義と使命を託し、妄想とリアルな暮らしの区別がつかなくなって、過激なテロ思想に走る者も現れてくるのです。
②ファシズムの政治プロセスとその本質
以上が現実の生活基盤を掘り崩された人々が、暮らしのリアリティーを捨てて、空虚化した自分を支えるために大きな力に自分を託するようになるプロセスです。こうした大きな力へと向かう人々の動きを先導するのがファシズムの政治勢力です。その政策は、まず国内外に分かりやすい敵をつくることから始まります。現実の生活の悪化や不安から不満を抱いている人々に、その原因を具体的な隣国の脅威や国内の特定集団に押し付け、それを敵として描いてみせるのです。それによって感情的な怒りを高めて、人々を一つの力に束ねていくのです。現代の日本においても、中国や北朝鮮、そして韓国までもが人々に感情的な脅威を呼び起こす仮想敵国となっています。また国内に敵を仕立て上げ、自分が正義の味方のようにふるまって人々の支持を得ることも、ファシズムの分類とすることの出来る政治手法の1つです。最近では、小泉元首相が郵政民営化で反対する陣営を抵抗勢力に仕立てあげ、橋下元大阪府知事・市長も、大阪の公務員や議会を利権と不効率の巣窟として、大阪府民の敵に仕立て上げました。さらに近年では、在特会(在日特権を許さな市民の会)が在日韓国・朝鮮人の方々を敵に仕立てあげ、激しい外国人排斥を行っています。
こうして国内外に敵をつくって人々の不満をそちらに向けさせ、その敵に対する怒りと脅威で人々をある程度1つにまとめることに成功すると、いよいよここからファシズム特有の政治プロセスが始まります。それは、民族の栄光や国家や天皇などの国民が共有できる概念を求心力として掲げて、さらに人々を1つにまとめ上げていこうとするプロセスです。そして人々の方は、個人としての現実の暮らしや日常生活を顧みず、自分が全体の目的や栄光を担う大きな力と一体化して、熱狂的に全体目標に向けての求心的運動を担う歯車となっていくのです。この庶民からの支持の運動があることが、単なる独裁政治と異なるところです。先ほどファシズムの特徴として、人々が空無化する自分を大きな力と一体化させてアイデンティティーを取り戻すことと、国家主導による経済の統制の2つを挙げました。しかしもしファシズムの一番の本質を挙げるとするなら、それは将に今述べた、多数の人々が“1つの力になろうとして運動すること”と定義づけることが出来るのです。個別性を捨てて全体として1つになること、1つになって脆弱な個人では得られないような大きな力となること、そしてその力を保持するために一体となる運動を担い続けること、これがファシズム(全体主義)の本質と言えるのです。
③ファシズムの本質から帰結する事態
そしてこのことから、興味深い事態が生じてきます。本来政治というものには目標があって、その目標を実現するために具体的に政策を立案し、そしてその政策が実現できたかどうかの評価を行います。しかしファシズム的な政治状況に陥った時には、もちろん然るべく政治目標や政策を掲げはするのですが、実はそれは形式的なものにすぎず、真の目標はむしろ“1つになること、1つの大きな力に向かって走り続けること”にすり替わっていくのです。例えば戦前の日本では、八紘一宇や大東亜共栄圏が目標とされましたが、しかし実際にその目標のもとで、どのような庶民の生活や暮らしぶりがイメージされたかは定かでありません。もちろん国際社会のあり方についても同様です。仮に具体的な暮らしや社会のビジョン、またその実現のための政策が掲げられたとしても、実はその実効性は問題になりません。なぜなら真の目標は、“1つの大きな力”になって、その栄光を全体で享受し続けることだからです。事実戦前の日本では、戦況がどんどん悪化しても、国家は日本軍が勝利し続けているという虚偽の報道を流し続けます。それは大衆の方もリアルな現実を無視して、1つの偉大な力となって勝利し続ける大日本帝国の栄光というイリュージョンを求め続けたからです。こうしてファシズム体制下においてあらゆる目標は、その具体的な内容ではなく、“1つの大きな力となって走り続ける”ことに効果のあることに置き換わっていくのです。それ故にファシズムの体制は、始めは良くともやがて必ず現実乖離を引き起こし、しかも走り続ける運動であるために途中で留まることが出来ず、やがて破滅に陥っていくのです。
④ファシズムの経済体制と官僚との連携
このようにファシズムの運動は、 実際には“1つにまとまった全体としての栄光”が目標となることから、行き過ぎた自由放任経済による格差拡大には歯止めがかけられ、「個人の利益の前に共同の利益」が目標として掲げられるようになります。そして強大な権力をもって、時に企業や富裕層の過度の利益を規制し、私有財産を制約することも行われます。一方で広範な庶民がその運動の担い手として参画してくることから、当然そうした庶民層の利益を考慮した経済政策が取られることにもなっていきます。例えばファシズム政党が政権を奪おうとする時には、当然マジョリティーである庶民の支持を得なければなりませんから、“国家や全体の栄光”“強い祖国の再興”などのスローガンと併せて、社会福祉や雇用確保などの庶民受けする政策が掲げられることになります。ただしポピュリスト政党と異なるのは、単に口先だけで実効性の無い人気取り政策を掲げるのではなく、権力をもって本気でその政策を実現しようとすることです。それは“1つの大きな力になる”というファシズムの本質的な理念からして必然的なことであって、国家や全体の利益を最大限なものとするために、権力による統制によって労働関係の調和や企業利益の安定化を図り、生産量や生産効率の最大化を実現しようとするからです。
実はこうした経済政策は、官僚との相性の点でけっして悪いものではありません。官僚という人たちは、自分たちの理想に照らして世の中を良くするために、社会や経済を思い通りに動かしたいという野望を抱く人種です。そのために彼らは、本質的に個人の自由な権利の主張や、自分たちの定めた規制の枠を超える企業の自由で創造的な活動については、自分たちにとっての妨げになると感じるのです。ファシズム政党は、その権力でこうした個人や企業の自由を統制し、政策の立案や実施面では官僚に思う存分その手腕を発揮する場を与えるのですから、行政機構を担う官僚組織にとっては、ファシズムの強権はけっして忌まわしいものではなく、自分たちを制約するものとしても映らないのです。
こうした統制によって全体利益を追求するファシズムの経済は、当初においては大きな成果を収めます。例えば1933年にドイツで政権を掌握したナチスは、オートモービル時代の未来を構想し、官僚機構をフルに活用して機能的で低コストの乗用車フォルクスワーゲン(大衆の車の意味)の開発・生産を推進します。その一方でアウトバーン(無料の高速道路)の工事を行って、これをドイツ国内全土にを張り巡らせます。このアウトバーンの工事のためにドイツの民衆は、つるはしの一振り一振りにドイツ第三帝国の栄光を込めて、熱狂的にその労働に参画していくのです。こうして世界大恐慌の影響で600万人まで及んだと言われるドイツの失業者は、瞬く間にその数を減少させ、多数の庶民が雇用と十分な賃金を手にするようになっていったのです。このようにファシズムの経済は、当初は概ね成功を収めるのですが、その政治体制の本質上軍事費負担が増大し、やがて財政を圧迫していきます。また“1つの力になる運動”が真の目的になりますから、政策運営の評価が二の次となり、やがて現実と乖離して、ファシズムの政治体制と同様破局を迎えるか行き詰まりを見せるようになっていくのです。
(3)私たちが不平言わない理由 - マイルドファシズムの進展
①マイルドファシズムの特徴
以上ここまで、これまでにあったストロングファシズムの特徴と本質について整理してきたのですが、ここからは、現在の日本で新たに進展するマイルトファシズムの状況について見ていきたいと思います。ストロングファシズムというのは、すでに述べたように、リアルな生活を掘り崩されて自分の存在の意味を見失った人々が、大きな力と自分を一体化させることで自身の価値を取り戻そうとすることと、(官僚機構との連携による)全体利益を目指す統制経済を特徴とします。そしてその本質は、全体としての栄光と繁栄を体現できる“1つの大きな力になろうとするための運動”です。ファシズムにとって何より欠かせないものは、この“1つになり続けよう”とする力なのですが、ストロングファシズムにとっては、この力は大衆が自ら参画して生み出される熱狂的な支持による運動によって担われます。それは時に反対者の弾圧や虐殺にまで至るような猛威を振るうものとなるのです。
しかしマイルドファシズムというのは、こうした大衆による熱狂的な運動を、“1つにする力”としては用いないファシズムの形態です。人々は静かで、むしろ無気力・無関心のままに“大きな1つ”になっていくプロセスが進展していきます。運動は、広範な大衆による熱狂的な動きに代わって、ごく一部の極端な勢力によって担われ、多数が賛同しているように装われていきます。一方大多数の庶民は、現実の暮らしが徐々に悪化しているのですが、その事実から目をそらす対応を行っていきます。問題を先延ばしすることを繰り返し、やがてそれに慣れ切って、現実のリアルな生活に対する危機感が空無化していくのです。この空虚につけ込むように、政治勢力と官僚とで、全体がきっと良くなるだろうという経済政策を打ち出し、人々に期待をもたせて1つにしていく求心力を高めようとしていきます。その一方で政権側は、“全体が1つになる”ことの妨げとなるような個人の人権や自由な経済活動に対しては、統制を加える社会政策を実施していくのです。
②マイルトファシズムがファシズムである理由
こうした政治社会体制がなぜファシズムなのかというと、具体的な政策の内容とその実効性が問題なのではなく、人々を“1つの大きな力”にまとめることこそ目標となるからです。そのために期待を持たせる経済政策については、うまく進行しているように見せるプロパガンダが施され、仮にうまく行っていないとしても、空無化した人々がその成功の幻想にしがみつくことで、とにかくその政策のもとに全体が1つにまとまっていくことを演出していくのです。そしてその結末は、人々が“1つになる幻想”にしがみついてリアルな現実を見なくなっていくのですから、現実との乖離を引き起こして、やはり破滅に行きつくのです。ただし従来のストロングファシズムと異なってマイルドファシズムの場合は、人々は危機の自覚が乏しいままに、ある日突然、暮らしの破滅に直面するということになるのです。
③日本でマイルドファシズムの運動を担う、一部の極端な勢力
さて次に、このマイルドファシズムのプロセスが日本でどのように進展していったか、概観していってみたいと思います。2001年に小泉旋風を巻き起こして成立した小泉内閣は、小選挙区制の影響と、郵政民営化をスローガンに反対派を“抵抗勢力”として粉砕したことにより、文字通りそれまで自民党の支持基盤、政治運営の基盤を「ぶっ壊し」ました。そのために相対的に政権内部での影響力が強まったのが、日本青年協議会が運営を仕切る日本会議と、右翼のイデオローグ伊藤哲夫の主宰する日本政策研究センターです。日本会議は、大日本帝国憲法の復権と戦前の天皇元首体制の復興を目指す、アナクロニズムの超右翼的な政治団体です。しかし抜群の集票力と署名請願活動、地方議会から議決を積み上げる政治的実行力によって、自民党内に大きな影響力を行使していきます。例えば元号法の制定や、国旗・国歌法の制定過程では、全国で数百万の署名を集め、大半の地方自治体において法制化実現のための議決を行わせ、国会での法案成立にその威力を発揮していきました。そして今また、日本国憲法改正のための1,000万人署名と、地方自治体での憲法改正に向けての議決の積み上げを行っているのです。しかしだからといって、1,000万人もの人々が日本会議のような右翼的思想を持っているわけではありません。日本会議を構成するのは、主に明治以降に成立した新宗教の教団であり、その利害や目標はバラバラです。しかしそうした宗教で信仰するお爺ちゃんお婆ちゃんたちは、ただ自分たちが善良にお念仏やお題目を唱える生活を続けたいだけなのですが、もし左翼政権が成立すると宗教が抑圧され、自分たちの信仰生活が守れなくなると恐れて日本会議の活動に賛同し、署名請願を行い、また集会に積極的に参加しているのです。
こうした事実から、実質的にアナクロニズムの超右翼思想を抱くのはごく一部の人間に過ぎないことが分かるのですが、この少人数で、数量的に大きな政治的影響力を及ぼすことに成功しているのです。もちろん日本会議は、在特会やネトウヨとも背後で結びつき、行動する右翼を育成することも行っていますが、あくまでもその数は限られたものでしかありません。このように日本会議が、日本におけるマイルドファシズムの場合の、熱狂的大衆運動に代わる一部の極端な運動勢力の役割を担っていることが分かってきます。この日本会議がなぜファシズムに分類されるかというと、憲法改正も戦前体制復帰の目標も、それはそれで良いのですが、それによって現代においていったいどのように具体的な庶民の暮らしぶりや社会のあり方をイメーシしているかというと、そのビジョンは空無で、ただ左翼のビジョンに反対して復古政策を唱える運動を推進し、運動それ自体が活動目標となっているからです。この日本会議が、2009年の民主党政権成立によって自民党が政権から下野している間に、さらに自民党内に深く浸透し、現在の自民党憲法草案を描かせ、2012年からの第二次安倍内閣においては日本政策研究センターが安倍首相の政策ブレーンとなり、また内閣発足時の19名の閣僚の内16名が日本会議国会議員懇談会のメンバーという影響力を行使するにまで及んでいるのです。
④安倍政権のマイルドファシズム政策
次に安倍内閣の政策運営ですが、最初に徹底的なマスコミ対策を行いました。それはせっかく安倍内閣が、日本全体みんなで経済社会を良くしていこうとしているのに、それに水を差すような報道についてはやりにくいように仕向けたかったからです。次いで人々の期待となる経済政策アベノミクスを掲げ、危機を打破して日本が再び栄光を取り戻し、企業も庶民の暮らしも良くなるビジョンを演出します。アベノミクスにとって大切なことは、それが成功するか失敗するかではありません。それが希望のビジョンであり続けて、人々をその期待に向けて1つにまとめてあげていくことこそがその真の役割なのです。そのために安倍政権は、アベノミクスが成果を挙げていると見える数字を選び出して並べ、またマスコミを通じてアベノミクスが成功しているというプロパガンダ活動を積極的に展開していきます。その一方で、特定秘密保護法、安保法制、日本国憲法改正への取り組みを等通じて、国民の自由を規制し、国家権力を強化する体制を着々と構築しているのです。また官僚は、日米合同委員会やフォーラム21に集ってアメリカとの関係を考慮しながら、安倍政権の政策立案とそれを行使する役割を積極的に担っているのです。
⑤庶民のマイルドファシズムへの関与
一方庶民の方はと言うと、これまで再三述べてきたように、現実には生活レベルの低下に直面し、今後に待ち受ける更なる状況の悪化も予感しているのですが、その危機を見つめようとせずに先送りを続けています。バブル崩壊とその後の金融危機以来20年以上に及ぶ暮らしの悪化と、さらに現実の危機の深化にもはや耐えられず、アベノミクスの幻想に自分を託してどうしても安心を得たいと思っているのです。アベノミクスが実際上失敗しているとしても、人々はその事実を受け入れたくはなく、何としても現実を省みずに期待を持ち続けたいと思っているのです。こうして日本においては、今マイルドファシズムが世界に先駆けて進展することになりました。海外でもフランスの国民戦線やドイツの国家民主党、イタリア北部同盟などの極右政党があって、マイルドファシズムを担う一部の極端な運動勢力として台頭してきていますが、未だ主要政党や官僚と結びついて、国家レベルで実質的にマイルドファジスムを進展させるまでには至っていないのです。
(4)現実の暮らしの取り戻しに向けて
こうして日本において庶民は、このマイルドファシズムの進展によっても、不利益を被りつつも不平を言わない状況に置かれているのです。残念ながらアベノミクスは、他のファシズム政体と軌を同じくして破滅へと向かって暴走を始めています。そして私たちはある日突然、とんでもない破綻が生じて呆然自失となる事態に直面することになる可能性が高まっているのです。(このプロセスについては、また別に機会を設けて詳察したいと思います。)
以上3回に渡って日本の庶民が不利益を主張しない原因について考え、その理由として、グローバル競争の脅威、庶民の利益を代弁する政治勢力の不在、官僚主導による“管理民主主義”、世代間格差の果たす役割、政治と暮らしの分離、そしてマイルドファシズムの進展という6点について整理してきました。そこから浮かび上がってくるのは、私たちが現実の暮らしの基盤を掘り崩される不利益を被っているにも関わらず、そのリアルな現実に目を向けなくなって幻想にすがろうしている姿です。そしてまた自分の暮らしと自身の存在の空しさを埋めるために、アベノミクスや国家等、何か大きなものや力強いものに自分を託して、その結果破滅へと向けてのマイルドファシズムのプロセスに邁進し始めている姿です。この事態に対して、またやがて訪れであろう危機を回避していくためにはいったいどうすれば良いのでしょうか。恐らく私たちが、再び確かな基盤を持って暮らしを再建し、それをしっかり守っていこうとすることにその対応は尽きてくるのではないかと思われます。しかしそれではいったいどうやって確かな暮らしの基盤を再建していくことが出来るのでしょうか。次回以降はそのための処方について少しずつ考えていってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いは、そんな私たちのリアルな暮らしづくりの一助となることをも兼ねて、幡ヶ谷ホームシアターサークルの活動を行います。日時は7月25日の月曜日18時からです。場所は『幡ヶ谷・本町六丁目シアタ-』で行います。初めてご参加の方は所在地をご案内しますので、白鳥までご連絡下さい。
皆 様 へ
(1)餓鬼・畜生道の世界と、そこにおいてのいのちの写し出し
アメリカでトランプ氏が、正式に共和党の大統領候補に指名されました。世論調査では、民主党から来週大統領候補に指名される予定のヒラリー・クリントン氏と、支持率において拮抗しているようです。トランプ氏に対しては、共和党内部の主流派から強い反発があるようですが、さりとて他に人材が無く、アメリカの民衆の中の、現状をいたたまれなく感じている人たちが強く支持していると伝えられています。また世界ではテロも頻発し、トルコのような中東の要の国でもクーデター未遂が起こり、これまでの私たちの思いの域を超えた動きの連鎖に世界中が震撼させられています。ロシアや中国では、こうした不慮の動きが致命的な事態をもたらさないように、さらに強権的になって自由と民主主義を圧殺していますが、その先に多少なりとも希望を託せるような経済や暮らしの可能性は見えてきません。一方日本では、丁度この時期はご先祖様の追善供養として行われる盂蘭盆会の季節で、それとあわせてお施餓鬼の法要が行われます。お施餓鬼というのは、生前の悪行によって亡者となったり、非業の死を遂げ無縁仏となってしまい、誰からも顧みられることなく飢え渇きに苦しんでさまよっている霊や魂に、供物を施して供養する法要です。日本らしい、死後の弱者や悪者にまで心を向けるやさしい風習なのですが、この法要で戒めの意味も込めて話される法話が、地獄、餓鬼、畜生、修羅の話です。こうした法話を、今月に何件も終えられた後で大徳院の増田ご住職が話しておられたのは、今年ほどこの地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道の話が、単なる戒めとしではなく、世相そのものを鋭く映して身に染みて感じられる時は無かったということでした。
さてまたしても暗い話から始めてしまいましたが、こうした時代において私たちが最も飢え渇きを覚えるのは、何よりもいのちに対する飢え渇きでしょう。かつて俳人正岡子規は、誰もが自分の思いを平易に自由に表現できる言葉を求めて日本語の革新に乗り出し、文化面からこの国の近代を開きました。その子規が行き着いたのが“写生”という概念です。写生というのは、難しい修辞や巧みな表現などに囚われずに、自然の美しさや日常の心打つ思いをそのままに表現することです。その結果として写生は、文字どおり“いのちを写す”ということにつながっていくのです。何の変哲もない日常の些細な出来事の描写が、私たちの心を惹いて止まないのは、そこに“いのち”が写し出されているからでしょう。こうして子規は、日本の庶民の誰もが、なんの衒いもなく素朴にありのままに自分の心を表現することで、互いにいのちの豊かさを分かち合うことの出来る道を切り開いていったのです。実はこうして庶民が、いのちを写し出す描写を積み重ねて暮らしを豊かにつくっていく営みは、万葉集の詠み人知らずの和歌以来の日本の伝統です。現代の私たちも、日々の営みの中であらゆるものを生かすいのちの力を感じ、それを写し出す試みの中から、暮らしと経済を再建する道を見出していければと思います。次回のパンセの集いは7月25日月曜日の18時からです。月末ですので、幡ヶ谷ホームシアターサークルの活動を行い、いのちへの感受性を高めたいと思います。課題映画作品はハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマン主演の『カサブランカ』を予定しています。場所はどうにか手造りで完成した「幡ヶ谷・本町六丁目シアタ-」で行います。
(2)前段としての(ストロング)ファシズムについての整理
①(ストロング)ファシズムの特徴
さて前回と前々回のパンセ通信においては、世界で庶民の怒りが噴出し始めているのに、日本においては庶民が表立って文句を言わない理由について考えてきました。その理由として、グローバル競争の脅威、庶民の利益を代弁する政治勢力の不在、官僚主導による“管理民主主義”、世代間格差の果たす役割、そして政治と暮らしの分離という5つの点について整理してみました。そして今回はもう1つの理由、マイルドファシズムの進展について考えてみたいと思います。その上で、この状況から私たちがもう1度確かな自分自身と自分の暮らしを取り戻し、それを豊かに育んでいく道について検討していってみたいと思います。
ファシズムというと、何か恐ろしさ覚える響きがあるのですが、近現代において大衆という人々が登場し、経済の自由放任主義が行き詰まって恐慌を生じ、また格差があまりに拡大し過ぎてしまった時には、しばしば登場する政治状況を表す概念です。そこでまず、従来からファシズム(ストロングファシズム)と呼ばれている政治状況について、その特徴を整理していってみたいと思います。ファシズムの特徴には2つのものがあります。1つは人々が暮らしの現実的な基盤を脅かされて、国家などの大きな力に自己を同一化して自分の拠り所を求めようとすることです。もう1つは、混乱した経済を集団的な力に依拠する強力な権力を用いて統制し、国家主導で合理的に安定させて、生産量と生産性を効率よく向上させようと試みることです。そもそも近代以前の庶民は、農作業に勤しみ、自然のいのちの循環と共に生きていました。領主が次々と変わって重い年貢を課されようとも、そこには確かな自立した自分の生活と伝統に根づいたライフスタイルがあったのです。しかしそれが近代に至って、人々が農村での農耕から都市での工場労働、事務労働に移行するに従い、暮らしは雇用主や仕事の内容に依存した不安定なものとなっていきます。それでも経済が安定し成長している時には、仕事の機会にも、自由な創意工夫で成功出来るチャンスにも恵まれ、自分の暮らしをある程度しっかりと保つことが出来ていました。ところが不況が続き、社会が混乱してくると、企業に依存する暮らしは不安定化し、生活の信頼が損なわてきます。こうして時に耐え難いほどに高まってくる不安を解消するために、人々はもはや自分自身を拠り所とすることは出来ないようになり、“自身”に変わって何か大きな力による救済に自分の拠り所を託すようになっていくのです。とりわけ現代のように、世代間格差が拡大し、若者たちがニート化したり正規雇用の機会が奪われてくると、若者たちの現実の暮らしは一層空虚化していきます。さらにIT技術の進展による生活のバーチャル化が、この傾向に拍車をかけていきます。こうして若い世代の中には、暮らしと自分の存在の空虚を埋めるために、国家や民族などの大きな存在と自分自身を同一視することで、自分を確かなものにしようとする者が現れてきます。ネトウヨ(ネット右翼)という人たちは、こうして現れてきたものと思われます。さらに中には、過激な排他思想に自身の存在意義と使命を託し、妄想とリアルな暮らしの区別がつかなくなって、過激なテロ思想に走る者も現れてくるのです。
②ファシズムの政治プロセスとその本質
以上が現実の生活基盤を掘り崩された人々が、暮らしのリアリティーを捨てて、空虚化した自分を支えるために大きな力に自分を託するようになるプロセスです。こうした大きな力へと向かう人々の動きを先導するのがファシズムの政治勢力です。その政策は、まず国内外に分かりやすい敵をつくることから始まります。現実の生活の悪化や不安から不満を抱いている人々に、その原因を具体的な隣国の脅威や国内の特定集団に押し付け、それを敵として描いてみせるのです。それによって感情的な怒りを高めて、人々を一つの力に束ねていくのです。現代の日本においても、中国や北朝鮮、そして韓国までもが人々に感情的な脅威を呼び起こす仮想敵国となっています。また国内に敵を仕立て上げ、自分が正義の味方のようにふるまって人々の支持を得ることも、ファシズムの分類とすることの出来る政治手法の1つです。最近では、小泉元首相が郵政民営化で反対する陣営を抵抗勢力に仕立てあげ、橋下元大阪府知事・市長も、大阪の公務員や議会を利権と不効率の巣窟として、大阪府民の敵に仕立て上げました。さらに近年では、在特会(在日特権を許さな市民の会)が在日韓国・朝鮮人の方々を敵に仕立てあげ、激しい外国人排斥を行っています。
こうして国内外に敵をつくって人々の不満をそちらに向けさせ、その敵に対する怒りと脅威で人々をある程度1つにまとめることに成功すると、いよいよここからファシズム特有の政治プロセスが始まります。それは、民族の栄光や国家や天皇などの国民が共有できる概念を求心力として掲げて、さらに人々を1つにまとめ上げていこうとするプロセスです。そして人々の方は、個人としての現実の暮らしや日常生活を顧みず、自分が全体の目的や栄光を担う大きな力と一体化して、熱狂的に全体目標に向けての求心的運動を担う歯車となっていくのです。この庶民からの支持の運動があることが、単なる独裁政治と異なるところです。先ほどファシズムの特徴として、人々が空無化する自分を大きな力と一体化させてアイデンティティーを取り戻すことと、国家主導による経済の統制の2つを挙げました。しかしもしファシズムの一番の本質を挙げるとするなら、それは将に今述べた、多数の人々が“1つの力になろうとして運動すること”と定義づけることが出来るのです。個別性を捨てて全体として1つになること、1つになって脆弱な個人では得られないような大きな力となること、そしてその力を保持するために一体となる運動を担い続けること、これがファシズム(全体主義)の本質と言えるのです。
③ファシズムの本質から帰結する事態
そしてこのことから、興味深い事態が生じてきます。本来政治というものには目標があって、その目標を実現するために具体的に政策を立案し、そしてその政策が実現できたかどうかの評価を行います。しかしファシズム的な政治状況に陥った時には、もちろん然るべく政治目標や政策を掲げはするのですが、実はそれは形式的なものにすぎず、真の目標はむしろ“1つになること、1つの大きな力に向かって走り続けること”にすり替わっていくのです。例えば戦前の日本では、八紘一宇や大東亜共栄圏が目標とされましたが、しかし実際にその目標のもとで、どのような庶民の生活や暮らしぶりがイメージされたかは定かでありません。もちろん国際社会のあり方についても同様です。仮に具体的な暮らしや社会のビジョン、またその実現のための政策が掲げられたとしても、実はその実効性は問題になりません。なぜなら真の目標は、“1つの大きな力”になって、その栄光を全体で享受し続けることだからです。事実戦前の日本では、戦況がどんどん悪化しても、国家は日本軍が勝利し続けているという虚偽の報道を流し続けます。それは大衆の方もリアルな現実を無視して、1つの偉大な力となって勝利し続ける大日本帝国の栄光というイリュージョンを求め続けたからです。こうしてファシズム体制下においてあらゆる目標は、その具体的な内容ではなく、“1つの大きな力となって走り続ける”ことに効果のあることに置き換わっていくのです。それ故にファシズムの体制は、始めは良くともやがて必ず現実乖離を引き起こし、しかも走り続ける運動であるために途中で留まることが出来ず、やがて破滅に陥っていくのです。
④ファシズムの経済体制と官僚との連携
このようにファシズムの運動は、 実際には“1つにまとまった全体としての栄光”が目標となることから、行き過ぎた自由放任経済による格差拡大には歯止めがかけられ、「個人の利益の前に共同の利益」が目標として掲げられるようになります。そして強大な権力をもって、時に企業や富裕層の過度の利益を規制し、私有財産を制約することも行われます。一方で広範な庶民がその運動の担い手として参画してくることから、当然そうした庶民層の利益を考慮した経済政策が取られることにもなっていきます。例えばファシズム政党が政権を奪おうとする時には、当然マジョリティーである庶民の支持を得なければなりませんから、“国家や全体の栄光”“強い祖国の再興”などのスローガンと併せて、社会福祉や雇用確保などの庶民受けする政策が掲げられることになります。ただしポピュリスト政党と異なるのは、単に口先だけで実効性の無い人気取り政策を掲げるのではなく、権力をもって本気でその政策を実現しようとすることです。それは“1つの大きな力になる”というファシズムの本質的な理念からして必然的なことであって、国家や全体の利益を最大限なものとするために、権力による統制によって労働関係の調和や企業利益の安定化を図り、生産量や生産効率の最大化を実現しようとするからです。
実はこうした経済政策は、官僚との相性の点でけっして悪いものではありません。官僚という人たちは、自分たちの理想に照らして世の中を良くするために、社会や経済を思い通りに動かしたいという野望を抱く人種です。そのために彼らは、本質的に個人の自由な権利の主張や、自分たちの定めた規制の枠を超える企業の自由で創造的な活動については、自分たちにとっての妨げになると感じるのです。ファシズム政党は、その権力でこうした個人や企業の自由を統制し、政策の立案や実施面では官僚に思う存分その手腕を発揮する場を与えるのですから、行政機構を担う官僚組織にとっては、ファシズムの強権はけっして忌まわしいものではなく、自分たちを制約するものとしても映らないのです。
こうした統制によって全体利益を追求するファシズムの経済は、当初においては大きな成果を収めます。例えば1933年にドイツで政権を掌握したナチスは、オートモービル時代の未来を構想し、官僚機構をフルに活用して機能的で低コストの乗用車フォルクスワーゲン(大衆の車の意味)の開発・生産を推進します。その一方でアウトバーン(無料の高速道路)の工事を行って、これをドイツ国内全土にを張り巡らせます。このアウトバーンの工事のためにドイツの民衆は、つるはしの一振り一振りにドイツ第三帝国の栄光を込めて、熱狂的にその労働に参画していくのです。こうして世界大恐慌の影響で600万人まで及んだと言われるドイツの失業者は、瞬く間にその数を減少させ、多数の庶民が雇用と十分な賃金を手にするようになっていったのです。このようにファシズムの経済は、当初は概ね成功を収めるのですが、その政治体制の本質上軍事費負担が増大し、やがて財政を圧迫していきます。また“1つの力になる運動”が真の目的になりますから、政策運営の評価が二の次となり、やがて現実と乖離して、ファシズムの政治体制と同様破局を迎えるか行き詰まりを見せるようになっていくのです。
(3)私たちが不平言わない理由 - マイルドファシズムの進展
①マイルドファシズムの特徴
以上ここまで、これまでにあったストロングファシズムの特徴と本質について整理してきたのですが、ここからは、現在の日本で新たに進展するマイルトファシズムの状況について見ていきたいと思います。ストロングファシズムというのは、すでに述べたように、リアルな生活を掘り崩されて自分の存在の意味を見失った人々が、大きな力と自分を一体化させることで自身の価値を取り戻そうとすることと、(官僚機構との連携による)全体利益を目指す統制経済を特徴とします。そしてその本質は、全体としての栄光と繁栄を体現できる“1つの大きな力になろうとするための運動”です。ファシズムにとって何より欠かせないものは、この“1つになり続けよう”とする力なのですが、ストロングファシズムにとっては、この力は大衆が自ら参画して生み出される熱狂的な支持による運動によって担われます。それは時に反対者の弾圧や虐殺にまで至るような猛威を振るうものとなるのです。
しかしマイルドファシズムというのは、こうした大衆による熱狂的な運動を、“1つにする力”としては用いないファシズムの形態です。人々は静かで、むしろ無気力・無関心のままに“大きな1つ”になっていくプロセスが進展していきます。運動は、広範な大衆による熱狂的な動きに代わって、ごく一部の極端な勢力によって担われ、多数が賛同しているように装われていきます。一方大多数の庶民は、現実の暮らしが徐々に悪化しているのですが、その事実から目をそらす対応を行っていきます。問題を先延ばしすることを繰り返し、やがてそれに慣れ切って、現実のリアルな生活に対する危機感が空無化していくのです。この空虚につけ込むように、政治勢力と官僚とで、全体がきっと良くなるだろうという経済政策を打ち出し、人々に期待をもたせて1つにしていく求心力を高めようとしていきます。その一方で政権側は、“全体が1つになる”ことの妨げとなるような個人の人権や自由な経済活動に対しては、統制を加える社会政策を実施していくのです。
②マイルトファシズムがファシズムである理由
こうした政治社会体制がなぜファシズムなのかというと、具体的な政策の内容とその実効性が問題なのではなく、人々を“1つの大きな力”にまとめることこそ目標となるからです。そのために期待を持たせる経済政策については、うまく進行しているように見せるプロパガンダが施され、仮にうまく行っていないとしても、空無化した人々がその成功の幻想にしがみつくことで、とにかくその政策のもとに全体が1つにまとまっていくことを演出していくのです。そしてその結末は、人々が“1つになる幻想”にしがみついてリアルな現実を見なくなっていくのですから、現実との乖離を引き起こして、やはり破滅に行きつくのです。ただし従来のストロングファシズムと異なってマイルドファシズムの場合は、人々は危機の自覚が乏しいままに、ある日突然、暮らしの破滅に直面するということになるのです。
③日本でマイルドファシズムの運動を担う、一部の極端な勢力
さて次に、このマイルドファシズムのプロセスが日本でどのように進展していったか、概観していってみたいと思います。2001年に小泉旋風を巻き起こして成立した小泉内閣は、小選挙区制の影響と、郵政民営化をスローガンに反対派を“抵抗勢力”として粉砕したことにより、文字通りそれまで自民党の支持基盤、政治運営の基盤を「ぶっ壊し」ました。そのために相対的に政権内部での影響力が強まったのが、日本青年協議会が運営を仕切る日本会議と、右翼のイデオローグ伊藤哲夫の主宰する日本政策研究センターです。日本会議は、大日本帝国憲法の復権と戦前の天皇元首体制の復興を目指す、アナクロニズムの超右翼的な政治団体です。しかし抜群の集票力と署名請願活動、地方議会から議決を積み上げる政治的実行力によって、自民党内に大きな影響力を行使していきます。例えば元号法の制定や、国旗・国歌法の制定過程では、全国で数百万の署名を集め、大半の地方自治体において法制化実現のための議決を行わせ、国会での法案成立にその威力を発揮していきました。そして今また、日本国憲法改正のための1,000万人署名と、地方自治体での憲法改正に向けての議決の積み上げを行っているのです。しかしだからといって、1,000万人もの人々が日本会議のような右翼的思想を持っているわけではありません。日本会議を構成するのは、主に明治以降に成立した新宗教の教団であり、その利害や目標はバラバラです。しかしそうした宗教で信仰するお爺ちゃんお婆ちゃんたちは、ただ自分たちが善良にお念仏やお題目を唱える生活を続けたいだけなのですが、もし左翼政権が成立すると宗教が抑圧され、自分たちの信仰生活が守れなくなると恐れて日本会議の活動に賛同し、署名請願を行い、また集会に積極的に参加しているのです。
こうした事実から、実質的にアナクロニズムの超右翼思想を抱くのはごく一部の人間に過ぎないことが分かるのですが、この少人数で、数量的に大きな政治的影響力を及ぼすことに成功しているのです。もちろん日本会議は、在特会やネトウヨとも背後で結びつき、行動する右翼を育成することも行っていますが、あくまでもその数は限られたものでしかありません。このように日本会議が、日本におけるマイルドファシズムの場合の、熱狂的大衆運動に代わる一部の極端な運動勢力の役割を担っていることが分かってきます。この日本会議がなぜファシズムに分類されるかというと、憲法改正も戦前体制復帰の目標も、それはそれで良いのですが、それによって現代においていったいどのように具体的な庶民の暮らしぶりや社会のあり方をイメーシしているかというと、そのビジョンは空無で、ただ左翼のビジョンに反対して復古政策を唱える運動を推進し、運動それ自体が活動目標となっているからです。この日本会議が、2009年の民主党政権成立によって自民党が政権から下野している間に、さらに自民党内に深く浸透し、現在の自民党憲法草案を描かせ、2012年からの第二次安倍内閣においては日本政策研究センターが安倍首相の政策ブレーンとなり、また内閣発足時の19名の閣僚の内16名が日本会議国会議員懇談会のメンバーという影響力を行使するにまで及んでいるのです。
④安倍政権のマイルドファシズム政策
次に安倍内閣の政策運営ですが、最初に徹底的なマスコミ対策を行いました。それはせっかく安倍内閣が、日本全体みんなで経済社会を良くしていこうとしているのに、それに水を差すような報道についてはやりにくいように仕向けたかったからです。次いで人々の期待となる経済政策アベノミクスを掲げ、危機を打破して日本が再び栄光を取り戻し、企業も庶民の暮らしも良くなるビジョンを演出します。アベノミクスにとって大切なことは、それが成功するか失敗するかではありません。それが希望のビジョンであり続けて、人々をその期待に向けて1つにまとめてあげていくことこそがその真の役割なのです。そのために安倍政権は、アベノミクスが成果を挙げていると見える数字を選び出して並べ、またマスコミを通じてアベノミクスが成功しているというプロパガンダ活動を積極的に展開していきます。その一方で、特定秘密保護法、安保法制、日本国憲法改正への取り組みを等通じて、国民の自由を規制し、国家権力を強化する体制を着々と構築しているのです。また官僚は、日米合同委員会やフォーラム21に集ってアメリカとの関係を考慮しながら、安倍政権の政策立案とそれを行使する役割を積極的に担っているのです。
⑤庶民のマイルドファシズムへの関与
一方庶民の方はと言うと、これまで再三述べてきたように、現実には生活レベルの低下に直面し、今後に待ち受ける更なる状況の悪化も予感しているのですが、その危機を見つめようとせずに先送りを続けています。バブル崩壊とその後の金融危機以来20年以上に及ぶ暮らしの悪化と、さらに現実の危機の深化にもはや耐えられず、アベノミクスの幻想に自分を託してどうしても安心を得たいと思っているのです。アベノミクスが実際上失敗しているとしても、人々はその事実を受け入れたくはなく、何としても現実を省みずに期待を持ち続けたいと思っているのです。こうして日本においては、今マイルドファシズムが世界に先駆けて進展することになりました。海外でもフランスの国民戦線やドイツの国家民主党、イタリア北部同盟などの極右政党があって、マイルドファシズムを担う一部の極端な運動勢力として台頭してきていますが、未だ主要政党や官僚と結びついて、国家レベルで実質的にマイルドファジスムを進展させるまでには至っていないのです。
(4)現実の暮らしの取り戻しに向けて
こうして日本において庶民は、このマイルドファシズムの進展によっても、不利益を被りつつも不平を言わない状況に置かれているのです。残念ながらアベノミクスは、他のファシズム政体と軌を同じくして破滅へと向かって暴走を始めています。そして私たちはある日突然、とんでもない破綻が生じて呆然自失となる事態に直面することになる可能性が高まっているのです。(このプロセスについては、また別に機会を設けて詳察したいと思います。)
以上3回に渡って日本の庶民が不利益を主張しない原因について考え、その理由として、グローバル競争の脅威、庶民の利益を代弁する政治勢力の不在、官僚主導による“管理民主主義”、世代間格差の果たす役割、政治と暮らしの分離、そしてマイルドファシズムの進展という6点について整理してきました。そこから浮かび上がってくるのは、私たちが現実の暮らしの基盤を掘り崩される不利益を被っているにも関わらず、そのリアルな現実に目を向けなくなって幻想にすがろうしている姿です。そしてまた自分の暮らしと自身の存在の空しさを埋めるために、アベノミクスや国家等、何か大きなものや力強いものに自分を託して、その結果破滅へと向けてのマイルドファシズムのプロセスに邁進し始めている姿です。この事態に対して、またやがて訪れであろう危機を回避していくためにはいったいどうすれば良いのでしょうか。恐らく私たちが、再び確かな基盤を持って暮らしを再建し、それをしっかり守っていこうとすることにその対応は尽きてくるのではないかと思われます。しかしそれではいったいどうやって確かな暮らしの基盤を再建していくことが出来るのでしょうか。次回以降はそのための処方について少しずつ考えていってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いは、そんな私たちのリアルな暮らしづくりの一助となることをも兼ねて、幡ヶ谷ホームシアターサークルの活動を行います。日時は7月25日の月曜日18時からです。場所は『幡ヶ谷・本町六丁目シアタ-』で行います。初めてご参加の方は所在地をご案内しますので、白鳥までご連絡下さい。