■2016.8.20パンセ通信No.98『暮らしと社会を楽しく変える7つの力』
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1.暮らしを養う5つの力、社会と関わる2つの力
(1)暮らしを楽しく養う5つの力
前回から、人生を楽しくする暮らしと働き方の秘訣について考え始めております。これからしばらくの間、本当に楽しく、満たされて生きていくための暮らしの条件と必要な力、またそれをどう現実に実現していくかについて考えていってみたいと思います。次回のパンセの集いは、8月22日月曜日18時からです。場所は初台、幡ヶ谷の地域で行います。
私たちが良く生きていこうとする時、7つほどの力を養っていくことが求められると思われます。第1に様々な事態に遭遇してもそれに対処して、柔軟に自分を生かしていく、いのちが本来持つ力の自然な養いです。第2には、日々の生活を心地よく便利に工夫して整えていく生活の力です。3番目に求められるのは、いのちの養いと心地良い生活を実現出来るように、働き方を工夫して生計を賄うなりわいの力です。そして第4に必要となるのが、他の人のいのちや生活も生かして、一緒に楽しく関わって生きていく関係づくりの力です。この関係づくりがうまく出来る時、私たちには自分が憩えたり、慰められたり、励まされたりする“自分の居場所”が生まれてきます。この4つの力が整ってくると、私たちの“暮らし”は次第に満たされたものとなっていくのです。しかしここでもう1つ大事なことがあります。それは人生には、誕生⇒成長⇒成熟⇒老い⇒死という段階があって、その人生の各段階に応じて暮らし方の目的が異なってくるということです。今年初めのパンセ通信No.66では、東洋で古くから伝えられる人生区分の知恵“四住期”について紹介しました。四住期というのは人生を、学生期(成長・青年期)、家住期(仕事・家庭を持ち生産に従事)、林住期(引退し本来の自分に生き、若い世代を支援する)、遊行期(老いの迎え方。後代のいのちの支えとなるための死の準備)の四つに区分して、それぞれの段階での生き方の指針を示す知恵です。そこで私たちが良く生きていくための5つ目の力として必要になるのが、この人生の移り変わりを理解して、それぞれの段階での生き方の目的に応じた暮らし方を行っていくことです。
以上の5つの力をうまく噛み合わせて養っていくことが、暮らしを楽しく、健やかなものにしていくための秘訣です。暮らしというのは、前回のパンセ通信でも申し上げたとおり、自分と社会とが結び合わさる領域での活動です。暮らしが楽しく充実していると、私たちは安心と将来の希望を持てるようになってきます。またその暮らしが壊されることの無いように、私たちは戦争を引き起こすなど社会が変な方向に走り出すことに敏感になり、歯止めをかけようと動き出したりもします。しかし暮らしが崩れてしまうと、自分にも他者にも社会にも苛立って、自暴自棄になったり、どうでも良い思いに飲み込まれたりしてしまうのです。私たちが自分のいのちを生かして良く生きていこうとする時、まずは先ほど見てきた暮らしを養う5つの力が必要になってきます。しかし現代は、それだけでは不十分です。なぜなら私たちの暮らしは、身近な地域社会に取り巻かれ、さらにその地域社会は、国の政策やグローバル経済の影響を受けるために、私たちが暮らしを守り良くしていくためには、さらに社会や経済ともうまく関わっていく力が求められてくるからです。
(2)社会とうまく関わる2つの力
私たちの暮らしに直接に関わり、それを成り立たせているのは地域の社会と経済です。中には未だに、会社にすっぽりと人生を捧げていて、会社が自分の暮らしを取り巻くコミュニティーの大部分になっている人もいます。また教会や檀信徒会のような宗教組織やその他の共同団体が、自分の暮らしをすぐ外側から支える最も近しいコミュニティーとなっている人もあるでしょう。こうした自分の暮らしに直接影響を及ぼす地域などのコミュニティーとうまく関わり、自分の暮らしもコミュニティーも良くして、無理なく心地よく良く生活を交流させていけるように調整していく力も、私たちが良く生きていくために養わなければならないもので、それが第6番目に必要な力となります。最近では地方においては、都会からの移住者や帰郷者などが地方に古くから続くコミュニティーに溶け込み、経済を含めて地域での暮らしと経済を自立的に再生させる取り組みが生まれています。しかし都市部においては、まだその端緒さえ現れていないのが実情です。
そして第7番目に求められる力は、地域などの自分の暮らしを身近に取り巻くコミュニテイーを通じ、他のコミュニティーとも利害調整を図り、そしてまた国やグローバル経済と関わって調整していく力です。自分の暮らしを満たされたものにしていくためには、暮らしを取り巻く身近なコミュニティーが暮らしに親和的なものになっていかなければなりませんが、さらにその身近なコミュニティーの外側にあって、暮らしに影響を及ぼす国の政策や世界経済の変化などをも考慮していかなければならないからです。“なりわい”的な見地から言えば、まずは企業や金儲けなどに自分の人生が奪われないように、いのちの養いと暮らしの心地よさを実現する自立的な働き方の実現が必要でしょう。しかし自分のなりわいはうまくいっているとしても、自分の暮らす地域が疲弊して衰退していけば、近所のお洒落なお店が無くなったり、行政サービスが低下するなどして、自分の暮らしにも影響が及んできます。逆に地域の経済がしっかりしていれば、自分のなりわいにも良い影響が及んでくるものです。そこで地域の経済もしっかりさせていかなければならないのですが、そのためには地域内での経済循環の比率を高め、地域が自立していくことが必要となります。なぜなら大企業の工場を誘致するなどの外部依存型の経済では、その企業が撤退すれば、地域経済は大打撃をうけるからです。また大規模な住宅団地を造成して一端は人口が増えたとしても、何十年かすれば建物の老朽化が進み、住人は高齢化して、却って地域自治体の財政負担は膨らんでしまうからです。それ故にしっかり自立した地域経済が確立出来てこそ、グローバル経済の影響を受けず、国の政策にも依存することなく、地域経済を発展させていくことが出来るのです。なりわいとして自立した自分の暮らしがあって、それを支える自立した地域の経済・社会があって、その自立した地域コミュニティーが必要に応じて国やグローバル経済と関わって必要なものを補完していく。こうした仕組みをつくっていく力を養わなければ、本当には自分の暮らしを安心で、かつ満たされたものにしていくことは出来ません。そんな夢のような力を身に着けることが出来るのかとお思いになるかもしれませんが、キーとなるのは自分の暮らしづくりと地域との関わりです。ここさえうまく組み上げる力が得られれば、自立した地域の経済・社会の仕組みや、国とグローバル経済との関わり方は、自ずからその道筋が見えてきて、必要な力の内容も具体的になってくることでしょう。
2.これからの時代の生き方と新しい暮らし方
(1)暮らしから乖離する日本の政治
さて今年の6月下旬から今月初めまでは、参議院選挙や東京都知事選挙もあったものですから、パンセ通信のNo.88~No.96(途中2回映画評が混じりますが)において、私たちの暮らしを取り巻く日本の政治と社会の状況を見てきました。そこに見えてきた現実は、私たちが生き方の指針を失い、暮らしが崩れて自分が空洞化し、国家や大きな力に自分の拠り所を求めるファシズム化の進展でした。それはまた悪化していく世界経済の現状に対処する方法が見出せないために、思考停止して対応を先送りし、やがて訪れる経済破綻の混乱に、強権的に対処することに国民が同意した結果のようにも思えます。そうした政策を着々と遂行する現政権に、国民が積極的では無いにしろ暗黙の承認を与えたのです。確かに危機に対して事前になんらの手も打てないのであれば、危機が起こった時に強権を行使して、混乱を最小限に食い止めるのは極めて合理的な選択でしょう。
こうした状況に対して、政治は危機をチャンスに変えていくための政策を何ら打ち出せていません。それは新しい時代に向けての、庶民の暮らしの求めの変化が見て取れていないからです。社会経済の仕組みが行き詰まり、時代が大きな構造転換を迎える時代にあっては、新しい時代をつくる生き方の指針と暮らし方の具体像を描いて下敷きにするのでなければ、政策は現実とは乖離し、庶民の政治離れを加速するだけのことになってしまいます。日本の神話の世界においてすら、『豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)』という我が国に対する呼称があります。ここには縄文時代から弥生時代に移って、稲作を中心とする国づくりを進めようとする当時の為政者が、葦原に覆われていた日本の平地を、瑞々しい稲穂たなびく豊かな水田に変えていこうとする強力な意思が盛り込まれており、新しい暮らしづくり、国づくりの指針が示されています。ところが残念ながら現在の政治は、惰性化して旧来のシステムの中でもがくだけで、現実の変化に素直に対応して新しい時代を構想しようという気概さえも見当たりません。しかしそれも明治以来の日本の政治の伝統で、日本の政治は、右翼で左翼であれ、保守であれリベラルであれ、これまで現実の暮らしからは乖離した理念と政策論争のみに終始して、現実の庶民の暮らしづくりについては顧みてこなかったのです。そのことについても、これまでのパンセ通信で見てきたところです。現実の庶民の暮らしの再生に寄り添っていくのでなければ、新しい時代のニーズなど見えてくるはずもなく、こんな役立たずの政治だから庶民は愛想を尽かして、まずはリベラル勢力が崩壊し、保守の主流はファシズム的な勢力へと移行してしまったのです。
(2)暮らしについての再検討
そこでパンセ通信では前回から、“暮らし”について改めて考え直し始めました。暮らしというと、戦後の日本社会においては、主に物理的な日常の生活を便利で豊かなものにするために、商品を購入してそれをうまく使用・消費することに主な関心がありました。しかし本来“暮らし”は、もっと広範囲の日常活動を含み込んだ概念です。そのために現代と比較してみて、本来の暮らしの姿を明らかに出来るように、前回のパンセ通信では自給自足の農民や、採取・狩猟で豊かな森の恵みと共に生きた縄文人の生活をイメージしてみて、現代の私たちが見落としがちな暮らしの要素を5つほど洗い出してみました。
まず第1に暮らしと仕事は一体であったということです。働くために生きる生活ではなく、暮らしの中に仕事があって、仕事は自分を生かして良く生きていくための暮らしの要素の一部分として、暮らしと仕事は融合していたのです。第2に暮らしは、創意と工夫の連続であったということです。けっして毎日が代わり映えせずに過ぎていくようなものではありませんでした。そうした創意と工夫の一環として仕事があり、その創意と工夫の積み重ねが、私たちの暮らしをより便利で豊かなものとしていくのです。同時にこうした暮らし方によって、日々私たちの能力と知恵をも高めていったのです。第3は働き方の相違です。現在のように家庭の暮らしから分離されて、労働力を切り売りするような働き方ではなくて、“なりわい”的な働き方をしていたということです。“なりわい”というのは、労働力を維持・再生するために暮らしがあるのではなく、あくまでもいのちと暮らしを養う一環として生計を賄うような働き方をすることです。そしてまた“なりわい”的な働き方は、自分の暮らしのニーズと世の中のニーズに合わせて次々と創意工夫して仕事を生み出していくために、複数の仕事を組み合わせて生活を賄う“百姓”的な働き方が出来て、リスクにも強い暮らし方であったのです。
第4に現在と比較して先人たちの暮らしぶりから学べることは、テレビのバラエティー番組やゲームソフトなどに依存せずに、常に暮らしを楽しいものとするための努力を行い、ノウハウを積んでいったことです。この楽しさの中から人と人が結び合い、家族の絆を深めたり、地域コミュニティーで信頼関係を育んで共同作業を行うベースをつくっていったりしたのです。そして第5番目になってしまいましたが、暮らしを考える上で最も大事なことは、暮らしの一番の目的は生活を便利にしたり物質的に豊かになることではなく、いのちを豊かに育んでいのちの力を養い、生きる力を高めることに置かれていたということです。そのために風流や詫び・寂びを始めとした、暮らしを快適で味わい深いものにする様々な価値観や工夫が尊ばれました。またなりわいを含めて暮らしを成り立たせる内的な力(いのちの力・生きる力)を養うことにも留意され、そうした力を与える信心や老人・祖霊への敬い、そして整体法や呼吸法などの心と身体への配慮が重視されたのです。
3.これからの暮らしづくりの条件を求めて
こうした現代と比較してみての先人たちの暮らしぶりから気づかされる暮らしの留意点をベースに、今回のパンセ通信では、もう1度いのちの力を養うことと現実に生きる力を高めることを主眼として、自分と人(他のいのち)を生かしていく暮らしの力について整理してみました。現在NHKの朝ドラ『とと姉ちゃん』によって再び注目の集まる雑誌「暮らしの手帖」においては、戦後の社会を少しでも豊かに生きていくために、様々な暮らしの工夫が提案されました。戦争直後の物資不足の中で、いかに手近なもの工夫して必要なものを作り出していくか、あるいは経済の成長期に移ると、徹底した商品試験から消費者に商品選択の指針を与え、粗悪品を淘汰していく試みなどが行われました。それによって「暮らしの手帖」は、暮らしの中心が商品の充足と、その便利な使用による快適な生活空間・時間づくりに置かれていた時代においては、非常に大きな役割を果たしたのです。しかしこれからの暮らしは、それに加えてなりわいづくりや楽しい関係づくり、また人生区分に応じた生き方などを通じて、何よりもいのちの力を養い生きる力を高めていくことが求められます。こうした新しい時代にふさわしい暮らしづくりに必要な力や条件をさらに整理していって、渋谷区本町における暮らしづくりと地域社会づくりの試みの指針としていければと思っています。次回のパンセの集いは8月22日月曜日、18時からです。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)
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1.暮らしを養う5つの力、社会と関わる2つの力
(1)暮らしを楽しく養う5つの力
前回から、人生を楽しくする暮らしと働き方の秘訣について考え始めております。これからしばらくの間、本当に楽しく、満たされて生きていくための暮らしの条件と必要な力、またそれをどう現実に実現していくかについて考えていってみたいと思います。次回のパンセの集いは、8月22日月曜日18時からです。場所は初台、幡ヶ谷の地域で行います。
私たちが良く生きていこうとする時、7つほどの力を養っていくことが求められると思われます。第1に様々な事態に遭遇してもそれに対処して、柔軟に自分を生かしていく、いのちが本来持つ力の自然な養いです。第2には、日々の生活を心地よく便利に工夫して整えていく生活の力です。3番目に求められるのは、いのちの養いと心地良い生活を実現出来るように、働き方を工夫して生計を賄うなりわいの力です。そして第4に必要となるのが、他の人のいのちや生活も生かして、一緒に楽しく関わって生きていく関係づくりの力です。この関係づくりがうまく出来る時、私たちには自分が憩えたり、慰められたり、励まされたりする“自分の居場所”が生まれてきます。この4つの力が整ってくると、私たちの“暮らし”は次第に満たされたものとなっていくのです。しかしここでもう1つ大事なことがあります。それは人生には、誕生⇒成長⇒成熟⇒老い⇒死という段階があって、その人生の各段階に応じて暮らし方の目的が異なってくるということです。今年初めのパンセ通信No.66では、東洋で古くから伝えられる人生区分の知恵“四住期”について紹介しました。四住期というのは人生を、学生期(成長・青年期)、家住期(仕事・家庭を持ち生産に従事)、林住期(引退し本来の自分に生き、若い世代を支援する)、遊行期(老いの迎え方。後代のいのちの支えとなるための死の準備)の四つに区分して、それぞれの段階での生き方の指針を示す知恵です。そこで私たちが良く生きていくための5つ目の力として必要になるのが、この人生の移り変わりを理解して、それぞれの段階での生き方の目的に応じた暮らし方を行っていくことです。
以上の5つの力をうまく噛み合わせて養っていくことが、暮らしを楽しく、健やかなものにしていくための秘訣です。暮らしというのは、前回のパンセ通信でも申し上げたとおり、自分と社会とが結び合わさる領域での活動です。暮らしが楽しく充実していると、私たちは安心と将来の希望を持てるようになってきます。またその暮らしが壊されることの無いように、私たちは戦争を引き起こすなど社会が変な方向に走り出すことに敏感になり、歯止めをかけようと動き出したりもします。しかし暮らしが崩れてしまうと、自分にも他者にも社会にも苛立って、自暴自棄になったり、どうでも良い思いに飲み込まれたりしてしまうのです。私たちが自分のいのちを生かして良く生きていこうとする時、まずは先ほど見てきた暮らしを養う5つの力が必要になってきます。しかし現代は、それだけでは不十分です。なぜなら私たちの暮らしは、身近な地域社会に取り巻かれ、さらにその地域社会は、国の政策やグローバル経済の影響を受けるために、私たちが暮らしを守り良くしていくためには、さらに社会や経済ともうまく関わっていく力が求められてくるからです。
(2)社会とうまく関わる2つの力
私たちの暮らしに直接に関わり、それを成り立たせているのは地域の社会と経済です。中には未だに、会社にすっぽりと人生を捧げていて、会社が自分の暮らしを取り巻くコミュニティーの大部分になっている人もいます。また教会や檀信徒会のような宗教組織やその他の共同団体が、自分の暮らしをすぐ外側から支える最も近しいコミュニティーとなっている人もあるでしょう。こうした自分の暮らしに直接影響を及ぼす地域などのコミュニティーとうまく関わり、自分の暮らしもコミュニティーも良くして、無理なく心地よく良く生活を交流させていけるように調整していく力も、私たちが良く生きていくために養わなければならないもので、それが第6番目に必要な力となります。最近では地方においては、都会からの移住者や帰郷者などが地方に古くから続くコミュニティーに溶け込み、経済を含めて地域での暮らしと経済を自立的に再生させる取り組みが生まれています。しかし都市部においては、まだその端緒さえ現れていないのが実情です。
そして第7番目に求められる力は、地域などの自分の暮らしを身近に取り巻くコミュニテイーを通じ、他のコミュニティーとも利害調整を図り、そしてまた国やグローバル経済と関わって調整していく力です。自分の暮らしを満たされたものにしていくためには、暮らしを取り巻く身近なコミュニティーが暮らしに親和的なものになっていかなければなりませんが、さらにその身近なコミュニティーの外側にあって、暮らしに影響を及ぼす国の政策や世界経済の変化などをも考慮していかなければならないからです。“なりわい”的な見地から言えば、まずは企業や金儲けなどに自分の人生が奪われないように、いのちの養いと暮らしの心地よさを実現する自立的な働き方の実現が必要でしょう。しかし自分のなりわいはうまくいっているとしても、自分の暮らす地域が疲弊して衰退していけば、近所のお洒落なお店が無くなったり、行政サービスが低下するなどして、自分の暮らしにも影響が及んできます。逆に地域の経済がしっかりしていれば、自分のなりわいにも良い影響が及んでくるものです。そこで地域の経済もしっかりさせていかなければならないのですが、そのためには地域内での経済循環の比率を高め、地域が自立していくことが必要となります。なぜなら大企業の工場を誘致するなどの外部依存型の経済では、その企業が撤退すれば、地域経済は大打撃をうけるからです。また大規模な住宅団地を造成して一端は人口が増えたとしても、何十年かすれば建物の老朽化が進み、住人は高齢化して、却って地域自治体の財政負担は膨らんでしまうからです。それ故にしっかり自立した地域経済が確立出来てこそ、グローバル経済の影響を受けず、国の政策にも依存することなく、地域経済を発展させていくことが出来るのです。なりわいとして自立した自分の暮らしがあって、それを支える自立した地域の経済・社会があって、その自立した地域コミュニティーが必要に応じて国やグローバル経済と関わって必要なものを補完していく。こうした仕組みをつくっていく力を養わなければ、本当には自分の暮らしを安心で、かつ満たされたものにしていくことは出来ません。そんな夢のような力を身に着けることが出来るのかとお思いになるかもしれませんが、キーとなるのは自分の暮らしづくりと地域との関わりです。ここさえうまく組み上げる力が得られれば、自立した地域の経済・社会の仕組みや、国とグローバル経済との関わり方は、自ずからその道筋が見えてきて、必要な力の内容も具体的になってくることでしょう。
2.これからの時代の生き方と新しい暮らし方
(1)暮らしから乖離する日本の政治
さて今年の6月下旬から今月初めまでは、参議院選挙や東京都知事選挙もあったものですから、パンセ通信のNo.88~No.96(途中2回映画評が混じりますが)において、私たちの暮らしを取り巻く日本の政治と社会の状況を見てきました。そこに見えてきた現実は、私たちが生き方の指針を失い、暮らしが崩れて自分が空洞化し、国家や大きな力に自分の拠り所を求めるファシズム化の進展でした。それはまた悪化していく世界経済の現状に対処する方法が見出せないために、思考停止して対応を先送りし、やがて訪れる経済破綻の混乱に、強権的に対処することに国民が同意した結果のようにも思えます。そうした政策を着々と遂行する現政権に、国民が積極的では無いにしろ暗黙の承認を与えたのです。確かに危機に対して事前になんらの手も打てないのであれば、危機が起こった時に強権を行使して、混乱を最小限に食い止めるのは極めて合理的な選択でしょう。
こうした状況に対して、政治は危機をチャンスに変えていくための政策を何ら打ち出せていません。それは新しい時代に向けての、庶民の暮らしの求めの変化が見て取れていないからです。社会経済の仕組みが行き詰まり、時代が大きな構造転換を迎える時代にあっては、新しい時代をつくる生き方の指針と暮らし方の具体像を描いて下敷きにするのでなければ、政策は現実とは乖離し、庶民の政治離れを加速するだけのことになってしまいます。日本の神話の世界においてすら、『豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)』という我が国に対する呼称があります。ここには縄文時代から弥生時代に移って、稲作を中心とする国づくりを進めようとする当時の為政者が、葦原に覆われていた日本の平地を、瑞々しい稲穂たなびく豊かな水田に変えていこうとする強力な意思が盛り込まれており、新しい暮らしづくり、国づくりの指針が示されています。ところが残念ながら現在の政治は、惰性化して旧来のシステムの中でもがくだけで、現実の変化に素直に対応して新しい時代を構想しようという気概さえも見当たりません。しかしそれも明治以来の日本の政治の伝統で、日本の政治は、右翼で左翼であれ、保守であれリベラルであれ、これまで現実の暮らしからは乖離した理念と政策論争のみに終始して、現実の庶民の暮らしづくりについては顧みてこなかったのです。そのことについても、これまでのパンセ通信で見てきたところです。現実の庶民の暮らしの再生に寄り添っていくのでなければ、新しい時代のニーズなど見えてくるはずもなく、こんな役立たずの政治だから庶民は愛想を尽かして、まずはリベラル勢力が崩壊し、保守の主流はファシズム的な勢力へと移行してしまったのです。
(2)暮らしについての再検討
そこでパンセ通信では前回から、“暮らし”について改めて考え直し始めました。暮らしというと、戦後の日本社会においては、主に物理的な日常の生活を便利で豊かなものにするために、商品を購入してそれをうまく使用・消費することに主な関心がありました。しかし本来“暮らし”は、もっと広範囲の日常活動を含み込んだ概念です。そのために現代と比較してみて、本来の暮らしの姿を明らかに出来るように、前回のパンセ通信では自給自足の農民や、採取・狩猟で豊かな森の恵みと共に生きた縄文人の生活をイメージしてみて、現代の私たちが見落としがちな暮らしの要素を5つほど洗い出してみました。
まず第1に暮らしと仕事は一体であったということです。働くために生きる生活ではなく、暮らしの中に仕事があって、仕事は自分を生かして良く生きていくための暮らしの要素の一部分として、暮らしと仕事は融合していたのです。第2に暮らしは、創意と工夫の連続であったということです。けっして毎日が代わり映えせずに過ぎていくようなものではありませんでした。そうした創意と工夫の一環として仕事があり、その創意と工夫の積み重ねが、私たちの暮らしをより便利で豊かなものとしていくのです。同時にこうした暮らし方によって、日々私たちの能力と知恵をも高めていったのです。第3は働き方の相違です。現在のように家庭の暮らしから分離されて、労働力を切り売りするような働き方ではなくて、“なりわい”的な働き方をしていたということです。“なりわい”というのは、労働力を維持・再生するために暮らしがあるのではなく、あくまでもいのちと暮らしを養う一環として生計を賄うような働き方をすることです。そしてまた“なりわい”的な働き方は、自分の暮らしのニーズと世の中のニーズに合わせて次々と創意工夫して仕事を生み出していくために、複数の仕事を組み合わせて生活を賄う“百姓”的な働き方が出来て、リスクにも強い暮らし方であったのです。
第4に現在と比較して先人たちの暮らしぶりから学べることは、テレビのバラエティー番組やゲームソフトなどに依存せずに、常に暮らしを楽しいものとするための努力を行い、ノウハウを積んでいったことです。この楽しさの中から人と人が結び合い、家族の絆を深めたり、地域コミュニティーで信頼関係を育んで共同作業を行うベースをつくっていったりしたのです。そして第5番目になってしまいましたが、暮らしを考える上で最も大事なことは、暮らしの一番の目的は生活を便利にしたり物質的に豊かになることではなく、いのちを豊かに育んでいのちの力を養い、生きる力を高めることに置かれていたということです。そのために風流や詫び・寂びを始めとした、暮らしを快適で味わい深いものにする様々な価値観や工夫が尊ばれました。またなりわいを含めて暮らしを成り立たせる内的な力(いのちの力・生きる力)を養うことにも留意され、そうした力を与える信心や老人・祖霊への敬い、そして整体法や呼吸法などの心と身体への配慮が重視されたのです。
3.これからの暮らしづくりの条件を求めて
こうした現代と比較してみての先人たちの暮らしぶりから気づかされる暮らしの留意点をベースに、今回のパンセ通信では、もう1度いのちの力を養うことと現実に生きる力を高めることを主眼として、自分と人(他のいのち)を生かしていく暮らしの力について整理してみました。現在NHKの朝ドラ『とと姉ちゃん』によって再び注目の集まる雑誌「暮らしの手帖」においては、戦後の社会を少しでも豊かに生きていくために、様々な暮らしの工夫が提案されました。戦争直後の物資不足の中で、いかに手近なもの工夫して必要なものを作り出していくか、あるいは経済の成長期に移ると、徹底した商品試験から消費者に商品選択の指針を与え、粗悪品を淘汰していく試みなどが行われました。それによって「暮らしの手帖」は、暮らしの中心が商品の充足と、その便利な使用による快適な生活空間・時間づくりに置かれていた時代においては、非常に大きな役割を果たしたのです。しかしこれからの暮らしは、それに加えてなりわいづくりや楽しい関係づくり、また人生区分に応じた生き方などを通じて、何よりもいのちの力を養い生きる力を高めていくことが求められます。こうした新しい時代にふさわしい暮らしづくりに必要な力や条件をさらに整理していって、渋谷区本町における暮らしづくりと地域社会づくりの試みの指針としていければと思っています。次回のパンセの集いは8月22日月曜日、18時からです。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)