■2016.9.3パンセ通信No.100『映画「シェーン」-はるかなるヒーローの呼び声1/2』
皆 様 へ
1.はじめに
毎日の暮らしを伸びやかで、いかに楽しいものとしていくか。また毎日の暮らしの気づきの中から、必要なものを見出し、その必要をいかに工夫して満たしていくか。そして暮らしをもっと便利で、心育むものとへと変えていけるか。さらには暮らしのニーズと工夫の中から、他の人にも役立つものをなりわいとして生み出し、自分の暮らしと人の暮らしを支えていくことが出来るか。パンセの集いでは、そんな人間の生きる力といのちの力を養う生き方を考え、またそのための仕組みづくりに取り組んでおります。
そんな生き方と暮らし方を学ぶ参考として、前回のパンセの集いでは、本町六丁目ホームシアターでアメリカ映画『シェーン』を鑑賞致しました。今回と次回のパンセ通信では、この『シェーン』の物語から、人間が心の深いところで求める生き方・暮らし方、本来のフロテンティア・スピリットのあり方、そして移り行く時代においてのヒーローの役割などについて考えていってみたいと思います。次回のパンセの集いは、9月5日の月曜日、18時からです。場所は初台、幡ヶ谷の地域で行います。
2.『シェーン』から学ぶ名作映画の条件
(1)世界中の人々から愛される映画
1953年に公開されたアメリカ映画『シェーン』は、あまり映画を観ない人でもその題名だけは聞いたことのある、西部劇の名作中の名作です。2度のアカデミー監督賞に輝く名匠ジョージ・スティーヴンス監督の演出は本当に見事で、もし私たちが、人々の心に残る名作と呼ばれる映画の条件を考えたいのであれば、この映画ほどそのための格好の素材を提供してくれる、よく出来た作品は無いでしょう。
それでは名作映画の条件とはいったい何でしょうか。最初にそのことについてこの映画から見ていき、次いで映画のシーンを追いながら、今もこの映画が世界中の人々から愛され、また特に日本人のメンタリティーにも訴える理由について、考えていってみたいと思います。
(2)名作映画を生み出す3つの条件
まずこの映画から学ぶことの出来る名作映画の条件としては、大きく3つほどのことが考えられると思います。1つは骨格となるストーリーが、シンプルで分かりやすいということです。一人のさすらいのガンマンが、どこからともなく現れ、世話になった家族のために悪漢を退治して、何処へともなく去っていく。日本人の好きな股旅物をも彷彿とさせる、誰もが心躍らせる西部劇に典型的なヒーロー物語です。しかしその分かりやすい基本ストーリーの中に、主人公シェーンと彼が世話になる開拓農民一家の主人ジョー・スターレットとの男の友情、ジョーの美しい妻マリアンとシェーンとの間の微妙な恋愛感情、そしてスターレット一家の一人息子ジョーイのシェーンへのあこがれと成長の物語が織り込まれていて、ホームドラマとしても楽しめる、第一級の娯楽作品に仕上がっています。元来家庭劇を得意とするジョージ・スティーブンス監督の手腕が、遺憾なく発揮されているというところでしょう。
しかし名作が名作である所以は、娯楽映画として楽しめるその背景において、実に細やかで丹念な人物描写と風景描写が施されているという点です。この映画を観た誰もが心を奪われるのは、物語の舞台となるワイオミングの雄大な山々の姿と美しい風景です。その美しい山々に見守られながら、実際には生々しい人間ドラマが展開していくのですが、その愚かな人間の争いと愛憎劇を、大いなる自然の息吹が包み込んで、深い家族愛と細やかな思いやりが身に染みる人情劇へと変えていくように感じられます。その大自然の慈しみと呼応するかのような登場人物たちの心の機微の変化を、間接的に抑えた描写でじっくりと、じつに味わい深く私たちの心に届けてくれるのがこの映画です。こうした丹念な人物描写と、登場人物の心象状況に呼応したきめ細かな情景描写によって、物語に深さと厚みを加えているのが、この作品が教えてくれる名作映画の2つ目の条件でしょう。こうした人物描写と風景描写の素晴らしさによって、映画『シェーン』は1954年にアカデミー撮影賞を受賞しています。
さらに『シェーン』は、娯楽性に富むヒーロー活劇、情感豊かな人情劇の背後で、移り行く時代においての人間の生きざま様、ヒーローの役割についての示唆に富むメッセージを私たちに提供し、歴史と人間存在についての普遍的なテーマについても、気づかぬうちに触れさせてくれるのです。物語の背景となる時代は、1880年代も後半、西部開拓時代が終焉しようとしている時代です。未だ文明の及ばぬ広大な平原をカウボーイが牛を追い、無法者のガンマンたちが力の論理で跋扈していた時代から、土地を開墾して農地に造り変え、法と良心が秩序を生み出そうとする時代への移行です。この移り変わりの中で、古い銃による力の論理に固執する者、新しい農業生産の秩序に生きようとする者がぶつかりあい、その間を揺れ動く者も現れてきます。その大きな歴史の転換の中で、人間はいったい何を支えとして生きていくのか。こうした人間にとっての普遍的なテーマも、この映画で展開される人間ドラマの下敷きになっており、まさにその普遍性こそが、名作映画が成立するための3つ目の条件となっているのです。
(3)悲劇性を包み込む慈愛に満ちた視点
こうした時代の転換期に生じる人間同士の利害の絡まる軋轢の中で、実際に悲劇も起こってきます。ワイオミング州のジョンソン郡において、規模の大きな牧場主たちが殺し屋のガンマンを雇って、入植農民たちを虐殺するという事件が発生するのです。アメリカ西部開拓史における汚点と言われる事件です。映画『シェーン』の物語は、じつはこのジョソン郡での悲劇を背景として描かれているのです。その荒々しい時代の暴力性を伝えるために、映画では激しい格闘シーンや、それまでの西部劇にはなかった大音響での拳銃の射撃音などが登場します。さらにまたもう1つのこのドラマのモチーフとなっているのが、主人公シェーンと農場主の妻マリアンとの不倫とも言える恋愛感情です。しかし監督のジョージ・スティーブンスは、こうしたリアルな現実を生々しく告発するのではなく、どこまでもジョーイという主人公に憧れる子供の視点を通して描いていきます。ジョーイがシェーンに抱くヒーロー像をけっして壊すことなく大切に保って、時に残酷なまでに厳しい現実を、優しい人間同士の配慮に包み込んで寓話的に仕上げていっているのです。そのためにこの映画は、どこか胸に染みるほのぼのした信頼と優しさ溢れ、その慈愛の視点が、この映画を世界中の人々から愛される理由にしているのです。
さてここまで、名作映画の3つの条件と映画『シェーン』が人々を魅了するポイントについて見てきたのですが、ここからは、この映画の理解のために時代背景について少し紹介した上で、今述べた名作としてのポイントを押えつつ、この作品の見どころを味わっていってみたいと思います。
3.映画『シェーン』の時代背景
(1)不毛の草原地帯としての西部
アメリカ合衆国というのは、17世紀から本格的に始まるピューリタンによる入植活動以来、わずか300年ほどの間に、未開から文明へという人類史を凝縮して辿った、特異な歴史を持つ国です。それ故にまた、人間の求めが生み出す歴史の流れと人間のありよう様の本質が、際立って見て取れる社会でもあるのです。北米アメリカのヨーロッパ人による開拓は、東部の海岸地域から始まりました。現在のアメリカ合衆国の東部地域は、大河ミシシッピ-川の流域に至るまで、湿潤温暖で樹木が生い茂り、その地勢はヨーロッパの風土と似ています。そのために開拓民たちは、ヨーロッパでの自分たちの生活様式や農業手法をそのまま持ち込んで、農業経営を行うことが出来たのです。
しかしミシシッピー川以西からロッキー山脈にまで至るまでの広大な地域は、様相を一変させていました。当初はフランスの植民地で、フランス国王ルイ14世に因んで“仏領ルイジアナ”と呼ばれた地域です。この地域では降水量が少ないために樹木が育たず、広大な草原が広がっていました。この地域を1803年にアメリカ合衆国はフランスから購入し、一挙に国土を倍増させたのです。しかし乾燥した草原地帯はヨーロッパ式の農業には適さず、当時のアメリカの地図には、この地域を指してAmerican Desert(アメリカの砂漠)と記載されていたほどでした。当時この地域に居住したのは、広大な大地を覆う草々を食料とするバッファローの群れと、そのバッフォローを追う先住民族のインディアンたちだけでした。そのインディアンたちも、17世紀にスペイン人の植民者たちが残していった馬を飼いならして繁殖させ、わずか200年ほどの間に馬で移動する術を覚え、水の乏しいこの地域にまで入ってバッフォローを狩猟する生活様式を確立させていったのです。ここにも人類史を凝縮させて展開する、アメリカ史の側面を見て取ることが出来ます。
(2)力の論理が支配する無法地帯
この砂漠とも見做される不毛の地に、最初に足を踏み入れて経済の基盤を作ったヨーロッパ系アメリカ人は、南部テキサス州などで普及した牧畜業に従事する者たちで、南北戦争の終焉した1865年以降のことでした。この時テキサスの大牧場から、牛の大軍を草原の草を食べさせながら移動し、カンサス州等北部にある鉄道の駅まで運んだのが“カウボーイ”たちです。このカウボーイの活躍につれて、グレートプレーンズと呼ばれるようになるこの大草原地帯に、牛を飼う牧畜業者たちが進出していったのです。
ただバッフォローとインディアンたちだけが点在する、文字通り未開の地への進出です。政府の統治など及びようのない無法地帯で、カウボーイや牧畜業者たちは、盗賊や流れ者から家畜と自分の身を守り、またインディアンや他の牧畜業者とのもめ事は、力をもって対処していく他ありませんでした。そのために銃は必須の武器で、また銃の腕前に優れたガンマンたちが活躍の場を得ていたのです。法による統治と治安の維持ではなく、銃による力をもって“正義”と生存が決していく世界。それが文明を知るヨーロッパからの移民たちが、未開に接して最初につくりだした世界だったのです。
(3)牧畜業者と農業移住者の衝突
こうした牧畜経済と無法の社会状態にも、ほどなく変化を起こす兆しが現れてきます。それがこのグレートプレーンズへの、農業開拓者の移住だったのです。19世紀の後半になると、ロシア南部の草原地帯に移り住み、農耕に従事していたドイツ人の子孫たちが、ロシア帝国の迫害を受けてアメリカに移住してきました。その彼らがもたらしたのが、冬小麦や大麦、テンサイなどの乾燥した風土に適した農作物だったのです。そこにトウモロコシの栽培も組み込まれます。また簡単な風車と機械式の井戸堀機が開発され、灌漑用の水も自給できるようなってきました。さらに連邦政府も、入植した農民が5年間耕作に従事すれば無償で土地を払い下げるというホームステッド法を成立させ、西部のフロンティア開拓を後押ししました。こうして自作農を夢見る開拓農民たちが、グレートプレーンズへと流入し、未開の草原を耕地へと変えていったのです。そしてやがてはこのグレートプレーンズを、アメリカの大穀倉地帯へと変貌させていくのです。
しかし農民たちの入植の当初は、グレートプレーンズで自由に家畜を放牧させていた牧畜業者との間で、土地の境界を巡っての争いが頻発しました。その争いは確かに、牧畜と農耕という事業形態の相違、そして土地に対する所有権が直接的な原因ではあったのですが、一方では無法状態と銃による力の支配の世界と、農耕定住による暮らしの安定と社会秩序が支配する世界のせめぎ合いでもあったのです。こうした時代背景のもとで、映画『シェーン』の物語は展開していくのです。
その具体的な物語の展開に沿って、この映画から学び取れるものを見ていきたいと思います。次回のパンセの集いは9月5日月曜日、18時からです。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)
皆 様 へ
1.はじめに
毎日の暮らしを伸びやかで、いかに楽しいものとしていくか。また毎日の暮らしの気づきの中から、必要なものを見出し、その必要をいかに工夫して満たしていくか。そして暮らしをもっと便利で、心育むものとへと変えていけるか。さらには暮らしのニーズと工夫の中から、他の人にも役立つものをなりわいとして生み出し、自分の暮らしと人の暮らしを支えていくことが出来るか。パンセの集いでは、そんな人間の生きる力といのちの力を養う生き方を考え、またそのための仕組みづくりに取り組んでおります。
そんな生き方と暮らし方を学ぶ参考として、前回のパンセの集いでは、本町六丁目ホームシアターでアメリカ映画『シェーン』を鑑賞致しました。今回と次回のパンセ通信では、この『シェーン』の物語から、人間が心の深いところで求める生き方・暮らし方、本来のフロテンティア・スピリットのあり方、そして移り行く時代においてのヒーローの役割などについて考えていってみたいと思います。次回のパンセの集いは、9月5日の月曜日、18時からです。場所は初台、幡ヶ谷の地域で行います。
2.『シェーン』から学ぶ名作映画の条件
(1)世界中の人々から愛される映画
1953年に公開されたアメリカ映画『シェーン』は、あまり映画を観ない人でもその題名だけは聞いたことのある、西部劇の名作中の名作です。2度のアカデミー監督賞に輝く名匠ジョージ・スティーヴンス監督の演出は本当に見事で、もし私たちが、人々の心に残る名作と呼ばれる映画の条件を考えたいのであれば、この映画ほどそのための格好の素材を提供してくれる、よく出来た作品は無いでしょう。
それでは名作映画の条件とはいったい何でしょうか。最初にそのことについてこの映画から見ていき、次いで映画のシーンを追いながら、今もこの映画が世界中の人々から愛され、また特に日本人のメンタリティーにも訴える理由について、考えていってみたいと思います。
(2)名作映画を生み出す3つの条件
まずこの映画から学ぶことの出来る名作映画の条件としては、大きく3つほどのことが考えられると思います。1つは骨格となるストーリーが、シンプルで分かりやすいということです。一人のさすらいのガンマンが、どこからともなく現れ、世話になった家族のために悪漢を退治して、何処へともなく去っていく。日本人の好きな股旅物をも彷彿とさせる、誰もが心躍らせる西部劇に典型的なヒーロー物語です。しかしその分かりやすい基本ストーリーの中に、主人公シェーンと彼が世話になる開拓農民一家の主人ジョー・スターレットとの男の友情、ジョーの美しい妻マリアンとシェーンとの間の微妙な恋愛感情、そしてスターレット一家の一人息子ジョーイのシェーンへのあこがれと成長の物語が織り込まれていて、ホームドラマとしても楽しめる、第一級の娯楽作品に仕上がっています。元来家庭劇を得意とするジョージ・スティーブンス監督の手腕が、遺憾なく発揮されているというところでしょう。
しかし名作が名作である所以は、娯楽映画として楽しめるその背景において、実に細やかで丹念な人物描写と風景描写が施されているという点です。この映画を観た誰もが心を奪われるのは、物語の舞台となるワイオミングの雄大な山々の姿と美しい風景です。その美しい山々に見守られながら、実際には生々しい人間ドラマが展開していくのですが、その愚かな人間の争いと愛憎劇を、大いなる自然の息吹が包み込んで、深い家族愛と細やかな思いやりが身に染みる人情劇へと変えていくように感じられます。その大自然の慈しみと呼応するかのような登場人物たちの心の機微の変化を、間接的に抑えた描写でじっくりと、じつに味わい深く私たちの心に届けてくれるのがこの映画です。こうした丹念な人物描写と、登場人物の心象状況に呼応したきめ細かな情景描写によって、物語に深さと厚みを加えているのが、この作品が教えてくれる名作映画の2つ目の条件でしょう。こうした人物描写と風景描写の素晴らしさによって、映画『シェーン』は1954年にアカデミー撮影賞を受賞しています。
さらに『シェーン』は、娯楽性に富むヒーロー活劇、情感豊かな人情劇の背後で、移り行く時代においての人間の生きざま様、ヒーローの役割についての示唆に富むメッセージを私たちに提供し、歴史と人間存在についての普遍的なテーマについても、気づかぬうちに触れさせてくれるのです。物語の背景となる時代は、1880年代も後半、西部開拓時代が終焉しようとしている時代です。未だ文明の及ばぬ広大な平原をカウボーイが牛を追い、無法者のガンマンたちが力の論理で跋扈していた時代から、土地を開墾して農地に造り変え、法と良心が秩序を生み出そうとする時代への移行です。この移り変わりの中で、古い銃による力の論理に固執する者、新しい農業生産の秩序に生きようとする者がぶつかりあい、その間を揺れ動く者も現れてきます。その大きな歴史の転換の中で、人間はいったい何を支えとして生きていくのか。こうした人間にとっての普遍的なテーマも、この映画で展開される人間ドラマの下敷きになっており、まさにその普遍性こそが、名作映画が成立するための3つ目の条件となっているのです。
(3)悲劇性を包み込む慈愛に満ちた視点
こうした時代の転換期に生じる人間同士の利害の絡まる軋轢の中で、実際に悲劇も起こってきます。ワイオミング州のジョンソン郡において、規模の大きな牧場主たちが殺し屋のガンマンを雇って、入植農民たちを虐殺するという事件が発生するのです。アメリカ西部開拓史における汚点と言われる事件です。映画『シェーン』の物語は、じつはこのジョソン郡での悲劇を背景として描かれているのです。その荒々しい時代の暴力性を伝えるために、映画では激しい格闘シーンや、それまでの西部劇にはなかった大音響での拳銃の射撃音などが登場します。さらにまたもう1つのこのドラマのモチーフとなっているのが、主人公シェーンと農場主の妻マリアンとの不倫とも言える恋愛感情です。しかし監督のジョージ・スティーブンスは、こうしたリアルな現実を生々しく告発するのではなく、どこまでもジョーイという主人公に憧れる子供の視点を通して描いていきます。ジョーイがシェーンに抱くヒーロー像をけっして壊すことなく大切に保って、時に残酷なまでに厳しい現実を、優しい人間同士の配慮に包み込んで寓話的に仕上げていっているのです。そのためにこの映画は、どこか胸に染みるほのぼのした信頼と優しさ溢れ、その慈愛の視点が、この映画を世界中の人々から愛される理由にしているのです。
さてここまで、名作映画の3つの条件と映画『シェーン』が人々を魅了するポイントについて見てきたのですが、ここからは、この映画の理解のために時代背景について少し紹介した上で、今述べた名作としてのポイントを押えつつ、この作品の見どころを味わっていってみたいと思います。
3.映画『シェーン』の時代背景
(1)不毛の草原地帯としての西部
アメリカ合衆国というのは、17世紀から本格的に始まるピューリタンによる入植活動以来、わずか300年ほどの間に、未開から文明へという人類史を凝縮して辿った、特異な歴史を持つ国です。それ故にまた、人間の求めが生み出す歴史の流れと人間のありよう様の本質が、際立って見て取れる社会でもあるのです。北米アメリカのヨーロッパ人による開拓は、東部の海岸地域から始まりました。現在のアメリカ合衆国の東部地域は、大河ミシシッピ-川の流域に至るまで、湿潤温暖で樹木が生い茂り、その地勢はヨーロッパの風土と似ています。そのために開拓民たちは、ヨーロッパでの自分たちの生活様式や農業手法をそのまま持ち込んで、農業経営を行うことが出来たのです。
しかしミシシッピー川以西からロッキー山脈にまで至るまでの広大な地域は、様相を一変させていました。当初はフランスの植民地で、フランス国王ルイ14世に因んで“仏領ルイジアナ”と呼ばれた地域です。この地域では降水量が少ないために樹木が育たず、広大な草原が広がっていました。この地域を1803年にアメリカ合衆国はフランスから購入し、一挙に国土を倍増させたのです。しかし乾燥した草原地帯はヨーロッパ式の農業には適さず、当時のアメリカの地図には、この地域を指してAmerican Desert(アメリカの砂漠)と記載されていたほどでした。当時この地域に居住したのは、広大な大地を覆う草々を食料とするバッファローの群れと、そのバッフォローを追う先住民族のインディアンたちだけでした。そのインディアンたちも、17世紀にスペイン人の植民者たちが残していった馬を飼いならして繁殖させ、わずか200年ほどの間に馬で移動する術を覚え、水の乏しいこの地域にまで入ってバッフォローを狩猟する生活様式を確立させていったのです。ここにも人類史を凝縮させて展開する、アメリカ史の側面を見て取ることが出来ます。
(2)力の論理が支配する無法地帯
この砂漠とも見做される不毛の地に、最初に足を踏み入れて経済の基盤を作ったヨーロッパ系アメリカ人は、南部テキサス州などで普及した牧畜業に従事する者たちで、南北戦争の終焉した1865年以降のことでした。この時テキサスの大牧場から、牛の大軍を草原の草を食べさせながら移動し、カンサス州等北部にある鉄道の駅まで運んだのが“カウボーイ”たちです。このカウボーイの活躍につれて、グレートプレーンズと呼ばれるようになるこの大草原地帯に、牛を飼う牧畜業者たちが進出していったのです。
ただバッフォローとインディアンたちだけが点在する、文字通り未開の地への進出です。政府の統治など及びようのない無法地帯で、カウボーイや牧畜業者たちは、盗賊や流れ者から家畜と自分の身を守り、またインディアンや他の牧畜業者とのもめ事は、力をもって対処していく他ありませんでした。そのために銃は必須の武器で、また銃の腕前に優れたガンマンたちが活躍の場を得ていたのです。法による統治と治安の維持ではなく、銃による力をもって“正義”と生存が決していく世界。それが文明を知るヨーロッパからの移民たちが、未開に接して最初につくりだした世界だったのです。
(3)牧畜業者と農業移住者の衝突
こうした牧畜経済と無法の社会状態にも、ほどなく変化を起こす兆しが現れてきます。それがこのグレートプレーンズへの、農業開拓者の移住だったのです。19世紀の後半になると、ロシア南部の草原地帯に移り住み、農耕に従事していたドイツ人の子孫たちが、ロシア帝国の迫害を受けてアメリカに移住してきました。その彼らがもたらしたのが、冬小麦や大麦、テンサイなどの乾燥した風土に適した農作物だったのです。そこにトウモロコシの栽培も組み込まれます。また簡単な風車と機械式の井戸堀機が開発され、灌漑用の水も自給できるようなってきました。さらに連邦政府も、入植した農民が5年間耕作に従事すれば無償で土地を払い下げるというホームステッド法を成立させ、西部のフロンティア開拓を後押ししました。こうして自作農を夢見る開拓農民たちが、グレートプレーンズへと流入し、未開の草原を耕地へと変えていったのです。そしてやがてはこのグレートプレーンズを、アメリカの大穀倉地帯へと変貌させていくのです。
しかし農民たちの入植の当初は、グレートプレーンズで自由に家畜を放牧させていた牧畜業者との間で、土地の境界を巡っての争いが頻発しました。その争いは確かに、牧畜と農耕という事業形態の相違、そして土地に対する所有権が直接的な原因ではあったのですが、一方では無法状態と銃による力の支配の世界と、農耕定住による暮らしの安定と社会秩序が支配する世界のせめぎ合いでもあったのです。こうした時代背景のもとで、映画『シェーン』の物語は展開していくのです。
その具体的な物語の展開に沿って、この映画から学び取れるものを見ていきたいと思います。次回のパンセの集いは9月5日月曜日、18時からです。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)