ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信No.104『映画「楢山節考」-生死を越えたいのちの継承1/3』

Oct 01 - 2016

■2016.10.1パンセ通信No.104『映画「楢山節考」-生死を越えたいのちの継承1/3』

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今回と次回のパンセ通信では、今村昌平監督の映画『ならやまぶしこう楢山節考』を題材にとって、人間も、そしてあらゆる生き物や自然界をも包み込む“いのち”について、またその“いのちが育む力”について考えていってみたいと思います。次回のパンセ集いは、10月3日月曜日18時から行います。場所は初台・幡ヶ谷の地域です。

1.おばすて姨捨伝説の解釈
(1)おばすて姨捨伝説
おばすて姨捨伝説(き棄ろう老伝説)というのは、日本人なら誰もが耳にしたことのある、悲しく、い居たたま堪れない思いにさせられる昔話です。貧しさ故に口減らしを行わざるを得ず、働けなくなった老人を山奥深くに捨てに行くという物語です。多くの場合、子が自らの親を捨てに行ったと伝えられます。実際に姨捨の物語は、大和物語や更科日記、今昔物語などの古典文献の中にも散見され、山深い信州の北部のどこかの村がその舞台となって紹介されています。そして姨捨山は、現在も長野県千曲市の更級地方に実在する山(正式名称はかんむり冠き着山)として、その名称が残されているのです。

しかしながら実際に文章として残された説話を読む限り、物語はけっして悲惨なものとはなっていません。大抵は年老いた母親を捨てに行った息子が、後悔してこっそり母親を連れ戻し、後々その老婆が年寄の知恵や思いやりを発揮して、難題を解決するといった類の話として残されています。その結果おばすて姨捨をした者たちが、老人の「有り難さ」を改めて知って改心するという、仏教的な功徳を教える教訓たん譚に変質して、読み物として残されてきたのです。私たちの人間的な心情としては、悲惨な現実を逆転させてハッピーエンドをもたらし、さらには敬老心までを起こさせるような筋立てにもっていきたくなるのは、よく理解の出来るところです。

(2)き棄ろう老伝説の作品化
とはいえ人間の道徳心がいかに筋立てを変質させようとも、こうした物語がおばすて姨捨伝説として語り伝えられているということは、現実にそうした事態が生じていたことは、想像にかた難くないところでしょう。実際に古来より子供の間引きは頻繁に行われていましたし、先の大戦では、沖縄戦においても満州での逃避行においても、どうしようもなく追い詰められた状況においては、老人を始め足手まといになる人間は、捨て去られていったのです。そうした人道上許容できない胸かきむしられるような事実に、目をそ逸らすことなく向き合って小説に書き上げたのが深沢七郎でした。1956年に発表されたこの小説は、人間的な次元を超えた生死の根源を神話的にあぶ炙り出し、当時の文壇に衝撃を与えました。そして早くも1958年に、名匠木下惠介監督の手により、1回目の映画化がなされています。この時おりん婆さんを演じたのは田中絹代で、息子の辰平役には、この翌年自動車事故でようせい夭逝した人気俳優高橋貞二が起用されました。作品の持つ根源的な神話性を表現するために、歌舞伎や浄瑠璃、長唄の様式美が駆使され、国内外で高い評価を受けました。

そして1983年に今度は今村昌平監督が、深沢七郎のもう1つの小説『東北の神武たち』を合わせて原作とし、2回目の映画化を行ったのです。今村監督自身の生涯のテーマでもある根源のいのちの力を描き出し、同年のカンヌ映画祭でパルム・ドール(グランプリ)を受賞しました。き棄ろう老の残酷物語を、木下監督は持ち味のヒューマニズムをベースに美とメルヘンで感動物語に演出したのに対し、今村監督は、日本人の深層に息づく土俗性と赤裸々な人間の生(性)への渇望とエネルギ-を滑稽なまでに強烈に描き、ヒューマニズのさらに底流にある生と死の真相を垣間見せたのです。そして文明に飼い慣らされた私たちの思考に風穴を開け、ぼうぜん茫然じしつ自失の衝撃を与えたのです。

2.ならやまぶしこう楢山節考への向き合い方
(1)『楢山節考』を見て受ける衝撃の理由
映画『楢山節考』を見終わった後、誰もが最初に感じるのが、頭にガ~ンと一撃を喰らわされたようなどうにも言葉に表しようのない衝撃でしょう。年老いて働けなくなった親を、子が山に遺棄していのちを奪うのです。さらにこの映画の中では、家族を養うために貴重な食料を盗むことを繰り返す一家が、残りの村人たち総出で生き埋めにされて“根絶やし”にされる場面も出てきます。私たちはこうした物語に向き合わされて、いったいどう判断を下せば良いのか、宙づりになったような感覚に襲われてしまいます。その理由は、人間が社会を形成して維持していくためにきんき禁忌(タブー)として避けてきた殺人と、共同で生きるために培ってきた人道思想(ヒューマニズム)を、この映画ではいとも簡単に無力化してしまうからでしょう。逆にこの映画の世界では、殺人がいのちをつなぐための掟として村人にか嫁せられ、それが人々の生き残るための厳粛な営みとなって、人道思想など軽薄なものとして色あ褪せてしまうからでしょう。私たち現代人が拠り所としてきたものが、あっさりと足場を失ってしまうのです。

私たちはこの戸惑いから逃れるために、食料に飢える昔の貧困な社会では、こうしたことも仕方の無かったことなのであろうと、自分に言い聞かせたりします。あるいは歴史的考証からは、姨捨山伝説は事実としては裏付けられず、実際には古代や中世の社会では、老人の地位には強いものがあって敬われていたという例などを引き合いに出して、何とか心の折り合いをつけようとしたりします。また芸術的な素養のある人であれば、姨捨てに至るまでの親子の心情の葛藤を丹念に描き出し、美的に昇華させることで悲劇を感動物語に転化させ、もやもやした戸惑いからの解答を見出す人もいることでしょう。

(2)いのちの古層
近代以降において人命尊重、理性的な人道中心のヒューマニズを浸透させてきた私たちは、どうしてもこのヒューマニズムの見地から物事を解釈するのでなければ、心の落ち着きを見出すことが出来ません。しかし本来ヒューマニズというものにも、それが拠って立つ根っこというものがあるのであって、その基盤を失ってしまえば、いのちを大切にすると言っても、非常に軽薄なものとなってしまう危険性があります。例えば、ただいのちを長らえさせるだけの延命治療や、近年の福祉政策の名の下での、老人介護施設での高齢者の暮らしのありよう様は、本当に人間の生きる意味と価値を、また死への向き合い方を豊かに育むものとなっているのか疑問です。

原作者の深沢七郎と今村昌平監督は、現代の私たちが人間として守るべき価値規範の根底としながら、そのじつ実すっかり薄っぺらになってしまっているヒューマニズムの表層を引きは剥がし、さらにその深層にあってすべての生き物を支える“いのちうごめ蠢き”といったものを、『楢山節考』によって私たちに提示してくれたのです。実際に私たちは、物語の悲劇性、残酷さに戸惑うと同時に、なぜか滑稽なまでにおおらかな人々の性(生)への欲望に笑い、生と死が1つになって死をもが強力にいのちを生かすものとなっている“いのちの讃歌”を、この物語から感じ取っている自分に、ふと気づくのではないでしょうか。深沢七郎と今村昌平監督は、現代社会の合理主義の中で形骸化してしまったヒューマニズを、もう1度見失っていたいのちの古層と結びなおし、私たちが生死を貫く深いいのちに生き直せる道を、暗示してくれたのかもしれません。

それではそのいのちの古層とは、いったいどういうものなのでしょうか。またこのおばすて姨捨の定めに生きる村のように、一人生まれれば一人死にに行くといった貧困な状況の中では、ただ悲惨があるばかりで、そこには何らのいのちの豊かさも見い出せないものなのでしょうか。資源やいのちの価値の浪費と引き換えに、物質的な豊かさを手にした現代の私たちには、見えなくなっているものがあるのかもしれません。ひょっとするとささやかな収入によって商品を得るために、管理社会の歯車となってストレスにさいな苛まれる私たちの方が、よほど残酷な状況にあるのかもしれません。次回のパンセの集いでは、映画『楢山節考』が暴き出してくれる“いのちの古層”について、さらに深めて考えていってみたいと思います。日時は10月3日月曜日の18時から行います。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)