■2016.10.8パンセ通信No.105『映画「楢山節考」-生死を越えたいのちの継承2/3』
皆 様 へ
1.ヒューマニズを打ち砕くいのちの本源
(1)おばすて姨捨が教えるいのちのダイナミズム
前回のパンセ通信で、今村昌平監督の『ならやまぶしこう楢山節考』を取り上げ、この映画をみ観終わった後に、誰もがまず言葉に出せない衝撃を受けるのではないかということを述べました。その理由は、人をあや殺めてはならないという人命尊重のヒューマニズに基づく、現代の私たちが基盤としてきた価値観を、この物語があっさりと無力化してしまうからです。そして私たちに、ものごとの判断の拠り所を失わせるような深い戸惑いを与えるからです。しかし何故か同時に感じるのは、悲惨さでもグロテスクさでもありません。むしろからっとしたおおらかさと、滑稽なまでに貪欲な人々の生と性を追い求める欲望のエネルギーです。そして死をもが生を育む“いのちの讃歌”を感じ取ってしまうのです。そう、この映画のテーマは何よりも“いのち”なのでしょう。西欧市民社会が培ってきたよう個別的ないのちの大切さではなく、ヒューマニズをさらにその根底で支えるような、そして死をもが生の支えとなるような、“根源的ないのちダイナミズム”を私たちにかいま垣間見せてくれるのです。それではその“根源的ないのちの力”あるいはヒューマニズムを支える“いのち古層”というのはいったいどういったものなのでしょうか。この映画の物語と映像によって、私たちの理性の地平に生じた裂け目から吹き出てくる断片を拾い集めることによって、出来る範囲で考えていってみいと思います。次回のパンセ集いは、10月10日月曜日が祝日なのでこの日はお休みとし、10月17日月曜日の18時から行います。場所は初台・幡ヶ谷の地域です。
(2)人間的ないのちの営みとは
この世に生を受けた以上、あらゆるいのちが大切であることに間違いはありません。だから強制収容所におけるユダヤ人の大量虐殺といった事態に対しては、私たちは本能的な恐れと嫌悪を感じてしまうのです。それでは“いのちを大切にする”というのはいったいどういうことなのでしょう。物質的な生活に余力の生じた先進国においては、個別の身体の代謝機能を保ち、従来以上に生命を維持し続けることが可能となりました。しかし意味と価値を失ってただ生き続けることが、まるで身体という牢獄に閉ざされたかのように、どれほど苦痛に満ちたなものであるかを深く実感しているのも、現代の私たちです。
この現代の私たちの目から見れば、おばすて姨捨の舞台となる寒村の暮らしは、悲惨に満ちたものに映ります。物資が乏しいからです。土地は痩せて狭く、気候も悪く、常に飢えにさいな苛まれ、今いる人の数を養うのがやっとです。それ故に個別の生命が尊ばれず、一人生まれれば一人死ななくてはならない社会のありよう様は、あまりに過酷でむごたらしく感じてしまいます。1つの生態系の中の生物の数が一定しているように、それでは自然界の生き物と同じで、人間的ないのちの営みのようには思えなくなってしまうのです。しかし果たしてそうでしょうか。それは私たちの価値観が、物質的な生活の豊かさと物質的な生命の維持のみを評価することに偏っていて、いのちの豊かさ、いのちの力強さを評価する目を持ち合わせていないためだからかもしれません。
(3)おばすて姨捨の村の掟
この物語の舞台となる村には、貧しさの中で生き残るために、守らねばならない厳然とした3つの掟が存在していました。
1.結婚し、子孫を残せるのは長男だけである。
2.他家から食料を盗むのは重罪である。
3.70歳を迎えた老人は、『なら楢やままいり山参り』に出なければならない
やまあい山間の耕地の乏しい村では、田畑を分けて子供たちに継がせるわけにはいきません。そのために家を継いで耕地を相続できるのは、長男だけと決められていました。必然的に経済力を持つ長男だけが結婚でき、子孫を残せることになります。その他の子供は、女であれば一人を残して売られ、男の場合は間引かれて水っ子となるか、成長して“やつこ奴”となって生涯を長男のために奴隷のごとく働くことになります。
またどの家でもいのちをつな繫ぐことがやっとの状態ですから、食料の盗みを放置することは、盗まれた家の者のいのちに関わることになります。またそこから生じるいさか諍いが、村を崩壊させることにもつながりかねません。そのために盗みを働いた家に対しては、「楢山様にあやま謝る」と称する厳重な処罰が、村人全員の手で下されることになります。食料をすべて取り上げられ、それを残りの村人で分け合うのです。山々に閉ざされた寒村では、その処分は餓死をも意味する厳罰です。この制裁への恐れが、村人たちを盗みという行動から回避させます。しかしそれでも盗みを繰り返す者に対しては、さらに恐ろしい処罰が下されることになります。「ねだ根絶やし」です。その一家の全員を、穴埋めなどにして家系を絶やしてしまうのです。確かに首謀者だけを極刑に処したとしても、残された者にその血筋は流れ、恨みも残ります。そしてまた村人たちへの見せしめとしても、村全体が生き残るためには必要な措置だったのです。
そして3つ目の掟が、おばすて姨捨です。よわい齢70歳に達した老人を、掟として山に捨てに行くのです。当時70歳まで生き長らえた老人の比率を考えると、現在で言えば80歳後半ぐらいでしょうか。そしてこの風習は、この地域の人々に「なら楢やままいり山参り」と呼ばれていました。日本人は古来より、祖先の霊をまつ祀る風習を守ってきました。祖霊は山に宿り、里に暮らす子孫を見守ると考えてきたのです。それ故に山にはまた、祖先の霊がすべて1つに合わさったような“神”の存在が想定されました。従って「なら楢やままいり山参り」とは、十分に生きた古老のいのちが、祖霊のもとに返ってそれと一つとなる儀式と捉えられたのです。祖霊と一つになって生ける者を見守り、励まし導き、新しいいのちをも授けるいのちの力、すなわち“神”の一部になっていくと考えられたのです。
(4)非情な掟といのちのほうじょう豊饒
さてこのように村人たちが代々守ってきた3つの掟は、現在の私たちから見れば非情です。しかし人の数の増えることが困難で、人間もまた大きな自然の生態系の一部としてその秩序を乱さず生きていく世界にあっては、個々のいのちに固着したヒューマニズム以上に、“村”という大きなまとまりで“いのち”をつな繫ぐことの重要性が、いや否がおう応にも浮かび上がってきます。もしこの3つの掟が、暴君とも言えるような為政者の手によって、恣意的に村人に嫁せられたものなら、それはだき唾棄すべきものでしょう。しかしもしその掟が、長い歴史の積み重ねの中から練り上げられてきたものであるなら、それは比類のない“いのちの智慧”に間違いありません。そして引き続きいのちをつな繫ぐために効果を発揮しているものであるならば、いんしゅう因習などと言ってさげす蔑むことなど決して出来るものでは無いのです。
それでは、個々のいのちを越えた“大きないのち”の継承を日々意識して生きた、おばすて姨捨の里の人々の生きざま様はどのようなものであったのでしょうか。全体のために一人の一人の人生はぞんざいに扱われ、自分のいのちがかえり省みられぬこともある悲惨に、人々はただおび脅えて暮らしていたのでしょうか。あるいは飢えの中にあっても、一人一人が思いのほか他個性豊かで、現代の私たちには及びもつかないような、生き生きとしたいのちのほうじょう豊饒さに生きていたのでしょうか。もしそうだとするなら、そのいのちの豊饒さは、どこから由来してくるものなのでしょうか。それを読み解くために、最初にこの映画の理解のためのポイントを整理し、その後具体的に映画のストーリーをたど辿りながら、考えていってみたいと思います。
2.映画「楢山節考」の理解のポイント
(1)「ならやまぶしこう楢山節考」題名の由来
どんな作品であっても題名は、その物語のテーマや理解の鍵が凝縮して表現されているものです。このおばすて姨捨物語を題材に扱う映画のタイトルには、「ならやまぶしこう楢山節考」という一風奇妙な題名がつけられています。楢山節という唄を考えるという意味です。唄というのは、本来人々が生活のおりおり折々で感じた情感をふし節に乗せてぎん吟じたものです。この映画の中でも主人公辰平の長男けさ吉が、折に触れて即興で唄をつくって、ふし節にあわせて口ずさんでいます。そうした唄が長い年月にわた亘って唄い継がれ、練り上げられて民謡が生まれ、この地方では楢山節に結実していったのです。従ってその唄の中には、人々の心情がたいせき堆積し、文化のしんずい真髄が織り込まれています。原作者の深沢七郎は、何よりも唄い継がれた「楢山節」を読み解くことによって、このおばすて姨捨の村の文化といのちの深層に切り込もうとしたのでしょう。
その楢山節とは、次のようなものです。
かやの木 ギンやん ひきずり女 アネさんかぶりで ねずみっ子抱いた
仲屋のおとりさん 運が良い 山へ行く日にゃ 雪が降る
楢山まつりが 三度来りゃる 栗の種から 花が咲く
山が焼けるぞ 枯木ゃ茂る 行かざなるまい しょこしょって
そして物語の最後では
なんぼ寒いとって 綿入れを 山へ行くにゃ 着せられぬ
と唄って終わっていきます。そしてこの唄によ詠み込まれた、人々がつちか培ってきた風習に沿って物語は展開し、次第にその意味が開示されていくのです。従ってこの唄をも手掛かりとして、物語の意味するところを探っていければと思います。
(2)自然界における死と生の繋がり
次にこの映画の構成を考えることも、この物語がかいまみ垣間見せようとするものを理解する手掛かりとなります。映画ならやまぶしこう楢山節考が描くのは、突き詰めて言えば死と生(性)で、それが全編に亘って対比して描かれます。まず死については、おりん婆さんと息子たつ辰へい平の楢山参り(おばすて姨捨)や、また水っ子や食料を盗んだ一家の根絶やしによって鮮烈に描かれます。しかしその一方で、生きる力を象徴するものとして、狂おしいほどの人々の性への求めの場面が、大胆にそしておおらかに次々と登場します。特に虐げられた次男、三男の“やつこ奴”たちの性への希求は、その身分への哀れみを感じる以上に、こっけい滑稽なまでの懸命さと活力を感じさせてくれます。この死の悲惨さと、性に凝縮された生への希求が、この映画を観終わった後に私たちが感じる、不思議な衝撃と明るさがないまぜになった気分の理由でしょう。
そしてもう1つこの映画に特徴的なのは、人間たちの死と生の営みに並行して、山の自然の生き物たちの情景が映し出されていることです。いのちを養うために、蛇が蛙を飲み込み、牝のカマキリが雄を喰らいます。また赤裸々な人間の性の営みに、生き物たちの交尾のシーンがカットで挿入されます。そして村人たちが必死で仕留めた獲物を、ゆうゆうと鷹がさらっていき、姨捨の山のシーンでは、カラスたちが遺棄された老人たちの死肉をついば啄むのです。
こうした映画の構成から浮かび上がってくることは、死と生のつな繋がりです。1つの死の背後で、力強く男女の交わりが営まれ、新しいいのちが誕生していきます。獲物となる生き物のいのちが、別の生き物のいのちを養っていきます。個別の死は、けっしてそれで終わるものではありません。必ず別のいのちに結びついていきます。そしてさらに、人間と自然も別のものではなく、人間も自然の営みの一部でしかないという当たり前の事実を、この物語は鮮やかに思い起こさせてくれます。この映画の舞台となる村の人々は、そうしたことをしっかりとわきま弁えています。だから自分は自分であっても、けっして孤立しているのではなく、この世のあらゆるものとも、そして死者とも結びついて生きていることを実感しているのです。死は滅びであると共に、またいのちの源でもあるのです。それ故に主人公のおりん婆さんのように、自分も死して生者を生かす存在となっていくことをしっかりと意識しているのです。さらには、こうした生死の営みのすべてを包み込んで支える、大きないのち慈しみ(それは祖霊とも神とも言っても良いかもしれません)をも実感しているのです。
この大きないのちの慈しみを確かに実感して生きることこそが、暮らしが貧しくともいのちの豊饒さに生きられることの秘密かもしれません。残念ながらそのことは、現代の私たちにはすっかり忘れ去られてしまっていることなのですが。
3.冬から春 - 楢山参りの予兆
(1)雪に閉ざされた根っこの家
さてこの映画の構成から物語の理解のポイントを整理した上で、具体的なドラマの展開に沿って、特にこの映画のテーマである生と死の意味やいのちの豊かさについて考えていってみたいと思います。
映画は険しい山々に囲まれ、雪に閉ざされた小さな山村の空撮シーンから始まります。わずか20戸ほどの集落でしょうか。撮影は長野県北部の北アルプスのふもと麓、新潟県と隣接する小谷村にある廃村(真木集落)を修復して行われました。カメラは次第に集落に近づき、1軒の家を映し出します。この映画の主人公おりん婆さん(坂本スミ子)とその息子辰平(緒方拳)の住む家です。家の前には大きなけやき欅の切り株があるために、この家は“根っこ”と呼ばれています。村ではすべての家が、このような屋号で呼ばれているのです。さらにカメラは家の中に入り込み、まず床下を捉えます。そこで冬眠していた青大将を、ネズミが襲って食べるシーンが出てきます。天敵さえもが逆に獲物に食われてしまう、貧困と自然の生存競争の非情さが印象付けられる場面です。そして屋根まで降り積もる雪に覆われた家の中では、根っこの一家が冬でも休むことなくわら藁仕事に余念がありません。この時編んだわらじ草鞋とゆきぐつ雪沓を履いて、やがて辰平はおりんを背負って山に向かい、自ら織ったむしろ筵に座して、おりんは死を迎えることになるのです。ここでの会話で、おりんの年齢が69歳であること、つまり冬を越せば楢山参りの年齢になることが分かります。またおりんは歯がいま未だ33本(実際は28本)あって、まだまだ十分に健康で生きる力のあることが明かされます。3とか7という数字は、古来より完成数で儀礼的な意味を持ち、後半の楢山参りの作法の場面でも登場します。そしてもう1つこの場面の会話から分かることは、嫁を取ることの禁じられた農家の次・三男などのやっこ奴たちが、その性欲を持て余して、“あらやしき新屋敷”の家で飼う雌犬を獣姦していることです。そんなことでしか性欲を満たせない哀れさと同時に、人間の性への求めの強烈さと滑稽さを感じさせられます。
(2)春の訪れと水っ子の死体
こんな雪深い山村にも、やがて春の訪れがやってきます。雪の間から新芽が吹き出し、川の氷が解けて魚が泳ぎます。早春の雪原では、村人総出のウサギ狩りを行いますが、苦労して辰平が鉄砲で仕留めた獲物を、まんまとたか鷹がさらっていってしまいます。ここでは人間が自然を支配するのではなく、自然の方が1枚上手です。そして雪囲いを外す場面で、利助が登場します。利助は辰平の弟でやっこ奴です。加えて利助は、口臭が異様に臭いという二重の屈辱を負ってさげす蔑まれる存在で、しいた虐げられた者の代表です。この最もぶべつ侮蔑される存在を、左とん平が好演しています。やっこ奴であるが故に、辰平の長男でやがて家督を相続するけさ吉(年下の甥っ子)に馬鹿にされても、文句一つ言えません。しかしいじけて精神的に堕ち込んだり、憎悪やねた妬みをた溜め込んだりしないのが、この村のやっこ奴たちです。それが村全体が生き残るための定めだと、受け入れているからでしょう。利助は一旦はそんなに自分の息が臭いかと匂いを嗅ぎますが、次の瞬間にはそんなことを気にも留めずに、立木の枝を折って、中に巣くうウジ虫を取り出して口の中に放り込みます。食料の乏しい春先の、貴重な蛋白源なのでしょう。
その利助が、雪解けの自分の家の田んぼに、赤ん坊の死体(水っ子)が捨てられているのを見つけます。同じやっこ奴の常(小林稔侍)が捨てにきたものでした。食料の足りることのなかったかつての日本の生活環境では、生まれてくる赤ん坊の間引きは、珍しいことではありません。しかし雪解けの田んぼの泥の中に半分埋まった水っ子の死体は、即物的なリアルさがあります。今村監督は、最後の姨捨の場面での累積した死体にも言えることですが、美的な映像による感傷を許しません。死は死としてその物資的にく朽ち行く面を容赦なく描き出すのです。そのため抜け殻となった遺体は、玩具の人形のようにも見えます。恐らくそれが本当のリアルというもので、今村昌平がリアリズムの監督と称されるゆえん所以です。物質的な滅びの死はそれとして受け止め、その上で死が生者の心に持つ意味を、しっかりと捉えていこうとするのです。
水っ子をいき遺棄した件で、利助と常が言い争う横で、“あまや雨屋”の家の娘松やんがやってきて、まるで性に飢えたやっこ奴の二人を挑発するかのように、下半身を丸出しにして用を足します。ここでも死と生(性)が1つになって、物語が展開していくのです。
(3)父利平の影
その頃根っこの家のおりんの所へ、塩屋(三木のり平)が訪ねてきます。塩屋は塩の行商人であると共に、村々で生まれた女の子を買い取る人買いでもあります。この貧しい地方では、男か生まれるとやっこ奴となるか水っ子として捨てられるかですが、女の子なら売れるのです。山村にとっていのちをつな繫ぐために欠かせぬ塩と、貴重な現金収入をもたらす人身売買を同じ人間が商うのは、理にかな適ったことだったのでしょう。塩屋はこの村にやってきた時にすでに買い取った二人の女の子を連れ、帰る時には3人に増えていました。実は今回塩屋がおりんの所へ来たのは、辰平に後添い話しを持ってきたからでした。辰平の妻は、去年栗拾いに行って崖から落ち、生まれたばかりユキを残して亡くなっています。そこで向こう村におととい一昨日後家になったばかりの女性がいるので、100日間の喪を経て、辰平の嫁にと話を持って来たのです。人間が種として生き残っていくための本能とでも言うのでしょうか。嫁をめと娶れる一家の当主と頃合いの女性がいれば、好き嫌いのうんぬん云々ではなく、すかさずに所帯を持つようにと村を越えてまとめていく仕組みがあったのです。
ところでこの塩屋が、もう1つ話を持ってきます。来る途中西の山で、辰平を見かけたというのです。田んぼ仕事をする辰平が、西の山に行くはずはありません。おりんは利平を辰平と見間違えたのではないかと疑います。利平はおりんの夫で、30年前に失踪しています。30年の歳月を経て、息子の辰平の姿かたちや性格までが、利平に似てきていました。実はこの利平の影が、この物語の伏線となります。後になって分かるのですが、利平は息子の辰平に殺されていたのです。そしてここから利平によるおりんと辰平への、楢山参りの道行きのための、めいど冥途からの導きが始まるのです。
おりんから西の山へ行ったかどうか問いただされた辰平は、こっそり西の山へ赴き、かつて父親を埋めた木の下を確認します。そして裏山に山菜採りに行った時に、辰平は母親に、父親がいなくなったいきさつを知っているかと問いただ質します。父親を殺したことが気づかれていないか、不安があったのでしょう。そしておりんは、利平が70歳を迎えようとする自分の母親を、山に背負っていく勇気が無かったために逃げ出したのだと答えます。楢山参りを拒否することは、単なる気弱さや、人を殺めることをいと厭う優しさや情け深さの問題ではありません。楢山参りは残酷ですが、その苦難の底にある死して生かすいのちの真理をつか掴み取ることが出来るかどうかという、ある種の通過儀礼でもあるのです。おりんは辰平の中にある、利平に似た弱さを心配しています。辰平自身も、自分の弱さに気づいているのです。
(4)けさ吉と松やん
めいかい冥界から利平の影が動き出した一方で、辰平の長男けさ吉(倉崎青児)が、雑木林の中で雨屋の松やん(高田順子)とたわむ戯れます。そしておおらかに性の営みを始めます。松やんには顔の右半分にグロテスクとも言える大きなあざ痣があるのですが、食うに精一杯の村では、顔だちの容姿は女性の価値として大きな意味を持ってはいなかったのでしょう。けさ吉と松やんが情交をむさぼ貪る一方で、シマヘビやかえる蛙たちが交尾し、セキレイがその様子を見守ります。
4.夏から初秋 - 生かすための死についての悟り
(1)玉やんとならやま楢山まい参りへの思い
それから季節は移り、夏も盛りになった頃でしょうか、楢山祭りの日に、辰平の後添えとなる玉やん(あき竹城)が向こう村から根っこの家にやってきます。大柄で丈夫な体をした働き者の玉やんを見て、おりんはすぐに気に入ります。そこで玉やんに、自分がこの冬お山に行く心づもりであることを打ち明けます。玉やんを見て、安心して後を託せると思ったのでしょう。そして玉やんに惜しげもなく祭りのご馳走を振る舞います。そのあと後おりんは、裏の納屋に入って前歯を石臼に打ちつけます。“お山に行く”思いの強まってきたおりんにとっては、健康な歯は、自分にとっても周囲の者にとっても、生への未練を残すものでしかありません。おりんは自分のいのちの継承の準備を始めたのです。前歯が2本折れて、口から血をしたたらせたおりんは、玉やんが来たことを辰平に告げるために、楢山の村祭りの祭場へと向かいます。折れた前歯から口一杯に血を流すおりんの様子を見て、村人はおにばばあ鬼婆とはや囃し立てます。しかしおりんの流す血は、この時すでにおりんが、楢山の神様に捧げられるいけにえ生贄となっていたことを暗示しているのでしょう。
山へ行く意思を固めたおりんに、悲壮感はありません。“山へ行く”ということの真の意味を自然に悟り、山へ行く思いが次第に募っていったからなのでしょう。それが老いるということの大切な課題です。おりんは辰平のこと、玉やんのこと、利助のこと、けさ吉のこと、そして辰平の亡くなった前妻たけやんのことまでに思いを巡らし、めいめい銘々のために自分のしてやれることを考えます。
ところで、おりんを演じた坂本スミ子の役者魂には、関心させられます。実際の自分の年齢よりも25歳も年上の老婆を演じるために、体重を43Kgにまで落とし、また石臼にぶつけて歯を折るおりんを演じるために、前歯も削ってしまったそうです。坂本スミ子は、これまでも今村作品にはたびたび出演していますが、こうした今村監督の期待に応える役づくりへの執念が、クライマックスの楢山参りの道行きで、辰平役の緒方拳に背負われて演じる、見事な無言の演技に結実していくのです。
(2)性のエネルギーと神聖性
その夜新たに夫婦になった辰平と玉やんは、早速激しく交わり合います。結婚したといっても、特別の儀式も何もないのは、この地域の貧しさの故のことでしょう。しかし二人の相性は良いようで、性のエネルギーがほとばし迸ります。また根っこの家を守る主である大蛇が、身動きして玉やんに挨拶を送ります。
その辰平と玉やんの営みを、利助が覗き見しています。興奮した利助はどうにも自分を抑えることが出来ず、あらやしき新屋敷の家の雌の飼い犬、シロを犯しに出かけます。獣姦によってしか性の欲望を充たせないやっこ奴の哀れみを感じますが、それ以上にあっけらかんとして、飽くことの無い人間の性への欲求のたくま逞しさを感じさせます。利助はそこで、余命幾ばくもないあらやしき新屋敷の父っつぁん(ケーシー高峰)が、女房のおえい(倍賞美津子)に遺言を残しているのを立ち聞きします。新屋敷の先代が、夜這いに来たやっこ奴を殴り殺したために、たた祟られているというのです。そのたた祟りを取り除くために、自分が死んだら村中のやっこ奴を、一晩ずつはなむこ花聟にしてやってくれとおえいに頼むです。そう言って父っつぁんは、おえいの股間に顔を突っ込みながら、やしき屋敷がみ神さま様に拝むのです。
なんともこっけい滑稽でユーモラスなバカ話です。しかしあわ併せてこのエピソードが伝えるのは、たた祟りを解くのに必要なことは、禁じられた者たちの性の飢え渇きを癒すことだと言うのです。このさりげなく挿入されたこっけいばなし滑稽話の中に、原作者は、人間の性への欲望の執着と、それと紙一重となったいのちの源となる性の神聖性を現そうとしていたのかもしれません。
(3)生かすための死の必要
そして季節が秋に移ろおうとする時、けさ吉の子供を宿した松やんが、根っこの家にやってきます。この子が産まれれば、おりん婆さんから見ればねずみっ子(ひまご曾孫)になります。この嫁入りも簡単なもので、明日からどこの家で飯を食うようになるかということで決まります。食料の乏しい環境では、結婚の申込みは、“一緒に人生を歩もう”ということよりも、“明日からおらっちで飯を食うべ”という一言で決まるのです。
しかし松やんは辰平の嫁の玉やんのように良く出来た嫁ではありませんでした。家事仕事が苦手であるばかりでなく、食い意地が張って、一人で鍋を平らげてしまうのです。この松やんの存在は、お山へ行くことを決意したおりんの心配の種となります。恐らく松やんには、根っこの家に嫁に来たという意識が乏しかったのでしょう。自分の家ではないので、ここで食べられるだけ食べてやれという意識が働いていたのかもしれません。さらに子だくさんのために常にひもじい思いをしている実家のあまや雨屋のために、夜中にこっそり根っこの家の食べものを盗んで届けます。しかしとうとうある夜、あまや雨屋の家から戻ってくるところを辰平に取り押えられてしまいます。
以前にも述べたとおり、この村では食料の盗みは重罪です。辰平は松やんを崖から突き落として殺そうとしますが、結局そうは出来ず、「二度とやるでねぇど」と言って許してしまいます。松やんのお腹の中にいる自分の孫のことを思ったからでしょうか。あるいは父親の利平ゆずりの、辰平の弱さと優しさのせいでしょうか。
居間で待っていたおりんが、戻ってきた辰平に「何で助けただ」と問いかけます。どうやら松やんの盗みに気づいたのはおりんで、おりんが辰平に待ち伏せを命じたようです。人をあや殺めることは非情です。しかし一家がいのちをつな繋ぎ、皆のいのちを生かしていくためには、時に非情さは避けられません。何故なら他を生かすための死もあるからです。父親の利平のように、あわれ憐みややさ優しさに逃げ込むことは、時に大きな滅びをもたらすことにつながります。“生かすための死”、この厳然たる事実を、おりんはこれから辰平に教えていかなければならないのです。
5.根絶やし
(1)楢山様へのあやま謝り
ここから、この映画の前半の山場とも言える、ショッキングな場面が展開します。辰平が松やんをしった叱咤してから数日後のこと、闇夜に数人の足音が響き、「楢山様にあやま謝るぞ!」という声が走ります。利助やおりんたちはすぐに棒や得物を手にもって外に飛び出します。雨屋の父っつぁん(横山あきお)が、焼松(樋浦勉)の家へ豆のかますを盗みに入り、捕まったのです。それを知るとおりんは、松やんに「お前はいかんでいい、赤ん坊のユキの面倒を見てろ」と言って家に留めます。
ところで「楢山様に謝るぞ!」というのは、楢山の神様に謝るということです。何度も言うように、他家からの食料の盗みは重罪です。その不手際を神様に謝罪すると共に、し仕きた来りとして盗んだ家のすべての食料が没収され、他の村人に共通に分け与えられるのです。普段は平和で、人のものを奪うことの無い村において、おきて掟やぶ破りに対する制裁の時だけは、そのタブーが破られます。そしてその制裁には、村人全員が参加しなければならないのです。村のリーダー役である照やん(殿山泰司)の指図のもと、雨屋の家の前に集まった村人全員の手で、家探し始まり、盗んだ大量の芋や豆などが見つけ出されます。そして家から引きずり出されて叩きのめされた雨屋の一家を、その芋や豆の山の中に埋め込んでいきます。こうした行動の一部始終は、村の長い暮らしの歴史の中で、次第にその手順が定まっていったものなのでしょう。
その翌朝、雨屋の家族が放心状態で座り込んでいる横を、この家の守り主でもある蛇(青大将)が、縁の下から抜け出して、雨屋を去っていきます。
(2)根絶やしの手際
じつは雨屋の家は、先代も楢山様にあやま謝っています。それは盗みの血がこの家に流れており、放置すれば再び盗みを繰り返し、共同体の存続を危うくさせることを意味します。それ故に村人たちは、雨屋の家を“根絶やし”にすることを決めるのです。
根絶やしが決まった夜、おりんは松やんに食料を持たせて、実家の雨屋に帰らせます。空腹に耐えかねていた雨屋の家族が、松やんの持ってきた芋を喜んで食べ始めた時、村人たちが突然雨戸を破ってなだれ込みました。全員が手拭いでほほ頬っかぶ被りしているので、誰が誰だかよく顔が分かりません。そして松やんを含めて、雨屋の家族全員をわら藁で編んだモッコに一人ずつ押し込んで担ぎ、森へと向かって一目散に駆け出します。その間に一人の男が、鎮魂と封印のために、雨屋の玄関にごへい御幣をくく括り付けたつるはし鶴嘴を打ち込みました。森の中にはあらかじめ大きな穴が掘ってあって、リーダーの照やんの合図で人の入ったモッコを穴の中にに放り込み、またた瞬く間に雨屋の一家を生き埋めにしてしまうのです。そしてまた照やんの合図のもと、“根絶やし”を終えた村人たちは、一斉に去っていくのでした。
わずかな時間で、流れるように一連の作業が手際よく施されていきます。これも歴史の中で試行錯誤が繰り返され、次第に定まってきた手順に沿ったものだったのでしょう。根絶やしにされる者の苦しみと、根絶やしにする側の苦悩がなるべく少なくて済むように、顔を見ずに、血を流す必要がない方法で事が運ばれていきます。また生き埋めにされる者たちの魂が甦って恨みに思ういとま暇が無いように、極力短い時間で、なるべく深く埋めて、さつりく殺戮を済ましてしまうのです。実際にこのシーンは、そのh必死の手早さを描き出すために、100秒のワンカットで撮影されたそうです。
(3)他を生かす死が、自分の生
根絶やしというのは、誰でも今までに聞いたり使ったりしたことのある言葉でしょう。しかしここでは、文字通りの“根絶やし”が行われるのです。改めて“根絶やし”ということの現実をま目のあ当たりにした時、私たちは衝撃を受けます。しかしこれも、村の共同体という大きないのちのまとまりが生き残るために、避けては通れぬ知恵であったのでしょう。盗みを放置すれば、村が生き残れません。またその家のものを一人でも生き残らせれば、かこん禍根が残り、それがいつしか晴らさずにはおれない遺恨となる可能性もあります。“根絶やし”というのは、残酷ではありますが、これもまた共同体が生き残る知恵であったのです。
松やんをだま騙して雨屋に行かせたおりんの非情さを、けさ吉は狂ったように泣き叫んでなじります。また辰平は、家長である自分に相談なくおりんが取った行動に、文句を言います。おりんは一人でけさ吉の恨みを背負ったのです。なぜならその非情さに耐えられる強さと、その強さを支えるいのちの深みを、辰平はまだ理解してはいないからです。妻とそのお腹の中の始めての自分の子供を殺されたけさ吉は、おりんを恨みつつもその苦悩から、やがていのちをつな繫ぐことの意味と非情さを学んでいくことでしょう。一方辰平には、この時始めておりんははっきりと、自分がこの冬お山に行く覚悟であることを語ります。そして山で死んだ松やんにも会えると言います。なるほど松やんとそのお腹の子がいなくなって食いぶち扶持が減ったのですから、おりんがいても、根っこの家ではこの冬を食いつな繫ぐことは出来るかもしれません。しかし死んで先祖に返ることにより、他の者を生かし、他の者を生かすための死が、おりん自身-hの生(生死を越えたいのち)なのだというおりん自身の悟りは、物理的な食糧事情に左右されるようなものではありません。こうしてこの時から、おりんの楢山参りのための最後の準備が始まるのです。
その最後の準備と楢山参りの道行きについては、次回のパンセ通信でお伝え出来ればと思います。なお10月10日のパンセの集いは、冒頭でも申し上げたとおりお休みとし、次回は10月17日の月曜日18時より行います。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)
皆 様 へ
1.ヒューマニズを打ち砕くいのちの本源
(1)おばすて姨捨が教えるいのちのダイナミズム
前回のパンセ通信で、今村昌平監督の『ならやまぶしこう楢山節考』を取り上げ、この映画をみ観終わった後に、誰もがまず言葉に出せない衝撃を受けるのではないかということを述べました。その理由は、人をあや殺めてはならないという人命尊重のヒューマニズに基づく、現代の私たちが基盤としてきた価値観を、この物語があっさりと無力化してしまうからです。そして私たちに、ものごとの判断の拠り所を失わせるような深い戸惑いを与えるからです。しかし何故か同時に感じるのは、悲惨さでもグロテスクさでもありません。むしろからっとしたおおらかさと、滑稽なまでに貪欲な人々の生と性を追い求める欲望のエネルギーです。そして死をもが生を育む“いのちの讃歌”を感じ取ってしまうのです。そう、この映画のテーマは何よりも“いのち”なのでしょう。西欧市民社会が培ってきたよう個別的ないのちの大切さではなく、ヒューマニズをさらにその根底で支えるような、そして死をもが生の支えとなるような、“根源的ないのちダイナミズム”を私たちにかいま垣間見せてくれるのです。それではその“根源的ないのちの力”あるいはヒューマニズムを支える“いのち古層”というのはいったいどういったものなのでしょうか。この映画の物語と映像によって、私たちの理性の地平に生じた裂け目から吹き出てくる断片を拾い集めることによって、出来る範囲で考えていってみいと思います。次回のパンセ集いは、10月10日月曜日が祝日なのでこの日はお休みとし、10月17日月曜日の18時から行います。場所は初台・幡ヶ谷の地域です。
(2)人間的ないのちの営みとは
この世に生を受けた以上、あらゆるいのちが大切であることに間違いはありません。だから強制収容所におけるユダヤ人の大量虐殺といった事態に対しては、私たちは本能的な恐れと嫌悪を感じてしまうのです。それでは“いのちを大切にする”というのはいったいどういうことなのでしょう。物質的な生活に余力の生じた先進国においては、個別の身体の代謝機能を保ち、従来以上に生命を維持し続けることが可能となりました。しかし意味と価値を失ってただ生き続けることが、まるで身体という牢獄に閉ざされたかのように、どれほど苦痛に満ちたなものであるかを深く実感しているのも、現代の私たちです。
この現代の私たちの目から見れば、おばすて姨捨の舞台となる寒村の暮らしは、悲惨に満ちたものに映ります。物資が乏しいからです。土地は痩せて狭く、気候も悪く、常に飢えにさいな苛まれ、今いる人の数を養うのがやっとです。それ故に個別の生命が尊ばれず、一人生まれれば一人死ななくてはならない社会のありよう様は、あまりに過酷でむごたらしく感じてしまいます。1つの生態系の中の生物の数が一定しているように、それでは自然界の生き物と同じで、人間的ないのちの営みのようには思えなくなってしまうのです。しかし果たしてそうでしょうか。それは私たちの価値観が、物質的な生活の豊かさと物質的な生命の維持のみを評価することに偏っていて、いのちの豊かさ、いのちの力強さを評価する目を持ち合わせていないためだからかもしれません。
(3)おばすて姨捨の村の掟
この物語の舞台となる村には、貧しさの中で生き残るために、守らねばならない厳然とした3つの掟が存在していました。
1.結婚し、子孫を残せるのは長男だけである。
2.他家から食料を盗むのは重罪である。
3.70歳を迎えた老人は、『なら楢やままいり山参り』に出なければならない
やまあい山間の耕地の乏しい村では、田畑を分けて子供たちに継がせるわけにはいきません。そのために家を継いで耕地を相続できるのは、長男だけと決められていました。必然的に経済力を持つ長男だけが結婚でき、子孫を残せることになります。その他の子供は、女であれば一人を残して売られ、男の場合は間引かれて水っ子となるか、成長して“やつこ奴”となって生涯を長男のために奴隷のごとく働くことになります。
またどの家でもいのちをつな繫ぐことがやっとの状態ですから、食料の盗みを放置することは、盗まれた家の者のいのちに関わることになります。またそこから生じるいさか諍いが、村を崩壊させることにもつながりかねません。そのために盗みを働いた家に対しては、「楢山様にあやま謝る」と称する厳重な処罰が、村人全員の手で下されることになります。食料をすべて取り上げられ、それを残りの村人で分け合うのです。山々に閉ざされた寒村では、その処分は餓死をも意味する厳罰です。この制裁への恐れが、村人たちを盗みという行動から回避させます。しかしそれでも盗みを繰り返す者に対しては、さらに恐ろしい処罰が下されることになります。「ねだ根絶やし」です。その一家の全員を、穴埋めなどにして家系を絶やしてしまうのです。確かに首謀者だけを極刑に処したとしても、残された者にその血筋は流れ、恨みも残ります。そしてまた村人たちへの見せしめとしても、村全体が生き残るためには必要な措置だったのです。
そして3つ目の掟が、おばすて姨捨です。よわい齢70歳に達した老人を、掟として山に捨てに行くのです。当時70歳まで生き長らえた老人の比率を考えると、現在で言えば80歳後半ぐらいでしょうか。そしてこの風習は、この地域の人々に「なら楢やままいり山参り」と呼ばれていました。日本人は古来より、祖先の霊をまつ祀る風習を守ってきました。祖霊は山に宿り、里に暮らす子孫を見守ると考えてきたのです。それ故に山にはまた、祖先の霊がすべて1つに合わさったような“神”の存在が想定されました。従って「なら楢やままいり山参り」とは、十分に生きた古老のいのちが、祖霊のもとに返ってそれと一つとなる儀式と捉えられたのです。祖霊と一つになって生ける者を見守り、励まし導き、新しいいのちをも授けるいのちの力、すなわち“神”の一部になっていくと考えられたのです。
(4)非情な掟といのちのほうじょう豊饒
さてこのように村人たちが代々守ってきた3つの掟は、現在の私たちから見れば非情です。しかし人の数の増えることが困難で、人間もまた大きな自然の生態系の一部としてその秩序を乱さず生きていく世界にあっては、個々のいのちに固着したヒューマニズム以上に、“村”という大きなまとまりで“いのち”をつな繫ぐことの重要性が、いや否がおう応にも浮かび上がってきます。もしこの3つの掟が、暴君とも言えるような為政者の手によって、恣意的に村人に嫁せられたものなら、それはだき唾棄すべきものでしょう。しかしもしその掟が、長い歴史の積み重ねの中から練り上げられてきたものであるなら、それは比類のない“いのちの智慧”に間違いありません。そして引き続きいのちをつな繫ぐために効果を発揮しているものであるならば、いんしゅう因習などと言ってさげす蔑むことなど決して出来るものでは無いのです。
それでは、個々のいのちを越えた“大きないのち”の継承を日々意識して生きた、おばすて姨捨の里の人々の生きざま様はどのようなものであったのでしょうか。全体のために一人の一人の人生はぞんざいに扱われ、自分のいのちがかえり省みられぬこともある悲惨に、人々はただおび脅えて暮らしていたのでしょうか。あるいは飢えの中にあっても、一人一人が思いのほか他個性豊かで、現代の私たちには及びもつかないような、生き生きとしたいのちのほうじょう豊饒さに生きていたのでしょうか。もしそうだとするなら、そのいのちの豊饒さは、どこから由来してくるものなのでしょうか。それを読み解くために、最初にこの映画の理解のためのポイントを整理し、その後具体的に映画のストーリーをたど辿りながら、考えていってみたいと思います。
2.映画「楢山節考」の理解のポイント
(1)「ならやまぶしこう楢山節考」題名の由来
どんな作品であっても題名は、その物語のテーマや理解の鍵が凝縮して表現されているものです。このおばすて姨捨物語を題材に扱う映画のタイトルには、「ならやまぶしこう楢山節考」という一風奇妙な題名がつけられています。楢山節という唄を考えるという意味です。唄というのは、本来人々が生活のおりおり折々で感じた情感をふし節に乗せてぎん吟じたものです。この映画の中でも主人公辰平の長男けさ吉が、折に触れて即興で唄をつくって、ふし節にあわせて口ずさんでいます。そうした唄が長い年月にわた亘って唄い継がれ、練り上げられて民謡が生まれ、この地方では楢山節に結実していったのです。従ってその唄の中には、人々の心情がたいせき堆積し、文化のしんずい真髄が織り込まれています。原作者の深沢七郎は、何よりも唄い継がれた「楢山節」を読み解くことによって、このおばすて姨捨の村の文化といのちの深層に切り込もうとしたのでしょう。
その楢山節とは、次のようなものです。
かやの木 ギンやん ひきずり女 アネさんかぶりで ねずみっ子抱いた
仲屋のおとりさん 運が良い 山へ行く日にゃ 雪が降る
楢山まつりが 三度来りゃる 栗の種から 花が咲く
山が焼けるぞ 枯木ゃ茂る 行かざなるまい しょこしょって
そして物語の最後では
なんぼ寒いとって 綿入れを 山へ行くにゃ 着せられぬ
と唄って終わっていきます。そしてこの唄によ詠み込まれた、人々がつちか培ってきた風習に沿って物語は展開し、次第にその意味が開示されていくのです。従ってこの唄をも手掛かりとして、物語の意味するところを探っていければと思います。
(2)自然界における死と生の繋がり
次にこの映画の構成を考えることも、この物語がかいまみ垣間見せようとするものを理解する手掛かりとなります。映画ならやまぶしこう楢山節考が描くのは、突き詰めて言えば死と生(性)で、それが全編に亘って対比して描かれます。まず死については、おりん婆さんと息子たつ辰へい平の楢山参り(おばすて姨捨)や、また水っ子や食料を盗んだ一家の根絶やしによって鮮烈に描かれます。しかしその一方で、生きる力を象徴するものとして、狂おしいほどの人々の性への求めの場面が、大胆にそしておおらかに次々と登場します。特に虐げられた次男、三男の“やつこ奴”たちの性への希求は、その身分への哀れみを感じる以上に、こっけい滑稽なまでの懸命さと活力を感じさせてくれます。この死の悲惨さと、性に凝縮された生への希求が、この映画を観終わった後に私たちが感じる、不思議な衝撃と明るさがないまぜになった気分の理由でしょう。
そしてもう1つこの映画に特徴的なのは、人間たちの死と生の営みに並行して、山の自然の生き物たちの情景が映し出されていることです。いのちを養うために、蛇が蛙を飲み込み、牝のカマキリが雄を喰らいます。また赤裸々な人間の性の営みに、生き物たちの交尾のシーンがカットで挿入されます。そして村人たちが必死で仕留めた獲物を、ゆうゆうと鷹がさらっていき、姨捨の山のシーンでは、カラスたちが遺棄された老人たちの死肉をついば啄むのです。
こうした映画の構成から浮かび上がってくることは、死と生のつな繋がりです。1つの死の背後で、力強く男女の交わりが営まれ、新しいいのちが誕生していきます。獲物となる生き物のいのちが、別の生き物のいのちを養っていきます。個別の死は、けっしてそれで終わるものではありません。必ず別のいのちに結びついていきます。そしてさらに、人間と自然も別のものではなく、人間も自然の営みの一部でしかないという当たり前の事実を、この物語は鮮やかに思い起こさせてくれます。この映画の舞台となる村の人々は、そうしたことをしっかりとわきま弁えています。だから自分は自分であっても、けっして孤立しているのではなく、この世のあらゆるものとも、そして死者とも結びついて生きていることを実感しているのです。死は滅びであると共に、またいのちの源でもあるのです。それ故に主人公のおりん婆さんのように、自分も死して生者を生かす存在となっていくことをしっかりと意識しているのです。さらには、こうした生死の営みのすべてを包み込んで支える、大きないのち慈しみ(それは祖霊とも神とも言っても良いかもしれません)をも実感しているのです。
この大きないのちの慈しみを確かに実感して生きることこそが、暮らしが貧しくともいのちの豊饒さに生きられることの秘密かもしれません。残念ながらそのことは、現代の私たちにはすっかり忘れ去られてしまっていることなのですが。
3.冬から春 - 楢山参りの予兆
(1)雪に閉ざされた根っこの家
さてこの映画の構成から物語の理解のポイントを整理した上で、具体的なドラマの展開に沿って、特にこの映画のテーマである生と死の意味やいのちの豊かさについて考えていってみたいと思います。
映画は険しい山々に囲まれ、雪に閉ざされた小さな山村の空撮シーンから始まります。わずか20戸ほどの集落でしょうか。撮影は長野県北部の北アルプスのふもと麓、新潟県と隣接する小谷村にある廃村(真木集落)を修復して行われました。カメラは次第に集落に近づき、1軒の家を映し出します。この映画の主人公おりん婆さん(坂本スミ子)とその息子辰平(緒方拳)の住む家です。家の前には大きなけやき欅の切り株があるために、この家は“根っこ”と呼ばれています。村ではすべての家が、このような屋号で呼ばれているのです。さらにカメラは家の中に入り込み、まず床下を捉えます。そこで冬眠していた青大将を、ネズミが襲って食べるシーンが出てきます。天敵さえもが逆に獲物に食われてしまう、貧困と自然の生存競争の非情さが印象付けられる場面です。そして屋根まで降り積もる雪に覆われた家の中では、根っこの一家が冬でも休むことなくわら藁仕事に余念がありません。この時編んだわらじ草鞋とゆきぐつ雪沓を履いて、やがて辰平はおりんを背負って山に向かい、自ら織ったむしろ筵に座して、おりんは死を迎えることになるのです。ここでの会話で、おりんの年齢が69歳であること、つまり冬を越せば楢山参りの年齢になることが分かります。またおりんは歯がいま未だ33本(実際は28本)あって、まだまだ十分に健康で生きる力のあることが明かされます。3とか7という数字は、古来より完成数で儀礼的な意味を持ち、後半の楢山参りの作法の場面でも登場します。そしてもう1つこの場面の会話から分かることは、嫁を取ることの禁じられた農家の次・三男などのやっこ奴たちが、その性欲を持て余して、“あらやしき新屋敷”の家で飼う雌犬を獣姦していることです。そんなことでしか性欲を満たせない哀れさと同時に、人間の性への求めの強烈さと滑稽さを感じさせられます。
(2)春の訪れと水っ子の死体
こんな雪深い山村にも、やがて春の訪れがやってきます。雪の間から新芽が吹き出し、川の氷が解けて魚が泳ぎます。早春の雪原では、村人総出のウサギ狩りを行いますが、苦労して辰平が鉄砲で仕留めた獲物を、まんまとたか鷹がさらっていってしまいます。ここでは人間が自然を支配するのではなく、自然の方が1枚上手です。そして雪囲いを外す場面で、利助が登場します。利助は辰平の弟でやっこ奴です。加えて利助は、口臭が異様に臭いという二重の屈辱を負ってさげす蔑まれる存在で、しいた虐げられた者の代表です。この最もぶべつ侮蔑される存在を、左とん平が好演しています。やっこ奴であるが故に、辰平の長男でやがて家督を相続するけさ吉(年下の甥っ子)に馬鹿にされても、文句一つ言えません。しかしいじけて精神的に堕ち込んだり、憎悪やねた妬みをた溜め込んだりしないのが、この村のやっこ奴たちです。それが村全体が生き残るための定めだと、受け入れているからでしょう。利助は一旦はそんなに自分の息が臭いかと匂いを嗅ぎますが、次の瞬間にはそんなことを気にも留めずに、立木の枝を折って、中に巣くうウジ虫を取り出して口の中に放り込みます。食料の乏しい春先の、貴重な蛋白源なのでしょう。
その利助が、雪解けの自分の家の田んぼに、赤ん坊の死体(水っ子)が捨てられているのを見つけます。同じやっこ奴の常(小林稔侍)が捨てにきたものでした。食料の足りることのなかったかつての日本の生活環境では、生まれてくる赤ん坊の間引きは、珍しいことではありません。しかし雪解けの田んぼの泥の中に半分埋まった水っ子の死体は、即物的なリアルさがあります。今村監督は、最後の姨捨の場面での累積した死体にも言えることですが、美的な映像による感傷を許しません。死は死としてその物資的にく朽ち行く面を容赦なく描き出すのです。そのため抜け殻となった遺体は、玩具の人形のようにも見えます。恐らくそれが本当のリアルというもので、今村昌平がリアリズムの監督と称されるゆえん所以です。物質的な滅びの死はそれとして受け止め、その上で死が生者の心に持つ意味を、しっかりと捉えていこうとするのです。
水っ子をいき遺棄した件で、利助と常が言い争う横で、“あまや雨屋”の家の娘松やんがやってきて、まるで性に飢えたやっこ奴の二人を挑発するかのように、下半身を丸出しにして用を足します。ここでも死と生(性)が1つになって、物語が展開していくのです。
(3)父利平の影
その頃根っこの家のおりんの所へ、塩屋(三木のり平)が訪ねてきます。塩屋は塩の行商人であると共に、村々で生まれた女の子を買い取る人買いでもあります。この貧しい地方では、男か生まれるとやっこ奴となるか水っ子として捨てられるかですが、女の子なら売れるのです。山村にとっていのちをつな繫ぐために欠かせぬ塩と、貴重な現金収入をもたらす人身売買を同じ人間が商うのは、理にかな適ったことだったのでしょう。塩屋はこの村にやってきた時にすでに買い取った二人の女の子を連れ、帰る時には3人に増えていました。実は今回塩屋がおりんの所へ来たのは、辰平に後添い話しを持ってきたからでした。辰平の妻は、去年栗拾いに行って崖から落ち、生まれたばかりユキを残して亡くなっています。そこで向こう村におととい一昨日後家になったばかりの女性がいるので、100日間の喪を経て、辰平の嫁にと話を持って来たのです。人間が種として生き残っていくための本能とでも言うのでしょうか。嫁をめと娶れる一家の当主と頃合いの女性がいれば、好き嫌いのうんぬん云々ではなく、すかさずに所帯を持つようにと村を越えてまとめていく仕組みがあったのです。
ところでこの塩屋が、もう1つ話を持ってきます。来る途中西の山で、辰平を見かけたというのです。田んぼ仕事をする辰平が、西の山に行くはずはありません。おりんは利平を辰平と見間違えたのではないかと疑います。利平はおりんの夫で、30年前に失踪しています。30年の歳月を経て、息子の辰平の姿かたちや性格までが、利平に似てきていました。実はこの利平の影が、この物語の伏線となります。後になって分かるのですが、利平は息子の辰平に殺されていたのです。そしてここから利平によるおりんと辰平への、楢山参りの道行きのための、めいど冥途からの導きが始まるのです。
おりんから西の山へ行ったかどうか問いただされた辰平は、こっそり西の山へ赴き、かつて父親を埋めた木の下を確認します。そして裏山に山菜採りに行った時に、辰平は母親に、父親がいなくなったいきさつを知っているかと問いただ質します。父親を殺したことが気づかれていないか、不安があったのでしょう。そしておりんは、利平が70歳を迎えようとする自分の母親を、山に背負っていく勇気が無かったために逃げ出したのだと答えます。楢山参りを拒否することは、単なる気弱さや、人を殺めることをいと厭う優しさや情け深さの問題ではありません。楢山参りは残酷ですが、その苦難の底にある死して生かすいのちの真理をつか掴み取ることが出来るかどうかという、ある種の通過儀礼でもあるのです。おりんは辰平の中にある、利平に似た弱さを心配しています。辰平自身も、自分の弱さに気づいているのです。
(4)けさ吉と松やん
めいかい冥界から利平の影が動き出した一方で、辰平の長男けさ吉(倉崎青児)が、雑木林の中で雨屋の松やん(高田順子)とたわむ戯れます。そしておおらかに性の営みを始めます。松やんには顔の右半分にグロテスクとも言える大きなあざ痣があるのですが、食うに精一杯の村では、顔だちの容姿は女性の価値として大きな意味を持ってはいなかったのでしょう。けさ吉と松やんが情交をむさぼ貪る一方で、シマヘビやかえる蛙たちが交尾し、セキレイがその様子を見守ります。
4.夏から初秋 - 生かすための死についての悟り
(1)玉やんとならやま楢山まい参りへの思い
それから季節は移り、夏も盛りになった頃でしょうか、楢山祭りの日に、辰平の後添えとなる玉やん(あき竹城)が向こう村から根っこの家にやってきます。大柄で丈夫な体をした働き者の玉やんを見て、おりんはすぐに気に入ります。そこで玉やんに、自分がこの冬お山に行く心づもりであることを打ち明けます。玉やんを見て、安心して後を託せると思ったのでしょう。そして玉やんに惜しげもなく祭りのご馳走を振る舞います。そのあと後おりんは、裏の納屋に入って前歯を石臼に打ちつけます。“お山に行く”思いの強まってきたおりんにとっては、健康な歯は、自分にとっても周囲の者にとっても、生への未練を残すものでしかありません。おりんは自分のいのちの継承の準備を始めたのです。前歯が2本折れて、口から血をしたたらせたおりんは、玉やんが来たことを辰平に告げるために、楢山の村祭りの祭場へと向かいます。折れた前歯から口一杯に血を流すおりんの様子を見て、村人はおにばばあ鬼婆とはや囃し立てます。しかしおりんの流す血は、この時すでにおりんが、楢山の神様に捧げられるいけにえ生贄となっていたことを暗示しているのでしょう。
山へ行く意思を固めたおりんに、悲壮感はありません。“山へ行く”ということの真の意味を自然に悟り、山へ行く思いが次第に募っていったからなのでしょう。それが老いるということの大切な課題です。おりんは辰平のこと、玉やんのこと、利助のこと、けさ吉のこと、そして辰平の亡くなった前妻たけやんのことまでに思いを巡らし、めいめい銘々のために自分のしてやれることを考えます。
ところで、おりんを演じた坂本スミ子の役者魂には、関心させられます。実際の自分の年齢よりも25歳も年上の老婆を演じるために、体重を43Kgにまで落とし、また石臼にぶつけて歯を折るおりんを演じるために、前歯も削ってしまったそうです。坂本スミ子は、これまでも今村作品にはたびたび出演していますが、こうした今村監督の期待に応える役づくりへの執念が、クライマックスの楢山参りの道行きで、辰平役の緒方拳に背負われて演じる、見事な無言の演技に結実していくのです。
(2)性のエネルギーと神聖性
その夜新たに夫婦になった辰平と玉やんは、早速激しく交わり合います。結婚したといっても、特別の儀式も何もないのは、この地域の貧しさの故のことでしょう。しかし二人の相性は良いようで、性のエネルギーがほとばし迸ります。また根っこの家を守る主である大蛇が、身動きして玉やんに挨拶を送ります。
その辰平と玉やんの営みを、利助が覗き見しています。興奮した利助はどうにも自分を抑えることが出来ず、あらやしき新屋敷の家の雌の飼い犬、シロを犯しに出かけます。獣姦によってしか性の欲望を充たせないやっこ奴の哀れみを感じますが、それ以上にあっけらかんとして、飽くことの無い人間の性への欲求のたくま逞しさを感じさせます。利助はそこで、余命幾ばくもないあらやしき新屋敷の父っつぁん(ケーシー高峰)が、女房のおえい(倍賞美津子)に遺言を残しているのを立ち聞きします。新屋敷の先代が、夜這いに来たやっこ奴を殴り殺したために、たた祟られているというのです。そのたた祟りを取り除くために、自分が死んだら村中のやっこ奴を、一晩ずつはなむこ花聟にしてやってくれとおえいに頼むです。そう言って父っつぁんは、おえいの股間に顔を突っ込みながら、やしき屋敷がみ神さま様に拝むのです。
なんともこっけい滑稽でユーモラスなバカ話です。しかしあわ併せてこのエピソードが伝えるのは、たた祟りを解くのに必要なことは、禁じられた者たちの性の飢え渇きを癒すことだと言うのです。このさりげなく挿入されたこっけいばなし滑稽話の中に、原作者は、人間の性への欲望の執着と、それと紙一重となったいのちの源となる性の神聖性を現そうとしていたのかもしれません。
(3)生かすための死の必要
そして季節が秋に移ろおうとする時、けさ吉の子供を宿した松やんが、根っこの家にやってきます。この子が産まれれば、おりん婆さんから見ればねずみっ子(ひまご曾孫)になります。この嫁入りも簡単なもので、明日からどこの家で飯を食うようになるかということで決まります。食料の乏しい環境では、結婚の申込みは、“一緒に人生を歩もう”ということよりも、“明日からおらっちで飯を食うべ”という一言で決まるのです。
しかし松やんは辰平の嫁の玉やんのように良く出来た嫁ではありませんでした。家事仕事が苦手であるばかりでなく、食い意地が張って、一人で鍋を平らげてしまうのです。この松やんの存在は、お山へ行くことを決意したおりんの心配の種となります。恐らく松やんには、根っこの家に嫁に来たという意識が乏しかったのでしょう。自分の家ではないので、ここで食べられるだけ食べてやれという意識が働いていたのかもしれません。さらに子だくさんのために常にひもじい思いをしている実家のあまや雨屋のために、夜中にこっそり根っこの家の食べものを盗んで届けます。しかしとうとうある夜、あまや雨屋の家から戻ってくるところを辰平に取り押えられてしまいます。
以前にも述べたとおり、この村では食料の盗みは重罪です。辰平は松やんを崖から突き落として殺そうとしますが、結局そうは出来ず、「二度とやるでねぇど」と言って許してしまいます。松やんのお腹の中にいる自分の孫のことを思ったからでしょうか。あるいは父親の利平ゆずりの、辰平の弱さと優しさのせいでしょうか。
居間で待っていたおりんが、戻ってきた辰平に「何で助けただ」と問いかけます。どうやら松やんの盗みに気づいたのはおりんで、おりんが辰平に待ち伏せを命じたようです。人をあや殺めることは非情です。しかし一家がいのちをつな繋ぎ、皆のいのちを生かしていくためには、時に非情さは避けられません。何故なら他を生かすための死もあるからです。父親の利平のように、あわれ憐みややさ優しさに逃げ込むことは、時に大きな滅びをもたらすことにつながります。“生かすための死”、この厳然たる事実を、おりんはこれから辰平に教えていかなければならないのです。
5.根絶やし
(1)楢山様へのあやま謝り
ここから、この映画の前半の山場とも言える、ショッキングな場面が展開します。辰平が松やんをしった叱咤してから数日後のこと、闇夜に数人の足音が響き、「楢山様にあやま謝るぞ!」という声が走ります。利助やおりんたちはすぐに棒や得物を手にもって外に飛び出します。雨屋の父っつぁん(横山あきお)が、焼松(樋浦勉)の家へ豆のかますを盗みに入り、捕まったのです。それを知るとおりんは、松やんに「お前はいかんでいい、赤ん坊のユキの面倒を見てろ」と言って家に留めます。
ところで「楢山様に謝るぞ!」というのは、楢山の神様に謝るということです。何度も言うように、他家からの食料の盗みは重罪です。その不手際を神様に謝罪すると共に、し仕きた来りとして盗んだ家のすべての食料が没収され、他の村人に共通に分け与えられるのです。普段は平和で、人のものを奪うことの無い村において、おきて掟やぶ破りに対する制裁の時だけは、そのタブーが破られます。そしてその制裁には、村人全員が参加しなければならないのです。村のリーダー役である照やん(殿山泰司)の指図のもと、雨屋の家の前に集まった村人全員の手で、家探し始まり、盗んだ大量の芋や豆などが見つけ出されます。そして家から引きずり出されて叩きのめされた雨屋の一家を、その芋や豆の山の中に埋め込んでいきます。こうした行動の一部始終は、村の長い暮らしの歴史の中で、次第にその手順が定まっていったものなのでしょう。
その翌朝、雨屋の家族が放心状態で座り込んでいる横を、この家の守り主でもある蛇(青大将)が、縁の下から抜け出して、雨屋を去っていきます。
(2)根絶やしの手際
じつは雨屋の家は、先代も楢山様にあやま謝っています。それは盗みの血がこの家に流れており、放置すれば再び盗みを繰り返し、共同体の存続を危うくさせることを意味します。それ故に村人たちは、雨屋の家を“根絶やし”にすることを決めるのです。
根絶やしが決まった夜、おりんは松やんに食料を持たせて、実家の雨屋に帰らせます。空腹に耐えかねていた雨屋の家族が、松やんの持ってきた芋を喜んで食べ始めた時、村人たちが突然雨戸を破ってなだれ込みました。全員が手拭いでほほ頬っかぶ被りしているので、誰が誰だかよく顔が分かりません。そして松やんを含めて、雨屋の家族全員をわら藁で編んだモッコに一人ずつ押し込んで担ぎ、森へと向かって一目散に駆け出します。その間に一人の男が、鎮魂と封印のために、雨屋の玄関にごへい御幣をくく括り付けたつるはし鶴嘴を打ち込みました。森の中にはあらかじめ大きな穴が掘ってあって、リーダーの照やんの合図で人の入ったモッコを穴の中にに放り込み、またた瞬く間に雨屋の一家を生き埋めにしてしまうのです。そしてまた照やんの合図のもと、“根絶やし”を終えた村人たちは、一斉に去っていくのでした。
わずかな時間で、流れるように一連の作業が手際よく施されていきます。これも歴史の中で試行錯誤が繰り返され、次第に定まってきた手順に沿ったものだったのでしょう。根絶やしにされる者の苦しみと、根絶やしにする側の苦悩がなるべく少なくて済むように、顔を見ずに、血を流す必要がない方法で事が運ばれていきます。また生き埋めにされる者たちの魂が甦って恨みに思ういとま暇が無いように、極力短い時間で、なるべく深く埋めて、さつりく殺戮を済ましてしまうのです。実際にこのシーンは、そのh必死の手早さを描き出すために、100秒のワンカットで撮影されたそうです。
(3)他を生かす死が、自分の生
根絶やしというのは、誰でも今までに聞いたり使ったりしたことのある言葉でしょう。しかしここでは、文字通りの“根絶やし”が行われるのです。改めて“根絶やし”ということの現実をま目のあ当たりにした時、私たちは衝撃を受けます。しかしこれも、村の共同体という大きないのちのまとまりが生き残るために、避けては通れぬ知恵であったのでしょう。盗みを放置すれば、村が生き残れません。またその家のものを一人でも生き残らせれば、かこん禍根が残り、それがいつしか晴らさずにはおれない遺恨となる可能性もあります。“根絶やし”というのは、残酷ではありますが、これもまた共同体が生き残る知恵であったのです。
松やんをだま騙して雨屋に行かせたおりんの非情さを、けさ吉は狂ったように泣き叫んでなじります。また辰平は、家長である自分に相談なくおりんが取った行動に、文句を言います。おりんは一人でけさ吉の恨みを背負ったのです。なぜならその非情さに耐えられる強さと、その強さを支えるいのちの深みを、辰平はまだ理解してはいないからです。妻とそのお腹の中の始めての自分の子供を殺されたけさ吉は、おりんを恨みつつもその苦悩から、やがていのちをつな繫ぐことの意味と非情さを学んでいくことでしょう。一方辰平には、この時始めておりんははっきりと、自分がこの冬お山に行く覚悟であることを語ります。そして山で死んだ松やんにも会えると言います。なるほど松やんとそのお腹の子がいなくなって食いぶち扶持が減ったのですから、おりんがいても、根っこの家ではこの冬を食いつな繫ぐことは出来るかもしれません。しかし死んで先祖に返ることにより、他の者を生かし、他の者を生かすための死が、おりん自身-hの生(生死を越えたいのち)なのだというおりん自身の悟りは、物理的な食糧事情に左右されるようなものではありません。こうしてこの時から、おりんの楢山参りのための最後の準備が始まるのです。
その最後の準備と楢山参りの道行きについては、次回のパンセ通信でお伝え出来ればと思います。なお10月10日のパンセの集いは、冒頭でも申し上げたとおりお休みとし、次回は10月17日の月曜日18時より行います。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)