■2016.10.15パンセ通信No.106『映画「楢山節考」-生死を越えたいのちの継承3/3』
皆 様 へ
1.はじめに 死はいのちの鉱脈-生死を越えたいのちの継承
今回のパンセ通信も今村昌平監督の映画『楢山節考』を取り上げ、いよいよその最後の場面である楢山参り(おばすて姨捨)の道行きを辿ってみます。利己心と物理的な科学の法則しか拠り所を無くした現代の私たちにとっては、いのちは個体としての私を越えるものではなく、老いはその個体である身体の機能が低下するのですから、衰えでしかありません。そして死は、その身体の機能が停止するのですから、滅びでありまた無でしかないと私たちが考えるのも当然なことでしょう。しかしおばすて姨捨の世界に住んだ人たちは、果たして私たちと同じようないのちと死の観念に生きていたのでしょうか。もし違った部分があったとしたなら、老いと死の迎え方も、現代の私たちとはあいい相容れないものがあったのかもしれません。映画『楢山節考』の後半のクライマックス、姨捨の道行きの場面からは、そんなことも考えながら、現代の私たちの老いと死に対する観念、およびいのちと死の捉え方を見直し、私たちの生き方・暮らし方をかえり省みる契機を得ていければと思います。次回のパンセの集いは10月17日月曜日の18時からです。場所は初台・幡ヶ谷の地域で行います。
2.お山参りの前夜
(1)利助のいのちを配慮して
雨屋による食べ物の盗みが発覚した日に、新屋敷の父っつぁんが無くなりました。女房のおえいは遺言通り、毎晩やっこ奴たちを順番に家に迎え入れて、自分を抱かせてやります。ところが、利助だけが飛ばされて八分にされてしまいます。口臭のひどいくさ腐れやっこ奴の利助だけは、さすがにおえいも、堪忍してくれと利助の母親であるおりんに頼みます。利助はショックで、田んぼを荒したり、自分が世話をまか任されている馬のはる松をいじめたりと荒れ狂います。
そんな利助のためにおりんは、おかね婆さん(清川虹子)に利助の相手をするように頼みに行きます。おかね婆さんは病のために死にかけて、棺桶まで用意されたのですが、普段は口に出来ない“しらはぎ様(白米)”を食べて、あっという間に元気を回復してしまいました。日本人にとって、本来“米”が持つ神的・呪術的な力を象徴して面白いエピソードです。おかね婆さんはこの申し出を了承します。死者は祖霊となって生者を生かす役割あるのですが、死よりよみがえ甦った者も、生けるままに他のいのちを生かす使命があるのでしょう。
利助は、おりんと辰平がなら楢やま山参り(おばすて姨捨)にしゅったつ出立したその同じ時に、おかね婆さんを抱いて初めての性の交わりに歓喜します。なんともばちあ罰当たりな話ですが、これもおりんの願いです。自分が死して祖霊に返って行くための、老いの時の仕上げとして、おりんは利助にいのちの喜びを授けたかったのです。
(2)利平の魂の導き
晩秋のある日、まだ誰も覚めやらぬ夜明け前からおりんは根っこの家の前の畑で、来春の収穫のために種蒔きを始めます。そして一番に起き出してきた玉やんに、自分が明日お山(おばすて姨捨)へ行くことを告げ、そのしゅったつ出立の儀式のために、村のおも主だった者を家に集めるように命じます。
その時、西の山の草っ原で、30年前にしっそう失踪した利平を見たという知らせがもたらされます。おりんのおっと夫、利平が現れたのです。西の山に向かったおりんは、そこでついに利平の後ろ姿を目にします。しかし振り返ったその顔は、息子の辰平のものでした。辰平が先に到着していたのです。でもここで、利平と辰平は1つになっています。怪しい風が吹きすさび、利平を埋めた木の枝が奇怪にうごめ蠢きます。その時辰平がおりんに、父親を殺して木の下に埋めたことを告白しました。15歳の時に利平と熊を撃ちに行き、その帰りに、利平が自分の母親を山へ連れていくことをためらっている件で言い争いとなり、辰平は誤って利平を撃ち殺してしまったのです。
その話を聞いて、おりんは静かに辰平に語り掛け、「利平やんを殺したのは、お前じゃない、山の神様じゃ。もう誰にも言うでないぞ。」と口止めします。おりんは始めから、辰平の父親殺しに気づいていたのかもしれません。山の荒ぶる風に抗して敢然と立ち尽すおりんの姿は、けさ吉の嫁の松やんを殺し、息子の父親殺しを自分の腹の中に収め、それでもそんな業の深さを背負って生きていかねばならない人間の悲しさと覚悟を象徴しているかのようです。宿命を宿命として受けいれ、残されて生きる者の重荷を自分が担いとってお山へと旅立つのも、老いた人間の最後の役目なのかもしれません。そんなおりんの老いの役目の全うを、利平の魂が手助けしようと現れたのかもしれません。そしてこの冥界からの導きは、楢山参りでたじろいで成し得なかった利平自身の魂にとっても、この世に残した課題をやり切って、自分が祖霊に返っていくためにも必要なことだったのかもしれません。
それ故か利平の霊は、息子の辰平をも導きます。その後再び一人で西の山にやってきた辰平は、父の遺体を埋めた大木に銃を向け、弾を放ちます。今度はもう怪しい風は止んでいます。心を決めた辰平の心の状態を表しているのかもしれません。父を象徴する大木を撃つことによって、父殺しの呪縛から解き放たれ、自分の中にある利平と同じ弱さを克服し、おりんを山へ連れていく決意を固めたのでしょう。それに対して利平の魂は、コマ落としとコマ伸ばしを組み合わせて撮影された、ギクシャクとした摩訶不思議な枝の動きで辰平に応えます。
(3)ならやま楢山参りの儀式
さて夏に玉やんが辰平の嫁に来て以来、おりんは玉やんに自分の知る様々なことを教えてきました。そして明日お山に行くと決めた日に、おりんの特技であったヤマメをと漁る方法を、穴場である渓流の秘密の岩場と併せて玉やんに教えます。これがおりが玉やんに教える最後のことでした。
その日の夜、根っこの家で楢山参りの儀式が行われます。村のまとめ役である照やん以下、お山に行った経験のある者7名が集まり、振る舞い酒と共に、おりんと辰平にお山参りの作法が伝授されます。照るやんの音頭のもと、大きなかめ甕に入ったどぶろくを回し飲みしながら、次の口上が一人ずつ順に語られていきます。
お山参りは辛うござんすが、ご苦労さんでござんす。
お山参りの作法は、必ず守ってもらいやしょう。
1つ、お山へ行ったら物を言わぬこと
1つ、家を出る時は、誰にも見られねぇように出ること
お山へ行く道は、裏山の裾を廻って、ひいらぎ柊の木の下を通って、三つ目の山を登ると、池がある。
池を三度廻って階段を登る。一と山越すと深い谷となる。
谷を廻って二里半、途中七曲りがあって、そこが七谷ちゅうところだ。
七谷を越せば馬の背で、そこから先は楢山様の道になる。
楢山様は、道があっても道がなく、上へ上へと登れば、神様が待っている。
山から帰る時は、けっしてうしろをふり向かぬこと。
三と七という神聖数をもとに、楢山の神様のもと許へといざな誘う儀礼として、作法が伝授されます。儀式が終わって集まった村の衆がが根っこの家から引き上げて行く時に、照るやんがこっそりと辰平に、嫌ならお山まで行かなくても、馬の背の所から帰ってきても良いぞと教えます。そしてこれも、定めによって教えることになっていると話します、この不可解な言葉の意味を、辰平は後にお山の上で知ることとなるのです。
3.お山参りの道行き
(1)生に執着する銭屋の又やん
儀式の終わった後、おりんは自分の着ている綿入れと帯を脱いで、きれいに畳んで整えます。その時戸口の方で物音がするので行ってみると、そこに居たのは銭屋の家の又やん(辰巳柳太郎)でした。おりんに助けを求めにやってきたのです。又やんもおりんと時を同じくして、お山に行くことになっていました。又やんは足腰も弱り、言葉も不自由になっており、すっかり老いておりんとは対照的です。しかし恐ろしいまでの生への執着を持っていました。この物語の前半でも、貴重な鶏を絞め殺して一人で食べて、銭屋の家の者に縄で縛りあげられて監禁されていました。今その縄を切って、逃げてきたのです。どうしても楢山参りから逃れたかったのでしょう。おりんの足にしがみついて、必死に死から逃れたいと懇願します。
ここでこの映画では、おりんに対比する存在として又やんを登場させます。おばすて姨捨のし仕きた来りに関わらず、私たちもまた老いれば死を覚悟しなければなりません。その時、死の意味を悟ってしょうよう従容と自分の死を受け入れるのか、それともあくまでも生に執着して死にあらが抗おうとするのか。その違いがどういう結末をもたらしていくのかを、この映画は教えようとしているのかもしれません。
又やんは、追ってきた息子忠やん(深水三章)に捕まり、根っこ家から出てきた辰平に背負われて、銭屋に連れ戻されていきました。
(2)弱さと戦い続ける辰平
そして次の日の未明、楢山参りの作法どおり、誰にも見られないようにおりんと辰平は家を出ていきます。おりんは真っ白なきょう経かたびら帷子を身にまとってむしろ筵を背負い、そのおりんを、履き替え用のわらじ草鞋と雪靴を腰にぶら下げた辰平が、しょいこ背負子で背負って山に向かいます。誰も見ていないとはいえ、ふくろうの鋭い視線が二人を捉えます。根っこの家の者たちが、このしゅったつ出立をそれぞれ複雑な思いを抱えながら家の中から見送っています。それと同じように、山の生き物たちや異界の者たちも、この二人の道行きをじっと見つめているのでしょう。
作法で伝授された道順に従って、おりんを背負った辰平は、晩秋のあさ朝もや靄にかす霞む険しい山道を登っていきます。途中古びたさんどう桟道にかかる丸木橋が折れ、先に進めません。おきて掟によって物言うことを禁じられたおりんが、辰平の肩をたたき、手で山を登って迂回するように指示します。その道なき山を登る途中で、辰平はすべり落ちて、足の親指の生爪をは剥いでしまいます。楢山参りは、山に老人を捨てに行く側の人間にとっても命懸けなのです。それにしても辰平役の緒方拳という役者は、すごい役者です。もちろん演技も素晴らしのですが、減量したとはいえ40kgを上回るおりん役の坂本スミ子を背負って、過酷な山の急斜面や断崖絶壁の山道、また滑る岩肌を平然と歩き回るのですから。当時緒方拳は、辰平と同じ年齢の45歳。名優というのは、人物の心理描写が優れているのみならず、役づくりのために心身や運動能力も鍛え抜いているものだと感心させられます。
さてさすがに疲れた辰平は、がけみち崖道の岩から清水がしたた滴り落ちているを見つけて、おりんを下ろし、喉を潤します。そしてふとおりの方に目をやると、しょいこ背負子だけがあっておりんの姿が見当たりません。あたりを探しながら、辰平はおりんが家に戻ったのかもしれない、それならおりんをお山に棄てに行かなくて済むとほっとします。しかし元の場所に戻ってくると、そこに厳然とおりんは座っていて、険しい表情で辰平にしょいこ背負子を手渡し、無言のうちに先を急ぐように促します。辰平の中にとどこお滞るちゅうちょ躊躇が、現実から逃避させようとおりんの姿を見失わせたのかもしれません。次いで馬の背を抜けてしばらく歩いた所では、西の山で利平の魂と出会った時と同じあの怪しい風が吹き荒れ、辰平の足が止まってしまいます。ここにおいても辰平は、まだ己の中に残る利平の弱さと戦わなければならなかったのです。背中のおりんに肩をたた叩かれて、辰平はなんとか歩みを再開させます。
(3)辰平の覚悟と理解の深まり
谷川を渡り小さな滝に出て来た辰平は、そこでおりんの指示により、岩の上におりんを下ろして休息をとります。おりんは携えてきた握り飯を辰平に勧めます。辰平にしてみれば、母親のまつご末期の食事にと思い持ってきたものなので、口にすることなど出来ません。おりんも食べません。おりんはこれから自分が、身体を離れていのちそのものになろうとしているのだから、もはや自分には肉体の糧は必要ないと思っているのです。そんなおりんの思いと気遣いに触れて、辰平がなか半ば自分自身に語り聞かせるように話します。
「ご先祖さんは、何百年もここを通っちゃお山へ行っただな。」「何百人も、何千人もだなぁ、もっとかなぁ」「あと25年すりゃ、おらも行くだなぁ、けさ吉に背負われて。それから25年すりゃ、けさが行くだ。へっ、どうしようもねえだ。」
おりんとの最後の過酷な道行きの中で、辰平は次第に自分の中の弱さを克服して、世代間でなされていくいのちの受け渡しの現実を受け入れ、その意味も理解し始めていきます。そして無言の内におりんが、そんな辰平を導いていくのです。
さらに辰平がおりんの方を向いて語ります。「上へ行ったら、山の神様が待ってるちゅうが、本当ずらか」おりんがしっかりとうなず頷きます。「本当にいるなら、唄(楢山節)の文句みたいに、雪降らしてくれりゃいいに。」皮肉っぽく話しながらも辰平の中に、生死を越えたいのちの根源となるものを確かめたい思いも、強まってきているようです。そのあと後崖の上からおりんを背につた蔦を伝って降りてゆく途中で、足を滑らせて谷底へ落ちそうになります。その時も「と父っつぁん殺して、おっかぁ母殺してか」と辰平はつぶやきます。山の神様を次第に身近に感じざるを得ない状況にあって、自分の人生のごう業の深さと、それでも生きていかなければならない人間に対する赦しと救いを考えざるを得なくなっているのでしょう。その時も背中のおりんが、つた蔦をしっかりつか掴んで辰平を背後から支えるのです。
4.生死を越えたいのちの継承
(1)白骨の神域
ようやく辰平とおりんは、お山の上にまで登りつめてきました。そこが山の神様が宿る“神域”なのでしょうか。おりんの指示に従って岩陰を曲がると、そこに腐乱し、ほとんど骨だけになった遺体が座しており、辰平はぎょっとして足がすくみます。おりんに肩を叩かれて、再び歩み始めるのですが、岩場には人骨が散乱し、次第にその数を増していきます。岩にもたれかかった遺体の腹の中から、死肉をついば啄んでいたのか、からす烏が飛び出してきます。そしてやがて少し開けた台地に出るのですが、そこは一面白骨で埋め尽くされていました。おりんが背負われてきたのを見て、周囲の崖には人肉を求めて、からす烏たちが群がってきます。
このはる遥か昔より老人たちをいき遺棄してきた白骨るいるい累々たる台地のシーンでは、いささ些かの神聖さもおごそ厳かも感じることが出来ません。またあまりの人骨の山には、工作で手造りされたかのような粗雑さえ感じてしまいす。しかしこれが、冒頭の水っ子の死体のシーンでも述べたように、今村監督のリアリズムなのでしょう。即物的な死の事実はそのままに受け止めて、感傷に逃げることを許さないのです。その物理的な現実を見据えた上で、今村監督は、生死を越えたいのちの継承の真実を実感することを私たちに鋭く迫ってくるのです。
やがておりんが、白骨の台地の奥の崖の前の、かろうじて骨に覆われていない地面を指さし、辰平を促します。そこまで来てまだ躊躇してたたず佇む辰平に、おりんは激しくしょいこ背負子を揺らしてそこに自分を下ろすように促し、自分が家から背負ってきたむしろ筵をその場に敷いて立ちます。そして二人は手を取り、抱き合って最後の別れを告げるのですが、辰平が泣いていつまでも離れようとしません。おりんは辰平のほお頬をたた叩き、背中を尽き押して家路へと向かわせます。押された辰平は、茫然とよろけたように歩みながら、おきて掟に従って後ろを振り向くことなくその場去っていきます。
(2)又やんの死に様と馬の背の秘密
馬の背まで山を下ってきた時、辰平はすまじい悲鳴を耳にします。忠やんによって山に連れてこられた銭屋の又やんが、山に棄てられるのを嫌がって、必死に忠やんにしがみついていたのです。その体は、家を出る時によほど暴れたのか、モッコに押し込められていたのですが、その網目から手を出して忠やんの着物を離しません。忠やんはその手を懸命に振りほどいて、ついに父親を崖から突き落としてしまいます。モッコに入ったまま又やんが谷底へと転げ落ちて行った時、何百というからす烏が谷から舞い上がりました。出番は少ないとはいえ又やん役の、新国劇の大御所辰巳柳太郎の迫真の演技です。谷底の又やんは、例えまだ息があったとしても、このからす烏のたいぐん大群の餌食となったことでしょう。息子の忠やんは、谷底に向かって申し訳程度に手を合わせると、そそくさと逃げるように山を下りて行きました。その合掌は、父を悼むというよりも、恨みに思わないでくれと謝罪する思いの方が強かったように感じられます。
この又やんの末路を目撃して始めて、辰平は、前夜の楢山参りの儀式の後で、照るやんがこっそり教えた「嫌ならお山まで行かなくても、馬の背の所から帰ってきても良いぞ」という不思議な言葉の意味を悟りました。そしてそれと同時に、山に雪が降り始めてきたのです。辰平はおきて掟を破って後ろを振り返り、おりんを残してきた山の上の台地へと戻って行きます。
(3)生者を生かすおりんの死に様
辰平は自分が祈願した雪が降り始めたことによって、山の神様の存在を感じ、生死を越えたいのちの継承の真理を確かに実感したのでしょう。それをどうしてもおりんに、感謝の念を込めて伝えたかったものと思われます。辰平が白骨の台地に戻ると、そこはもう一面雪に覆われ、むしろ筵に正座して静かに合書していたおりんの体も、降雪に埋まり始めていました。辰平はそのおりんのこうごう神々しい姿を見つけて、台地の入り口からおりんに大声で呼び掛けます。「おっかぁ母、雪が降ってきたよう」「雪が降ってきて運が良いなぁ、山へ行く日に」辰平の声におりんは静かに目を開け、うなず頷いた上で手を振って合図し、早く帰れとさと諭します。
楢山節の中では、「仲屋のおとりさん運がいい、山へ行く日にゃ雪が降る」と唄われています。確かに真っ白な銀世界の神聖さの中で、からす烏についば啄まれる苦痛もなく、山の獣に食い殺されることもなく凍死できるのは、楢山参りにおいて人々が願うところだったのかもしれません。
辰平はあっという間に降り積もる山の豪雪の中を、森を抜け、山を滑り落ちるように下山して、ようやく夕闇に沈む根っこの家に帰りつきます。玉やんが優しく迎えてねぎらい、辰平は食べずに持ち返り、凍りついてしまった握り飯を差し出します。そして温かい炉端にまで来て座った時、けさ吉の新しい嫁の杉やんが、おりんの綿入れを着ているのを目にします。一家の跡取りにはすぐ嫁が見つかり、そのお腹にはすでに新しいいのちも宿していました。また台所で食事の支度を始めた玉やんの腰には、おりんの帯が締められていました。いずれは形見分けをするとしても、せめて今夜だけでも山にいるおりんを偲んで、喪に服することが出来ないのかと、辰平の心の中に苦い思いが湧いてきますが、気持ちを抑えて思い直します。こんな風に生きている者の支えとなることが、おりんの願いであったことに気づいたのです。
こうしてお山への死出の道行きを通じて、滅びや恐れではなく生ける者のいのちを生かすものとしての老いと死を、辰平に知らしめようとしたおりんの最後の仕事が成就していきます。馬屋の屋根裏では、そこをねぐらとする利助が、おりんのことを思ってでしょうか、布団替わりのわら藁に埋まって楢山節の最後の節を口ずさみます。「なんぼ寒いとて綿入れを、山へ行く日にゃ着せられぬ」また家の床下では、この家の主である青大将が冬眠に入ります。そしてカメラは、根っこの家からゆっくりとズームバックして、夕闇の中に雪に埋もれた村を映し、周囲の畑や森や山々を映し出して映画は終わっていくのです。
(4)死はいのちの鉱脈
雪に埋もれた寒村の空撮からのズームで始まり、同じ村のズームバックで終わっていくこの映画は、この物語が史実ではなく、私たちに老いと死と、そしていのちの関係について考えさせる寓話であることを暗示しています。この物語のおばすて姨捨のシーンでは、2つの老いと死が出てきて、私たちに問いかけます。1つは辰巳柳太郎の演じる銭屋の又やんの老いと死です。最後までこの世でのおのれ己の生に執着する老いと死です。その老いはみじ惨めで、死は恐れでしかありません。それは現代の私たちが、身近に良く知る老いと死の姿でしょう。
しかしもう1つは、おりんに代表されるおばすて姨捨の村の人たちが知っていた老いと死です。おりんにとって老いとは、楢山参りの準備を始めることでした。玉やんに家の切り盛りのことを教え、利助の満たされぬ性の欲望を癒すすべ術を整え、勝手気ままでふしだらなけさ吉には生きる厳しさを教え、気弱さと優しさのためにいのちを生かす死を見据えられない辰平に、身をもっていのちの継承を悟らせていくのです。これからも生き続ける者たちのために、そのいのちを支え、生きる力を与えようとしているのです。こんなおりんの老いの生き様は、辰平たちの心に焼きつき、生涯にわた亘って生きる勇気を与え続けることでしょう。それ故におりにとっては、これから迎えようとする自分の死は、滅びでも恐怖でもありません。もともと自分がいのちを頂いてこの世に生まれ出てきた、その大きないのちの源に帰っていくだけのことであり、今度はその祖霊とも言えるいのちの源と一体となって、時と場所をかまわずに生きる者たちのいのちの支えとなって行くことが出来るようになるのです。そんなおりんの見事な死に様が、辰平たちに避けることの出来ぬ死に臨む姿勢といのちの継承を教え、今を生きる心構えを伝えたのです。
おばすて姨捨は、自分の肉体のいのちと利己的な利害しか考えなくなった現代の私たちにとっては、非人道的な習わしにしか見えません。しかしそんな私たちが、今流行の“終活”において出来ることは、せいぜい財産の相続や墓の準備など、死後に近親者に迷惑をかけない段取りと、自分らしい(あるいは自己顕示を示す)葬儀の準備ぐらいのものでしょう。最期まで個としての存在しか意識になく、そこにいのちの永遠といのちの相続(継承)はありません。しかしおばすて姨捨の世界の人々は、死して他を生かす、そしてまたそれによって本当に自分が生きることの出来る、個を超えたいのちの真実を知っていたように思われます。おばすて姨捨の物語は、そうした個を超えた大きないのちの視点から、老いの意味と介護の意味(背負われてくち口き利けぬお山参りの道行きは、介護状態を暗示しているようにも思われます)、そして死の意味を、現代の私たちに改めて問題提起してくるのです。
以上、3回に亘って今村昌平監督の映画『ならやまぶしこう楢山節考』から、老いと死といのちの意味を考えてきました。これをもとに現代の私たちの死に様・生き様を捉えなおし、これからの時代の私たちの生き方、老い方、そして死と死者との向き合い方について考えていってみたいと思います。次回のパンセ集いは10月17日の月曜日18時より行います。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)
皆 様 へ
1.はじめに 死はいのちの鉱脈-生死を越えたいのちの継承
今回のパンセ通信も今村昌平監督の映画『楢山節考』を取り上げ、いよいよその最後の場面である楢山参り(おばすて姨捨)の道行きを辿ってみます。利己心と物理的な科学の法則しか拠り所を無くした現代の私たちにとっては、いのちは個体としての私を越えるものではなく、老いはその個体である身体の機能が低下するのですから、衰えでしかありません。そして死は、その身体の機能が停止するのですから、滅びでありまた無でしかないと私たちが考えるのも当然なことでしょう。しかしおばすて姨捨の世界に住んだ人たちは、果たして私たちと同じようないのちと死の観念に生きていたのでしょうか。もし違った部分があったとしたなら、老いと死の迎え方も、現代の私たちとはあいい相容れないものがあったのかもしれません。映画『楢山節考』の後半のクライマックス、姨捨の道行きの場面からは、そんなことも考えながら、現代の私たちの老いと死に対する観念、およびいのちと死の捉え方を見直し、私たちの生き方・暮らし方をかえり省みる契機を得ていければと思います。次回のパンセの集いは10月17日月曜日の18時からです。場所は初台・幡ヶ谷の地域で行います。
2.お山参りの前夜
(1)利助のいのちを配慮して
雨屋による食べ物の盗みが発覚した日に、新屋敷の父っつぁんが無くなりました。女房のおえいは遺言通り、毎晩やっこ奴たちを順番に家に迎え入れて、自分を抱かせてやります。ところが、利助だけが飛ばされて八分にされてしまいます。口臭のひどいくさ腐れやっこ奴の利助だけは、さすがにおえいも、堪忍してくれと利助の母親であるおりんに頼みます。利助はショックで、田んぼを荒したり、自分が世話をまか任されている馬のはる松をいじめたりと荒れ狂います。
そんな利助のためにおりんは、おかね婆さん(清川虹子)に利助の相手をするように頼みに行きます。おかね婆さんは病のために死にかけて、棺桶まで用意されたのですが、普段は口に出来ない“しらはぎ様(白米)”を食べて、あっという間に元気を回復してしまいました。日本人にとって、本来“米”が持つ神的・呪術的な力を象徴して面白いエピソードです。おかね婆さんはこの申し出を了承します。死者は祖霊となって生者を生かす役割あるのですが、死よりよみがえ甦った者も、生けるままに他のいのちを生かす使命があるのでしょう。
利助は、おりんと辰平がなら楢やま山参り(おばすて姨捨)にしゅったつ出立したその同じ時に、おかね婆さんを抱いて初めての性の交わりに歓喜します。なんともばちあ罰当たりな話ですが、これもおりんの願いです。自分が死して祖霊に返って行くための、老いの時の仕上げとして、おりんは利助にいのちの喜びを授けたかったのです。
(2)利平の魂の導き
晩秋のある日、まだ誰も覚めやらぬ夜明け前からおりんは根っこの家の前の畑で、来春の収穫のために種蒔きを始めます。そして一番に起き出してきた玉やんに、自分が明日お山(おばすて姨捨)へ行くことを告げ、そのしゅったつ出立の儀式のために、村のおも主だった者を家に集めるように命じます。
その時、西の山の草っ原で、30年前にしっそう失踪した利平を見たという知らせがもたらされます。おりんのおっと夫、利平が現れたのです。西の山に向かったおりんは、そこでついに利平の後ろ姿を目にします。しかし振り返ったその顔は、息子の辰平のものでした。辰平が先に到着していたのです。でもここで、利平と辰平は1つになっています。怪しい風が吹きすさび、利平を埋めた木の枝が奇怪にうごめ蠢きます。その時辰平がおりんに、父親を殺して木の下に埋めたことを告白しました。15歳の時に利平と熊を撃ちに行き、その帰りに、利平が自分の母親を山へ連れていくことをためらっている件で言い争いとなり、辰平は誤って利平を撃ち殺してしまったのです。
その話を聞いて、おりんは静かに辰平に語り掛け、「利平やんを殺したのは、お前じゃない、山の神様じゃ。もう誰にも言うでないぞ。」と口止めします。おりんは始めから、辰平の父親殺しに気づいていたのかもしれません。山の荒ぶる風に抗して敢然と立ち尽すおりんの姿は、けさ吉の嫁の松やんを殺し、息子の父親殺しを自分の腹の中に収め、それでもそんな業の深さを背負って生きていかねばならない人間の悲しさと覚悟を象徴しているかのようです。宿命を宿命として受けいれ、残されて生きる者の重荷を自分が担いとってお山へと旅立つのも、老いた人間の最後の役目なのかもしれません。そんなおりんの老いの役目の全うを、利平の魂が手助けしようと現れたのかもしれません。そしてこの冥界からの導きは、楢山参りでたじろいで成し得なかった利平自身の魂にとっても、この世に残した課題をやり切って、自分が祖霊に返っていくためにも必要なことだったのかもしれません。
それ故か利平の霊は、息子の辰平をも導きます。その後再び一人で西の山にやってきた辰平は、父の遺体を埋めた大木に銃を向け、弾を放ちます。今度はもう怪しい風は止んでいます。心を決めた辰平の心の状態を表しているのかもしれません。父を象徴する大木を撃つことによって、父殺しの呪縛から解き放たれ、自分の中にある利平と同じ弱さを克服し、おりんを山へ連れていく決意を固めたのでしょう。それに対して利平の魂は、コマ落としとコマ伸ばしを組み合わせて撮影された、ギクシャクとした摩訶不思議な枝の動きで辰平に応えます。
(3)ならやま楢山参りの儀式
さて夏に玉やんが辰平の嫁に来て以来、おりんは玉やんに自分の知る様々なことを教えてきました。そして明日お山に行くと決めた日に、おりんの特技であったヤマメをと漁る方法を、穴場である渓流の秘密の岩場と併せて玉やんに教えます。これがおりが玉やんに教える最後のことでした。
その日の夜、根っこの家で楢山参りの儀式が行われます。村のまとめ役である照やん以下、お山に行った経験のある者7名が集まり、振る舞い酒と共に、おりんと辰平にお山参りの作法が伝授されます。照るやんの音頭のもと、大きなかめ甕に入ったどぶろくを回し飲みしながら、次の口上が一人ずつ順に語られていきます。
お山参りは辛うござんすが、ご苦労さんでござんす。
お山参りの作法は、必ず守ってもらいやしょう。
1つ、お山へ行ったら物を言わぬこと
1つ、家を出る時は、誰にも見られねぇように出ること
お山へ行く道は、裏山の裾を廻って、ひいらぎ柊の木の下を通って、三つ目の山を登ると、池がある。
池を三度廻って階段を登る。一と山越すと深い谷となる。
谷を廻って二里半、途中七曲りがあって、そこが七谷ちゅうところだ。
七谷を越せば馬の背で、そこから先は楢山様の道になる。
楢山様は、道があっても道がなく、上へ上へと登れば、神様が待っている。
山から帰る時は、けっしてうしろをふり向かぬこと。
三と七という神聖数をもとに、楢山の神様のもと許へといざな誘う儀礼として、作法が伝授されます。儀式が終わって集まった村の衆がが根っこの家から引き上げて行く時に、照るやんがこっそりと辰平に、嫌ならお山まで行かなくても、馬の背の所から帰ってきても良いぞと教えます。そしてこれも、定めによって教えることになっていると話します、この不可解な言葉の意味を、辰平は後にお山の上で知ることとなるのです。
3.お山参りの道行き
(1)生に執着する銭屋の又やん
儀式の終わった後、おりんは自分の着ている綿入れと帯を脱いで、きれいに畳んで整えます。その時戸口の方で物音がするので行ってみると、そこに居たのは銭屋の家の又やん(辰巳柳太郎)でした。おりんに助けを求めにやってきたのです。又やんもおりんと時を同じくして、お山に行くことになっていました。又やんは足腰も弱り、言葉も不自由になっており、すっかり老いておりんとは対照的です。しかし恐ろしいまでの生への執着を持っていました。この物語の前半でも、貴重な鶏を絞め殺して一人で食べて、銭屋の家の者に縄で縛りあげられて監禁されていました。今その縄を切って、逃げてきたのです。どうしても楢山参りから逃れたかったのでしょう。おりんの足にしがみついて、必死に死から逃れたいと懇願します。
ここでこの映画では、おりんに対比する存在として又やんを登場させます。おばすて姨捨のし仕きた来りに関わらず、私たちもまた老いれば死を覚悟しなければなりません。その時、死の意味を悟ってしょうよう従容と自分の死を受け入れるのか、それともあくまでも生に執着して死にあらが抗おうとするのか。その違いがどういう結末をもたらしていくのかを、この映画は教えようとしているのかもしれません。
又やんは、追ってきた息子忠やん(深水三章)に捕まり、根っこ家から出てきた辰平に背負われて、銭屋に連れ戻されていきました。
(2)弱さと戦い続ける辰平
そして次の日の未明、楢山参りの作法どおり、誰にも見られないようにおりんと辰平は家を出ていきます。おりんは真っ白なきょう経かたびら帷子を身にまとってむしろ筵を背負い、そのおりんを、履き替え用のわらじ草鞋と雪靴を腰にぶら下げた辰平が、しょいこ背負子で背負って山に向かいます。誰も見ていないとはいえ、ふくろうの鋭い視線が二人を捉えます。根っこの家の者たちが、このしゅったつ出立をそれぞれ複雑な思いを抱えながら家の中から見送っています。それと同じように、山の生き物たちや異界の者たちも、この二人の道行きをじっと見つめているのでしょう。
作法で伝授された道順に従って、おりんを背負った辰平は、晩秋のあさ朝もや靄にかす霞む険しい山道を登っていきます。途中古びたさんどう桟道にかかる丸木橋が折れ、先に進めません。おきて掟によって物言うことを禁じられたおりんが、辰平の肩をたたき、手で山を登って迂回するように指示します。その道なき山を登る途中で、辰平はすべり落ちて、足の親指の生爪をは剥いでしまいます。楢山参りは、山に老人を捨てに行く側の人間にとっても命懸けなのです。それにしても辰平役の緒方拳という役者は、すごい役者です。もちろん演技も素晴らしのですが、減量したとはいえ40kgを上回るおりん役の坂本スミ子を背負って、過酷な山の急斜面や断崖絶壁の山道、また滑る岩肌を平然と歩き回るのですから。当時緒方拳は、辰平と同じ年齢の45歳。名優というのは、人物の心理描写が優れているのみならず、役づくりのために心身や運動能力も鍛え抜いているものだと感心させられます。
さてさすがに疲れた辰平は、がけみち崖道の岩から清水がしたた滴り落ちているを見つけて、おりんを下ろし、喉を潤します。そしてふとおりの方に目をやると、しょいこ背負子だけがあっておりんの姿が見当たりません。あたりを探しながら、辰平はおりんが家に戻ったのかもしれない、それならおりんをお山に棄てに行かなくて済むとほっとします。しかし元の場所に戻ってくると、そこに厳然とおりんは座っていて、険しい表情で辰平にしょいこ背負子を手渡し、無言のうちに先を急ぐように促します。辰平の中にとどこお滞るちゅうちょ躊躇が、現実から逃避させようとおりんの姿を見失わせたのかもしれません。次いで馬の背を抜けてしばらく歩いた所では、西の山で利平の魂と出会った時と同じあの怪しい風が吹き荒れ、辰平の足が止まってしまいます。ここにおいても辰平は、まだ己の中に残る利平の弱さと戦わなければならなかったのです。背中のおりんに肩をたた叩かれて、辰平はなんとか歩みを再開させます。
(3)辰平の覚悟と理解の深まり
谷川を渡り小さな滝に出て来た辰平は、そこでおりんの指示により、岩の上におりんを下ろして休息をとります。おりんは携えてきた握り飯を辰平に勧めます。辰平にしてみれば、母親のまつご末期の食事にと思い持ってきたものなので、口にすることなど出来ません。おりんも食べません。おりんはこれから自分が、身体を離れていのちそのものになろうとしているのだから、もはや自分には肉体の糧は必要ないと思っているのです。そんなおりんの思いと気遣いに触れて、辰平がなか半ば自分自身に語り聞かせるように話します。
「ご先祖さんは、何百年もここを通っちゃお山へ行っただな。」「何百人も、何千人もだなぁ、もっとかなぁ」「あと25年すりゃ、おらも行くだなぁ、けさ吉に背負われて。それから25年すりゃ、けさが行くだ。へっ、どうしようもねえだ。」
おりんとの最後の過酷な道行きの中で、辰平は次第に自分の中の弱さを克服して、世代間でなされていくいのちの受け渡しの現実を受け入れ、その意味も理解し始めていきます。そして無言の内におりんが、そんな辰平を導いていくのです。
さらに辰平がおりんの方を向いて語ります。「上へ行ったら、山の神様が待ってるちゅうが、本当ずらか」おりんがしっかりとうなず頷きます。「本当にいるなら、唄(楢山節)の文句みたいに、雪降らしてくれりゃいいに。」皮肉っぽく話しながらも辰平の中に、生死を越えたいのちの根源となるものを確かめたい思いも、強まってきているようです。そのあと後崖の上からおりんを背につた蔦を伝って降りてゆく途中で、足を滑らせて谷底へ落ちそうになります。その時も「と父っつぁん殺して、おっかぁ母殺してか」と辰平はつぶやきます。山の神様を次第に身近に感じざるを得ない状況にあって、自分の人生のごう業の深さと、それでも生きていかなければならない人間に対する赦しと救いを考えざるを得なくなっているのでしょう。その時も背中のおりんが、つた蔦をしっかりつか掴んで辰平を背後から支えるのです。
4.生死を越えたいのちの継承
(1)白骨の神域
ようやく辰平とおりんは、お山の上にまで登りつめてきました。そこが山の神様が宿る“神域”なのでしょうか。おりんの指示に従って岩陰を曲がると、そこに腐乱し、ほとんど骨だけになった遺体が座しており、辰平はぎょっとして足がすくみます。おりんに肩を叩かれて、再び歩み始めるのですが、岩場には人骨が散乱し、次第にその数を増していきます。岩にもたれかかった遺体の腹の中から、死肉をついば啄んでいたのか、からす烏が飛び出してきます。そしてやがて少し開けた台地に出るのですが、そこは一面白骨で埋め尽くされていました。おりんが背負われてきたのを見て、周囲の崖には人肉を求めて、からす烏たちが群がってきます。
このはる遥か昔より老人たちをいき遺棄してきた白骨るいるい累々たる台地のシーンでは、いささ些かの神聖さもおごそ厳かも感じることが出来ません。またあまりの人骨の山には、工作で手造りされたかのような粗雑さえ感じてしまいす。しかしこれが、冒頭の水っ子の死体のシーンでも述べたように、今村監督のリアリズムなのでしょう。即物的な死の事実はそのままに受け止めて、感傷に逃げることを許さないのです。その物理的な現実を見据えた上で、今村監督は、生死を越えたいのちの継承の真実を実感することを私たちに鋭く迫ってくるのです。
やがておりんが、白骨の台地の奥の崖の前の、かろうじて骨に覆われていない地面を指さし、辰平を促します。そこまで来てまだ躊躇してたたず佇む辰平に、おりんは激しくしょいこ背負子を揺らしてそこに自分を下ろすように促し、自分が家から背負ってきたむしろ筵をその場に敷いて立ちます。そして二人は手を取り、抱き合って最後の別れを告げるのですが、辰平が泣いていつまでも離れようとしません。おりんは辰平のほお頬をたた叩き、背中を尽き押して家路へと向かわせます。押された辰平は、茫然とよろけたように歩みながら、おきて掟に従って後ろを振り向くことなくその場去っていきます。
(2)又やんの死に様と馬の背の秘密
馬の背まで山を下ってきた時、辰平はすまじい悲鳴を耳にします。忠やんによって山に連れてこられた銭屋の又やんが、山に棄てられるのを嫌がって、必死に忠やんにしがみついていたのです。その体は、家を出る時によほど暴れたのか、モッコに押し込められていたのですが、その網目から手を出して忠やんの着物を離しません。忠やんはその手を懸命に振りほどいて、ついに父親を崖から突き落としてしまいます。モッコに入ったまま又やんが谷底へと転げ落ちて行った時、何百というからす烏が谷から舞い上がりました。出番は少ないとはいえ又やん役の、新国劇の大御所辰巳柳太郎の迫真の演技です。谷底の又やんは、例えまだ息があったとしても、このからす烏のたいぐん大群の餌食となったことでしょう。息子の忠やんは、谷底に向かって申し訳程度に手を合わせると、そそくさと逃げるように山を下りて行きました。その合掌は、父を悼むというよりも、恨みに思わないでくれと謝罪する思いの方が強かったように感じられます。
この又やんの末路を目撃して始めて、辰平は、前夜の楢山参りの儀式の後で、照るやんがこっそり教えた「嫌ならお山まで行かなくても、馬の背の所から帰ってきても良いぞ」という不思議な言葉の意味を悟りました。そしてそれと同時に、山に雪が降り始めてきたのです。辰平はおきて掟を破って後ろを振り返り、おりんを残してきた山の上の台地へと戻って行きます。
(3)生者を生かすおりんの死に様
辰平は自分が祈願した雪が降り始めたことによって、山の神様の存在を感じ、生死を越えたいのちの継承の真理を確かに実感したのでしょう。それをどうしてもおりんに、感謝の念を込めて伝えたかったものと思われます。辰平が白骨の台地に戻ると、そこはもう一面雪に覆われ、むしろ筵に正座して静かに合書していたおりんの体も、降雪に埋まり始めていました。辰平はそのおりんのこうごう神々しい姿を見つけて、台地の入り口からおりんに大声で呼び掛けます。「おっかぁ母、雪が降ってきたよう」「雪が降ってきて運が良いなぁ、山へ行く日に」辰平の声におりんは静かに目を開け、うなず頷いた上で手を振って合図し、早く帰れとさと諭します。
楢山節の中では、「仲屋のおとりさん運がいい、山へ行く日にゃ雪が降る」と唄われています。確かに真っ白な銀世界の神聖さの中で、からす烏についば啄まれる苦痛もなく、山の獣に食い殺されることもなく凍死できるのは、楢山参りにおいて人々が願うところだったのかもしれません。
辰平はあっという間に降り積もる山の豪雪の中を、森を抜け、山を滑り落ちるように下山して、ようやく夕闇に沈む根っこの家に帰りつきます。玉やんが優しく迎えてねぎらい、辰平は食べずに持ち返り、凍りついてしまった握り飯を差し出します。そして温かい炉端にまで来て座った時、けさ吉の新しい嫁の杉やんが、おりんの綿入れを着ているのを目にします。一家の跡取りにはすぐ嫁が見つかり、そのお腹にはすでに新しいいのちも宿していました。また台所で食事の支度を始めた玉やんの腰には、おりんの帯が締められていました。いずれは形見分けをするとしても、せめて今夜だけでも山にいるおりんを偲んで、喪に服することが出来ないのかと、辰平の心の中に苦い思いが湧いてきますが、気持ちを抑えて思い直します。こんな風に生きている者の支えとなることが、おりんの願いであったことに気づいたのです。
こうしてお山への死出の道行きを通じて、滅びや恐れではなく生ける者のいのちを生かすものとしての老いと死を、辰平に知らしめようとしたおりんの最後の仕事が成就していきます。馬屋の屋根裏では、そこをねぐらとする利助が、おりんのことを思ってでしょうか、布団替わりのわら藁に埋まって楢山節の最後の節を口ずさみます。「なんぼ寒いとて綿入れを、山へ行く日にゃ着せられぬ」また家の床下では、この家の主である青大将が冬眠に入ります。そしてカメラは、根っこの家からゆっくりとズームバックして、夕闇の中に雪に埋もれた村を映し、周囲の畑や森や山々を映し出して映画は終わっていくのです。
(4)死はいのちの鉱脈
雪に埋もれた寒村の空撮からのズームで始まり、同じ村のズームバックで終わっていくこの映画は、この物語が史実ではなく、私たちに老いと死と、そしていのちの関係について考えさせる寓話であることを暗示しています。この物語のおばすて姨捨のシーンでは、2つの老いと死が出てきて、私たちに問いかけます。1つは辰巳柳太郎の演じる銭屋の又やんの老いと死です。最後までこの世でのおのれ己の生に執着する老いと死です。その老いはみじ惨めで、死は恐れでしかありません。それは現代の私たちが、身近に良く知る老いと死の姿でしょう。
しかしもう1つは、おりんに代表されるおばすて姨捨の村の人たちが知っていた老いと死です。おりんにとって老いとは、楢山参りの準備を始めることでした。玉やんに家の切り盛りのことを教え、利助の満たされぬ性の欲望を癒すすべ術を整え、勝手気ままでふしだらなけさ吉には生きる厳しさを教え、気弱さと優しさのためにいのちを生かす死を見据えられない辰平に、身をもっていのちの継承を悟らせていくのです。これからも生き続ける者たちのために、そのいのちを支え、生きる力を与えようとしているのです。こんなおりんの老いの生き様は、辰平たちの心に焼きつき、生涯にわた亘って生きる勇気を与え続けることでしょう。それ故におりにとっては、これから迎えようとする自分の死は、滅びでも恐怖でもありません。もともと自分がいのちを頂いてこの世に生まれ出てきた、その大きないのちの源に帰っていくだけのことであり、今度はその祖霊とも言えるいのちの源と一体となって、時と場所をかまわずに生きる者たちのいのちの支えとなって行くことが出来るようになるのです。そんなおりんの見事な死に様が、辰平たちに避けることの出来ぬ死に臨む姿勢といのちの継承を教え、今を生きる心構えを伝えたのです。
おばすて姨捨は、自分の肉体のいのちと利己的な利害しか考えなくなった現代の私たちにとっては、非人道的な習わしにしか見えません。しかしそんな私たちが、今流行の“終活”において出来ることは、せいぜい財産の相続や墓の準備など、死後に近親者に迷惑をかけない段取りと、自分らしい(あるいは自己顕示を示す)葬儀の準備ぐらいのものでしょう。最期まで個としての存在しか意識になく、そこにいのちの永遠といのちの相続(継承)はありません。しかしおばすて姨捨の世界の人々は、死して他を生かす、そしてまたそれによって本当に自分が生きることの出来る、個を超えたいのちの真実を知っていたように思われます。おばすて姨捨の物語は、そうした個を超えた大きないのちの視点から、老いの意味と介護の意味(背負われてくち口き利けぬお山参りの道行きは、介護状態を暗示しているようにも思われます)、そして死の意味を、現代の私たちに改めて問題提起してくるのです。
以上、3回に亘って今村昌平監督の映画『ならやまぶしこう楢山節考』から、老いと死といのちの意味を考えてきました。これをもとに現代の私たちの死に様・生き様を捉えなおし、これからの時代の私たちの生き方、老い方、そして死と死者との向き合い方について考えていってみたいと思います。次回のパンセ集いは10月17日の月曜日18時より行います。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)