■2016.11.5パンセ通信No.109『人間性の豊かさを求める人生・社会ゲームへの見取り図』
皆 様 へ
1.笑いと批判精神
前回のパンセの集いでは、チャップリンの映画『独裁者』をテーマにホームシアターサークルの活動を行いました。喜劇王チャップリンの映画ですので、もちろん笑いとユーモアが中心となります。笑いというのは、現実の中に潜むこっけい滑稽さや奇妙さ、また愚かさなどをあぶ炙り出して私たちにかいまみ垣間見せ、人間のいのちの緊張を解きほぐす行為と言えます。現実について、私たちの常識や凝り固まった観念からは違ったものの見方をさせ、そのズレをあからさまにして滑稽さをあば暴くのですから、当然そこには、批判精神が働くこととなります。チャップリンの場合は、この批判精神のしゃてい射程がはんぱ半端ではないのです。ご存知のとおり『独裁者』は、台頭するヒットラー率いるナチスドイツを皮肉った1940年の映画ですが、その批判の矛先は、ファシズムの本質や近代社会のはら孕む構造的な問題までをも刺し貫いています。この映画『独裁者』から学べるものの詳細については、次回のパンセ通信で検討していければと思います。パンセの集いの次回の開催は、11月7日月曜日の18時からです。場所は初台・幡ヶ谷の地域で行います。
さて今回のパンセ通信は、前回のパンセ通信で試みたいのちの価値の指標化の試みを、もう少し整理し、現代の私たちの心の中に再び芽生えて高まりつつある“いのち”への求めというものに形を与え、人間の欲望の回路が新たに流れ始めるための人生・社会ゲームについて引き続き考えていってみたいと思います。そしてこのことを理解することによって、次回のパンセ通信で取り扱う、チャップリンの批判の矛先が向かう地点へともつなげていってみたいと考えています。
2.本質的な転換の求められる時代
ところで私たちが生きる現在という時代は、経済が行き詰まり、政治も混迷し、社会の将来に不安が増すばかりで、希望を見出すことが困難な状況になってきています。実際に私たちの所得も消費も目減りして生活が苦しくなり、社会の解体現象に歯止めをかけるための規制措置も強まって、徐々に自由度も失われて、生き辛さが増しています。
このような状況に陥ってしまった原因は、いったいどこにあるのでしょうか。そして私たちがもう1度希望を取り戻して、豊かに生きていくためにはどうしていけば良いのでしょうか。このことが、私たちが“いのち価値”を求める新しい人生・社会ゲームの必要を考え始めた動機です。もちろんこれは、容易に答えが出せる問題ではありません。その理由は、すでに私たちが潜在的に気づいていることなのですけれど、社会の仕組みがその根本のところから制度疲労を起こし、本質的な転換を求められているからです。しかしこのこともまた、けっして悪いことではありません。もはや小手先の対応や、従来の発想や価値観の延長線上での対応では、どうにもうまく展望が開けないのであれば、ごまかしや取りつくろ繕いは止めて、根本から原理を考え直してみるしか手立ては無くなるからです。急がば回れで時間はかかっても、基本から捉え直して、根本的な転換を図るチャンスが訪れているのです。
すなわち、いったい私たち人間というのは、どういう存在なのか。どういう生き方をすれば満たされて、良く生きていくことが出来るのか。そして私たちが良く生きていくことが出来るためには、どんな社会の仕組みであれば良いのか、などおおもと大元から考え直さないと、確かな指針は見出せなくなっているのです。こうしてもう1度私たちの生き方理想と社会理想を描き直した上で、現状との比較で改めて問題点を浮き彫りにすることによって、実際に私たちが理想を実現していくために、どのように現状から取り組みを進めていくことが出来るのかを、現実的に考えていく可能性が開かれてきているのです。
3.新しい生き方理想を求める手順
(1)これまでのアプローチと今後の課題
そうした問題意識のもとに、これまでパンセ通信では、まず人間という存在(ありよう様)の特質から順を追って考えていくために、次のようなアプローチを試みてきました。
①生物と無生物の比較から、生物の存在の特質を明らかにする。
②生物と人間との比較から、人間の意識のありよう様の特質を明らかにする。
③その結果、人間が自分を良く生かそうとして、何かを求めて可能性を広げて生きる存在であることを明らかにしたうえで、いったい何を求めればよく生きられるのかを考える。
④その上で人間が、近代以降は財貨の価値(富)を中心に求めて、その獲得競争を繰り広げてきたことを確認する。
⑤こうして私たちは、多大な物質的豊かさを手にすることが出来たものの、現在財貨の富を求めることに特化したゲームは行き詰まりを見せ始め、そのことが社会の停滞と私たちの生き辛さの原因となってきている。
⑥そのために私たちの求めは、今、自分たちを良く生かすための財貨以外の別の条件にも向かい始めており、その別の条件を明らかにすることが必要となってきている。
⑦その別の条件とは、財貨の価値が、私たちが良く生きる(幸せに生きる)ための必要条件であるとするなら、良く生きていると実感できる内容そのものの条件(十分条件)。それは心の豊かさや、人間性の豊かさ、自分と世界への気づきの広さと、困難に対処して可能性を広げることの出来る生きる意欲と強さなど。この人間が良く生きるための、財貨の価値とは異なる条件の一群を、とりあえず“いのちの価値”という概念で捉える。
以上がこれまでに検討を進めて項目ですが、さらにその上で今後、以下の項目を考えていければと思っています。
⑧いのちの価値(人間性の豊かさ、人間力の大きさ)の内容を明らかにして、財貨の価値とあわせて、
私たちの日常の暮らしや、働き方の中で、その価値をどう実現していくかを考える。(どう育み、その富をどのように増やしていくか)
⑨その上で、私たちのこれからの生き方理想を考え、その生き方理想を実現する社会の仕組みについて考える。そして、いのちの価値を求める新しい人生・社会ゲームを組み立てる。
⑩いのちの価値を求める人生・社会ゲームを、現状の困難な状況からスタートさせる戦略を考える。とりあえず財貨の価値追求の圧力が弱まり、いのちの価値への求めが相対的に高まる高齢期と、ホームシアターサークルの活動から広がる、地域での里まちづくりから着手することを検討する。
(2)いのちの価値の指標
以上新しい生き方理想と社会理想を求めての、これまでのアプローチと、今後の取り組みの見取り図をデッサンしてみたのですが、前回のパンセ通信では、上記(2)の⑧まで進んで、私たちがこれから求めようとする人間性の豊かさや、人間力の大きさ(いのちの価値)の内容を指標化することを試みてみました。
その内容をもう1度整理し直してみると、
①自分自身との関わりにおいて、自分自身のいのちを生かしていく。
a.自分自身に気づいて、無理のない状態で心地良く自分を生かしていく。
b.自分が生きるにあたって本当に必要なものに気づき、それを充たしていく。
c.自分の能力を高め、可能性を広げ、より大きな目標を達成していく。(夢と希望を描き、実現するサイクルを拡大させていく)
②他者との関わりにおいて、自分と他者のいのちを生かしていく。
a.他者も自分と同様に、それぞれ夢と希望を持って、自分の能力と可能性を高めて、良く生きたいと思っている存在であることを理解する。自分が良く生きるためには、他者の協力が必要で、自分への関心と同様に、他者への関心も払えるようになっていく。(他者を、自分の目的遂行のための手段としてのみ見るのではなく)
b.他者の協力を得ようとすると、他者も良く生きられるようになる必要があり、自分を生かすことと他者を生かすことが、不可分に思えるようになってくる。そして他者を生かすために役立つことによって感謝を受け、自分の存在が承認され、自分が生きる意味と価値を味わえるようになってくる。
c.こうして他者のいのちを生かしたり育んだりして喜んでもらえることが、自分の喜びとなり、いのちを生かしあう喜びに、自分の生きがいや、生きる目的を感じられるようになる。
③すべてのいのちを生かす(普遍的ないのちとの関わりにおいて)ことで、自分のいのちを生かしていく。
a.自分が本当に良く生きていこうとすると、社会全体との協力も必要。社会全体との関わりの中で、少しでも多くの人が互いに生かし合おうとする関係を築くことで、自分もより大きく生かしていこうとする。
b.現在の社会と自分が生かされてあるのは、過去の先人(死者)たちの努力と叡智があったから。それ故に先人たちのいのちの営みを敬って感謝し、死者たちとも対話して、いのちを育む叡智を学び取っていこうとする。
c.いのちを生かし育む叡智は、人間界ばかりでなく自然の生態系の中にも豊かに充ちている。自然界の中に働くいのちの力を感じ、すべての生き物と共に自分のいのちも育まれていることに喜びを感じ、その叡智を求めていく。
d.普遍的ないのちの叡智を身に着け、過去のいのちの営みに光をあて、現在のあらゆるいのちを生かそうと努め、そして将来の世代のいのちの支えとなることを求める。そのことを喜び、その営みに自分の確かないのちの証を感じる。
④普遍的ないのちの叡智との相関での、自己受容と自己ルールの刷新
a.すべてのいのちを生かし、すべての生き物が共に生きられるように調和させていくいのち力が感じられる時、私たちは、人間と世界に対する深い信頼を感じられるようになる。
b.その大きな深い信頼から、ありのままの自分を見つめ、受け入れていく。自分がいかに愚かでみじめな存在であっても、その自分の中にある、自分を良く生かしていくための可能性を見て取ることが出来る。そしてどんなに困難な状況にあっても、そこから一歩前に踏み出して生きていく意欲(勇気)と力を生み出していくことができる。
c.そして自分自身を常に変えていこう努力する。私たちは成長するにつれて、自分と人生と世界についての意味づけの枠組み(人格・認識構造=自己ルール)を身につけていく。その認識の枠組みを、自分を傷つけ人を傷つけるものから、徐々に自分を生かし人を生かすものへと自己ルールを変えていく。こうして常に自分をより良く生かせていけるように、耐えず自分を刷新し続けていく。
d.自分と考えが異なる者、価値観の異なる者、敵対する者とも、人間として生きる深い次元で、共有できる部分がないか、共通了解できる部分を探っていく。そして共に良く生きていくため解を見出していくための忍耐を養っていく。
4.箇条書きから文章化へ
混迷する現代社会にあって、私たちは何を求めて、どう生きていけば良いのか。それをもう1度本質的なところから順を追って考え、新しい生き方理想・社会理想のビジョンを描き出すための道筋を、今回は箇条書きにまとめてみました。今後、財貨の価値を求めてのゲームに行き詰って行き場を失った私たちの欲望が、再び力強く流れ始める目標(いのちの価値)を、さらに明確に検討して確かな求めとなるように確認しあっていければと思います。また今回は箇条書きでしか示さなかった、人間性の豊かさ(いのちの価値)を求めて新しい人生・社会ゲームの内容を、分かりやすく文章化し、より多くの人たちとの間での共通了解が深めていければと思います。
次回のパンセの集いは11月7日の月曜日18時より行います。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性がございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)
皆 様 へ
1.笑いと批判精神
前回のパンセの集いでは、チャップリンの映画『独裁者』をテーマにホームシアターサークルの活動を行いました。喜劇王チャップリンの映画ですので、もちろん笑いとユーモアが中心となります。笑いというのは、現実の中に潜むこっけい滑稽さや奇妙さ、また愚かさなどをあぶ炙り出して私たちにかいまみ垣間見せ、人間のいのちの緊張を解きほぐす行為と言えます。現実について、私たちの常識や凝り固まった観念からは違ったものの見方をさせ、そのズレをあからさまにして滑稽さをあば暴くのですから、当然そこには、批判精神が働くこととなります。チャップリンの場合は、この批判精神のしゃてい射程がはんぱ半端ではないのです。ご存知のとおり『独裁者』は、台頭するヒットラー率いるナチスドイツを皮肉った1940年の映画ですが、その批判の矛先は、ファシズムの本質や近代社会のはら孕む構造的な問題までをも刺し貫いています。この映画『独裁者』から学べるものの詳細については、次回のパンセ通信で検討していければと思います。パンセの集いの次回の開催は、11月7日月曜日の18時からです。場所は初台・幡ヶ谷の地域で行います。
さて今回のパンセ通信は、前回のパンセ通信で試みたいのちの価値の指標化の試みを、もう少し整理し、現代の私たちの心の中に再び芽生えて高まりつつある“いのち”への求めというものに形を与え、人間の欲望の回路が新たに流れ始めるための人生・社会ゲームについて引き続き考えていってみたいと思います。そしてこのことを理解することによって、次回のパンセ通信で取り扱う、チャップリンの批判の矛先が向かう地点へともつなげていってみたいと考えています。
2.本質的な転換の求められる時代
ところで私たちが生きる現在という時代は、経済が行き詰まり、政治も混迷し、社会の将来に不安が増すばかりで、希望を見出すことが困難な状況になってきています。実際に私たちの所得も消費も目減りして生活が苦しくなり、社会の解体現象に歯止めをかけるための規制措置も強まって、徐々に自由度も失われて、生き辛さが増しています。
このような状況に陥ってしまった原因は、いったいどこにあるのでしょうか。そして私たちがもう1度希望を取り戻して、豊かに生きていくためにはどうしていけば良いのでしょうか。このことが、私たちが“いのち価値”を求める新しい人生・社会ゲームの必要を考え始めた動機です。もちろんこれは、容易に答えが出せる問題ではありません。その理由は、すでに私たちが潜在的に気づいていることなのですけれど、社会の仕組みがその根本のところから制度疲労を起こし、本質的な転換を求められているからです。しかしこのこともまた、けっして悪いことではありません。もはや小手先の対応や、従来の発想や価値観の延長線上での対応では、どうにもうまく展望が開けないのであれば、ごまかしや取りつくろ繕いは止めて、根本から原理を考え直してみるしか手立ては無くなるからです。急がば回れで時間はかかっても、基本から捉え直して、根本的な転換を図るチャンスが訪れているのです。
すなわち、いったい私たち人間というのは、どういう存在なのか。どういう生き方をすれば満たされて、良く生きていくことが出来るのか。そして私たちが良く生きていくことが出来るためには、どんな社会の仕組みであれば良いのか、などおおもと大元から考え直さないと、確かな指針は見出せなくなっているのです。こうしてもう1度私たちの生き方理想と社会理想を描き直した上で、現状との比較で改めて問題点を浮き彫りにすることによって、実際に私たちが理想を実現していくために、どのように現状から取り組みを進めていくことが出来るのかを、現実的に考えていく可能性が開かれてきているのです。
3.新しい生き方理想を求める手順
(1)これまでのアプローチと今後の課題
そうした問題意識のもとに、これまでパンセ通信では、まず人間という存在(ありよう様)の特質から順を追って考えていくために、次のようなアプローチを試みてきました。
①生物と無生物の比較から、生物の存在の特質を明らかにする。
②生物と人間との比較から、人間の意識のありよう様の特質を明らかにする。
③その結果、人間が自分を良く生かそうとして、何かを求めて可能性を広げて生きる存在であることを明らかにしたうえで、いったい何を求めればよく生きられるのかを考える。
④その上で人間が、近代以降は財貨の価値(富)を中心に求めて、その獲得競争を繰り広げてきたことを確認する。
⑤こうして私たちは、多大な物質的豊かさを手にすることが出来たものの、現在財貨の富を求めることに特化したゲームは行き詰まりを見せ始め、そのことが社会の停滞と私たちの生き辛さの原因となってきている。
⑥そのために私たちの求めは、今、自分たちを良く生かすための財貨以外の別の条件にも向かい始めており、その別の条件を明らかにすることが必要となってきている。
⑦その別の条件とは、財貨の価値が、私たちが良く生きる(幸せに生きる)ための必要条件であるとするなら、良く生きていると実感できる内容そのものの条件(十分条件)。それは心の豊かさや、人間性の豊かさ、自分と世界への気づきの広さと、困難に対処して可能性を広げることの出来る生きる意欲と強さなど。この人間が良く生きるための、財貨の価値とは異なる条件の一群を、とりあえず“いのちの価値”という概念で捉える。
以上がこれまでに検討を進めて項目ですが、さらにその上で今後、以下の項目を考えていければと思っています。
⑧いのちの価値(人間性の豊かさ、人間力の大きさ)の内容を明らかにして、財貨の価値とあわせて、
私たちの日常の暮らしや、働き方の中で、その価値をどう実現していくかを考える。(どう育み、その富をどのように増やしていくか)
⑨その上で、私たちのこれからの生き方理想を考え、その生き方理想を実現する社会の仕組みについて考える。そして、いのちの価値を求める新しい人生・社会ゲームを組み立てる。
⑩いのちの価値を求める人生・社会ゲームを、現状の困難な状況からスタートさせる戦略を考える。とりあえず財貨の価値追求の圧力が弱まり、いのちの価値への求めが相対的に高まる高齢期と、ホームシアターサークルの活動から広がる、地域での里まちづくりから着手することを検討する。
(2)いのちの価値の指標
以上新しい生き方理想と社会理想を求めての、これまでのアプローチと、今後の取り組みの見取り図をデッサンしてみたのですが、前回のパンセ通信では、上記(2)の⑧まで進んで、私たちがこれから求めようとする人間性の豊かさや、人間力の大きさ(いのちの価値)の内容を指標化することを試みてみました。
その内容をもう1度整理し直してみると、
①自分自身との関わりにおいて、自分自身のいのちを生かしていく。
a.自分自身に気づいて、無理のない状態で心地良く自分を生かしていく。
b.自分が生きるにあたって本当に必要なものに気づき、それを充たしていく。
c.自分の能力を高め、可能性を広げ、より大きな目標を達成していく。(夢と希望を描き、実現するサイクルを拡大させていく)
②他者との関わりにおいて、自分と他者のいのちを生かしていく。
a.他者も自分と同様に、それぞれ夢と希望を持って、自分の能力と可能性を高めて、良く生きたいと思っている存在であることを理解する。自分が良く生きるためには、他者の協力が必要で、自分への関心と同様に、他者への関心も払えるようになっていく。(他者を、自分の目的遂行のための手段としてのみ見るのではなく)
b.他者の協力を得ようとすると、他者も良く生きられるようになる必要があり、自分を生かすことと他者を生かすことが、不可分に思えるようになってくる。そして他者を生かすために役立つことによって感謝を受け、自分の存在が承認され、自分が生きる意味と価値を味わえるようになってくる。
c.こうして他者のいのちを生かしたり育んだりして喜んでもらえることが、自分の喜びとなり、いのちを生かしあう喜びに、自分の生きがいや、生きる目的を感じられるようになる。
③すべてのいのちを生かす(普遍的ないのちとの関わりにおいて)ことで、自分のいのちを生かしていく。
a.自分が本当に良く生きていこうとすると、社会全体との協力も必要。社会全体との関わりの中で、少しでも多くの人が互いに生かし合おうとする関係を築くことで、自分もより大きく生かしていこうとする。
b.現在の社会と自分が生かされてあるのは、過去の先人(死者)たちの努力と叡智があったから。それ故に先人たちのいのちの営みを敬って感謝し、死者たちとも対話して、いのちを育む叡智を学び取っていこうとする。
c.いのちを生かし育む叡智は、人間界ばかりでなく自然の生態系の中にも豊かに充ちている。自然界の中に働くいのちの力を感じ、すべての生き物と共に自分のいのちも育まれていることに喜びを感じ、その叡智を求めていく。
d.普遍的ないのちの叡智を身に着け、過去のいのちの営みに光をあて、現在のあらゆるいのちを生かそうと努め、そして将来の世代のいのちの支えとなることを求める。そのことを喜び、その営みに自分の確かないのちの証を感じる。
④普遍的ないのちの叡智との相関での、自己受容と自己ルールの刷新
a.すべてのいのちを生かし、すべての生き物が共に生きられるように調和させていくいのち力が感じられる時、私たちは、人間と世界に対する深い信頼を感じられるようになる。
b.その大きな深い信頼から、ありのままの自分を見つめ、受け入れていく。自分がいかに愚かでみじめな存在であっても、その自分の中にある、自分を良く生かしていくための可能性を見て取ることが出来る。そしてどんなに困難な状況にあっても、そこから一歩前に踏み出して生きていく意欲(勇気)と力を生み出していくことができる。
c.そして自分自身を常に変えていこう努力する。私たちは成長するにつれて、自分と人生と世界についての意味づけの枠組み(人格・認識構造=自己ルール)を身につけていく。その認識の枠組みを、自分を傷つけ人を傷つけるものから、徐々に自分を生かし人を生かすものへと自己ルールを変えていく。こうして常に自分をより良く生かせていけるように、耐えず自分を刷新し続けていく。
d.自分と考えが異なる者、価値観の異なる者、敵対する者とも、人間として生きる深い次元で、共有できる部分がないか、共通了解できる部分を探っていく。そして共に良く生きていくため解を見出していくための忍耐を養っていく。
4.箇条書きから文章化へ
混迷する現代社会にあって、私たちは何を求めて、どう生きていけば良いのか。それをもう1度本質的なところから順を追って考え、新しい生き方理想・社会理想のビジョンを描き出すための道筋を、今回は箇条書きにまとめてみました。今後、財貨の価値を求めてのゲームに行き詰って行き場を失った私たちの欲望が、再び力強く流れ始める目標(いのちの価値)を、さらに明確に検討して確かな求めとなるように確認しあっていければと思います。また今回は箇条書きでしか示さなかった、人間性の豊かさ(いのちの価値)を求めて新しい人生・社会ゲームの内容を、分かりやすく文章化し、より多くの人たちとの間での共通了解が深めていければと思います。
次回のパンセの集いは11月7日の月曜日18時より行います。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性がございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)