■2016.11.19パンセ通信No.111『映画「独裁者」-笑いの本質とチャップリンの批判精神1/3』
皆 様 へ
0.はじめに
今回と次回のパンセ通信では、映画『独裁者』からチャップリンのメッセージを聞き取っていってみたいと思います。まず今回は“笑い”とはどういうものなのかを考え、チャップリンの“笑い”の特徴をつか掴み、その上で映画『独裁者』において、どういうメッセージを彼が発しようとしたのかを見ていきたいと思います。そして次回において、映画のシーンを具体的に追いながら、彼のメッセージから、私たちがいのちを養う糧として学べるものを整理していってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いは、11月21日月曜日18時から行います。場所は初台・幡ヶ谷の地域です。また11月28日(月)のパンセの集いは、月末ですので幡ヶ谷ホームシアターサークルの活動を予定しております。課題作品は、台湾のホウ・シャオシエン監督の大作『非情城市(A City of Sadness)』(1989年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞)を予定しております。日本と同じ天皇の玉音放送で第二次世界大戦の終戦を迎えた台湾の人々が、2.28事件(中国国民党政権による台湾本省人の弾圧事件)の悲劇に翻弄されつつも、愛情豊かに生きた姿を描いた作品です。アメリカでトランプ大統領が誕生し、アメリカが孤立主義に傾斜していくなかで、改めてこの映画を通じ、隣国の歴史と人々の思いを知って、日本が隣国と共に自立していく道を探っていってみたいと思います。
1.チャップリンが示した喜劇の持つ本来の幅と深み
(1)放浪紳士チャップリン
さて話題をチャップリンの映画に戻していきますが、チャップリンといえば、言わずと知れた20世紀の最大の喜劇王です。サイレント映画の時代から、スラップステッィク・コメディ(体を張ったドタバタ喜劇)で、バスター・キートンやハロルド・ロイドと共に、アメリカの映画界で一世を風靡し、日本をはじめ世界的にも大きな人気を博しました。
そのチャップリンのトレードマークと言えば、小さな山高帽にちょび髭、窮屈な上着にたぶだぶズボン、大きすぎるドタ靴に竹のステッキというい出でた立ちで、ちょっとがにまた股でちょこちょこ歩く姿です。それはチャップリンが編み出した「The Little Tramp(小さな放浪者)=放浪者でありながら紳士」のイメージです。放浪者は現代風に言えば、ホームレスと言っても良いかもしれません。社会の最底辺に生きる人間であるのですが、紳士としての人間の気高さと誇りを持っている。その放浪紳士チャーリーが、貧しく損な目ばかりにあ遭う庶民の立場から、人間本来の心の優しさや信頼を求めて生きようとして、はか図らずも世の中の不公正や不合理とぶつかってしまい、大騒動を引き起こして観客を笑いの渦に巻き込んでしまう。それがチャップリン映画の典型的なストーリーです。
チャップリンはこのトレードマークである放浪紳士チャーリーの姿について、「小さな口ひげは虚栄心。だぶだぶなズボンは、人間の不器用さ。大きなドタ靴は貧困の象徴。窮屈な上着は貧しくても、品位よく見せたいという必死のプライド」を表していると語ったと伝えられています。
(2)チャップリンによる“笑い”の変革
チャップリンが編み出した放浪紳士というスタイルは、それだけでもうチャップリンの伝えようとする思想を表しているのですが、チャップリンがその放浪紳士によってもたらしたものは、“笑い”と喜劇の変革でした。本来“笑い”をもたらすこっけい滑稽さというのは、悲惨な状況や愚かな振る舞いとの際どい境界線上に立ち現われてくるものです。その悲惨な面や愚かな面を、心痛めることなくあざけ嘲ることの出来る時に初めて、私たちはうれ憂えること無くその滑稽さだけを見て取って、腹を抱えて笑うことが出来るのです。
しかしチャップリンは、この本来“笑い”が隣り合わせに持つ悲惨や愚かさを切り捨てることなくそこに目を向け、涙やペーソス、批判や社会風刺として喜劇の中に取り込んでいったのです。そして“喜劇”を、笑いのうち裡に人間を生かさぬ社会の歪みや冷酷さを暴き出す手段として、また人間が本来持つ美しさや愛情の深さに気づかせて、私たちのいのちを養う舞台装置として、さまが様変わりさせていったのです。
(3)ヒューマニズと社会批判としての喜劇
もちろん始めからチャップリンが、そうした“喜劇”が持つ本来の深みと幅を引き出した作品をつくっていた訳ではありません。イギリスで生まれ、貧しくどん底の子供時代を過ごしたチャップリンは、10代になってようやく演劇で生活の糧を得られるようになります。やがてチャンスをつかんでアメリカに渡るのですが、彼が映画への出演、製作を始めたのは、1914年、25歳の時からです。当初の作品は、バスター・キートンやハロルド・ロイド同様、サイレント映像での人間の動きのコミカルさに注目した、アナーキーなドタバタ喜劇(スラップ・ステッィク)のショート作品が中心でした。お決まりのパターンは、女性を見たらすぐに惚れてしまうチャップリン定番の放浪紳士が、次々と周囲とも揉め事を起こし、ラストはいつわ偽った身分がバレて巡査と追いかけっこになるというものでした。もちろん、貧しく報われない庶民の立場から、当時の世相や社会を風刺するという視点はあって、後のチャプリン映画へと発展する萌芽は見られたのですが。
こうしてチャップリンもまた、当初は“笑い”が人間存在に対して本来持つ幅広い意味合いから、ただコミカルさだけを切り離して見せる、ドタバタ喜劇で大きな人気を博するようになりました。しかし孤児院を渡り歩き、生きるためにはどんな仕事でもするというしんさん辛酸をな舐める子供時代を過ごしてきたチャップリンには、実は笑いが、悲惨な状況にある者に対するさげす蔑みと一体になっているということを、身をもって体験して分かっているところがありました。そしてまた、そうしてさげす蔑まれる弱い者の間においてこそ、本当の意味での人間同士のいた労わりあいや愛情が育まれることも、身に染みて実感していたのです。
そのためにチャップリンの“喜劇”は、1917年頃から、笑いと不可分になって生まれる社会的弱者の中でのヒューマニズをも描くものヘと転換していきます。その最初の代表的な作品が、1918年の「犬の生活」(孤独な放浪紳士と不遇な酒場の女性歌手、そしてノラ犬が、けなげ健気に生きて幸せをつか掴む)です。そして1921年の「キッド」(捨て子と実母の再会)、1931年の「街の灯」(盲目の花売り娘への無償の愛)、1952年「ライムライト」(落ちぶれた老芸人が、足の不自由なバレリーナと再起を賭ける)と続いていきます。
また笑いは、人間の愚かさを暴き出してその滑稽さを見せることとも密接に結びついています。私たちが今の社会の常識として当たり前のこととして生きている事柄も、人間本来の在り方に立ち戻って見てみると、随分とおかしな仕組みで動いていることもあまた数多あるものです。この人間本来の在り方が見えてくる地点が、チャップリンにとっては、社会的な弱者であったのです。そしてその貧しい者たちの目を通して見えてくる社会の奇妙さと、人間の真実とのズレを、滑稽さとして笑い飛ばしたのです。そのためには、社会のおかしさを露わにする批判の力が必要になってきます。このように“笑い”は、批判精神とも密接に結びついているのですが、人間の本来の尊厳と美しさを示そうとするチャップリンの映画は、当然のことながらそれを抑圧する社会の仕組みに対する批判と風刺が、より一層鋭いものとなっていきます。その代表的な作品が、1936年の「モダンタイムズ」(労働を非人間化する資本主義と機械文明批判)、そして今回紹介する戦争とファシズム批判の「独裁者」(1940年製作)、1947年の「殺人狂時代」(反戦を意図し、戦争による軍需経済を目論むアメリカの批判)、1957年の「ニューヨークの王様」(自由を抑圧するアメリカの反共主義批判)等なのです。
2.“笑い”が成立する条件
(1)“ズレ”から生じるこっけい滑稽さ
さてここまで、映画『独裁者』をどのように鑑賞して私たちのいのちの糧としていくかを探るために、チャップリンの喜劇の作風の特質を見てきました。ここでもう1度“笑い”というものの本質をもう少し深く掘り下げ、チャップリンがその笑いを通じて私たちに伝えたかったものを明らかにした上で、映画『独裁者』の鑑賞のポイントについて考えていってみたいと思います。
それでは“笑い”というのはいったいどういうもので、どういう時に生じるものなのでしょうか。まずそれは、私たちが日常の中になんらかの“こっけい滑稽”さを見てとって、思わず緊張感が解きほぐされた時に生じるものでしょう。その時嬉しい気持ちが込み上げて、笑顔を浮かべたり笑い声を発したりと、身体的にも特有の変化を生じる現象だと言えます。では“滑稽さ”というのはどういうものなのでしょうか。それは私たちの常識的な判断予測とは異なった、予期せぬ奇妙な事態が生じた時に覚える“ズレ”の感覚だと言えます。
例えば映画『独裁者』の冒頭の第一次世界大戦における前線での戦闘シーンで、チャップリン演じる二等兵が、敵に向かって投げようとしたてりゅうだん手榴弾を、誤って袖口から自分の服の中に滑り込ませてしまう場面があります。その破裂寸前のしゅりゅうだん手榴弾を取り出そうと、必死でもがくチャップリンの姿が、文句なくコミカルで笑えるのです。そこでなぜこのシーンがおか可笑しいのかを、考えてみたいと思います。そこにはまず、私たちの常識的な予測と、実際にチャップリンに起こったこととの間にズレが生じていることが分かります。殺すか殺されるかの生死をかけた戦場で、危険なしゅりゅうだん手榴弾を素早く敵に向かって投げてさっそう颯爽と突撃、と思いきや、肝心のしゅりゅうだん手榴弾は自分の服の中に!そのシチュエーションの全く予想と異なる展開と、その後のチャップリンの、服のなかの手榴弾をまさぐる姿が、まるで体のあちこちをか掻いているようで、その当初予想した展開や行動との落差の大きさが、面白く感じられるのです。
(2)悲惨に至らぬ安心感と愚かさの必要
しかし笑いが成立するためには、単に予想と現実に生じた事態とのズレだけでは説明が出来ません。例えばチャップリンが、服の中からしゅりゅうだん手榴弾を取り出すのが間に合わず爆発してしまったら、笑い事ではすみません。このように笑いを呼び起こす滑稽さは、実際には悲惨に至る可能性のある状況と隣合わせにあるのですが、それが悲惨な結末にはならないという安心感・信頼感がある時に初めて、私たちは屈託なく笑うことが出来るのです。あるいは、実際には悲惨な結末に陥ったとしても、その事実を無視し、ただその手前での滑稽な姿のみに焦点をあてて楽しむことが出来る時に、笑うことができるのです*。もしこの悲惨にはならないという安心感がなければ、私たちはしゅりゅうだん手榴弾を取り出そうとするチャップリンの姿を、ハラハラドキドキして、むしろスリルを感じながら見ることになってしまうのです。
* 例えば古代ローマのコロッセウム(円形闘技場)で、見世物として奴隷が猛獣に食われる出し物があったとします。その時満員の観客は、逃げ惑う奴隷の姿の滑稽さに笑い転げることでしょう。食われる人間の悲劇を顧みることなど無しに。
こうしたスリルなどを感じる必要なく笑えるためには、実は安心感の他にもう1つ重要な要素があるのです。それが“愚かさ”です。常識的な予想とのズレとして生じた事態が、単に悲惨と隣接しているだけでなく、そのズレを生じさせた当事者の行動が、愚かさに由来するものであった時に、私たちは笑うことが出来るのです。しゅりゅうだん手榴弾を投げようとして手を滑らせて、袖口から服の中に取り込んで出せなくなってしまうようなチャップリンの行動は、愚か以外の何ものでもありません。
(3)いのちの緊張の解きほぐし
それでは私たちは、ある人に及ぶ想定外な事態や行動が、その人の愚かさの結果に由来する時に、さげす蔑みやあざけ嘲りの思いが起こるから笑えるというのでしょうか。ところが、これも必ずしもそうとは言い切れない面があるのです。むしろ私たちは、他人の愚かさを垣間見ることの出来た時、この人にもこんな面があったのかと、なにかほっと緊張の糸がほど解けるような思いになることはないでしょうか。例えば威厳のある偉い代議士の先生が、壇上で滑って転んで、お腹の出た上着のボタンでも弾け飛ぼうものなら、私たちはその滑稽さに、思わず吹き出してしまうのではないでしょうか。ましてや本人がその後、頭をか搔きながら照れ笑いでも浮かべて、「やあ、失礼、失礼」などと怪我も無く、大して気にも留めず、何事も無かったかのように振る舞う時、私たちは気兼ね無く大笑い出来て、却って場が和むということも起こるのです。
私たちはこの世界を生きていく時に、気がつかぬ間に、この人は代議士だから偉い人なので接し方に気をつけねばとか、また代議士本人も自分を偉く見せねばとか、様々に身構えて生きているものです。“愚かさ”というのは、この人も自分と同じ愚かさを持つ人間なのだということに気づかせて、私たちの身構えを取り払う効果を持ちます。そしてこの愚かさの生じる瞬間において、私たちの様々ないのちの緊張は解きほぐされて、副交感神経の機能が高まってストレスも低下し、セロトニンなどの幸せホルモンなども分泌されるに至るのです。
このように笑いがもたらされる条件として、私たちの存在の緊張が緩むということは、きわめて重要な要件となるのです。滑稽さを、それと隣合わせの悲惨さを気に掛けること無く安心して見ることが出来る時にも、実は私たちのいのちの緊張は緩むことが出来ているのです。
(4)本来の良質な人間性が立ち現われる場としての笑い
以上“笑い”というものがどういう時に生じ、それはどういう性質を持つものなのかについて考えてきました。それを整理すると、次のように言い表すことが出来るでしょう。①“笑い”は、私たちが常識的に想定する事態とはズレの生じる奇妙な現象が起こった時に、②悲惨な結果を案じることなく(後から危害は無かったと気づくことでもOK)、③また私たちの身構えを取り去る愚かさから“こっけい滑稽”さが見て取れ、④私たちの存在の緊張、あるいはいのちの緊張が解きほぐされる時に、私たちの身体的な反応を伴って起こる現象、と定義して言うことが出来るのです。
そしたまた笑われる側の人間も、笑う人間が、自分の悲惨など望まぬ愛情を持っており、また愚かな失敗を、人間の壁を取り払う対等さへの契機と受け止めてくれる信頼の感じられる時に、自分の緊張も解けて、一緒になって笑い出すことが出来るのです。このように笑う者も笑われる者も、一緒になって“笑い”が生じている瞬間というのは、皆が対等で安心して、また存在の緊張が解きほぐれて、本当に信頼しあったいのちの交わりが持てる時となっているのです。こうして“笑い”は、人間の身構えの下に眠る、本来の良質な人間性が立ち現れる場ともなっているのです。(だからこそ笑いは、健康にも良く、免疫力も高めて、いのちの力を育む力となるのです。)
3.チャップリンの笑いと批判精神
(1)“笑い”の本質に向けられたチャップリンの目
こうして“笑い”というものの本質を整理していくと、ドタバタ喜劇とチャップリンの描こうとした喜劇の相違がよく分かってくると思います。一般的な喜劇や“お笑い”というのは、笑いが生じる“こっけい滑稽さ”と隣接して生じているはずの悲惨の可能性や、また愚かさから人間の相互理解へと向かう広がりをわざとしゃしょう捨象して、ただ“こっけい滑稽さ(ズレ)”のみに焦点を当てて、消費的な笑い(バカ笑い)を取るものでしかありません。それはそれでカタルシス(心のおり澱を吐き出して浄化すること)をもたらすものとして大切なことで、むしろ私たちは、こんな笑いこそ当たり前の笑いと思って受け入れているのです。しかしチャップリンにとっては、そんな本来のありよう様からこっけい滑稽さだけが切り離された笑いは、どうしても不自然としか感じられなかったのです。
それ故にチャップリンの笑いは、“こっけい滑稽さ”が成立する隣接部分までも取り込んで表現されることになってきます。そのために彼の喜劇は、ペーソスやヒューマニズ、人間の誠意と相互信頼を同時に映し出す“笑い”となってこざるを得なかったのです。
チャップリンはその自伝の中で、次のようなエピソードを語ったと伝わっています。
子供の頃、食肉処理場から逃げ出した羊を見たことがある。周囲の人間は慌てて羊を追いかけるのだが、羊も必死で逃げるものだから、羊も人間も右往左往して、あちこちぶつかってはひっくり返った。そのおかしな光景に、周りの人間は腹を抱えて笑った。しかしチャップリンは、やがて羊が捕まえられた時、「あの羊、殺されるよ」と泣きながら母のもとに走って行った。
貧しく、さげす蔑まれることの多い子供時代を過ごしたチャップリンにとっては、ただこっけい滑稽さだけを笑っていることが出来ず、どうしても自分を、この羊の立場に置いてしか事態を見ることが出来なかったのです。この子供時代の経験が、後にチャップリンに、人間の存在構造の深みおいて“笑い”が持つ幅の広がりに対して、目を開かせていった契機であると思われます。
(2)チャップリンの批判精神
さてこのように笑いの構造の本質に気づいていったチャップリンには、当然のこととして、滑稽さと併せて、誰もが心から安心して信頼しあって笑い合える、人間の本来のありよう様が目に入ってきます。そして人間が本来のありよう様に生きることを妨げる、様々な制度や仕組みも目に入ってきます。そこに“ズレ”を生じさせて、私たちが気づかぬギャップをこっけい滑稽さとして白日のものにさら晒すことが、彼にとっての喜劇の演出ということになってくるのです。
ところでこのズレによるこっけい滑稽さは、ほんの小さな言い間違い(ダジャレなども含む)などによる日常の些細な出来事から、人間存在の根本に関わるものまで、様々なものに及びます。こうした私たちの思い込みと現実とのズレを確かに見出し、それを他の人にも分かるように示していくためには、自分自身の常識に捉われた見方を越えていく、批判精神が必要になってきます。恵まれない生い立ちを過ごし、人間として扱われることの少なかったチャップリンの場合には、些細なことよりも、どうしても人間の本来のあり方への求めの方が強くなってきます。もし人間の本性が押しつぶ潰されてしまう構造を、“ズレ”によって明らかにしていこうとするなら、当然その批判の射程も深く広大なものとなってこざるを得ません。こうしてチャップリンの批判の矛先は、機械文明、市場論理と資本主義、戦争経済等、私たちを非人間化する現代社会の仕組みそのものや文化全般にまで及んでいくことになるのです。またそこに潜む滑稽さをあば暴くためには、緻密な演出とプロデュースが必要になってきます。そのためにチャップリンは、自ら監督、主演、脚本、演出等までを手掛け、徹底的な完璧主義を貫くことによって、人間存在の本質を圧殺するこっけい滑稽さを私たちに見事に見せようとし、それに成功していったのです。
(3)映画『独裁者』製作の背景
こうして人間の本来のいのちの尊厳を圧殺するもの、またいのちを育むことを妨げる脅威を、笑いのうち裡に暴いて見せようとするチャップリンにとって、ヒットラーによるナチズムの独裁と戦争の脅威は、けっしてかんか看過出来るものではありませんでした。そのためにどうしても、その非人間的な本性を、本来の良質な人間性とのズレとしてあば暴き出し、それがいかに滑稽で愚かなものであるかを白日のもとにさら晒す必要があったのです。それが彼の、映画『独裁者』の製作に至る動機でした。
しかしこの映画が製作された1938~1940年当時のアメリカでは、未だナチス・ドイツをソ連に対する反共のとりで砦としてみなす傾向も強く、またドイツ系市民や資本からの宣伝工作もあって、ファシズムの脅威は国全体で共有されたものとはなっていませんでした。そのために反ファシズムを訴えるこの映画は、逆にアメリカの中立を犯すものとして、その製作や上映にあたっての妨害活動さえも起こったのです。しかしそれにも屈せず、チャップリンは個人資産から150万ドル(現在の価値にして約40~50億円?)を支出し、この映画を完成させたのです。またファシズムの危険と愚かさを訴えるメッセージを、笑いのうち裡に最も有効に伝えるために、チャップリンはこの映画において、それまで自分がトレードマークとして貫いてきたスタイル、つまり山高帽にきゅうくつ窮屈な上着とだぶだぶズボン、そして大きなドタ靴という、放浪紳士の姿さえも捨て去ったのです。さらにこれまでかたく頑なにこだわってきたサイレント映画の手法をも捨て去り、初めて音声の伴うトーキーとしてこの映画を製作したのです。
その理由は、ひとえに映画『独裁者』のラスト6分間にわた亘って繰り広げられる、チャップリン扮する主人公のスピーチを通じて、世界中の人々と指導者たちに、人間本来の良心に生きる社会に立ち帰って欲しいというメッセージを届けたいと思ったからでしょう。このチャップリンのヒューマニズムが、後に“赤狩り”旋風の吹き荒れるアメリカから、彼が追放される原因となっていくのです。それでも彼が笑いによる批判を通して、人間本来の良心の美しさへの回帰を訴え続けた不屈さの背景には、“真実”を知ってそれを表現しようとする、アーチストの本領が働いていたものと思われます。
さて今回は、“笑い”の構造の本質とチャップリの喜劇の特質、そして映画『独裁者』が製作された背景を見てきました。次回からはいよいよ作品の内容に分け入って、チャップリンのメッセージを具体的に捉え、そこから私たちのいのちを養う糧となるものを拾い上げていってみたいと思います。
なお、次回のパンセの集いは11月21日月曜日の18時より行います。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)
皆 様 へ
0.はじめに
今回と次回のパンセ通信では、映画『独裁者』からチャップリンのメッセージを聞き取っていってみたいと思います。まず今回は“笑い”とはどういうものなのかを考え、チャップリンの“笑い”の特徴をつか掴み、その上で映画『独裁者』において、どういうメッセージを彼が発しようとしたのかを見ていきたいと思います。そして次回において、映画のシーンを具体的に追いながら、彼のメッセージから、私たちがいのちを養う糧として学べるものを整理していってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いは、11月21日月曜日18時から行います。場所は初台・幡ヶ谷の地域です。また11月28日(月)のパンセの集いは、月末ですので幡ヶ谷ホームシアターサークルの活動を予定しております。課題作品は、台湾のホウ・シャオシエン監督の大作『非情城市(A City of Sadness)』(1989年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞)を予定しております。日本と同じ天皇の玉音放送で第二次世界大戦の終戦を迎えた台湾の人々が、2.28事件(中国国民党政権による台湾本省人の弾圧事件)の悲劇に翻弄されつつも、愛情豊かに生きた姿を描いた作品です。アメリカでトランプ大統領が誕生し、アメリカが孤立主義に傾斜していくなかで、改めてこの映画を通じ、隣国の歴史と人々の思いを知って、日本が隣国と共に自立していく道を探っていってみたいと思います。
1.チャップリンが示した喜劇の持つ本来の幅と深み
(1)放浪紳士チャップリン
さて話題をチャップリンの映画に戻していきますが、チャップリンといえば、言わずと知れた20世紀の最大の喜劇王です。サイレント映画の時代から、スラップステッィク・コメディ(体を張ったドタバタ喜劇)で、バスター・キートンやハロルド・ロイドと共に、アメリカの映画界で一世を風靡し、日本をはじめ世界的にも大きな人気を博しました。
そのチャップリンのトレードマークと言えば、小さな山高帽にちょび髭、窮屈な上着にたぶだぶズボン、大きすぎるドタ靴に竹のステッキというい出でた立ちで、ちょっとがにまた股でちょこちょこ歩く姿です。それはチャップリンが編み出した「The Little Tramp(小さな放浪者)=放浪者でありながら紳士」のイメージです。放浪者は現代風に言えば、ホームレスと言っても良いかもしれません。社会の最底辺に生きる人間であるのですが、紳士としての人間の気高さと誇りを持っている。その放浪紳士チャーリーが、貧しく損な目ばかりにあ遭う庶民の立場から、人間本来の心の優しさや信頼を求めて生きようとして、はか図らずも世の中の不公正や不合理とぶつかってしまい、大騒動を引き起こして観客を笑いの渦に巻き込んでしまう。それがチャップリン映画の典型的なストーリーです。
チャップリンはこのトレードマークである放浪紳士チャーリーの姿について、「小さな口ひげは虚栄心。だぶだぶなズボンは、人間の不器用さ。大きなドタ靴は貧困の象徴。窮屈な上着は貧しくても、品位よく見せたいという必死のプライド」を表していると語ったと伝えられています。
(2)チャップリンによる“笑い”の変革
チャップリンが編み出した放浪紳士というスタイルは、それだけでもうチャップリンの伝えようとする思想を表しているのですが、チャップリンがその放浪紳士によってもたらしたものは、“笑い”と喜劇の変革でした。本来“笑い”をもたらすこっけい滑稽さというのは、悲惨な状況や愚かな振る舞いとの際どい境界線上に立ち現われてくるものです。その悲惨な面や愚かな面を、心痛めることなくあざけ嘲ることの出来る時に初めて、私たちはうれ憂えること無くその滑稽さだけを見て取って、腹を抱えて笑うことが出来るのです。
しかしチャップリンは、この本来“笑い”が隣り合わせに持つ悲惨や愚かさを切り捨てることなくそこに目を向け、涙やペーソス、批判や社会風刺として喜劇の中に取り込んでいったのです。そして“喜劇”を、笑いのうち裡に人間を生かさぬ社会の歪みや冷酷さを暴き出す手段として、また人間が本来持つ美しさや愛情の深さに気づかせて、私たちのいのちを養う舞台装置として、さまが様変わりさせていったのです。
(3)ヒューマニズと社会批判としての喜劇
もちろん始めからチャップリンが、そうした“喜劇”が持つ本来の深みと幅を引き出した作品をつくっていた訳ではありません。イギリスで生まれ、貧しくどん底の子供時代を過ごしたチャップリンは、10代になってようやく演劇で生活の糧を得られるようになります。やがてチャンスをつかんでアメリカに渡るのですが、彼が映画への出演、製作を始めたのは、1914年、25歳の時からです。当初の作品は、バスター・キートンやハロルド・ロイド同様、サイレント映像での人間の動きのコミカルさに注目した、アナーキーなドタバタ喜劇(スラップ・ステッィク)のショート作品が中心でした。お決まりのパターンは、女性を見たらすぐに惚れてしまうチャップリン定番の放浪紳士が、次々と周囲とも揉め事を起こし、ラストはいつわ偽った身分がバレて巡査と追いかけっこになるというものでした。もちろん、貧しく報われない庶民の立場から、当時の世相や社会を風刺するという視点はあって、後のチャプリン映画へと発展する萌芽は見られたのですが。
こうしてチャップリンもまた、当初は“笑い”が人間存在に対して本来持つ幅広い意味合いから、ただコミカルさだけを切り離して見せる、ドタバタ喜劇で大きな人気を博するようになりました。しかし孤児院を渡り歩き、生きるためにはどんな仕事でもするというしんさん辛酸をな舐める子供時代を過ごしてきたチャップリンには、実は笑いが、悲惨な状況にある者に対するさげす蔑みと一体になっているということを、身をもって体験して分かっているところがありました。そしてまた、そうしてさげす蔑まれる弱い者の間においてこそ、本当の意味での人間同士のいた労わりあいや愛情が育まれることも、身に染みて実感していたのです。
そのためにチャップリンの“喜劇”は、1917年頃から、笑いと不可分になって生まれる社会的弱者の中でのヒューマニズをも描くものヘと転換していきます。その最初の代表的な作品が、1918年の「犬の生活」(孤独な放浪紳士と不遇な酒場の女性歌手、そしてノラ犬が、けなげ健気に生きて幸せをつか掴む)です。そして1921年の「キッド」(捨て子と実母の再会)、1931年の「街の灯」(盲目の花売り娘への無償の愛)、1952年「ライムライト」(落ちぶれた老芸人が、足の不自由なバレリーナと再起を賭ける)と続いていきます。
また笑いは、人間の愚かさを暴き出してその滑稽さを見せることとも密接に結びついています。私たちが今の社会の常識として当たり前のこととして生きている事柄も、人間本来の在り方に立ち戻って見てみると、随分とおかしな仕組みで動いていることもあまた数多あるものです。この人間本来の在り方が見えてくる地点が、チャップリンにとっては、社会的な弱者であったのです。そしてその貧しい者たちの目を通して見えてくる社会の奇妙さと、人間の真実とのズレを、滑稽さとして笑い飛ばしたのです。そのためには、社会のおかしさを露わにする批判の力が必要になってきます。このように“笑い”は、批判精神とも密接に結びついているのですが、人間の本来の尊厳と美しさを示そうとするチャップリンの映画は、当然のことながらそれを抑圧する社会の仕組みに対する批判と風刺が、より一層鋭いものとなっていきます。その代表的な作品が、1936年の「モダンタイムズ」(労働を非人間化する資本主義と機械文明批判)、そして今回紹介する戦争とファシズム批判の「独裁者」(1940年製作)、1947年の「殺人狂時代」(反戦を意図し、戦争による軍需経済を目論むアメリカの批判)、1957年の「ニューヨークの王様」(自由を抑圧するアメリカの反共主義批判)等なのです。
2.“笑い”が成立する条件
(1)“ズレ”から生じるこっけい滑稽さ
さてここまで、映画『独裁者』をどのように鑑賞して私たちのいのちの糧としていくかを探るために、チャップリンの喜劇の作風の特質を見てきました。ここでもう1度“笑い”というものの本質をもう少し深く掘り下げ、チャップリンがその笑いを通じて私たちに伝えたかったものを明らかにした上で、映画『独裁者』の鑑賞のポイントについて考えていってみたいと思います。
それでは“笑い”というのはいったいどういうもので、どういう時に生じるものなのでしょうか。まずそれは、私たちが日常の中になんらかの“こっけい滑稽”さを見てとって、思わず緊張感が解きほぐされた時に生じるものでしょう。その時嬉しい気持ちが込み上げて、笑顔を浮かべたり笑い声を発したりと、身体的にも特有の変化を生じる現象だと言えます。では“滑稽さ”というのはどういうものなのでしょうか。それは私たちの常識的な判断予測とは異なった、予期せぬ奇妙な事態が生じた時に覚える“ズレ”の感覚だと言えます。
例えば映画『独裁者』の冒頭の第一次世界大戦における前線での戦闘シーンで、チャップリン演じる二等兵が、敵に向かって投げようとしたてりゅうだん手榴弾を、誤って袖口から自分の服の中に滑り込ませてしまう場面があります。その破裂寸前のしゅりゅうだん手榴弾を取り出そうと、必死でもがくチャップリンの姿が、文句なくコミカルで笑えるのです。そこでなぜこのシーンがおか可笑しいのかを、考えてみたいと思います。そこにはまず、私たちの常識的な予測と、実際にチャップリンに起こったこととの間にズレが生じていることが分かります。殺すか殺されるかの生死をかけた戦場で、危険なしゅりゅうだん手榴弾を素早く敵に向かって投げてさっそう颯爽と突撃、と思いきや、肝心のしゅりゅうだん手榴弾は自分の服の中に!そのシチュエーションの全く予想と異なる展開と、その後のチャップリンの、服のなかの手榴弾をまさぐる姿が、まるで体のあちこちをか掻いているようで、その当初予想した展開や行動との落差の大きさが、面白く感じられるのです。
(2)悲惨に至らぬ安心感と愚かさの必要
しかし笑いが成立するためには、単に予想と現実に生じた事態とのズレだけでは説明が出来ません。例えばチャップリンが、服の中からしゅりゅうだん手榴弾を取り出すのが間に合わず爆発してしまったら、笑い事ではすみません。このように笑いを呼び起こす滑稽さは、実際には悲惨に至る可能性のある状況と隣合わせにあるのですが、それが悲惨な結末にはならないという安心感・信頼感がある時に初めて、私たちは屈託なく笑うことが出来るのです。あるいは、実際には悲惨な結末に陥ったとしても、その事実を無視し、ただその手前での滑稽な姿のみに焦点をあてて楽しむことが出来る時に、笑うことができるのです*。もしこの悲惨にはならないという安心感がなければ、私たちはしゅりゅうだん手榴弾を取り出そうとするチャップリンの姿を、ハラハラドキドキして、むしろスリルを感じながら見ることになってしまうのです。
* 例えば古代ローマのコロッセウム(円形闘技場)で、見世物として奴隷が猛獣に食われる出し物があったとします。その時満員の観客は、逃げ惑う奴隷の姿の滑稽さに笑い転げることでしょう。食われる人間の悲劇を顧みることなど無しに。
こうしたスリルなどを感じる必要なく笑えるためには、実は安心感の他にもう1つ重要な要素があるのです。それが“愚かさ”です。常識的な予想とのズレとして生じた事態が、単に悲惨と隣接しているだけでなく、そのズレを生じさせた当事者の行動が、愚かさに由来するものであった時に、私たちは笑うことが出来るのです。しゅりゅうだん手榴弾を投げようとして手を滑らせて、袖口から服の中に取り込んで出せなくなってしまうようなチャップリンの行動は、愚か以外の何ものでもありません。
(3)いのちの緊張の解きほぐし
それでは私たちは、ある人に及ぶ想定外な事態や行動が、その人の愚かさの結果に由来する時に、さげす蔑みやあざけ嘲りの思いが起こるから笑えるというのでしょうか。ところが、これも必ずしもそうとは言い切れない面があるのです。むしろ私たちは、他人の愚かさを垣間見ることの出来た時、この人にもこんな面があったのかと、なにかほっと緊張の糸がほど解けるような思いになることはないでしょうか。例えば威厳のある偉い代議士の先生が、壇上で滑って転んで、お腹の出た上着のボタンでも弾け飛ぼうものなら、私たちはその滑稽さに、思わず吹き出してしまうのではないでしょうか。ましてや本人がその後、頭をか搔きながら照れ笑いでも浮かべて、「やあ、失礼、失礼」などと怪我も無く、大して気にも留めず、何事も無かったかのように振る舞う時、私たちは気兼ね無く大笑い出来て、却って場が和むということも起こるのです。
私たちはこの世界を生きていく時に、気がつかぬ間に、この人は代議士だから偉い人なので接し方に気をつけねばとか、また代議士本人も自分を偉く見せねばとか、様々に身構えて生きているものです。“愚かさ”というのは、この人も自分と同じ愚かさを持つ人間なのだということに気づかせて、私たちの身構えを取り払う効果を持ちます。そしてこの愚かさの生じる瞬間において、私たちの様々ないのちの緊張は解きほぐされて、副交感神経の機能が高まってストレスも低下し、セロトニンなどの幸せホルモンなども分泌されるに至るのです。
このように笑いがもたらされる条件として、私たちの存在の緊張が緩むということは、きわめて重要な要件となるのです。滑稽さを、それと隣合わせの悲惨さを気に掛けること無く安心して見ることが出来る時にも、実は私たちのいのちの緊張は緩むことが出来ているのです。
(4)本来の良質な人間性が立ち現われる場としての笑い
以上“笑い”というものがどういう時に生じ、それはどういう性質を持つものなのかについて考えてきました。それを整理すると、次のように言い表すことが出来るでしょう。①“笑い”は、私たちが常識的に想定する事態とはズレの生じる奇妙な現象が起こった時に、②悲惨な結果を案じることなく(後から危害は無かったと気づくことでもOK)、③また私たちの身構えを取り去る愚かさから“こっけい滑稽”さが見て取れ、④私たちの存在の緊張、あるいはいのちの緊張が解きほぐされる時に、私たちの身体的な反応を伴って起こる現象、と定義して言うことが出来るのです。
そしたまた笑われる側の人間も、笑う人間が、自分の悲惨など望まぬ愛情を持っており、また愚かな失敗を、人間の壁を取り払う対等さへの契機と受け止めてくれる信頼の感じられる時に、自分の緊張も解けて、一緒になって笑い出すことが出来るのです。このように笑う者も笑われる者も、一緒になって“笑い”が生じている瞬間というのは、皆が対等で安心して、また存在の緊張が解きほぐれて、本当に信頼しあったいのちの交わりが持てる時となっているのです。こうして“笑い”は、人間の身構えの下に眠る、本来の良質な人間性が立ち現れる場ともなっているのです。(だからこそ笑いは、健康にも良く、免疫力も高めて、いのちの力を育む力となるのです。)
3.チャップリンの笑いと批判精神
(1)“笑い”の本質に向けられたチャップリンの目
こうして“笑い”というものの本質を整理していくと、ドタバタ喜劇とチャップリンの描こうとした喜劇の相違がよく分かってくると思います。一般的な喜劇や“お笑い”というのは、笑いが生じる“こっけい滑稽さ”と隣接して生じているはずの悲惨の可能性や、また愚かさから人間の相互理解へと向かう広がりをわざとしゃしょう捨象して、ただ“こっけい滑稽さ(ズレ)”のみに焦点を当てて、消費的な笑い(バカ笑い)を取るものでしかありません。それはそれでカタルシス(心のおり澱を吐き出して浄化すること)をもたらすものとして大切なことで、むしろ私たちは、こんな笑いこそ当たり前の笑いと思って受け入れているのです。しかしチャップリンにとっては、そんな本来のありよう様からこっけい滑稽さだけが切り離された笑いは、どうしても不自然としか感じられなかったのです。
それ故にチャップリンの笑いは、“こっけい滑稽さ”が成立する隣接部分までも取り込んで表現されることになってきます。そのために彼の喜劇は、ペーソスやヒューマニズ、人間の誠意と相互信頼を同時に映し出す“笑い”となってこざるを得なかったのです。
チャップリンはその自伝の中で、次のようなエピソードを語ったと伝わっています。
子供の頃、食肉処理場から逃げ出した羊を見たことがある。周囲の人間は慌てて羊を追いかけるのだが、羊も必死で逃げるものだから、羊も人間も右往左往して、あちこちぶつかってはひっくり返った。そのおかしな光景に、周りの人間は腹を抱えて笑った。しかしチャップリンは、やがて羊が捕まえられた時、「あの羊、殺されるよ」と泣きながら母のもとに走って行った。
貧しく、さげす蔑まれることの多い子供時代を過ごしたチャップリンにとっては、ただこっけい滑稽さだけを笑っていることが出来ず、どうしても自分を、この羊の立場に置いてしか事態を見ることが出来なかったのです。この子供時代の経験が、後にチャップリンに、人間の存在構造の深みおいて“笑い”が持つ幅の広がりに対して、目を開かせていった契機であると思われます。
(2)チャップリンの批判精神
さてこのように笑いの構造の本質に気づいていったチャップリンには、当然のこととして、滑稽さと併せて、誰もが心から安心して信頼しあって笑い合える、人間の本来のありよう様が目に入ってきます。そして人間が本来のありよう様に生きることを妨げる、様々な制度や仕組みも目に入ってきます。そこに“ズレ”を生じさせて、私たちが気づかぬギャップをこっけい滑稽さとして白日のものにさら晒すことが、彼にとっての喜劇の演出ということになってくるのです。
ところでこのズレによるこっけい滑稽さは、ほんの小さな言い間違い(ダジャレなども含む)などによる日常の些細な出来事から、人間存在の根本に関わるものまで、様々なものに及びます。こうした私たちの思い込みと現実とのズレを確かに見出し、それを他の人にも分かるように示していくためには、自分自身の常識に捉われた見方を越えていく、批判精神が必要になってきます。恵まれない生い立ちを過ごし、人間として扱われることの少なかったチャップリンの場合には、些細なことよりも、どうしても人間の本来のあり方への求めの方が強くなってきます。もし人間の本性が押しつぶ潰されてしまう構造を、“ズレ”によって明らかにしていこうとするなら、当然その批判の射程も深く広大なものとなってこざるを得ません。こうしてチャップリンの批判の矛先は、機械文明、市場論理と資本主義、戦争経済等、私たちを非人間化する現代社会の仕組みそのものや文化全般にまで及んでいくことになるのです。またそこに潜む滑稽さをあば暴くためには、緻密な演出とプロデュースが必要になってきます。そのためにチャップリンは、自ら監督、主演、脚本、演出等までを手掛け、徹底的な完璧主義を貫くことによって、人間存在の本質を圧殺するこっけい滑稽さを私たちに見事に見せようとし、それに成功していったのです。
(3)映画『独裁者』製作の背景
こうして人間の本来のいのちの尊厳を圧殺するもの、またいのちを育むことを妨げる脅威を、笑いのうち裡に暴いて見せようとするチャップリンにとって、ヒットラーによるナチズムの独裁と戦争の脅威は、けっしてかんか看過出来るものではありませんでした。そのためにどうしても、その非人間的な本性を、本来の良質な人間性とのズレとしてあば暴き出し、それがいかに滑稽で愚かなものであるかを白日のもとにさら晒す必要があったのです。それが彼の、映画『独裁者』の製作に至る動機でした。
しかしこの映画が製作された1938~1940年当時のアメリカでは、未だナチス・ドイツをソ連に対する反共のとりで砦としてみなす傾向も強く、またドイツ系市民や資本からの宣伝工作もあって、ファシズムの脅威は国全体で共有されたものとはなっていませんでした。そのために反ファシズムを訴えるこの映画は、逆にアメリカの中立を犯すものとして、その製作や上映にあたっての妨害活動さえも起こったのです。しかしそれにも屈せず、チャップリンは個人資産から150万ドル(現在の価値にして約40~50億円?)を支出し、この映画を完成させたのです。またファシズムの危険と愚かさを訴えるメッセージを、笑いのうち裡に最も有効に伝えるために、チャップリンはこの映画において、それまで自分がトレードマークとして貫いてきたスタイル、つまり山高帽にきゅうくつ窮屈な上着とだぶだぶズボン、そして大きなドタ靴という、放浪紳士の姿さえも捨て去ったのです。さらにこれまでかたく頑なにこだわってきたサイレント映画の手法をも捨て去り、初めて音声の伴うトーキーとしてこの映画を製作したのです。
その理由は、ひとえに映画『独裁者』のラスト6分間にわた亘って繰り広げられる、チャップリン扮する主人公のスピーチを通じて、世界中の人々と指導者たちに、人間本来の良心に生きる社会に立ち帰って欲しいというメッセージを届けたいと思ったからでしょう。このチャップリンのヒューマニズムが、後に“赤狩り”旋風の吹き荒れるアメリカから、彼が追放される原因となっていくのです。それでも彼が笑いによる批判を通して、人間本来の良心の美しさへの回帰を訴え続けた不屈さの背景には、“真実”を知ってそれを表現しようとする、アーチストの本領が働いていたものと思われます。
さて今回は、“笑い”の構造の本質とチャップリの喜劇の特質、そして映画『独裁者』が製作された背景を見てきました。次回からはいよいよ作品の内容に分け入って、チャップリンのメッセージを具体的に捉え、そこから私たちのいのちを養う糧となるものを拾い上げていってみたいと思います。
なお、次回のパンセの集いは11月21日月曜日の18時より行います。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)