ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信No.118『“ほんとう”を求めるロマン-現代を超える欲望』

Jan 07 - 2017

■2017.1.7パンセ通信No.118『“ほんとう”を求めるロマン-現代を超える欲望』

皆 様 へ

1.今年1年の世界の動向
(1)新年1週間の出来事
新年おめでとうございます。今年は平安で、安定した生活のもとに、皆様がそれぞれに自分の幸せを求めて、ささやかでもその幸せを享受できる1年であればと祈念致します。もちろん、飛躍できる人は大いに飛躍できれば、それに越したことはありません。そうした期待と願いの一方で、今年はいったいどんな年になるのだろうと、不安と希望の入り混じった思いが心に起こってくるのも、私たちにとっては常のことでしょう。

そこで年初早々の出来事からこの1年を占ってみるために、年が明けてこの1週間ほどの間に起こった事件を並べてみると、以下のようなものが目につきます。元日の未明に、トルコのイスタンブールのナイトクラブで銃の乱射テロにより39名が死亡。1月3日取引の始まったNYダウ平均株価は、119ドル高の19,881円と史上初めての2万円台の大台に迫りました。そしてまたこの日には、トランプ次期大統領の批判を受け、フォードがメキシコでの新工場建設を取り止める発表を行っています。またトランプ次期大統領は、トヨタのメキシコでの工場計画にもどうかつ恫喝を加えています。その一方でニューヨーク州では、クオモ知事が、将来の人材投資と若者の希望のために、公立大学の授業料無償化を発表しました。ヨーロッパでは、イギリスのロジャーズ駐EU大使が、3日に突然の辞任を表明し、そして中国では、元安(資本流出)に対抗するために、年明け早々から必死の資本規制が行われています。

日本国内に目を向けると、1月4日の大発会で、日経平均株価は479円高の19,594円となりました。そして5日の日経新聞の1面では、「景気拡大の期待が市場を覆う」という見出しがおど躍りました。なんとも目出たい限りです。また4日の安部首相の年頭記者会見での、衆議院の早期解散への慎重発言とは裏腹に、日経新聞では衆議院立候補予定者938人の一覧が掲載されました。そして1月6日には、高齢者は75歳(従来は65歳)からという提言が、学界からなされています。

(2)失業を輸出するアメリカ第1主義
わずか1週間の出来事で、今年の動向を読み解くことなど出来ませんが、1つはっきりしていることは、当然のことながら、昨年来の潮流が継続しているということです。中東・シリア情勢の混乱と難民・移民の問題は、解決のきざ兆しすら見えていません。従って引き続きテロが、社会の安全を脅かすことでしょう。移民排斥の問題に関しては、低成長が続く中で、もはやアメリカでもヨーロッパでも、移民を受け入れる余地が無くなったということを表しているものと思われます。このことは、もともと世界の経済社会の矛盾として根底にあった南北問題を、テロを含めて一層複雑な問題として私たちに突き付けてくることになります。イギリスの駐EU大使の辞任は、EU統合の困難さが増していることを象徴しています。

アメリカに目を転じると、トランプ大統領の人事と政策が次第にはっきりしてきました。議会で最終的に承認されるかどうかは未定ですが、指名された閣僚は、軍人、ビジネスで成功した富豪、そしてゴールドマン・サックスを中心とする金融界の人材で、なかなかの強硬派揃いです。そしてアメリカの貿易政策決定に大きな影響力を持つUSTR(米通商代表部)代表には、保護主義色の強いロバート・ライトハイザー氏の起用が3日に決まりました。この布陣によって、トランプ新大統領の唱えるアメリカ第1主義を強引に推し進め、製造業の国内回帰をもたらし、アメリカの企業とトランプ氏の支持基盤である白人中低所得層に一気に恩恵を施そうとしているようです。

そのための方策として、企業に対して輸入額を経費控除せず、輸出額を売上計上しないという改革が検討されていると伝えられます。その場合の効果は、輸入ついては20%の関税がかかるのと同じ効果が見込まれると言います。この結果、アメリカでの生産が刺激され、投資が米国内に戻って生産性が向上し、輸入が減少して輸出が伸びて、貿易赤字は急速に解消して、アメリカの経済は活力を取り戻していくことになるでしょう。しかしその反面、日本や中国や新興国の対米輸出は減少し、不況が転化されることになります。さらに米国の貿易赤字の縮小と共に、ドルはアメリカに回帰し、ドル高や米国以外の国々での金融逼迫が生じ、国際金融危機を引き起こしかねません。実際にトランプ氏が大統領に選ばれた昨年11月以来、新興国から資金の流出は200億ドル(約2兆3千億円)にも達しています。中国が資本規制を行わなければならないのは、このせい所為でもあり(もっと尤も中国の場合は、バブル崩壊と景気の後退を恐れた資金の逃避もありますが)、またアジア各国では、ドル融通枠を拡大して通貨防衛を強化しようという動きが図られています。

(3)トランプ政策の日本への影響
日本も、このアメリカの他国の不利益を顧みない自国優先政策のらちがい埒外にあるわけではありません。日本がアメリカと強固な同盟関係にあろうと、安倍首相がトランプ新大統領と信頼関係を築こうと、そんなことはアメリカがむき出しの保護主義政策を進めれば、何の効力も果たしません。すでに昨年12月のFOMC(米連邦公開市場員会)で利上げを決めたFRB(米連邦準備理事会)は、今年の利上げペースを速める可能性をしさ示唆しています。それだけで金融緩和にのみ依存する日本のアベノミクスは、その政策のイメージ効果さえもが、吹き飛んでしまうことになるでしょう。

簡単に言ってしまえば、トランプ新大統領が今準備を進めている政策を、今月20日の大統領就任以降本気で実施していけば、(短期的には)アメリカは良くなるが、日本を含めて世界は大変なことになるということです。そしてその結果は、第二次世界大戦以降70年間にわた亘って積み上げてきた世界の協調は崩れ、再び弱肉強食の国家間闘争が始まるか、アメリカの力の前に屈して、アメリカの利益のために甘んじて不利益を享受して生き長らえるか、という選択になるのかもしれません。

しかし物事は何でも、悪い面もあれば必ず良い面もあるものです。アメリカが保護主義に向かわざるを得なくなるということは、これまで進めてきた新自由主義とグローバリズムという無節操に格差を拡大していく資本主義に対して、人々の反発から歯止めをかけざるを得なくなったということです。そしてそれは、新しい資本主義経済のルールを模索せざるを得なくなったということでもあるのです。また保護主義そのものもけっして悪いものではなく、無制限のグローバル競争による国内経済へのコストダウンの圧力を一旦緩和し、国内市場を再育成していくための余裕を与えてくれる可能性もあるからです。それでは、どのような仕組みの資本主義をつくっていけば良いのでしょうか。それについて人間の欲望の原理から、1つ1つ考えていってみたいと思います。次回のパンセ集いは、1月9日(月)が成人の日の祝日のためにお休みとし、1月16日の月曜日に行います。時間は18時からで、渋谷区本町のホームシアターで開催致します。

2.人間の欲望の階層
(1)人間の欲望の目標と対象
さて前回までのパンセ通信で、人間の欲望は、動物のような身体の生理的な求めに由来する欲望から、関係性の欲望に移行することを説明しました。人間関係においてほ褒められたり、認められたり、必要とされたりして、自分の存在意義や自己価値が確認できることに、身体の必要の充足以上に、もっと大きな充たされた思いを感じるのです。さらにお互いが認めあって支えあい、励ましあって力づけあう時には、そこに大きな力と生きる意欲が沸き立ってくるものです。このように人間の欲望が生じてくる源泉は、身体から関係性の中で意識の中に芽生えてくる自我(自己意識)へと移り、自我の満足が、人間の欲望の“目標”となってくるのです。

それでは、人間にとっての自我の欲望の“対象”は何になるのでしょうか。動物の場合には、その種に固有なエサや異性など、周囲の自然界にある具体的な事物が欲望の対象となります。例えばパンダにとってのささ笹などです。しかし人間の場合には、人間関係の心地良さや、自己価値の確認、そしてその自己価値の相互承認などが、自我の欲望の対象となってきます。さらにこの関係性の欲望が、前回申し上げたように、人間が育んできた象徴能力とあこがれやロマンを求める能力と結びついて、“正しいこと”や“きれいで美しいこと”、そして“ほんとうに大切なこと”など、つまり“真・善・美”といった幻想的な対象へと結晶していくことになるのです。

(2)成功への欲望
この自己価値と関係性を求める人間ならではの自我の欲望を、もう少し階層的に整理してみると次のようになります。私たちも動物ですから、当然その基底のところでは、生命を維持して養う(エサを食べる生存)欲求と、危険を避ける(自分を守る)求めがあります。こうした身体的・本能的な欲求は、複雑な人間関係と社会関係が織り込まれて形成されてくる現代の私たちの自己意識(自我)の上では、まず必要な収入を得て、暮らしをまかな賄う求めとして意識されてきます。また不当な暴力や脅迫によって、生命や財産が脅かされることのないように、治安が維持されることの求めともなってくるのです。こうした生活保障と安全確保の求めは、自我の欲望の対象の、最も基底をなすものとなるのです。

その上で、自我は自己価値の確認を求めます。自分には、他の人と比べて、こんな良い面や優れた面があるから、生きている意味と価値があるのだと、自身で納得できる欲望です。この自分の存在価値を確認する求めから、他者と競合して勝利したり、自分は他の人間よりもすご凄いんだ、偉いんだと承認される欲望が生じてきます。こうした関係性(自我)の欲望の最も初歩的なものして、猿山の猿のような、強-弱、優-劣の序列を求める欲望が生まれてくるのです。

しかしこの強弱・優劣を競うゲームで勝利したいという欲望は、現代社会においては“成功ゲーム”という形で展開されてくることになります。現代の資本主義を経済原理とする社会においては、成功の基準は割とはっきりとしています。お金を多く稼ぐことと、社会的地位を上昇させることです。こうして私たちは、自分の欲望を充たすために、お金儲けと出世の競争にきょうほん狂奔することとなるのです。

3.人権と民主主義の原理
(1)“ほんとう”を求める人間の精神の自由
ところが自我の欲望の対象というのは、成功ゲームに勝利して、自分の強さや優越性を承認されて、自己価値を確認することだけに留まるものではありません。さらに深いものとして、先ほど申し上げた真・善・美への欲望があるのです。ほんとうに正しいもの、ほんとうに美しいもの、人に何と言われようと自分自身の真実を求めようとして、夢をかな叶えたいと思う欲望です。

一人一人の人間は、せいぜい百年足らずの寿命で、自然の猛威や巨大な権力の前では、もろくてはかな儚い存在にしか過ぎません。しかし肉体的にはそんな存在であっても、人間は自我(自己意識)においては、常に自分と世界を捉え返し、この世界の全体に対して、精神的な主体として向き合おうとします。そして自分と世界の関係について、何度でも反復して理解を繰り返し、主体としてその意味のすべてを知ろうとしていくのです。こうしてその意識は、宇宙の彼方からミクロの量子の世界へ、また遠い過去からはるかな未来へと及び、死後の世界にさえ広がります。さらに真理や“ほんとう”を、どこまでも無限に求めて明らかにし、自分のものとしていこうとするのです。これが人間の精神の自由でありまた崇高さであって、人間の存在の本質が自由で価値に満ちたものであることを特徴づける契機となるのです。

例えば私たちが、優れた小説を読んだ時に、ここにほんとうの恋愛がある、あるいは人生の真実があると感じることがあるでしょう。あるいは若者たちが、ほんとうのロックミュージックや芸術を求めたり、職人がそれぞれの領域で、さらに味や美しさや巧みさを極めていくような心性です。

この真・善・美を求める欲望、つまり自分にとってのあこが憧れとロマンを“ほんとう”に求めて夢をかな叶えていこうとする欲望は、人間らしく生きるために極めて重要です。人間が幸せ(生きる目的)に生きるための必要条件が、生活保障と安全確保の欲求であるとするなら、まさに自分にとっての“ほんとう”を求める欲望は、幸せに生きるための十分条件となり、私たちに生きる意味と価値と充実を真実に与えることになるのです。(成功への欲望は、疑似的な十分条件と言えるでしょう。)

そしてこの“ほんとう”を求める欲望が、専制的(独裁的)な権力や例えば宗教や因習のような強固な価値体系によって圧殺されたり、あるいは成功ゲームの狂奔によってお金や地位・権力の獲得に埋没して脇に追いやられてしまう時、私たちは自由を失って生き辛さを感じ、人間の伸び伸びとした生の欲望は萎縮していってしまうのです。逆に“ほんとう”を求める欲望こそが、価値と創造力(イノベーション)の源泉であり、現代の経済・社会のジレンマを解く鍵となってくるのです。

(2)“ほんとう”の相互承認
しかしこの真・善・美を求める欲望が、現実に社会的に展開していくためには、さらに超えなくてはならないハードルがあります。まず自分なりの“ほんとう”を求める欲望は、関係性の欲望から生じてきた欲望であるが故に、その内容は、非常に多様で相関的に変様していくものです。つまり幻想的な欲望であるが故に、一義的(正しい“ほんとう”はこれ1つ)には捉えられないものなのです。そしてまた何がほんとうに美しいか、真実なのかという感受性は、個々人が成長してきた環境や生育状況によって異なり、その感度は、人によってまた文化によって微妙に異なってくるものなのです。

従って自分では“これこそがほんとうだ”と思っても、それが他の人に受け入れられるかどうかは分かりません。場合によっては、そんなものは偽物だとけな貶されてしまい、ガックリと落ち込んでしまうこともあります。それでも、真・善・美の欲望のもと基になるあこが憧れやロマンは、前回も申し上げたとおり、もともと元々はかな叶わなかった願いや求めの挫折体験に由来するものです。挫折したからこそ、今度こそほんとうに他の人や大事な人に受け入れられるものを表現しよう、作ろうという思いになるのです。こうして自分なりの“ほんとう”が本当になるためには、他の人達から見ても、自分もそれは“ほんとう”だと思うという賛同や承認によって、受け入れられることが必要となってくるのです。

こうして受け入れられた時、私たちの“ほんとう”を求める欲望は普遍性を獲得し、単なる自己ぎまん欺瞞ではない、確かな自己の存在価値の確認となると共に、他の人々にも役立つことが出来る欲望となっていくのです。つまり自分自身の“ほんとう”を追求していく自由な求め、他者と社会にも貢献していくことが出来るようになっていくのです。そしてこのように私たちの一人一人が、“ほんとう”を求めて無限の精神の自由を発揮して、創造的な成果を生み出す能力と可能性を有することを知ることが、『人権』の考えの根拠であり、またこのお互い同士の精神の自由を承認しあい、“ほんとう”を求める創造性を育みあうことが、民主主義の原理となっていくのです。

残念ながら現代においては、新自由主義とグローバル経済競争によって、過酷化した成功ゲームの競争のために、私たちの人間的欲望は相当な窒息状態にあります。この行き詰った現代社会を再生していくためには、若者たちがもう1度それぞれの夢や“ほんとう”を求めて、もっと自由に歩みだせるようになっていかなければなりません。そして他者の“ほんとう”を求めるしんし真摯な営みを、けな貶してつぶすのではなく、お互い同士の営みを尊重しあい、育みあうような調整の機能を、高齢者たちが果たしていかなければならないでしょう(それが老いの叡智というものです)。こうした人間の自己価値を追求しあって創造性を発揮しあう(幸せの十分条件)ことを可能とするこれからの社会のルールと、それを支える資本主義の仕組み(幸せの必要条件)を、これから検討していってみたいと思います。そしてまたこうした幸せ(人生の目標、いのちの価値)の必要十分条件を1つ1つ実現していくことの出来る、内的(自己意識)ないのちの力を身に着ける方法も考えていってみたいと思います。

次回のパンセの集いは、1月9日(月)が祝日のためにお休みとし、1月16日(月)に新年最初の集まりを持ちます。時間は18時からで、場所は渋谷区本町のホームシアターです。お時間許す方はご参加ください。(初めて参加ご希望の方も歓迎です。白鳥までお問い合わせ下さい。)

P.S. パンセ通信は、3~4週間の遅れで、校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップ致します。必要な方は、バックナンバーと併せて、以下のサイトをご覧下さい。

「パンセ・ドゥ・高野山」トップページ http://www.pensee-du-koyasan.com/
「パンセ通信」のサイトhttp://www.pensee-du-koyasan.com/posts/category/4