■2017.2.4パンセ通信No.122『社会秩序の破壊によって生じる普遍闘争と覇権の原理』
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1.トランプ政治の功罪と展開予想
(1)トランプ氏の大統領令
トランプ大統領が、就任から半月も経たないうちに、次々と大統領令を発令しています。その主なものは、メキシコ国境への壁建設、不法移民の取締り強化、サンクチュアリ・シティ(不法移民保護のための聖域都市)撤廃、テロ対象(7ヶ)国からの移民禁止、オバマケア廃止、TPPからの脱退、国家による業界規制の撤廃、石油掘削量の増大、アメリカ軍の再構築、ISISの殲滅(せんめつ)などです。もちろんこうした大統領令に対する議会の承認が無ければ、予算措置は出来ませんし、閣僚人事の議会での承認も大幅に遅れるなど、行政機構の整備も滞り、政策の執行は未だ未知数の部分があります。また憲法への抵触を巡って、司法との争いも生じています。しかしそのインパクトは絶大で、アメリカ国内も世界も、大混乱に陥るに十分な状況にあるようです。
トランプ大統領は自分に敵対するマスコミを口汚く罵り、他国の首脳であっても罵倒し、人道も無視するものですから、反発したり嫌悪感を催す人が膨大です。しかも経済原理や環境保全も蔑(ないがし)ろにするのですから、特にアメリカが圧倒的な強さを誇る、先端産業分野を担う経済・科学分野の人材からも反発を受けています。こんな時こそ日本がしっかりした国であれば、こうしたアメリカの次世代を担う企業・人材の受け皿となって、一挙に世界をリードする国として躍り出ることが出来るのでしょうけれども。
(2)トランプ政治の功罪
しかしアメリカ国民の半数を上回る人々は、こうしたトランプ大統領の無謀とも思える政策と、その実行手腕を評価しています。その理由は明白で、人々が今までの政治と経済のルールにNoを突き付けたからです。これまでのルールというのは、新自由主義とグローバリズムを精緻な政治手法で推進するものです。このままいけば私たちは、表面上自由と権利を保障されながら、政府に対して道理のある反論が展開出来ないもどかしさのままに、一部の巨万の利益を享受するエリート層との格差が固定し、ますますその差が拡大していったことでしょう。そして普通の庶民である私たちは、経済的にも人生の可能性の面でもチャンスを奪われ、ひたすら生き辛さに苛(さいな)まれることになってしまう。実際のところ明確にトランプ大統領を支持するアメリカの半数の人々に留まらず、大多数の人々は、今の仕組みに対してうまくは言えないけれど、どこかおかしいと感じていたことでしょう。
こうした表面上自由で民主的であっても、実は大多数の人々が閉塞感漂う状況に対して、いつかNoを突き付ける事態が生じるのは必然的なことだったでしょう。しかしその方法が、道理や理性を超えた反知性主義的な方法でなされたというのは、全く想定外で興味深い現象です。しかしだからと言って、トランプ政治を評価するものではありません。その理由は2つあります。1つはトランプ大統領の政治手法が、大統領選挙戦以来相手候補(共和党内の他の候補、そしてヒラリー・クリントン氏)を徹底的に批判して叩きのめすものだったのですが、それが大統領になっても続いているということです。大統領になれば批判ではなく、アメリカと世界の未来ために確かな指針と具体的な実行プロセスを示す政策を打ち出さなくてはなりません。しかし未だトランプ氏の関心は、アメリカ第1主義のスローガンのもとに、マスコミや移民受け入れなど、自分の意に沿わない勢力を叩きのめすことに向けられているようです。しかしそこにトランプ氏の隠れたビジョンが見えない訳ではありません。彼は不満を溜める白人中低所得層の利益を代弁することを主張しながら、結果としてこれまで培ってきた人権や社会正義のルールを破壊し、弱肉強食の自然界のルールに戻って、強い者が弱い者を支配する強弱の論理の世界を思い描いているのです。成功者であり勝利者であって強者であるトランプ氏にとって、強い者が弱い者を支配するのは当然のことなのでしょう。その詳細については、パンセ通信No.120、121でも述べたとおりですが、このことがトランプ政治を評価出来ない2つ目の理由となります。
(3)トランプ政権の構造
強い者が弱い者を支配するのは、確かに強者にとっては良いことでしょう。しかし多数者を占める弱者にとっては、たまったものではありません。またそこにあるのは力の論理ですから、必ず強者には挑戦者が現れ、常に自分の地位が脅かされる不安に苛(さいな)まれることになります。どんな人間もどんな政権(政体)も、力の論理のもとで勝ち続けることなど出来ないからです。
現在トランプ政権の構造は、力の論理に賛同する強者(成功者・億万長者)たちが、政権の中枢に集まってきています。トランプ政権を支える支持層である白人中低所得層は、不満を募(つの)らせる苛立(いらだ)ちから、これまでの政治経済のルールのすべてが自分たちを不利益に追い込むかのごとくに思い込み、そんなものは一旦すべてぶっ壊せば良いと思い込んでいるようです。また共和党の中枢は、トランプ氏と距離を保ちつつ様子を見、トランプ大統領の失脚と、あるいは利用できるところは利用しようという両天秤をかけた備えをしているようです。まるでナチスが台頭した当時の1930年代初頭のドイツの政界や軍部のようですね。そして国民の約半数に上る民主党リベラル層、ITなど先端分野やグローバル企業の従事者、大都市住民層、そしてヒスパニックを始め白人以外のマイノリティーは、激しくトランプ政権に反発しているという構図を、現在のアメリカ社会は描いています。
(4)想定できる4つの展開
ではこのまま推移すれば、どんな展開が想定できるのでしょうか。4つぐらいの展開が想定できるものと思われます。まずトランプ政権や苛立(いらだ)ちを募らせるトランプ支持層の思惑通り、これまでの民主主義的ルールや国際協調のルールを破壊し、強弱の力の論理に回帰するというものです。その点ではトランプ政権と白人中低所得の思惑は、衝動的なものであってもとりあえずは一致しているのです。当初は強国アメリカ第1主義の政策によって、強者の論理で交渉して他国に不利益を負わせるのですから、アメリカは良くなるでしょう。しかし次第に力の論理が国内外に徹底しだすと、不利益を押し付けられる他国やマジョリティーである弱者の不満が高まり、社会は非常に不安定になって四分五裂してしまう可能性があります。
2つ目は上記の混乱を収束するために、トランプ政権が軍部と情報機関を掌握して、力の論理を徹底して独裁権力を打ち立てるシナリオです。アメリカで、ジョージー・オーウェルの小説「1984年」がアマゾンの売上トップに躍り出ている所以(ゆえん)です。またトランプ大統領が不可思議なほどロシアとプーチン大統領に親近感を抱いているのも、内心ではプーチン大統領のような覇権統治体制を心に描いているからかもしれません。中国と習近平体制が言葉に上らないのは、人種的な差別と偏見によるものだからでしょう。そして3つ目は、白人中低所得層が、強者が弱者を支配するのは当然という力の論理のもとでは、結局自分たちが弱者に貶(おとし)められることに気づき、トランプ政権への求心力が弱まる事態です。そして力の論理ですから、力の支配を求めてトランプ政権に集った強者による中枢層でも、覇権争いが始まり、分裂が生じるという事態です。この事態に乗じて、混乱を解消するために共和党主流や民主党及び財界の旧エリート層が巻き返しを図り、再び表向きの自由と民主主義のルールのもとに、格差を固定・拡大してエリート層だけが利益を貪る構図を再現するというシナリオです。
しかしシナリオには、もう1つの4番目の道が残されています。トランプ大統領の統治は、巧妙に支配と利権をカムフラージュした精緻な現代政治ではなく、むき出しの力の政治です。その分非常に分かりやすく、現代の市民社会が到達した政治と経済と文化の仕組みにダイレクトに脅威を与えるものですから、私たちが何を大切に守らなければならないかを明確に教えてくれます。これを機としてその守るべき社会の仕組みをさらに推し進めて、私たちのすべてがさらに生活を向上させ、自己価値を自由に実現しあう体制を実現していく道を原理的に明らかにして、人間と社会を高度化させていくシナリオです。パンセ通信では、その原理と方策について、引き続き考えていってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いは、2月6日の月曜日18時から行います。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターです。
2.普遍闘争、国家、そして覇権闘争
(1)普遍闘争状態と国家の起源
さて前回は狩猟採取社会から農耕牧畜社会に移行するにつれて、社会がどう変質したかを見てきました。生産手段である農地の保有を巡って、また穀物生産によって生じる食料備蓄(富)を巡って、部族間で争いが生じるようになり、素朴な原始共同体は戦争共同体へと変質していきます。こうして“万人の万人に対する闘争”という普遍闘争状態が生じてくることになります。この普遍闘争状態の過程の中から、やがて“クニ”が成立してくることになるのです。
“クニ(国家)”は主に、強い部族が弱い部族を征服する過程で成立してきたものと思われます。“クニ”の第一の役割は、他国と戦って国民の生命と安全を確保すると共に、国内での国民同士の争いも調停して暴力を縮減し、一定のルールのもとに治安を維持することです。そして国民の生命と財産を保障し、安心して暮らし、生産活動に従事出来るようにすることです。
この“クニ(国家)が成立する過程では、次のようなことが生じたものと思われます。まず部族間闘争に勝利した強い部族が、弱い幾つか部族を征服します。これによって漸(ようや)く普遍闘争状態は終結します。その時何が起こっているのか。弱い部族は強い部族に服従することを誓約します。強い部族を支配者として認め、それに従うルールを相互が承認して生み出すのです。ここに権力が成立します。しかし権力はそれだけでは成り立ちません。さらにこの権力に実力(武力)を集中させ、圧倒的な武力を背景として、国家が定めたルール(勅令や法律)に全員を従わせ、違反する者にはペナルティを課して、そのことで強制力をもって利害や相互不信を調停していくようにならなければ秩序は保てないからです。この支配者への全構成員の権力(自然権:暴力で自分の身を守る権利)の譲渡(覇権の原理)の承認と、支配者への武力(暴力)の集中によって、始めて権力が成立するのです。そしてこの権力の強制力によって、最低限国民の生命と財産の安全が保障され、国民相互間の争いを調停するルールが定められて国家が成立するのです。
(2)普遍闘争と覇権闘争の繰り返し
こうして成立した“クニ(国家)”は、さらに他国と争って勝利し、自国民の安全を強固なものとするために、戦争共同体としての機能(国力)を強化していきます。そのために国内で、専従の戦士や武器生産者、職人などの技能集団や交易・流通に従事する商人、専ら食料生産に従事する農民、そして征服者も被征服者も多様な人々を1つの国家として精神的に統合する神官などを分化させ、分業により国内の生産力を高めて、武力への人員と資材の投資を高めて戦力の増強を図ろうとします。そして権力を有する支配階層の強力なリーダーシップ(王の誕生)のもとに、この分化して分業に従事する様々な職能グループを統合し、やがてこの職能分化が固定されて社会階層が生まれ、王を頂点とする階層的支配構造が生まれることになるのです。
そして今度は国家として体制を整備した“クニ”同士が、互いに存亡を賭けて争うようになります。日本で言えば弥生時代の後期、中国の史書にも記載された倭国の大乱などの時期や、戦国時代がこの状態にあたるでしょう。そしてこの争乱は、1国が他のすべての国を打ち負かして、その地域全体を平定して覇権を確立するまで続くのです。こうしてエジプトやシュメール、中国では秦の始皇帝の統一によって古代帝国が成立することになります。日本で言えば大和朝廷の成立や、織田信長を経て豊臣秀吉による天下統一などそれに当たるでしょう。しかしこのような統一帝国による秩序も、そうは長く続きません。より強力な武器や戦術、鉄器の使用などによる技術革新によって、新たな勢力が挑戦者となって現れ、常に新しい覇権闘争を生み出していくからです。それは国の内部における権力を巡っての争いにおいても同じです。こうして人間社会の歴史は、常に“普遍闘争”と“覇権闘争”の繰り返しによって推移し、覇権国家も、国内の支配階層も移り変わっていったのです。
3.普遍闘争の原理と覇権の原理
(1)普遍闘争状態を終結させる覇権の原理
さてここまで、農耕牧畜社会に移って富や生産手段の保有が生じ(そのこと自体は、人類の生きる可能性を飛躍的に高めるために、評価すべきことなのですが)、その保有を巡って生じる不安や不信から、共同体同士で、また共同体の内部でも隣人同士で、普遍闘争(弱肉強食)が始まるという原理を見てきました。そしてこの普遍闘争状態を収束させるためには、誰か一人のふさわしい人物(王)に、他の全員の自然権(自分のために武力闘争する権利)を譲り渡し、そこに武力も集中させて強力な統治権力を生み出し、私闘を禁止(暴力の縮減)して秩序を回復するしか無いことも見てきました。これが覇権の原理です。実際にはこの覇権の確立は、普遍闘争状態を経て勝ち残った人物や支配階層、国家によって、弱小者を制圧することによってもたらされることになります。
このように人間社会においては、蓄財の技術を見出して以来、必然的(原理的)に弱肉強食の普遍闘争状態が始まりました。この普遍闘争状態を抑制し、人々が生命と資産の安全を保障され、安心して暮らせるようになるためには、国家を建国(国家の起源)して、またその統治の原理としては、18~19世紀に市民社会が成立するまでの長きに亘(わた)って、人間社会は覇権の原理しか持たなかったのです。
(2)覇権の原理の矛盾
こうして覇権原理に基づく国家の成立とその統治によって、ようやく人間は、生命の安全と生きるに足る最低限の資産の保有を保障されて、安心して暮らし、生産活動に従事できるようになったのです。それは弱肉強食の普遍闘争状態を終結させるために、自分の自然権(武力で身を守る権利)を支配者に委ねて、治安回復による安心と安定を、何よりも人々が求めたからでした。
それでは覇権国家による統治社会での人間の生き方は、幸せなものだったのでしょうか。それについてはまず、人間の自己意識(自我)とその欲望が、狩猟採取時代の純朴で未成熟な原始共同体の段階から、農耕牧畜の普遍闘争状態に移行するにつれて、どう変化していったのかを見ていかねばなりません。そしてその自我の欲望が、覇権統治で充たされていったのかどうかを評価しなければなりません。次にその人間の自我の欲望が、覇権原理にもとづく国家(専制国家、古代帝国、中世封建国家等)統治のもとで、どのような仕組みのよって抑圧されたり馴化されていったかを見ていきたいと思います。そしてその後に、人間の欲望と経済の発展との相関で、この覇権統治体制にどのような矛盾が生じていったのかについても明らかにしていきたいと思います。その上で最後に、17~18世紀の西欧社会の中で、どのような意図のもとに覇権統治に代わる画期的な市民社会の構想が生まれ、またその原理がどのようなものであったのかについても、見ていきたいと思います。
次回のパンセの集いは2月6日の月曜日18時からです。渋谷区本町の本町ホームシアターで行います。お時間許す方はご参加下さい。
P.S. 現在パンセ通信は、No.118まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。
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1.トランプ政治の功罪と展開予想
(1)トランプ氏の大統領令
トランプ大統領が、就任から半月も経たないうちに、次々と大統領令を発令しています。その主なものは、メキシコ国境への壁建設、不法移民の取締り強化、サンクチュアリ・シティ(不法移民保護のための聖域都市)撤廃、テロ対象(7ヶ)国からの移民禁止、オバマケア廃止、TPPからの脱退、国家による業界規制の撤廃、石油掘削量の増大、アメリカ軍の再構築、ISISの殲滅(せんめつ)などです。もちろんこうした大統領令に対する議会の承認が無ければ、予算措置は出来ませんし、閣僚人事の議会での承認も大幅に遅れるなど、行政機構の整備も滞り、政策の執行は未だ未知数の部分があります。また憲法への抵触を巡って、司法との争いも生じています。しかしそのインパクトは絶大で、アメリカ国内も世界も、大混乱に陥るに十分な状況にあるようです。
トランプ大統領は自分に敵対するマスコミを口汚く罵り、他国の首脳であっても罵倒し、人道も無視するものですから、反発したり嫌悪感を催す人が膨大です。しかも経済原理や環境保全も蔑(ないがし)ろにするのですから、特にアメリカが圧倒的な強さを誇る、先端産業分野を担う経済・科学分野の人材からも反発を受けています。こんな時こそ日本がしっかりした国であれば、こうしたアメリカの次世代を担う企業・人材の受け皿となって、一挙に世界をリードする国として躍り出ることが出来るのでしょうけれども。
(2)トランプ政治の功罪
しかしアメリカ国民の半数を上回る人々は、こうしたトランプ大統領の無謀とも思える政策と、その実行手腕を評価しています。その理由は明白で、人々が今までの政治と経済のルールにNoを突き付けたからです。これまでのルールというのは、新自由主義とグローバリズムを精緻な政治手法で推進するものです。このままいけば私たちは、表面上自由と権利を保障されながら、政府に対して道理のある反論が展開出来ないもどかしさのままに、一部の巨万の利益を享受するエリート層との格差が固定し、ますますその差が拡大していったことでしょう。そして普通の庶民である私たちは、経済的にも人生の可能性の面でもチャンスを奪われ、ひたすら生き辛さに苛(さいな)まれることになってしまう。実際のところ明確にトランプ大統領を支持するアメリカの半数の人々に留まらず、大多数の人々は、今の仕組みに対してうまくは言えないけれど、どこかおかしいと感じていたことでしょう。
こうした表面上自由で民主的であっても、実は大多数の人々が閉塞感漂う状況に対して、いつかNoを突き付ける事態が生じるのは必然的なことだったでしょう。しかしその方法が、道理や理性を超えた反知性主義的な方法でなされたというのは、全く想定外で興味深い現象です。しかしだからと言って、トランプ政治を評価するものではありません。その理由は2つあります。1つはトランプ大統領の政治手法が、大統領選挙戦以来相手候補(共和党内の他の候補、そしてヒラリー・クリントン氏)を徹底的に批判して叩きのめすものだったのですが、それが大統領になっても続いているということです。大統領になれば批判ではなく、アメリカと世界の未来ために確かな指針と具体的な実行プロセスを示す政策を打ち出さなくてはなりません。しかし未だトランプ氏の関心は、アメリカ第1主義のスローガンのもとに、マスコミや移民受け入れなど、自分の意に沿わない勢力を叩きのめすことに向けられているようです。しかしそこにトランプ氏の隠れたビジョンが見えない訳ではありません。彼は不満を溜める白人中低所得層の利益を代弁することを主張しながら、結果としてこれまで培ってきた人権や社会正義のルールを破壊し、弱肉強食の自然界のルールに戻って、強い者が弱い者を支配する強弱の論理の世界を思い描いているのです。成功者であり勝利者であって強者であるトランプ氏にとって、強い者が弱い者を支配するのは当然のことなのでしょう。その詳細については、パンセ通信No.120、121でも述べたとおりですが、このことがトランプ政治を評価出来ない2つ目の理由となります。
(3)トランプ政権の構造
強い者が弱い者を支配するのは、確かに強者にとっては良いことでしょう。しかし多数者を占める弱者にとっては、たまったものではありません。またそこにあるのは力の論理ですから、必ず強者には挑戦者が現れ、常に自分の地位が脅かされる不安に苛(さいな)まれることになります。どんな人間もどんな政権(政体)も、力の論理のもとで勝ち続けることなど出来ないからです。
現在トランプ政権の構造は、力の論理に賛同する強者(成功者・億万長者)たちが、政権の中枢に集まってきています。トランプ政権を支える支持層である白人中低所得層は、不満を募(つの)らせる苛立(いらだ)ちから、これまでの政治経済のルールのすべてが自分たちを不利益に追い込むかのごとくに思い込み、そんなものは一旦すべてぶっ壊せば良いと思い込んでいるようです。また共和党の中枢は、トランプ氏と距離を保ちつつ様子を見、トランプ大統領の失脚と、あるいは利用できるところは利用しようという両天秤をかけた備えをしているようです。まるでナチスが台頭した当時の1930年代初頭のドイツの政界や軍部のようですね。そして国民の約半数に上る民主党リベラル層、ITなど先端分野やグローバル企業の従事者、大都市住民層、そしてヒスパニックを始め白人以外のマイノリティーは、激しくトランプ政権に反発しているという構図を、現在のアメリカ社会は描いています。
(4)想定できる4つの展開
ではこのまま推移すれば、どんな展開が想定できるのでしょうか。4つぐらいの展開が想定できるものと思われます。まずトランプ政権や苛立(いらだ)ちを募らせるトランプ支持層の思惑通り、これまでの民主主義的ルールや国際協調のルールを破壊し、強弱の力の論理に回帰するというものです。その点ではトランプ政権と白人中低所得の思惑は、衝動的なものであってもとりあえずは一致しているのです。当初は強国アメリカ第1主義の政策によって、強者の論理で交渉して他国に不利益を負わせるのですから、アメリカは良くなるでしょう。しかし次第に力の論理が国内外に徹底しだすと、不利益を押し付けられる他国やマジョリティーである弱者の不満が高まり、社会は非常に不安定になって四分五裂してしまう可能性があります。
2つ目は上記の混乱を収束するために、トランプ政権が軍部と情報機関を掌握して、力の論理を徹底して独裁権力を打ち立てるシナリオです。アメリカで、ジョージー・オーウェルの小説「1984年」がアマゾンの売上トップに躍り出ている所以(ゆえん)です。またトランプ大統領が不可思議なほどロシアとプーチン大統領に親近感を抱いているのも、内心ではプーチン大統領のような覇権統治体制を心に描いているからかもしれません。中国と習近平体制が言葉に上らないのは、人種的な差別と偏見によるものだからでしょう。そして3つ目は、白人中低所得層が、強者が弱者を支配するのは当然という力の論理のもとでは、結局自分たちが弱者に貶(おとし)められることに気づき、トランプ政権への求心力が弱まる事態です。そして力の論理ですから、力の支配を求めてトランプ政権に集った強者による中枢層でも、覇権争いが始まり、分裂が生じるという事態です。この事態に乗じて、混乱を解消するために共和党主流や民主党及び財界の旧エリート層が巻き返しを図り、再び表向きの自由と民主主義のルールのもとに、格差を固定・拡大してエリート層だけが利益を貪る構図を再現するというシナリオです。
しかしシナリオには、もう1つの4番目の道が残されています。トランプ大統領の統治は、巧妙に支配と利権をカムフラージュした精緻な現代政治ではなく、むき出しの力の政治です。その分非常に分かりやすく、現代の市民社会が到達した政治と経済と文化の仕組みにダイレクトに脅威を与えるものですから、私たちが何を大切に守らなければならないかを明確に教えてくれます。これを機としてその守るべき社会の仕組みをさらに推し進めて、私たちのすべてがさらに生活を向上させ、自己価値を自由に実現しあう体制を実現していく道を原理的に明らかにして、人間と社会を高度化させていくシナリオです。パンセ通信では、その原理と方策について、引き続き考えていってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いは、2月6日の月曜日18時から行います。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターです。
2.普遍闘争、国家、そして覇権闘争
(1)普遍闘争状態と国家の起源
さて前回は狩猟採取社会から農耕牧畜社会に移行するにつれて、社会がどう変質したかを見てきました。生産手段である農地の保有を巡って、また穀物生産によって生じる食料備蓄(富)を巡って、部族間で争いが生じるようになり、素朴な原始共同体は戦争共同体へと変質していきます。こうして“万人の万人に対する闘争”という普遍闘争状態が生じてくることになります。この普遍闘争状態の過程の中から、やがて“クニ”が成立してくることになるのです。
“クニ(国家)”は主に、強い部族が弱い部族を征服する過程で成立してきたものと思われます。“クニ”の第一の役割は、他国と戦って国民の生命と安全を確保すると共に、国内での国民同士の争いも調停して暴力を縮減し、一定のルールのもとに治安を維持することです。そして国民の生命と財産を保障し、安心して暮らし、生産活動に従事出来るようにすることです。
この“クニ(国家)が成立する過程では、次のようなことが生じたものと思われます。まず部族間闘争に勝利した強い部族が、弱い幾つか部族を征服します。これによって漸(ようや)く普遍闘争状態は終結します。その時何が起こっているのか。弱い部族は強い部族に服従することを誓約します。強い部族を支配者として認め、それに従うルールを相互が承認して生み出すのです。ここに権力が成立します。しかし権力はそれだけでは成り立ちません。さらにこの権力に実力(武力)を集中させ、圧倒的な武力を背景として、国家が定めたルール(勅令や法律)に全員を従わせ、違反する者にはペナルティを課して、そのことで強制力をもって利害や相互不信を調停していくようにならなければ秩序は保てないからです。この支配者への全構成員の権力(自然権:暴力で自分の身を守る権利)の譲渡(覇権の原理)の承認と、支配者への武力(暴力)の集中によって、始めて権力が成立するのです。そしてこの権力の強制力によって、最低限国民の生命と財産の安全が保障され、国民相互間の争いを調停するルールが定められて国家が成立するのです。
(2)普遍闘争と覇権闘争の繰り返し
こうして成立した“クニ(国家)”は、さらに他国と争って勝利し、自国民の安全を強固なものとするために、戦争共同体としての機能(国力)を強化していきます。そのために国内で、専従の戦士や武器生産者、職人などの技能集団や交易・流通に従事する商人、専ら食料生産に従事する農民、そして征服者も被征服者も多様な人々を1つの国家として精神的に統合する神官などを分化させ、分業により国内の生産力を高めて、武力への人員と資材の投資を高めて戦力の増強を図ろうとします。そして権力を有する支配階層の強力なリーダーシップ(王の誕生)のもとに、この分化して分業に従事する様々な職能グループを統合し、やがてこの職能分化が固定されて社会階層が生まれ、王を頂点とする階層的支配構造が生まれることになるのです。
そして今度は国家として体制を整備した“クニ”同士が、互いに存亡を賭けて争うようになります。日本で言えば弥生時代の後期、中国の史書にも記載された倭国の大乱などの時期や、戦国時代がこの状態にあたるでしょう。そしてこの争乱は、1国が他のすべての国を打ち負かして、その地域全体を平定して覇権を確立するまで続くのです。こうしてエジプトやシュメール、中国では秦の始皇帝の統一によって古代帝国が成立することになります。日本で言えば大和朝廷の成立や、織田信長を経て豊臣秀吉による天下統一などそれに当たるでしょう。しかしこのような統一帝国による秩序も、そうは長く続きません。より強力な武器や戦術、鉄器の使用などによる技術革新によって、新たな勢力が挑戦者となって現れ、常に新しい覇権闘争を生み出していくからです。それは国の内部における権力を巡っての争いにおいても同じです。こうして人間社会の歴史は、常に“普遍闘争”と“覇権闘争”の繰り返しによって推移し、覇権国家も、国内の支配階層も移り変わっていったのです。
3.普遍闘争の原理と覇権の原理
(1)普遍闘争状態を終結させる覇権の原理
さてここまで、農耕牧畜社会に移って富や生産手段の保有が生じ(そのこと自体は、人類の生きる可能性を飛躍的に高めるために、評価すべきことなのですが)、その保有を巡って生じる不安や不信から、共同体同士で、また共同体の内部でも隣人同士で、普遍闘争(弱肉強食)が始まるという原理を見てきました。そしてこの普遍闘争状態を収束させるためには、誰か一人のふさわしい人物(王)に、他の全員の自然権(自分のために武力闘争する権利)を譲り渡し、そこに武力も集中させて強力な統治権力を生み出し、私闘を禁止(暴力の縮減)して秩序を回復するしか無いことも見てきました。これが覇権の原理です。実際にはこの覇権の確立は、普遍闘争状態を経て勝ち残った人物や支配階層、国家によって、弱小者を制圧することによってもたらされることになります。
このように人間社会においては、蓄財の技術を見出して以来、必然的(原理的)に弱肉強食の普遍闘争状態が始まりました。この普遍闘争状態を抑制し、人々が生命と資産の安全を保障され、安心して暮らせるようになるためには、国家を建国(国家の起源)して、またその統治の原理としては、18~19世紀に市民社会が成立するまでの長きに亘(わた)って、人間社会は覇権の原理しか持たなかったのです。
(2)覇権の原理の矛盾
こうして覇権原理に基づく国家の成立とその統治によって、ようやく人間は、生命の安全と生きるに足る最低限の資産の保有を保障されて、安心して暮らし、生産活動に従事できるようになったのです。それは弱肉強食の普遍闘争状態を終結させるために、自分の自然権(武力で身を守る権利)を支配者に委ねて、治安回復による安心と安定を、何よりも人々が求めたからでした。
それでは覇権国家による統治社会での人間の生き方は、幸せなものだったのでしょうか。それについてはまず、人間の自己意識(自我)とその欲望が、狩猟採取時代の純朴で未成熟な原始共同体の段階から、農耕牧畜の普遍闘争状態に移行するにつれて、どう変化していったのかを見ていかねばなりません。そしてその自我の欲望が、覇権統治で充たされていったのかどうかを評価しなければなりません。次にその人間の自我の欲望が、覇権原理にもとづく国家(専制国家、古代帝国、中世封建国家等)統治のもとで、どのような仕組みのよって抑圧されたり馴化されていったかを見ていきたいと思います。そしてその後に、人間の欲望と経済の発展との相関で、この覇権統治体制にどのような矛盾が生じていったのかについても明らかにしていきたいと思います。その上で最後に、17~18世紀の西欧社会の中で、どのような意図のもとに覇権統治に代わる画期的な市民社会の構想が生まれ、またその原理がどのようなものであったのかについても、見ていきたいと思います。
次回のパンセの集いは2月6日の月曜日18時からです。渋谷区本町の本町ホームシアターで行います。お時間許す方はご参加下さい。
P.S. 現在パンセ通信は、No.118まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。
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