ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信第7回 『自分の愚かさを認める人間の真の強さ』

Nov 23 - 2014

■2014年11月23日 パンセ通信第第7回 『自分の愚かさを認める人間の真の強さ』

皆 様 へ

明日11月25日(火)も、表参道のフィルムクレッセントで16時からパンセの集いを行います。

さて今回は私のお客さんで、長らく勉強会などでも一緒に学んでぃたあるご婦人の、最近決意された事柄をご紹介致します。その方は、数年前にアメリカで、ある異常なほど高利回りの金融ファンドに投資をなさいました。しかし案の定、運用実態の定かでない詐欺会社だったようで、以前からどうすればお金をとり戻せるか、相談を受けていました。また集団訴訟の動きもあるので、依頼する弁護士との関わり方についても、相談を受けました。

その時私は、その方の心のフォロ-を行いつつ、投資したお金は諦めなさい、恐らくそのお金はもうどこかに消えて無くなってしまっているからと、アドバイスしました。またアメリカの弁護士に頼んで、たとえ多少のお金が取り戻せても、結局そのほとんどが弁護士費用に費やされるだけで、ただ心労がかさむだけですよとも申し上げました。

そして今後のために一番良いのは、損失を被った自分の現状を受け入れ(それに類した失敗は、誰にでもあることですから)、損した分のお金を、また一からコツコツ貯めていくことじゃないですかと言いました。欲と怒りと恨みに身をまかせてお金を取り戻すことに狂奔すれば、また現実が見えなくなって、さらに大きな痛手を被ることになりかねません。こういう場合のお金って、追いかければ追いかけるほど、逃げていくものなのですね。

当然そのご婦人は、そんなアドバイスは受け入れられず、弁護士を雇い、集団訴訟に踏み切られました。至って当然な結果だと思います。

さて、私は何でそんな“無責任”なアドバイスをしたのでしょうか。1つには、所詮他人事だからです。でも人間は、自分のことは見えないけど、他人のことは良く見えるものです。こうしたケ-スの場合は、懸命にいろいろあがいてみても、結局徒労に終わるということがほとんどでしょう。へたをすると、さらに傷口が広がりかねません。またもう1つには、私自身にも過去に同じような体験があり、やはりお金を取り戻すことが出来ず、一からコツコツやり直した経験があるからです。

ところが今年になって、またその方から相談を受けました。それは、訴訟によって騙されたお金の一部が戻ってきたのですけど、引き続き訴訟を続けるかどうかという相談でした。お話をお伺いすると、戻ってきたお金の額は、丁度支払った弁護士費用と同等の額だったそうです。

私のアドバイスは、前回からぶれるわけにもいきませんので、訴訟から身を引いて、やはり残りのお金は諦めなさいというものでした。そしたらどうでしょう、しばらくたって連絡が来て、集団訴訟から離脱して、投資したお金を諦めるというお話しでした。そして、また今からコツコツ再出発するというものでした。じつはこの方は、他にも複雑な事情を抱えていらっしゃって、このお金を諦めるということは、相当に大変なことだったのです。よくぞ決意なさったと思います。しかも今回、この訴訟団から離脱したのは、このご婦人たった一人だったとのことです。

人間というのは、往々にして欲によってお金を失い、それを取り戻そうとあせって、さらに状況を悪化させていくものです。しかしその一方で、見たくはない自分の愚かしい現実をしっかり受け止めて、再出発していくことの出来るのも人間です。この失ったお金への執着と未練を断ち切って、生き直していくということは本当に大変なことで、それこそが真の人間の強さなのですね。このご婦人はそのことを、この間の歳月をかけて学んでいかれたのです。

私たちは通常、何か困難や問題に直面した時、その責任を人に転嫁するのが自然な習性です。誰だって、自分が悪くても他人や不慮の事故のせいにして、その場を繕って逃げおおしたいものです。だからそのために、人は平気でウソをつく。自分を守ろうと思って。でも結局はそんなウソのために、ますます窮地に陥ったり、信頼を無くしたりして、自分のためにも人のためにもけっしてならないことは、よくお分かりのことと思います。この自分の過ちを認め、その責任を負う苦しさを担って、愚かな自分自身をつくり変え、生き直していける勇気と力を与えるのが、伝統宗教の智慧とわざです。キリスト教の聖書の中でも、イエス様が十字架につけられる前に、ゲッセマネという場所で、血の汗と涙を流して神様に祈るシーンが登場します。『なんで自分は悪くないのに、犠牲になって死ななければならいのか』という思いとの戦いです。でもその思いに打ち勝って、自分の責任を担って歩むとき、私たちにあっても愚かな自分が死んで、新たに復活・再生していく道が開けていきます。

人間の真の強さというのは、他者との競争に打ち勝つことなどではなく、自分自身の惨めさや恥を認めて、そんな自分をつくり変えて再出発していくことなのですね。そのための智慧とわざを、伝統宗教から学びつつ、25日のパンセの集いも行っていければと思います。お時間許す方は、ご参加下さい。