ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信No.134『自己価値の欲望と人間・社会統治・経済のシステム』

Apr 29 - 2017

2017.4.29パンセ通信No.134『自己価値の欲望と人間・社会統治・経済のシステム』

皆 様 へ

1.ビジョンとプログラムの策定に向けて
(1)幸福は人間の生きる目的
人間は誰でも、生きる限りにおいて幸せになりたいと思っているものです。どんなに屈折した人間であったとしても、心のどこかに湧き上がってくる幸せになりたいという求めを、圧殺しきれるものではありません。それ故に“幸せ”とは、人間の生きる目的とも言い換えることの出来るものでしょう。それでは私たちは、いったいどんな状況において(どんな条件が揃(そろ)ったら)幸せという気持ちを味わうことが出来るのでしょうか?

このことを明らかにするためにパンセ通信においては、まず人間の意識の構造とその意識に立ち現れる欲望の特質、そして欲望充足と幸福感との関係について考えてきました。次いで個々人が個別の欲望を持ちながら、同時に集団でそして社会を形成して生きるようになった人間が、自己欲望と社会統治のニーズを充たして生きていくために、これまでどのような社会の仕組みをつくってきたのかを考えてみました。その過程で、国家や政治の誕生の経緯とその原理について整理してみました。そして前々回あたりから、経済の原理について考えを進めております。経済とは富を生み出す仕組みのことであって、人間が社会を形成して生きるようになった動因とも言えるものです。

(2)人間・社会統治・経済の相関
さらに私たち人間には、常に可能性を求めて成長と発展を目指していくという、他の生物と決定的に区別される本質を有しています。そのことがまた、私たちの人生の目的である幸福感と深く関わっています。つまり人間の欲望のシステム、(社会)政治・統治のシステム、および経済のシステムの本質を明らかにしながら、それらがどのように組み合わされば、私たちは個人的にも成長し、社会も発展しながら幸福と生き甲斐を感じて生きていくことが出来るのか。そのことを明らかにしながら、さらに現在の人間・政治・経済の状況を評価していければと思っています。その上でこれからの時代のビジョンを描き、そのビジョンの実現に向けての実践プログラムを策定する作業に踏み込んでいってみたいと思います。そして出来れば来年あたりからは、現実の中に希望を広げていく具体的な事業プロジェクトに着手していければと思っております。

なお次回のパンセの集いの勉強会は、5月1日の月曜日がゴールデンウィーク中に当たるためにお休みとし、5月8日の月曜日に開催致します。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターで行い、時間は18時からです。

2.人間の原理
(1)自己意識
さて前々回より、富を生み出す経済の基本原理について考えを進めてきましたが、それを人間の欲望のシステム、政治・統治のシステムとの相関で、さらに検討を深めていくために、ここでもう1度簡単に人間存在の本質と、社会統治の本質を振り返って整理しておきたいと思います。

人間を他の生物から区別する根本的な相違点は、明確な自己意識を持つということです。私たち人間は、あくまでも個体として生存(時には他者を犠牲にしても)しようとする本能を持ちつつ、生存の確率を高めるために、集団の関係性の中で生きること選択して進化してきました。そのために私たちは、他者と自分とを比較する機会を頻繁に持つ中で、やがて他と区別して自分があるという(私は私であるという)自己意識を明確に持つようになってきたのです。

ここで意識というのは、視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚などの五感を統合して外界を把握する機能のことです。動物の場合には、飢えや乾きや性欲などの身体の欲望を感知して、次にそれを充足する外界(身体外)の対象物を意識の中で認識して結び付け、身体を動かしてその欲望を充足させるために意識は機能します。つまり意識は、あくまでも身体からの欲望を充足する補助(身体に従属して)として機能するものなのです。しかし自己意識を持った人間の場合には異なってきます。もはや身体由来の欲望(本能)に支配されるのではなく、自己意識そのものが自己価値を求める欲望を抱くようになり、逆に身体は、この自己価値を求める欲望を実現するために、自己意識(自我)に従属するようになるのです。それでは“自己価値”とは何でしょうか。

(2)人間の欲望-自己欲望と関係欲望の相克
ところで欲望というのは、欲動の力のことであり、生命にとって最も根源的な機能です。生命を維持するために必要なもの(エサなど)に対しては快を感じて惹きつけられ(求め)、危険なものに対しては避けようとする情動の力が欲望です。人間は個体として生存しようとする本能(身体性の欲望)を持ちつつ、関係性の中で生きるように進化してきました。そのため身体性の欲望(自己利益の欲望)を基底に持ちつつ、関係性の快(関係がうまくいって互いに生かし合える心地良さ)を求め、あるいは不快(敵対、不和、憎しみや恨み等)を避けようとする欲動の力も働くようになってきました。その結果、あくまでも自分を生かしつつ、同時に他者をも生かして関係をよりうまく進展させていきたいという欲望が同時に生じてくることになります。この矛盾する欲望がせめぎあうのが人間存在で、自己意識の中で捉えられてくる欲望の正体なのです。(他人に打ち勝って自分だけが利益を得たいという欲望も、実は根底においてはすでに“他人”との関係が意識されているのです。)

人間はこの矛盾する欲望を充たそうと失敗と成功を重ね、場合によっては関係がうまくいかずに孤独に苛(さいな)まれたり、人を恨んだり恨まれたりしながら、様々な偏りを見せつつ自分なりにうまく生きられる(人に認められながら自分が得して生きる)と思える生き方を身に着けていきます(大抵の場合は偏りがひどくてうまく生きられないのですが)。そしてうまく生きられることは意味があり、うまく生きるために効果あるものは価値があると判断して、自己意識の中に自己価値の基準(自分にとっての意味あるもの、価値あることの体系)を無意識の内に築いていくのです。それが人間にしかない「真・善・美」を求める価値のルールの体系で、自己意識(他と区別して自分が自分であるという意識)の中に、この自己価値のルールに基づき、自分なりの「ほんとう、正しさ、美しさ」に対する感受性を培っていくのです。そしてその(無意識化された)感受性が集積されて形成されてくるのが“自我”なのです。

(3)自己価値を求める欲望の特質
従って人間の欲望は、真善美の自己価値を求める自我の欲望と言い換えることも出来るのです。この自我というのは、人間の遺伝形質と生育環境によってそれぞれに異なって形成されてくるので、属人ごとに自分が何を価値として大事にするか、嫌うかの感受性は微妙に異なってきます。つまり価値観は人によって異なるのです。しかしそれでも人間の自己価値には、共通する性質として普遍的に取り出せる特質があります。その1つが、私たちが価値として感じることの本質には、常に自己欲望と関係性の欲望、つまり自分を生かす思いと他者を生かす思いの両立への求めがあるということです。そしてもう1つ、人間の自己価値を求める自我の欲望には、常に今ある欲望の対象を超えて、さらにその先にあるものを幻想的に追い求めるという性質があるということです。

これは人間が、自己欲望と関係欲望の葛藤の中で生育(おいそだ)ってくる過程で、自分の思いが人に受け入れられず挫折を繰り返してくることから、必然的に生じてくる憧(あこが)れやロマン(ほんとうはこうれあれば良かったのに)から生じてくる特質です。そしてこのどこまでも自分なりのほんとう(同時にそれは他者にとってもほんとうに大切ものも含んでいるのですが)を求めて、無限にその先を目指していく性向が、人間の精神の自由の正体なのです。

(4)成長発展の原動力となる新しい価値創造
さてこの人間の自己価値を求める自我の欲望ー精神の自由は、自分なりのほんとう(真実、正義、美)を求めて、どこまでもこれを実現していこうとします。当然他の人も精神の自由を持っていて、自己価値(自分なりのほんとう)を実現していこうとします。しかし先ほど述べたように、価値観は人によって異なります。それ故に価値観がぶつかって争いの種が生じてくると同時に、相互理解の可能性も芽生えてくるのです。関係性の世界に生きてきた人間は、類人猿以来他者への共感能力、他者の価値観を意識して理解する能力を身に着けてきました。そして単に対立するだけでは無く、自分の価値観と他者の価値観を自分の意識の中で相互評価して、考えの異なる他者にも受け入れてもらえるように、自分の価値観を練り鍛えていこうとも努力します。また双方の思いと利益が充たされていくような、新しいビジョンやプランを見出していこうともするのです。

この時、人間の精神(人格)の成長が遂げられ、新しい価値が生み出され、またその新しい価値を実現していこうとする人間の能力が鍛えられていくことになるのです。私たち人間は、自己価値を追い求め、互いの価値を(相互承認して)生かしあう関係性の中で真の自由を感じ、また相互の利益を充たし合う新しい価値を創造した時にこそ深い満足(幸福)を覚えます。またその価値を実現していく時に、生き甲斐と達成感を覚えることが出来るのです。そしてこの、新しい価値を生み出していく人間の精神の自由が、社会の発展の原動力となっていくのです。

3.人間の本質と幸福の条件
(1)人間の意識と欲望の本質
ここで人間の意識と欲望との構造(システム)の本質をもう1度整理しておくと、以下のようになります。第1に人間の意識の本質は、“自己意識”であるということ。自分を他者と区別して、自分は自分であるという意識です。そしてその自分を起点(主体)として、他者や環境世界に対峙してこれを捉えようとする意識でもあります。第2に人間の欲望の本質は、自己欲望(身体由来の欲望、本能)を基底としつつ、関係性の豊かさを求める欲望へと転移しているということ。このために人間の欲望は、本質的に自分を生かし人を生かすという矛盾と葛藤の中で蠢(うごめ)いていくことになるのです。

そして第3に自己意識の中で捉えられた人間の欲望は、自己意識の中に自己価値の体系を形成するということ。自分にとって何が良く(正しく)、何がほんとうで美しいのかを判断する基準です。そしてその基準が感受化されて無意識化し、自我が形成されていきます。その意味で人間の欲望は、(身体由来の本能的欲望では無く)自己価値を求める自我の欲望と言うことも出来るのです。最後に第4に、自我の欲望として自己価値を求める精神の自由は、人間の成長と発展の原動力となり、持続的に成長発展し続ける本質を人間に与えるということ。自己価値を求めて無限に展開する自我の欲望は、常にその先へと欲望対象を押し広げていきます。また自分と世界との関係について、何度でも反芻してその意味を捉えていこうとします。この時人によって異なる価値観を調整(止揚(しよう))して、共に良く生きられる高次の、新しい価値観を生み出していこうともするのです。これが人間の精神の自由の働きであって、人間を持続的に成長・発展させる原理となるのです。(この価値を生み出す精神の自由を有するが故に、人間は誰しも尊ばれる必要があり、これが人間の尊厳の由来であり、また近代においては人権の基礎となるのです)。

(2)欲望と幸福の関係
以上が人間の意識と欲望(人間存在の本質)のシステムの概要ですが、すでにパンセ通信No.126、127でもまとめておりますので、ご興味のある方はご参照頂ければと思います。さてこうした特質を持つ人間が、人生の目的である“幸せ”になろうとして、それぞれに人生を歩み、また社会の仕組みと経済の仕組みを形づくっていくことになるのです。そこで次に、幸せになろうとして人間がつくる社会(政治・統治)のシステムの本質について整理していかなければならないのですが、その前に、人間の場合の欲望と幸福感との関係について触れておく必要があるでしょう。

当然のことながら、欲望が充足されれば私たちは幸福を感じることになります。人間の欲望の特質が、自己価値を求める自我の欲望とするなら、自己価値を求め、自他に役立つ新しい価値創造を行える時に、私たちは幸福を覚えることになります。しかし人間の欲望は、アメリカの心理学者マズロ-が整理したように、低次の欲望が充たされて初めて高次の欲望が沸き起こってくるように、階層化された構造を持っています。従って低次から高次までのすべての欲望が充たされないと、人間は不安の方が大きくなって、本当の意味では幸福を感じることは出来なくなるのです。

(3)幸福の必要十分条件
そこで人間の欲望を、より基本的なものから並べて幸福を感じる条件として整理すると次のようになります。まず第1に最も基底的なものとしてあるのが、安全への欲望です。生命を脅かされたり、身体や財産に危害を加えられる心配がある時には、それ以外の欲望を求めている訳にはいきません。同じく基底的なものとして2番目に現れてくるのが、生存への欲望です。生存が維持できるに足る食料や住居・衣類への求めです。現代で言えば、生計が維持出来て、生活の不安に打ちのめされる心配の無いことでしょう。安全や生活の不安に苛(さいな)まれれば、自己価値を求めるどころではありません。そして3番目が、親和的な人間関係への求めです。自分の存在が受け入れられて、親しい関係の中で生活できることです。もし身近な人間関係が不和で、あるいはいじめなどで自分の存在が否定されたり、恨み合い、憎しみ合う人間関係にあるならば、その煩いにもがき苦しむことになって、自分らしさを求めるどころでは無くなってしまいます。

以上の安全・生存・親和的人間関係への欲望の充足が、人間が幸せを感じるための必要条件と言うことが出来ます。それでは幸せを感じるための十分条件とは何でしょうか。それが第4番目の欲望で、承認と成功への求めです。私たち人間には、自分の存在が受け入れられて不和でない人間関係が必要ですが、自分が本当に充たされるためには、それだけでは不十分です。さらに自分の存在が、称賛や尊敬をもって他の人や世間から認められることを求めるようになります。そのために自分に課せられた役割を遂行したり、人に役立ったり、優れた成果を上げようと努力するのです。こうして人に認められた時、私たちは自分の価値を確かに感じることが出来るのです。

また承認の欲望の延長線上には、成功への欲望があります。自分の属する社会において、一般的に価値があると認められている目標(例えば出世や事業で成功し、金持ちや有名になること)にチャレンジし、競争に打ち勝って、成功者の栄冠を勝ち得(そして社会の称賛と羨望(せんぼう)を得)ようとする欲望です。こうして成功を勝ち得た時に、私たちは自分の存在の優位さ・優越性を満喫することが出来るのです。

(4)自己価値実現と新たな価値創造への求め
加えてこれまで述べてきた欲望がある程度充たされた後に、最後に第5番目として沸き起こってくるのが、自己価値の実現と新たな価値創造への求めです。人間に特有な自己意識は、自分ならではの価値の体系をつくり上げ、他の誰のものでもない自分にとっての“ほんとう”を求めて、自我の欲望が展開していきます。現状の社会の価値観の下で、承認されたり成功したりしても、それでは収まり切れない自分らしさや、本当の自分を求める思いというのが現れてくるのです。この自分なりのほんとうを求める時、私たちは真の意味で自由を感じ、本来の自分としての実存を感じることが出来るのです。

なお人間が幸福を感じる十分条件としての欲望には、これ以外にも個人的かつ一時的で、カタルシス的な意味合いを持つものもあります。その1つが、自分の好きな趣味や嗜好に興じたり、享楽や快楽を求める欲望です。そしてもう1つが、ストレスを解消したり、憩いや癒しを求めたり、リフレッシュしたいと思う欲望です。こうした欲望を充足した時にも、私たちは一時的であっても幸福感や満足感を覚えることが出来るのです。

4.なぜ社会と経済の仕組みが必要となるのか
(1)あらゆる次元の欲望充足の必要
このように私たち人間が幸福を感じて生きていくためには、まず少なくとも安全、生存、親和的な人間関係への必要を充たしていかなくてはなりません。その上で、承認や成功への欲望、そして自己価値の実現と新たな価値創造の欲望を充たして生きることが人間らしい幸せにつながっていくのです。加えて個人的な欲望として、趣味や快楽の求め、憩いやリフレッシュの求めをも充たしていくことも、けっして疎(おろそ)かに出来ないことなのです。

ところでここで、もう1つ注意しておかなければならない留意点があります。それは最も人間的な欲望であり、成長と発展の原動力ともなる自己価値の実現を求める欲望は、同時にまた他者との敵対関係を生む欲望ともなるということです。先に説明したとおり、価値観は人によって相違があります。だから自分の価値を押し通して自己価値の実現を図ろうとする時、他者の自己価値を実現しようとする思いや行動とぶつかり、互いに他者を否定する衝動に迫られてくるのです。

(2)人間が敵対する原理
人間が敵対関係に陥る原理としては、3つのことがあります。第1に最も原初的な形態として、生存に関わる敵対です。これはあらゆる生物に共通する本能的なもので、自分が生き残るためには、他を圧して打ち勝っていかなければならないのです。2番目が成功を求めて競争する際の敵対関係です。しかしこの競争にはルールがあり、制度化された敵対関係であると言えます。そして3つ目が、自己価値の実現を求めての闘争です。その典型的な事例は、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパで起こった宗教戦争(カトリックとプロテスタントとの闘争)やその後度々生じる民族紛争で、悲惨な殺戮を伴うことがあります。これはけっして本能的なものではありません。本能であれば、空腹や個体としての生存の脅威に晒されない限り、敵対行動は取らないからです。自己価値を求めての闘争は、自我の欲望と時々の政治的利害に結びついた社会文化がなせる業(わざ)なのです。

しかし他を圧して自分が生きようとする自己欲望が、けっして悪いという訳ではありません。それは生物にとって本能的なもので、否定しようとしても否定できるものでは無いからです。そしてまたこの欲動こそがあらゆる欲望の根源であって、原動力ともなっているからです(この欲動を否定した時、人間の欲望は枯渇し、生きる力を失ってしまうことでしょう)。その一方で人間には、先に説明したように関係性の豊かさを求める欲望があります。この他者を否定する自己欲望と、共生を求める関係性の欲望をどう調和させて、自分の価値も他者の価値をも充たす新しい価値創造を果たしていくことが出来るか。そしてこの価値創造の営みを、持続的な成長と発展の原動力としていくことが出来るか。それを可能とする仕組みづくりが問われてくることになるのです(この調和は、人間の意志の力だけでは出来ません)。

(3)人間の原理を生かすための社会と経済のシステム
さてこうして、人間の欲望を充たして幸せをもたらすために、また自己欲望と関係性の欲望を止揚(しよう)(調和)して成長と発展の原動力としていくために、原理的には社会(政治・統治)のシステムと経済のシステムが生み出されていくことになります。それでは社会と経済の原理とはどのようなもので、それは歴史的にどのような展開を遂げてきたのでしょうか。そして現代においては、どのような人間・社会・経済の循環の仕組みが望ましいのでしょうか。そのビジョンを描き、またそのビジョンを実現するための具体的な事業プロジェクトについて、次回以降に検討を進めていってみたいと思います。

なお次回のパンセの集いの勉強会は、5月1日の月曜日がゴールデンウィーク中に当たるためにお休みとし、5月8日の月曜日に開催致します。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターで行い、時間は18時からです。お時間許す方はご参加下さい。

P.S.現在パンセ通信は、No.132まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。

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