ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信No.135『人間の本質、意識と欲望の特質、生き方と存在の原理』

May 06 - 2017

■2017.5.6パンセ通信No.135『人間の本質、意識と欲望の特質、生き方と存在の原理』

皆 様 へ

1.人間・社会・経済の原理を求めて
人間と動物とを区分する最も根源的な区分は、社会を形成し、経済という生活に必要な物資と付加価値を生産する仕組みを持つということでしょう。そしてまた持続的に成長・発展を遂げていくということも、動物には無い特徴です。それでは人間とは何でしょうか。社会とは何でしょうか。そして経済とは何でしょうか。人間とはいったいどういう存在で、どのように生きようとする生き物であって、なぜ社会と経済の仕組みをつくるようになったのでしょうか。そのことを最も本質的なところから考えてみる取り組みを続けております。そして人間の生きる原理との相関から、社会と経済の仕組みはこれまでどのように展開してきたのか、また本来どうあればその目的に叶うのかについても明らかにしていってみたいと思います。その上でそうして解き明かした人間、社会、経済の本質から、現在の状況を検証してみることによって、これからの私たちの生き方・暮らし方と社会・経済のあり方、およびその相関の仕方について、最初にまずビジョンを描き出し、その後ビジョン実現のためのプログラムを現実的かつ実践的に検討していってみたいと思います。

次回のパンセの集いの勉強会は、5月8日の月曜日18時からです。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターで行います。

2.人間の存在の原理を明らかにするために
(1)人間の本質と意識の特質
人間の本質は、前回のパンセ通信で整理したように、一人一人誰もが自己価値の欲望を持つということです。自分なりの正しさやほんとうや美しさを求めてこれを実現しようとし、また新たに価値を生み出したり創造したりする生き方の出来る時に、私たちは自分の人生の意味と価値を実感し、幸福感や深い充実感を覚えることが出来るのです。それでは何故人間だけが、自己価値の欲望を持つのでしょうか。それにはまず人間の意識と欲望について、その特質を整理しておかなければなりません。もしそれが明らかに出来れば、自己価値の欲望を持つ私たち人間存在のあり方について、いくつかの原理を置くことが出来るようになり、その原理に視座を据えて、現在の人間の生き方や社会・経済の仕組みについて評価を行うことが出来るようになるものと思われます。

まず人間を動物と区分する意識の特質についてですが、第1に人間の意識の本質は、明確な自己意識を持つということです。他者と区別して自分は自分であると自覚する意識です。それ故に第2に、人間の意識は自分(自己意識)を起点(主体)として、他者や環境世界に対峙してこれを捉えようとする意識であるということです。しかし自分を中心(目的)に他者や対象を(手段的に)捉えるばかりでなく、第3に人間は共感能力を有しており、自己意識において自分の経験からの類推で、同時に他者の感情や求めも推し量ることが出来るということです。

(2)人間の欲望の特質
次に人間の欲望の特質についてですが、第1に関係世界に生きる人間には、自己欲望(自己の利益を求める)と同時に、他者との関係性の良好さを求める欲望が混在するということです。そのために人間の欲望は、自分を生かすと同時に他者を生かすという、矛盾する欲望を両立させようとする葛藤を本質とするということです。第2にこの矛盾する欲望のもとで良く生きようと葛藤する中で、良く生きられるプロセスに対しては意味あること、また良く生きるために効果あることに対しては価値あることとして意識に刻み付け、その結果人間は、自己意識の中に意味と価値の序列(体系)をつくっていくということです。これが自分なりの正しさ(良さ)、ほんとう(真実)、美しさ(きれいさ)を判断する自己価値の基準となっていきます。第3に自己価値の体系は無意識化され、感受化され、意識せずとも感性的に価値を判断する“自我(パーソナリティー)”を形成していきます。人間の欲望は、この無意識化された自己価値の体系=自我に沿って発動するようになっていきます。自分なりの基準で良いもの、ほんとうのこと、美しいものを求め、悪いもの、不実や偽のこと、醜いものを忌避する力動が働くようになるのです。こうしたことから、人間の欲望はもはや身体由来の本能的欲望では無くなります。生理的な欲望をその基底に持ちつつ、人間の欲望は、自己価値の基準に沿って流れる自我の欲望(自己価値を求める欲望)へと変質していってしまうのです。

第4に人間の欲望は、より低次なものから高次なものへと階層構造をなしているということです。欲望を充足した時、人間は充足感、幸福感を覚えるのですが、その最も基底的な欲望が、安全と生存維持(生計維持)への欲望です。これらが充たされると、次に親和的な人間関係が求められるようになってきます。自分の存在が受け入れられなかったり、不和な人間関係でいがみ合うことは、地獄にも似た苦しみを私たちに与えるからです。こうした欲望の充足は、人間が幸福感を得るための必要条件と言えます。その上で、幸せを感じるための十分条件とも言える欲望が現れてきます。その最初のものが承認の欲望です。他者から称賛や尊敬を得ることで、自分の存在価値を認められたいと思う欲望です。そしてこの承認の欲望の延長上に現れてくるのが、成功の欲望です。出世したり金持ちになるなど、世の中で一般的に価値と認められているものにチャレンジして、競争に打ち勝って栄冠を勝ち得ようとする欲望です。この時私たちは、この上ない優越感を満喫することが出来るのです。しかしさらにその上に、人間の欲望にとって最も高次なものとして現れてくるのが、自己価値を求める自我の欲望であり、新しい価値を創造する欲望なのです。

第5に人間の欲望は、低次なものから高次なものへと階層的に構造化されているが故に、条件が整わなければ低次の欲望を充たすことで精一杯となり、高次の欲望を求めるどころでは無くなってしまうということです。しかしその時に私たち人間は、自分が人間らしい生き方、人間味のある豊かな生き方が出来ていないという、充たされない思いに苛(さいな)まれることになるのです。あるいはそんな人間らしさも知らないままに、即物的であるか獣的なままに生きることになってしまうのです。

3.人間の生き方と存在についての5つの原理
(1)矛盾する欲望の葛藤と精神の自由
以上ここまで、前回のパンセ通信No.134に沿って、自己価値の欲望という人間にとって最も本質的な存在のあり様と、それをもたらす人間の意識と欲望の特質について整理し直してみました。それでは次に、これらの人間の本質的なあり方に視座を据えて、人間の存在と生き方について幾つか原理を置いてみて、社会のあり方、経済のあり方、そして私たちの生き方について検討を進めていく上での起点としていってみたいと思います。

まず第1の原理として挙げられるのは、人間の欲望は、自己(利益の)欲望と関係性(の豊かさを求める)欲望という2つの矛盾した欲望の相克状態にあるということです。この2つの矛盾する欲望の葛藤が、自己価値(自我)の欲望を動かす力動的な正体で、自分を生かし、同時に他者を生かすという両立(止揚(しよう))が出来た時に初めて、私たちは新しい価値創造の喜びに浸ることが出来るのです。しかしそれは非常な忍耐と、人間関係を調整する能力(人間力)を要することで、多くの場合、各人の間に自己欲望にもとづく自己価値のぶつかり合いが生じ、敵対関係の争いが生じるか、(より強力な)一方が自分の価値を他方に押し付けて、他者がそれを忍従して受け入れざるを得ないという事態がもたらされることになるのです。

第2の原理は、人間は精神の無限性と自由を持つということです。人間の自己価値を求める自我の欲望は、常に今ある欲望の対象を超えて、さらにその先にあるものを幻想的に追い求めようとします。自分なりのほんとう(真実、正義、美)を求めて、どこまでもこれを実現していこうとするのです。こうした無限に展開する精神の自由は、自分の周囲の環境世界や自分自身にも向けられ、何度でも自分と世界を捉え返し、自分が良く生きられるように自分の存在のあり様と他者との関係の持ち方を変えていこうとします(それがうまく出来ず、苦しむのも人間なのですが)。このように一人一人が、無限の可能性に向けて開かれていること(希望)も、人間存在の原理なのです。しかしまたそのことがうまく出来ずに、現状の自分に固着して、うまくいかない原因を他者のせいにすることで恨みつらみを重ね、解決の糸口が掴(つか)めずに苦しみにもがくという事態にも陥ってしまうのです。

(2)持続的な成長と発展
第3の原理は、人間は持続的な成長と発展のうちに生きるということです。(そのことは人間の意識が、今ここに生きるのでは無く、身近な他者・見知らぬ他者を含めた大きな空間的広がりの中で生きるということ、また過去・現在・未来の時間的広がりの中で生きているということも意味します)。その第1の理由は、人間が自己価値(自分なりのほんとう)の実現を図ろうと、常にその先を求めて無限に可能性を押し広げていこう(希望を持つこと)とする自我の欲望を持つことを本質としているからです。また自己欲望と関係欲望を止揚(しよう)(両立)させて、新たな価値を創造するという特質を有しているからでもあります。しかしその反面、思うように可能性を広げたり可能性を見出すことが出来ない時には、絶望して自暴自棄になったり、ルサンチマンを募らせることにもなってしまうのです。多様性を受け入れてそれを価値に変えていくことは(多様性のみが価値の源泉)、容易なことでは無く、人間力と成熟の求められることだからです。

そして第2の理由は、人間は社会を形成するが故に、個体を超えてまた世代を超えて、余剰(富)を受け渡し、増し加えていくことが出来るからです。動物の場合には、生命を維持するに要する以上に摂取したエネルギー(富)は、自己の身体の成長のために利用されて終わります。個体が老齢化すれば成長は止まり、余剰エネルギーの接種の必要は無くなり、やがて個体の死によって余剰の帰結である成長した身体も朽ち果てて、(余剰は)分解されて自然に帰って行くことになるからです。しかし人間の場合に余剰は、個体が朽ちても社会で共有され、積み増されていきます。このことも人間が持続的に成長・発展していく原理を持つことの出来る必要条件となってくるのです。

ところでここで成長というのは、人間の側の変化を表し、私たちが自己価値を求める欲望を自由に育んで、またそれを実現する身体的・知的・人格的能力を高めて、新しい価値を生み出していく力を強めていくことを意味します。また発展というのは、社会の側の変化を表し、人間が精神の自由を存分に発揮して価値の生産と創造を行えるように社会の仕組みを高度化させ、生産と消費の循環の規模(富)を持続的に拡大させていくことを意味します。

4.人間が関係を持って共生する原理
(1)人間が良く生きられるために社会を形成
以上ここまで、人間の生き方と存在のあり方について視座を据えるために、3つのポイントを原理として置いてみました。確かに私たちが、自己欲望と関係性欲望(自分を生かし他者を生かす)を両立させ、精神の自由のもとに可能性を追求して価値を生み出し、継続的に成長と発展を遂げていくことの出来る時に、私たちは自分の実存を確認し、幸福を感じることが出来るものと思われます。しかし人間は、一人で生きる生き物では無く、集団の関係性の中で、しかも社会を形成して生きる存在です。そうすると人間の原理の中には、他者との関わりや社会との関わりについての原理も、設定しておかなければならないことになります。

そこで第4番目に原理として置けることとして、人間が自己価値を求め、自他を生かす精神の自由に生き、価値を生み出して持続的に成長発展出来るために、(そのことを目的として)私たちは他者との関係性を築き、社会の仕組みをつくるということが出てきます。人間の関係性については、パンセ通信No.127で3つの次元と5つの類型について整理しましたが、基本的には、直接的に接して交渉を交わす人間関係と、間接的に抽象的な関係性を持つ人間関係の次元に分かれます。そしてそこに、自分自身との関係(自己との対し方)が加わってくるのです。先に説明したように人間の意識というものも、複雑で多様な関係性の中で織りなされてくる価値基準の体系ですから、1つのシステムを成して活動しています。従って自分自身というシステムとどう関わってこれを御していくかということも、私たちが苦しみを減らして幸せに生きていくための重要な要因となってくるのです。

ところで上記の間接的・抽象的な次元における人間関係というのは、社会のことを意味します。私たちは見えない社会という関係の中に組み込まれて生きており、その見えない関係をどう制御(法と統治)して、またうまく富を生み出して分配(経済)していくかということも、私たちが良く生きていくための本質的な要件となってくるのです。

このように人間は自分が関係する3つの次元のそれぞれにおいて、自分を良く生かして(即ち他者をも良く生かして)生きていこうとするのですが、一方でそれがなかなかうまくいかず、様々な失敗を重ねて苦しむことにもなるのです。

(2)人間を制御する原理
そこで人間存在の第5番目の原理として出てくるのが、人間は希望と可能性に向けて生きる肯定的な原理を持つとは言え、実際に幸福を実現して良く生きていけるようになるためには、実は人間の否定的な側面を制御する仕組みも必要であるということです。人間存在の第1の原理で示したように、私たちは自己欲望と関係性の欲望という矛盾する欲望が葛藤して存在する生き物です。それ故に自他を生かして成長・発展の出来る可能性を有していると同時に、互いに敵対しあって苦しみ、憎しみの内に争いあって滅び(自滅)に至る可能性も有している存在なのです。

従って社会や経済などの人間が関係をもって共生するための仕組みは、人間を幸せにするためにつくり出されてきたものであると同時に、人間の滅びに至る争いを、なんとか制御するために生み出され、長い年月をかけて培われてきた仕組みでもあると言えるのです。こうして織りなされてきた人間の関係を司る仕組みには、社会(法と統治)と経済(生産)の他に文化や教育があります。そしてまた身近な人間関係や自分自身を律する仕組みとして、慣習や倫理や宗教が編み出されてきたのです。

5.人間の関係世界の原理の解明に向けて
さて今回のパンセ通信においては、自己価値の欲望に生きるという人間の本質と、3つの意識の特質と5つの欲望の特質を整理し、その上で人間の生き方と存在のあり方について5つの原理を設定し、これから物事を考えていく上での視座を据えてみました。そこで次に課題となってくるのが、人間の関係世界について、人間の争いを制御し、滅びに至らぬように抑制する仕組みと、人間を良く生かし、価値創造を生んで成長と発展へと導く仕組みについての原理の解明です。具体的には社会(法と統治・政治)、経済(富の生産)、文化(価値規範、習俗)、そして直接的な人間関係や自分自身との向き合い方に指針を与える慣習や倫理や宗教の原理についての検討です。

さらに歴史を振り返ってみるなら、人間の関係と共生の仕組みが、主に歴史の早い段階では、人間の争いを制御(抑制)する方により重点が置かれ、また人間の欲望の発現も、低次なままで留め置かれる場合の多かったことが分かってきます。また近年に至るにつれて、より多くの人の生き方の可能性を開き、人間がより高次の欲望を充足して生きられる仕組みも現れてくるようになりました。それでは人間性の抑制か可能性の開花か、その条件の差はどのようなところにあるのでしょうか。その条件についても解明を進めていって、現代がどういう状況にある時代なのか、そして私たちが具体的に何をビジョンとして描き、どう生きていけば良いのかについても、原理的に検討を進めていってみたいと思います。

なお次回のパンセの集いの勉強会は、5月8日の月曜日18時からです。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターで行います。お時間許す方はご参加下さい。

P.S.現在パンセ通信は、No.132まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。

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