■2017.5.27パンセ通信No.138『生物の生存戦略と関係世界、そして関係の原理』
皆 様 へ
1.社会の関係性と政治・経済・文化の原理
政治とは何か、経済とは何か、文化とは何なのでしょうか。前回は権力の獲得や、権力への影響力を行使して、利益拡大を図ろうとする支配勢力間で行われる駆け引きの状況を、現代の政治として捉えてみました。しかし果たしてそれが政治の本質なのでしょうか。人間は個人(個体)で生きるのではなく、多くの人々が複雑に絡み合った関係世界(社会)の中に生きています。もし歴史が進歩するものであるとしたなら、進歩とは、この複雑さの度合いが増して高度化していくことを指すのでしょう。
特に人間の場合は、群れで生活する動物とも異なり、直接的には接することの無い無数の人々と共に社会を形成して生きています。この顔の見えない人々と、普段直接的には恩恵を施されていることが実感出来ないままに、実は高度に依存し合い、相互に補完し合って生きる仕組みを人間は生み出してきたのです。この仕組みのおかげで、私たちは自分の適性や才能、そして力量に応じた活動(仕事)を行い、社会の普遍資産(生産)を増大させていくことが出来るようになりました。この仕組みによって生み出される資産の量は、私たちが個々人で自給自足によって生み出す資産の量よりもはるかに大規模なもので、私たちは自分に応じた業務に特化して仕事を行っているだけであっても、ますます豊かな富を享受することが出来るようになったのです。
この無数の人間の見えない依存関係・補完関係をうまく調整して機能させる仕組みこそが、政治であり、経済であり、文化なのです。普段は直接的人間関係に一喜一憂する余りに、間接的・抽象的人間関係の相互依存は改めて意識することなく生活している私たちですが、この見えない依存関係を確かに見て取っていくことが、私たちが現代の問題を解きほぐし、新たなビジョンを打ち建てていくためのキーファクターになると思われます。そのために、今回からのパンセ通信では、抽象的人間関係(社会)を調整していく仕組みとしての政治、経済、文化の本質と原理について、考えていってみたいと思います。
なお、次回のパンセの集いの勉強会は、5月29日の月曜日18時から渋谷区本町の本町ホームシターで行います。月末ですのでホームシアターサークルの活動を予定しています。課題映画は、遠藤周作原作、熊井啓監督の『海と毒薬』です。熊井啓監督は、人生の汚点や自国の歴史の暗黒面に向き合うことが、いったいどういう意味を持つかということについて一貫して問い続けてきた監督で、この映画でベルリン映画祭の銀熊賞(グランプリ)を受賞しています。
2.最も根本的なところから考える関係世界の原理
(1)人間の原理から関係世界へ
関係世界に生きる人間は、自己欲望(自己利益、自己の所有と存在の可能性を拡大しようとする欲望)と、関係性の欲望(関係性の心地良さと他者からの承認、尊敬)の葛藤をその本質として持ち、また他者との関わりの中で自己価値を実現しようと、自他を生かす矛盾に苦しみながらその両立を図って、新しい価値創造に生きることをも本質とする存在です。またこの葛藤の調整がうまく行えず、自分の可能性が広げられずにうっくつ鬱屈したり、恨み(ルサンチマン)を抱いたり、あるいは矛盾の克服が行えずに、お互いの自己価値をぶつけ合って争い、支配被支配の従属関係をつくってしまう存在でもあります。
パンセ通ではNo.135、136において、人間の意識について3つの特質を整理し、また欲望について5つの特質を洗い出して、そこから人間の生き方についての5つの原理を設定してみました。こうした本質や原理をもって生きる人間が、それぞれの求めを織り成して関係世界(社会)をつくっていくのですが、それではその関係世界とはいったいどのようなものなのでしょうか。そのことについて、最も根本的なところから考えていってみたいと思います。
(2)単独行動で生きる生物の関係原理
まず関係世界の最も原初的な形態として、熊やニホンカモシカなどのような単独行動で生きる動物の場合を考えてみたいと思います。単独で生きる動物が他者と持つ関係性は3つです。1つは食うか食われるか(相手を否定するか、相手から否定されるか)の関係です。熊のような生態系の上位にある動物であれば、空腹であれば出会った他の動物を捕食する(否定する)という関係を持ち、空腹でなければ(身体生理的欲求が無ければ)、出会っても関心を示さず関係を持たないでしょう。ニホンカモシカの場合であれば、熊と出会えば捕食される(あるいは逃げおおせる)という関係を持ち、植物であれば食べるという関係を持つことになります。2つ目は同じ種の仲間と出会った場合の関係です。同じ性別であれば、縄張りを巡って争い合う関係が生じ、強弱の序列(強い者が勝利し、弱い者が逃げる)が決まります。唯一異性との出会いの場合にだけ、生殖による結合という関係の可能性が生まれるのです。3つ目は母親と子供の関係です。この場合には親子の親密な関係が保たれますが、それも子別れの時までのことです。
こうした単独行動で生きる動物の行動から、生物の関係性の持ちよう様の最も基底的なあり方が見えてきます。それは他者を否定するか否定されるかで、あるいは闘争によって優劣をはっきりさせ、他者を排除するか排除されるかという関係性です。ただ(個体としての生存維持と併せて)種の保存、つまり子孫を残すという生命活動の大原則があるので、ただその時だけは結合、親密の関係がもたれるのです。こうした関係の持ち様は、動物のみならず微生物に至るまで、最も基底的な関係性として見られるものでしょう。またこの事実は重要で、けっして人間に無関係なものではありません。人間は進化の過程で最も基底的な意識や欲望の上に、文化的な外被を形成して関係性を築いてきたtのですが、前々回のパンセ通信でも指摘したように、生存の環境が悪化すれば、そうした外被は吹き飛んで、最も基底的な欲望や関係性の持ち方が姿を現してくることになるのです。(例えば竹田泰淳「ひかりごけ」や大岡昌平「野火」などの小説で描かれた、極限状態での人肉食など)。
3.生存戦略としての群れの形成
(1)群れをつくる優位性
次に群れで生きる生き物についてです。もし生物の基底的な関係性が、先に述べたように互いの否定か闘争による排除であるとするなら、群れをつくるということは、個体間の関係においてそこに“命懸けの飛躍”があったに等しい大変革が起こったということになります。それでは生物の内のある者は、何故にこうした自分が食うか食われてしまうかの危険を顧みずに“命懸けの飛躍”を行って、群れをつくって連携するようになっていったのでしょうか。それは個体としての生存においても、種としての存続においても、その方が生き残って繁栄出来る確率が高まるという生存戦略があったからに他なりません。
実際に群れをつくることによる生存戦略の優位性としては、3つほどのことを考えることが出来ます。第1に挙げられるのは、捕食者や環境変化に対して防衛力が高まることによる、個体や群れ全体としての生存の優位性です。例えばカモシカやヌーの群れでは、ライオンなどの捕食者が近づいてくると、体の大きな雄が群れの周りを取り囲んで、特に子供等を守るために敵を寄せ付けない隊形を取ります。また1匹が敵の接近に気づいて知らせることで、群れ全体の警戒能力が高まることも重要です。さらに弱った個体が群れから離れて捕食されることで、病気のまんえん蔓延や群れ全体の新陳代謝を図っていることもあるようです。加えて金魚などの水生動物は、有害物質に対して群れでいる場合の方が耐性が高いことが分かっています。自分達の代謝排出物によって、有害物質を無毒化する効率が高まるようです。そしてネズミなどは、寒いところでは固まり合うことで互いに暖を取って生き抜きます。
第2に挙げられるのは、群れを成すことによって個体レベルでの異性との遭遇が容易となり、生殖(種としての存続)のチャンスが高まるということです。そして第3は、分業や協調行動によってエサの獲得や子育てを容易にすることです。ライオンやオオカミなどは、群れで協力することによって、獲物をより高い確率で捕えます。さらにはアリやミツバチの群れの場合には、各個体の役割を明確に分け、組織的構造を持ってエサ集め、子育て、産卵等を行うことによって、群れ全体での生存・存続の可能性を高めているものもあります。
(2)多様な生物の生存戦略
上記2(2)で述べたように、同種族の個体間における関係は、エサやすみか住処や異性を求めて敵対するのが原初的であるとするなら、群れで生活するようになることは、上記のように個体で生存するよりもメリット(利益)が大きくなるからに他なりません。しかし群れの規模があまり大きくなりすぎると、エサ不足や感染症の蔓延の危険、個体間の争いや連携の乱れなど、かえ却って弊害も大きくなってきます。そこで単に群れをつくるだけでなく、群れをつくることによる利益と損失の差が最大になるような大きさや密度で、群れをつくるようにもなってくるのです。
ところで生物は、単独で生きるものから群れを成すものへと進化したのでしょうか。しかし必ずしもそう考える必要は無いでしょう。それぞれの生物の種が、置かれた環境との対比で最もメリットがあると思われる生存戦略を選択して、あるものは個体で生き、あるものは群れで生活するようになっただけのことだと思われます。さらに群れを成す生物の中でも、魚類のように多産戦略をとって、捕食される以上の個体を生み出して群れを維持したり、海鳥のように繁殖の時だけ大きな群れを成したり、またオオカミのように獲物の捕獲の効率を高めるために群れをつくったり、アリやサルなどのように役割分化を持った組織構造を持つ群れをつくったりと、その生存戦略は千差万別で多様性に満ちています。そして現在生息する種は、それぞれに生存戦略に成功して、見事に現在まで生き抜いてきてjいるのです。
こうして群れで生きることに優れて適応する生物の中には、やがて集団をつくることが遺伝子(本能)レベルにおいても組み込まれてくるものが現れてきます。そして私たち人間も、こうした多様な生物の生存戦略の中で、集団(群れ)をつくって生活し、さらに役割分担を持った組織構造をつくって生きることを、種の生存戦略として選択してきたのです。
4.生物の関係原理
(1)遺伝子レベルでの生存戦略
さて単独行動で生きる生物に見られる最も基底的な関係性は、否定(食うか食われるか)か闘争(強弱優劣に決定)かでしたが、群れを成す生物について、群れの中での個体間の関係性とは、どのようなものなのでしょうか。それについても、4つほどの視点が挙げられると思います。第1はアリやミツバチなどの社会構造を持った群れにおける関係性です。アリやミツバチは、働きアリや子育てを担うアリなど、異なる役割を担う個体が連携しあって、群れ全体での最適な生存戦略を取っていきます。こうした生き物の場合の関係性ですが、ここでは主にまくしもく膜翅目(ハチやアリのような社会性昆虫の仲間)のような、本能をもとに行動する生物を対象に考えてみます。
本能というのは、あらかじめ環境に対する適応行動が(遺伝子レベルで)プログラミングされて発現する機能で、意識において外界からと身体からの情報を処理することによって、適切な行動の判断を行うものではありません。つまりもし動物のような意識が無いとすると、複雑な思考や感情が生起せず、お互いの関係状況を意識によって把握することも出来無いのですから、その関係性はあらかじめインプットされたプログラムによって決まってくることになります。そのプログラムの基本は、個体としてのいのちを存続させる、そしてまた子孫を残す(増やす)ということでしょう。しかしもう少し厳密に言うと、その生存戦略は遺伝子(生命情報)を残し、増やすということに帰結してきます。そのために遺伝子の存続戦略として、アリやハチの場合には、個体として生き残ろうとするだけでなく、群れが外敵に襲われると積極的に戦って犠牲になる者も数多く出てきます。あるいは働きアリや働きバチたちは、個体として繁殖の機会を捨てて、エサの収集や幼虫の世話に専念し、いわば自分は犠牲(利他的行動)になって女王の繁殖を助けることになります。つまり個体としては犠牲になることがあっても、遺伝子レベルでの生存戦略として、群れ(家族)全体としての最適の遺伝子存続・増殖戦略をとるために、各個体間で役割分担を行い、組織的関係性を持つようになるのです。
ここで意識を持つ生物と、アリやハチのように本能で関係性をつくる生物とで、どちらがより進化し優れているかということは一概に言うことが出来ません。確かに変化の少ない環境では、すでに行動がプログラミングされて、本能をベースに活動する生物の方が効率性に優れているでしょう。一方環境が激しく変化する状況では、意識をもって行動の適切性を判断できる生物の方が優れているように思えます。しかし実際の生物種の繁栄状況を見ると、安易にそうした判断を下せないことが判ります。それぞれの生物種が、それぞれの生存戦略を取っただけのことなのです。ただ1つ考慮に入れておかねければならないことは、私たち人間においても、意識を超えた心の奥底で、アリやハチたちのような遺伝子レベルでの生存戦略が、しっかりとビルトインされているということです。
なお意識を持たない生物の関係性について、アリやハチを例にとって考えましたが、遺伝子レベルでの生存戦略というポイントに着眼すれば、微生物レベルの群れから魚の群れ、そして海鳥などの集団繁殖時の関係性などについても、同じ原理で考えていくことが出来るものと思われます。
(2)強弱の関係原理
さてここまで意識を持たない生物の関係性について整理してみたので、2つ目は意識を持つ生物の群れにおける関係性について考えてみたいと思います。オオカミやライオンなど様々な動物種が考えられますが、ここではサルを例に取ってみたいと思います。サルの場合には意識が発達してくるので、遺伝子レベルの生存戦略のみならず、各個体においても外敵からの防御や繁殖・子育て、そしてエサの獲得において群れをつくることの優位性が意識(直感)されるようになってきます。そして群れを維持して自分がその中で生きるにあたって、他の個体との関係性も意識されるようになってくるのです。
それではサルの群れにおける各個体間の関係性というのは、どのようなものなのでしょうか。また各個体間で複雑に織りなされる関係を調整し、群れとして1つにまとめる原理とはどのようなものでしょうか。基本的にはそれは強弱の関係原理です。サルの群れは大きくなると100頭近くにもなりますが、当然個体差が生じ、身体が大きくて力の強い雄が優位となってボスとなり、群れを統率します。そして強弱の力の差によって、雄の個体間の序列が決まってくるのです。その結果群れの構成としてはボスの周囲に雌と子ザルが取り巻き、周辺部に他の雄ザルが位置するという配置を取ることになります。群れの中の関係性を決めるのはあくまでも強弱の力のみで、力の差が変われば序列は変動していくのです。この力の差による序列を各個体が意識して受け入れることによって、群れの統一が保たれていくことになるのです。従ってその序列受け入れらない者(雄)は、自分の意識の判断によって、はぐれザルとなって群れを離れていくこともあるのです。この力の強弱による関係原理は、基本的にはオオカミやライオンなど他の意識を持つ動物の場合にも同じです。
(3)共感と配慮の原理
群れをつくる生き物の関係性で、もう1つ、つまり3番目に挙げておかなければならないのは、ゴリラなどの類人猿における関係性です。群れの規模は、雄1頭と複数の雌という1家族単位で、サルと比べてずっと小さくなってきますが、その関係性の原理には大きな変化が見られます。もちろんサルや他の動物と同じように、やはり強弱の原理が関係性のベースになっているのでしょうが、それ以外に、他者に対する共感性が芽生えてくるのです。それは意識の中に“自己意識”が成長してくることと関わっているのでしょうけれども、自分の意識の中で自分の経験と引き比べて、他者の痛みや苦しみ、喜びや満足が類推出来るようになってくるのです。そうすると個体間の関係性は、単に強弱の関係のみならず、相手に気に入られたり喜ばれたりすることを求める、関係性の心地良さ(愛情)そのものが目的となるような関係原理が生じてくるようになるのです。そして互いに配慮して共生する関係性が生まれてくることによって、単なる強弱の関係によって絶えず変動と緊張の不安にさら晒される群れよりも、はるかに安定性と居心地の良さの増す群れがつくり上げられていくことになるのです。
(4)共生と循環の生態系原理
以上群れを成す生物の個体間の関係性について見てきたのですが、最後に4番目として検討しておかなければならないのは、群れと群れ、つまり植物や微生物をも含めた他の生物種や生物群同士の間での関係性です。個々の生物や群れは、捕食-被食、競争、共生、寄生などの複雑な関係性をもって、自分たちの生存を優位にするために(利己的に)生きるのですが、やがてそれはエネルギーや物質が絶妙なバランスで循環していく生態系を形成していきます。太陽エネルギーを起点に植物が光合成により栄養物を生産し、動物がそれを消費し、微生物が遺体や廃棄物を分解して無機物へと還元し、その無機物をまた植物が利用していくという巧妙な共生と循環の関係系を生み出していくのです。
人間は非常に高度で複雑な社会をつくって生活しているために、自分たちの社会がすべてだと考えて、通常は社会の外の環境(自然)のことを意識しませんが、人間という群れも、大きな自然環境に包まれて生きており、その中で他の生物種との間で絶妙な生態系バランスの中で共生していることを、けっして忘れてはならないでしょう。
5.生物の関係原理から人間の関係原理へ
さて今回は、人間が織り成す関係世界の原理を最も根本的なところから考えてみるために、まずは人間以外の生き物たちが持つ関係性の原理について概観してみました。アリやハチなどの、本能をベースに各個体が役割を担い、組織構造を形成する生物の関係性は、遺伝子レベルでの生存戦略に基づくものでした。遺伝子(いのちの情報)を最も効率よく残して増やすために、各個体はそれぞれ役割を担い、組織化された群れをつくり、最適の行動を取っていくのです。そのために時に利他的、自己犠牲的な行動取る個体も現れてきますが、それは利他的な本能があるというよりは、あくまでも各個体が自分の遺伝子(情報)の存続を図るという利己目的を達成しようとして、最適な活動(親縁遺伝子を持つ群れの存続)を行った結果、利他的と思える活動を行ったと考えた方が良いでしょう。
次に単独行動で生きる生物の関係原理は、否定(食うか食われるか)か闘争(強弱優劣に決定)かでした。そして意識を持った生物の中にも、防衛、生殖・子育て、エサの獲得の優位性等のために、群れを成して生活するという生存戦略を取る生物種が出てきますが、こうした群れの中における各個体間の関係原理は、強弱の序列でした。ただそれがゴリラのような類人猿になると、共感と相互配慮(愛情)の原理が現れ、群れの居心地の良さと安定性を増していくことになるのです。そして群れを含む生物種相互の関係性は、共生と循環の生態系原理でした。
こうした生物の関係原理は、もちろん人間固有のものではありませんが、私たちの遺伝子も、こうした生物種と共有するところをもって進化してきたことを考えると、私たちの関係性の奥底に、こうした生物の関係原理を秘めていることを考慮に入れておいた方が良いでしょう。その上で次回から、私たち人間そのものの関係原理について整理していきたいと思います。
なお、次回のパンセの集いの勉強会は、5月29日月曜日の18時から、渋谷区本町の本町ホームシアターで行います。月末ですのでホームシアターサークルの活動を予定しています。課題映画は、遠藤周作原作、熊井啓監督の『海と毒薬』です。お時間許す方はご参加下さい。
P.S. 現在パンセ通信は、No.136まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。
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1.社会の関係性と政治・経済・文化の原理
政治とは何か、経済とは何か、文化とは何なのでしょうか。前回は権力の獲得や、権力への影響力を行使して、利益拡大を図ろうとする支配勢力間で行われる駆け引きの状況を、現代の政治として捉えてみました。しかし果たしてそれが政治の本質なのでしょうか。人間は個人(個体)で生きるのではなく、多くの人々が複雑に絡み合った関係世界(社会)の中に生きています。もし歴史が進歩するものであるとしたなら、進歩とは、この複雑さの度合いが増して高度化していくことを指すのでしょう。
特に人間の場合は、群れで生活する動物とも異なり、直接的には接することの無い無数の人々と共に社会を形成して生きています。この顔の見えない人々と、普段直接的には恩恵を施されていることが実感出来ないままに、実は高度に依存し合い、相互に補完し合って生きる仕組みを人間は生み出してきたのです。この仕組みのおかげで、私たちは自分の適性や才能、そして力量に応じた活動(仕事)を行い、社会の普遍資産(生産)を増大させていくことが出来るようになりました。この仕組みによって生み出される資産の量は、私たちが個々人で自給自足によって生み出す資産の量よりもはるかに大規模なもので、私たちは自分に応じた業務に特化して仕事を行っているだけであっても、ますます豊かな富を享受することが出来るようになったのです。
この無数の人間の見えない依存関係・補完関係をうまく調整して機能させる仕組みこそが、政治であり、経済であり、文化なのです。普段は直接的人間関係に一喜一憂する余りに、間接的・抽象的人間関係の相互依存は改めて意識することなく生活している私たちですが、この見えない依存関係を確かに見て取っていくことが、私たちが現代の問題を解きほぐし、新たなビジョンを打ち建てていくためのキーファクターになると思われます。そのために、今回からのパンセ通信では、抽象的人間関係(社会)を調整していく仕組みとしての政治、経済、文化の本質と原理について、考えていってみたいと思います。
なお、次回のパンセの集いの勉強会は、5月29日の月曜日18時から渋谷区本町の本町ホームシターで行います。月末ですのでホームシアターサークルの活動を予定しています。課題映画は、遠藤周作原作、熊井啓監督の『海と毒薬』です。熊井啓監督は、人生の汚点や自国の歴史の暗黒面に向き合うことが、いったいどういう意味を持つかということについて一貫して問い続けてきた監督で、この映画でベルリン映画祭の銀熊賞(グランプリ)を受賞しています。
2.最も根本的なところから考える関係世界の原理
(1)人間の原理から関係世界へ
関係世界に生きる人間は、自己欲望(自己利益、自己の所有と存在の可能性を拡大しようとする欲望)と、関係性の欲望(関係性の心地良さと他者からの承認、尊敬)の葛藤をその本質として持ち、また他者との関わりの中で自己価値を実現しようと、自他を生かす矛盾に苦しみながらその両立を図って、新しい価値創造に生きることをも本質とする存在です。またこの葛藤の調整がうまく行えず、自分の可能性が広げられずにうっくつ鬱屈したり、恨み(ルサンチマン)を抱いたり、あるいは矛盾の克服が行えずに、お互いの自己価値をぶつけ合って争い、支配被支配の従属関係をつくってしまう存在でもあります。
パンセ通ではNo.135、136において、人間の意識について3つの特質を整理し、また欲望について5つの特質を洗い出して、そこから人間の生き方についての5つの原理を設定してみました。こうした本質や原理をもって生きる人間が、それぞれの求めを織り成して関係世界(社会)をつくっていくのですが、それではその関係世界とはいったいどのようなものなのでしょうか。そのことについて、最も根本的なところから考えていってみたいと思います。
(2)単独行動で生きる生物の関係原理
まず関係世界の最も原初的な形態として、熊やニホンカモシカなどのような単独行動で生きる動物の場合を考えてみたいと思います。単独で生きる動物が他者と持つ関係性は3つです。1つは食うか食われるか(相手を否定するか、相手から否定されるか)の関係です。熊のような生態系の上位にある動物であれば、空腹であれば出会った他の動物を捕食する(否定する)という関係を持ち、空腹でなければ(身体生理的欲求が無ければ)、出会っても関心を示さず関係を持たないでしょう。ニホンカモシカの場合であれば、熊と出会えば捕食される(あるいは逃げおおせる)という関係を持ち、植物であれば食べるという関係を持つことになります。2つ目は同じ種の仲間と出会った場合の関係です。同じ性別であれば、縄張りを巡って争い合う関係が生じ、強弱の序列(強い者が勝利し、弱い者が逃げる)が決まります。唯一異性との出会いの場合にだけ、生殖による結合という関係の可能性が生まれるのです。3つ目は母親と子供の関係です。この場合には親子の親密な関係が保たれますが、それも子別れの時までのことです。
こうした単独行動で生きる動物の行動から、生物の関係性の持ちよう様の最も基底的なあり方が見えてきます。それは他者を否定するか否定されるかで、あるいは闘争によって優劣をはっきりさせ、他者を排除するか排除されるかという関係性です。ただ(個体としての生存維持と併せて)種の保存、つまり子孫を残すという生命活動の大原則があるので、ただその時だけは結合、親密の関係がもたれるのです。こうした関係の持ち様は、動物のみならず微生物に至るまで、最も基底的な関係性として見られるものでしょう。またこの事実は重要で、けっして人間に無関係なものではありません。人間は進化の過程で最も基底的な意識や欲望の上に、文化的な外被を形成して関係性を築いてきたtのですが、前々回のパンセ通信でも指摘したように、生存の環境が悪化すれば、そうした外被は吹き飛んで、最も基底的な欲望や関係性の持ち方が姿を現してくることになるのです。(例えば竹田泰淳「ひかりごけ」や大岡昌平「野火」などの小説で描かれた、極限状態での人肉食など)。
3.生存戦略としての群れの形成
(1)群れをつくる優位性
次に群れで生きる生き物についてです。もし生物の基底的な関係性が、先に述べたように互いの否定か闘争による排除であるとするなら、群れをつくるということは、個体間の関係においてそこに“命懸けの飛躍”があったに等しい大変革が起こったということになります。それでは生物の内のある者は、何故にこうした自分が食うか食われてしまうかの危険を顧みずに“命懸けの飛躍”を行って、群れをつくって連携するようになっていったのでしょうか。それは個体としての生存においても、種としての存続においても、その方が生き残って繁栄出来る確率が高まるという生存戦略があったからに他なりません。
実際に群れをつくることによる生存戦略の優位性としては、3つほどのことを考えることが出来ます。第1に挙げられるのは、捕食者や環境変化に対して防衛力が高まることによる、個体や群れ全体としての生存の優位性です。例えばカモシカやヌーの群れでは、ライオンなどの捕食者が近づいてくると、体の大きな雄が群れの周りを取り囲んで、特に子供等を守るために敵を寄せ付けない隊形を取ります。また1匹が敵の接近に気づいて知らせることで、群れ全体の警戒能力が高まることも重要です。さらに弱った個体が群れから離れて捕食されることで、病気のまんえん蔓延や群れ全体の新陳代謝を図っていることもあるようです。加えて金魚などの水生動物は、有害物質に対して群れでいる場合の方が耐性が高いことが分かっています。自分達の代謝排出物によって、有害物質を無毒化する効率が高まるようです。そしてネズミなどは、寒いところでは固まり合うことで互いに暖を取って生き抜きます。
第2に挙げられるのは、群れを成すことによって個体レベルでの異性との遭遇が容易となり、生殖(種としての存続)のチャンスが高まるということです。そして第3は、分業や協調行動によってエサの獲得や子育てを容易にすることです。ライオンやオオカミなどは、群れで協力することによって、獲物をより高い確率で捕えます。さらにはアリやミツバチの群れの場合には、各個体の役割を明確に分け、組織的構造を持ってエサ集め、子育て、産卵等を行うことによって、群れ全体での生存・存続の可能性を高めているものもあります。
(2)多様な生物の生存戦略
上記2(2)で述べたように、同種族の個体間における関係は、エサやすみか住処や異性を求めて敵対するのが原初的であるとするなら、群れで生活するようになることは、上記のように個体で生存するよりもメリット(利益)が大きくなるからに他なりません。しかし群れの規模があまり大きくなりすぎると、エサ不足や感染症の蔓延の危険、個体間の争いや連携の乱れなど、かえ却って弊害も大きくなってきます。そこで単に群れをつくるだけでなく、群れをつくることによる利益と損失の差が最大になるような大きさや密度で、群れをつくるようにもなってくるのです。
ところで生物は、単独で生きるものから群れを成すものへと進化したのでしょうか。しかし必ずしもそう考える必要は無いでしょう。それぞれの生物の種が、置かれた環境との対比で最もメリットがあると思われる生存戦略を選択して、あるものは個体で生き、あるものは群れで生活するようになっただけのことだと思われます。さらに群れを成す生物の中でも、魚類のように多産戦略をとって、捕食される以上の個体を生み出して群れを維持したり、海鳥のように繁殖の時だけ大きな群れを成したり、またオオカミのように獲物の捕獲の効率を高めるために群れをつくったり、アリやサルなどのように役割分化を持った組織構造を持つ群れをつくったりと、その生存戦略は千差万別で多様性に満ちています。そして現在生息する種は、それぞれに生存戦略に成功して、見事に現在まで生き抜いてきてjいるのです。
こうして群れで生きることに優れて適応する生物の中には、やがて集団をつくることが遺伝子(本能)レベルにおいても組み込まれてくるものが現れてきます。そして私たち人間も、こうした多様な生物の生存戦略の中で、集団(群れ)をつくって生活し、さらに役割分担を持った組織構造をつくって生きることを、種の生存戦略として選択してきたのです。
4.生物の関係原理
(1)遺伝子レベルでの生存戦略
さて単独行動で生きる生物に見られる最も基底的な関係性は、否定(食うか食われるか)か闘争(強弱優劣に決定)かでしたが、群れを成す生物について、群れの中での個体間の関係性とは、どのようなものなのでしょうか。それについても、4つほどの視点が挙げられると思います。第1はアリやミツバチなどの社会構造を持った群れにおける関係性です。アリやミツバチは、働きアリや子育てを担うアリなど、異なる役割を担う個体が連携しあって、群れ全体での最適な生存戦略を取っていきます。こうした生き物の場合の関係性ですが、ここでは主にまくしもく膜翅目(ハチやアリのような社会性昆虫の仲間)のような、本能をもとに行動する生物を対象に考えてみます。
本能というのは、あらかじめ環境に対する適応行動が(遺伝子レベルで)プログラミングされて発現する機能で、意識において外界からと身体からの情報を処理することによって、適切な行動の判断を行うものではありません。つまりもし動物のような意識が無いとすると、複雑な思考や感情が生起せず、お互いの関係状況を意識によって把握することも出来無いのですから、その関係性はあらかじめインプットされたプログラムによって決まってくることになります。そのプログラムの基本は、個体としてのいのちを存続させる、そしてまた子孫を残す(増やす)ということでしょう。しかしもう少し厳密に言うと、その生存戦略は遺伝子(生命情報)を残し、増やすということに帰結してきます。そのために遺伝子の存続戦略として、アリやハチの場合には、個体として生き残ろうとするだけでなく、群れが外敵に襲われると積極的に戦って犠牲になる者も数多く出てきます。あるいは働きアリや働きバチたちは、個体として繁殖の機会を捨てて、エサの収集や幼虫の世話に専念し、いわば自分は犠牲(利他的行動)になって女王の繁殖を助けることになります。つまり個体としては犠牲になることがあっても、遺伝子レベルでの生存戦略として、群れ(家族)全体としての最適の遺伝子存続・増殖戦略をとるために、各個体間で役割分担を行い、組織的関係性を持つようになるのです。
ここで意識を持つ生物と、アリやハチのように本能で関係性をつくる生物とで、どちらがより進化し優れているかということは一概に言うことが出来ません。確かに変化の少ない環境では、すでに行動がプログラミングされて、本能をベースに活動する生物の方が効率性に優れているでしょう。一方環境が激しく変化する状況では、意識をもって行動の適切性を判断できる生物の方が優れているように思えます。しかし実際の生物種の繁栄状況を見ると、安易にそうした判断を下せないことが判ります。それぞれの生物種が、それぞれの生存戦略を取っただけのことなのです。ただ1つ考慮に入れておかねければならないことは、私たち人間においても、意識を超えた心の奥底で、アリやハチたちのような遺伝子レベルでの生存戦略が、しっかりとビルトインされているということです。
なお意識を持たない生物の関係性について、アリやハチを例にとって考えましたが、遺伝子レベルでの生存戦略というポイントに着眼すれば、微生物レベルの群れから魚の群れ、そして海鳥などの集団繁殖時の関係性などについても、同じ原理で考えていくことが出来るものと思われます。
(2)強弱の関係原理
さてここまで意識を持たない生物の関係性について整理してみたので、2つ目は意識を持つ生物の群れにおける関係性について考えてみたいと思います。オオカミやライオンなど様々な動物種が考えられますが、ここではサルを例に取ってみたいと思います。サルの場合には意識が発達してくるので、遺伝子レベルの生存戦略のみならず、各個体においても外敵からの防御や繁殖・子育て、そしてエサの獲得において群れをつくることの優位性が意識(直感)されるようになってきます。そして群れを維持して自分がその中で生きるにあたって、他の個体との関係性も意識されるようになってくるのです。
それではサルの群れにおける各個体間の関係性というのは、どのようなものなのでしょうか。また各個体間で複雑に織りなされる関係を調整し、群れとして1つにまとめる原理とはどのようなものでしょうか。基本的にはそれは強弱の関係原理です。サルの群れは大きくなると100頭近くにもなりますが、当然個体差が生じ、身体が大きくて力の強い雄が優位となってボスとなり、群れを統率します。そして強弱の力の差によって、雄の個体間の序列が決まってくるのです。その結果群れの構成としてはボスの周囲に雌と子ザルが取り巻き、周辺部に他の雄ザルが位置するという配置を取ることになります。群れの中の関係性を決めるのはあくまでも強弱の力のみで、力の差が変われば序列は変動していくのです。この力の差による序列を各個体が意識して受け入れることによって、群れの統一が保たれていくことになるのです。従ってその序列受け入れらない者(雄)は、自分の意識の判断によって、はぐれザルとなって群れを離れていくこともあるのです。この力の強弱による関係原理は、基本的にはオオカミやライオンなど他の意識を持つ動物の場合にも同じです。
(3)共感と配慮の原理
群れをつくる生き物の関係性で、もう1つ、つまり3番目に挙げておかなければならないのは、ゴリラなどの類人猿における関係性です。群れの規模は、雄1頭と複数の雌という1家族単位で、サルと比べてずっと小さくなってきますが、その関係性の原理には大きな変化が見られます。もちろんサルや他の動物と同じように、やはり強弱の原理が関係性のベースになっているのでしょうが、それ以外に、他者に対する共感性が芽生えてくるのです。それは意識の中に“自己意識”が成長してくることと関わっているのでしょうけれども、自分の意識の中で自分の経験と引き比べて、他者の痛みや苦しみ、喜びや満足が類推出来るようになってくるのです。そうすると個体間の関係性は、単に強弱の関係のみならず、相手に気に入られたり喜ばれたりすることを求める、関係性の心地良さ(愛情)そのものが目的となるような関係原理が生じてくるようになるのです。そして互いに配慮して共生する関係性が生まれてくることによって、単なる強弱の関係によって絶えず変動と緊張の不安にさら晒される群れよりも、はるかに安定性と居心地の良さの増す群れがつくり上げられていくことになるのです。
(4)共生と循環の生態系原理
以上群れを成す生物の個体間の関係性について見てきたのですが、最後に4番目として検討しておかなければならないのは、群れと群れ、つまり植物や微生物をも含めた他の生物種や生物群同士の間での関係性です。個々の生物や群れは、捕食-被食、競争、共生、寄生などの複雑な関係性をもって、自分たちの生存を優位にするために(利己的に)生きるのですが、やがてそれはエネルギーや物質が絶妙なバランスで循環していく生態系を形成していきます。太陽エネルギーを起点に植物が光合成により栄養物を生産し、動物がそれを消費し、微生物が遺体や廃棄物を分解して無機物へと還元し、その無機物をまた植物が利用していくという巧妙な共生と循環の関係系を生み出していくのです。
人間は非常に高度で複雑な社会をつくって生活しているために、自分たちの社会がすべてだと考えて、通常は社会の外の環境(自然)のことを意識しませんが、人間という群れも、大きな自然環境に包まれて生きており、その中で他の生物種との間で絶妙な生態系バランスの中で共生していることを、けっして忘れてはならないでしょう。
5.生物の関係原理から人間の関係原理へ
さて今回は、人間が織り成す関係世界の原理を最も根本的なところから考えてみるために、まずは人間以外の生き物たちが持つ関係性の原理について概観してみました。アリやハチなどの、本能をベースに各個体が役割を担い、組織構造を形成する生物の関係性は、遺伝子レベルでの生存戦略に基づくものでした。遺伝子(いのちの情報)を最も効率よく残して増やすために、各個体はそれぞれ役割を担い、組織化された群れをつくり、最適の行動を取っていくのです。そのために時に利他的、自己犠牲的な行動取る個体も現れてきますが、それは利他的な本能があるというよりは、あくまでも各個体が自分の遺伝子(情報)の存続を図るという利己目的を達成しようとして、最適な活動(親縁遺伝子を持つ群れの存続)を行った結果、利他的と思える活動を行ったと考えた方が良いでしょう。
次に単独行動で生きる生物の関係原理は、否定(食うか食われるか)か闘争(強弱優劣に決定)かでした。そして意識を持った生物の中にも、防衛、生殖・子育て、エサの獲得の優位性等のために、群れを成して生活するという生存戦略を取る生物種が出てきますが、こうした群れの中における各個体間の関係原理は、強弱の序列でした。ただそれがゴリラのような類人猿になると、共感と相互配慮(愛情)の原理が現れ、群れの居心地の良さと安定性を増していくことになるのです。そして群れを含む生物種相互の関係性は、共生と循環の生態系原理でした。
こうした生物の関係原理は、もちろん人間固有のものではありませんが、私たちの遺伝子も、こうした生物種と共有するところをもって進化してきたことを考えると、私たちの関係性の奥底に、こうした生物の関係原理を秘めていることを考慮に入れておいた方が良いでしょう。その上で次回から、私たち人間そのものの関係原理について整理していきたいと思います。
なお、次回のパンセの集いの勉強会は、5月29日月曜日の18時から、渋谷区本町の本町ホームシアターで行います。月末ですのでホームシアターサークルの活動を予定しています。課題映画は、遠藤周作原作、熊井啓監督の『海と毒薬』です。お時間許す方はご参加下さい。
P.S. 現在パンセ通信は、No.136まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。
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