ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信No.139『生物世界の関係性の本質から人間の関係原理へ』

Jun 03 - 2017

■2017.6.3パンセ通信No.139『生物世界の関係性の本質から人間の関係原理へ』

皆 様 へ

1.人間らしく生きられる関係の条件
人間とはどういう存在で、どのように生きれば良いのでしょうか。またどうすれば幸せを感じることが出来るのでしょうか。このことを明らかにするために、これまで人間の意識と欲望の特質から、その存在の本質や生き方の原理について考えてきました。それでは私たちはどうすれば“人間らしく”、可能性を発揮させて生きていくことが出来るのでしょうか。前回よりその条件について考え始めております。そのためには、人間の内面の固有性に着目するばかりでなく、関係世界に生きる人間の、その関係のありよう様の特質に着目して、その原理を洗い出していくことも必要となってきます。私たちはいくら自分で決意したところで、容易に自分を変えることが出来ません。しかし関係のあり方が変われば、良くも悪しくも私たちは大きな影響を受けていくのです。つまり私たちが“人間らしく”生きられる条件とは、実は“人間らしく”生きられるための関係のあり方の条件の解明と言い換えることも出来るのです。

そこで前回は、人間に焦点を当てるのに先立って、人間を含む生物全般における関係性の原理を検討することに着手してみました。今回は、この地球上の生物全般における関係性の原理をもう1度整理し直して概観した上で、人間の関係性の原理を明らかにする作業に踏み込んでいってみたいと思います。

なお次回のパンセの集いの勉強会は、6月5日の月曜日18時からで、場所は渋谷区本町の本町ホームシターで行います。

2.生物界の関係原理
(1)生態系の関係原理
この地球上に生きる生命体で、たった1個体だけで単独で生きているような生物はいません。バクテリア(真正細菌)から人間に至るまで、つまり目に見えない極微の世界から目に見える世界、また私たちの体内に至るまで、無数の生物が多様な生物層を織り成し、その限りない生物種の間での物質・エネルギー循環(食物連鎖)によって生態系は共生の機構として成り立っているからです。この生物生態系における各生物種の間の関係性の原理は、一面では遺伝子(生命情報)の存続・増殖という生存戦略に尽きると言えるでしょう。各生物の個体レベルでは、ひたすら自己の生存と生殖(増殖)機会を伺って生命活動を行い、生物種全体としては遺伝子の存続・増殖のために活動を行うのです。

こうして生物は、自分(または自分の種)が生き残るために徹底した利己的戦略を取るのですが、その一方で、植物等の光合成(炭水化物の合成)から微生物による分解に至るまでの長大な食物連鎖から、互いに依存しあいながら物質・エネルギー循環を担って共に生命を豊かに維持していくという、共生と調和の生態系をつくり上げていくのです。そしてアリやハチなどの生物種では、遺伝子の存続・増殖という利己的戦略を最も効率よく推進するために、同じ群れの中で役割分担が生まれて組織的行動を取り、中には自己犠牲的な活動を行う個体も現れてくるのです。

つまり生態系における生物の関係原理は、個体レベルではあくまでも遺伝子の生存戦略という利己的活動を展開するのですが、全体としては、捕食するにせよされるにせよ、競合するにせよ寄生するにせよ、循環と調和の大きな共生関係を気づかぬ内に形成していくことになるのです。

(2)意識を持つ生物の関係原理
それでは他の個体との関係が意識できる生物(動物)の、個体間における関係原理というのはどういうものでしょうか。意識を持つ動物というのは、視覚、聴覚などの外界からの刺激を受容する感覚器官が発達し、それらの感覚を“意識”において統合して捉え、身体由来の欲求と外界からの情報をその意識の領野において結びつけて、反応や行動を判断する生き物のことです。この意識における行動選択の行われるところが、本能(遺伝情報)によって反応や行動パターンがプログラミングされている生物と異なるところです。

この意識を持つ動物の間における関係の原理としては、次の4つほどのパターンを取り出すことが出来ます。第1は闘争の原理です。異種の動物の間では食うか食われるかの関係があり、同種の動物の間では、縄張りを巡っての闘争の関係が生じます。そして生殖の時にだけ結合が行われるのです。しかしこの結合も、場合によっては命懸けで、カマキリなどの昆虫の場合には、雄が雌に食われてしまうことも起こるのです。そして空腹等の身体的欲求に促されることがなければ、特に互いに関係を持たない状況が続くのです。

第2は生存戦略として群れという関係集団をつくるというパターンです。群れをつくる理由は、捕食者からの防衛や生殖(異性との出会い)の機会の増大、そして分業や協調行動を取ることによる狩りや子育てにおけるメリットがあるからです。個々の動物は、あくまでも自分が生き延びて子孫を残そうとする利己的目的で活動するのですが、その目的を達成するためには、身体的特質(弱くて小さい等)や環境への対応から、種によっては群れを形成して共存する方が有利と判断するものが現れてくるのです。第3は群れを成す動物の、群れの中における個体間の関係の原理で、原則としてそれは強弱(優劣)の原理です。本来利己的(自己利益)な動機で活動する個体が、群れを成して生きていくためには、群れを1つにまとめて維持していくルールが必要となってきます。それが強弱のルールで、弱い者が強い者に従うのです。群れの中に生きる各個体は、群れを離れて生きる困難さとリスクを本能的に良く理解していますから、群れに留まることを選択するのですが、群れとしてまとまって生活していくためには、群れを統合する秩序が必要となってきます。その秩序の形成は、ケンカによる序列の決定が一番分かり易く(誰もが納得出来)原初的なものなのです。こうしてサルの群れなどに典型的に見られるように、最も強いボス猿を頂点に、最も弱いサルに至るまで整然たる序列が形成され、ボス猿の統率のもとに群れが秩序をもって生活していくのです。

(3)強弱から親密さへ
群れの中のお互い同士の関係性を意識できる動物の関係のパターンとしては、もう1つの原理があって、それがゴリラ等の類人猿における関係のあり方です。単に強弱優劣の原理だけでなく、第4の原理として、共感と配慮の関係原理が芽生えてくるのです。もちろん個々の個体は、自分の生存と生殖という利己的(自己利益的)目的をベースに生存活動を営むのですが、その目的をより効果高く達成するために、群れをつくることを選び、さらにその群れを維持する関係原理として、強弱の原理だけでなく共感と相互配慮(思いやり、愛情)から生まれる“親密さ”の原理を取り入れていったのです。

確かに共感と配慮の関係性がある方が、きずな絆のようなものも生まれて群れの結びつきは深まり、また強弱の関係のような緊張感とストレスも少なく、群れでの生活はずっと居心地の良いものとなります。結果として各個体の生存と繁殖の可能性を高めることになるのです。こうした共感が生まれてくるのは、自己意識が芽生え、自分の経験との類推で、他者の状況が推察できるようになってくるからでしょう。

(4)生物における関係性の本質
以上生物界における個々の生物間、また生物種間における関係の原理を見てきました。こうした関係原理から、その特質を最も良く言い当てることの出来る本質を取り出してみるとするなら、次のようになるでしょう。本能(遺伝子にプログラムされた行動情報)のレベルで生きる個々の生物(または生物種)は、遺伝子の存続・増殖に有利となるような、あくまでも利己的な生存戦略を取って生きる。しかしそれが、いつの間にか無数の生物種が織り成す生態系という、物質とエネルギーの循環と調和の共生関係をつくり出していく。そしてこの共生系のふところ懐に抱かれて生きる個々の生物の利己的行動が、じつはこの共生系の全体を支え維持していくことになるという、まことに巧妙な意図せざる相互依存の関係性を生み出していくことになるのです。

次に本能だけでなく、意識で行動を判断できる動物の関係の原理は、闘争による生き残りが基本となります。しかし生き残って繁殖していくという利己的目的をより有利に達成していくために、中には群れをつくるものが現れてきます。その群れの中の関係の基本原理は、強弱の序列ですが、中には群れの絆を強くしてより生き易くしてくために、共感と配慮の親密な関係性を生み出していくものも現れてくるのです。こうした関係原理を見ていくと、意識を持った動物においてもその関係の本質は、あくまでも自己の生存と増殖という利己的目的で生きながら、その目的を有利に進めるために、群れを成したり親密な関係性を増したりと、意図せざる内に共生の生存戦略を取るものが現れてくるということなのです。

忘れてはいけませんが、人間もこの生物生態系の中に組み込まれて生きているのであり、生物界の関係の本質、そして意識を持つ動物の関係の本質も受け継いで生きているのです。特に類人猿と共通の祖先を持つ私たちは、生存戦略として群れをつくり、群れの中で親密な関係性をつくるという本質をも受け継いでいるのです。

3.人間の関係原理の検討
(1)群れを成して生きるようになった人間
さてここまで、人間を含めた生き物全般の関係の原理を見てきたのですが、それでは人間に特有な関係原理やその本質というのはどういうものなのでしょうか。それをまず旧石器時代の原始共同体における人間の関係原理から見ていきたいと思います。旧石器時代というのは、農耕牧畜が始まるおよそ1万3千年前よりも以前の時代で、私たちの祖先が石器という道具を使い始めた時期を考えると、200~300万年前にまで遡るかもしれません。そして人々が狩猟採取で生活していた時代を指します。もちろんそんな昔の時代のことは良く分からないので、“文明”と接触することの少なかった、小さな部族単位で狩猟採取をなりわい生業として生きていた人々のことをイメージして考えてみたいと思います。こうした人たちの生活から、人間の関係性の原型を取り出して、それがその後の歴史社会の変化の中で、どう展開していったのかを見ていければと思います。

ところで成人の人間は、他の動物と比べても比較的身体が大きく、しかも雑食性で獲物を捕らえて肉も食べるので、捕食者と分類することも出来るでしょう。しかし人間の子供については様相を異にします。直立歩行をするようになって女性(母親)の産道は狭くて曲がりくねるようになり、一方胎児の脳は発達して産道を通れなくなるので、頭部が大型化する前に未熟児のままで産まれてくることになります。このために人間の乳児は非常に弱く、死亡率が高くなります。しかも離乳後も成人になるまでの成育期間が長く、子供に関して言えば、捕食動物の格好の餌食となったのです。加えて乳幼児の死亡率の高さを補って種を保存するために、人間の母親は離乳を早くしてすぐに次の子供を産み育てることが出来るように進化しました。(ゴリラの乳児期は3~4年ですが、人間は約1年です)。

このように熱帯雨林から猛獣の多いサバンナに降り立った人間は、子供を守るためとその後の子供の養育を、母親だけでなく共同で担う必要から、群れで生活する道を歩んでいったものと思われます。もちろん群れで生活することは、役割分担や情報の共有という面で、あるいは食料の確保や狩りなどにおいてもメリットがあったことでしょう。

(2)親密さを軸とした関係形成
さてこうして群れを成して生きるようになった人間において、その群れの中における関係性で、他の生物に見られない特徴的なことが現れてきます。それは父親という役割の存在と家族という関係性の成立です。ほとんどの動物の場合、雄は生殖には関わりますが、その後の子育てには無関係です。そのために、子供と母親という関係はあっても、“父親”という関係性は生まれてきません。ゴリラなどの類人猿の場合には、長い授乳期(乳児期)の後、母親が父親に子供の成育をバトンタッチし、後は他の兄弟姉妹ゴリラと共に遊びながら子供は、父親から社会性を身に付けられ大人になっていきます。この時母ゴリラが父親として子供を託すのは、必ずしも交尾した相手とは限らないようです。雄ゴリラは母親から子供を託されて子育てを行うことで、始めて一人前になるのです。しかしこうして成人となった後のゴリラの子供は、その後は母親との関係も父親との関係も疎遠になり、必ずしも母親、父親、子供という関係性が持続するわけではありません。

これに対して人間の場合は、母親と父親が共同で乳幼児を保育します。この時父親は、はっきりと自分の子供を認知し、父親としての子育ての役割を担うことを引き受けるのです。そのために父親は子供の思いや求めを知ろうとして、共感力をさらに深めていったのです。ここに親子の絆が生まれてくることになります。そして両親が長い時間をかけて子育てを行うことによって、人間においては、家族という親密な関係性が成立してくるになるのです。(この関係は孫や祖父母にまで広がり、家系という絆もつくっていきます)。

さらに乳児が離乳して母親が次の子供の保育に入る時には、父親や年長の兄弟姉妹、祖父母やさらには同じ群れに属する子育て中の母親以外の者たちが、子育てに協力します。こうして直接の親子でない者たちも共感力を養い、複数家族で1つの親密な集団(群れ・部族)をつくることが出来るようになっていくのです。

4.人間が求める関係性
(1)共感を可能とする自己意識
共感と相互配慮から生まれる親密さが、家族関係や部族関係(仲間関係)を生み出し、それを紐帯するのが人間の関係性の1つの特質です。こうした親密さを生み出す共感能力というのは、パンセ通信No.136でも整理したように、明確な自己意識を持つという人間の意識の特質から生み出されるものでしょう。自己意識というのは、他の存在と異なり、自分は自分であると認識する意識です。そしてまた自分を起点にして、他者や他のあらゆる存在や事象を、自分との関りで捉える意識のことです。この自己意識があるから、他者の状況を対象化して意識が向けられ、自分の経験との比較で、他者の思いや求めを類推することが出来るようになっていくのです。つまり痛がっているとか、苦しんでいるとか、悲しんでいるとか、喜んでいるとかが推察でき、共感できるようになっていくのです。そしてその人の求めを察して寄り添う配慮が行えるようになるのです。この配慮の応酬がやがて相互の信頼を築き、親密な関係性を培っていくことになるのです。

自己意識は、人間が群れをつくって他者と頻繁に接する中で、自ずと自分を他者と比較する中から育まれてきたものでしょう。食料採取や狩りなどで、役割分担を決めて連係プレーすることからも、他者との関連の中での自分という意識を強めていったものと思われます。さらに言語の使用が、自己意識の成長に拍車をかけたものと思われます。言語は事象を象徴的に捉え、それを概念で表すことを可能にします。あらゆる生き物は、自分の欲望に従って世界を分節して(食べ物か食べ物で無いかとか、危険か安全か等)認識するのですが、人間は言語を用いることにより、言語の枠組みに助けられて世界を分節して認識することが出来ます。例えば“りんご”という言葉(概念)を用いることにより、まずりんごを造作なく自然界からくく括り出すことが出来、同時にそれが食べ物であって、いつごろどこに実がな生るかなどの、先人たちが積み重ねてきた情報(知恵)を知ることが出来るのです。こうして世界を、言葉(概念)という先人たちの英知の積み重ねを通して捉えることにより、より自分の存在に有利に対象化するこが出来るようになり、その分世界に対峙して認識する自分という区分も、より明確に意識できるようになってくるのです。

(2)関係性への欲望
このように明確な自己意識を持って、共感・配慮から家族に代表されるような親密な相互関係を生み出していくことの出来る人間は、実は“関係”そのものをも対象化して自己意識に捉え、これを判断することが出来るようになってくるのです。つまり関係のあり方そのものを意識で捉えて評価し、自分たちの生存にとって最も有利な関係のあり方を選び取り、不利になる関係を避ける方策を考えることも出来るようになってくるのです。そして共感の関係性の中で、各人が異なる役割(分業)を担うことによってより有利に生きられることを了解し合い、ついには親密さによって結び合わされた共生の関係性そのものを、生存戦略として目指して(欲望して)いくことも出来るようにもなってくるです。

こうして人間において初めて、本能から離れて協力し依存しあう関係性そのものを求める欲望が、生み出されてくることになるのです。他の生物においては、あくまでも遺伝子レベルでの生存戦略や個体の生存と生殖が生きる目標であって欲望の対象であり、その目標達成の優位さから群れをつくるに過ぎないのですが、人間だけが、相互配慮の関係の心地良さや共生の関係性そのものが目標となり、欲望の対象となっていくのです。

この親密な共生関係を求める人間の関係性について、原始共同体を対象に、今後さらに詳しく見ていき、その原理を取り出していってみたいと思います。次回のパンセの集いの勉強会は、6月5日月曜日の18時からです。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターで行います。お時間許す方はご参加下さい。

P.S. 現在パンセ通信は、No.136まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。

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