■2017.6.10パンセ通信No.140『生物の関係原理から、協働共生の関係への発展』
皆 様 へ
1.生物の関係原理から人間の関係原理へ
人間とはどういう存在なのでしょうか。何を求め、どう行動するのでしょうか。そこにはある共通の特質があるはずです。またそうした人間が互いに関わって織り成す直接的な人間関係や集団にも、関係性の特質が見出せるはずでしょう。さらに個々の人間が、目に見えない(間接的な)相互依存関係でつくり上げている、もっと大きな人間の集まりである社会にも、その内部における関係性の特質があるはずです。そんな特質の中から、普遍性のあるものを取り出して、人間の本質的なあり方や関係性の原理を明らかにし、これからの私たちの生き方や人間関係の持ち方、そして社会や経済のあり方のビジョンを描き出していければと、パンセ通信では検討を進めております。さらに困難さと生き辛さの増し加わる現代の時代状況にあって、私たちがより人間らしく希望を取り戻して、未来への確かな信頼をもって生き始めていけるように、実践的な指針をも明らかにしていってみたいと思います。
こうしたおもわく思惑のもとに、これまで人間の存在の特質や生き方の原理、また人間をも包み込む生態系の関係性や人間以外の生物の関係の原理について検討してきました。今回はこうした人間の特質や生物の関係原理を踏まえて、まずは狩猟採取で暮らした原始共同体の人々を念頭に、何百万年もの年月を安定的に生き抜いてきた人間集団の関係の仕組みを考えていってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、6月12日の月曜日18時からで、場所は渋谷区本町の本町ホームシターで行います。
2.生物の関係原理
(1)生態系の関係原理
生物全体がつくる生態系における関係の本質は、個々の生物は自分が生き残るために利己的な生存戦略を取っていくのですが、その結果として生物全体では、調和と共生という不思議で巧妙なバランス関係に至るということです。個々の生物は自分が成長して生き延び、子孫が残せるように生殖の機会を求めて、ひたすら利己的に生きていきます。中には働きアリや働きバチのように、女王の産卵と幼虫の子育てのために、ひたすら自己を犠牲にして他の者の世話だけに生きていくものも現れてきます。しかしその深い目的は、自分が属する生物種の遺伝子を効率良く残そうとするからで、あくまでも種としての利己的生存戦略に基づくものなのです。
このように生き物は、自分たちの遺伝子を残すために個体にせよ群れにせよ、まずは他者を食ったり追い払ったり駆逐したりと、それぞれが懸命に自己利益のために(利己的に)生きていきます。しかし植物の光合成(栄養素の合成)から微生物の分解にまで至るまでの長大な食物連鎖の過程で、それぞれの生物の間で見事な物質・エネルギー循環が行われ、結果として相互依存の関係が生まれ、全体が共生できるようにそれぞれの種の個体数が調整されていくのです。
(2)生存戦略としての関係性の選択
それでは遺伝子情報によって反応や行動がプログラミングされているだけでなく、意識をもって状況を判断し、行動を選択できる生物(動物)における関係はいかなるものなのでしょうか。もちろん利己的行動とその結果としての共生と調和という、生態系全体の生物の関係を基本に持っていることに変わりは無いのですが、それに加えて、それぞれの動物種ごとの生存戦略に応じた、最も有利な関係性の選択ということが加わってきます。身体が大きく食物連鎖の頂点にいる捕食動物の場合は、クマなどのように個体でテリトリーを設けてす棲み分けを行い、生物に原初的な利己的本能をもとにして、闘争の関係原理で生きていきます。強い者は勝てるから闘争を選び、また闘争の関係性で有利に生きることが出来るように、身体を大きく強くし、また強い個体が生き残って子孫を残していくのです。
一方身体が小さくて弱い動物は、防衛のために群れをなして生きる関係性を選択します。中にはオオカミなどのように、集団で狩りを行うことによって、より有利に食料の確保を行うために群れをつくるものもあります。あるいは海鳥などのように、繁殖の時だけ異性との出会いを有利に進めるために、群れをつくるものも出てきます。こうした動物では、群れをつくるという関係性の選択を行うことによって、生存の優位性を確保していくのです。
なお群れの中の個体相互の関係の原理は、生物本来の利己的本能と闘争の関係性から、強い者が弱い者を従えて優位に立つという、強弱の関係原理となります。サルの群れに典型的に見られるように、ボス猿を頂点とした強弱優劣の整然とした序列によって、群れを1つにまとめて統合していく秩序を生み出していくのです。
(3)親密さによる群れの結びつき
ところが群れをなす動物の中には、強弱以外の関係原理で群れを結び合わせる動物も現れてきます。ゴリラなどの類人猿は、もちろん強弱優劣の関係をベースとしつつも、共感と相互配慮(思いやり)から生まれる親密さ(愛情)によって、群れの個体間のきずな絆を生み出し、そのきずな絆によって群れを結び合わせていくのです。確かに親密さの関係原理は、群れの結びつきを安定させ、強弱の関係のような不安と緊張によるストレス(実力次第で常に順位が変動)をやわ和らげ、群れでの生活をずっと居心地の良いものにしていきます。また親密さから形成される信頼感から、自発的な相互の協力関係をも生み出していくのです。こうして群れの中に親密さの関係原理を取り入れることによって、各個体の生存と繁殖の可能性は一層高まることになり、生存の優位性も強固なものとなっていくのです。
類人猿と共通の祖先をもって進化してきた人間も、群れをつくり、親密さの関係原理によって生存を有利に進めることを選択してきた生き物です。しかし自己意識を明確化し、自己価値の欲望と関係性の欲望を発達させた人間は、これまで述べてきた他の生き物の関係原理を潜在的に組み込みながらも、さらに独自の関係性を編み出して、部族集団(共同体)や社会を形成していくことになりました。次にその人間の関係原理を、最もシンプルなところから考えていってみたいと思います。
3.人間の関係原理を生み出すもの
(1)自己意識の機能
ところでパンセ通信No.136で整理したように、人間を最も特徴づける性質は明確な自己意識の存在です。他と比べて私は私であると明確に区別して自覚する意識のことです。意識というのは、五感(六感)で感受される身体の内外からの刺激(感覚)を統合して判断し、行動を決める(選択する)機能です。ただし意識において感受された情報は、常に情動(感情)が伴います。つまり外界での変化を感受すると同時に、それが自分にとって好ましいものか不快(危険)なものか等の情動が一緒にやってきて、情動(感情)をもって変化を受け止めることにより、即座に行動対応(目的)が出来るように欲望や意欲と結びついていくのです。
この感覚すると同時に沸き起こってくる感情を抑えて、冷静に状況を判断して次の動作を選択するのが“理性”というものでしょう。しかし私たちの遠い祖先のように、危険の多い自然環境に生きていた場合には、いちいち理性を働かせて判断していたのでは、危険を避けることも獲物を捕ることも出来ません。そこで私たちは、感覚すると同時に不安・恐怖・安心、善悪、美醜などの感情が沸き起こって、通常は即座に反応出来るように身体のメカニズムをつくってきたのです。
先ほども述べたように、意識を持つことの基本的なメリットは、身体の内外の状況を総合的に判断して次の行動を選択できるということです。このことによって、本能(遺伝情報)に基づき反応や行動パターンがプログラミングされている生物よりも、変化に対してより有利に対応し、生存の可能性を高めることが出来るようになったのです。しかし通常状態では迅速に状況に反応できることも必要で、そのために感受と同時に情動が引き起こされて、欲望や意欲(目的)と結び合わせて行動を呼び起こしていくという機能が生まれてきたのです。
(2)深層で影響する生物の関係原理
ところでこの意識が、身体内外の変化を感受すると同時に情動が引き起こされるようになるためには、2つのプロセスがありました。1つは遺伝子に組み込まれたプログラミングから、本能的な反応として刺激に対して感情が生起するようになったプロセスです。もう1つは自分自身の経験の積み重ねから、感受と情動が次第にパターン化されて(無意識の領域に刻み込まれて)形成されていくプロセスです。群れで行動する生物の場合には、自分独自で新たに経験するパターンばかりでなく、群れで培って継承されてきた反応パターン(文化)も受け継いで、意識の深層に蓄積されていくことでしょう。さらに人間の場合には言語があるので、年長者などから繰り返し語り聞かされる物語を通じて、文化的に感受と情動がパターン化される場合もあると思われます。
このように意識の中には、膨大な感受と情動の反応パターンが刻み込まれ、それが生存にとって有利なものであれば、世代を超えて受け継がれて蓄積していくことになるのです。こうして例えば人間の意識の中には、はるか何十億年昔の微生物の時代から、群れを成す動物を経て現在に至るまでの、進化のプロセスで得た関係性の原理(感受、情動、欲動のパターン)のすべてが無意識の深層に積み重ねられて存在するようになってくるのです。そしてその上に、人間特有の関係原理(パターン)が形成されていくことになるのです。
つまり私たちが生きて他者や環境と関わり持つ時、その関係性の原理は、究極的には自分の種の遺伝子をいかに残し増やすかという生存戦略を基底に据えながら、個体して有利に生存していけるように、闘争したり、群れをつくったり、その群れをつくるにあたっても強弱の序列で統制したり、親密さによって結びつきを強めたりと、様々な関係原理が意識の深層で発動しているのです。さらには利己的に生きつつも、結果としてすべての生命・自然環境との調和と共生へと導かれる生物生態系の関係原理にも、見えないところで支配されて人間の関係性は展開していくことになるのです。
そうした深層でうごめ蠢く原初的な関係原理から見えない影響を受けながら、私たちは人間特有の関係原理のもとに、最も生存に有利と思われる関係性を築いていくのです。
4.関係原理の発展と自己意識
(1)協働と共生
それでは、人間に特有な関係性の原理というのはどのようなものなのでしょうか。私たちの祖先は類人猿と同様に群れをつくり、その群れを共感と配慮の親密さの関係原理で、きずな絆を生み出すことによってその結びつきを強めることを生存戦略としてきました。そしてさらに自分たちが有利に生きられるように、親密さのきずな絆で結ばれた群れの機能をもう一段高めていったのです。それが分業による協働と、分配のルールの公平性による共生です。
ゴリラやチンパンジーの群れでは、強弱の力関係によって群れを統合するサルと異なり、力を誇示せずとも親密さの関係によって互いに結ばれることが可能となりました。こうして群れは自発的に維持されて、ずっと暮らしやすいものとなったのです。しかし依然として食料は、子供を養う場合を除いて原則としては各人による自給自足です。もちろん時には相手を心配したり、気を引こうとして食物を与えるという行動を取る場合もあるでしょうが、それは群れ全体が有利に生きるために制度化されたものではありませんでした。
しかし人間の場合には、自分たちがより有利に生存できるよう親密さによって自発的に結ばれる群れの機能を、さらに高めて協働(共同)共生体をつくり出していったのです。協働共生体とは、共感と配慮から生まれる親密さを相互依存と相互支援の関係にまで高め、役割分担(分業)と協力によって、食料調達などの生計を賄う作業をも共同で行うまでになった群れの仕組みのことです。そしてその成果を平等に分配することで、各自がバラバラに活動するよりもずっと豊かで安定的に、生存に必要な有用物を確保出来るようにしていったのです。
(2)自分中心の自己意識
こうして群れを成してただ他者と親しく暮らすばかりでなく、役割を分担して相互に連携して作業を行うようになったことにより、人間はより一層自分の存在と他者の存在が、際立って意識されるようになってきました。そしてそのことによって、自己意識はますます明確に機能するものとなっていったのです。この自己意識の働きによって、他の生物には見られない更なる人間独自の関係性の原理が生み出されるようになったのです。
自己意識は、他者と区別して自分が自分であると自覚する意識です。そして自分を起点に、世界を自分と対峙させて、自分の目的や欲望の対象として捉える働きです。その結果自分を中心に、世界は自分がよく生存できるための手段の体系として認識されるようになってくるのです。こうして自己意識は世界を自分の対象として捉え、それを自分の目的や欲望との相関で分節して、自分が良く生きるために有効なものは意味あるもと認識し、効率よくあるいは効果高く目的を実現出来るものについては価値あるものとして意識されるようになっていったのです。この結果自己意識にとって世界は、次第に自分にとっての意味と価値の連関の網の目として構成されるようになり、意味あるもの価値あるものと認識された事物や事象に対しては、好ましい感情と欲望が生起し、意味も価値も無いものは意識されることが無くなり、嫌なものや危険なものに対しては、嫌悪感や不安や恐怖が沸き起こって警戒の態勢取らせるようになっていったのです。
5.人間の関係原理
(1)関係そのものを対象化する自己意識
ここで重要なことは、すべてを自分を起点として対象化する自己意識の働きは、“関係”のあり方そのものをも対象化するということです。“関係”をエサや異性と同様に、明確に対象化して捉える機能は、人間にしかありません。そして“関係”そのものをも、自己意識の働きとして意味や価値のある関係かどうかを判断して、求めたり忌避したりするようになるのです。もちろん相互に配慮しあう親密な関係は、安心と安らぎを与える意味あるものとして心惹かれることでしょうし、協力し合って生活を賄う関係は、自分が有利に生きていくために価値あるもとして意識され、どちらの関係も求めの対象となっていくことには間違いありません。
しかし自己意識が対象とするのは、外界や他者との“関係”ばかりではありません。自己意識が発達するということは、自分自身がますます明確になるということで、良く生きようとする主体としての自分自身がいよいよはっきりと意識されるようになり、自分の利害が鮮明に捉えられるようにもなってくるのです。その意味で、自分自身をもが意識の対象となってくるのです。つまり自分のあり方への満足や嫌悪が、単に気分においてだけではなく、鮮明に意識されるようになってくるのです。
(2)自己価値の相互実現
こうして役割関係の高度化から発達してくる自己意識は、世界を対象化し、他者との“関係”のあり方を対象化するばかりでなく、自分自身をも対象化して、その関係のあり方をより有利なものにしていこうとするのです。つまり自分自身の存在をより確実に、より強固なものとして拡大していけるような自分(との関係)を築いていこうとするのです。それは端的には、所有の拡大といったような自己利益のための利己的動機や行動として現れてくることでしょう。つまり他者に対して自己利益を拡大していこうとする関係原理が、自己意識からまず最初に現れてくるのです。しかし各人が利己的行動に走れば、分業と協力の協働共生体をつくって、より多くの有用物を産出して自分も有利に生きられるようになる群れの仕組みを壊すことになります。こうして私たちの祖先は、分業と協力の関係原理と自己利益を求める関係原理の板挟み(矛盾)に直面することになったのです。
しかし矛盾による二律背反は、一方では発展の動因でもあります。こうして私たちの先人たちは、他者からの承認の上で自己利益を実現するという第3の関係原理を編み出していったのです。つまり群れの他のメンバーから認められたり期待されたり、尊敬されたりしながら、他者の承認のもとに自己利益を拡大していくという関係性です。もちろん本当にそのことが成し得るためには、自分の利益を拡大する行為が、他者の利益の拡大にも寄与するというものでなければならないのは、言うまでもないことでしょう。
さらに協働共生体のように、相互依存と相互支援の関係性が高度化するもとでの自己利益というのは、単に所有の拡大に留まらず、自己の存在価値の承認と拡大という求めにまでも昇華していくことになります。自分のわざ技や行いが、他者や群れ全体に求められることになるような、(自己利益を含みこんだ)自己価値の(相互)拡大という関係性にまで発展していくのです。ところでこのような協力共生の関係性や自己価値実現の関係性が進展していくためには、高度なコミュニケーションが必要で、言語がこの進展を促進し、またこの関係性の進展に伴って言語が発達したことは間違いの無いことでしょう。また協働関係を進展させるために、二足歩行を行い手が自由になった人間が、食料や水などを集落に“運ぶ”という行為も、大きな役割を担ったことと思われます。この“運ぶ”という目的のために、木の皮やつる蔓草で編んだ入れ物、あるいは水を運ぶためのひょうたん瓢箪などの石器以外の道具も発展させていったのです。
6.3つの人間の関係原理とその展開
さて人間は、生物の関係原理を意識の潜在部分に刻み込んで受け継ぎながら、上記で見てきたように人間独自の関係性の原理を発展させてきました。それはより有利に生きようとするために、群れの関係性を高度化させる一方で、そのために明確化してきた自己意識の働きによってもたらされたものです。この結果人間は、第1に親密さと協働共生の関係原理を生み出してきました。次いで自己意識によって関係そのものをも対象として捉えるようになったことから、第2の原理として、他者のとの間で自己利益を拡大しようとする関係原理が現れるようになってきました。そしてこの協働共生の関係原理と自己利益の関係原理の矛盾を解消していくために、第3の関係原理として、他者承認にもとづく自己価値の相互実現という関係原理を編み出していくようになったのです。
この3つの関係原理は、パンセ通信No.136で整理した人間存在の本質、つまり「人間の欲望の本質は、(関係性への欲望を含みこんだ)自己価値を求める欲望」であるということ、また人間は、「自己欲望と関係欲望の葛藤」状態にあるということと対応するものです。それではこの協働、自己利益、自己価値の相互実現という人間に特有な関係原理が、人間存在の本質的な欲望の特質や生き方の原理との関連で、実際の社会においてどのように展開していくことになるのでしょうか。そのことを次回以降、まず人間の高度な相互依存・相互支援の関係が、まだ直接的な人間関係の段階に留まっていた原始共同体の部族社会の状況から、順を追って見ていきたいと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、6月12日月曜日の18時からです。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターで行います。お時間許す方はご参加下さい。
P.S. 現在パンセ通信は、No.139まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。
皆 様 へ
1.生物の関係原理から人間の関係原理へ
人間とはどういう存在なのでしょうか。何を求め、どう行動するのでしょうか。そこにはある共通の特質があるはずです。またそうした人間が互いに関わって織り成す直接的な人間関係や集団にも、関係性の特質が見出せるはずでしょう。さらに個々の人間が、目に見えない(間接的な)相互依存関係でつくり上げている、もっと大きな人間の集まりである社会にも、その内部における関係性の特質があるはずです。そんな特質の中から、普遍性のあるものを取り出して、人間の本質的なあり方や関係性の原理を明らかにし、これからの私たちの生き方や人間関係の持ち方、そして社会や経済のあり方のビジョンを描き出していければと、パンセ通信では検討を進めております。さらに困難さと生き辛さの増し加わる現代の時代状況にあって、私たちがより人間らしく希望を取り戻して、未来への確かな信頼をもって生き始めていけるように、実践的な指針をも明らかにしていってみたいと思います。
こうしたおもわく思惑のもとに、これまで人間の存在の特質や生き方の原理、また人間をも包み込む生態系の関係性や人間以外の生物の関係の原理について検討してきました。今回はこうした人間の特質や生物の関係原理を踏まえて、まずは狩猟採取で暮らした原始共同体の人々を念頭に、何百万年もの年月を安定的に生き抜いてきた人間集団の関係の仕組みを考えていってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、6月12日の月曜日18時からで、場所は渋谷区本町の本町ホームシターで行います。
2.生物の関係原理
(1)生態系の関係原理
生物全体がつくる生態系における関係の本質は、個々の生物は自分が生き残るために利己的な生存戦略を取っていくのですが、その結果として生物全体では、調和と共生という不思議で巧妙なバランス関係に至るということです。個々の生物は自分が成長して生き延び、子孫が残せるように生殖の機会を求めて、ひたすら利己的に生きていきます。中には働きアリや働きバチのように、女王の産卵と幼虫の子育てのために、ひたすら自己を犠牲にして他の者の世話だけに生きていくものも現れてきます。しかしその深い目的は、自分が属する生物種の遺伝子を効率良く残そうとするからで、あくまでも種としての利己的生存戦略に基づくものなのです。
このように生き物は、自分たちの遺伝子を残すために個体にせよ群れにせよ、まずは他者を食ったり追い払ったり駆逐したりと、それぞれが懸命に自己利益のために(利己的に)生きていきます。しかし植物の光合成(栄養素の合成)から微生物の分解にまで至るまでの長大な食物連鎖の過程で、それぞれの生物の間で見事な物質・エネルギー循環が行われ、結果として相互依存の関係が生まれ、全体が共生できるようにそれぞれの種の個体数が調整されていくのです。
(2)生存戦略としての関係性の選択
それでは遺伝子情報によって反応や行動がプログラミングされているだけでなく、意識をもって状況を判断し、行動を選択できる生物(動物)における関係はいかなるものなのでしょうか。もちろん利己的行動とその結果としての共生と調和という、生態系全体の生物の関係を基本に持っていることに変わりは無いのですが、それに加えて、それぞれの動物種ごとの生存戦略に応じた、最も有利な関係性の選択ということが加わってきます。身体が大きく食物連鎖の頂点にいる捕食動物の場合は、クマなどのように個体でテリトリーを設けてす棲み分けを行い、生物に原初的な利己的本能をもとにして、闘争の関係原理で生きていきます。強い者は勝てるから闘争を選び、また闘争の関係性で有利に生きることが出来るように、身体を大きく強くし、また強い個体が生き残って子孫を残していくのです。
一方身体が小さくて弱い動物は、防衛のために群れをなして生きる関係性を選択します。中にはオオカミなどのように、集団で狩りを行うことによって、より有利に食料の確保を行うために群れをつくるものもあります。あるいは海鳥などのように、繁殖の時だけ異性との出会いを有利に進めるために、群れをつくるものも出てきます。こうした動物では、群れをつくるという関係性の選択を行うことによって、生存の優位性を確保していくのです。
なお群れの中の個体相互の関係の原理は、生物本来の利己的本能と闘争の関係性から、強い者が弱い者を従えて優位に立つという、強弱の関係原理となります。サルの群れに典型的に見られるように、ボス猿を頂点とした強弱優劣の整然とした序列によって、群れを1つにまとめて統合していく秩序を生み出していくのです。
(3)親密さによる群れの結びつき
ところが群れをなす動物の中には、強弱以外の関係原理で群れを結び合わせる動物も現れてきます。ゴリラなどの類人猿は、もちろん強弱優劣の関係をベースとしつつも、共感と相互配慮(思いやり)から生まれる親密さ(愛情)によって、群れの個体間のきずな絆を生み出し、そのきずな絆によって群れを結び合わせていくのです。確かに親密さの関係原理は、群れの結びつきを安定させ、強弱の関係のような不安と緊張によるストレス(実力次第で常に順位が変動)をやわ和らげ、群れでの生活をずっと居心地の良いものにしていきます。また親密さから形成される信頼感から、自発的な相互の協力関係をも生み出していくのです。こうして群れの中に親密さの関係原理を取り入れることによって、各個体の生存と繁殖の可能性は一層高まることになり、生存の優位性も強固なものとなっていくのです。
類人猿と共通の祖先をもって進化してきた人間も、群れをつくり、親密さの関係原理によって生存を有利に進めることを選択してきた生き物です。しかし自己意識を明確化し、自己価値の欲望と関係性の欲望を発達させた人間は、これまで述べてきた他の生き物の関係原理を潜在的に組み込みながらも、さらに独自の関係性を編み出して、部族集団(共同体)や社会を形成していくことになりました。次にその人間の関係原理を、最もシンプルなところから考えていってみたいと思います。
3.人間の関係原理を生み出すもの
(1)自己意識の機能
ところでパンセ通信No.136で整理したように、人間を最も特徴づける性質は明確な自己意識の存在です。他と比べて私は私であると明確に区別して自覚する意識のことです。意識というのは、五感(六感)で感受される身体の内外からの刺激(感覚)を統合して判断し、行動を決める(選択する)機能です。ただし意識において感受された情報は、常に情動(感情)が伴います。つまり外界での変化を感受すると同時に、それが自分にとって好ましいものか不快(危険)なものか等の情動が一緒にやってきて、情動(感情)をもって変化を受け止めることにより、即座に行動対応(目的)が出来るように欲望や意欲と結びついていくのです。
この感覚すると同時に沸き起こってくる感情を抑えて、冷静に状況を判断して次の動作を選択するのが“理性”というものでしょう。しかし私たちの遠い祖先のように、危険の多い自然環境に生きていた場合には、いちいち理性を働かせて判断していたのでは、危険を避けることも獲物を捕ることも出来ません。そこで私たちは、感覚すると同時に不安・恐怖・安心、善悪、美醜などの感情が沸き起こって、通常は即座に反応出来るように身体のメカニズムをつくってきたのです。
先ほども述べたように、意識を持つことの基本的なメリットは、身体の内外の状況を総合的に判断して次の行動を選択できるということです。このことによって、本能(遺伝情報)に基づき反応や行動パターンがプログラミングされている生物よりも、変化に対してより有利に対応し、生存の可能性を高めることが出来るようになったのです。しかし通常状態では迅速に状況に反応できることも必要で、そのために感受と同時に情動が引き起こされて、欲望や意欲(目的)と結び合わせて行動を呼び起こしていくという機能が生まれてきたのです。
(2)深層で影響する生物の関係原理
ところでこの意識が、身体内外の変化を感受すると同時に情動が引き起こされるようになるためには、2つのプロセスがありました。1つは遺伝子に組み込まれたプログラミングから、本能的な反応として刺激に対して感情が生起するようになったプロセスです。もう1つは自分自身の経験の積み重ねから、感受と情動が次第にパターン化されて(無意識の領域に刻み込まれて)形成されていくプロセスです。群れで行動する生物の場合には、自分独自で新たに経験するパターンばかりでなく、群れで培って継承されてきた反応パターン(文化)も受け継いで、意識の深層に蓄積されていくことでしょう。さらに人間の場合には言語があるので、年長者などから繰り返し語り聞かされる物語を通じて、文化的に感受と情動がパターン化される場合もあると思われます。
このように意識の中には、膨大な感受と情動の反応パターンが刻み込まれ、それが生存にとって有利なものであれば、世代を超えて受け継がれて蓄積していくことになるのです。こうして例えば人間の意識の中には、はるか何十億年昔の微生物の時代から、群れを成す動物を経て現在に至るまでの、進化のプロセスで得た関係性の原理(感受、情動、欲動のパターン)のすべてが無意識の深層に積み重ねられて存在するようになってくるのです。そしてその上に、人間特有の関係原理(パターン)が形成されていくことになるのです。
つまり私たちが生きて他者や環境と関わり持つ時、その関係性の原理は、究極的には自分の種の遺伝子をいかに残し増やすかという生存戦略を基底に据えながら、個体して有利に生存していけるように、闘争したり、群れをつくったり、その群れをつくるにあたっても強弱の序列で統制したり、親密さによって結びつきを強めたりと、様々な関係原理が意識の深層で発動しているのです。さらには利己的に生きつつも、結果としてすべての生命・自然環境との調和と共生へと導かれる生物生態系の関係原理にも、見えないところで支配されて人間の関係性は展開していくことになるのです。
そうした深層でうごめ蠢く原初的な関係原理から見えない影響を受けながら、私たちは人間特有の関係原理のもとに、最も生存に有利と思われる関係性を築いていくのです。
4.関係原理の発展と自己意識
(1)協働と共生
それでは、人間に特有な関係性の原理というのはどのようなものなのでしょうか。私たちの祖先は類人猿と同様に群れをつくり、その群れを共感と配慮の親密さの関係原理で、きずな絆を生み出すことによってその結びつきを強めることを生存戦略としてきました。そしてさらに自分たちが有利に生きられるように、親密さのきずな絆で結ばれた群れの機能をもう一段高めていったのです。それが分業による協働と、分配のルールの公平性による共生です。
ゴリラやチンパンジーの群れでは、強弱の力関係によって群れを統合するサルと異なり、力を誇示せずとも親密さの関係によって互いに結ばれることが可能となりました。こうして群れは自発的に維持されて、ずっと暮らしやすいものとなったのです。しかし依然として食料は、子供を養う場合を除いて原則としては各人による自給自足です。もちろん時には相手を心配したり、気を引こうとして食物を与えるという行動を取る場合もあるでしょうが、それは群れ全体が有利に生きるために制度化されたものではありませんでした。
しかし人間の場合には、自分たちがより有利に生存できるよう親密さによって自発的に結ばれる群れの機能を、さらに高めて協働(共同)共生体をつくり出していったのです。協働共生体とは、共感と配慮から生まれる親密さを相互依存と相互支援の関係にまで高め、役割分担(分業)と協力によって、食料調達などの生計を賄う作業をも共同で行うまでになった群れの仕組みのことです。そしてその成果を平等に分配することで、各自がバラバラに活動するよりもずっと豊かで安定的に、生存に必要な有用物を確保出来るようにしていったのです。
(2)自分中心の自己意識
こうして群れを成してただ他者と親しく暮らすばかりでなく、役割を分担して相互に連携して作業を行うようになったことにより、人間はより一層自分の存在と他者の存在が、際立って意識されるようになってきました。そしてそのことによって、自己意識はますます明確に機能するものとなっていったのです。この自己意識の働きによって、他の生物には見られない更なる人間独自の関係性の原理が生み出されるようになったのです。
自己意識は、他者と区別して自分が自分であると自覚する意識です。そして自分を起点に、世界を自分と対峙させて、自分の目的や欲望の対象として捉える働きです。その結果自分を中心に、世界は自分がよく生存できるための手段の体系として認識されるようになってくるのです。こうして自己意識は世界を自分の対象として捉え、それを自分の目的や欲望との相関で分節して、自分が良く生きるために有効なものは意味あるもと認識し、効率よくあるいは効果高く目的を実現出来るものについては価値あるものとして意識されるようになっていったのです。この結果自己意識にとって世界は、次第に自分にとっての意味と価値の連関の網の目として構成されるようになり、意味あるもの価値あるものと認識された事物や事象に対しては、好ましい感情と欲望が生起し、意味も価値も無いものは意識されることが無くなり、嫌なものや危険なものに対しては、嫌悪感や不安や恐怖が沸き起こって警戒の態勢取らせるようになっていったのです。
5.人間の関係原理
(1)関係そのものを対象化する自己意識
ここで重要なことは、すべてを自分を起点として対象化する自己意識の働きは、“関係”のあり方そのものをも対象化するということです。“関係”をエサや異性と同様に、明確に対象化して捉える機能は、人間にしかありません。そして“関係”そのものをも、自己意識の働きとして意味や価値のある関係かどうかを判断して、求めたり忌避したりするようになるのです。もちろん相互に配慮しあう親密な関係は、安心と安らぎを与える意味あるものとして心惹かれることでしょうし、協力し合って生活を賄う関係は、自分が有利に生きていくために価値あるもとして意識され、どちらの関係も求めの対象となっていくことには間違いありません。
しかし自己意識が対象とするのは、外界や他者との“関係”ばかりではありません。自己意識が発達するということは、自分自身がますます明確になるということで、良く生きようとする主体としての自分自身がいよいよはっきりと意識されるようになり、自分の利害が鮮明に捉えられるようにもなってくるのです。その意味で、自分自身をもが意識の対象となってくるのです。つまり自分のあり方への満足や嫌悪が、単に気分においてだけではなく、鮮明に意識されるようになってくるのです。
(2)自己価値の相互実現
こうして役割関係の高度化から発達してくる自己意識は、世界を対象化し、他者との“関係”のあり方を対象化するばかりでなく、自分自身をも対象化して、その関係のあり方をより有利なものにしていこうとするのです。つまり自分自身の存在をより確実に、より強固なものとして拡大していけるような自分(との関係)を築いていこうとするのです。それは端的には、所有の拡大といったような自己利益のための利己的動機や行動として現れてくることでしょう。つまり他者に対して自己利益を拡大していこうとする関係原理が、自己意識からまず最初に現れてくるのです。しかし各人が利己的行動に走れば、分業と協力の協働共生体をつくって、より多くの有用物を産出して自分も有利に生きられるようになる群れの仕組みを壊すことになります。こうして私たちの祖先は、分業と協力の関係原理と自己利益を求める関係原理の板挟み(矛盾)に直面することになったのです。
しかし矛盾による二律背反は、一方では発展の動因でもあります。こうして私たちの先人たちは、他者からの承認の上で自己利益を実現するという第3の関係原理を編み出していったのです。つまり群れの他のメンバーから認められたり期待されたり、尊敬されたりしながら、他者の承認のもとに自己利益を拡大していくという関係性です。もちろん本当にそのことが成し得るためには、自分の利益を拡大する行為が、他者の利益の拡大にも寄与するというものでなければならないのは、言うまでもないことでしょう。
さらに協働共生体のように、相互依存と相互支援の関係性が高度化するもとでの自己利益というのは、単に所有の拡大に留まらず、自己の存在価値の承認と拡大という求めにまでも昇華していくことになります。自分のわざ技や行いが、他者や群れ全体に求められることになるような、(自己利益を含みこんだ)自己価値の(相互)拡大という関係性にまで発展していくのです。ところでこのような協力共生の関係性や自己価値実現の関係性が進展していくためには、高度なコミュニケーションが必要で、言語がこの進展を促進し、またこの関係性の進展に伴って言語が発達したことは間違いの無いことでしょう。また協働関係を進展させるために、二足歩行を行い手が自由になった人間が、食料や水などを集落に“運ぶ”という行為も、大きな役割を担ったことと思われます。この“運ぶ”という目的のために、木の皮やつる蔓草で編んだ入れ物、あるいは水を運ぶためのひょうたん瓢箪などの石器以外の道具も発展させていったのです。
6.3つの人間の関係原理とその展開
さて人間は、生物の関係原理を意識の潜在部分に刻み込んで受け継ぎながら、上記で見てきたように人間独自の関係性の原理を発展させてきました。それはより有利に生きようとするために、群れの関係性を高度化させる一方で、そのために明確化してきた自己意識の働きによってもたらされたものです。この結果人間は、第1に親密さと協働共生の関係原理を生み出してきました。次いで自己意識によって関係そのものをも対象として捉えるようになったことから、第2の原理として、他者のとの間で自己利益を拡大しようとする関係原理が現れるようになってきました。そしてこの協働共生の関係原理と自己利益の関係原理の矛盾を解消していくために、第3の関係原理として、他者承認にもとづく自己価値の相互実現という関係原理を編み出していくようになったのです。
この3つの関係原理は、パンセ通信No.136で整理した人間存在の本質、つまり「人間の欲望の本質は、(関係性への欲望を含みこんだ)自己価値を求める欲望」であるということ、また人間は、「自己欲望と関係欲望の葛藤」状態にあるということと対応するものです。それではこの協働、自己利益、自己価値の相互実現という人間に特有な関係原理が、人間存在の本質的な欲望の特質や生き方の原理との関連で、実際の社会においてどのように展開していくことになるのでしょうか。そのことを次回以降、まず人間の高度な相互依存・相互支援の関係が、まだ直接的な人間関係の段階に留まっていた原始共同体の部族社会の状況から、順を追って見ていきたいと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、6月12日月曜日の18時からです。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターで行います。お時間許す方はご参加下さい。
P.S. 現在パンセ通信は、No.139まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。
小橋さんのプログは、http://www.pensee-du-koyasan.com/
『パンセ通信』のサイト、
http://www.pensee-du-koyasan.com/posts/category/4