ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信No.142『人間に特有な関係のあり方と求めの類型、欲望の抑制』

Jun 24 - 2017

■2017.6.24パンセ通信No.142『人間に特有な関係のあり方と求めの類型、欲望の抑制』

皆 様 へ

1.関係の原理から考える未来
私たちは地球という生態系の中に生きているのですが、そこでは微生物から体内細菌、そして人間に至るまでおびただ夥しい数の生物がいのちの営みを続けています。そしてそのすべてのいのちが密接に、あるいは間接的に、相互に依存し合いながら関わり合って生きています。それではその関り方の原理というのはいったいどういうものなのでしょうか。私たち人間は、進化の過程でこうした生物の関係原理を取り込みながら、人間独自の関係のあり方や欲望の特質を形づくってきました。その人間の特質を整理しながら、これからの私たちの歩みを考えていってみたいと思います。

なお次回のパンセの集いの勉強会は、6月26日の月曜日18時から行います。月末ですのでホームシアターサークルの活動を予定しています。課題映画は、1960年製作の大映映画「大菩薩峠(三隈研次監督)」です。原作は中里介山の長編大衆時代小説で、人間の業を描こうとし、戦後の日本人の心を捉えて何度もメジャー系列で映画化された作品です。

2.生物、人間、生態系の関係原理
(1)生物の関係原理
生物の最も基本的な存在のモチベーションというのは、種としての遺伝子の存続と増殖です。このために個体としては自分の成長と生存、そして生殖を目的として生きていきます。また種の保存に有利であれば集団で群生したり、時としてはある個体が犠牲となって、群れ(遺伝子)の存続を図ろうとします。こうした機能が、生物の遺伝子の中にはデータとしてインプットされているのです。

次に遺伝子情報による本能ばかりでなく、意識をもって状況と行動を判断する動物の生存のモチベーションは、“より有利に生きる”ということです。個体の生存においても生殖においても、遺伝子の存続・増殖においても、より有利に生きられる方法を選択していこうとするのです。こうして身体が大きく闘争に強い捕食動物は、個体ごとにテリトリーを設けて、捕食に有利なように棲み分けを行って生きていきます。弱い動物は群れをつくって防御の力を高め、また個体数を増やして被食される個体を補おうとします。

意識による識別機能が高まってきたサルなどの群れでは、自分と他者との対比の中で、自分をより有利に生かそうという思いと、群れで生きることの有利さを調和させるために、群れをまとめ、また統率する原理が必要となってきます。この原理によってサルは、群れとしても個体としてもより有利に生きられるようになるのです。その原理とは、強弱の序列です。最も闘争に強い者がボスとなり、弱い者を従えて優位となり、最も弱い者まで整然とした強弱の力関係から優劣の序列を形成して、群れを統合していくのです。この強弱の関係が、群れを形成して維持する最も根本的な原理となります。

そして類人猿のように、自己意識の中に他者を捉える機能がさらに発達してくると、相手の状況を自分の経験と照らし合わせて共感する機能が生じ、相互に配慮(思いやり)する親密さ(愛情)によって群れの絆を強める動物も現れてきます。親密さの関係原理は、群れでの生活を居心地良いものとし、信頼感から自発的な相互協力も生み出されて、各個体の生存と繁殖の可能性を一層高め、群れの構造も柔軟でより強靭なものとしていくのです。以上がパンセ通信No.139において整理した、生物の関係原理の要約です。

(2)人間における関係性の発展
自己意識をさらに高度に発達させた人間の場合には、以上のような生物の関係原理を意識の深層に織り込みながら、さらに有利に生きられるように、独自の関係原理を発展させていきました。それが協働共生の関係原理です。私たちの祖先は、共感と配慮の親密さによって、単に群れの紐帯を自発的に強めて生き易いものとするのみならず、更に共同で役割を分担して作業を行い、食料や生活資材を一層有利に獲得し加工するようになりました。そしてその資材をルールを定めて公平に分配することで、群れを各個人が不可分相互に依存し合いまた支援し合う、生産と消費の共生体にまで高めていったのです。

現代の私たちに至っては、目の前の具体的な事象や様々な関係性のみならず、それを超えた抽象的な関係性をも把握する能力を言語の力を借りて発達させ、直接的な人間関係のみならず間接的な関係性までをも意識して、社会(間接的関係組織)を形成する能力をも高めています。このことによって人間は、直接的には関わることのない多数の人間と、見えない次元で依存し合い、また支援し合うことが出来るようになり、さらに大規模な生産、分配、消費の共生体、つまり“社会”を形づくることが出来るようになっているのです。

(3)生態系秩序
このように生物の関係原理、そして人間に特有な関係原理について、パンセ通信No.140で整理した内容に沿ってここまで要約してきました。しかし人間を含む生物には、さらにもう1つ全体を包含する関係性があります。それが生態系の関係原理です。生物は自分のいのちや種の遺伝子情報を守り増やそうと、それぞれ全く利己的に生きているのですが、長大な食物連鎖による物質・エネルギー循環を経て、結果として相互依存の関係が生まれていきます。そして全体が共生できるように、種の個体数が調整されて調和していく生態系(エコシステム)が形成されていくのです。人間も、太陽エネルギーの供給のみで起動する、植物の光合成から始まるこの地球生態系の物質・エネルギー循環に組み込まれて生きていることには間違いありません。

しかし技術と産業を高度に発達させた人間は、今やこの地球生態系のすべてを破壊するに足るまでの力を持つに至ってしまいました。もともと生態系の共生システムに順応できない生物種や、調和を乱す生き物は、巧妙なエネルギー・物質循環のバランスに適応できないために滅んでいくのですが、人間の場合には、他の害も罪も無い膨大な生き物たちを巻き込んで、生態系を根こそぎにして滅んでいく可能性があるので迷惑な話です。

それとも人間が生態系もろとも自滅するなどという発想そのものが、おこがましい傲慢さに由来するものなのかもしれません。40億年にわた亘る生命史の中で、これまで数限りない生物種が滅んできたのですが、生態系を司る偉大な生命の力にとっては、人類もやっぱり、ある時期栄えて滅んでいく生物種の1つに過ぎないのかもしれません。例え核戦争や環境破壊によって、人間が地球の生態系の全体を道ずれに無理心中しようとも、生態系を生み出す普遍的ないのちの生成と調和の力は、その廃墟から、また新たな生態系を創造していくのかもしれません。今までも何度も起こった大量絶滅から、生態系は見事に、より多様で美しく蘇ってきたのですから。

いずれにせよ私たち人間は、独自の“社会”という仕組みを生み出しても、さらにその外側で人類の生存を包み込む生態系という自然秩序があることを忘れてはなりません。残念ながら現代人は、この生態系との関係の持ち方について、まだ確かな原理を見出してはいません。社会の関係性の原理と併せて、個人も人類全体もより良く生態系の循環システムと調和し、持続的に成長・発展を遂げていくことの出来る関係のあり方を、生態系のメカニズムから深く学んで見出していきたいものです。

3.人間が求める関係性
(1)協働共生関係と自己存在拡大の欲望
ところで意識を発達させた人間は、その生と存在のモチベーション(目的)も、他の生物とは異なってきます。もちろん種としての遺伝子の存続と増殖、そして個体としての生存と成長および生殖による増殖という、本能的な欲望を潜在的に抱いていることには変わりはありません。そして意識を持った動物として、より有利な選択をして生きようとするモチベーションも変わりなく抱えているでしょう。しかし役割分担に基づく協働共生行動によって、自分と他者との比較が嫌でも繰り返されることによって、人間においては自他の相違と共通点が意識化し、他と違う自分という自己意識が一層明確化していくことになります。同時に、自分自身を基準とした損得勘定も芽生えてくることになるのです。

自己意識は、自分を起点(目的)としてすべてを対象化(手段)する機能として作用します。そしてその対象には、モノや人や事象ばかりでなく、関係のありよう様も入ってきます。そこに意識をもった動物の“より有利に生きる”という生存原理が合わさって、人間の場合には、より有利に生きられる関係のあり方そのものが欲望の対象(生の目的)となってくるのです。

こうして第1に求められ、不可欠なものとなるのが、親密な絆によって生み出される協働共生の関係性です。この仕組みに依存して生活し、しかも生産と生活資材を一人で暮らすよりは安定的に賄えるようになりますから、もはやこの関係性を放棄するわけにはいきません。次にこうした共生の仕組みに支えられて初めて、第2の関係性の求めとして現れてくるのが、他者との関係の中で自分の損得を勘案して、自分の取り分(利益)を増そうとする求めです。自己意識が強くなれば、当然自分の存在をより確かなものにしたいという思いも強まります。そこで所有を増やして自分の生存の不安を弱らげたり、自分の価値や誇りを高めて他の人に認めさせることで、自分の存在を確かなものとしようとするのです。

(2)相互承認のもとでの自己価値拡大
しかし協働共生の関係性への求めと、自己の所有や価値を増して自分の存在を確かなものとしようとする求めは、相容れないところが出てきます。そこで第3の関係性への求めとして、相互に所有や価値を認め合って、互いの存在をより確かなものとしつつ、集団全体としての協力関係も強めていこうとする求めが生じてくるのです。そしてまたこのように矛盾する求めの両方を、うまく充たしてより有利な仕組みを見出していこうとする努力から、人間は発展の原理をも手にしていくようになるのです。

以上のように人間の群れは、各個人が役割分担を担いながら相互に依存・支援しながら、生活資材を生産・分配する協働共生体へと、その関係性を高度化していきました。そして自己意識の発達から、関係性そのものをも対象として捉えることが出来るようになった人間は、さらにより有利に生きられるようになるために、3つの関係のあり方を求めるようになったのです。それが協働共生関係への求めと、関係の中での自己利益・自己価値を拡大する求め、そして相互承認の下で自己利益・価値を実現したいという関係性への求めです。この3つの関係性への求めによって、私たちの祖先は、協働共生体をより安定的なものとし、さらに発展させていくことになったのです。

4.協働共生体を成立させたもの
(1)気ままな快楽の禁止
さてここまで、人間において初めて実現した協働共生の関係原理と、その関係性を維持しつつ自己利益を拡大するために、相互承認のもとで自己価値を拡大しようとする、人間特有の関係性への求めについて整理してきました。それではこうした人間に特有の関係原理と求めが、人間の歴史を通じてどのように展開し、またさらに有利に生きられるようになるために、私たちの先人たちがどのような工夫を凝らしてきたのかについて、次に見ていきたいと思います。

まずは人間を類人猿から飛躍させた、協働共生体の成立した旧石器時代、狩猟採取で生活した原始共同体の関係構造(社会構造)から見ていきたいと思います。恐らくそうした関係性が成立した時代は、100万年以上前にまで遡るものと思われます。それではどうして互いに依存し、支援し合いながら集団で生産と分配を行う協働共生関係へと移行することが出来たのでしょうか。もちろんその方がより有利に生きられるからではありますが、その直接の契機は、共同行動(労働)と気ままな生活の間に区分を設け、気ままに食べたり眠ったりすることを我慢(禁止)して、共同で作業することが行えるようになったことが大きいと思われます。

自己意識が発達してきた人間は、関係のあり方も自己の対象として捉えるようになってきますから、関係のあり方の違いも理解できるようになってきます。そこで“より有利に生きる”というモチベーションから、今度は関係性についても、より有利なあり方を選択して欲望することが出来るようになってくるのです。そしてついにある日、より大きな欲望を実現できる関係性(協働共生)を実現するために、目先の気ままな欲望を“我慢”(禁止)するということを実行するようになったのです。

(2)ルールを生み出し守る根拠
人間は乳幼児の頃から、トレットトレーニングを始めとして母親から様々な禁止を与えられることによって成長していきます。そして4~5歳の頃になると、目の前にあるお菓子を食べるのを我慢して、後から倍のご褒美がもらえるという課題に、応えることの出来る子供が増えてくるのです。もちろん他の動物でも、「世の中で最も身勝手で獰猛な人間にだけは近づくな」など、育児期間中に母親が子供に禁止をしつ躾けるケースはあります。しかし群れ全体で、個々の動物の気ままな行動や快楽を充足する行動を禁止して、協働作業(労働)を行えるようになったのは人間しかありません。ライオンの群れのように、共同で連携して狩りを行う動物もありますが、空腹の欲望(生存欲求)から連携行動を行うもので、決して禁止を定めてそれを了解しあって行動するわけではありません。

このように人間は、快楽や欲望を抑制・禁止することが出来るようになりました。そのことによって始めて、協働作業としての労働が行えるようになり、またその共同生産物をある一定のルールを定めて、公平に分配することが出来るようになったのです。この後人間は、協働共生体をさらに発展させて、様々な関係性の仕組みをつくっていきます。そうしたシステムを維持していくためには、多くのタブーやルールや制度が必要となってくるのですが、集団の構成員のすべてがそうしたルールを守っていくためには、禁止を定めて欲望を抑制するという文化的規制作用が、非常に重要な役割を果たしていくことになるのです。

5.原始共同体の仕組みからの学び
さて協働共生体を生み出した原始共同体に暮らす人々にとっては、自分たちの生存と不可分に結びついたこの共同体の仕組みを維持していくことが、何よりも大切なこととなってきます。そのために私たちの先人たちは、どのような仕組みを編み出していったのでしょうか。そしてさらにより有利に生きられるようにしていったのでしょうか。次回はその巧妙な仕組みを見ていくことで、現在の私たちの社会と比べて参考となる部分を学んでいってみたいと思います。

なお次回のパンセの集いの勉強会は、6月26日月曜日の18時から行います。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターです。月末ですのでホームシアターサークルの活動を予定しています。課題映画は、1960年製作の大映映画「大菩薩峠(三隈研次監督)」です。お時間許す方、ご興味ある方はご参加下さい。


P.S. 現在パンセ通信は、No.139まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。

『パンセ・ドゥ・高野山』トップページhttp://www.pensee-du-koyasan.com/
 炭素循環農法については、http://www.pensee-du-koyasan.com/posts/category/4