ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信No.143『人間の3つの関係欲望と存在特性、社会との相関』

Jul 01 - 2017

■2017.7.1パンセ通信No.143『人間の3つの関係欲望と存在特性、社会との相関』

皆 様 へ

1.実態無き関係の網の目の中で
この世界の中で単独で、孤立して存在しているものはありません。あらゆるものが互いに関係し合っています。近くにあるものは直接に影響し合い、遠くにあるものにもその影響は伝わります。また空間的のみならず時間的にも関係し合います。今ここで起こった出来事は、次の瞬間に直接影響しますし、遠い将来にもその影響は及んでいきます。そしてまた今の出来事は、私たちの過去の認識をも変えて、新たな了解を生み出していくのです。このようにあらゆるものが時間と空間を超えて関わり合い、影響し合い、その関係の結節点としてモノや事象が立ち現れてくるという、常に生々流転の中にあるのが私たちと世界の姿です。

人間を含めてあらゆる生物も、この絶えず変化して影響し合う関係の網の目の中で、自分を生かそうと相互に関わり合いながら生きています。この定め無く漠とした関係性の束の中で、意識を持った私たち人間は、自分がより有利に生きられるように、意味と価値のある関係性を自己意識に掬い取って映し出し、次に各人ごとに捉えた関係理解を無意識的にも了解し合って、互いに都合の良い関係部分を共通のビジョンとして描いて分かち持っていくのです。

パンセ通信ではここ数回にわた亘って、こうして得られた人間の関係性についての共通ビジョンから、基本となる原理を取り出してみる作業を行ってきました。今回は私たちの先人たちが、自分たちの部族や社会が滅びることの無く存続していけるように、その関係原理をいかに巧みな仕組みで維持してきたか、また更に生き易くしていくために発展の芽を育んでいったのかについて見ていきたいと思います。そして現代社会の関係性の中で生きる私たちが、関係性の原理の原点に立ち返った時に示唆されてくるものを拾い上げていってみたいと思います。

なお次回のパンセの集いの勉強会は、7月3日の月曜日18時から行います。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターです。

2.必要との相関で求める原理
(1)物質と生物の関係原理の相違
あらゆるものが関係し干渉し合う私たちの世界において、まず物質相互の存在と性質、そこに働く力や反応を通した関係性については、私たちは物理学や化学や生物学などの自然科学というジャンルを立てて、その手法を用いて理解しようとします。量的に計測できる単位を基準として、物質間の関係を原因と結果の一義的な作用として数式で表し、誰からの反論の余地なく厳密な関数法則として理解していこうとするのです。

しかし生物社会の関係性については、要素に還元してその要素間の関係を因果の法則で表そうとしても捉えきれません。それは生物が、遺伝子情報に基づく刺激と反応のみで生きる単純な種であったとしても、無数の他の生物種と生態系を形成して、高度な相互作用とバランスの中で生きているからです。仮に複雑系の科学を用いて、気象情報のようにかなりの精度で生態系のメカニズムを解析できるようになったとしても、あくまでもそれは生命活動や生態系の物質的側面についてのみ、その関係の法則が捉えられただけのことです。

ましてやそこに意識を持った生物が加わってくると、もはや科学の手法では説明しきれなくなってきます。意識をもった生物は、意識において判断を行って次の行動を選択するために、原因・結果の一義的な運動法則に従わず、その行動と生物相互の関係には無数の選択の余地があって、偶然性の要素が強くなってくるからです。それでも確率論を用いれば、次の行動を確率的に予測することは可能かもしれません。しかしそこに人間が加わると、確率論さえも通用しなくなります。自己価値の実現を求めて、自由な意思をもって新た価値創造を行っていく人間は、もはや確率をも超えていく存在だからです。

(2)意味と価値を求める生物
このように要素に還元し、要素間の因果法則で関係性を数理関数的に解明しようとする科学の手法では、生物の加わってきた関係世界は把握することができません。生物の関係世界は、原因と結果の定量的な物理法則で成り立っているのではないからです。生物は自分たちが生きるために、必要や欲望との相関で、世界を分節して捉えます。生きるために有効なモノや事象は重要ですから、意味あるものとして他の存在から分けて捉え、さらに意味あるもののうちより効果高く必要を満たせるものは、価値あるものとして区分して把握するのです。逆に言えば自分にとって意味も価値も無いものは、存在していても意識のうちには上ってきません。こうして生物は、自分にとって意味あるもの、価値あるものを求めて意識化し、また活動して様々なものと関係を切り結んでいくのです。

このように生物を突き動かす原理は、物理法則では無く欲望や必要です。そしてまたこの欲望をもとに、世界を自分の必要に沿って分節して得られてくる意味と価値です。生物は原因と結果の必然に生きるのでは無く、意味と価値の世界に生き、自分にとって意味あるものを求め、価値あるものを用いようと活動していくのです。そしてそれぞれの種や個体が、意味あるもの価値あるものを実現しようと行動して、相互に関わり合いながら生物の関係世界を築いていくのです。

もちろん人間も同じです。特に自己意識を高度に発達させた人間の場合には、世界を自己意識の対象として認識し、そこで生起してくる物質と生物のあらゆる関係のあり方についても、自分にとっての意味と価値があるか無いかの関連で捉えていきます。特に人間の場合には、単なる身体的な求めや必要性からばかりではなく、自分がより有利に生きていけるかどうかで意味と価値を判断していくのです。こうして物理世界の関係についても、生物世界の関係についても、その関係の総体から不変の真理を導き出すというよりは、人間は自分にとって意味と価値のある有用な関係のあり方のみをすく掬い取って、重要なものとして意識に刻み付けていくのです。そして個々の人間同士が、自分の理解を確かめ合う中で、共感できる部分を了解しあって人間としての共通認識(原理)をつくっていくのです。(私たちは何か新しい発見をすると、それが絶対の真理であるように思い込む性癖がありますが、実際には時代のニーズに従って、次々と新しい法則が付け加わったり、理論が書き変えられたりしていくのです。)

3.人間の関係原理と生きる目的
(1)生物の関係原理
このようにして共通了解されてきた関係原理、つまり現代の私たちが無意識の内にも有用と判断する視点から切り取った人間の関係原理について、前回までのパンセ通信において整理してきました。こうした関係性の捉え方が、私たちが生きていくにあたって本当に効果のあるものかどうか、さらにこれから検証を進めていきたいと思います。

さて生物が生きる本源的な目的(求め)は、種としての遺伝子を残すことと増やすことです。そのために個体としての成長や生存や生殖に役立つ対象は、意味あることであり、その対象を得るために効果ある手段や方法については、価値あることと捉えられます。種によっては、群れをつくる方がより目的に対して効果が高い(価値がある)と判断するものも現れてきます。ところでこうした目的に生きる生物の基本的な関係原理は、生態系(エコシステム)の秩序です。個々の生物種も個体も、遺伝子を残すために自分が生き残ろうと利己的に行動するのですが、食物連鎖による物質・エネルギー循環を経て、結果的には全体として、すべての生物が相互依存の見事な共生システムに調和されていくのです。

次に意識を持った動物の求めには、上記の生物の本源的な目的に加えて、“より有利に生きる”という要素が加わってきます。意識によって状況を判断して行動できるようになるのですから、もはや身体(遺伝子)由来の求めに制約されるばかりでなく、何が一層有利に生きられるかという(価値)判断による選択が加わってくるのです。こうして自分の身体的特質から有利さを判断して、個体で生きる種と群れをつくって生きる種とに分かれてきます。この意識を持った動物の関係性の基本は、強弱です。強い者が弱い者を食うか、追い払うか、群れの中で弱い者を従えるかになります。

(2)人間の関係原理
ところが意識を持って群れをつくる動物の中から、強弱とは異なる関係原理で群れを統合するものが現れてきます。それが類人猿です。自己意識を発達させた類人猿は、自分の経験と照らし合わせて他者の状況を推察し、同情したり共感したりする能力が高まってきます。そして相互に配慮(思いやる)する親密さ(愛情)が生じてくるのです。この親密さによって、群れを強弱の序列では無く、互いに求め合うきずな絆によって、群れを結び合わせていくという“革命”が成し遂げられるのです。親密さによって結ばれた群れは柔軟かつ強靭で、しかもどの個体にとってもストレスが少なくて生き易く、生存と繁殖の機会を高めていくことになります。

自己意識をさらに高度に明確化させた人間は、親密な関係性をさらに信頼と自発的な相互協力の関係へと発展させ、画期的な協働共生の関係原理を生み出していきます。役割を分担して作業を行い、食料や生活資材を共同で生産し、生産物についてルールを定めて公平に分配していくのです。このことによって群れは、生産と分配と消費を行う経済単位ともなっていきます。そして各構成員の相互依存と相互支援が不可分に絡み合って切り離すことの出来ない、“共同体(協働共生体)”へと変質を遂げていくのです。(人間以外の群れは、原則として自分でエサを取って食べる個体が、安全性を高める等の生存に有利になる目的から、群れをつくっていくに過ぎません。)

(3)人間の生の目的
このように自己意識を明確化し、協働共生体をつくって生きるようになった人間は、その生の目的(欲望)も変質していきます。生物の原初的な目的と求めは遺伝子を残し、増やすことです。そのために身体的に自分を生かし、生殖することです。このことを基本としながらも、意識を持つ動物の場合には、さらに“より有利に生きる”ということが生の目的に加わってきます。そして自己意識と協働共生体という関係性を発達させた人間の場合には、もう1段の変化が生じてきます。まず自己意識の対象として、事物や事象だけではなく、関係のあり方も対象化して、意識で捉えていくことが出来るようになります。このことによって他者との関係のあり方についても、快・不快の感情が生起する対象となり、関係のあり方そのものが欲望の対象となっていくのです。特に協働共生体を形成して、集団(共同体)への依存関係が増した人間にとっては、相互依存と相互支援の関係の総体である共同体と自分の存在との関係が、意識の根底で不可分一体のものと捉えられるようになってくるのです。

こうして人間の求め(欲望)はすべて、単なる身体由来(遺伝子由来)の個体的な欲望ではなく、関係性を介した関係性の快不快を求める欲望へと変質していくことになります。例えば自己意識を明確にする人間は、当然のごとく自分がより有利に生きていくために、自己の利害感覚が芽生えてきます。しかしその自己利益を求める欲望も、けっして関係性を意識しないものでは無く、必ず関係性を介した自己欲望となってくるのです。他の人と比べて自分は得をしたとか、他の人からも承認されて自分は後ろめたさ無く所有が出来るなどの思いです。そして意味と価値を求める思いも、単なる身体の生存にとっての重要性ではなく、関係性の中で他者や全体に役立ったり認められたりしながら、自分の存在価値を意識上で確認できる、自己価値を求める欲望へと転化していくのです(詳細についてはパンセ通信No.136をご参照下さい)。

4.関係性への欲望と人間存在の本質
(1)共生の欲望と自己利益の欲望
それでは自己意識を明確に持ちながら、協働共生体と一体となって生き、身体由来の欲望を関係性の欲望へと変様させた個々の人間は、この協働共生体に対して、どのような立ち位置と求めをもって関わっていくことになるのでしょうか。第1には当然のことながら、協働共生体の存続・維持を求めるという共生への求めが現れてきます。この関係性の仕組みに依存して生き、単なる群れの段階にあった時よりもずっと食料と生活資材を安定的に、しかも豊富に得ることが出来るようになったのですから、もはや協働共生体の維持は無前提に不可欠なこととなってきます。第2には、この関係性のもとで損得勘定を計算し、自分の取り分(利益)を増やそうとする欲望と態度が芽生えてくることです。自己意識が高まれば、自分の存在を一層確かなものにしたいという求めも高まり、反面その確かさが保てない不安も頭をもたげてきます。その不安を和らげるために、自分の利益(所有)を増やし自分の存在を拡大し、より確かなものとしていこうとするのです。そして場合によっては自分の生存が依存する共同体への配慮が低下して、自己利益の追求が勝ってしまうことが起こるのです。その時人間の欲望は貪欲に堕して、自分だけではなく共同体全体の存続を危機に陥れていくことになるのです。

なお自己利益を増やそうとする欲望は、物質的な利得を求める欲望ですが、他者との関係性のもとで優位に立って、自分の思いを通すことで自分の存在価値を高めようとすることも起こってきます。それが自我充足の欲望、あるいは関係優位の欲望です。ところで第1の共同共生体の維持を求める欲望と、自己利益を求める欲望および関係優位を求める欲望は矛盾します。このように自己意識を明確化し、欲望を関係性のもとでの自己価値を拡大するものへと転化させた人間は、基本的に2つの相反する欲望を持つことになります。そしてこの矛盾する欲望の葛藤に生きることが人間存在の本質的な特質となり、またその葛藤に対応して、人間のつくる共同体や社会も展開していくことになるのです。

(2)人間存在の本質的な特質
しかし矛盾による葛藤は、相反する求めの両方を充たそうとする努力をも生み出し、新たな解決策を見出す原動力ともなっていきます。そしてこの矛盾を解決しようとする努力が、人間に他の動物にはないもう1つの本質、つまり新たな価値創造による成長と発展をもたらすことになるのです。こうして協働共生体を維持して共生を求める欲望と、自己利益および関係優位の欲望を調停する求めとして、第3の関係性への欲望が芽生えてくることになるのです。それが共同体の他のメンバーの承認や納得を得ながら、自己利益や自己価値を充たしていこうとする求めです。この求めを実現していこうとするなら、自分自身への配慮と同時に、他者や共同体全体への配慮を同時に行えることが必要となってきます。そして自分自身の利益や価値を実現することが、同時に他者や全体の利益と価値を増すことに役立っていかなければなりません。そうでなければ他者からの承認や期待を得られることが出来ず、逆に身勝手な人物として疎まれることになってしまうからです(自己価値をきそん毀損することになります)。

このようにして共同体と自分の存在が不可分となった人間は、その共同体の中で自分をより良く生かせるように、3つの関係性への欲望を持つことになります。共生の欲望と、自己価値(利益)実現の欲望と、そして相互価値実現の欲望です。そしてこうした欲望に突き動かされながら、協働共生体をつくって生きていくのです。そんな人間の存在の本質的なありよう様についても、3つの特質を見て取ることが出来ます。第1が共生と自己価値の葛藤であり、第2が矛盾を解決することによる成長と発展の原理です。そして3番目がまだ触れていなかったのですが、人間はより大きな求めを実現するために、目先の欲望や気ままな行いを我慢し、全員で了解し合って禁止することが出来る存在です。この目先の欲望を抑制することが出来るようになったからこそ、人間は自分の気ままな行動を抑えて、協働で作業することが出来るようになったのです。そしてこのような抑制によって、後からもっと大きな成果が得られるからこそ、人間は時間の観念を発達させ、また不都合な行為を相互了解のもとで禁止することが出来るようなり、ルール(掟・法)を定めてそれに皆が従うことも可能となっていったのです。

5.欲望、存在本質と社会の仕組み
以上のように人間は、自己意識を明確化し、群れを協働共生体に進化させたことにより、共生の欲望、自己利益・自己価値実現の欲望、相互価値実現の欲望という3つの関係性の欲望を持つようになりました。またその存在の本質的なありよう様として、共生と自己価値の葛藤、成長と発展の原理、禁止とルールの設定という3つの特質を有するようになったのです。この人間存在の特質をどのように機能させ、また3つの関係欲望をどのように調整するかで、共同体や社会の仕組みは変化していくことになります。その具体的な事例を、私たちの先人たちが狩猟採取で生きていた、新石器時代の原始共同体からまず見ていきたいと思います。その上で現代の私たちの社会の仕組みも、こうした視点から解析し、何が問題でどのように構造を変えていけば良いのかについて考えていきたいと思います。

なお次回のパンセの集いの勉強会は、7月3日月曜日の18時から行います。場所は\渋谷区本町の本町ホームシアターです。お時間許す方はご参加下さい。
P.S. 現在パンセ通信は、No.142まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。

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