■2015年1月4日 パンセ通信No.13 -『破壊と再生 - 日本人の自然観』
皆 様 へ
新年おめでとうございます。
今年は健康で煩い少なく、それでいてやっぱり少しは前進できる年になればなどと、相変わらず『足るを知る』ことのできぬ正月を迎えておりますが、皆さまはいかがでしょうか。
1月6日の火曜日も、16時からパンセの集いを行います。表参道のフィルムクレッセントです。
さて、年が改まり、すがすがしい意欲に満たされている方も、昨年来の仕事や重荷を引きずっている方も、明日からの仕事に逃げ出したい気分になっている方も、様々にいらっしゃるかと存じます。でも季節の移り変わりと暦の改まりは、いやが上でも私たちに1年という区切りを与え、溜まった澱(おり)を拭い去り、新たな歩みをスタ-トさせてくれます。これも私たちの先人が残して下さった、優れたいのちの営みの仕組みですね。
前回は年末で、1年をどう振り返るかというお話を、協和発酵創業者の加藤辨三郎さんの座右の銘から聞かせて頂きました。そうすると迎春の今回は、やっぱりこの1年を、どう新たに踏み出していくかということがテーマになるでしょうか。
戦前の物理学者で随筆家の寺田寅彦さんが、次のようなことを言われたそうです。
『日本人の自然観と西欧の自然観との間には、根本的な相違がある。地中海世界に代表される穏やかな西欧の自然であれば、人間はそれを客観視して観察することができる。しかし地震や台風に見舞われる日本人にとって、自然はけっして穏やかなものではない。荒ぶる自然に翻弄されながら、その自然と共に生きていくしかない。そこに日本人の無常観が生じる。』
しかしこれに加えて、宗教学者の山折哲雄さんは3.11東北大震災を振り返りながら、次のように語っていらっしゃいます。
『荒ぶる自然は、私たちからすべてを奪い尽くす。しかしそれでも、そこで私たちを癒し、新たな再生の道を踏み出させるのは、やっぱりその自然でしかない。』
確かに自然は、昨年も広島の水害や御嶽山の噴火があるなど、猛威を振るい続けています。しかし一方で、日本の自然ほど美しく、豊かな恵みを与えるものはありません。自然の営みの中において、すべてのいのちが共鳴しあい、お互いのいのちを育みあって生きている。その和(なご)みのいのちが、今度は私たちを支え、生きる意欲と希望を取り戻させてくれるのです。
そして私たちの先人たちは、死して後にもその魂が祖先の霊と一つになって、この慈しみの自然に戻り、後世の人々のために、そのいのちを支え続けると考えたのです。
ここに私たち日本人の、新春という暦とは異なる深層の再生観があります。荒ぶる自然によって、私たちは強制的にそれまでの生き方をリセットされます。そして和みの自然のもとで、それまでの私たちのあり方、自然との関わり方を根本的に反省し、深く学び、1つ1つのいのちへの配慮と慈しみから、もう1度再出発する機会を与えられるのです。
全国で里海再生を手がける木村尚さんは、東北の復興について、次のように語っていらっしゃいます。
『復興とは、住居の再生や防波堤のことだけではない。地域の人々がみんなつながって、やさしい気持ちで生き、暮らしていけるようになることである。』
今年は戦後70年。原爆詩の朗読活動を続ける吉永小百合さんが、私はけっして戦後~年という数え方を止めない、とおっしゃっています。二度と同じ過ちを繰り返さないために、そして大切ないのちを受け継ぎ、そのいのちを守り育み、後の世に受け渡していくために。
同じように、私たちは決して3.11や阪神淡路大震災の1.17を忘れず、終戦と同じように思いおこし、その記憶を刻み続けていくことでしょう。
幸か不幸か本来私たち日本人は、西欧の人たちのように穏やかな自然を観察し、それを支配し、人間中心・自分中心の世界観を持つことになじみません。人の力を越えた荒ぶる自然、また恵みの自然に畏怖し、そこからいのちの力を汲み取り、自分もその一部となってすべてのいのちと共鳴しあって生きていく。荒ぶる自然によって、常にいのちの育みの原点へと立ち戻らされつつ、またその同じ自然によって、1つ1つのいのちへの配慮から生き直し、仕組みをつくり直していくための恵みの力をも与えられていく。
さて私たちも、新しい年を歩み出すにあたって、職場で、そして家庭で、ただ暦の改まりだけでなく、何を本当に大切に新年の生活をつくっていくのか。それを考えるために、私たちの深層にこだまする、先人の声に思いを致してみるのも悪くないかもしれません。
そんな思いを抱きつつ、2015年第1回のパンセの集いを行えればと思います。お時間許す方は、ご参加頂ければ幸いです。
皆 様 へ
新年おめでとうございます。
今年は健康で煩い少なく、それでいてやっぱり少しは前進できる年になればなどと、相変わらず『足るを知る』ことのできぬ正月を迎えておりますが、皆さまはいかがでしょうか。
1月6日の火曜日も、16時からパンセの集いを行います。表参道のフィルムクレッセントです。
さて、年が改まり、すがすがしい意欲に満たされている方も、昨年来の仕事や重荷を引きずっている方も、明日からの仕事に逃げ出したい気分になっている方も、様々にいらっしゃるかと存じます。でも季節の移り変わりと暦の改まりは、いやが上でも私たちに1年という区切りを与え、溜まった澱(おり)を拭い去り、新たな歩みをスタ-トさせてくれます。これも私たちの先人が残して下さった、優れたいのちの営みの仕組みですね。
前回は年末で、1年をどう振り返るかというお話を、協和発酵創業者の加藤辨三郎さんの座右の銘から聞かせて頂きました。そうすると迎春の今回は、やっぱりこの1年を、どう新たに踏み出していくかということがテーマになるでしょうか。
戦前の物理学者で随筆家の寺田寅彦さんが、次のようなことを言われたそうです。
『日本人の自然観と西欧の自然観との間には、根本的な相違がある。地中海世界に代表される穏やかな西欧の自然であれば、人間はそれを客観視して観察することができる。しかし地震や台風に見舞われる日本人にとって、自然はけっして穏やかなものではない。荒ぶる自然に翻弄されながら、その自然と共に生きていくしかない。そこに日本人の無常観が生じる。』
しかしこれに加えて、宗教学者の山折哲雄さんは3.11東北大震災を振り返りながら、次のように語っていらっしゃいます。
『荒ぶる自然は、私たちからすべてを奪い尽くす。しかしそれでも、そこで私たちを癒し、新たな再生の道を踏み出させるのは、やっぱりその自然でしかない。』
確かに自然は、昨年も広島の水害や御嶽山の噴火があるなど、猛威を振るい続けています。しかし一方で、日本の自然ほど美しく、豊かな恵みを与えるものはありません。自然の営みの中において、すべてのいのちが共鳴しあい、お互いのいのちを育みあって生きている。その和(なご)みのいのちが、今度は私たちを支え、生きる意欲と希望を取り戻させてくれるのです。
そして私たちの先人たちは、死して後にもその魂が祖先の霊と一つになって、この慈しみの自然に戻り、後世の人々のために、そのいのちを支え続けると考えたのです。
ここに私たち日本人の、新春という暦とは異なる深層の再生観があります。荒ぶる自然によって、私たちは強制的にそれまでの生き方をリセットされます。そして和みの自然のもとで、それまでの私たちのあり方、自然との関わり方を根本的に反省し、深く学び、1つ1つのいのちへの配慮と慈しみから、もう1度再出発する機会を与えられるのです。
全国で里海再生を手がける木村尚さんは、東北の復興について、次のように語っていらっしゃいます。
『復興とは、住居の再生や防波堤のことだけではない。地域の人々がみんなつながって、やさしい気持ちで生き、暮らしていけるようになることである。』
今年は戦後70年。原爆詩の朗読活動を続ける吉永小百合さんが、私はけっして戦後~年という数え方を止めない、とおっしゃっています。二度と同じ過ちを繰り返さないために、そして大切ないのちを受け継ぎ、そのいのちを守り育み、後の世に受け渡していくために。
同じように、私たちは決して3.11や阪神淡路大震災の1.17を忘れず、終戦と同じように思いおこし、その記憶を刻み続けていくことでしょう。
幸か不幸か本来私たち日本人は、西欧の人たちのように穏やかな自然を観察し、それを支配し、人間中心・自分中心の世界観を持つことになじみません。人の力を越えた荒ぶる自然、また恵みの自然に畏怖し、そこからいのちの力を汲み取り、自分もその一部となってすべてのいのちと共鳴しあって生きていく。荒ぶる自然によって、常にいのちの育みの原点へと立ち戻らされつつ、またその同じ自然によって、1つ1つのいのちへの配慮から生き直し、仕組みをつくり直していくための恵みの力をも与えられていく。
さて私たちも、新しい年を歩み出すにあたって、職場で、そして家庭で、ただ暦の改まりだけでなく、何を本当に大切に新年の生活をつくっていくのか。それを考えるために、私たちの深層にこだまする、先人の声に思いを致してみるのも悪くないかもしれません。
そんな思いを抱きつつ、2015年第1回のパンセの集いを行えればと思います。お時間許す方は、ご参加頂ければ幸いです。