ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信No.146『社会の目的とそれを実現するための機能と仕組み』

Jul 22 - 2017

■2017.7.22パンセ通信No.146『社会の目的とそれを実現するための機能と仕組み』

皆 様 へ

1.安倍内閣の支持率の急落
(1)マスコミの報道原理の解明
安倍内閣の支持率が下落しています。それはマスコミの政権たた叩きのための偏向報道による影響なのでしょうか。それとも安倍政権そのものに問題があるからなのでしょうか。もしマスコミの安倍政権たた叩きキャンペーンによるものだとすれば、これまで安倍政権寄りの報道を行い、安倍政権も周到なマスコミ対策を行ってきたと言われるだけに、何故マスコミの報道姿勢が急変したのが問題になります。マスコミが、しょせん所詮世論受けする報道を行うだけの機関だとしたなら、庶民の気分が変わったことを反映する報道内容の変化ということになるでしょう。しかし果たして本当にそれだけのことなのでしょうか。マスコミが権力の擁護にも世論の形成にも、大きな影響力を行使する機関であるだけに、その報道スタンスを決定する複数の要因について、慎重に分析していかなければなりません。そしてマスコミが、安易な迎合や誘導を行わず、時には不正と戦って、国民のためにも地域のためにも、国のためにも世界のためにも、本当に良い方向を指し示していく報道が行えるための条件を洗い出し、その条件を充たしていく努力も行っていかなければならないでしょう。

それでは安倍政権そのものに問題があるから、支持率が低下しているとしたならどうなるでしょうか。それが誤解によるか一時的な失政によるものであれば、説明責任を尽くせば、やがて信頼を回復することも可能かもしれません。しかし体質的で構造的な問題に対する国民の不信であるとするならば、政権そのものの方針や運営体制を転換することしか、政権を維持する道は無いでしょう。

(2)安倍政権に構造的な問題がある場合
厄介なのは安倍政権に構造的な問題がある場合です。その場合私たち国民は、安倍政権のいったいどういう体質に嫌悪を感じ、何に不信を抱き、何が問題だと感じているのでしょうか。しかしここでもう1つ留意しておかなければならないことは、国政に関しては野党の支持率もさんたん惨憺たるもので、世論調査の種類にもよっては、約半数の有権者が現在のどの政党も支持していないといことです。この数字から推察されることは、国民の多数が、これまで安倍政権を他に選択肢が無いので消極的に支持してきたということでしょう。もしそうだとするなら、今回の安倍政権に対する支持率急落は、他に代わる政権が無いという不安を打ち消すほどに、安倍首相への不信感と嫌悪感が上回ってしまったことを示すことになります。今月実施された東京都議会議員選挙で、小池百合子東京都知事が率いる都民ファーストが大勝したのも、安倍政権に対する不信の受け皿となったということだけのことでしょう。

このように安倍政権の構造的・体質的な問題があるゆえ故の支持率下落だとしたなら、論理的に安倍内閣が政権を維持するために取り得る手立ては、8月に予定される内閣改造で、政権の政策方針や政権運営の転換を示せる人事を行えるか、それが出来なければ、野党の選挙共闘体制が整わず、公明党が離反する暇を与えぬ前の衆議院の解散といったような、賭けに出る以外に方策は無くなってくるかもしれません。(国会休会中解散というのも、理論的には可能です。)

(3)変革のビジョンとプロセスを求めて
いずれにしても私たちは、いったいどういう政権なら積極的に支持することが出来、自分たちの生活と社会がどうなっていけば良いかを、明らかにしていく必要があります。そのための指針を見出し、現在の構造的な問題とそれへの対処を明らかにするために、パンセ通信では引き続き人間の存在と関係性の原理、また政治・経済・文化を内包する社会の原理を明らかにし、その原理との対比で現在を考え、変革のプロセスを描き出す試みを続けていってみたいと思います。

なお次回のパンセの集いの勉強会は、7月24日月曜日の18時からで、渋谷区本町の本町ホームシアターで行います。また7月31日の月曜日は、月末ですのでホームシアターサークルの活動を予定しています。課題映画は1975年公開のアメリカ映画「カッコーの巣の上で」を予定しています。監督はミロス・フォアマンで、アカデミー賞の主要5部門を独占した作品です。現在と同様に閉塞感と抑圧感の漂った1970年代後半において、必死に自由と解放をテーマに模索を試み、私たちに一抹の希望を与えてくれた作品です。

2.社会の目的、機能、システム
(1)社会構造を分析する指針
さてこれまでパンセ通信では、人間の意識と欲望の特質、人間の生の本質、そして生き方の特質について整理(パンセ通信No.136)を行い、また関係世界に生きる人間の関係欲望の特質と存在構造の特質を考えて(パンセ通信No.143)、そこから原理を取り出す作業を行ってきました。そしてそんな人間がつくる社会の原理を検討するために、前々回より、まず狩猟採取時代の原始共同体から始めて、各時代の社会構造を分析する作業を始めております。

ここで早計ではありますが、人間が動物の群れから飛躍して、協働共生体をつくることで発展の契機を得ていった社会の基本的な機能(役割)について、人間の欲望や存在の本質との関連から、仮の整理を行ってみたいと思います。そしてとりあえずではありますが、次の3つの機能と、その機能を作用させるための4つのシステムを仮説的に取り出し、これから進める各時代の社会構造の分析を行う上での指針とし、その妥当性を検証していってみたいと思います。

(2)社会の目的と3つの機能
さて関係性の欲望に生きるという人間存在の本質的なありよう様との関連で、社会が果たしている機能を取り出してみるならば、次の3つを挙げることが出来るでしょう。1つは人間の欲望を充足し、あるいは欲望を拡大する機能です。そして個人を成長させ、また社会を発展させていく機能です。しかしその一方で、欲望が暴走したり衝突して人間同士が争うと、一人一人が生存を依存する共同体(社会)が破綻する危険に陥ります。そうした事態を生じないように、人間の欲望を調整したり、また抑制する機能が必要となってくるのです。そうした調整や抑制(権利の確定と保護、また紛争の裁定等を含む)を、法や契約などのルールを定めて強制力の裏付けのもとに行うのが社会の持つ2つ目の機能です。そして3つ目の機能は、同じく各人の欲望の調整や抑制を、強制力を背景にするのではなく、各人の相互配慮のもとに自主的に行えるようにしていくことです。人間の中に道徳や慣習などの内面的な規範や価値観を形成して、人々が共生していくことが出来るように、自主的に欲望を調整したり抑制したりしていけるようにするのです。

このように今、人間が集団を形成してより良く生きられるようにつくり上げてきた社会について、3つの機能を取り出してみました。要約すると人間の欲望を充足・拡大する機能と、その欲望について強制力をもって調整・抑制する機能と、自主的・内面的に調整・抑制する機能との3つです。そして人間は、自分たちの生存と自己価値発揮(価値創造)の条件を高めることを目的に、社会においてこの3つの機能を組み合わせて働かせていくのです。もちろん社会が、私たちを貧困に陥れたり、抑圧的になったり、耐え難い生き辛さを与えることもあります。そのように否定的になってしまう条件を解明することも併せて、今仮説として挙げた社会の目的と機能について、歴史を辿りながら順を追って検証していってみたいと思います。

(3)社会を構成する4つのシステム
さてここまで社会の目的と機能について整理してみたのですが、そうした機能を作用させて目的を実現していくために、社会には幾つかの仕組みがあり、それをとりあえず4つのシステムに整理して取り出してみることにしたいと思います。それが経済、政治、文化のシステムであり、また個人の自由な生活と活動の領域です。簡単に説明するなら、社会の機能のうち人間の欲望を充足・拡大する機能が経済のシステムと対応し、強制力を背景に欲望を調整・抑制する機能が政治のシステムと対応し、自主的・内面的に欲望を調整・抑制する機能が文化のシステムに対応すると言うことが出来るでしょう。しかし私たちが暮らす社会は、経済と政治と文化の仕組みだけで出来ているわけではありません。私たちが家に帰って好きなテレビを見たり、趣味にふけ耽ったりする時間もあります。また同好の士とサークルをつくったり、あるいは一人一人が持つ価値を発揮するために、自由に人々が組み合わさって自己価値を実現する社会ゲームをつくって展開することも、社会の持つ本来の可能性です。こうした経済にも政治にも文化のシステムにも属さない、その他のプライベートな生活空間や個人の自由な活動領域を、とりあえず社会の持つ4つ目のシステムとして取り出してみることにするのです。

しかしここで注意しておかなければならないことは、社会の持つ3つの機能が、経済・政治・文化の仕組みと単純に1対1で対応しているわけでは無いということです。経済のシステムの中にも、欲望を調整・抑制する作用は働きますし、政治や文化のプロセスの中でも、欲望を充足したり促進したりする機能は作用するのです。従って社会は、(1人1人の)人間の生存と価値創造の可能性の条件を高めるという目的の実現を目指して、3つの機能と4つのシステムが相互に組み合わさって展開する、人間の集合体であると考えてみることにするのです。その視点から、前々回から行っている原始共同体の社会構造を、引き続き分析していってみたいと思います。

3.生産プロセスが作用を促す機能
(1)生産のプロセス
そこでまず、社会の目的を実現する機能を作用させる4つのシステムの内、経済のシステムから考えていってみたいと思います。経済のシステムというのは、人間が生きていくために必要な物資を供給し、生存の欲望を充足していくための仕組みで、大きく生産・分配・消費の3つプロセスに分かれます。自然界にある資源を人間が共同して採取して、それを生活資材に加工するのが生産のプロセスで、そうして得た生産物を一定のルールを定めて公平に配分するのが分配のプロセスです。そして分配されて得た資材を、各人それぞれが生存のために摂取したり、生活の利便性や楽しみのために用いるのが消費です。

原始共同体社会においては、共同で行う狩猟や採取、また自分や仲間のために協力して行う住居や衣服づくり、石器などの道具や装飾品づくり等が生産活動に該当します。生産活動というのは、狩猟を例にとってみれば良く分かるように、動物を追い込んで仕留めるプロセスはゲーム性が高く、単に欲望を充足するだけではなく強く刺激し、人間を夢中にさせるシステムとして機能するのです。それ故に特別な配慮や仕掛けが無くても、私たちの祖先は欲望が喚起されて、より豊かに生産物が得られるように、生産のプロセスを高度化させることにいそ勤しんできました。言語によるコミュニケーションを発達させ、道具を改良し、自然の生態系に対する知識を増やし、分業による生産効率を上げて、人間の欲望を拡大させると共に生産量を増やす仕組みとして、生産活動は機能していったのです。

(2)原始共同体の人々の労働時間と暮らし
こうして原始共同体は、子供や老人などの直接に生産に従事しない人員を抱えることが出来るまでに、生産力を向上させていくことになります。しかもアフリカや南米や南洋諸島等で、近年まで狩猟採取で暮らしていた部族の記録からも分かるように、原始共同体で生きた人々は、けっして現代のブラック企業で働くような長時間労働は行っていません。実際に生産に従事した時間は、せいぜい1日に数時間程度であったろうと思われます。後は道具の手入れをしたり、文化的な活動を行ったり、リラックスして思い思いに時間を過ごしていたのです。

もちろん現代人と比べれば欲望の水準が低く、原始共同体の人々は日々の生存が賄えれば良いという消費レベルにあったために、生産量が少なくても十分であったということはあります。また貪欲に所有を拡大させるという欲望もありませんでした。しかし消費を十分に賄える生産力を生み、必要な資源はいつでも必要なだけ自然から調達出来るというシステム を整えた原始共同体の人々は、生産活動のみに人生を消耗することなど無く、現代人よりもはるかに人生を自由に、マイペースで謳歌していたのです。

(3)生産プロセスにおいて作用する機能
このように本来的には生産というのは、人間の欲望を刺激し、拡大する機能を促進する活動でした。しかしその反面、生産のプロセスの中にも、欲望を抑制したり調整する機能が作用することにも留意しておかなければなりません。実際に原始共同体社会において、人間が動物の群れから飛躍して、役割分担による連携作業が行えるようになるためには、まず各人が自分の気ままな欲望や身勝手な行動を“抑制”して、一定の時間帯共同作業に従事するよう、自分を強いることが必要となってきます。

また奴隷制社会における奴隷は、自分の必要や欲望を充たすこととは無関係に労働を強いられますし、封建制の社会においても農民は、生産物の半分は年貢で持っていかれるのですから、過重な労働を強いられることになります。そして産業革命以降分業生産が高度に進展した現代社会においては、人間の労働は生産工程の一機能の繰り返しに限定されることになり、生産活動のプロセスの大部分が苦痛なものへと転化していってしまうのです。こうして時代が進むにつれて生産プロセスは、欲望を刺激する活動から、本来の人間的欲望を“抑制”して苦痛を我慢して労働する“Labor(労苦)”へと、その機能の中心を移していくことになったのです。(尤も支配層や企業家にとっては、生産活動は、自分の利益や富を増やすものなので、欲望を刺激し拡大する機能の方が大きく作用することになるのですが。)

ここで重要なことは、社会を構成する経済システムの中の生産プロセスは、欲望を充足・刺激する機能と、欲望を抑制・調整する機能の両方を作用させ、決して片方の機能だけを100%作用させるということでは無いということです。しかしそれでも本来的な生産活動を考えるならば、人間に生活資材や価値を提供する活動なので、欲望を刺激し、創造性を発揮させ、希望を膨らませていく機能の方が大きいはずです。現代はすでに機械工学や情報工学(IT)、そしてAI技術が進歩し、人間が過重労働や苦痛を強いられる労働プロセスから解放される条件は整いつつあります。パンセ通信では現代において、生産過程における欲望の刺激(面白さ)や価値創造の機能が作用する比率を出来るだけ高めることによって、本来的な欲望を促進する機能の高い生産活動を取り戻し、生産性とイノベーションを飛躍的に拡大させていくプロセスについても検討していってみたいと思います。(ちな因みに『労働』という日本語の本来の意味は、「人をいたわ労るために動く」というものです。)

4.分配のプロセスと基準
(1)分配のプロセスに必要な機能
以上前回に引き続いて、狩猟採取をなりわいとする原始共同体社会が、経済のシステムの内の生産プロセスについて、どのような社会機能を作用させるかという視点を加えて整理してみました。そこで次は分配のプロセスについてです。分配のプロセスについては、欲望を抑制・調整する社会機能がより強く作用することになります。もちろんここでも、少しでも多くの分配を得たいという思いから、欲望を刺激・拡大する機能も自然発生的に作用します。しかしそれは個人間の争いにつながり、自分たちの生存が依存する共同体を崩壊させることにもつながるので、是が非でも欲望を抑制・調整する機能を作用させ、それを制度化していかなければならないのです。近代社会においては、市場経済の発展によって、市場メカニズを通じて人間の欲望を自動調整して分配を行うという画期的な方法を編み出しましたが、それまでの社会では、分配にあたっては、人々の欲望を抑制・調整する何らかの強制力が必要だったのです。

ところで原始共同体における、生産物を分配する基準について考えてみると、次の3つを挙げることができます。第1は、共同体の構成員全員に必要な食料と生活資材を分け与えるということです。もしも十分な生産物がありながら、ある者にだけ生存に必要な最低限の分配を行わなかったとしたら、その者は生死を賭けた捨て身の抗議を行い、共同体に挑戦してその存続を脅かしかねないからです。また原始共同体においては、連携作業による生産を行っていくために人の数は貴重でしたが、一方で自然環境の制約から、人数は共同体を維持して暮らしていけるだけの規模に調整されたと思われます。それ故に、生産量と全員の生活を賄う生活資材の量がバランスし、全員に必要な生活資材を分配することも可能であったと思われます。

(2)分配の基準
分配の基準の第2は、より多く働いたり功績のあった者に対しては、報償を与えるということです。何らかの形で貢献した者に報いなければ、労働の意欲を喪失しますし、不満を募らせることにもなりかねません。しかし功績のあった者により多くの配分を与えるという顕彰方法よりも、その栄誉を称えるという方法で報いられたことと思われます。配分を多く与えるということは、分配の不公正につながる恐れがあり、共同体のちゅうたい紐帯を脅かす可能性を生じるからです。大切なことは功績のあった者を皆で認めて感謝の意を示し、本人も自分の価値が認められたと自覚して、これからも共同体のために頑張ろうと思うようになることだからです。

分配の基準の第3は、明示的であれ暗黙裡であれ分配の基準をルール化し、そのルールのもとで公正に配分を実施するということです。公正さや納得感なければいさか諍いが生じます。その公正さを担保するために一定のルールが必要で、その上で争いの当事者や共同体の構成員の全員が納得する調停を行っていかねばならないのです。

(3)分配プロセスに入り込む政治・文化のシステム
さてここで問題になってくるのが、如何にして分配の基準を守らせていくかということであり、そのために欲望を抑制・調整する機能を働かせていくかということです。そこではルールを破った場合の罰則が必要となり、さらにその罰則を執行するための強制力が必要となってくるのです。そうした機能を働かせるのが、政治のシステムなのです。また分配の基準を守る重要性に気づかせ、欲望を自主的に抑制・調整していく価値観や内面の規範を形成していく機能も必要となってきて、それが文化のシステムなのです。

このように分配のプロセスの中に政治と文化のシステムが入り込むことによって、初めて分配のプロセスは、その役割を果たせるようになってくるのです。それでは具体的にどのように政治のシステムと文化のシステムが機能して、欲望を抑制・調整し、分配のプロセスを動かしていくことが出来るのでしょうか。そのことついては、この後政治と文化のシステムを扱う時に詳しく見ていくこととしたいと思います。ここでは、経済のシステムと政治のシステムと文化のシステムが、交互に入り組んで作用することで、原始共同体を始めとした社会が機能するということを念頭に置いて頂ければ十分でしょう。

5.消費のプロセスの検討に向けて
さて今回は、社会の目的を実現するための機能と、その機能を作用させるためのシステムについて整理してみました。その上で、原始共同体における経済のシステムの内、生産と分配のプロセスとそこで作用する機能について考えてみました。次回は経済のシステムの内、消費のプロセスについて整理し、引き続いて政治と文化のシステムについて考えていってみたいと思います。

なお次回のパンセの集いの勉強会は、7月24日月曜日の18時からで、渋谷区本町の本町ホームシアターで行います。また7月31日の月曜日は、月末ですのでホームシアターサークルの活動を行い、課題映画は1975年公開のアメリカ映画「カッコーの巣の上で」(ミロス・フォアマン監督)を予定しています。お時間許す方はご参加下さい。

P.S. 現在パンセ通信は、No.142まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。

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