■2017.8.5パンセ通信No.148『社会を動かす困難さ-政治のシステムを考えるために』
皆 様 へ
1.社会の成り立ちと社会を動かす困難性
(1)社会と私たち
安倍政権が信認を失い、野党民進党も解体状況です。世界に目を向ければ盟主アメリカでトランプ大統領の迷走が続き、混迷を深めています。経済も深層では刻一刻と危機をはら孕み続け、この先どうなるのだろうと不安で一杯になるものですから、思考停止して目先の株価や企業業績に一喜一憂して日々をやり過ごしてしまう。そんな社会の状況を何とかしたいと思うのですけれど、社会はあまりにも巨大かつ複雑で、個人が選挙で1票を投じたところでどうにもなりません。だから社会とは別に私たちは、自分の生活を守り、楽しみを個人的に見つけていかなければならない。- 私たちは日々の実感としては、そのように考えてしまうことが多いかもしれません。これが中国やロシアや戦前の日本などのような国家主権の独裁制社会になると、さらに個人が生活に引き籠って社会と関わらずに居ることもままならず、強大な国家建設の担い手たることが優先されて、もはや人間は国家や社会のために生きる存在と見なされることになり、社会に個人の意思を反映するどころでは無くなってしまうのです。
しかし社会をつくっているのは私たちで、社会が私たち一人一人の集合体であることは間違いの無いことです。そうだとするなら社会は、社会や国家の意思では無く、私たち一人一人の欲望や意思が集積した集合的意思によって成り立ち、普段はそうした集合意思が無意識化した力によって動いていると考えることの方が妥当なはずです。それなのに社会は遠い存在で、とても私たちの意思が反映できるようには思えません。ましてや都会の住民の場合には、日本国民であるという意識はあっても、自分が住む地域社会というのはいったいどこまでの範囲のことなのであり、自分がその地域社会に属しているという意識さえも希薄なのです。(地方の町や村に暮らしている場合には、自分が属する地域コミュニティーの利害に対する意識はもっと明確で、地域の発展のためにという思いも感じやすいのでしょうが)。
(2)縁遠く感じられる社会
このように社会は私たちによってつくられているのに、縁遠い存在に思えてしまいます。失業や介護や子育てなど様々な生活の不安と不満が渦巻いているのに、私たちはただ政治家が悪いと思い、自分で責任をもって社会の仕組みに影響力を及ぼそうとはなかなか思わないものです。そして一人で悪戦苦闘するか、悶々として時を過ごすかで、結局は運を頼りに自助努力で苦境を脱しいくしか無いと思ってしまうのです。しかし社会が私たちによってつくられ、私たちの集合意識によって動いているとするなら、私たちは自助努力と併せて社会に自分の意思を反映させて、社会の仕組みを変えていくという選択肢も持ち得るはずです。そして自助努力と社会の仕組みを改良する努力とを併せて、自分たちの幸福を増していくことが出来るはずなのです。
それなのに、社会に自分の意思を及ぼしていこうとする努力を断念させるものは、いったい何なのでしょうか。そしてどうすれば自分の意思と、社会の集合意思を結びつけて、他人事では無く自分の努力で社会を良い方向へと変えていくことが出来るのでしょうか。その条件を明らかにするために、パンセ通信では、最も原初的なところにまでさかのぼ遡って社会の仕組みを明らかにする試みを続けております。これまでに狩猟採取の原始共同体について、その経済のシステムを明らかにしてきました。今回はこれから政治のシステムとその原理について検討していくにあたっての、考え方の整理を一旦行ってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、8月7日月曜日の18時から行います。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターです。また8月14日の月曜日は、お盆ですのでパンセの集いはお休みとさせて頂きます。
2.社会に意思を反映させていくために
(1)社会に影響を及ぼせない理由
社会が私たちの意思の及ばぬものとして感じられてしまう原因には、3つほどのことが考えられるでしょう。1つは私たちが、社会に影響力を及ぶすためには、政治家になるか、大企業の経営者になるか、優れた言論人等になる必要があると思っているからです。これは確かにその通りで、現状では庶民が、自分の意思をダイレクトに社会に反映させる仕組みはありません。しかも社会的有力者になれる確率は極めて低く、結果として私たちは、政治家や有力者に依頼するか、賛同できる政党に一票を投じるかしか、社会に意思を及ぼす方法が無いのです。ところが政治家や有力者に依頼するためには、コネが必要ですし相応の謝礼も求められ、コストを負担できる者にしか利用ができません。賛同できる政党に投票しようにも、どの政党の政策も似たり寄ったりで、本当の自分の思いを代弁してくれる政策が見当たりません。その結果結局私たちには、社会に自分の意思を及ぼすすべ術が無いように感じられてしまうのです。
こうしたもどかしさが、日本では政治家の不公正な利益供与への批判へと向かい、工場の海外移転等で直接的に雇用を奪われる危機に見舞われるアメリカでは、トランプ大統領の支持へと向かい、難民問題に更なる負担を強いられるヨーロッパでは、ポピュリズ政党の台頭へと向かってしまうのです。
社会に意思を及ぼせない原因の2つ目は、同じ不満や不利益を抱える者が集まって声をあげても、財政赤字等を理由に不満解消の困難さを指摘され、それでも強く求めると、かえ却って身勝手な行為とひんしゅく顰蹙を買うこともあって、安易に声を上げて要求することもままならなくなっているからです。もし自分たちの不利益を本当に解消したいなら、全体の利害を配慮してみんながWin-Winになる提案を迫られるのですが、情報も政治的調整力もない私たちに、そのようなことはかな叶いません。政治家や官僚であっても現状ではそんな提案は不可能なのですから、その結果私たちは、ニーズはあってもそれを押し殺して我慢するか、もはや口に出すこともあきら諦めて、希望を持てずに無力感にさいな苛まれていくしか無くなってしまうのです。
(2)私たちのニーズを不明瞭にするもの
社会に意思を及ぼせなく感じられる3つ目の理由は、そもそも自分の意思が何なのか、はっきり分からなくなってしまっているからです。もちろん私たちは日々の生活の中で様々な断片的なニーズを感じますが、上記のような理由もあって、それを取りまとめて体系化して、社会全体のニーズとしていくすべ術を持てないままでいます。それ故に自分の断片的・瞬間的ニーズが如何に切実なものであっても、それをうまく整理してまとめることが出来ず、いつしかあいまい曖昧になって希薄化していってしまうのです。そのようになってしまう理由の1つは、社会全体の将来ビジョンが混迷してしまっているからでしょう。これから進むべき方向がはっきりしていれば、その方向に沿って自分のニーズを取りまと纏め、また他の人のニーズも調整しつつ組み合わせて、1つの大きな要求としていくことも可能なのですけれど。
自分の意思があいまい曖昧になってしまう2つ目の理由は、社会の制度が旧来のままで、新しい需要に対応出来ていないことがあります。例えば私たちが何かニーズを感じた時、地域社会の中で同じような必要を感じている人たちがどのぐらい居て、また利害の対立が想定される人たちの情報も容易に入手出来るなら、私たちはもっと効率良くニーズを整理出来て、意思もはっきりとしてきます。さらに行政の陳情窓口や予算配分等の行政機構の情報も、ネット等で分かり易く公開されていたなら、私たちは要求を実現するための対応も考え易くなるでしょう。その上で私たちのニーズが社会的に意味があり、効果の期待できるものと認められるなら、それを実現する支援も受けられるような体制がある時、私たちは自分たちの意思が社会に反映出来るという実感をもっと容易に持つことが出来るでしょう。例えば小さな商売を始めるにしても、公開情報をもとに地域のニーズを確かに把握してそれに応えるなら、失敗も少なく、社会的投資効率も向上することでしょう。しかしながら現在の社会の制度はそれとは程遠く、情報公開さえままならない状態となっています。こうした制度のミスマッチは、今日本中のあらゆる分野で生じています。例えばかつて世界を制覇した日本の電機メーカーが、製造と販売と財務には優れた組織があったのに、市場ニーズへの対応と働き方の効率化に対する専門的部署を持たなかったが故に、今や競争力を失い、経営破綻にさえ見舞われる状況に陥っているのです。
(3)社会を基本から考え直す必要
私たちが自分を生かして生きていくためには、社会を縁遠いものとは思わずに、自助努力と併せて社会に自分の意思を反映させていくことも必要となってきます。そのためには今見てきたように、社会の進むべき方向をはっきさせて合意形成を図り、社会に自分の意思が届く仕組みをつくり、社会の制度も新しいニーズに対応し実現を調整・支援していけるものへと変えていかなければなりません。そうしたことが行えるために、もう1度社会の成り立ちにまでさかのぼ遡ってその基本構造を理解し、重要な原理を取り出して、その原理と比べることで現代の問題点を明らかにしていくことが必要になってきます。問題点がはっきりしてくれば、これからの社会のビジョンも見えてきますし、そのビジョンを実現するための社会の制度を検討し、さらにそのように制度を組み替えていくためのプロセスも考えていくことが出来るのです。
そのためにパンセ通信では、人間が動物的な群れから飛躍して人間的社会を生み出していった経緯を考え、また最も原初的な社会である原始共同体を対象として、社会の最も基本的な構造と原理を取り出す作業を行っています。そして今後しばらく、その社会の基本構造が現在に至るまでどのように変質してきたのか、そして今社会の構造が、基本原理を充たす上でどのような矛盾を抱えているのかを明らかにする作業を続けていきたいと思います。これはまどろこしい作業ですが、このまどろこしい作業を経るのでなければ、現代の本質的な問題に対応していくことは出来ません。そうでなければ結局表面的な取り繕いだけで問題を先送りして矛盾を深めるか、時々の社会の気分に迎合して世論をた焚きつけるポピュリズムに堕するか、独善的な(左右および宗教的)原理主義に自分を閉ざして、他者排斥によってかろうじて自己価値を保つしか無くなってしまうのです。(他者排斥は相互排斥につながり、そこから生まれるのは実力によって他者を屈服させることであって、勝者が敗者を隷属させるまでこの戦いは続き、社会は一旦解体することになります。)
3.社会の機能と仕組み
(1)社会の成立
さてこれまでのパンセ通信で見てきたように、生物は自分の生存の可能性を高めていくために、ある者は自分の身体能力を高めることで個体として生き、またある者は群れをつくることで、捕食生物からの防衛や生殖の可能性を高める選択を行ってきました。人間は群れをつくることを選択した生物の一種ですが、他の生物と大きく異なるのは、群れをつくる各人が役割を分担して連携による作業を行い、食料や生活資材を採取するようになったことです。このことによって人間は、群れの防衛力を高め、生産性を高め、より安全で豊かに暮らすことが出来るようになったのです。こうして人間の群れは、それぞれが食物を採取して消費する動物的な群れから、協働共生体へと飛躍し、その中で相互依存と相互支援の関係を密接に高めて、その関係性の中でのみ人間は生きる存在となって社会が成立していったのです。
また役割分担と連携作業の中で、人間はまず自分と他者を区別し、次いで相互の思いと行動を想定する必要から、自己意識を明確化し、さらに他者の意識を配慮する能力を高めていったのです。この結果人間の欲望は、単に身体的な生存の可能性を高めることに留まらず、明確な自己意識から芽生えてくることなる、関係性の中での自己価値(自己の存在感・存在意義)を確認したり高めたりする欲望へと変位していくことになるのです。
(2)社会の目的と機能
こうして社会は、自分の生存の可能性を拡大し、また自分の存在価値を確認して発揮することを求めるようになった個々人が、多様な相互依存と相互支援の関係を結ぶことによって構成されるようになってきます。その結果社会の目的は、それぞれに生存の可能性を拡大し、自己価値を発揮しようとする個々人の、そうした欲望の集合値を充たすこととなってくるのです。もしその目的を充たすことが出来なければ、社会は存在する意味を失って解体することになります。そうならないために社会は、次の2つの機能を持たなければなりません。1つは人間の欲望を充足し、その欲望を押し広げていく機能です。そしてもう1つは、各人の欲望はそのままでは互いにぶつかり合いますから、それぞれの欲望を抑制しまた調整する機能が必要となってくるのです。
またこの2つの機能を作用させるために、社会は経済、政治、文化のシステム、そして個人の生活や自由な活動に関わる領域という4つのシステムを生み出してきました。その経緯を、これまで原始共同体という原初的な社会構造を対象として見てきたのです。そしてここ3~4回は、特に経済のシステムに焦点を当てて、その生産・分配・消費のプロセスについて考えてきました。
4.効率的に機能した経済のシステム
(1)原始共同体における消費と生産のプロセス
経済のシステムは、人間の生活に必要な物資を供給するためのもので、生産・分配・消費のプロセスから構成され、人間の生存の欲望を充たします。そして原始共同体において経済は、比較的矛盾の少ない形でシステムが機能していくのです。さて原始共同体社会の人々にとって、最も大切なことは消費です。消費による効能を堪能するために、必要な食料や資材を調達するものとして生産のプロセスがあり、またその資材の分配のプロセスがあるというように意識されていたのです。また自然界から、いつでも必要な量の資材が調達出来るという信頼があったので、所有は最低限のもので十分であり、また過剰な消費を求めませんでした。現代のように競争に勝利することが価値となる社会ではありませんから、優越性を競うために消費を行う必要は無く、自分にとって本当に必要な効用を得られれば十分だったのです。
このために原始共同体においては、消費の規模が小さくても、人々は十分に満足を得ることが出来ました。その結果生産の規模も小さなもので済み、当時の社会では生産力が消費量に勝るという生産プロセスを達成することが出来たのです。そして必要な量だけを随時生産するということも可能となったのです。こうして原始共同体では生産に携わる時間が比較的短くて済むようになり、労働のプロセスは決して苦痛なものでは無かったのです。それはある意味当然で、自分が消費する収穫物を思い描いて働くのですから、期待が高まり、欲望を刺激して高揚させるプロセスでもあったのです。
(2)分配のプロセス
過剰な消費や貪欲な所有を行わず、しかし自分にとっての効用を本当に充たせる消費が行えるという信頼は、分配のプロセスにおいても効果的な影響を及ぼします。分配というのは、生産された生活資材を一定のルールをもって公正に配分するプロセスですが、人々が貪欲に走って自分の取り分を争わないように、欲望を抑制し調整する機能が必要となってきます。原始共同体においてはこのプロセスが、自分の取り分を巡って互いにいがみ合うようなストレスが少なく、妥当感をもって受け入れられたのです。分配のプロセスがストレス少なく機能したのは、必要な生活資材の供給に不安が無かったことと合わせて、共同体の規模が小さかったことも影響していると思われます。一人一人の人員は貴重で、誰もおろそ疎かにすることは出来ないという意識を持つことが出来ました。また共同体は、協働することで生活資材を得ることの出来る仕組みなので、共同体自体を自分の生存に不可欠な存在として意識することも出来たのです。
この結果人間は一人一人貴重で、共同体は資産であるという思いが自然に生まれ、誰一人の利益を損なうことなく同時に共同体を維持する必要があるという思いを、共通の了解事項とすることが出来たのです。また必要な生活資材の供給に対する不安の無さが、分配のルールを守ることで決して自分が不利益を被らないという信頼感を生み出していったのです。この結果人々は、分配のルールを守るために自分の欲望を抑制・調整しても、ストレスを感じることが少なくて済むようになったのです。
5.政治のシステム
さて以上のように原始共同体においては、経済のシステムは人間の必要と欲望を充たし、また分配のプロセスにおいては欲望を抑制・調整することに、比較的効果の高い機能を発揮していました。それでは政治のシステムはどうでしょうか。政治というのは共同体(社会)の目的(個々人の目的の集合値)に沿って共同体を統合し、共同体の指針を定め、そこに向けて全体を動かしていく機能です。そのために政治は、なんらかの形で共同体の成員の合意を取り付け、また合意を受け入れずに反発する者やルールを犯す者に対して強制力を持って従わせる必要が生じてきます。この強制力は、基本的には実力(武力)によって担保されなければなりません。そして実力によって担保された強制力は、共同体を構成する成員が自分で実力を行使することを放棄し、武力を統治者に委ねて集中し、統治者(政府)のみが圧倒的な実力(権力)を保有することを合意することで生まれてくるのです。政治はこの強制力(権力)があって始めて人々の欲望を抑制・調整して社会を統合し、全体の指針を定め、そこに向けて全体を動かしていくことが出来るようになるのです。
この実力(武力)に裏打ちされた強制力のことを権力と言います。このように権力の確立という観点から見れば、本格的に政治のシステムが機能し始めるのは、農耕牧畜が主要な産業となる、次の時代の古代国家の成立以降のこととなります。それでも原始共同体においても、共同体を維持するために、経済における分配のルールを始めとして様々なルールや掟は必要で、それらを守らせるための強制力は必要となってきます。それでは原始共同体において、政治のシステムはどのように機能していたのでしょうか。そのことを次回に見ていき、政治の仕組みの最も原初的な形態から原理を明らかにしていってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、8月7日月曜日の18時から行います。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターです。お時間許す方はご参加下さい。また8月14日の月曜日は、お盆ですのでパンセの集いはお休みと致します。
P.S. 現在パンセ通信は、No.146まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。
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1.社会の成り立ちと社会を動かす困難性
(1)社会と私たち
安倍政権が信認を失い、野党民進党も解体状況です。世界に目を向ければ盟主アメリカでトランプ大統領の迷走が続き、混迷を深めています。経済も深層では刻一刻と危機をはら孕み続け、この先どうなるのだろうと不安で一杯になるものですから、思考停止して目先の株価や企業業績に一喜一憂して日々をやり過ごしてしまう。そんな社会の状況を何とかしたいと思うのですけれど、社会はあまりにも巨大かつ複雑で、個人が選挙で1票を投じたところでどうにもなりません。だから社会とは別に私たちは、自分の生活を守り、楽しみを個人的に見つけていかなければならない。- 私たちは日々の実感としては、そのように考えてしまうことが多いかもしれません。これが中国やロシアや戦前の日本などのような国家主権の独裁制社会になると、さらに個人が生活に引き籠って社会と関わらずに居ることもままならず、強大な国家建設の担い手たることが優先されて、もはや人間は国家や社会のために生きる存在と見なされることになり、社会に個人の意思を反映するどころでは無くなってしまうのです。
しかし社会をつくっているのは私たちで、社会が私たち一人一人の集合体であることは間違いの無いことです。そうだとするなら社会は、社会や国家の意思では無く、私たち一人一人の欲望や意思が集積した集合的意思によって成り立ち、普段はそうした集合意思が無意識化した力によって動いていると考えることの方が妥当なはずです。それなのに社会は遠い存在で、とても私たちの意思が反映できるようには思えません。ましてや都会の住民の場合には、日本国民であるという意識はあっても、自分が住む地域社会というのはいったいどこまでの範囲のことなのであり、自分がその地域社会に属しているという意識さえも希薄なのです。(地方の町や村に暮らしている場合には、自分が属する地域コミュニティーの利害に対する意識はもっと明確で、地域の発展のためにという思いも感じやすいのでしょうが)。
(2)縁遠く感じられる社会
このように社会は私たちによってつくられているのに、縁遠い存在に思えてしまいます。失業や介護や子育てなど様々な生活の不安と不満が渦巻いているのに、私たちはただ政治家が悪いと思い、自分で責任をもって社会の仕組みに影響力を及ぼそうとはなかなか思わないものです。そして一人で悪戦苦闘するか、悶々として時を過ごすかで、結局は運を頼りに自助努力で苦境を脱しいくしか無いと思ってしまうのです。しかし社会が私たちによってつくられ、私たちの集合意識によって動いているとするなら、私たちは自助努力と併せて社会に自分の意思を反映させて、社会の仕組みを変えていくという選択肢も持ち得るはずです。そして自助努力と社会の仕組みを改良する努力とを併せて、自分たちの幸福を増していくことが出来るはずなのです。
それなのに、社会に自分の意思を及ぼしていこうとする努力を断念させるものは、いったい何なのでしょうか。そしてどうすれば自分の意思と、社会の集合意思を結びつけて、他人事では無く自分の努力で社会を良い方向へと変えていくことが出来るのでしょうか。その条件を明らかにするために、パンセ通信では、最も原初的なところにまでさかのぼ遡って社会の仕組みを明らかにする試みを続けております。これまでに狩猟採取の原始共同体について、その経済のシステムを明らかにしてきました。今回はこれから政治のシステムとその原理について検討していくにあたっての、考え方の整理を一旦行ってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、8月7日月曜日の18時から行います。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターです。また8月14日の月曜日は、お盆ですのでパンセの集いはお休みとさせて頂きます。
2.社会に意思を反映させていくために
(1)社会に影響を及ぼせない理由
社会が私たちの意思の及ばぬものとして感じられてしまう原因には、3つほどのことが考えられるでしょう。1つは私たちが、社会に影響力を及ぶすためには、政治家になるか、大企業の経営者になるか、優れた言論人等になる必要があると思っているからです。これは確かにその通りで、現状では庶民が、自分の意思をダイレクトに社会に反映させる仕組みはありません。しかも社会的有力者になれる確率は極めて低く、結果として私たちは、政治家や有力者に依頼するか、賛同できる政党に一票を投じるかしか、社会に意思を及ぼす方法が無いのです。ところが政治家や有力者に依頼するためには、コネが必要ですし相応の謝礼も求められ、コストを負担できる者にしか利用ができません。賛同できる政党に投票しようにも、どの政党の政策も似たり寄ったりで、本当の自分の思いを代弁してくれる政策が見当たりません。その結果結局私たちには、社会に自分の意思を及ぼすすべ術が無いように感じられてしまうのです。
こうしたもどかしさが、日本では政治家の不公正な利益供与への批判へと向かい、工場の海外移転等で直接的に雇用を奪われる危機に見舞われるアメリカでは、トランプ大統領の支持へと向かい、難民問題に更なる負担を強いられるヨーロッパでは、ポピュリズ政党の台頭へと向かってしまうのです。
社会に意思を及ぼせない原因の2つ目は、同じ不満や不利益を抱える者が集まって声をあげても、財政赤字等を理由に不満解消の困難さを指摘され、それでも強く求めると、かえ却って身勝手な行為とひんしゅく顰蹙を買うこともあって、安易に声を上げて要求することもままならなくなっているからです。もし自分たちの不利益を本当に解消したいなら、全体の利害を配慮してみんながWin-Winになる提案を迫られるのですが、情報も政治的調整力もない私たちに、そのようなことはかな叶いません。政治家や官僚であっても現状ではそんな提案は不可能なのですから、その結果私たちは、ニーズはあってもそれを押し殺して我慢するか、もはや口に出すこともあきら諦めて、希望を持てずに無力感にさいな苛まれていくしか無くなってしまうのです。
(2)私たちのニーズを不明瞭にするもの
社会に意思を及ぼせなく感じられる3つ目の理由は、そもそも自分の意思が何なのか、はっきり分からなくなってしまっているからです。もちろん私たちは日々の生活の中で様々な断片的なニーズを感じますが、上記のような理由もあって、それを取りまとめて体系化して、社会全体のニーズとしていくすべ術を持てないままでいます。それ故に自分の断片的・瞬間的ニーズが如何に切実なものであっても、それをうまく整理してまとめることが出来ず、いつしかあいまい曖昧になって希薄化していってしまうのです。そのようになってしまう理由の1つは、社会全体の将来ビジョンが混迷してしまっているからでしょう。これから進むべき方向がはっきりしていれば、その方向に沿って自分のニーズを取りまと纏め、また他の人のニーズも調整しつつ組み合わせて、1つの大きな要求としていくことも可能なのですけれど。
自分の意思があいまい曖昧になってしまう2つ目の理由は、社会の制度が旧来のままで、新しい需要に対応出来ていないことがあります。例えば私たちが何かニーズを感じた時、地域社会の中で同じような必要を感じている人たちがどのぐらい居て、また利害の対立が想定される人たちの情報も容易に入手出来るなら、私たちはもっと効率良くニーズを整理出来て、意思もはっきりとしてきます。さらに行政の陳情窓口や予算配分等の行政機構の情報も、ネット等で分かり易く公開されていたなら、私たちは要求を実現するための対応も考え易くなるでしょう。その上で私たちのニーズが社会的に意味があり、効果の期待できるものと認められるなら、それを実現する支援も受けられるような体制がある時、私たちは自分たちの意思が社会に反映出来るという実感をもっと容易に持つことが出来るでしょう。例えば小さな商売を始めるにしても、公開情報をもとに地域のニーズを確かに把握してそれに応えるなら、失敗も少なく、社会的投資効率も向上することでしょう。しかしながら現在の社会の制度はそれとは程遠く、情報公開さえままならない状態となっています。こうした制度のミスマッチは、今日本中のあらゆる分野で生じています。例えばかつて世界を制覇した日本の電機メーカーが、製造と販売と財務には優れた組織があったのに、市場ニーズへの対応と働き方の効率化に対する専門的部署を持たなかったが故に、今や競争力を失い、経営破綻にさえ見舞われる状況に陥っているのです。
(3)社会を基本から考え直す必要
私たちが自分を生かして生きていくためには、社会を縁遠いものとは思わずに、自助努力と併せて社会に自分の意思を反映させていくことも必要となってきます。そのためには今見てきたように、社会の進むべき方向をはっきさせて合意形成を図り、社会に自分の意思が届く仕組みをつくり、社会の制度も新しいニーズに対応し実現を調整・支援していけるものへと変えていかなければなりません。そうしたことが行えるために、もう1度社会の成り立ちにまでさかのぼ遡ってその基本構造を理解し、重要な原理を取り出して、その原理と比べることで現代の問題点を明らかにしていくことが必要になってきます。問題点がはっきりしてくれば、これからの社会のビジョンも見えてきますし、そのビジョンを実現するための社会の制度を検討し、さらにそのように制度を組み替えていくためのプロセスも考えていくことが出来るのです。
そのためにパンセ通信では、人間が動物的な群れから飛躍して人間的社会を生み出していった経緯を考え、また最も原初的な社会である原始共同体を対象として、社会の最も基本的な構造と原理を取り出す作業を行っています。そして今後しばらく、その社会の基本構造が現在に至るまでどのように変質してきたのか、そして今社会の構造が、基本原理を充たす上でどのような矛盾を抱えているのかを明らかにする作業を続けていきたいと思います。これはまどろこしい作業ですが、このまどろこしい作業を経るのでなければ、現代の本質的な問題に対応していくことは出来ません。そうでなければ結局表面的な取り繕いだけで問題を先送りして矛盾を深めるか、時々の社会の気分に迎合して世論をた焚きつけるポピュリズムに堕するか、独善的な(左右および宗教的)原理主義に自分を閉ざして、他者排斥によってかろうじて自己価値を保つしか無くなってしまうのです。(他者排斥は相互排斥につながり、そこから生まれるのは実力によって他者を屈服させることであって、勝者が敗者を隷属させるまでこの戦いは続き、社会は一旦解体することになります。)
3.社会の機能と仕組み
(1)社会の成立
さてこれまでのパンセ通信で見てきたように、生物は自分の生存の可能性を高めていくために、ある者は自分の身体能力を高めることで個体として生き、またある者は群れをつくることで、捕食生物からの防衛や生殖の可能性を高める選択を行ってきました。人間は群れをつくることを選択した生物の一種ですが、他の生物と大きく異なるのは、群れをつくる各人が役割を分担して連携による作業を行い、食料や生活資材を採取するようになったことです。このことによって人間は、群れの防衛力を高め、生産性を高め、より安全で豊かに暮らすことが出来るようになったのです。こうして人間の群れは、それぞれが食物を採取して消費する動物的な群れから、協働共生体へと飛躍し、その中で相互依存と相互支援の関係を密接に高めて、その関係性の中でのみ人間は生きる存在となって社会が成立していったのです。
また役割分担と連携作業の中で、人間はまず自分と他者を区別し、次いで相互の思いと行動を想定する必要から、自己意識を明確化し、さらに他者の意識を配慮する能力を高めていったのです。この結果人間の欲望は、単に身体的な生存の可能性を高めることに留まらず、明確な自己意識から芽生えてくることなる、関係性の中での自己価値(自己の存在感・存在意義)を確認したり高めたりする欲望へと変位していくことになるのです。
(2)社会の目的と機能
こうして社会は、自分の生存の可能性を拡大し、また自分の存在価値を確認して発揮することを求めるようになった個々人が、多様な相互依存と相互支援の関係を結ぶことによって構成されるようになってきます。その結果社会の目的は、それぞれに生存の可能性を拡大し、自己価値を発揮しようとする個々人の、そうした欲望の集合値を充たすこととなってくるのです。もしその目的を充たすことが出来なければ、社会は存在する意味を失って解体することになります。そうならないために社会は、次の2つの機能を持たなければなりません。1つは人間の欲望を充足し、その欲望を押し広げていく機能です。そしてもう1つは、各人の欲望はそのままでは互いにぶつかり合いますから、それぞれの欲望を抑制しまた調整する機能が必要となってくるのです。
またこの2つの機能を作用させるために、社会は経済、政治、文化のシステム、そして個人の生活や自由な活動に関わる領域という4つのシステムを生み出してきました。その経緯を、これまで原始共同体という原初的な社会構造を対象として見てきたのです。そしてここ3~4回は、特に経済のシステムに焦点を当てて、その生産・分配・消費のプロセスについて考えてきました。
4.効率的に機能した経済のシステム
(1)原始共同体における消費と生産のプロセス
経済のシステムは、人間の生活に必要な物資を供給するためのもので、生産・分配・消費のプロセスから構成され、人間の生存の欲望を充たします。そして原始共同体において経済は、比較的矛盾の少ない形でシステムが機能していくのです。さて原始共同体社会の人々にとって、最も大切なことは消費です。消費による効能を堪能するために、必要な食料や資材を調達するものとして生産のプロセスがあり、またその資材の分配のプロセスがあるというように意識されていたのです。また自然界から、いつでも必要な量の資材が調達出来るという信頼があったので、所有は最低限のもので十分であり、また過剰な消費を求めませんでした。現代のように競争に勝利することが価値となる社会ではありませんから、優越性を競うために消費を行う必要は無く、自分にとって本当に必要な効用を得られれば十分だったのです。
このために原始共同体においては、消費の規模が小さくても、人々は十分に満足を得ることが出来ました。その結果生産の規模も小さなもので済み、当時の社会では生産力が消費量に勝るという生産プロセスを達成することが出来たのです。そして必要な量だけを随時生産するということも可能となったのです。こうして原始共同体では生産に携わる時間が比較的短くて済むようになり、労働のプロセスは決して苦痛なものでは無かったのです。それはある意味当然で、自分が消費する収穫物を思い描いて働くのですから、期待が高まり、欲望を刺激して高揚させるプロセスでもあったのです。
(2)分配のプロセス
過剰な消費や貪欲な所有を行わず、しかし自分にとっての効用を本当に充たせる消費が行えるという信頼は、分配のプロセスにおいても効果的な影響を及ぼします。分配というのは、生産された生活資材を一定のルールをもって公正に配分するプロセスですが、人々が貪欲に走って自分の取り分を争わないように、欲望を抑制し調整する機能が必要となってきます。原始共同体においてはこのプロセスが、自分の取り分を巡って互いにいがみ合うようなストレスが少なく、妥当感をもって受け入れられたのです。分配のプロセスがストレス少なく機能したのは、必要な生活資材の供給に不安が無かったことと合わせて、共同体の規模が小さかったことも影響していると思われます。一人一人の人員は貴重で、誰もおろそ疎かにすることは出来ないという意識を持つことが出来ました。また共同体は、協働することで生活資材を得ることの出来る仕組みなので、共同体自体を自分の生存に不可欠な存在として意識することも出来たのです。
この結果人間は一人一人貴重で、共同体は資産であるという思いが自然に生まれ、誰一人の利益を損なうことなく同時に共同体を維持する必要があるという思いを、共通の了解事項とすることが出来たのです。また必要な生活資材の供給に対する不安の無さが、分配のルールを守ることで決して自分が不利益を被らないという信頼感を生み出していったのです。この結果人々は、分配のルールを守るために自分の欲望を抑制・調整しても、ストレスを感じることが少なくて済むようになったのです。
5.政治のシステム
さて以上のように原始共同体においては、経済のシステムは人間の必要と欲望を充たし、また分配のプロセスにおいては欲望を抑制・調整することに、比較的効果の高い機能を発揮していました。それでは政治のシステムはどうでしょうか。政治というのは共同体(社会)の目的(個々人の目的の集合値)に沿って共同体を統合し、共同体の指針を定め、そこに向けて全体を動かしていく機能です。そのために政治は、なんらかの形で共同体の成員の合意を取り付け、また合意を受け入れずに反発する者やルールを犯す者に対して強制力を持って従わせる必要が生じてきます。この強制力は、基本的には実力(武力)によって担保されなければなりません。そして実力によって担保された強制力は、共同体を構成する成員が自分で実力を行使することを放棄し、武力を統治者に委ねて集中し、統治者(政府)のみが圧倒的な実力(権力)を保有することを合意することで生まれてくるのです。政治はこの強制力(権力)があって始めて人々の欲望を抑制・調整して社会を統合し、全体の指針を定め、そこに向けて全体を動かしていくことが出来るようになるのです。
この実力(武力)に裏打ちされた強制力のことを権力と言います。このように権力の確立という観点から見れば、本格的に政治のシステムが機能し始めるのは、農耕牧畜が主要な産業となる、次の時代の古代国家の成立以降のこととなります。それでも原始共同体においても、共同体を維持するために、経済における分配のルールを始めとして様々なルールや掟は必要で、それらを守らせるための強制力は必要となってきます。それでは原始共同体において、政治のシステムはどのように機能していたのでしょうか。そのことを次回に見ていき、政治の仕組みの最も原初的な形態から原理を明らかにしていってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、8月7日月曜日の18時から行います。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターです。お時間許す方はご参加下さい。また8月14日の月曜日は、お盆ですのでパンセの集いはお休みと致します。
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