■2017.8.26パンセ通信No.151『 原始共同体における政治システムと社会目的の意識化』
皆 様 へ
1.社会の原理とこれからのビジョンを考えるために
(1)自己価値を求める人間の欲望
人間の欲望は、動物の欲望とは異なります。動物のように身体由来の欲求によって、エサのような具体的な対象物を求めて、それを得てしまえば充足して解消してしまうようなものではありません。人と人との関係性の中で、お互いの存在を求めあって、誰かに自分の意義が認められることで初めて自分の価値を確認出来るのが、人間の存在のありよう様です。それ故に人間の欲望は、身体由来の欲求から、自己価値の確認と発揮を求めて、他の人の承認を得ようとする欲望へと変質していきます。この欲望は具体物を得て解消するようなものではなく、人と人との求め合いが織り成して無限に展開していく幻想的なもので、自己価値の実現を求めてどこまでも自由に展開していくものとなるのです。
もちろん人間にも、自分の身体的生存を求める欲望は根底的なものとしてありますが、それすらも単に生理的なものではなく、関係性の中で自分の尊厳を気遣う思いが、身体欲求を転換して自己価値を求める欲望へと変様させていくのです。このように人間は自己価値の実現を求めて、他者の承認を得るために互いに求め合って関係を切り結ぶことで、社会を形成していくのです。
(2)関係の総体としての社会
このように社会というのは、人間が自分の身体的生存も含めた生存条件の維持向上と、自己価値(人間的存在価値)の発揮を求めて(目的として)、多くの人間が依存・支援し合いながら様々の関係を切り結んで形成していく、集団の関係の総体のシステムなのです。もちろん私たちがこうした関係性の欲望 - つまり自分の生存と自己価値実現の欲望を充たして生きていこうとする時、様々な関係性の次元で葛藤に苦しみながら生きていくことになります。まずは家族を始めとした身近な人間関係の次元で、そして会社やサークルなどでの目的を同じくした組織での人間関係の次元で、そして何よりも自らの感情をぎょ御しきれない自分自身との関係の次元においてです。
社会というのは、こうした様々な関係性の次元をすべて包摂し、そこで織り成される無数の欲望が、その実現を求めて時に他を圧し、時に挫折し、時に葛藤の中にたたず佇みながら展開されていく場なのです。その社会の仕組みについて引き続き考えを進め、また身近な人間関係や組織での人間関係のあり方、そして自分自身との関わり方やぎょ御し方の原理についても整理し、これからの時代の私たちの生き方、社会のあり方についての検討を進めていってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、8月28日月曜日の18時から行います。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターを会場とし、月末ですのでホームシアターサ-クルの活動を実施致します。課題映画は私どもフィルム・クレッセントの製作映画で、山口巧監督の「ちぎれ雲~いつか老人介護」(1999年)を予定しています。介護保険制度の成立以前につくられた映画ですが、老人介護に関する本質的な問題を軽快なドラマで提起し、現在もDVDが売れ続けている良質な作品です。
2.政治原理と社会の目的を意識化することの意義
(1)政治のプロセスと本質機能
さて社会の仕組みを考えるにあたって、これまで経済、政治、文化、個人的な生活の場という4つの領域を括り出し、まずは原始共同体社会を対象として、それぞれの領域のシステムのあり方について検討を進めてきました。現在までに経済のシステムについて整理し、前回よりは政治のシステムについて考えを進めています。ところで政治のシステムを原理的(誰もが納得できるような捉え方)に整理してみると、次の3つのプロセスのあることが分かってきます。第1に社会の目的を実現するためにルールや方針を設定し、第2にそのルールや方針に基づいて(目的実現のための)ゲームを展開し、第3にルールを順守させるために罰則を与えることで、社会を維持するというプロセスです。
さらに政治の最も本質的な機能について考えてみるなら、それはこのルールや方針をつくり、ゲームを展開し、ルールを守らせるために罰則を与えるというプロセスを、社会の構成員の合意に基づく強制力(権力)を背景として遂行できるようにするということです。政治とは、この合意と強制力を背景として、社会をその目的の達成に向けて動かしていくシステムのことなのです。
(2)原始共同体社会の目的とその後の変遷
前回は狩猟採取を経済の基盤とする原始共同体社会について、その特徴を整理しましたが、今回はこの社会の目的を整理するところから始めたいと思います。その目的を要約すると次のようになります。「自然の実りとの均衡状態のもとで、共同体の規模を維持するということ。その経済的安定のもとで、共同体内の人々の生存を維持し、欲望を充たし、極力不満や葛藤を少なくして平穏に暮らせるようにしていくこと。これにより恒常的(現状を維持しつつ)に継続する社会を実現していくこと」
社会の目的というのは、社会が構造的に転換する歴史的画期には、社会を構成する人間がその目的と方向性の決定に関与するということもあるかもしれませんが、関与できたとしても表層の一部にしか過ぎないでしょう。一般的には社会がその置かれた状況の中で、人間が生きて欲望を充たす無数の行動の集積の内に、最も必然的な形態を集合的無意識として選び取ることによって決まってきます。従ってその目的は明確には意識化されず、無意識的に共有されるものとなってくるのです。しかし1つの社会を、歴史的地理的に離れた他の異なる文明の社会と比較することで、その社会の目的を明らかにすることは可能です。原始共同体においては、自然からの産物の範囲で満足を増して、平穏に社会を維持することが目的となりましたが、農耕牧畜が始まって余剰生産物(富)が生み出されるようになると、社会の目的は一変します。余剰物(富)の所有を巡って、共同体の内部でも共同体間でも熾烈な闘争が生じるからです。社会の目的は何よりもこの闘争を終息させて人々の生存と安全を保障し、社会の秩序を安定化させることが課題となってきます。さらに近代になって産業革命が起こると、富の拡大を求めて人々が自由に競争を行い、生活条件を向上させていくことが社会の共有目標となってくるのです。
(3)これからの社会の目的
この近代から現代に至る社会が、前回に述べた4つの課題によって現在行き詰まりを見せ、構造転換を迫られているのです。恐らくこれからの社会においては、高度な科学情報技術を用いることによって、再び自然(地球生態系)との持続的な資源・エネルギー循環社会を再生し、(途上国をも含めた)人間の生存条件の高度化を確実に達成していくことが、1つの目的となってくることでしょう。そしてこの目的を達成していくためにも、自己価値(人間的価値)を相互に承認して自由に発揮(実現)させあっていく、価値創造が頻出するイノベーション社会の仕組みをつくっていくことが、もう1つの目標となってくるのです。
社会の目標を意識化することは一般的には困難で、通常は現状の社会の目的に沿ったレールの上で、出世ゲーム・成功ゲームに私たちは精を出し、そのゲームに勝利出来る技を磨くことに奮闘することになります。しかし先ほども申し上げたとおり、社会の構造的転換期には、変化しつつある新しい時代の社会の目標を人間が意識し、その目標を広く共通了解していく努力を積み重ねることによって、集団的無意識としての社会の動きに明確な筋道をつけていくことも出来るようになるのです。丁度封建社会から脱して近代に至る時代の西欧諸国において、自由な人間的価値の実現を目指して、文学を始めとした芸術や科学、哲学、社会思想等様々な分野において、多くの先駆者たちが新しいロマンと社会のビジョンを提示する努力を行って、それを広く同時代の人々が共有していくことで、社会が変質(進歩)していったようにです。
3.原始共同体において政治が対象としたルール
(1)原始共同体社会のルール
さて原始共同体における政治のシステムについて整理を進めておりますが、この社会の目的は、先ほども述べたように「自然からの産物と共同体の規模を均衡させるという条件のもとで人間の満足を充たし、平穏に社会を維持し存続させ続ける」ことが目的となります。この目的を実現していくために、社会のルールが定められていくのですが、この時代にはまだ明文化された法律は無く、全員が守るべき“掟”や、禁止事項としての“タブー”、そして無意識のうちに共有される価値規範や慣習などとしてルールが共有されていったことと思われます。
個人と共同体が一体的に意識され、しかも直接的な人間関係(一次的人間関係、互いをよく見知る関係)だけで社会が形成されて、利害や価値観(神話)も共有されていたのですから、人々の間で大きな対立事項は無く、ルールもおの自ずと共有されていったものと思われます。従って原始共同体におけるルールの詳細については、むしろ文化のシステムにおいて取り扱い、整理していった方が適しているでしょう。そこでルールの内容の詳細については、後日文化のシステムを考える際に扱うこととして、ここではどうしても政治のシステム範疇で考えねばならないルールに絞って取り出して考えてみたいと思います。
(2)政治の範疇におけるルール
政治のシステムで扱わねばならないルールとは、そのルールが犯されれば共同体の秩序が乱されて、共同体の存続と個々人の生存が危うくなるような、禁止や調停が必要となるルールのことです。そしてそのルールを犯した場合に、罰則が与えられ、その罰を与える強制力の威力(と恐怖)によって、順守を強いるようなルールとなります。そうしたルールの第1のものは、自然の生態系循環の秩序を破るような狩りや収穫を行うことを戒めるようなルールとなるでしょう。子育て中や妊娠中の獲物は捕獲しないとか、水源に危害を加えないとか、果実を採り尽くさないとか、それぞれの共同体の置かれた環境条件に応じて、長年の暮らしの中で培った自然との共存の英知と掟が生まれていったことでしょう。第2には第1のことと関連しますが、共同体を統合する神話や信仰を冒涜したり、なおざりにするような行為を戒めるルールでしょう。
第3には、協働で共同体の食料や生活資材の生産を行う時には、協力して従事するということです。全員が何らかの役割を担って参加し、全体の生産のためへの協力を拒まないということです。第4にはこうして協働で生産した産物を、生存を維持するに足る量を最低限の基準として、共同体の全員に公正に分配するということです。この分配の基準の公正さについても、長い年月の内に積み重ねられた経験から定められていったことでしょう。もし協働で得た収穫物を、ひそ密かに消費するような者があれば、罰を受けることになったでしょう。
(3)欲望充足の機会の提供と侵害の調停
第5には原始共同体社会においては、極力葛藤や不満を少なくして、社会が平穏に存続していけることを目的としていましたから、食料や生活資材ばかりでなく、人間の多様な欲望を満足させる機会の公正な提供(配分)も、配慮がなされてルール化されていったことと思われます。性的な欲望や悦楽の機会(タバコやアルコール、幻覚や酩酊作用のある植物など)の提供、また個人の嗜好的・享楽的な欲望や、ある種の芸術活動など自己価値を創造的に表現できる機会の配分などにも、配慮されたルールがつくられていったことでしょう。
そして6番目には、所有とプライドを侵害する事態があった場合の調停のルールと罰則です。原始共同体においても、自分の身の回り品や愛用品などは、その人に属するものとして共同体内でその人の所有物として認められたことでしょう。もしもそうした所有物を奪ったり、勝手に誰かが使用するようなことが起これば、それはその人自身の存在を害することにも連なり、大きな争いの種となります。また原始共同体においては、個人と共同体が一体化しているために、人々の意識中に、自分の利益を姑息に増やそうなどというやま疚しさは存在せず、常に自分の行動は共同体の利益のために公正であるという意識がもたれ、人々は高いプライドを保有することになります。このプライドを害するようなことがあれば、所有の侵害と同様に、共同体の秩序を揺るがす大事態へと進展していきかねないのです。
4.ルールの決定と強制力
(1)ルールの決定のプロセス
以上が原始共同体の政治のシステムにおいて、守られたルールのイメージなのですが、それではそうしたル-ルは、ルールの設定のプロセスにおいて、どのような具体的な手順や手続きで、ルールや共同体の方針が、決められたり改変されたりしていったのでしょうか。これについても前回申し述べたことなのですが、原則としては全員一致で決定が行われたことと思われます。個人と共同体が一体化し、価値観や利害が共有されており、しかも恒久的に維持継続することを前提とした社会においては、意見をす擦り合わせる十分な時間もあったことから、必然的に全員一致という決定のプロセスが採られたことでしょう。
もちろん共同体固有の文化の進展具合によっては、集団としての意思決定を行うに際して、くじ(籤)や占いが用いられることもあったでしょうが、それはあくまでも全員の意思を一つにまとめるための補完手段として用いられたことでしょう。こうして社会のルールの改変に際して、実質的に社会を構成する全員が参与して意思を反映できたことも、人々の社会への不満を高めずに秩序を維持するに際して、重要な機能を果たしていたものと思われます。
(2)ルールの順守と強制力のプロセス
それでは、ルールを守らせるための罰則を行使するための強制力については、原始共同体においてはどのように担保されていたのでしょうか。原始共同体社会は、人々の満足を充たして社会を恒常的に維持していく社会ですから、原則として共同体の内部においても外部においても、紛争の原理は存在しません。従って警察の機能も軍隊の機能も必要がなく、このような強制装置(武力)を保有してはいませんでした。それではどのように罰則を執行するための強制力を担保していたのでしょうか。
これについては以前ホームシアターサークルで鑑賞した、今村昌平監督の『楢山節考』の一場面が参考となります。盗みを繰り返す一家が、村人の総意によって“根絶やし”にされる場面です。この時村人たちは総出で、この一家を襲い、全員を捕えて生き埋めにして殺してしまったのです。恐らく原始共同体においても、このように罰を与えなければならい時には、共同体のメンバーが集団となって力を合わせ、強制力を発揮させたものと思われます。
5.ゲームの実施のプロセス
さてこれまで見てきたように、原始共同体では、政治のシステムにおいてルール設定や方針決定のプロセスを全員一致により機能させ、また共同体メンバーの集団的強制力によって、ルールを順守させるプロセスを機能させてきました。そしてこうして定められたルールをガイドラインとして、「自然の実りと共同体の規模を調和せて、人々の満足を高めることによって恒久的な共同体の維持存続を図る」ということを目的として、ゲームを実施するプロセス(生活活動)を展開していったのです。
さてここまで、原始共同体における経済のシステムと政治のシステムについて見てきたので、次回は文化のシステムについて考えていってみたいと思います。そしてそこから得たものを手掛かりに、これからの時代のビジョンを明らかにして、さらにそれを多くの人々の間で共有していく活動を展開していくための、一助としていってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、8月28日月曜日の18時からで、月末ですのでホームシアターサ-クルの活動を行います。課題映画は私どもフィルム・クレッセントの製作映画で、山口巧監督の「ちぎれ雲~いつか老人介護」(1999年)を予定しています。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターを会場と致します。お時間許す方はご参加下さい。
P.S. 現在パンセ通信は、No.150まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。
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1.社会の原理とこれからのビジョンを考えるために
(1)自己価値を求める人間の欲望
人間の欲望は、動物の欲望とは異なります。動物のように身体由来の欲求によって、エサのような具体的な対象物を求めて、それを得てしまえば充足して解消してしまうようなものではありません。人と人との関係性の中で、お互いの存在を求めあって、誰かに自分の意義が認められることで初めて自分の価値を確認出来るのが、人間の存在のありよう様です。それ故に人間の欲望は、身体由来の欲求から、自己価値の確認と発揮を求めて、他の人の承認を得ようとする欲望へと変質していきます。この欲望は具体物を得て解消するようなものではなく、人と人との求め合いが織り成して無限に展開していく幻想的なもので、自己価値の実現を求めてどこまでも自由に展開していくものとなるのです。
もちろん人間にも、自分の身体的生存を求める欲望は根底的なものとしてありますが、それすらも単に生理的なものではなく、関係性の中で自分の尊厳を気遣う思いが、身体欲求を転換して自己価値を求める欲望へと変様させていくのです。このように人間は自己価値の実現を求めて、他者の承認を得るために互いに求め合って関係を切り結ぶことで、社会を形成していくのです。
(2)関係の総体としての社会
このように社会というのは、人間が自分の身体的生存も含めた生存条件の維持向上と、自己価値(人間的存在価値)の発揮を求めて(目的として)、多くの人間が依存・支援し合いながら様々の関係を切り結んで形成していく、集団の関係の総体のシステムなのです。もちろん私たちがこうした関係性の欲望 - つまり自分の生存と自己価値実現の欲望を充たして生きていこうとする時、様々な関係性の次元で葛藤に苦しみながら生きていくことになります。まずは家族を始めとした身近な人間関係の次元で、そして会社やサークルなどでの目的を同じくした組織での人間関係の次元で、そして何よりも自らの感情をぎょ御しきれない自分自身との関係の次元においてです。
社会というのは、こうした様々な関係性の次元をすべて包摂し、そこで織り成される無数の欲望が、その実現を求めて時に他を圧し、時に挫折し、時に葛藤の中にたたず佇みながら展開されていく場なのです。その社会の仕組みについて引き続き考えを進め、また身近な人間関係や組織での人間関係のあり方、そして自分自身との関わり方やぎょ御し方の原理についても整理し、これからの時代の私たちの生き方、社会のあり方についての検討を進めていってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、8月28日月曜日の18時から行います。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターを会場とし、月末ですのでホームシアターサ-クルの活動を実施致します。課題映画は私どもフィルム・クレッセントの製作映画で、山口巧監督の「ちぎれ雲~いつか老人介護」(1999年)を予定しています。介護保険制度の成立以前につくられた映画ですが、老人介護に関する本質的な問題を軽快なドラマで提起し、現在もDVDが売れ続けている良質な作品です。
2.政治原理と社会の目的を意識化することの意義
(1)政治のプロセスと本質機能
さて社会の仕組みを考えるにあたって、これまで経済、政治、文化、個人的な生活の場という4つの領域を括り出し、まずは原始共同体社会を対象として、それぞれの領域のシステムのあり方について検討を進めてきました。現在までに経済のシステムについて整理し、前回よりは政治のシステムについて考えを進めています。ところで政治のシステムを原理的(誰もが納得できるような捉え方)に整理してみると、次の3つのプロセスのあることが分かってきます。第1に社会の目的を実現するためにルールや方針を設定し、第2にそのルールや方針に基づいて(目的実現のための)ゲームを展開し、第3にルールを順守させるために罰則を与えることで、社会を維持するというプロセスです。
さらに政治の最も本質的な機能について考えてみるなら、それはこのルールや方針をつくり、ゲームを展開し、ルールを守らせるために罰則を与えるというプロセスを、社会の構成員の合意に基づく強制力(権力)を背景として遂行できるようにするということです。政治とは、この合意と強制力を背景として、社会をその目的の達成に向けて動かしていくシステムのことなのです。
(2)原始共同体社会の目的とその後の変遷
前回は狩猟採取を経済の基盤とする原始共同体社会について、その特徴を整理しましたが、今回はこの社会の目的を整理するところから始めたいと思います。その目的を要約すると次のようになります。「自然の実りとの均衡状態のもとで、共同体の規模を維持するということ。その経済的安定のもとで、共同体内の人々の生存を維持し、欲望を充たし、極力不満や葛藤を少なくして平穏に暮らせるようにしていくこと。これにより恒常的(現状を維持しつつ)に継続する社会を実現していくこと」
社会の目的というのは、社会が構造的に転換する歴史的画期には、社会を構成する人間がその目的と方向性の決定に関与するということもあるかもしれませんが、関与できたとしても表層の一部にしか過ぎないでしょう。一般的には社会がその置かれた状況の中で、人間が生きて欲望を充たす無数の行動の集積の内に、最も必然的な形態を集合的無意識として選び取ることによって決まってきます。従ってその目的は明確には意識化されず、無意識的に共有されるものとなってくるのです。しかし1つの社会を、歴史的地理的に離れた他の異なる文明の社会と比較することで、その社会の目的を明らかにすることは可能です。原始共同体においては、自然からの産物の範囲で満足を増して、平穏に社会を維持することが目的となりましたが、農耕牧畜が始まって余剰生産物(富)が生み出されるようになると、社会の目的は一変します。余剰物(富)の所有を巡って、共同体の内部でも共同体間でも熾烈な闘争が生じるからです。社会の目的は何よりもこの闘争を終息させて人々の生存と安全を保障し、社会の秩序を安定化させることが課題となってきます。さらに近代になって産業革命が起こると、富の拡大を求めて人々が自由に競争を行い、生活条件を向上させていくことが社会の共有目標となってくるのです。
(3)これからの社会の目的
この近代から現代に至る社会が、前回に述べた4つの課題によって現在行き詰まりを見せ、構造転換を迫られているのです。恐らくこれからの社会においては、高度な科学情報技術を用いることによって、再び自然(地球生態系)との持続的な資源・エネルギー循環社会を再生し、(途上国をも含めた)人間の生存条件の高度化を確実に達成していくことが、1つの目的となってくることでしょう。そしてこの目的を達成していくためにも、自己価値(人間的価値)を相互に承認して自由に発揮(実現)させあっていく、価値創造が頻出するイノベーション社会の仕組みをつくっていくことが、もう1つの目標となってくるのです。
社会の目標を意識化することは一般的には困難で、通常は現状の社会の目的に沿ったレールの上で、出世ゲーム・成功ゲームに私たちは精を出し、そのゲームに勝利出来る技を磨くことに奮闘することになります。しかし先ほども申し上げたとおり、社会の構造的転換期には、変化しつつある新しい時代の社会の目標を人間が意識し、その目標を広く共通了解していく努力を積み重ねることによって、集団的無意識としての社会の動きに明確な筋道をつけていくことも出来るようになるのです。丁度封建社会から脱して近代に至る時代の西欧諸国において、自由な人間的価値の実現を目指して、文学を始めとした芸術や科学、哲学、社会思想等様々な分野において、多くの先駆者たちが新しいロマンと社会のビジョンを提示する努力を行って、それを広く同時代の人々が共有していくことで、社会が変質(進歩)していったようにです。
3.原始共同体において政治が対象としたルール
(1)原始共同体社会のルール
さて原始共同体における政治のシステムについて整理を進めておりますが、この社会の目的は、先ほども述べたように「自然からの産物と共同体の規模を均衡させるという条件のもとで人間の満足を充たし、平穏に社会を維持し存続させ続ける」ことが目的となります。この目的を実現していくために、社会のルールが定められていくのですが、この時代にはまだ明文化された法律は無く、全員が守るべき“掟”や、禁止事項としての“タブー”、そして無意識のうちに共有される価値規範や慣習などとしてルールが共有されていったことと思われます。
個人と共同体が一体的に意識され、しかも直接的な人間関係(一次的人間関係、互いをよく見知る関係)だけで社会が形成されて、利害や価値観(神話)も共有されていたのですから、人々の間で大きな対立事項は無く、ルールもおの自ずと共有されていったものと思われます。従って原始共同体におけるルールの詳細については、むしろ文化のシステムにおいて取り扱い、整理していった方が適しているでしょう。そこでルールの内容の詳細については、後日文化のシステムを考える際に扱うこととして、ここではどうしても政治のシステム範疇で考えねばならないルールに絞って取り出して考えてみたいと思います。
(2)政治の範疇におけるルール
政治のシステムで扱わねばならないルールとは、そのルールが犯されれば共同体の秩序が乱されて、共同体の存続と個々人の生存が危うくなるような、禁止や調停が必要となるルールのことです。そしてそのルールを犯した場合に、罰則が与えられ、その罰を与える強制力の威力(と恐怖)によって、順守を強いるようなルールとなります。そうしたルールの第1のものは、自然の生態系循環の秩序を破るような狩りや収穫を行うことを戒めるようなルールとなるでしょう。子育て中や妊娠中の獲物は捕獲しないとか、水源に危害を加えないとか、果実を採り尽くさないとか、それぞれの共同体の置かれた環境条件に応じて、長年の暮らしの中で培った自然との共存の英知と掟が生まれていったことでしょう。第2には第1のことと関連しますが、共同体を統合する神話や信仰を冒涜したり、なおざりにするような行為を戒めるルールでしょう。
第3には、協働で共同体の食料や生活資材の生産を行う時には、協力して従事するということです。全員が何らかの役割を担って参加し、全体の生産のためへの協力を拒まないということです。第4にはこうして協働で生産した産物を、生存を維持するに足る量を最低限の基準として、共同体の全員に公正に分配するということです。この分配の基準の公正さについても、長い年月の内に積み重ねられた経験から定められていったことでしょう。もし協働で得た収穫物を、ひそ密かに消費するような者があれば、罰を受けることになったでしょう。
(3)欲望充足の機会の提供と侵害の調停
第5には原始共同体社会においては、極力葛藤や不満を少なくして、社会が平穏に存続していけることを目的としていましたから、食料や生活資材ばかりでなく、人間の多様な欲望を満足させる機会の公正な提供(配分)も、配慮がなされてルール化されていったことと思われます。性的な欲望や悦楽の機会(タバコやアルコール、幻覚や酩酊作用のある植物など)の提供、また個人の嗜好的・享楽的な欲望や、ある種の芸術活動など自己価値を創造的に表現できる機会の配分などにも、配慮されたルールがつくられていったことでしょう。
そして6番目には、所有とプライドを侵害する事態があった場合の調停のルールと罰則です。原始共同体においても、自分の身の回り品や愛用品などは、その人に属するものとして共同体内でその人の所有物として認められたことでしょう。もしもそうした所有物を奪ったり、勝手に誰かが使用するようなことが起これば、それはその人自身の存在を害することにも連なり、大きな争いの種となります。また原始共同体においては、個人と共同体が一体化しているために、人々の意識中に、自分の利益を姑息に増やそうなどというやま疚しさは存在せず、常に自分の行動は共同体の利益のために公正であるという意識がもたれ、人々は高いプライドを保有することになります。このプライドを害するようなことがあれば、所有の侵害と同様に、共同体の秩序を揺るがす大事態へと進展していきかねないのです。
4.ルールの決定と強制力
(1)ルールの決定のプロセス
以上が原始共同体の政治のシステムにおいて、守られたルールのイメージなのですが、それではそうしたル-ルは、ルールの設定のプロセスにおいて、どのような具体的な手順や手続きで、ルールや共同体の方針が、決められたり改変されたりしていったのでしょうか。これについても前回申し述べたことなのですが、原則としては全員一致で決定が行われたことと思われます。個人と共同体が一体化し、価値観や利害が共有されており、しかも恒久的に維持継続することを前提とした社会においては、意見をす擦り合わせる十分な時間もあったことから、必然的に全員一致という決定のプロセスが採られたことでしょう。
もちろん共同体固有の文化の進展具合によっては、集団としての意思決定を行うに際して、くじ(籤)や占いが用いられることもあったでしょうが、それはあくまでも全員の意思を一つにまとめるための補完手段として用いられたことでしょう。こうして社会のルールの改変に際して、実質的に社会を構成する全員が参与して意思を反映できたことも、人々の社会への不満を高めずに秩序を維持するに際して、重要な機能を果たしていたものと思われます。
(2)ルールの順守と強制力のプロセス
それでは、ルールを守らせるための罰則を行使するための強制力については、原始共同体においてはどのように担保されていたのでしょうか。原始共同体社会は、人々の満足を充たして社会を恒常的に維持していく社会ですから、原則として共同体の内部においても外部においても、紛争の原理は存在しません。従って警察の機能も軍隊の機能も必要がなく、このような強制装置(武力)を保有してはいませんでした。それではどのように罰則を執行するための強制力を担保していたのでしょうか。
これについては以前ホームシアターサークルで鑑賞した、今村昌平監督の『楢山節考』の一場面が参考となります。盗みを繰り返す一家が、村人の総意によって“根絶やし”にされる場面です。この時村人たちは総出で、この一家を襲い、全員を捕えて生き埋めにして殺してしまったのです。恐らく原始共同体においても、このように罰を与えなければならい時には、共同体のメンバーが集団となって力を合わせ、強制力を発揮させたものと思われます。
5.ゲームの実施のプロセス
さてこれまで見てきたように、原始共同体では、政治のシステムにおいてルール設定や方針決定のプロセスを全員一致により機能させ、また共同体メンバーの集団的強制力によって、ルールを順守させるプロセスを機能させてきました。そしてこうして定められたルールをガイドラインとして、「自然の実りと共同体の規模を調和せて、人々の満足を高めることによって恒久的な共同体の維持存続を図る」ということを目的として、ゲームを実施するプロセス(生活活動)を展開していったのです。
さてここまで、原始共同体における経済のシステムと政治のシステムについて見てきたので、次回は文化のシステムについて考えていってみたいと思います。そしてそこから得たものを手掛かりに、これからの時代のビジョンを明らかにして、さらにそれを多くの人々の間で共有していく活動を展開していくための、一助としていってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、8月28日月曜日の18時からで、月末ですのでホームシアターサ-クルの活動を行います。課題映画は私どもフィルム・クレッセントの製作映画で、山口巧監督の「ちぎれ雲~いつか老人介護」(1999年)を予定しています。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターを会場と致します。お時間許す方はご参加下さい。
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