■2017.9.23パンセ通信No.155『 文化構造、文化ゲーム、生活文化の機能から成る文化のシステム』
皆 様 へ
1.私たちの時代の役割
(1)日本の歴史サイクル
前回のパンセ通信では、日本の歴史に周期的に繰り返すパターンのあることを明らかにしながら、今私たちがどのような歴史の地点にいるのかを考えてみました。有史以来の日本の暦史をたど辿ると、次の4つのプロセスを経る一連のサイクルが、これまで周期的に繰り返されてきていることが分かってきます。その第1の段階は、国家・社会の危機と共に海外からの先進的な文化・技術が流入して、それまでの日本社会と文化に大きなインパクトを与えるプロセスです。第2の段階は、その新文化・技術をそしゃく咀嚼して自分たちの文化に取り込んでいくプロセスです。大きなあつれき軋轢や混乱を伴いながら、新文化・技術を自分たちのものとするために、平均して150年ほどの期間を要しています。そして第3の段階は、新文化・技術を十分に消化して自国のオリジナルな文化の良質な部分と融合させ、次の時代の社会デザイン・国家デザインを描きあげて構造転換を図っていくプロセスです。そして最後の第4の段階が、構造転換によってもたらされた新しいオリジナルな文化と社会が、成立して継続していくプロセスで、その期間はおよそ300年ほどです。そしてまた危機が深化して、新たな海外からの先進的な文化・技術のインパクトに見舞われて、次のサイクルが始まっていくというパターンを繰り返していくのです。
この4つのプロセスを経るサイクルを1つの周期として、その周期を繰り返していくのが日本の歴史のパターンで、これまでに日本は、5つの周期を経てきたことを前回見てきました。そして現在は、幕末・
明治維新に始まる5つ目のサイクルが進行する渦中にあります。欧米列強諸国の脅威と、同時にもたらされた西欧近代技術・文化・学術・制度のインパクトから始まったこの5つ目のサイクルは、今ようやく150年を経て第2段階の受容期を終わった所です。そしていよいよその成果を消化して、血肉化した知恵と知識をもって、次の時代の生き方や社会の構想を描き、実際に構造転換を図っていくための第3のプロセスにさしかかっているのが、現代の私たちの歴史的な立ち位置なのでしょう。
(2)日本人とシステム思考
ところで日本人は、システム化思考やシステム技術に劣ると言われてきましたが、果たして本当にそうでしょうか。日本の歴史において繰り返すサイクルの中で、その第3段階にあたる次の時代の社会デザインと構造転換のプロセスの時期においては、私たちの先人たちは、いつも優れたシステム化思考を行って壮大な社会ビジョンを描き、実際の社会の構造転換に際しても、見事にシステム技術を駆使して新たな社会への移行を達成していったのです。ここでシステム化思考というのは、全体をふかん俯瞰して、目的を実現するために各部分を最適に連携させて戦略的に対処を行えるための思考のこと言い、またシステム技術とは、バラバラに機能する要素を体系的に配置して、1つの目的を効率的・自動的に達成する技術のことを言います。
明治維新以来欧米先進諸国に対する追いつけ追い越せゲームにまいしん邁進してきた日本は、約150年を経た1980年頃までにはその目的を達成し、ある意味目標喪失の段階に入りました。そして目標が定まらぬままに、グローバル経済競争の激化の荒波と新自由主義の洗礼を受けて、しばし茫然自失の状況が続いてきました。しかし歴史的に見れば、それは日本の中で何度も繰り返されてきたことで、このしばしの沈滞の中で、次の時代への胎動が広範にそして着実に水面下で準備されていくのです。そして次に日本が描く新たな時代のビジョンは、ユーラシア大陸の東の果てにある一国のビジョンに留まらず、すでにグローバルに連結された世界全体に影響を与えるビジョンとなる可能性を秘めています。パンセ通信におきましても、『生存条件の向上と自己価値の発揮』という人間の本質的な欲望を、相互に承認しあいながら原理的にすべての人々が価値創出を行える、生産性と実存的満足度の高い社会の実現を目指して、社会の基本要素を解明しながらしながらそれをシステム的に組み合わせる作業を、続けていってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、9月25日の月曜日で、月末ですのでホームシアターサークルの活動を予定しております。課題映画は 小津安二郎監督の『小早川家の秋』です。小津映画の特質と戦後の世相を、小津監督の晩年の作品から考えていければと思っています。時間は18時からで、場所は渋谷区本町の本町ホームシアターで行います。
2.文化のシステムの3機能
(1)社会の4システムの対比
さてこれまで原始共同体社会を対象に、社会が人間の集合的欲望を実現する仕組みとして持つ4つのシステムについて、順を追って考えてきました。これまで経済、政治のシステムについて検討し、文化のシステムについてその構造を把握してきたので、今回からはその文化のシステムと、それに密接にかかわる生活世界(個人の自由な日常生活)のシステムについて詳しく考えていってみたいと思います。
ここで経済のシステムというのは、人間が生きて生活していくために必要な財を生産して供給する仕組みのことであり、政治のシステムというのは、人々の合意のもとに強制力(権力)を背景として、社会の目的を実現する仕組みのことです。そして文化というのは、人間の内面の側から、社会の統合と目的の実現に向けての感性や行動を、無意識の内に促していく機能を担う仕組みのことです。
社会の目的を実現するために、政治が人間に対して外から働く力だとしたなら、文化は人間の内面から働く力として対比して良いでしょう。また経済が人間の生存条件の向上(生活向上)の欲望を充足するものであるとしたなら、文化は自己価値(価値創造)の欲望を充足する機能と考えて良いでしょう。そして文化が、社会を統合する見えない構造を維持・補強する機能(あるいは構造に沿って機能)するものであるとしたなら、社会の目的を実現するための4番目の機能(システム)である生活世界は、日々の変化する人間の欲望と環境のもとで、これまでの文化の見えない構造を掘り崩し、それを新たに再構築する契機を生み続ける仕組みと言って良いでしょう。
(2)文化構造の機能
文化のシステムは、前々回のパンセ通信で述べたように、内面の価値規範(文化構造)形成、文化ゲームの展開、生活文化といった3つのプロセスに分かれる機能によって構成されています。内面の価値規範(文化構造)形成とは、社会を統合して維持し、目的実現のために必要となる価値観や規範(ルール)を人々の意識の中に形成して、それを社会全体の人々が集合的に分かち持つようにしていくための機能です。そしてすべての人々が見えない価値観とルールを無意識の内に構造化して共有し、気づかぬ内に人々がその構造をもとに意識を働かせて行動するようになることで、社会の統合を人間の内面から下支えしていくプロセスのことです。言語で言えばラング・langue(言語構造)に相当する機能と言って良いでしょう。
3.文化ゲームのプロセス
(1)自己価値表現と評価
次に文化ゲームについてですが、その代表的なものは、芸術の表現活動とその批評活動がこれに当たるでしょう。芸術的な価値創造活動によって自己価値を表現し、その価値が本当に社会全体で共有できるものであるかどうかを評価しあうゲームです。その評価は、批評家による批評活動ばかりでなく、創作した音楽や小説が売れるかどうかということでも現れてきます。もちろん文化ゲームというのは、芸術活動においてのみ行われるものではく、スポーツが得意とか、カラオケがうまいとか、おしゃれ洒落が大好きとか、仲間内で自分の価値を発揮してそれを認め合う場があればそれで良いのです。そういう自己価値を発揮し、それを確認しあえる仕組みを持つことが文化ゲームの機能なのです。
この自己価値の表現や発揮のゲームも、基本的には人間の無意識の領域で共有される見えない文化の構造(内面の価値規範)をもとに感じたり行為されたりするものですから、この構造を逸脱する感性や行為そして表現は、マジョリティーの人々からは違和感を覚えるものとなり、社会的には評価され難いものとなります。こうして文化ゲームも、基本的には社会の統合や維持の強化を担う機能を果たすようになるのです。
(2)文化構造の補強と解体
しかし自己価値というのは、自分にとって本当に意味があって大切なものの追求ですから、必然的に既存社会を維持する価値から逸脱する部分が生じてきます。人間は意味を求め価値を発揮し、それを他者から承認されることにおいてのみ自己の存在意義(生きる意味、実存)を確認できる生き物ですから、社会一般には評価されなくても、どうしても自分の心惹かれるものがあればそれをオタク的に追い求めて表現して、他人の評価を試さざるを得なくなってくるのです。そして少数でもその価値表現を評価する者があれば、そこにサブカルチャーが成立する素地が生まれてくることになjるのです。
こうして社会の表舞台では評価されないカルチャーが、見えないそこかしこでうごめ蠢き始めてくることも、この文化ゲームプロセスで生じてくることなのです。さらに社会的に承認された芸術ゲームにおいても、芸術が人間のほんとうや美をとことん追求して表現するものである限り、既存の文化の構造を越えてさらにその先ですでに求められ始めている価値を、鋭く社会の全体に問いかける機能を果たすことが生じてきます。こうして文化ゲームのプロセスは、既存の文化構造(価値規範)を維持・強化する機能を果たすと同時に、その構造を解体し、新たな文化構造をひそ密かに準備する役割を果たすことにもなってくるのです。
4.生活文化のプロセス
(1)生活文化の形成と変化
最後に文化のシステムの3番目の機能としての、生活文化のプロセスについて考えてみます。生活文化というのは、私たちが日常生活の中で気づかぬ内に従っている、慣習や風習(習俗)そして生活様式のことを言います。これは社会の文化構造のもとで、経済や政治のシステムを含むあらゆる生活行為を営む上で、最もあつれき軋轢が少なく効率的に活動出来るように、次第に形成されてきたものです。
一方で生活文化の領域は、社会がその集合的目標を実現するための4つの機能の1つ、生活世界のシステムの領域と重なります。文化のシステムにおける生活文化のプロセスが、人間の意識や行動にはんけい範型を与える無意識の規範(構造)を対象とするのに対し、生活世界は、生活文化の構造をもとに日々の欲望や生活の必要を充たすために、自由に営まれる活動を対象とします。言語で言えばパロール・parole(おしゃべり、発話)に相当する部分です。生活世界の活動は、その都度に生じてくる必要を自由に充たす行為であるために、基本的には生活文化の規範に沿ったものとなります。しかし時にはその規範を逸脱する感じ方や行為も生じてくることになるのです。そしてその逸脱した感性や行為が、より目的に適って効率的なものであれば、やがてそうした感じ方や行為の方が集積していって、やがては慣習や習俗、生活様式を変え、生活文化そのものを変えていくことになるのです。
(2)原始共同体の文化構造検討に向けて
以上今回は、文化のシステムを構成する文化構造(内面の価値規範形成)、文化ゲーム(自己価値の発揮と承認)の展開、(日常生活領域での)生活文化という3つの機能について、その機能の概要を整理してみました。次回は原始共同体を対象として、文化構造の機能とプロセスについてさらに詳しく検討していってみたいと思います。そして現代の社会における文化システムの機能状況とその機能が持つ可能性について、考える糸口を明らかにしていってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、9月25日の月曜日に行います。月末ですのでホームシアターサークルの活動を予定しており、課題映画は、小津安二郎監督の『小早川家の秋』です。時間は18時からで、場所は渋谷区本町の本町ホームシアターで行います。お時間許す方はご参加下さい。
P.S. 現在パンセ通信は、No.153まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。
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1.私たちの時代の役割
(1)日本の歴史サイクル
前回のパンセ通信では、日本の歴史に周期的に繰り返すパターンのあることを明らかにしながら、今私たちがどのような歴史の地点にいるのかを考えてみました。有史以来の日本の暦史をたど辿ると、次の4つのプロセスを経る一連のサイクルが、これまで周期的に繰り返されてきていることが分かってきます。その第1の段階は、国家・社会の危機と共に海外からの先進的な文化・技術が流入して、それまでの日本社会と文化に大きなインパクトを与えるプロセスです。第2の段階は、その新文化・技術をそしゃく咀嚼して自分たちの文化に取り込んでいくプロセスです。大きなあつれき軋轢や混乱を伴いながら、新文化・技術を自分たちのものとするために、平均して150年ほどの期間を要しています。そして第3の段階は、新文化・技術を十分に消化して自国のオリジナルな文化の良質な部分と融合させ、次の時代の社会デザイン・国家デザインを描きあげて構造転換を図っていくプロセスです。そして最後の第4の段階が、構造転換によってもたらされた新しいオリジナルな文化と社会が、成立して継続していくプロセスで、その期間はおよそ300年ほどです。そしてまた危機が深化して、新たな海外からの先進的な文化・技術のインパクトに見舞われて、次のサイクルが始まっていくというパターンを繰り返していくのです。
この4つのプロセスを経るサイクルを1つの周期として、その周期を繰り返していくのが日本の歴史のパターンで、これまでに日本は、5つの周期を経てきたことを前回見てきました。そして現在は、幕末・
明治維新に始まる5つ目のサイクルが進行する渦中にあります。欧米列強諸国の脅威と、同時にもたらされた西欧近代技術・文化・学術・制度のインパクトから始まったこの5つ目のサイクルは、今ようやく150年を経て第2段階の受容期を終わった所です。そしていよいよその成果を消化して、血肉化した知恵と知識をもって、次の時代の生き方や社会の構想を描き、実際に構造転換を図っていくための第3のプロセスにさしかかっているのが、現代の私たちの歴史的な立ち位置なのでしょう。
(2)日本人とシステム思考
ところで日本人は、システム化思考やシステム技術に劣ると言われてきましたが、果たして本当にそうでしょうか。日本の歴史において繰り返すサイクルの中で、その第3段階にあたる次の時代の社会デザインと構造転換のプロセスの時期においては、私たちの先人たちは、いつも優れたシステム化思考を行って壮大な社会ビジョンを描き、実際の社会の構造転換に際しても、見事にシステム技術を駆使して新たな社会への移行を達成していったのです。ここでシステム化思考というのは、全体をふかん俯瞰して、目的を実現するために各部分を最適に連携させて戦略的に対処を行えるための思考のこと言い、またシステム技術とは、バラバラに機能する要素を体系的に配置して、1つの目的を効率的・自動的に達成する技術のことを言います。
明治維新以来欧米先進諸国に対する追いつけ追い越せゲームにまいしん邁進してきた日本は、約150年を経た1980年頃までにはその目的を達成し、ある意味目標喪失の段階に入りました。そして目標が定まらぬままに、グローバル経済競争の激化の荒波と新自由主義の洗礼を受けて、しばし茫然自失の状況が続いてきました。しかし歴史的に見れば、それは日本の中で何度も繰り返されてきたことで、このしばしの沈滞の中で、次の時代への胎動が広範にそして着実に水面下で準備されていくのです。そして次に日本が描く新たな時代のビジョンは、ユーラシア大陸の東の果てにある一国のビジョンに留まらず、すでにグローバルに連結された世界全体に影響を与えるビジョンとなる可能性を秘めています。パンセ通信におきましても、『生存条件の向上と自己価値の発揮』という人間の本質的な欲望を、相互に承認しあいながら原理的にすべての人々が価値創出を行える、生産性と実存的満足度の高い社会の実現を目指して、社会の基本要素を解明しながらしながらそれをシステム的に組み合わせる作業を、続けていってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、9月25日の月曜日で、月末ですのでホームシアターサークルの活動を予定しております。課題映画は 小津安二郎監督の『小早川家の秋』です。小津映画の特質と戦後の世相を、小津監督の晩年の作品から考えていければと思っています。時間は18時からで、場所は渋谷区本町の本町ホームシアターで行います。
2.文化のシステムの3機能
(1)社会の4システムの対比
さてこれまで原始共同体社会を対象に、社会が人間の集合的欲望を実現する仕組みとして持つ4つのシステムについて、順を追って考えてきました。これまで経済、政治のシステムについて検討し、文化のシステムについてその構造を把握してきたので、今回からはその文化のシステムと、それに密接にかかわる生活世界(個人の自由な日常生活)のシステムについて詳しく考えていってみたいと思います。
ここで経済のシステムというのは、人間が生きて生活していくために必要な財を生産して供給する仕組みのことであり、政治のシステムというのは、人々の合意のもとに強制力(権力)を背景として、社会の目的を実現する仕組みのことです。そして文化というのは、人間の内面の側から、社会の統合と目的の実現に向けての感性や行動を、無意識の内に促していく機能を担う仕組みのことです。
社会の目的を実現するために、政治が人間に対して外から働く力だとしたなら、文化は人間の内面から働く力として対比して良いでしょう。また経済が人間の生存条件の向上(生活向上)の欲望を充足するものであるとしたなら、文化は自己価値(価値創造)の欲望を充足する機能と考えて良いでしょう。そして文化が、社会を統合する見えない構造を維持・補強する機能(あるいは構造に沿って機能)するものであるとしたなら、社会の目的を実現するための4番目の機能(システム)である生活世界は、日々の変化する人間の欲望と環境のもとで、これまでの文化の見えない構造を掘り崩し、それを新たに再構築する契機を生み続ける仕組みと言って良いでしょう。
(2)文化構造の機能
文化のシステムは、前々回のパンセ通信で述べたように、内面の価値規範(文化構造)形成、文化ゲームの展開、生活文化といった3つのプロセスに分かれる機能によって構成されています。内面の価値規範(文化構造)形成とは、社会を統合して維持し、目的実現のために必要となる価値観や規範(ルール)を人々の意識の中に形成して、それを社会全体の人々が集合的に分かち持つようにしていくための機能です。そしてすべての人々が見えない価値観とルールを無意識の内に構造化して共有し、気づかぬ内に人々がその構造をもとに意識を働かせて行動するようになることで、社会の統合を人間の内面から下支えしていくプロセスのことです。言語で言えばラング・langue(言語構造)に相当する機能と言って良いでしょう。
3.文化ゲームのプロセス
(1)自己価値表現と評価
次に文化ゲームについてですが、その代表的なものは、芸術の表現活動とその批評活動がこれに当たるでしょう。芸術的な価値創造活動によって自己価値を表現し、その価値が本当に社会全体で共有できるものであるかどうかを評価しあうゲームです。その評価は、批評家による批評活動ばかりでなく、創作した音楽や小説が売れるかどうかということでも現れてきます。もちろん文化ゲームというのは、芸術活動においてのみ行われるものではく、スポーツが得意とか、カラオケがうまいとか、おしゃれ洒落が大好きとか、仲間内で自分の価値を発揮してそれを認め合う場があればそれで良いのです。そういう自己価値を発揮し、それを確認しあえる仕組みを持つことが文化ゲームの機能なのです。
この自己価値の表現や発揮のゲームも、基本的には人間の無意識の領域で共有される見えない文化の構造(内面の価値規範)をもとに感じたり行為されたりするものですから、この構造を逸脱する感性や行為そして表現は、マジョリティーの人々からは違和感を覚えるものとなり、社会的には評価され難いものとなります。こうして文化ゲームも、基本的には社会の統合や維持の強化を担う機能を果たすようになるのです。
(2)文化構造の補強と解体
しかし自己価値というのは、自分にとって本当に意味があって大切なものの追求ですから、必然的に既存社会を維持する価値から逸脱する部分が生じてきます。人間は意味を求め価値を発揮し、それを他者から承認されることにおいてのみ自己の存在意義(生きる意味、実存)を確認できる生き物ですから、社会一般には評価されなくても、どうしても自分の心惹かれるものがあればそれをオタク的に追い求めて表現して、他人の評価を試さざるを得なくなってくるのです。そして少数でもその価値表現を評価する者があれば、そこにサブカルチャーが成立する素地が生まれてくることになjるのです。
こうして社会の表舞台では評価されないカルチャーが、見えないそこかしこでうごめ蠢き始めてくることも、この文化ゲームプロセスで生じてくることなのです。さらに社会的に承認された芸術ゲームにおいても、芸術が人間のほんとうや美をとことん追求して表現するものである限り、既存の文化の構造を越えてさらにその先ですでに求められ始めている価値を、鋭く社会の全体に問いかける機能を果たすことが生じてきます。こうして文化ゲームのプロセスは、既存の文化構造(価値規範)を維持・強化する機能を果たすと同時に、その構造を解体し、新たな文化構造をひそ密かに準備する役割を果たすことにもなってくるのです。
4.生活文化のプロセス
(1)生活文化の形成と変化
最後に文化のシステムの3番目の機能としての、生活文化のプロセスについて考えてみます。生活文化というのは、私たちが日常生活の中で気づかぬ内に従っている、慣習や風習(習俗)そして生活様式のことを言います。これは社会の文化構造のもとで、経済や政治のシステムを含むあらゆる生活行為を営む上で、最もあつれき軋轢が少なく効率的に活動出来るように、次第に形成されてきたものです。
一方で生活文化の領域は、社会がその集合的目標を実現するための4つの機能の1つ、生活世界のシステムの領域と重なります。文化のシステムにおける生活文化のプロセスが、人間の意識や行動にはんけい範型を与える無意識の規範(構造)を対象とするのに対し、生活世界は、生活文化の構造をもとに日々の欲望や生活の必要を充たすために、自由に営まれる活動を対象とします。言語で言えばパロール・parole(おしゃべり、発話)に相当する部分です。生活世界の活動は、その都度に生じてくる必要を自由に充たす行為であるために、基本的には生活文化の規範に沿ったものとなります。しかし時にはその規範を逸脱する感じ方や行為も生じてくることになるのです。そしてその逸脱した感性や行為が、より目的に適って効率的なものであれば、やがてそうした感じ方や行為の方が集積していって、やがては慣習や習俗、生活様式を変え、生活文化そのものを変えていくことになるのです。
(2)原始共同体の文化構造検討に向けて
以上今回は、文化のシステムを構成する文化構造(内面の価値規範形成)、文化ゲーム(自己価値の発揮と承認)の展開、(日常生活領域での)生活文化という3つの機能について、その機能の概要を整理してみました。次回は原始共同体を対象として、文化構造の機能とプロセスについてさらに詳しく検討していってみたいと思います。そして現代の社会における文化システムの機能状況とその機能が持つ可能性について、考える糸口を明らかにしていってみたいと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、9月25日の月曜日に行います。月末ですのでホームシアターサークルの活動を予定しており、課題映画は、小津安二郎監督の『小早川家の秋』です。時間は18時からで、場所は渋谷区本町の本町ホームシアターで行います。お時間許す方はご参加下さい。
P.S. 現在パンセ通信は、No.153まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。
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