■2017.10.14パンセ通信No.158『人間の集合的欲望が支える社会の制度と文化の構造』
皆 様 へ
1.文化の構造
2.欲望と社会
(1)欲望と集団と社会 (2)社会の正体と原始共同体
(3)本質的矛盾を抱える人間存在
3.原始共同体を形成する集合的欲望
(1)社会制度を存立させる集合欲望 (2)原始共同体の3つの集合目標
4.文化の構造の形成
(1)社会制度とルール (2)個人の欲望と集合欲望の矛盾
5.知恵の伝承と神話の形成
1.文化の構造
学校で勉強して進学競争に勝ち抜き、一流企業や役所に勤める。あるいは事業を起こすなどしてお金持ちになる。それが私たちの人生ゲームでの成功の姿であり、また一生を通じて競争を勝ち抜いていくのが、人間としての理想像である。- 現代に生きる私たちは、こうした価値観を当然のこととして共有しているのですが、もちろん封建制社会に生きる人たちは、全く異なった価値観、人生観のもとに暮らしていました。
無意識の内に私たちが分かち持つようになった人生観や社会観。それは社会が安定している時には、私たちに確かな生きる指針を与えるのですが、社会が移行期にある時には、その価値観にしがみつけばかえ却って私たちを苦しめることにもなりかねません。このように一つの時代・社会に生きる人々が、いつの間にか無意識の領域で共有するようになる価値観が文化の構造です。この文化の構造がどのように人間の心の中に形成され、それがどう変化していくのか。それについて原始共同体を対象に考えていっていみたいと思います。また心の内側から私たちの感じ方や判断の仕方を規定していくこうした文化の構造に対して、私たちがどのように対処していけば自分自身をもっと生き易く、あるいは自分の可能性をもっと拡げていくことが出来るようになるのでしょうか。そのことについても、ヒントを見出していければと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、10月16日月曜日の18時から行います。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターで開催致します。
2.欲望と社会
(1)欲望と集団と社会
人間が生きて活動する原動力となるのは欲望です。私たちの遠い祖先は、その欲望をより大きく充たしていくために、集団で生活することを選択しました。足りない所は他者に依存し、自分の得意な所で補って互いに協力して生きていけば、生存の可能性が高まるのみならず、1人では成し得ない大きな望みを抱き、その欲望を実現することが出来るようになるからです。自分の体の何十倍もあるマンモスだって、1人では無理ですが集団で協力すれば仕留めることが出来るのです。
社会というのは、こうして互いに支え合う直接的な人間関係や集団がいくつも集まって、ついには見知らぬ無数の(間接的な関係の)人間同士が気づかぬ内に支え合うようになった大きな人間集団のことです。この社会に生きるおかげで、私たちはオーストラリア産の牛肉を食べ、東京と大阪を新幹線により2時間半で移動し、宇宙旅行の希望さえも抱けるようになったのです。
(2)社会の正体と原始共同体
もちろん私たちは、社会から恩恵を受けるばかりではありません。例えばコンビニで1日働けば、その1日分の労働が社会の資産(財・富)を増やすことになります。こうして様々な人間が様々に異なる仕事に従事することによって、社会の総資産は(特に自由市場経済に基づく資本主義社会においては)私たちが享受する分以上に増えていくという、見事なまでに巧妙な仕組みを私たちはつくり出しました。そしてそれが社会の正体なのです。
この社会の最もシンプルな形態が、直接的な人間関係の共同性だけで成り立つ共同体です。そして原始共同体というのは、その最初の形態の共同体のことを言い、人類に起源にまでさかのぼ遡ります。類人猿と人類とを分けるのは、その群れの機能によります。どちらも群れをつくって生きるのですが、類人猿の場合は、群れをつくっても食料の採取と消費は個体ベースで行われます。しかし私たち人類の祖先はそこから分かれ、群れの全員が役割分担して狩猟採取を協働して行い、それにより得た産物を公正なルールで全員に分配して消費するという、画期的な協働共生体という集団の仕組み編み出しました。そしてその集団(共同体)のもとで生きるようになったのです。この狩猟採取をなりわいの基盤として形成された協働共生体のことを、原始共同体と言うのです。
(3)本質的矛盾を抱える人間存在
共同体、特に協働共生体は人間が生存の確率を高め、さらに一人では充たせない多様な欲望を充たして満足度高く生きていくために極めて優れたシステムで、人間にとってその維持存続が、非常に重要な欲望対象となっていきます。しかしながらそのことが同時に、人間の欲望(つまり人間存在)に本質的な矛盾を抱え込ませることにもなってくるのです。他者と共同生活を営む中で、自分と他者を区別して協働連携作業を行う必要から、人間は自己意識を明確に形成し、自分と対比して世界を捉えるようになってきました。従ってそこで生まれてくるのはまご紛うこと無き自己意識(自我)の欲望なのですが、しかし同時に自分の欲望をより豊かに充たしていくためには、共同体の要請に従っていくのでなければ、それを実現していくことは出来ないのです。
つまり自分本位の欲望と全体の利益がぶつかることになり、人間は常にこの本質的な矛盾にさいな苛まれるようになります。そしてこの矛盾を克服するので無ければ、本当の意味での人間的欲望を充たし、それを個人の力の限界を越えて大きく実現していくことは出来ないのです。じつはこの葛藤こそが、人間の精神と社会の発展の原動力であり、近代の人間哲学・社会哲学が取り組んできた主要テーマであり、また現代においてもその探求が続けられている中心課題なのです。それではこの課題に対して、私たちの先人たちはどのように対応してきたのでしょうか。それをまず、原始共同体の文化の構造の形成を例として見ていきたいと思います。
3.原始共同体を形成する集合的欲望
(1)社会制度を存立させる集合欲望
例えば国家が国民を支配するのも、貨幣が一般価値の表象となって商品の交換尺度となるのも、人間の共同幻想(神を絶対と信じる人間の信仰心のように)に支えられるものであるという考え方があります。従ってこの幻想さえ取り払えば、社会(国家)も経済も解体して組み替えることが出来る。確かにそういう幻想が社会や経済を支えている面もありますが(それが文化の構造です)、しかしそれが本質では無く、さらにそうした幻想を生じさせ、それを保ち続ける基盤となる力があるのです。それが人間の欲望であり、その人間の集合的欲望こそが社会や経済の制度を支える正体なのです。
それでは原始共同体社会にあっては、どのような人間の集合的欲望(共同体の各成員の欲望が合わさったもの)が、どのような社会を求め、どのように社会の制度を生み出していったのでしょうか。そしてその社会の仕組みを(人間の内面から)支えるために、どのように文化の構造がつくられていったのでしょうか。
(2)原始共同体の3つの集合目標
原始共同体社会を支えた人間の集合的欲望というのは、『持続的に安定的に生存を維持し、しかも個人だけでは充たされぬ満足度の高い生活を実現していく』ということにありました。そのために次の3つのことが、共同体の集合(社会)目標となっていきます。第1に、自然の生態系循環から得られるみの実りの範囲内で、共同体の規模を維持していくということ。そうすれば共同体全員の生存を確保し、後の世代も生き残っていけるために必要な、食料を含めた生活資材に事欠くことはありません。
第2は、1人で生きるよりもはるかに大きな生活資材(財)を生み出し、それを分配することの出来る協働共生体という狩猟採取社会における経済の仕組みを維持していくことです。そして第3は、こうして安定的に生活できる必要条件を充たした上で、人間の多様な欲望を充たして満足度の高い生活を実現していくことです。不満の多い社会は人々の間に多くの葛藤を生んで安定しませんが、満足度が高ければ、社会は自ずと安定的に維持されていきます。こうして自然界の生態循環のもとで、協働共生体という経済システムにより生きた原始共同体は、農耕牧畜が始まるまでの200万年もの長きにわた亘って安定的に継続していったのです。その社会は、ある面では人間が成長したり社会が発展することを重視するよりも、人々が安定的に生存できることを選んだ(求めた)結果の社会であったと言えるかもしれません。
4.文化の構造の形成
(1)社会制度とルール
さてこうした人間の集合的欲望と、それを実現するための社会目標を持った原始共同体は、当然それを実現するための社会制度(システム)を持つことになるのですが、そうした制度を支えるのが、ますは社会のルール(掟・法)です。ルールは本質的には禁止の強制力によって定められますが、遊びのルールのように、皆がより楽しめるように定められてくる場合もあります。原始共同体の社会目標の3番目に挙げられる成員の多様な欲望を充たすためのルールなどの場合は、禁止ではなくより楽しめるためのルール設定のウエイト方が高くなってきます。そして近代以降の市民社会においても、人間がより生活条件を向上させ、自己価値を発揮させる機会を増やしていくためのルールの設定などの場合においては、本質的には禁止のルールによって裏打ちされながらも、人間がお互い同士より楽しめる(幸せを増す)ルール設定の重要度が増してくるのです。
この社会ルールの設定は、主要には政治の領域のシステムの中で行われ、そのポイントはすでにパンセ通信No.151『原始共同体における政治システムと社会目的の意識化』で触れました。しかしルールは、社会的強制力で維持されるのみならず、人間の内面からもそのルールに従うように仕向ける意識の働きによっても支えられます。それが文化の構造(内面のルール)なのですが、そうした価値観がどのように形成され維持されていくのかについて、以下にそのポイントを追っていってみたいと思います。
(2)個人の欲望と集合欲望の矛盾
共同体の集合的欲望の第1のものは、自然の生態系循環の範囲内で共同体の規模を維持することにあります。そのためには2つの条件が必要になってきます。まず第1に自然の実りの乱獲や自然を破壊するような行為を戒め、生態系にダメージを与えないようにしていくことです。そしてもう1つは、共同体の規模を必要以上に大きくしないことです。
1つのエリアをテリトリーとして狩猟採取生活を行う原始共同体の人々にとって、自分たちの生存のために自然の秩序を守る必要は、誰にでも良く分かることです。特に直接的な人間関係で形成される共同体社会にとっては、共同体の利害が構成員の誰にも実感を持って良く把握できたことでしょう。しかしそれでも、個人の欲望と共同体の集合的欲望とが対立することは生じます。例えば一本の栗の木があって、秋には豊かな実を結ぶとします。当然落ちてくる栗の実をだけを拾い集めて満足すれば、来年も再来年も繰り返してみのり稔が得られるので、それが共同体の集合欲望となります。しかし個人にあっては、木の枝から落ちてくるだけの栗の実では満足できず、木の枝にな生っている実も、他の鳥や動物に食べられる前に自分のものにしてしまおうという欲望も沸いてくるものです。中にはそのために栗の木を切り倒してしまおうという衝動に駆られる者も出てきます。切り倒した木は木材としても活用できると考えるからです。
このように個人の欲望と共同体の集合目標とは矛盾するのですが、共同体が存続していくためには、個人本位の目先の欲望を抑制し、共同体の集合目標を優先するように仕向けていかなければなりません。その役割を果たすのが禁止のルールと、成員各人の無意識の領域に形成されて共有される文化の構造(内面のルール、価値規範)なのです。そこでまずこの自然の生態系循環を順守する共同体の集合的目標が、個人の欲望、目先の欲望を抑制して、それ以上に重要と思われるようになる価値観の形成のメカニズムについて、文化の構造の形成のモデルとしてそのプロセスについて考えていってみたいと思います。
5.知恵の伝承と神話の形成
自分の欲望を抑えて共同体の集合目標を自分の価値観としていくためには、長い年月をかけて集合目標の方が生存にとって有利であることに気づき、その知恵を共有し、さらに伝承していくことが必要となってきます。加えてその知恵(共有知)の集積を共同体の神話として練り上げて、共同体を存続させる価値観を疑いようのない常識(コモンセンス)として人々が共有するようにしていかなければなりません。知恵の伝承と神話の形成による“常識”の共有。それが個々人の意識の中に文化の構造を根づかせ、それを継承していくための重要な手段となります。
この知恵の伝承と神話の形成について、その具体的なプロセスを次回のパンセ通信で見ていきたいと思います。なお次回のパンセの集いの勉強会は、10月16日の月曜日に行います。時間は18時からで場所は渋谷区本町の本町ホームシアターを会場と致します。お時間許す方はご参加下さい。
P.S. 現在パンセ通信は、No.153まで校正・加筆したものをパンセ・ドゥ・高野山のホームページにアップしております。ご興味のある方は、以下のサイトをご覧下さい。
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1.文化の構造
2.欲望と社会
(1)欲望と集団と社会 (2)社会の正体と原始共同体
(3)本質的矛盾を抱える人間存在
3.原始共同体を形成する集合的欲望
(1)社会制度を存立させる集合欲望 (2)原始共同体の3つの集合目標
4.文化の構造の形成
(1)社会制度とルール (2)個人の欲望と集合欲望の矛盾
5.知恵の伝承と神話の形成
1.文化の構造
学校で勉強して進学競争に勝ち抜き、一流企業や役所に勤める。あるいは事業を起こすなどしてお金持ちになる。それが私たちの人生ゲームでの成功の姿であり、また一生を通じて競争を勝ち抜いていくのが、人間としての理想像である。- 現代に生きる私たちは、こうした価値観を当然のこととして共有しているのですが、もちろん封建制社会に生きる人たちは、全く異なった価値観、人生観のもとに暮らしていました。
無意識の内に私たちが分かち持つようになった人生観や社会観。それは社会が安定している時には、私たちに確かな生きる指針を与えるのですが、社会が移行期にある時には、その価値観にしがみつけばかえ却って私たちを苦しめることにもなりかねません。このように一つの時代・社会に生きる人々が、いつの間にか無意識の領域で共有するようになる価値観が文化の構造です。この文化の構造がどのように人間の心の中に形成され、それがどう変化していくのか。それについて原始共同体を対象に考えていっていみたいと思います。また心の内側から私たちの感じ方や判断の仕方を規定していくこうした文化の構造に対して、私たちがどのように対処していけば自分自身をもっと生き易く、あるいは自分の可能性をもっと拡げていくことが出来るようになるのでしょうか。そのことについても、ヒントを見出していければと思います。
なお次回のパンセの集いの勉強会は、10月16日月曜日の18時から行います。場所は渋谷区本町の本町ホームシアターで開催致します。
2.欲望と社会
(1)欲望と集団と社会
人間が生きて活動する原動力となるのは欲望です。私たちの遠い祖先は、その欲望をより大きく充たしていくために、集団で生活することを選択しました。足りない所は他者に依存し、自分の得意な所で補って互いに協力して生きていけば、生存の可能性が高まるのみならず、1人では成し得ない大きな望みを抱き、その欲望を実現することが出来るようになるからです。自分の体の何十倍もあるマンモスだって、1人では無理ですが集団で協力すれば仕留めることが出来るのです。
社会というのは、こうして互いに支え合う直接的な人間関係や集団がいくつも集まって、ついには見知らぬ無数の(間接的な関係の)人間同士が気づかぬ内に支え合うようになった大きな人間集団のことです。この社会に生きるおかげで、私たちはオーストラリア産の牛肉を食べ、東京と大阪を新幹線により2時間半で移動し、宇宙旅行の希望さえも抱けるようになったのです。
(2)社会の正体と原始共同体
もちろん私たちは、社会から恩恵を受けるばかりではありません。例えばコンビニで1日働けば、その1日分の労働が社会の資産(財・富)を増やすことになります。こうして様々な人間が様々に異なる仕事に従事することによって、社会の総資産は(特に自由市場経済に基づく資本主義社会においては)私たちが享受する分以上に増えていくという、見事なまでに巧妙な仕組みを私たちはつくり出しました。そしてそれが社会の正体なのです。
この社会の最もシンプルな形態が、直接的な人間関係の共同性だけで成り立つ共同体です。そして原始共同体というのは、その最初の形態の共同体のことを言い、人類に起源にまでさかのぼ遡ります。類人猿と人類とを分けるのは、その群れの機能によります。どちらも群れをつくって生きるのですが、類人猿の場合は、群れをつくっても食料の採取と消費は個体ベースで行われます。しかし私たち人類の祖先はそこから分かれ、群れの全員が役割分担して狩猟採取を協働して行い、それにより得た産物を公正なルールで全員に分配して消費するという、画期的な協働共生体という集団の仕組み編み出しました。そしてその集団(共同体)のもとで生きるようになったのです。この狩猟採取をなりわいの基盤として形成された協働共生体のことを、原始共同体と言うのです。
(3)本質的矛盾を抱える人間存在
共同体、特に協働共生体は人間が生存の確率を高め、さらに一人では充たせない多様な欲望を充たして満足度高く生きていくために極めて優れたシステムで、人間にとってその維持存続が、非常に重要な欲望対象となっていきます。しかしながらそのことが同時に、人間の欲望(つまり人間存在)に本質的な矛盾を抱え込ませることにもなってくるのです。他者と共同生活を営む中で、自分と他者を区別して協働連携作業を行う必要から、人間は自己意識を明確に形成し、自分と対比して世界を捉えるようになってきました。従ってそこで生まれてくるのはまご紛うこと無き自己意識(自我)の欲望なのですが、しかし同時に自分の欲望をより豊かに充たしていくためには、共同体の要請に従っていくのでなければ、それを実現していくことは出来ないのです。
つまり自分本位の欲望と全体の利益がぶつかることになり、人間は常にこの本質的な矛盾にさいな苛まれるようになります。そしてこの矛盾を克服するので無ければ、本当の意味での人間的欲望を充たし、それを個人の力の限界を越えて大きく実現していくことは出来ないのです。じつはこの葛藤こそが、人間の精神と社会の発展の原動力であり、近代の人間哲学・社会哲学が取り組んできた主要テーマであり、また現代においてもその探求が続けられている中心課題なのです。それではこの課題に対して、私たちの先人たちはどのように対応してきたのでしょうか。それをまず、原始共同体の文化の構造の形成を例として見ていきたいと思います。
3.原始共同体を形成する集合的欲望
(1)社会制度を存立させる集合欲望
例えば国家が国民を支配するのも、貨幣が一般価値の表象となって商品の交換尺度となるのも、人間の共同幻想(神を絶対と信じる人間の信仰心のように)に支えられるものであるという考え方があります。従ってこの幻想さえ取り払えば、社会(国家)も経済も解体して組み替えることが出来る。確かにそういう幻想が社会や経済を支えている面もありますが(それが文化の構造です)、しかしそれが本質では無く、さらにそうした幻想を生じさせ、それを保ち続ける基盤となる力があるのです。それが人間の欲望であり、その人間の集合的欲望こそが社会や経済の制度を支える正体なのです。
それでは原始共同体社会にあっては、どのような人間の集合的欲望(共同体の各成員の欲望が合わさったもの)が、どのような社会を求め、どのように社会の制度を生み出していったのでしょうか。そしてその社会の仕組みを(人間の内面から)支えるために、どのように文化の構造がつくられていったのでしょうか。
(2)原始共同体の3つの集合目標
原始共同体社会を支えた人間の集合的欲望というのは、『持続的に安定的に生存を維持し、しかも個人だけでは充たされぬ満足度の高い生活を実現していく』ということにありました。そのために次の3つのことが、共同体の集合(社会)目標となっていきます。第1に、自然の生態系循環から得られるみの実りの範囲内で、共同体の規模を維持していくということ。そうすれば共同体全員の生存を確保し、後の世代も生き残っていけるために必要な、食料を含めた生活資材に事欠くことはありません。
第2は、1人で生きるよりもはるかに大きな生活資材(財)を生み出し、それを分配することの出来る協働共生体という狩猟採取社会における経済の仕組みを維持していくことです。そして第3は、こうして安定的に生活できる必要条件を充たした上で、人間の多様な欲望を充たして満足度の高い生活を実現していくことです。不満の多い社会は人々の間に多くの葛藤を生んで安定しませんが、満足度が高ければ、社会は自ずと安定的に維持されていきます。こうして自然界の生態循環のもとで、協働共生体という経済システムにより生きた原始共同体は、農耕牧畜が始まるまでの200万年もの長きにわた亘って安定的に継続していったのです。その社会は、ある面では人間が成長したり社会が発展することを重視するよりも、人々が安定的に生存できることを選んだ(求めた)結果の社会であったと言えるかもしれません。
4.文化の構造の形成
(1)社会制度とルール
さてこうした人間の集合的欲望と、それを実現するための社会目標を持った原始共同体は、当然それを実現するための社会制度(システム)を持つことになるのですが、そうした制度を支えるのが、ますは社会のルール(掟・法)です。ルールは本質的には禁止の強制力によって定められますが、遊びのルールのように、皆がより楽しめるように定められてくる場合もあります。原始共同体の社会目標の3番目に挙げられる成員の多様な欲望を充たすためのルールなどの場合は、禁止ではなくより楽しめるためのルール設定のウエイト方が高くなってきます。そして近代以降の市民社会においても、人間がより生活条件を向上させ、自己価値を発揮させる機会を増やしていくためのルールの設定などの場合においては、本質的には禁止のルールによって裏打ちされながらも、人間がお互い同士より楽しめる(幸せを増す)ルール設定の重要度が増してくるのです。
この社会ルールの設定は、主要には政治の領域のシステムの中で行われ、そのポイントはすでにパンセ通信No.151『原始共同体における政治システムと社会目的の意識化』で触れました。しかしルールは、社会的強制力で維持されるのみならず、人間の内面からもそのルールに従うように仕向ける意識の働きによっても支えられます。それが文化の構造(内面のルール)なのですが、そうした価値観がどのように形成され維持されていくのかについて、以下にそのポイントを追っていってみたいと思います。
(2)個人の欲望と集合欲望の矛盾
共同体の集合的欲望の第1のものは、自然の生態系循環の範囲内で共同体の規模を維持することにあります。そのためには2つの条件が必要になってきます。まず第1に自然の実りの乱獲や自然を破壊するような行為を戒め、生態系にダメージを与えないようにしていくことです。そしてもう1つは、共同体の規模を必要以上に大きくしないことです。
1つのエリアをテリトリーとして狩猟採取生活を行う原始共同体の人々にとって、自分たちの生存のために自然の秩序を守る必要は、誰にでも良く分かることです。特に直接的な人間関係で形成される共同体社会にとっては、共同体の利害が構成員の誰にも実感を持って良く把握できたことでしょう。しかしそれでも、個人の欲望と共同体の集合的欲望とが対立することは生じます。例えば一本の栗の木があって、秋には豊かな実を結ぶとします。当然落ちてくる栗の実をだけを拾い集めて満足すれば、来年も再来年も繰り返してみのり稔が得られるので、それが共同体の集合欲望となります。しかし個人にあっては、木の枝から落ちてくるだけの栗の実では満足できず、木の枝にな生っている実も、他の鳥や動物に食べられる前に自分のものにしてしまおうという欲望も沸いてくるものです。中にはそのために栗の木を切り倒してしまおうという衝動に駆られる者も出てきます。切り倒した木は木材としても活用できると考えるからです。
このように個人の欲望と共同体の集合目標とは矛盾するのですが、共同体が存続していくためには、個人本位の目先の欲望を抑制し、共同体の集合目標を優先するように仕向けていかなければなりません。その役割を果たすのが禁止のルールと、成員各人の無意識の領域に形成されて共有される文化の構造(内面のルール、価値規範)なのです。そこでまずこの自然の生態系循環を順守する共同体の集合的目標が、個人の欲望、目先の欲望を抑制して、それ以上に重要と思われるようになる価値観の形成のメカニズムについて、文化の構造の形成のモデルとしてそのプロセスについて考えていってみたいと思います。
5.知恵の伝承と神話の形成
自分の欲望を抑えて共同体の集合目標を自分の価値観としていくためには、長い年月をかけて集合目標の方が生存にとって有利であることに気づき、その知恵を共有し、さらに伝承していくことが必要となってきます。加えてその知恵(共有知)の集積を共同体の神話として練り上げて、共同体を存続させる価値観を疑いようのない常識(コモンセンス)として人々が共有するようにしていかなければなりません。知恵の伝承と神話の形成による“常識”の共有。それが個々人の意識の中に文化の構造を根づかせ、それを継承していくための重要な手段となります。
この知恵の伝承と神話の形成について、その具体的なプロセスを次回のパンセ通信で見ていきたいと思います。なお次回のパンセの集いの勉強会は、10月16日の月曜日に行います。時間は18時からで場所は渋谷区本町の本町ホームシアターを会場と致します。お時間許す方はご参加下さい。
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