ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信No.15 - 『マジョリティ-の心性とビジョン』

Jan 18 - 2015

■2015年1月18日 パンセ通信No.15 - 『マジョリティ-の心性とビジョン』

皆 様 へ

1995年1月17日午前5時46分52秒、阪神淡路大震災の被災から20年の歳月が経過しました。今年もその悲劇の記憶を刻み直し、犠牲になられた方々を悼たいと存じます。その一方で、時の経過と共にその経験を純化させて、悲しみを生きる力へと変えて受け渡していく、人間の再生へと向けた集合的な思いの力に、感謝したいと思います。そしてその力の偉大さを、これからも信頼し続けていければと思います。

1月20日の火曜日も、16時から表参道のフィルムクレッセントで、パンセの集いを行います。

さて、Eテレで元日に放送された、40代前半以下の気鋭の論客が討論する番組「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」で、『ビジョンを持てない事実を、私たちは共有しなければならない』という発言があり、論客たちが一同にうなずく場面がありました。
確かに“先が見えない時代”と言われて、もう久しくなります。でも果たして私たちは、本当に今、将来に対するビジョンを描くことができなくなっているのでしょうか?

なんて言いつつも、前回この通信で、“想定外”という言葉に表される、日本人の自然観の変容と、“世間の目”という実体のない道徳基準に、どこまでも漂流していく私たちの危うさを、指摘したばかりなのですが。

そこで今回は、まだ年初でもあることですし、1年の計とあわせてこれからの私たちのビジョンを描けるようにするために、何か切り口になることはないかと求めて、考えを進めていければと思っています。

そこでまず唐突なんですが、『2対8蟻(あり)さんの法則』という有名な自然界の法則があるのですが、それを手掛かりにしていってみようと思います。
働き者の蟻さんたちは、みんな一生懸命働いているようで、じつは実際に働いているのは、全体の2割だけだそうです。残りの8割は、ただ右往左往して働いているふりをしているだけで、実際には戦力になっていないという法則です。最近の研究では、さらに全体の1割は、なんと全く働いていないという報告もあります。そこで働き者の2割の蟻さんだけを集めて、1つの群れをつくってみると、やっぱり同じ比率で、働くのは全体の2割だけとなるそうです。
この法則は、自然界だけでなく、マ-ケティング等ビジネスjの世界にも当てはまるようで、コンビニなどでも、たくさんの種類の商品があるのですが、そのうちの2割の商品だけで、8割の売り上げを挙げているそうです。

なぜそうなるのか、それはよく分かりません。でも、長い長い年月をかけて、自然が選び抜いた集団の仕組みですから、恐らくそれが最も効率よく持続可能で、生産性も高くなる仕組みだからなのでしょう。そう考えると、少し前に企業などでよく叫ばれた、“全員戦力化”などというのは、この冷徹な自然の法則からすると、いかに愚かな幻想であったかということが良く分かります。

さて、この2対8(あるいは2対7対1)の法則が、人間の知恵を越えた自然界の叡知であるとするなら、当然私たち人間の社会や集団にも、この法則は当てはまることになります。そうすると、2割の戦力として働くエリ-トと、7割のそこそこ働いているようで、じつは全体の2割程度の生産にしか寄与していないグル-プと、そして1割の、ほとんど生産に預からないグル-プとに、私たちはグル-プ分けされることとなります。
この最後の1割の中に、生産から離脱した“出家者”や、身体的・精神的に十分に生産に寄与できない人たちや、そして社会に過激な不満を持つ“イスラム国の戦士”(もちろん全くもって、テロを擁護するものではありませんが)などが含まれるのでしょう。つまり、全体集団の仕組みが、何らかの理由で行き詰った時に、集団に変革をもたらす異質の遺伝子を持った、異分子のグル-プということになります。

今回焦点をあてたいのは、2割のエリ-トでも、1割の革新力をもった異分子でもなく、7割のマジョリティ-である“ふつう”の人たちです。誰でも頭の中では、自分はひとかどの人物で、組織の戦力になっていると思いたいものなのですが、自然の割合からすれば、私たちは、7割のその他大勢に属するという確率が、1番大きくなるからです。

さてそのように、自分は所詮“7割集団”と開き直って視点を移し、その層からのビジョンを素直に考えてみると、ちょっと違った光景が見えてきます。
例えば巷には、「お金持ちになる方法」とか、「成功の法則」とかなどのノウハウ本があふれているのですが、考えてみればこれらは、上位2割のエリート層を対象としたもので、7割の働いている風を装っているが、たいして貢献してはいない層の、生き方のノウハウを解説したものではありません。もう少し皮肉な言い方をすれば、これらの本は、自分は7割の層の能力しかないのだけれど、うまくすると、上位2割に這い上がれるかもしれないという、幻想を抱いている人たちを対象とした本で、そういう本が一番よく売れるということでしょう。でも結局は落ちこぼれて、2割の層に入れず(でも幻想は持ち続けるので、何度でも同じようなノウハウ本を買い続ける)、さりとて“異分子”の1割の層にまでもは、落ちこぼれきれないというのが、私たちの現実の姿でしょう。

そうだとすると、この私たち7割の層が描くリアルなビジョンというのは、いったいどういうものとなるのでしょうか。冒頭で触れたような、これからの“社会のビジョン”とか“日本のビジョン”なんていうものは、基本的にはエリ-ト層が描いて、私たちに示すものであって、私たちは自分も考えないとなどと錯覚して、(責任の無い)床屋談義に花を咲かせるのですけれど、実際には2割が描くビジヨンが出てくるのを待っている、というのが現実でしょう。
そのことに気づくと、これからの社会の展望が描けないというのは、マジョリティ-である私たちが、自分たちの層の展望を描けないというのではなく、エリ-トであり社会のリ-ダ-である2割の中で、ビジョンを描く能力に毀損をきたし始めているだけのこと、ということがわかってきます。

それでは、7割のマジョリティ-である私たちは、どんな心性を持っていて、その生き方・働き方についてどういうノウハウを求め、また潜在意識ではどのようなビジョンを描きたいと思っているのでしょうか。
『2対8蟻さんの法則』の8割の蟻さん立場に身をおいて考えると、
・働いて貢献しているというプライドは欲しいが、自分が消耗しきるほどには、仕事に全精力を費やしたく ない。、
・そこそこ人並み以上の生活水準を確保し、それなりの昇進も働きがいもあって、定年まで無事に働きたい と望むが、大きな犠牲を払ってまでも、出世レ-スを競いたくはない。
・要はプライドを保ちつつ、ほどほどに頑張って、落ちこぼれない程度の成果を残しつつ、何とか生き残っていきたい。
といったところになるでしょうか。だから、そのために役立つノウハウ本を書けば、きっと儲かる?

しかしここで、もう1つ気がつかなければならない大切なことがあります。それはこの『2対8蟻さんの法則』というのは、あくまでも生産活動を前提にした組織・集団のあり方に適用される、グル-プ分けであるということです。“生産活動”は、これまでもこれからも私たちにとっては重要で、人間の営みのメインの取り組みであることに変わりはないでしょう。しかし、人間のいのちというのは、生産活動だけで、すべてが養われるものではありません。聖書の有名な聖句にも『空の鳥を見よ、種も蒔かず、刈り入れもしないが、天の父は養って下さる。野の花を見よ、働きもせず、紡ぎもしないが、栄華を極めたソロモンでさえ、この花ほどに着飾っていない。だから、明日のことを思い煩うな』という言葉があります。蟻さんや人間にとっては、生産と労働は、その生の営みの主要部分を占めますが、そのもととなる自然の営みにとっては、“生産”は、けっしてメインないのちの活動ではないのです。

そのように考えてくると、2割のエリ-トというのは、生産活動や社会的リ-ダ-シップという能力にのみ特化した人々の集まりで、そのためにいのちの他の部分を犠牲にすることのできる、生物学的にはちょっとバランスの欠いた人たちの集りということになります。
などど、またまた勝手なロジックを組み立てて、無謀な結論を導き出しております。しかしそのロジックからすると、“生産”や“効率性”という視点でしかものを見られなくなっている私たちには、よく見えなくなってしまっていることがあり、例えばいのちの営みという視点からすると、8割の働いているふりをしている蟻さんのグル-プが、じつは種の生存にとって、何か本当に重要な役割を果たしているのではないか、という問題意識が浮かび上がってきます。だからこそ彼らは、マジョリティ-を担うのだと。

当然人間にとっても、同じことが言えるでしょう。よく江戸時代を舞台にした時代劇などで、「隣りの大工の熊さんは、ほんと働き者で」なんていうセリフが出てきますが、やっぱり“働き者”というのは、普通ではない特別の存在だったのです。それでは、“働き者”でない普通の人たちは、何を大事に生きていたのか?

それを普通の人たちである私たちが、自分の心に素直に問うて、その自分の中に潜むいのちの価値を顕在化させてみることが、今私たちに問われていることであるかもしれません。その作業が、エリ-トがもはやビジョンを描けなくなっている現代の時代状況にあって、再び私たちが“世間の目”に漂流することなく、確かな支えを得るための、そしてまた、エリートによって支配的にされたビジョンとは異なる捉え方で、マジョリティ-の心性と生き方の幸せに根差したビジョンを、見い出していく手掛かりになっていくのかもしれません。

そんな思いをもって、20日のパンセの集いを行えればと思っています。特に何の役に立つ集いでもありませんが、役に立たないと思っているものの中にこそ、じつは重要な意味が隠されていると深読みされる方も含めて(間違いなく、それは単なる深読みにすぎないと思いますが)、お時間許す方は、ご参加頂ければ幸いです。