■2015年2月1日 パンセ通信 No.17 『イスラム国人質犠牲者からの教え』
皆さまへ
「イスラム国」に拘束されていた、後藤健二さんが殺害されたという情報が、報じられました。まことに痛ましい限りです。そして今後どのような展開が待ち受けるのか、戦慄をすら覚える感があります。なんでキリスト者であり、紛争地域の子供たちのために尽くした後藤さんが、犠牲にならねばならないのか。しかしここでは、もう一人の犠牲者とされる湯川遥菜さんに焦点をあてて、少し思いを致してみたいと思います。なぜなら自分自身を省みる時、湯川さんに対する複雑な思いが錯綜しているのに気づくからです。
伝え聞く報道の断片からは、その人生は思うにまかせず、行き詰ることも多かったようです。それが民間軍事会社なるものを設立し、経験を積むために紛争地に赴き、あえなく拘束されたとのことです。どうにもに腑に落ちない点が多いのですが、これが事実だとすると、あまりに愚かで、滑稽です。
(故人に対して、失礼な表現をすることをお許し下さい。)
“複雑な思い”というのは、一方では心の奥底で、この愚かさを自分自身のこれまでの生き様の愚かさと重ねあわせ、身につまされる思いがあるからです。しかしその一方で、そんな自分を見ないようにして、湯川さんの愚かさだけを見下してあざ笑い、助かるんだったら立派な後藤さんの方だと、勝手に序列をつけている自分に気づかされます。そしてオレの方がまだましだと、湯川さんをだしにして、ささやかな慰めを得ている自分がいる。
そんな自分に、「イスラム国」以上に戦慄を覚えるものですから、湯川さんに対する自分の思いの全体をひた隠しにして、表面的には後藤さんの犠牲の方に意識をフォ-カスさせている。しかし実際には、見えないようにしている潜在意識の奥底では、湯川さんの犠牲のうめきに呼応して、はるかに大きな共鳴が呼び起こされている。そして反面教師として、実に多くの教訓を教えられている。『阿Q正伝』の作者魯迅であれば、文句なく湯川さんの方を小説の題材に選んだことでしょう。
いずれにせよ、犠牲者は多くのことを語るものです。そんな死者の声に耳を傾けつつ、2月6日の火曜日も、パンセの集いを行います。16時から表参道のフィルムクレッセントです。
今回は、生命を何億年にもわたって滅びから守り育んできた、私たちの中にある“深層のいのち叡知”について、お話しするつもりでした。でも事情があって、時間がとれなくなってしまいました。また次回に触れさせていただこうと思いますので、よろしくお願い致します。
皆さまへ
「イスラム国」に拘束されていた、後藤健二さんが殺害されたという情報が、報じられました。まことに痛ましい限りです。そして今後どのような展開が待ち受けるのか、戦慄をすら覚える感があります。なんでキリスト者であり、紛争地域の子供たちのために尽くした後藤さんが、犠牲にならねばならないのか。しかしここでは、もう一人の犠牲者とされる湯川遥菜さんに焦点をあてて、少し思いを致してみたいと思います。なぜなら自分自身を省みる時、湯川さんに対する複雑な思いが錯綜しているのに気づくからです。
伝え聞く報道の断片からは、その人生は思うにまかせず、行き詰ることも多かったようです。それが民間軍事会社なるものを設立し、経験を積むために紛争地に赴き、あえなく拘束されたとのことです。どうにもに腑に落ちない点が多いのですが、これが事実だとすると、あまりに愚かで、滑稽です。
(故人に対して、失礼な表現をすることをお許し下さい。)
“複雑な思い”というのは、一方では心の奥底で、この愚かさを自分自身のこれまでの生き様の愚かさと重ねあわせ、身につまされる思いがあるからです。しかしその一方で、そんな自分を見ないようにして、湯川さんの愚かさだけを見下してあざ笑い、助かるんだったら立派な後藤さんの方だと、勝手に序列をつけている自分に気づかされます。そしてオレの方がまだましだと、湯川さんをだしにして、ささやかな慰めを得ている自分がいる。
そんな自分に、「イスラム国」以上に戦慄を覚えるものですから、湯川さんに対する自分の思いの全体をひた隠しにして、表面的には後藤さんの犠牲の方に意識をフォ-カスさせている。しかし実際には、見えないようにしている潜在意識の奥底では、湯川さんの犠牲のうめきに呼応して、はるかに大きな共鳴が呼び起こされている。そして反面教師として、実に多くの教訓を教えられている。『阿Q正伝』の作者魯迅であれば、文句なく湯川さんの方を小説の題材に選んだことでしょう。
いずれにせよ、犠牲者は多くのことを語るものです。そんな死者の声に耳を傾けつつ、2月6日の火曜日も、パンセの集いを行います。16時から表参道のフィルムクレッセントです。
今回は、生命を何億年にもわたって滅びから守り育んできた、私たちの中にある“深層のいのち叡知”について、お話しするつもりでした。でも事情があって、時間がとれなくなってしまいました。また次回に触れさせていただこうと思いますので、よろしくお願い致します。