■2015年4月5日 パンセ通信 No.26『心が栄えて、モノが栄える』
皆 様 へ
自分を生かして人を生かして、互いに生かしあってリッチに生きることを目指す『パンセ・ドゥ・高野山』のホ-ムペ-ジで、「老・病・死の豊かな意味」のコンテンツをアップしました。トップペ-ジの写真下のコラムから入るか、以下をクリックして内容をご参照下さい。
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http://www.pensee-du-koyasan.com/pages/shinuimi
(表示まで時間がかかりますが、ご辛抱を)
さて、再びケニアで武装集団による大学の襲撃があり、148名もの前途を担う若者が犠牲となりました。ロシアではオホ-ツク海で漁船が転覆し、60名近くの人が命を落としています。恐らく、こうした人間の愚かさから1度に多数の罪のない人々の命が奪われる事態が、まだまだ続いていくのかもしれません。昔、石川県七尾市妙観院の北原隆義副住職が、近年の日本を「モノで栄えて心で滅ぶ」と称されていましたが、いよいよ日本のみならず世界が「モノも滅んで心も滅ぶ」、いやもっと正確に表現するなら、「心が滅んで、モノも経済も社会も滅ぶ」という段階に入ってきたのかもしれません。チュニジアでは日本人観光客が犠牲になりましたが、ケニアやパリで起こったテロの惨劇は、ショックは受けても、遠い世界の出来事のように思われる方もあるかもしれません。でもじつは、けっしてそうではない状況となりつつあるのです。集団的自衛権に向けて安保法制が整備される今、自衛官が犠牲となり、日本がテロの標的とされることは、覚悟しなくてはならない事態となってきます。問題なのは、そのこと自体の是非ではありません。日本国憲法が機能を果たさず、私たち国民の覚悟や決意がないままに、権力を担う方々の閣議決定だけで、事態が推移しているということです。じつは冷静に考えると、これはとんでもないことなのですけど、それをとんでもないと思う心が鈍ってしまい、異なる可能性を見る目も失って、仕方がないと流されていってしまうこと - それこそがまさに心が病み、そして心が滅びるという状況なのですね。恐らく自衛官が犠牲となっても、その方が英雄視される事態となり、そんな法律をつくった政府の責任は問われず、逆にそんな指摘をする者が、非国民扱いされてしまう。この国を逃げ出してオーストラリアかどこかへ移住するなら、今のうちかもしれません。(お金があるならば)
でもまあ、私たちの心の奥底には、先の大戦の経験も、先人たちの智慧と祈りも息づいています。私たちが何を基準にしてものごとを捉え、どうすれば私たちのすぐ身の回りにある様々な可能性が見えてきて心が嬉しくなって、私たちの政治のリ-ダ-も一緒になって「心が栄えて、経済も社会も栄える」道を歩み始めることができるのか。ご一緒に考えていってみたいと思います。次回のパンセの集いは、4月7日の火曜日16時からです。場所は表参道のフィルムクレッセントです。
さて前回は、市場経済社会における「富と出世の競争ゲ-ム」に加えて、もう1つの人生・社会ゲ-ムとして「いのちの豊さの拡大ゲ-ム」の必要について触れてみました。モノ(経済)といのち(心)の2つの相関するゲ-ムの展開です。戦後すぐや高度成長期の日本、また私有財産と自由な市場経済が立ち上がり始めた近代の当初は、『モノが栄えて、心が満たされる』という状況が続いたことと思われます。それがやがてバブルから低成長の時代の日本に象徴されるように、『モノが栄えて、心が滅ぶ』という状況に陥っていきます。まあこれも仕方のないことで、いのちを豊かにするためにモノを豊かにしようと獅子奮迅の努力をしているうちに、いつの間にか目的と手段が逆転して、モノの富の追求が目的となってしまい、心といのちがないがしろにされていくのもわからないではありません。人間の性(さが)というか、あるいは業(ごう)とも呼べる心性ですね。それでも、「モノが滅んで心も滅ぶ」という悲惨な餓鬼道であえぐよりはましで、モノが栄えれば良しとしなければ、この理屈で生きてきた私のような中高年は浮かばれません。でも、ちょっと考えてみれば子供でもわかることなのですが、モノだけが栄える(経済成長で、物質的豊かさだけは享受できる)状況が、長続きしようはずがありません。心が滅んでモノが栄えるなんてことは出来ないからです。誰も住まない不動産開発をしたり、財政赤字を増やすだけの公共投資をしても、行き詰まるだけです。人のいのちと生活のためにならない投資は、資源を浪費し、人の心を荒廃させ、やがて行き場の無い荒(すさ)んだ心が、テロに象徴されるようにモノと社会に逆襲をし始めます。『モノが栄えて、心が滅ぶ』状況は、必ず『心が滅んで、モノも滅ぶ』という状況に至ってしまいます。安倍総理も日銀の黒田さんも頑張っていらっしゃって尊敬するのですが、心の栄え、つまり1人1人のいのちの配慮と生活の充足のない経済成長なんて、あり得ようはずがないのです。
日本のインダストリアルデザイナ-の草分けで、世界的にも活躍された栄久庵憲司さんが、モノには心があるとおっしゃり続けて、去る2月8日にこの世での使命を終え、天に召されました。モノに心を感じれば、モノと人との関わりの新しい世界(需要)が見えてくると語られ、そのモノと人のいのちの関わり方を、次々とデザインによって引き出されていかれました。そのためには、モノを自分の好き勝手に使って消費する、つまり奴隷にしてしまってはいけないと語られます。モノも心も生かされるように対等なコミュニケ-ションを図っていく。そこにモノも心も育まれ、共に栄える道が開かれてくるとおっしゃるのです。
栄久庵さんは、お寺の住職の息子として生まれ、広島で育ちます。原爆で焼けただれた寺や街や幾多のモノを目にし、仏さまの教えを、もう1つのぶつ(物=仏)・モノを通じて伝えることを決意されます。元来道具という言葉には、道を具(そなえ)るという意味があります。モノを通じて、いのちの道を示し続けることを、一生の仕事とされたのです。
栄久庵さんだけではありません、建築家の丹下健三(カトリック信徒)さんも、多くの企業経営者も、みんなみんなあの終戦の8月15日の廃墟を経験された私たちの先輩たちは、モノの復興を通じて、いのちの復興を果たすことに心血を注ぎ、人生を奉げられたのです。そしてそこに、いのちの燃える喜びと人生の意味と価値を感じられたのです。モノと心は別物なんかではないのです。モノの栄えと心の栄えは、じつに一体のものなのです。
今年は戦後70年。これまでモノたちが精一杯頑張ってきてくれたおかげで、私たちのいのちと生活の豊かさが育まれてきました。しかし今、この仕組みが制度疲労をおこし、もはやモノだけによる成長の余地が無くなりつつあります。今度は心が引っ張って、モノの豊かさを引き出してあげなければなりません。そしてもう目的と手段がひっくり返る過ちを犯すことなく、心もモノも、共に支えあって豊かになっていく道を歩んで行かなければなりません。栄久庵憲司さんが歩まれた道のようにです。いや明治維新期にも戦後期にも、たくさんの傑出された方々が輩出されましたが、その方々は皆、モノ(経済・社会)といのちの育みの豊な循環を、しっかりと心のうちに堅持されていました。それを堅持されて実現しようとされたからこそ、傑出された方として、今でも多くの示唆を与え私たちの心を捉えるのです。
それでは『心が栄えて、モノが栄える』というのは、具体的にはどんなありようなのでしょうか。そしてそれを可能とする社会の仕組みというのは、いったいどういうものなのでしょうか。
NHKの朝ドラ「マッサン」で、日本人に本物のウイスキ-を提供すること使命と考えるマッサンが、終戦後に出回った粗悪品の三級ウイスキ-を馬鹿にし、その製造を嫌う場面があります。でも、悲惨なシベリア抑留から帰ってきた甥っ子が、なけなしの金で口にした三級ウイスキ-が、どれほど自分のいのちを励ましたかと怒り、マッサンに食ってかかります。その出来事を機にマッサンは、誰にでも飲める安くてうまい“いのちの水”である三級ウイスキ-を造るために、全身全霊を傾けていきます。敗戦に飢え乾いた多くの人々の魂に、いのちの水を届けるためにです。
また同じく2011年の朝ドラの「カ-ネ-ション」では、日本のファッションデザイナ-の草分けでコシノ三姉妹の母親である主人公が、晩年になって、病院で患者さんをモデルにファッションショ-を開く場面があります。ファッションとは、人のいのちを励まし、いのちを引き立てるものだという信念があったからです。そして幼い子を抱えて末期ガンと診断されていた一人の母親が、そのファッションによって生きる意欲が引き出され、奇跡の回復を遂げていく姿が紹介されます。人のいのちを尊ぶ祈りが、いのちを励ますものづくりを生んでいったのです。ここに次の時代のテ-マである、モノと心の豊な育みあいの一側面を垣間見ることが出来ないでしょうか。3.11の被災者を勇気づけた、多くの音楽の取り組みもそうでしょう。また3.11以降の災害復旧に奮闘する自衛隊もそうだと思います。そこに私たちは、命を奪う軍隊ではなく、“いのちを守る自衛隊”を見たのではないでしょうか。破壊し殺す機能としてではなく、いのちを守り救う機能としての自衛隊。本当にそうなる時、自衛隊員も私たちも、どれほど誇らしく嬉しく、その存在を世界に対して胸張ることができることでしょうか。
戦国時代の初めに日本を訪れて、キリスト教を布教したフラシスコ・ザビエルは、日本人のやさしさを愛し、感謝と尊敬の念さえも抱くようになりました。それは戦乱の世にあっても、人々は貧しさと荒廃の中で、乏しいものを分かち合い、ともに助け合って暮らしていたからです。そして京都への旅で難儀していた見ず知らずのザビエルたち一行にさえも、やさしく救いの手をさしのべたからです。布教に来たザビエルが、逆に日本の庶民と触れあって、その信仰を深められていきます。そしてその日本人のやさしい心根は、現代の3.11の悲惨な状況においても発揮され、人々は分かち合い、助け合って難局をしのぎました。今私たちは、「心が滅び、モノが滅ぶ」困難な時代に直面しています。しかし私たちの心の中には、しっかりと先人たちから受け継いだ「心が栄えて、モノが栄える」誇るべき心性が息づいています。いかにその心性を呼び覚まして、滅びに打ち勝って、モノも心も豊かに育む社会をつくっていくことが出来るか。“おもてなし”がテ-マになる東京オリンピックは、その1つの契機になるかもしれません。まずは「心が栄えて、モノが栄える」事例をもっと具体的に描いて、私たちが確かに可能性を見出して、希望を取り戻すようにしていかなければなりません。その一方で、私たちが、戦前のような滅びに向けての大きなうねりに流されるのではなく、いのちの価値に立ち帰り続けられるように、心を養うための方法と考え方を明らかにしていかなければなりません。そして、それらのことを可能とする様々な仕組みについても考えていかなければなりません。幸いなことに、その萌芽は今この国の至るところにきざし始めています。その1つ1つを取り上げて結びあわせていくうちに、私たちの目が開かれ、心も躍るようになってくることと思われます。そんな願いを持って、パンセの集いを4月7日の火曜日に行います。お時間が許し、ご興味のある方はご一緒致しましょう。
でもまあ、私たちの心の奥底には、先の大戦の経験も、先人たちの智慧と祈りも息づいています。私たちが何を基準にしてものごとを捉え、どうすれば私たちのすぐ身の回りにある様々な可能性が見えてきて心が嬉しくなって、私たちの政治のリ-ダ-も一緒になって「心が栄えて、経済も社会も栄える」道を歩み始めることができるのか。ご一緒に考えていってみたいと思います。次回のパンセの集いは、4月7日の火曜日16時からです。場所は表参道のフィルムクレッセントです。
さて前回は、市場経済社会における「富と出世の競争ゲ-ム」に加えて、もう1つの人生・社会ゲ-ムとして「いのちの豊さの拡大ゲ-ム」の必要について触れてみました。モノ(経済)といのち(心)の2つの相関するゲ-ムの展開です。戦後すぐや高度成長期の日本、また私有財産と自由な市場経済が立ち上がり始めた近代の当初は、『モノが栄えて、心が満たされる』という状況が続いたことと思われます。それがやがてバブルから低成長の時代の日本に象徴されるように、『モノが栄えて、心が滅ぶ』という状況に陥っていきます。まあこれも仕方のないことで、いのちを豊かにするためにモノを豊かにしようと獅子奮迅の努力をしているうちに、いつの間にか目的と手段が逆転して、モノの富の追求が目的となってしまい、心といのちがないがしろにされていくのもわからないではありません。人間の性(さが)というか、あるいは業(ごう)とも呼べる心性ですね。それでも、「モノが滅んで心も滅ぶ」という悲惨な餓鬼道であえぐよりはましで、モノが栄えれば良しとしなければ、この理屈で生きてきた私のような中高年は浮かばれません。でも、ちょっと考えてみれば子供でもわかることなのですが、モノだけが栄える(経済成長で、物質的豊かさだけは享受できる)状況が、長続きしようはずがありません。心が滅んでモノが栄えるなんてことは出来ないからです。誰も住まない不動産開発をしたり、財政赤字を増やすだけの公共投資をしても、行き詰まるだけです。人のいのちと生活のためにならない投資は、資源を浪費し、人の心を荒廃させ、やがて行き場の無い荒(すさ)んだ心が、テロに象徴されるようにモノと社会に逆襲をし始めます。『モノが栄えて、心が滅ぶ』状況は、必ず『心が滅んで、モノも滅ぶ』という状況に至ってしまいます。安倍総理も日銀の黒田さんも頑張っていらっしゃって尊敬するのですが、心の栄え、つまり1人1人のいのちの配慮と生活の充足のない経済成長なんて、あり得ようはずがないのです。
日本のインダストリアルデザイナ-の草分けで、世界的にも活躍された栄久庵憲司さんが、モノには心があるとおっしゃり続けて、去る2月8日にこの世での使命を終え、天に召されました。モノに心を感じれば、モノと人との関わりの新しい世界(需要)が見えてくると語られ、そのモノと人のいのちの関わり方を、次々とデザインによって引き出されていかれました。そのためには、モノを自分の好き勝手に使って消費する、つまり奴隷にしてしまってはいけないと語られます。モノも心も生かされるように対等なコミュニケ-ションを図っていく。そこにモノも心も育まれ、共に栄える道が開かれてくるとおっしゃるのです。
栄久庵さんは、お寺の住職の息子として生まれ、広島で育ちます。原爆で焼けただれた寺や街や幾多のモノを目にし、仏さまの教えを、もう1つのぶつ(物=仏)・モノを通じて伝えることを決意されます。元来道具という言葉には、道を具(そなえ)るという意味があります。モノを通じて、いのちの道を示し続けることを、一生の仕事とされたのです。
栄久庵さんだけではありません、建築家の丹下健三(カトリック信徒)さんも、多くの企業経営者も、みんなみんなあの終戦の8月15日の廃墟を経験された私たちの先輩たちは、モノの復興を通じて、いのちの復興を果たすことに心血を注ぎ、人生を奉げられたのです。そしてそこに、いのちの燃える喜びと人生の意味と価値を感じられたのです。モノと心は別物なんかではないのです。モノの栄えと心の栄えは、じつに一体のものなのです。
今年は戦後70年。これまでモノたちが精一杯頑張ってきてくれたおかげで、私たちのいのちと生活の豊かさが育まれてきました。しかし今、この仕組みが制度疲労をおこし、もはやモノだけによる成長の余地が無くなりつつあります。今度は心が引っ張って、モノの豊かさを引き出してあげなければなりません。そしてもう目的と手段がひっくり返る過ちを犯すことなく、心もモノも、共に支えあって豊かになっていく道を歩んで行かなければなりません。栄久庵憲司さんが歩まれた道のようにです。いや明治維新期にも戦後期にも、たくさんの傑出された方々が輩出されましたが、その方々は皆、モノ(経済・社会)といのちの育みの豊な循環を、しっかりと心のうちに堅持されていました。それを堅持されて実現しようとされたからこそ、傑出された方として、今でも多くの示唆を与え私たちの心を捉えるのです。
それでは『心が栄えて、モノが栄える』というのは、具体的にはどんなありようなのでしょうか。そしてそれを可能とする社会の仕組みというのは、いったいどういうものなのでしょうか。
NHKの朝ドラ「マッサン」で、日本人に本物のウイスキ-を提供すること使命と考えるマッサンが、終戦後に出回った粗悪品の三級ウイスキ-を馬鹿にし、その製造を嫌う場面があります。でも、悲惨なシベリア抑留から帰ってきた甥っ子が、なけなしの金で口にした三級ウイスキ-が、どれほど自分のいのちを励ましたかと怒り、マッサンに食ってかかります。その出来事を機にマッサンは、誰にでも飲める安くてうまい“いのちの水”である三級ウイスキ-を造るために、全身全霊を傾けていきます。敗戦に飢え乾いた多くの人々の魂に、いのちの水を届けるためにです。
また同じく2011年の朝ドラの「カ-ネ-ション」では、日本のファッションデザイナ-の草分けでコシノ三姉妹の母親である主人公が、晩年になって、病院で患者さんをモデルにファッションショ-を開く場面があります。ファッションとは、人のいのちを励まし、いのちを引き立てるものだという信念があったからです。そして幼い子を抱えて末期ガンと診断されていた一人の母親が、そのファッションによって生きる意欲が引き出され、奇跡の回復を遂げていく姿が紹介されます。人のいのちを尊ぶ祈りが、いのちを励ますものづくりを生んでいったのです。ここに次の時代のテ-マである、モノと心の豊な育みあいの一側面を垣間見ることが出来ないでしょうか。3.11の被災者を勇気づけた、多くの音楽の取り組みもそうでしょう。また3.11以降の災害復旧に奮闘する自衛隊もそうだと思います。そこに私たちは、命を奪う軍隊ではなく、“いのちを守る自衛隊”を見たのではないでしょうか。破壊し殺す機能としてではなく、いのちを守り救う機能としての自衛隊。本当にそうなる時、自衛隊員も私たちも、どれほど誇らしく嬉しく、その存在を世界に対して胸張ることができることでしょうか。
戦国時代の初めに日本を訪れて、キリスト教を布教したフラシスコ・ザビエルは、日本人のやさしさを愛し、感謝と尊敬の念さえも抱くようになりました。それは戦乱の世にあっても、人々は貧しさと荒廃の中で、乏しいものを分かち合い、ともに助け合って暮らしていたからです。そして京都への旅で難儀していた見ず知らずのザビエルたち一行にさえも、やさしく救いの手をさしのべたからです。布教に来たザビエルが、逆に日本の庶民と触れあって、その信仰を深められていきます。そしてその日本人のやさしい心根は、現代の3.11の悲惨な状況においても発揮され、人々は分かち合い、助け合って難局をしのぎました。今私たちは、「心が滅び、モノが滅ぶ」困難な時代に直面しています。しかし私たちの心の中には、しっかりと先人たちから受け継いだ「心が栄えて、モノが栄える」誇るべき心性が息づいています。いかにその心性を呼び覚まして、滅びに打ち勝って、モノも心も豊かに育む社会をつくっていくことが出来るか。“おもてなし”がテ-マになる東京オリンピックは、その1つの契機になるかもしれません。まずは「心が栄えて、モノが栄える」事例をもっと具体的に描いて、私たちが確かに可能性を見出して、希望を取り戻すようにしていかなければなりません。その一方で、私たちが、戦前のような滅びに向けての大きなうねりに流されるのではなく、いのちの価値に立ち帰り続けられるように、心を養うための方法と考え方を明らかにしていかなければなりません。そして、それらのことを可能とする様々な仕組みについても考えていかなければなりません。幸いなことに、その萌芽は今この国の至るところにきざし始めています。その1つ1つを取り上げて結びあわせていくうちに、私たちの目が開かれ、心も躍るようになってくることと思われます。そんな願いを持って、パンセの集いを4月7日の火曜日に行います。お時間が許し、ご興味のある方はご一緒致しましょう。