ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信No.48『いのちの力を内包し伝えるいのちの価値』

Sep 06 - 2015

■2015.9.6パンセ通信No.48『いのちの力を内包し伝えるいのちの価値』

皆 様 へ

ヨ-ロッパに、戦乱の続くシリアからの難民が押し寄せています。人道的な見地から胸の痛む思いがするのですが、じつはそれだけではすみません。遠い中東・ヨーロッパのことなので、なんと気の毒にと思う人も多いことでしょうが、やはり日本ではどこか他人事です。現在シリアの難民は400万人にも達し、そのうち200万人はトルコ領内にいて、その一部が陸路ヨーロッパへと押し寄せているようです。またカダフィ政権が崩壊したリビア等北アフリカからも、治安の悪化と貧困から、海路ヨ-ロッパを目指す人たちが押し寄せています。原因は何なのか。シリアの内戦等の悲惨な状況を放置してきたことです。リビアもイラクもアフガニスタンも、混乱の中に放置されたままです。何か問題が起こっても、知らんぷりして頬かむりしてしまうのは、私たち日本人の得意とするところですが、思いもよらずある日その問題が噴出してくることがあるのです。豊かなヨ-ロッパの先進国は、今その代償を払わざるを得なくなっているのです。歴史をみれば、危険や飢えから大量の人々が逃げ出し、その大移動のために滅びた国はいくらでもあります。東アジアにおいても、私たちは、北朝鮮という国に2000万人もの人々を飢えと圧政のもとに“隔離”して、私たちは安寧を享受しています。いつ崩壊して閉じ込められている人々が、脱出してきてもおかしくない状況なのにです。中国ですら、ますますこれから矛盾が激化していくことでしょう。だから本当に私たちは、目を覚まして備えをしておかなければなりません。未来を見据えながら、手を打っていかなければならないのです。私たち一人一人が矛盾に目を反らさないで、希望の持てる未来を描いて、備えをしていけるようになるためにはどうすれば良いのか。次回のパンセの集いは、9月8日火曜日の16時からです。いつものように、表参道のフィルムクレッセントで行います。

さて私たちは、未だに前時代の経済成長の呪縛から解き放たれずに、過去の栄光の何分の一かでも良いから好景気を享受したいと思うものですから、相変わらず経済はうまくいきません。成長経済を前提にした現在の社会システムも、当然うまく機能せず矛盾を深めています。そうした行き詰まりの困難さに陥って、私たちはようやく自分自身を捉える時に、弱者の視点からも捉えられるようになってきました。しかしそれでも国家レベルで考える時には、先進国に暮らす私たちは、まだまだ途上国の貧困と苦難に目を閉ざしています。そしてそれを放置すれば、今回のヨ-ロッパへの難民流入のように、手痛い代償を払うことになりかねないのです。今私たちに求められているのは、こうしたすべての問題に、ある程度はうまく対応することが出来るような新しい展望を描くことです。そこでまず、“いのち価値”やその価値を生み出す“いのちの力について、考えを巡らしてきております。

このいのち価値やいのちの力というのは、普遍的絶対的にそうした価値があると考えているのではなくて、今の私たちの求めを集約して現したようなものとして捉えています。このような価値を想定すれば、うまい展望を考えていくことができるといったキ-ワードのようなものです。だから当然、教条的なスロ-ガンとして覚えるようなものではなく、その内容が私たちの共通の求めをうまく言い表しているかどうかを問い続けていかなければなりません。また時代や環境が大きく一変すれば、新しいキ-ワ-ドが必要となってくるようなものです。そのようなものとしての“いのちの価値”のイメ-ジを描いてみるとするなら、それは次のようなものを想定できるのではないでしょうか。

まず“生命”と“いのち”を分けて考えてみたいと思います。生命というのは、物理法則によって捉えられる生物の生命活動のあり方です。例えば食物というのは、私たちの身体に必要ないろいろな栄養素を提供し、身体を維持するのに不可欠の物質です。しかし一方で私たちは、旬の食材や特別の記念の料理を味わう時、新鮮な気分になったり、特別の励ましを得たような気分になります。先週ご紹介した軍兵六農園の小橋さんのつくる野菜などは、単なる栄養分だけではなく、大地の力をしっかりと分かち持って、都会生活の中で歪み衰えた私たちのいのちの力を回復し、再び調和の力を高める効果を持っています。これが物質的な生命とは異なるいのちの力のイメ-ジです。

自然の生態系においては、細菌や微生物まで含めてあらゆる生き物や物質が、みごとな代謝とコミュニケ-ションを行い、芸術的に微妙なバランスをもって、すべてが生きて繁栄する秩序と調和を自己形成しています。そこに無駄な存在や不要なものは一切ありません。弱者も無価値に見える存在も、生態系のバランスを形成していく中で、重要な役割を果たしているのです。さらに生態系に脅威を及ぼすと思われる外敵でさえも、時間をかけて生態系のいのちの秩序の中に取り込んでいきます。一時期外来種として日本全国に猛威を振るったセイタカアワダチ草も、今はおとなしく自然の生態系の中に取り込まれ、背丈もすっかり短くなってススキなどと仲良く生育している姿なども見かけます。そして時にこの外敵の影響とそれへの対応が、生態系や進化のプロセスに新しい飛躍をもたらしたりさえするのです。このようにいのちの力は、これまでの人間の価値観では弱者や無価値に見える存在であっても、すべてのものに潜む能力と役割を引き出して価値あるものとし、すべてのいのちや存在をそのものらしく生かして、全体が交流し育み合って繁栄できるように、みごとな調和と平和を生み出していくのです。

自然の生態系をこのようなものとして捉える時、自然は汲めども汲めども尽きせぬ叡知の宝庫として、私たち人間の前に立ち現れてきます。自然は学べば学ぶほど、次々と新しい側面と仕組みを私たちに開示していってくれます。それはかつての時代のように、人間が支配し資源として利用するような対象ではなく、畏怖し謙虚に学び続ける対象となってきています。なぜならこの自然には、40億年にわたって生命が滅びずに繁栄し、これからも進化していくために必要な膨大なデータと智慧とが組み込まれているからです。そこでこの自然の生態系に働く力を“いのちの力”と呼んでみることにするのです。そしてこのいのちの力が合わさって、大きな普遍のいのちの力の流れとなって、私たちを生かそうと常に働きかけてくれているのです。

このようないのちの力があると仮定したみた時、私たちは深い安堵の信頼のうちに、自分のいのちが励まされる思いがしないでしょうか。そしてこのいのちの力を詰め込んで受け渡すものがいのちの価値です。たとえば美しい里山の風景や、軍兵六農園のお野菜たちは、このいのち価値を有しています。それが私たちに伝わる時、私たちの中のいのちの力を活性化します。私たちも生き物である以上、母親からこのいのちの力を受け渡されています。しかしいのちに反する生活を繰り返すうちに、この生来のいのちの力が消耗していってしまいます。この私たちの中のいのちの力が、いのちの価値を有する存在によって媒介されて充足される時、私たちは再びいのちに生きられるようになっていきます。自分を本当に大切にし、自分の価値を育み、自分が良く生きていけるために他者との共生の必要を深く理解し、生かし合って調和して生きていくようになります。そしてすべての生物と将来の世代が良く生きられるための環境づくりにも貢献していくことになります。またすべてのいのちを生かそうとする視点から世界を見る時に、今まで見えなかったものが見えてきて、私たちの創造性やインスピレ-ションが鋭く機能し始めてくるのです。こうして自分のいのちの力を高め、いのちの価値を増した者は、今度はそのいのちの価値を他者に分け与えるようになります。そして他者のいのちの力を励まし、そのことによってさらに自分のいのちの力と価値を増していくという循環をつくっていくことになるのです。

もちろんそんないのちの力なんて、本当にあるのかと言われれば、目に見えないのでわかりませんとしか答えようがありません。しかし物質の世界を構成する素粒子のクオ-クやレプトン、そしてヒックス粒子だって誰も見た人などありません。ただそういう存在を想定した方が、物質現象の説明がうまく出来るというのでその再現性実験を重ねて、その存在の信憑を高めてきただけのことです。そうだとするなら、いのちの力を仮定してみて、それで私たちがよりうまく社会を運営して人生を生きられるようになるのであれば、素粒子の実在と同じように大事なこととして信憑を高めていけば良いのです。(古来より東洋では、いのちの実在する素粒子として“気”なんてものまで想定してきたのですから)

このいのちの力や、それを内包して伝えるいのちの価値を想定してみた時、私たちの暮らしや社会について、どのように私たちの求めが適う展望を描き出していていくことができるのか。また商品や経済はどうなっていくのか。さらに検討を重ねていきたいと思います。次回のパンセの集いは、9月8日火曜日の16時からです。お時間許す方はご参加下さい。