■2015.11.1パンセ通信No.56メモ『芸術的直観と実践力 - 相澤さんのご逝去に寄せて』
皆 様 へ
最初に訃報ですが、フィルムクレッセントの代表である 相澤 徹 さんが、10月22日ご逝去されました。ガンを抱えながらも映画製作の仕事に精力を傾けてこられたのですが、8月に74歳のお誕生日を迎えられたのも束の間、ご自宅で静かに息を引き取られました。
相澤さんは『高野山の案内犬ゴン』の映画製作を企画し、また私どもの『パンセ・ドゥ・高野山』のプロジェクト発足の契機ともなった方です。劇団民芸映画社以来50年にわたって一貫して商業ベ-スにのらない自主映画を製作してこられ、日本の映画史の中でも異彩を放つ人物でした。製作した映画の本数は、劇映画以外にドキュメンタリ-等を含めると30本以上にも及びます。数限りない映画製作会社が倒産したり夜逃げしたりする中にあって、一切の商業資本の後ろ盾なく、フィルムクレッセントで映画製作を続けてこられたことは、本当に特筆すべきことでしょう。それが出来たのは、何よりも相澤さんの強烈な個性に依るところが大きいと言えます。苛烈なまでに強引な製作資金集めと、姑息なまでにしたたかな上映先の確保と観客動員、そしてえぐいまでの製作費の節減。しかしその一方で、製作スタッフへのギャラの支払いで迷惑をかけたことはなく、斜陽化した映画産業で職を失った日本の映画人に、少なからず仕事を与えてきた人物とも言えるでしょう。こうしたすさまじいまでの行動力と利益確保へのあくなき執着があったからこそ、世間受けしない映画を作り続けるという奇跡を成し遂げることが出来たのでしょう。ところが相澤さんには、これだけではなくもう1つの奇跡の才能があったのです。それは卓越した芸術的直観力を持っていたということです。現代は経済的利益や欲望消費にのみ人々が駆られて、人間の生き様がどんどん平板であさましい方向に流れてしまっているのですが、相澤さんはこうした風潮に一切迎合することなく、一貫して人間の良心やいのち価値を伝えることをテーマとした映画づくりに邁進して来られました。こうした内容をもった話題や原作を嗅ぎ取る直感力がなみなみならず、その直感に迷うことなく食らいついて、剛腕をもって次々と映画作品に仕上げていかれたのです。
従って相澤さんのつくられた映画は、一見どの世代にも通用する無難な教育映画のように見えて、その実どの作品にも時代を越えて通用する普遍的な価値がしっかりと組み込まれており、現在もそしてこれからも、様々に私たちのいのちのあり方に問いかけてくる要素を持っています。その具体的な内容については、おいおい皆様に紹介していければ思うのですが、それに先立って相澤さんの生き様が私たちに教えるのは、先ほども紹介しましたように、いのち価値への直観力とそれを商品化するための強引なまでの実践力のアンヴィバレントさを生きぬいてこられたということでしょう。私たちも今、財貨の価値に対するいのち力やいのち価値について考えを進めてきておりますが、やはりそれを現在のコマ-シャリズムの中で、金銭的価値も産むものにまで具体化させていくのでなければ、私たちの人生も社会も生態系も、現実的に変えていくことは困難でしょう。
そしてまた相澤さんは、その生き様ばかりなくその死に様についても、様々なことを私たちに考えさせてくれました。ガンといのちの関係については、かなり大きなテ-マなのでまた別の機会に取り上げることにしたいのですが、ここでは末期ガンにおける緩和ケアと延命治療を通じて、相澤さんが私たちに示唆してくれたものについて触れてみたいと思います。現代においては相澤さんの最期のように、もはや本来の自然な死というあり方ではなく、病院等において人間の医療の細工が施された死というものが一般的となってきています。もちろん科学を手段として人間が死をコントロ-ルしようとして、わずかながらでも生存状態を引き延ばそうとするような悪あがきは、人間の傲慢というもので、生死を越えたいのちの価値を毀損すること以外の何ものでもないでしょう。しかしその一方で、すでに自然の寿命と人間の医療がここまで積み上げてきた末期(まつご)の迎え方を、自然の死のメカニズムに反すると言って非難することも問題があると思われます。私たちが現代の閉塞を脱していきたいのなら、人間の小賢しい営みによる変化をも大きく包み込んで、なおかついのち価値を実現していこうとする大きな自然のいのちの営みを知って、すでに終末期医療のような進展してしまった状況をも柔軟に受け入れて対応していくことが求められてきます。今私たちはようやくにして、自然を支配して力づくで生きようとする姿勢から、自然の生態系や身体の機能から多くの事を学んで、その仕組みをうまく用いることで全体が利益を得るような、調和を重視した生き方を身につけようとしています。ですからすでに進展した末期の医療のあり方についても、それを受容し、そこにも現れてくる生死を越えたいのちの力の働きをしっかりと見定めて、生きる糧としていく態度が求められてくるでしょう。
さてここまで故人である相澤さんに対して、随分失礼なものの言い方をしてきたわけなのですが、これもこれまでのパンセ通信で述べてきたように、個人の弔いの最初の段階としては必要なことだと言えるでしょう。ますは忌憚のない個人の思い出を語ることが大事なのです。そしてこれを起点に相澤さんとの生死越えたいのちの交流を持ち続けていくことによって、私たちはいのち価値に立ち帰り、またその価値を育んで現実に実現していく営みへと向かっていくことが出来るようになるのです。
ところで今週の火曜日は11月3日の文化の日ということで、祭日であることからパンセの集いはお休みします。そのため相澤さんを知る方は、それぞれにご冥福をお祈り頂ければと思います。そしてまたこれからはいよいよ、身体の制約を離れて自由となった相澤さんの精神にも励まされて、相澤さんが残された映画作品やその生き様や死に様を通じて、ますます多くのことを学び取っていければと思っております。なお相澤さんの葬儀は、ご遺族の意向もありすでに密葬にて終わりましたが、ご遺骨とご位牌は、初七日の過ぎる11月4日以降表参道のフィルムクレッセント事務所に安置することとしております。お近くにお越しの折には、いつでもお気軽にお立ち寄り頂きお弔い頂ければと存じます。
P.S. 前回までのパンセ通信においては、いのちの価値を供与しつつ市場性ある商品サ-ビスとしての終活のあり方について考えてきました。次回以降引き続き、その終活の内容を深めて考えていければと思います。そこでまずは具体的に、葬儀やお墓の機能とこれからのあり方について考えていければと思います。
皆 様 へ
最初に訃報ですが、フィルムクレッセントの代表である 相澤 徹 さんが、10月22日ご逝去されました。ガンを抱えながらも映画製作の仕事に精力を傾けてこられたのですが、8月に74歳のお誕生日を迎えられたのも束の間、ご自宅で静かに息を引き取られました。
相澤さんは『高野山の案内犬ゴン』の映画製作を企画し、また私どもの『パンセ・ドゥ・高野山』のプロジェクト発足の契機ともなった方です。劇団民芸映画社以来50年にわたって一貫して商業ベ-スにのらない自主映画を製作してこられ、日本の映画史の中でも異彩を放つ人物でした。製作した映画の本数は、劇映画以外にドキュメンタリ-等を含めると30本以上にも及びます。数限りない映画製作会社が倒産したり夜逃げしたりする中にあって、一切の商業資本の後ろ盾なく、フィルムクレッセントで映画製作を続けてこられたことは、本当に特筆すべきことでしょう。それが出来たのは、何よりも相澤さんの強烈な個性に依るところが大きいと言えます。苛烈なまでに強引な製作資金集めと、姑息なまでにしたたかな上映先の確保と観客動員、そしてえぐいまでの製作費の節減。しかしその一方で、製作スタッフへのギャラの支払いで迷惑をかけたことはなく、斜陽化した映画産業で職を失った日本の映画人に、少なからず仕事を与えてきた人物とも言えるでしょう。こうしたすさまじいまでの行動力と利益確保へのあくなき執着があったからこそ、世間受けしない映画を作り続けるという奇跡を成し遂げることが出来たのでしょう。ところが相澤さんには、これだけではなくもう1つの奇跡の才能があったのです。それは卓越した芸術的直観力を持っていたということです。現代は経済的利益や欲望消費にのみ人々が駆られて、人間の生き様がどんどん平板であさましい方向に流れてしまっているのですが、相澤さんはこうした風潮に一切迎合することなく、一貫して人間の良心やいのち価値を伝えることをテーマとした映画づくりに邁進して来られました。こうした内容をもった話題や原作を嗅ぎ取る直感力がなみなみならず、その直感に迷うことなく食らいついて、剛腕をもって次々と映画作品に仕上げていかれたのです。
従って相澤さんのつくられた映画は、一見どの世代にも通用する無難な教育映画のように見えて、その実どの作品にも時代を越えて通用する普遍的な価値がしっかりと組み込まれており、現在もそしてこれからも、様々に私たちのいのちのあり方に問いかけてくる要素を持っています。その具体的な内容については、おいおい皆様に紹介していければ思うのですが、それに先立って相澤さんの生き様が私たちに教えるのは、先ほども紹介しましたように、いのち価値への直観力とそれを商品化するための強引なまでの実践力のアンヴィバレントさを生きぬいてこられたということでしょう。私たちも今、財貨の価値に対するいのち力やいのち価値について考えを進めてきておりますが、やはりそれを現在のコマ-シャリズムの中で、金銭的価値も産むものにまで具体化させていくのでなければ、私たちの人生も社会も生態系も、現実的に変えていくことは困難でしょう。
そしてまた相澤さんは、その生き様ばかりなくその死に様についても、様々なことを私たちに考えさせてくれました。ガンといのちの関係については、かなり大きなテ-マなのでまた別の機会に取り上げることにしたいのですが、ここでは末期ガンにおける緩和ケアと延命治療を通じて、相澤さんが私たちに示唆してくれたものについて触れてみたいと思います。現代においては相澤さんの最期のように、もはや本来の自然な死というあり方ではなく、病院等において人間の医療の細工が施された死というものが一般的となってきています。もちろん科学を手段として人間が死をコントロ-ルしようとして、わずかながらでも生存状態を引き延ばそうとするような悪あがきは、人間の傲慢というもので、生死を越えたいのちの価値を毀損すること以外の何ものでもないでしょう。しかしその一方で、すでに自然の寿命と人間の医療がここまで積み上げてきた末期(まつご)の迎え方を、自然の死のメカニズムに反すると言って非難することも問題があると思われます。私たちが現代の閉塞を脱していきたいのなら、人間の小賢しい営みによる変化をも大きく包み込んで、なおかついのち価値を実現していこうとする大きな自然のいのちの営みを知って、すでに終末期医療のような進展してしまった状況をも柔軟に受け入れて対応していくことが求められてきます。今私たちはようやくにして、自然を支配して力づくで生きようとする姿勢から、自然の生態系や身体の機能から多くの事を学んで、その仕組みをうまく用いることで全体が利益を得るような、調和を重視した生き方を身につけようとしています。ですからすでに進展した末期の医療のあり方についても、それを受容し、そこにも現れてくる生死を越えたいのちの力の働きをしっかりと見定めて、生きる糧としていく態度が求められてくるでしょう。
さてここまで故人である相澤さんに対して、随分失礼なものの言い方をしてきたわけなのですが、これもこれまでのパンセ通信で述べてきたように、個人の弔いの最初の段階としては必要なことだと言えるでしょう。ますは忌憚のない個人の思い出を語ることが大事なのです。そしてこれを起点に相澤さんとの生死越えたいのちの交流を持ち続けていくことによって、私たちはいのち価値に立ち帰り、またその価値を育んで現実に実現していく営みへと向かっていくことが出来るようになるのです。
ところで今週の火曜日は11月3日の文化の日ということで、祭日であることからパンセの集いはお休みします。そのため相澤さんを知る方は、それぞれにご冥福をお祈り頂ければと思います。そしてまたこれからはいよいよ、身体の制約を離れて自由となった相澤さんの精神にも励まされて、相澤さんが残された映画作品やその生き様や死に様を通じて、ますます多くのことを学び取っていければと思っております。なお相澤さんの葬儀は、ご遺族の意向もありすでに密葬にて終わりましたが、ご遺骨とご位牌は、初七日の過ぎる11月4日以降表参道のフィルムクレッセント事務所に安置することとしております。お近くにお越しの折には、いつでもお気軽にお立ち寄り頂きお弔い頂ければと存じます。
P.S. 前回までのパンセ通信においては、いのちの価値を供与しつつ市場性ある商品サ-ビスとしての終活のあり方について考えてきました。次回以降引き続き、その終活の内容を深めて考えていければと思います。そこでまずは具体的に、葬儀やお墓の機能とこれからのあり方について考えていければと思います。