ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信No.58『生死を越えたいのちの依り代-墓とその将来1/2』

Nov 15 - 2015

■2015.11.15パンセ通信No.58『生死を越えたいのちの依り代-墓とその将来1/2』

皆 様 へ

フランスで再び同時多発テロが発生しました。ISによると思われる周到に準備されたテロが同時に8ヶ所で発生し、死者の数は130名にも及ぶとされています。この直前には、ロシアの旅客機のシナイ半島での墜落事件がおこり、これもテロが疑われています。パンセ通信でも、今年に入って何度このような悲惨なニュ-スに触れなければならなかったことでしょうか。怒りが込み上げる一方で、もはやうんざりする気持ちがおこってくると共に、あまりのこうした衝撃の頻繁さに少し感覚が麻痺する気分にも襲われてしまいます。しかし何よりも重たくのしかかるのは、言いようのない不安と不気味さです。新聞には無差別のテロによる蛮行は、国際社会への挑戦という見出しが躍っています。確かにそうでしょう。それならばISやアルカイダなどのテロ組織の壊滅のために、先進諸国は報復として立ち向かうことになるのか。しかしそこで生じるのは報復の連鎖です。そして各国でテロの危機や難民問題を口実に、ナショナリストや極右勢力が力をさらに増して、民主主義やリベラル勢力の存在基盤がますます掘り崩されていってしまいます。こうして世界は第二次大戦以前の状況のように、次第に寛容さを失って、再び狂乱の渦の中に理性と平安の秩序が崩れ去っていってしまうのではないか。これが頻発する無差別テロに対して、沸き起こってくる不気味さの感情の理由でしょう。それではそうならないために、いったいどうすれば良いのか。第二次世界大戦で何千万もの人々の犠牲と何億もの人々の生活奪って、世界の荒廃を招いた贖罪の念から歩み始めた世界が、戦後70年を経た今、再びその平和と協調と経済の秩序が危機に瀕するに至ったようです。私たちはいったいどうすれば良いのでしょうか。小さくて無力な私たちにも、手をこまねいているだけではなく、何かささやかでも出来ることがあるのでしょうか。そんなことについても、考えていってみたいと思います。今週のパンセの集いは、11月17日火曜日の16時から行います。場所はいつものように表参道のフィルムクレッセントです。

過去2回のパンセ通信でもお伝えしましたように、フィルムクレッセントの相澤さんが亡くなり、また世界が経済不況とテロに揺れる不安の中で、やはり私たちは、根源的に人間を支え生きる指針を導くいのちの価値に立ち帰って、その原点から考えを進め直していくことが必要でしょう。このいのち価値の内実をさらに明らかにし、それが実現する生き方や社会経済のあり方を具体化するために、これまでにまず近代以降私たちが目を背けてきた、老いと死の問題を問い直すことから試みを始めております。今回はその続きの問題として“墓”の機能について、いのちの価値との関連から考え直していってみたいと思います。

今日において葬儀は、直葬、散骨などに象徴されるように、もはや葬儀など執り行わず墓も持たないという風潮に直面してきております。その理由は、葬儀も墓地もその意味と価値が見失われて形骸化し、不明朗で高額な経費のみが際立ってしまっているために、そんな金額を支出する価値が無いと判断されているからでしょう。まことに当然至極の流れだと思います。でもはたして葬儀や墓には、もはや何の意味も価値も見いだせなくなってしまっているのでしょうか。そこに人間の生きる力を整え励ますような、いのちの価値を高める機能は完全に無くなってしまったのでしょうか。このことに関して、まず墓を中心に私たちの先人たちはどのようなイメ-ジを抱き、価値を見出し、その価値を具現化するためにどう墓を造り守ってきたのかについて考えを進めていってみたいと思います。

死者を埋葬するという風習は、すでに10万年前のネアンデルタ-ル人の時代から見られることが報告されています。遺体を野ざらしにするのではなく埋葬したからこそ、他の旧原人に比べてネアンデルタ-ル人の化石は、際立って良く保存されて現在に至るまで多く残されているのです。そして石器などの副葬品と共に、花が手向けられた痕跡さえも残っているそうです。そこには死者に対する残された者のせつない思いが浮かび上がってきます。人間の意識の中では、死は息を引き取ったという一時点で画されるものではありません。徐々に死に向かって衰えてゆく時から始まり、そして愛する者、親しく共に生きた者が息を引き取った後も、その人の生きた記憶は生ける者の心に残り、その悲しみが日常の生活の営みのうちにまぎれて癒されていくまで、死の出来事は続いていくのです。恐らく人間と死の出会いの最初は、このように残された者の悲しみと、死者に対して出来るせめてもの弔いの念から始まったものなのでしょう。残された者の心の慰め、それが墓の機能の始まりだったように思われます。しかしこの機能の中心は、後に葬儀やそれに引き続く一連の追善供養の様式が発達したことによって、それに置き換わっていきます。

もちろん世界の民族の中には、埋葬の習慣がなく、従って墓を設けない民族も少なくありません。チベットでは鳥葬が行われ、ヒンドゥ-教では遺灰や遺骨を川や海に流し、インドでは遺体をガンジス川に流します。沖縄や古来の日本では、殯(もがり)と呼ばれる風葬が行われていました。しかし埋葬は行わなくとも、生者の死者に対する弔いと悲しみの思いは同じでしょう。しかしここで少し注意をしておかなければならないのは、古事記に現れるイザナギとイザナミの黄泉の国の物語でしょう。亡くなったイザナミを求めて黄泉の国に下ったイザナギが、約束を破ってイザナミの腐乱死体を目にしてしまいます。殯(風葬)という遺体を野にさらす処理の形式を行っていたのですから、当然目にする光景だったことでしょう。そこで怒ったイザナミに追われたイザナギは、ほうほうの体で逃げ帰り、黄泉の国とこの世との境を大岩で塞ぎます。ここから、死に対する穢れという観念が生まれてきました。また穢れた死者の蘇りや死の力に飲み込まれる恐れを断ち切るために、死者を土中に埋め、その上に石を置いて封じ込めるという観念も出てきたことがわかります。死や墓に対して、私たちがそうした観念もあわせ持っていることは、頭に置いておく必要のあることでしょう。

ところで墓が最初に歴史の舞台に堂々と登場するのは、エジプトのピラミッドや、日本の前方後円墳のような巨大墳墓としての形態です。こうした墳墓は権力誇示の象徴とか、偉大な王の業績を後世に残すモニュメントとしての役割がその目的として指摘されていますが、果たしてそれだけのものでしょうか。古代社会にとって王は、武力知力によって支配権を掌握した権力者というよりは、共同体を象徴するシンボル的存在であり、また神と民とをつなぐ媒介者としての役割が振り当てられます。そうだとするならば、巨大墳墓は王個人の偉業を称えるものというよりは、王を通じて国の民全体が神のいのちへとつながるシンボルとしての機能を果たしていたとも考えることが出来るでしょう。それがために国力を傾けて墳墓の建設が行われ、多くの民がその建設に進んで参加したのです。そしてピラミッドに象徴されるように、それは来世のいのちを保証する舞台装置でもあったのです。古代の墳墓には、まぎれもなく生死を越えた永遠のいのちへの切なる願いが託され、そのことにより墳墓は、生ける者のこの世での生の安心と死後に至るまでの希望を与えるモニュメントとなったのです。そしてこれが、死者への弔いと生者の癒しに次ぐ、墓の持つ二つ目の機能なのです。

その後日本では、仏教の影響で貴族や豪族など有力者については、五輪塔とあわせて石造りの個人や一門の墓などがつくられていきます。庶民においては、一部都市部などにおいては野ざらしに遺体が捨てられたという記述もありますが、村落共同体の一角に墓地が設けられ、家族・親族ごとに墓がつくられていきます。石塔が置かれるようになったのは、江戸時代以降と言われています。また家庭内に仏壇を設置しその中に位牌を置くことも、やはり江戸時代から普及してきます。こうして墓や位牌は、生ける者と死者とが応答し、生ける者のいのちを励まし生き方の指針を正すという機能を担うようになっていきます。これが墓の持つ3つめの機能です。この死者と生者との応答関係については、すでにパンセ通信のNo.53とNo.54で触れたのですが、それでは位牌と墓とはその機能においてどのように異なるのでしょうか。位牌はそこに故人の戒名が記されるように、一般的には具体的な個人としての故人を偲び、弔う機能を果たします。それに比して墓は、個人だけではなくむしろ家族・親族の祖霊を祀るという機能が大きくなります。先ほど述べたように、死は恐れであり穢れでもあるという観念があるのですが、こうして仏壇・位牌を拝み墓を守ることによって死者が成仏していくことにより、そうした死の穢れの力は、逆に生者を生かし導く強力なパワ-へと変貌していきます。墓は生前自分が知る個人の魂のみならず、成仏した祖先のすべての霊が宿るので、より一層パワフルないのちの力の源となります。それ故に、墓は一族親族を結び付ける根幹の機能を担うことともなるのです。これが農耕定住社会として親族共同体の性格の強かったかつての日本の社会において、私たちの先人たちが墓を大切にした理由なのです。なおキリスト教においては、その死生観から最後の審判を受けて復活をとげるまでの、死者が安らかに永眠する場所としての墓のイメ-ジが強くなります。

さて生きる指針を導き、生きる力を再生させるいのちの力の価値が見失われた現代においては、当然の帰結として生死を越えたいのちの働きも顧みられなくなり、葬儀も位牌も墓の意味も見失われていきます。特に農耕定住社会が、工業社会から移動の自由な情報サ-ビス産業社会に移行し、親族共同体が崩壊した現在に至っては、墓の存在は存亡の危機に陥っているとも言えるでしょう。実際日本中の至る所で、先祖代々の墓を維持できない問題がおこっています。先祖から親・子・孫と受け継がれ、親族の絆の核であった墓が維持できないということは、家系の継続が維持できないということを意味します。そしてそのことは、この国の滅びを予兆させる事象ではあるのですが、すでに生じてしまっている現実に文句を言っていても仕方の無いことでしょう。問題なのは、すでにこれまでにあったような墓のあり方は維持できないとしても、私たちがこれからの時代を生きていくにあたって、墓の機能も全くに意味が無くなってしまったのかということです。そしてもし意味があるとしたのなら、いったいどんな墓の形態が無理なく維持できて、その本来の機能を十分に発揮させることが出来るかということでしょう。

すでに厳しい少子高齢化と人口減少の波は、従来の家系による墓の存続形態を不可能とさせ、一部散骨や樹木葬などの新しい埋葬形式も見られるようになってきています。特に近年都市部においては、共同墓地への合祀による永代供養や、ロッカ-式の納骨スペ-スを持つ墓苑ビルや地下納骨堂、そしてコンピュ-タ制御で遺骨の入った厨子が自動的に参拝口にセットされる堂内陵墓などのお墓の形式が、自然発生的に普及し始めています。子孫による墓の維持や供養が期待できず、同じ都会部にあって近親者の参拝にも負担をかけず、かつ費用も手ごろなためにこうした形式の墓所が普及するのも、時代の流れとして受留めねばならないことでしょう。それではこうしたお墓のあり方を、いのちの価値からみた墓の機能とどう結びつけて考えていけば良いのか。そしてもう1度墓や葬儀のあり方から、私たちの生き方を問い直し、いのちの力を強めていくものとするために何か良い方法はあるのか。そうした課題について具体的に考えを進めていって、成熟社会における終活のあり方を見直していく一助にしていってみたいと思います。次回のパンセの集いは、11月17日火曜日の16時からです。お時間許す方はご参加下さい。