■2015.11.22パンセ通信No.59『墓はいのちのパワースポット-墓とその将来2/2』
皆 様 へ
現世価値を求めて競争し、貨幣や市場経済によって人やモノとの関係が抽象化する現代にあっては、人間は孤立化します。しかも合理と実証主義が時代精神となっているために、私たちは科学的に検証できるものしか確信を持つことが出来ません。こうなると人と人との関係も、金銭や利害のように目に見えて確実なものだけが人と人とを結ぶ術となり、打算を越えた縁や絆は希薄となっていきます。こうして私たちは、一人でこの世に生き、一人で死んでいくという孤独な観念以外は、確かなものと思えなくなります。いわんや死後の世界など検証も出来ないことですから、死は無だとしか思えない。これが現代文明の中で私たちが抱くことになる死生観の姿でしょう。もちろん今でも、私たちは人が死ねば葬儀を行い、お墓も建てます。でもそれは過去からの慣習でやっているにすぎないことで、本当のところその意義や目的などわかってはいません。加えて葬儀や墓には、不明朗な会計で多額の費用も要することから負担感ばかりが大きく、また親族の絆が薄れる中で、先祖からの墓の維持も大変になってきています。こうして葬儀や墓は、次第に簡素化される方向に向かい、過去のしがらみを断つ勇気のある人から、葬儀も行わず墓も持たないという人が現れてくることになります。
しかしその一方で、葬儀や墓など形式的に過ぎないことなので、全く止めてしまうと割り切ってしまうことにも、一抹の不安や恐れを抱くのも現代の私たちです。では果たして葬儀を行い墓を持つことに、何か特別な意味があるのでしょうか。その問いに答えるために、まず墓について私たちの先人たちが抱いてきたイメ-ジや墓が果たしてきた役割を明らかにすることによって、私たちがこの世を生きていくにあたっての墓の持つ意味や価値を、前回に引き続いて考えてみることにしたいと思います。今週のパンセの集いは、11月24日火曜日の16時から行います。場所はいつものように表参道のフィルムクレッセントです。
さて前回は、お墓の持つ機能についてその歴史的変遷をたどってみたのですが、今回はそのお墓の機能を、生者と死者との応答関係の視点からもう1度整理しなおし、お墓が生ける者にとって持つ意味を明らかにしていってみたいと思います。そしてその上で、現在進展している新しいお墓の形式が持つ可能性をも検証し、その可能性をさらに発揮させる方策についても考えていってみたいと思います。
ではまず墓はなぜつくられるようになったのかということから考えてみたいと思います。その役割の第1は、死者に対するせめてもの弔いの気持ちを表し、残された者の心の慰めを得るためのものだったと思われます。共に生きた者の亡骸を、せめて土で覆って埋葬し、野ざらしに放置したり獣が死体をついばむことを防ごうとしたのでしょう。この機能は、後に葬儀や追善供養が発達してくると、そちらの方にその主な役割が移っていきます。
お墓の持つ役割の第2は、死者の蘇りや穢れを封じ込めるために、死骸を土中に埋め、石で封印をするというものです。生きている者からすれば、死後に腐乱する遺体は確かに穢れの観念を惹き起こす対象であり、また死はまぎれもなく滅びの力の象徴です。その恐ろしい死の力を封じ込め、生ける自分のいのちに害が及ぶことのないようにしようという気持ちがおこってくるのは、わからないでもありません。しかし死者の立場に自分を置いて考えてみるなら、死んで自分が生ける者からそのように見られるということは、相当にやるせない感じがしてしまうものです。もちろん恨みつらみを抱いて、呪いの思いに死んでいく人もあることでしょうけれども、愛する家族の行く末を思って旅立っていく人も少なくはありません。この生者と死者の思いのジレンマは、やがて死の滅びと穢れに対する強大な恐れのパワ-を、生ける者のいのちを救済する力へと変えていくという天才的な転換を行うことによって解消されていくことになります。
お墓の役割の第3は、生死を越えたいのちの根源や永遠のいのちへと連なるためのモニュメントあるいはパワ-スポットとしてのシンボル的な機能です。古代世界におけるピラミッドや前方後円墳のような巨大墳墓は、この世から普遍のいのちへと至るための接点を、目に見えるように表現した壮大な舞台装置とも言えるでしょう。このすべての人々にとっての生死を越えたいのちのモニュメントを建造することによって、人々は死後の永遠のいのちへの希望を抱くことが可能となり、死後の不安から解放される安堵を得ることになります。そしてこの死後の不安からの解消によって、人々は空しさや虚無感から脱して、生の営みに注力していくことが出来るようになるのです。こうして死者を葬る墓は、逆説的ではありますが、人々にいのちの力を与えるパワ-スポットともなっていくのです。
さて個人と共同体との観念が一体化していた古代社会にあっては、王はすべての民の象徴的存在であるが故に、王のための1つの巨大墳墓を築くということは、すべての民の墳墓を築くことを象徴させることになります。しかし次第に1つの大きな共同体よりも、血縁でつながる氏族・親族の絆の方が強まることとなり、また個人の観念も生まれてくることになります。こうして墓は、一族や親族、また強力な力や影響力をもった個人ごとに建てられるようになり、祖霊や個人の霊が祀られ、死者と生者との出会いと応答の場ともなってくるのです。これがお墓の持つ第4の機能です。
人は誰しも、自分が死んだら無に帰するのではなく新たないのちに生きたいと思い、しかしまた永遠の安息に入りたいとも思うものでしょう。加えてこの世に残してきた家族や愛する者たちを見守り、そのいのちの力にもなりたいと思うものではないでしょうか。一言でいえば、これが成仏あるいは天国や永遠のいのちと呼ばれるものの状態です。こうして墓は、成仏した死者が永遠のやすらぎのうちにこの世の生者にいのちの力を与えるための拠り所ともなるのです。一方生者にとっては、墓に向かって手を合わせることにより祖霊や縁者の霊と相対し、自分のいのちの姿勢を正して、生きる意欲や力を励まされる場ともなっていきます。これがいのちを正し、いのちを励ますための死者と生者の応答の場としての墓の持つ機能です。
しかし江戸時代になって、家庭内に仏壇を置いて位牌を安置するようになると、生前自分が身近に接した故人とは、身近な位牌や最近では遺影において応答するようになり、墓はむしろ祖霊全体との応答の場としての意味合いが強くなってきます。パンセ通信No.54においても述べたところですが、日本人が培った死後の物語では、死者は死後まず得度して菩薩行に入ることになります。それを生者が、祈りや供養によって支えます。そして何年か後には死者は菩薩行を終えて如来となり、今度は完全な救済者となって生ける縁者のいのちを支える存在となるのです。こうしてこの世で悪の限りを尽くした者であっても、またこの世に恨みを抱いて死んでいった者であっても、生者の祈りによって鎮魂されて救済者へと転換していく可能性が開かれてくるのです。むしろ悪や恨みはその負のエネルギーが強い分だけ、鎮魂された後の救済のエネルギーも強くなると考えられます。そして概ね三十三回忌が過ぎて、その故人を生前知る者もいなくなる頃には、故人はもはや個別の人格性を失って、如来としての救済の力のままに大きな祖霊のいのちの力と一体化していくことになります。こうして墓は、祖霊の救済の力が集合する強力ないのちのパワ-スポットとなっていくのです。
そしてこの故に墓は、過去・現在・未来において親類縁者を結びつけ、生ける縁者が互いにいのちの営みを助け合う拠り所ともなってくるのです。これがお墓の持つ第5の機能です。かつてお墓が、自分のいのちの支える根っこのように思われて大切にされたのは、このお墓の持つ第4や第5の機能によるものなのです。
ところが今、家族親族の絆は喪失し、先祖代々の祖霊を祀るものとしてのお墓の維持が困難となってきています。このことは今まで見てきたようなお墓の機能が失われ、私たちのいのちの根っこが無くなることに通じる大変なことなのですが、これも時代の流れとして受け止める必要のあることなのでしょう。代わって前回ご紹介したように、主に都市部においては永代供養による合同墓やビルの内部等に多数のロッカ-式の納骨スペ-スを設けた集合墓などが、参拝の利便性やコストの安さ、墓の維持のために子孫に負担をかけないなどの理由から普及し始めています。大切なことはこうした新しいお墓の形式に対しても、これまで見てきたようなお墓の機能をいかにうまく発揮させていくかということです。お墓の機能とは、死者にとっては永遠の安息のうちに普遍のいのちと一体となって、生ける者にいのちの力を与える依り代となることであり、生者にとっては救済の力となった祖霊と向き合い、自分の生きる姿勢を正して生きる意欲と力を高める場となることです。そしてまた生ける者がいのちの価値に立ち返って、そこからつながり直し、互いに支えあって生きる拠点ともなっていくことです。この機能は非常に重要で、財貨の利益による経済成長の価値しか見えなくなった現代において、墓はいのち価値へと立ち返って生き方や社会のあり方を問い直す、重要な拠点としての役割を担うこととなるのです。
それでは先祖代々の墓と集合墓とは、いったいどこがどのように異なり、そのメリットデメリットは何なのでしょうか。先祖代々の墓の場合には、その墓を守る者もいのちの力を与える死者も、血縁で固く結ばれた縁者に限られます。しかし集合墓においては、その墓所全体として見れば、不特定多数の人たちが不特定多数の死者を祀る場となります。そして永代供養が原則ですから、やがて参る人の無くなった故人の霊は無数が合わさって、その墓所を訪れる無数の人々のいのちの救済を担う存在となっていくのです。恐らくこれは、墓所の持つ本来の姿の1つなのかもしれません。大阪の梅田ように、墓所であった所が多くの人々を惹き付ける繁華街となった例も少なくありません。また墓所を抱える寺の境内が、縁日のような祝祭空間へと変じていくこともよく目にするところです。このようにいのちの救済を願う死者の霊は、生ける者を惹き付け、いのちの力を与えたいというパワ-を宿しているのですから、そのパワ-を最大限に発揮させる仕組みの演出を心掛けねばなりません。もちろん仮に多数の人々が引き寄せられたとしても、単なる祝祭空間やイベント空間に終わらせるだけではいけません。そこに集う無数の人々が、死者からの呼び声の中でいのちの価値へと立ち戻っていく、墓所をそうしたいのちのパワ-スポットとしていくことが、肝心なこととなってくるのです。逆にまた死者の呼び声と願いに応えて、多数の人々を呼び寄せて集えるようにする工夫も必要です。そのためには、IT技術なども活用して故人の記憶や縁者の思いなども記録し、そこを訪れる人たちのいのちの糧としていくことも必要なことになるでしょう。また両国にある名刹大徳院などのように、およそ8,000にも及ぶ納骨スペ-スを有する巨大な納骨堂の中に、法事などのために人々が集えるスペ-スをいくつも備えていれば、その場所に故人の縁者に関わらず様々な人々が集い、いのちの価値への立ち返りのための多様なイベントなどに活用していくことができます。
このように集合墓を始めとした現在普及し始めているお墓の形態にあっても、死者と生者が応答して、いのちの力が励まされていくというお墓本来の機能を果たしていくことは、十分に可能なことと思われます。その可能性をさらに深く押し進めていければと思います。次回のパンセの集いは、11月24日火曜日の16時からです。お時間許す方はご参加下さい。
皆 様 へ
現世価値を求めて競争し、貨幣や市場経済によって人やモノとの関係が抽象化する現代にあっては、人間は孤立化します。しかも合理と実証主義が時代精神となっているために、私たちは科学的に検証できるものしか確信を持つことが出来ません。こうなると人と人との関係も、金銭や利害のように目に見えて確実なものだけが人と人とを結ぶ術となり、打算を越えた縁や絆は希薄となっていきます。こうして私たちは、一人でこの世に生き、一人で死んでいくという孤独な観念以外は、確かなものと思えなくなります。いわんや死後の世界など検証も出来ないことですから、死は無だとしか思えない。これが現代文明の中で私たちが抱くことになる死生観の姿でしょう。もちろん今でも、私たちは人が死ねば葬儀を行い、お墓も建てます。でもそれは過去からの慣習でやっているにすぎないことで、本当のところその意義や目的などわかってはいません。加えて葬儀や墓には、不明朗な会計で多額の費用も要することから負担感ばかりが大きく、また親族の絆が薄れる中で、先祖からの墓の維持も大変になってきています。こうして葬儀や墓は、次第に簡素化される方向に向かい、過去のしがらみを断つ勇気のある人から、葬儀も行わず墓も持たないという人が現れてくることになります。
しかしその一方で、葬儀や墓など形式的に過ぎないことなので、全く止めてしまうと割り切ってしまうことにも、一抹の不安や恐れを抱くのも現代の私たちです。では果たして葬儀を行い墓を持つことに、何か特別な意味があるのでしょうか。その問いに答えるために、まず墓について私たちの先人たちが抱いてきたイメ-ジや墓が果たしてきた役割を明らかにすることによって、私たちがこの世を生きていくにあたっての墓の持つ意味や価値を、前回に引き続いて考えてみることにしたいと思います。今週のパンセの集いは、11月24日火曜日の16時から行います。場所はいつものように表参道のフィルムクレッセントです。
さて前回は、お墓の持つ機能についてその歴史的変遷をたどってみたのですが、今回はそのお墓の機能を、生者と死者との応答関係の視点からもう1度整理しなおし、お墓が生ける者にとって持つ意味を明らかにしていってみたいと思います。そしてその上で、現在進展している新しいお墓の形式が持つ可能性をも検証し、その可能性をさらに発揮させる方策についても考えていってみたいと思います。
ではまず墓はなぜつくられるようになったのかということから考えてみたいと思います。その役割の第1は、死者に対するせめてもの弔いの気持ちを表し、残された者の心の慰めを得るためのものだったと思われます。共に生きた者の亡骸を、せめて土で覆って埋葬し、野ざらしに放置したり獣が死体をついばむことを防ごうとしたのでしょう。この機能は、後に葬儀や追善供養が発達してくると、そちらの方にその主な役割が移っていきます。
お墓の持つ役割の第2は、死者の蘇りや穢れを封じ込めるために、死骸を土中に埋め、石で封印をするというものです。生きている者からすれば、死後に腐乱する遺体は確かに穢れの観念を惹き起こす対象であり、また死はまぎれもなく滅びの力の象徴です。その恐ろしい死の力を封じ込め、生ける自分のいのちに害が及ぶことのないようにしようという気持ちがおこってくるのは、わからないでもありません。しかし死者の立場に自分を置いて考えてみるなら、死んで自分が生ける者からそのように見られるということは、相当にやるせない感じがしてしまうものです。もちろん恨みつらみを抱いて、呪いの思いに死んでいく人もあることでしょうけれども、愛する家族の行く末を思って旅立っていく人も少なくはありません。この生者と死者の思いのジレンマは、やがて死の滅びと穢れに対する強大な恐れのパワ-を、生ける者のいのちを救済する力へと変えていくという天才的な転換を行うことによって解消されていくことになります。
お墓の役割の第3は、生死を越えたいのちの根源や永遠のいのちへと連なるためのモニュメントあるいはパワ-スポットとしてのシンボル的な機能です。古代世界におけるピラミッドや前方後円墳のような巨大墳墓は、この世から普遍のいのちへと至るための接点を、目に見えるように表現した壮大な舞台装置とも言えるでしょう。このすべての人々にとっての生死を越えたいのちのモニュメントを建造することによって、人々は死後の永遠のいのちへの希望を抱くことが可能となり、死後の不安から解放される安堵を得ることになります。そしてこの死後の不安からの解消によって、人々は空しさや虚無感から脱して、生の営みに注力していくことが出来るようになるのです。こうして死者を葬る墓は、逆説的ではありますが、人々にいのちの力を与えるパワ-スポットともなっていくのです。
さて個人と共同体との観念が一体化していた古代社会にあっては、王はすべての民の象徴的存在であるが故に、王のための1つの巨大墳墓を築くということは、すべての民の墳墓を築くことを象徴させることになります。しかし次第に1つの大きな共同体よりも、血縁でつながる氏族・親族の絆の方が強まることとなり、また個人の観念も生まれてくることになります。こうして墓は、一族や親族、また強力な力や影響力をもった個人ごとに建てられるようになり、祖霊や個人の霊が祀られ、死者と生者との出会いと応答の場ともなってくるのです。これがお墓の持つ第4の機能です。
人は誰しも、自分が死んだら無に帰するのではなく新たないのちに生きたいと思い、しかしまた永遠の安息に入りたいとも思うものでしょう。加えてこの世に残してきた家族や愛する者たちを見守り、そのいのちの力にもなりたいと思うものではないでしょうか。一言でいえば、これが成仏あるいは天国や永遠のいのちと呼ばれるものの状態です。こうして墓は、成仏した死者が永遠のやすらぎのうちにこの世の生者にいのちの力を与えるための拠り所ともなるのです。一方生者にとっては、墓に向かって手を合わせることにより祖霊や縁者の霊と相対し、自分のいのちの姿勢を正して、生きる意欲や力を励まされる場ともなっていきます。これがいのちを正し、いのちを励ますための死者と生者の応答の場としての墓の持つ機能です。
しかし江戸時代になって、家庭内に仏壇を置いて位牌を安置するようになると、生前自分が身近に接した故人とは、身近な位牌や最近では遺影において応答するようになり、墓はむしろ祖霊全体との応答の場としての意味合いが強くなってきます。パンセ通信No.54においても述べたところですが、日本人が培った死後の物語では、死者は死後まず得度して菩薩行に入ることになります。それを生者が、祈りや供養によって支えます。そして何年か後には死者は菩薩行を終えて如来となり、今度は完全な救済者となって生ける縁者のいのちを支える存在となるのです。こうしてこの世で悪の限りを尽くした者であっても、またこの世に恨みを抱いて死んでいった者であっても、生者の祈りによって鎮魂されて救済者へと転換していく可能性が開かれてくるのです。むしろ悪や恨みはその負のエネルギーが強い分だけ、鎮魂された後の救済のエネルギーも強くなると考えられます。そして概ね三十三回忌が過ぎて、その故人を生前知る者もいなくなる頃には、故人はもはや個別の人格性を失って、如来としての救済の力のままに大きな祖霊のいのちの力と一体化していくことになります。こうして墓は、祖霊の救済の力が集合する強力ないのちのパワ-スポットとなっていくのです。
そしてこの故に墓は、過去・現在・未来において親類縁者を結びつけ、生ける縁者が互いにいのちの営みを助け合う拠り所ともなってくるのです。これがお墓の持つ第5の機能です。かつてお墓が、自分のいのちの支える根っこのように思われて大切にされたのは、このお墓の持つ第4や第5の機能によるものなのです。
ところが今、家族親族の絆は喪失し、先祖代々の祖霊を祀るものとしてのお墓の維持が困難となってきています。このことは今まで見てきたようなお墓の機能が失われ、私たちのいのちの根っこが無くなることに通じる大変なことなのですが、これも時代の流れとして受け止める必要のあることなのでしょう。代わって前回ご紹介したように、主に都市部においては永代供養による合同墓やビルの内部等に多数のロッカ-式の納骨スペ-スを設けた集合墓などが、参拝の利便性やコストの安さ、墓の維持のために子孫に負担をかけないなどの理由から普及し始めています。大切なことはこうした新しいお墓の形式に対しても、これまで見てきたようなお墓の機能をいかにうまく発揮させていくかということです。お墓の機能とは、死者にとっては永遠の安息のうちに普遍のいのちと一体となって、生ける者にいのちの力を与える依り代となることであり、生者にとっては救済の力となった祖霊と向き合い、自分の生きる姿勢を正して生きる意欲と力を高める場となることです。そしてまた生ける者がいのちの価値に立ち返って、そこからつながり直し、互いに支えあって生きる拠点ともなっていくことです。この機能は非常に重要で、財貨の利益による経済成長の価値しか見えなくなった現代において、墓はいのち価値へと立ち返って生き方や社会のあり方を問い直す、重要な拠点としての役割を担うこととなるのです。
それでは先祖代々の墓と集合墓とは、いったいどこがどのように異なり、そのメリットデメリットは何なのでしょうか。先祖代々の墓の場合には、その墓を守る者もいのちの力を与える死者も、血縁で固く結ばれた縁者に限られます。しかし集合墓においては、その墓所全体として見れば、不特定多数の人たちが不特定多数の死者を祀る場となります。そして永代供養が原則ですから、やがて参る人の無くなった故人の霊は無数が合わさって、その墓所を訪れる無数の人々のいのちの救済を担う存在となっていくのです。恐らくこれは、墓所の持つ本来の姿の1つなのかもしれません。大阪の梅田ように、墓所であった所が多くの人々を惹き付ける繁華街となった例も少なくありません。また墓所を抱える寺の境内が、縁日のような祝祭空間へと変じていくこともよく目にするところです。このようにいのちの救済を願う死者の霊は、生ける者を惹き付け、いのちの力を与えたいというパワ-を宿しているのですから、そのパワ-を最大限に発揮させる仕組みの演出を心掛けねばなりません。もちろん仮に多数の人々が引き寄せられたとしても、単なる祝祭空間やイベント空間に終わらせるだけではいけません。そこに集う無数の人々が、死者からの呼び声の中でいのちの価値へと立ち戻っていく、墓所をそうしたいのちのパワ-スポットとしていくことが、肝心なこととなってくるのです。逆にまた死者の呼び声と願いに応えて、多数の人々を呼び寄せて集えるようにする工夫も必要です。そのためには、IT技術なども活用して故人の記憶や縁者の思いなども記録し、そこを訪れる人たちのいのちの糧としていくことも必要なことになるでしょう。また両国にある名刹大徳院などのように、およそ8,000にも及ぶ納骨スペ-スを有する巨大な納骨堂の中に、法事などのために人々が集えるスペ-スをいくつも備えていれば、その場所に故人の縁者に関わらず様々な人々が集い、いのちの価値への立ち返りのための多様なイベントなどに活用していくことができます。
このように集合墓を始めとした現在普及し始めているお墓の形態にあっても、死者と生者が応答して、いのちの力が励まされていくというお墓本来の機能を果たしていくことは、十分に可能なことと思われます。その可能性をさらに深く押し進めていければと思います。次回のパンセの集いは、11月24日火曜日の16時からです。お時間許す方はご参加下さい。