■2015.12.13パンセ通信No.62『老いはいのちの恵み - 老いの望み1/2』
皆 様 へ
私とは何でしょう。私はどこにいるのでしょうか。心にいるとしたらその心はどこにあるのでしょうか。胸のあたりでしょうか。それとも脳でしょうか。でも胸を分解しても、脳を解剖しても“私”は出てきません。ただバラバラの臓器や細胞があるだけです。それではそれらの物質が反応して“私”が出来てくるのでしょうか。確かに塩酸に水酸化ナトリウムを注ぐと化学反応をおこして、水と食塩が出来てきます。でも反応して安定的な物質が出来ると、それで終わりです。もう変化は生じません。でも“私”は違います。手や足や、心臓や胃腸や、そしてたくさんの細胞と体の中に共生する細菌たちをまとめあげて、さらには細胞の内部でおこる無数の化学反応をもまとめあげて、“私”は活動し存在し続けます。たとえ片腕が無くなっても、毎日無数の細胞が死滅して新しい細胞に置き換わっても、“私”は生き続けます。この“私”として存在するものを、先人たちは“いのち”と呼んできました。“いのち”は、バラバラの物質をまとめあげて調和させ、代謝活動を機能させ、“私”として一つにして身体と心をつくりあげて維持して成長させる力です。また“私”がほかの“私”や生き物たち、そして自然環境とも共生して、生態系のすべてが滅びることなく豊かに繁栄していくようにつくりあげていく力のことでもあります。この“いのち”のことを、般若心経では「不生不滅、不垢不浄、不増不減」、つまり生まれもしなければ滅びもしない、穢れもしなければ清らかでもない、増えもしなければ減りもしない、つまり何があっても変わらずに存在し、支え続けるものとして教えます。
パンセの集いでは、この“いのちとしての私”について学び続けております。新年からは長らく利用させて頂いた表参道のフィルムクレッセントの事務所を離れ、両国の大徳院に場所を移します。そしてさらに多様に“いのち”について学び、“いのち”を育む取り組みを行っていければと考えております。パンセの集いのみならず、大徳院での法話や法事、フィルムクレッセント所蔵等の映画フィルムの鑑賞、両国陵苑での無数の祖霊に見守られての終活などのイベント、また講話会やパンフレット出版等を通じて、多面的に私たちが“いのち”に気づき、“いのち”を養っていく取り組みを行っていくことが出来ればと思っております。そうした取り組みへの準備も踏まえ、今週もパンセの集いを続けていきたいと存じます。日時は12月15日の火曜日16時からで、場所については年内いっぱいは引き続き表参道のフィルムクレッセントで行います。なおあわせて、Webサイト『パンセ・ドゥ・高野山』で“いのち”について情報発信しているTwitterのフォロワ-が、1,000名を越えましたことをご報告申し上げます。
さて安倍首相が1億総活躍社会ということを唱えています。そこで意図されている本音は、労働人口の減少に伴う国力の低下に対応するための、女性や高齢者、さらには引きこもり状態にある若者までをも含めた活用です。しかしそこには、労働力として生産活動に参加できることこそが人間として活躍できることであるという価値観が、暗黙のうちに前提されているように思われます。もしこのように何らかの経済的な生産活動を担えることだけが価値であるとするなら、老いや死に意味はありません。老いや死だけではなく、障害者や不治の病に寝込む者も、社会の重荷になるだけで価値はありません。でもはたしてそうでしょうか。もしも物質的な財貨を産みだす生産活動以外にも何か価値があって、それが私たちの見えないところで、この社会と自然を支える重要な役割を果たしているとしたらどうでしょうか。その見えない仕組みの中では、老いや死や弱者も重要な役割を果たしているのかもしれません。なぜならこの世に存在するものの中で、意味のないものなど無いからです。そんな見えないもう1つの価値 - いのちの価値を明らかにするために、パンセ通信ではこれまで10回にわたって、現代においては滅びとして忌み嫌われるだけでしかない“死”が、私たちの生きた方を正し、生死を越えたいのちの希望を与え、さらに私たちに生きる意欲と力を与えて世界を再生するパワ-を持つものであることを見てきました。今回からは、その死を準備する老いの意味と価値について考えていきたいと思います。
それでは、老いとはいったい何でしょうか。2つの特徴が考えられます。1つは身体の機能が衰え、精神的にも気力や集中力が減退し、生活するために他者からの何らかの配慮や支援が必要になるということです。もう1つはその結果として経済的にも自立が困難となり、家族や社会から扶養されるということです。もちろん自分名義の潤沢な財産を持つ人もいますが、そういう人も老いに至っては引退や隠居という名目で、もはや自分では働くことを致しません。老いの状態をこのようなものとして考えてみる時、現在は歴史上の過渡期で、心身上の老いの年齢と社会制度上の老いの年齢との間でギャップが生じていることがわかります。つまり老いに対する社会的な扶養である年金の支給開始年齢が、60歳から65歳へと移行しつつある状況なのですが、現状その年齢ではほとんどの人が心身上の老いの状態にはないということです。かつては60歳になれば還暦を祝って老人になった指標としたものです。また企業の退職年齢も55歳であったことから、現在のような年金の支給制度となったのですが、その後急速に日本人の寿命が延びて、高齢期での健康状態も改善されてきました。そうした私たちの喜ばしい心身の変化に、社会の仕組みがまだ追いついていないのです。このことの意味する課題と可能性については、また別の機会に検討することにしたいのですが、それでは現在において、心身面においても扶養面においても明らかに“老い”といえるのは、いったい何歳ぐらいからのことなのでしょうか。かつて60歳の還暦が、まだ老年期に入る目安として意味を持っていた時代、例えば昭和40年代と比較して考えてみましょう。その頃に明らかに老年といえる年代、つまり65歳以上の人口について全人口に対する比率を調べてみると、およそ7%でした。現在7%というのは、80歳以上の年齢の比率に相当します。確かに80歳ともなれば、いかに長寿国となった現代の日本といえども、他者からの配慮が必要なほどに心身の機能が衰え、当然のことながら経済的にも扶養されることが必要となってきます。
こうしたことから、現代において老いというのは、80歳以上の年齢の人々を具体的なモデルとしてイメ-ジして良いかと思います。もはや介護も含めて人の世話になってしか生きられない老い。社会的な負担になるのみならず、自身にとってももはや将来の可能性に生きることも限定されてしまう老い。そして何よりも、老化のためにどこかしら病に侵され、身体が思うにまかせず重荷となってしまう老い。そんな老いに、はたして意味はあるのでしょうか。もちろん人間は誰でも人間らしく生きる権利があるという人権論的な視点においては、老いを粗雑に扱うことは許されません。しかしそんな理念的なレベルではなく、老人の主観的な意識のレベルにおいても、また客観的な社会のレベルにおいても、老いは本当に積極的な意味あるものとしてその価値を見出すことができるのでしょうか。
しかし考えてみると、このように老いには本当に意味や価値があるのだろうかなどという問いを発すること自体が、すでに無意識のレベルで活動と生産を価値とする根深い先入観に侵されている私たちの、ものの見方の限界を露わにしているのかもしれません。私たちはこれまでいのち価値について学び続けてきました。私たちを生かし、この世界と自然のすべてを生かすいのちの力について考えてきました。もしすべてのものがいのちに生かされているなら、すべてのいのちの営みはそのままに意味があり、老いといういのちの現象にもそのままに意味があるはずです。私たちは発想のベクトルを逆転させねばなりません。いのちの価値の視点に立つならば、私たちの価値観を当てはめて老いを判断するのではなく、老いそのものにおいて機能する自然な身体や心の状況をそのままに見つめ、そこに現れるいのちの働きを謙虚に学び、その価値を見とっていかなければなりません。それでは老いというものをそのままに見つめる時、いったいそこからどんな自然ないのちの価値が見えてくるのでしょうか。
80歳を過ぎた高齢ともなれば、身体の自由は効かなくなってきます。体の重さのために動くことも億劫となってきます。目もかすみ耳も遠くなり、本を読んだりテレビやラジオを視たり聴いたりすることも、気力の必要なこととなってきます。そのために自ずと何もせずにじっと座って、ぼんやりしている時間が多くなってきます。他の人と話をしたとしても、繰り言のように昔話に花を咲かせるか、身体の不調による病院通いの話しが大半となります。それではぼんやりとして何をするのでしょうか。自ずとそれまで生きてきた過去の自分の記憶と向き合い、様々に去来する思いに浸る他はないでしょう。老いの必然としてそれしか出来なくなるのです。しかしそれしか出来なくなるということに意味があるのです。前回までのパンセ通信で、私たちがいのちに生きるために死者と向きあう意味を明らかにしてきましたが、人生の最後の老いの時においては、今度は自分の生きてきた人生の記憶と向き合うことが、この世でのいのちを意味あるものとして完成させていくために必要となってくるのです。
以前人間の心には、過去の記憶を美しく変えていく働きがあると話しました。そしてどれだけ美しい物語に変えていけるかは、その人の心の豊かさに比例するとお話し致しました。どんなに辛い思い出も、悔しい出来事も、今思えば懐かしく振り返り、許せるようになってくるのです。記憶は、誰にも侵されることのないその人だけの宝庫です。確かに過去に起こった事実は変えられません。しかしその意味を変えることは出来ます。先ほど老いにおいては、もはや可能性に生きることは制約されると話しましたが、自分自身の過去の記憶の膨大な遺産と向き合い、そこから自分がこの年齢まで生かされてきたいのちの物語を新しく見出していく可能性は豊かに広がっています。何も無理することはありません。何も意図する必要もありません。老いの衰えの中ではそんな頑張りも不可能でしょう。むしろ一切の意図や執着を捨てて、自分の中の自然ないのちの求めのままに過去の記憶と向き合えば良いのです。そして良い経験も悪い経験も、過去の経験の一つ一つの中からいのちの価値を見出し、いのちの物語に変えていく心の働きにまかせればよいのです。その営みそのものが、死に臨むにあたっての生死を越えたいのちの希望を自分に与え、後の世代にはいのちの所在を教え、またそのいのちの価値から家族や関わる人々の関係を結び直していくのです。その静かな力こそが老いの叡知というものでしょう。そしてその営みこそが、私たちの人生と社会と世界とをその深層において支えるいのちの価値を、新たにそして豊かに生み出してこの世界に供給していくのです。その具体的なプロセスを見ていくことによって、さらに老いの持つ意味と価値を明らかにしていってみたいと思います。次回のパンセの集いは、12月15日火曜日の16時からです。お時間許す方はご参加下さい。
皆 様 へ
私とは何でしょう。私はどこにいるのでしょうか。心にいるとしたらその心はどこにあるのでしょうか。胸のあたりでしょうか。それとも脳でしょうか。でも胸を分解しても、脳を解剖しても“私”は出てきません。ただバラバラの臓器や細胞があるだけです。それではそれらの物質が反応して“私”が出来てくるのでしょうか。確かに塩酸に水酸化ナトリウムを注ぐと化学反応をおこして、水と食塩が出来てきます。でも反応して安定的な物質が出来ると、それで終わりです。もう変化は生じません。でも“私”は違います。手や足や、心臓や胃腸や、そしてたくさんの細胞と体の中に共生する細菌たちをまとめあげて、さらには細胞の内部でおこる無数の化学反応をもまとめあげて、“私”は活動し存在し続けます。たとえ片腕が無くなっても、毎日無数の細胞が死滅して新しい細胞に置き換わっても、“私”は生き続けます。この“私”として存在するものを、先人たちは“いのち”と呼んできました。“いのち”は、バラバラの物質をまとめあげて調和させ、代謝活動を機能させ、“私”として一つにして身体と心をつくりあげて維持して成長させる力です。また“私”がほかの“私”や生き物たち、そして自然環境とも共生して、生態系のすべてが滅びることなく豊かに繁栄していくようにつくりあげていく力のことでもあります。この“いのち”のことを、般若心経では「不生不滅、不垢不浄、不増不減」、つまり生まれもしなければ滅びもしない、穢れもしなければ清らかでもない、増えもしなければ減りもしない、つまり何があっても変わらずに存在し、支え続けるものとして教えます。
パンセの集いでは、この“いのちとしての私”について学び続けております。新年からは長らく利用させて頂いた表参道のフィルムクレッセントの事務所を離れ、両国の大徳院に場所を移します。そしてさらに多様に“いのち”について学び、“いのち”を育む取り組みを行っていければと考えております。パンセの集いのみならず、大徳院での法話や法事、フィルムクレッセント所蔵等の映画フィルムの鑑賞、両国陵苑での無数の祖霊に見守られての終活などのイベント、また講話会やパンフレット出版等を通じて、多面的に私たちが“いのち”に気づき、“いのち”を養っていく取り組みを行っていくことが出来ればと思っております。そうした取り組みへの準備も踏まえ、今週もパンセの集いを続けていきたいと存じます。日時は12月15日の火曜日16時からで、場所については年内いっぱいは引き続き表参道のフィルムクレッセントで行います。なおあわせて、Webサイト『パンセ・ドゥ・高野山』で“いのち”について情報発信しているTwitterのフォロワ-が、1,000名を越えましたことをご報告申し上げます。
さて安倍首相が1億総活躍社会ということを唱えています。そこで意図されている本音は、労働人口の減少に伴う国力の低下に対応するための、女性や高齢者、さらには引きこもり状態にある若者までをも含めた活用です。しかしそこには、労働力として生産活動に参加できることこそが人間として活躍できることであるという価値観が、暗黙のうちに前提されているように思われます。もしこのように何らかの経済的な生産活動を担えることだけが価値であるとするなら、老いや死に意味はありません。老いや死だけではなく、障害者や不治の病に寝込む者も、社会の重荷になるだけで価値はありません。でもはたしてそうでしょうか。もしも物質的な財貨を産みだす生産活動以外にも何か価値があって、それが私たちの見えないところで、この社会と自然を支える重要な役割を果たしているとしたらどうでしょうか。その見えない仕組みの中では、老いや死や弱者も重要な役割を果たしているのかもしれません。なぜならこの世に存在するものの中で、意味のないものなど無いからです。そんな見えないもう1つの価値 - いのちの価値を明らかにするために、パンセ通信ではこれまで10回にわたって、現代においては滅びとして忌み嫌われるだけでしかない“死”が、私たちの生きた方を正し、生死を越えたいのちの希望を与え、さらに私たちに生きる意欲と力を与えて世界を再生するパワ-を持つものであることを見てきました。今回からは、その死を準備する老いの意味と価値について考えていきたいと思います。
それでは、老いとはいったい何でしょうか。2つの特徴が考えられます。1つは身体の機能が衰え、精神的にも気力や集中力が減退し、生活するために他者からの何らかの配慮や支援が必要になるということです。もう1つはその結果として経済的にも自立が困難となり、家族や社会から扶養されるということです。もちろん自分名義の潤沢な財産を持つ人もいますが、そういう人も老いに至っては引退や隠居という名目で、もはや自分では働くことを致しません。老いの状態をこのようなものとして考えてみる時、現在は歴史上の過渡期で、心身上の老いの年齢と社会制度上の老いの年齢との間でギャップが生じていることがわかります。つまり老いに対する社会的な扶養である年金の支給開始年齢が、60歳から65歳へと移行しつつある状況なのですが、現状その年齢ではほとんどの人が心身上の老いの状態にはないということです。かつては60歳になれば還暦を祝って老人になった指標としたものです。また企業の退職年齢も55歳であったことから、現在のような年金の支給制度となったのですが、その後急速に日本人の寿命が延びて、高齢期での健康状態も改善されてきました。そうした私たちの喜ばしい心身の変化に、社会の仕組みがまだ追いついていないのです。このことの意味する課題と可能性については、また別の機会に検討することにしたいのですが、それでは現在において、心身面においても扶養面においても明らかに“老い”といえるのは、いったい何歳ぐらいからのことなのでしょうか。かつて60歳の還暦が、まだ老年期に入る目安として意味を持っていた時代、例えば昭和40年代と比較して考えてみましょう。その頃に明らかに老年といえる年代、つまり65歳以上の人口について全人口に対する比率を調べてみると、およそ7%でした。現在7%というのは、80歳以上の年齢の比率に相当します。確かに80歳ともなれば、いかに長寿国となった現代の日本といえども、他者からの配慮が必要なほどに心身の機能が衰え、当然のことながら経済的にも扶養されることが必要となってきます。
こうしたことから、現代において老いというのは、80歳以上の年齢の人々を具体的なモデルとしてイメ-ジして良いかと思います。もはや介護も含めて人の世話になってしか生きられない老い。社会的な負担になるのみならず、自身にとってももはや将来の可能性に生きることも限定されてしまう老い。そして何よりも、老化のためにどこかしら病に侵され、身体が思うにまかせず重荷となってしまう老い。そんな老いに、はたして意味はあるのでしょうか。もちろん人間は誰でも人間らしく生きる権利があるという人権論的な視点においては、老いを粗雑に扱うことは許されません。しかしそんな理念的なレベルではなく、老人の主観的な意識のレベルにおいても、また客観的な社会のレベルにおいても、老いは本当に積極的な意味あるものとしてその価値を見出すことができるのでしょうか。
しかし考えてみると、このように老いには本当に意味や価値があるのだろうかなどという問いを発すること自体が、すでに無意識のレベルで活動と生産を価値とする根深い先入観に侵されている私たちの、ものの見方の限界を露わにしているのかもしれません。私たちはこれまでいのち価値について学び続けてきました。私たちを生かし、この世界と自然のすべてを生かすいのちの力について考えてきました。もしすべてのものがいのちに生かされているなら、すべてのいのちの営みはそのままに意味があり、老いといういのちの現象にもそのままに意味があるはずです。私たちは発想のベクトルを逆転させねばなりません。いのちの価値の視点に立つならば、私たちの価値観を当てはめて老いを判断するのではなく、老いそのものにおいて機能する自然な身体や心の状況をそのままに見つめ、そこに現れるいのちの働きを謙虚に学び、その価値を見とっていかなければなりません。それでは老いというものをそのままに見つめる時、いったいそこからどんな自然ないのちの価値が見えてくるのでしょうか。
80歳を過ぎた高齢ともなれば、身体の自由は効かなくなってきます。体の重さのために動くことも億劫となってきます。目もかすみ耳も遠くなり、本を読んだりテレビやラジオを視たり聴いたりすることも、気力の必要なこととなってきます。そのために自ずと何もせずにじっと座って、ぼんやりしている時間が多くなってきます。他の人と話をしたとしても、繰り言のように昔話に花を咲かせるか、身体の不調による病院通いの話しが大半となります。それではぼんやりとして何をするのでしょうか。自ずとそれまで生きてきた過去の自分の記憶と向き合い、様々に去来する思いに浸る他はないでしょう。老いの必然としてそれしか出来なくなるのです。しかしそれしか出来なくなるということに意味があるのです。前回までのパンセ通信で、私たちがいのちに生きるために死者と向きあう意味を明らかにしてきましたが、人生の最後の老いの時においては、今度は自分の生きてきた人生の記憶と向き合うことが、この世でのいのちを意味あるものとして完成させていくために必要となってくるのです。
以前人間の心には、過去の記憶を美しく変えていく働きがあると話しました。そしてどれだけ美しい物語に変えていけるかは、その人の心の豊かさに比例するとお話し致しました。どんなに辛い思い出も、悔しい出来事も、今思えば懐かしく振り返り、許せるようになってくるのです。記憶は、誰にも侵されることのないその人だけの宝庫です。確かに過去に起こった事実は変えられません。しかしその意味を変えることは出来ます。先ほど老いにおいては、もはや可能性に生きることは制約されると話しましたが、自分自身の過去の記憶の膨大な遺産と向き合い、そこから自分がこの年齢まで生かされてきたいのちの物語を新しく見出していく可能性は豊かに広がっています。何も無理することはありません。何も意図する必要もありません。老いの衰えの中ではそんな頑張りも不可能でしょう。むしろ一切の意図や執着を捨てて、自分の中の自然ないのちの求めのままに過去の記憶と向き合えば良いのです。そして良い経験も悪い経験も、過去の経験の一つ一つの中からいのちの価値を見出し、いのちの物語に変えていく心の働きにまかせればよいのです。その営みそのものが、死に臨むにあたっての生死を越えたいのちの希望を自分に与え、後の世代にはいのちの所在を教え、またそのいのちの価値から家族や関わる人々の関係を結び直していくのです。その静かな力こそが老いの叡知というものでしょう。そしてその営みこそが、私たちの人生と社会と世界とをその深層において支えるいのちの価値を、新たにそして豊かに生み出してこの世界に供給していくのです。その具体的なプロセスを見ていくことによって、さらに老いの持つ意味と価値を明らかにしていってみたいと思います。次回のパンセの集いは、12月15日火曜日の16時からです。お時間許す方はご参加下さい。