■2016.1.10パンセ通信No.66『老いの課題と備えの方法-終活と人生最後の物語』
皆 様 へ
Eテレの番組『東北発未来塾』の今月の講師に、宮城県栗原市にある曹洞宗(禅宗)通大寺のご住職金田諦應(たいおう)さんが登場されています。3.11東北大震災の後、超教派の宗教者による移動式傾聴ボランティア喫茶『カフェ・デ・モンク(修道士、僧)』の活動を続けてこられた方です。あまりにも大きな自然の猛威によって近親者を失った時、人は悲しみの深さに茫然自失して心が凍りついてしまいます。そんな量り難い喪失感と苦悩の中にある多くの人々のために、金田さんは宗教者としてこの取組みを始め、2万人にも上る人々の心を癒してこられました。そしていつしか敬愛の念を込めて、ガンジ-金田とも呼ばれるようになった方です。
その金田さんが、津波で子供を亡くした一人のお母さんの話を紹介されていました。子供を抱いて逃げたのですが、津波に飲み込まれてしまい、その手を離してしまったそうです。そして自分だけが生き残ってしまった。それ故このお母さんは、子供を殺したのは自分だと自らを責め、鬱状態に陥り、リストカットや自殺未遂を繰り返されていたのです。そのお母さんがある時、金田さんに焦点の定まらない目を向けてこう尋ねたのです。「和尚さん、私の子供は今どこにいるのでしょうか。」その時金田さんは、何も答えずただじっと待っていたとのことです。それから10分ほどもしてようやく金田さんが口を開いて、「お母さんだったら、どこにいてもらいたい。」と逆に尋ねます。そしてまた10分ほどの時間が流れてお母さん自身がようやく、「お花がいっぱい咲いて、光がいっぱいの場所に居てほしい。」と答えられたそうです。お母さんが息子さんの居る場所について、自分で自分の心の納得のいく答えを、時間をかけてつくっていかれたのです。そして次に金田さんがそのお母さんに会われた時に、お母さんは1枚の絵を描いて持ってこられたのです。花がいっぱいに咲いていて、光が豊かに降り注いでいる場所の絵です。さらにその絵の中には金田さんへのメッセ-ジも書いてあって、「わざわざ来て頂き本当に有難うございます。いつか息子に会える日まで、ゆっくり過ごしていきたいです。」と記されていたのです。金田さんは、この絵はルーブル美術館に飾られるべき価値のある絵だと言って、今も大切に保管されています。
金田さんはこのお話を紹介された後に、こう語られていました。「人間は、物語をつくることによって生きることが出来るものなのです。そして誰でも、自分で自分を生かす物語をつくる能力を持っている。東北大震災のように現実の悲劇が大きすぎると、人の心は動かなくなってしまいます。だからその凍りついた心を、喜怒哀楽の感情を取戻して揺り動かし、自分で物語をつくる能力呼び覚ましてあげなければなりません。私たちはただそのお手伝いをするだけです。」確かにこのお母さんは、自分で自分の物語をつくることで、癒されて生きる力を取り戻していきました。感じて、心を動かして、そして自分の物語をつくっていける時に、人は生きていくことができるのです。共に生きるとは、じつは自分が生きることの出来る物語を、互いにつくりあっていくことなのかもしれません。そしてそれは、老いにおいても同じです。人生の終末を迎えて、あらゆるものへの自分の影響力が覚束なくなり、もはや身一つとてもままならなくなった時に、もう1度子供が遊ぶように無心になって自分の人生を振り返り、自分が生きた人生の物語をつくり直して仕上げていく。そして望みのうちに平安な死を迎えていくと共に、そのいのちの望みを次の世代へと伝えていく。若い世代はそのいのちの望みを糧として受け取り、自分たち自身のこれからの生きる物語と時代全体の物語を新たにつくっていく。
今週のパンセの集いは、私たち人間が物語をつくって生きる存在であることを手掛かりに、今まで考えてきた老いの意味と価値を踏まえて、老いの課題と備えについて整理し、さらに現代における終活のあり方についても検討していければと思います。日時は1月12日火曜日の16時からです。場所につきましては、当初両国の大徳院を予定しておりましたが、法要が重なり、当面の間はいのちの求めの多い初台・幡ヶ谷で、地域の人たちの参加も得て行うことと致します。
ところで古代インドの人々は、人生の誕生・成長、壮年(生産期)、成熟、老衰・死という人生のサイクルにあわせて、四住期という人生を区分する捉え方をしていました。学生期(学問、技術を身につける時期)、家住期(職業を持ち家庭を営む時期)、林棲(住)期(本来の自分に立ち返って人生に向きあう時期)、そして遊行期(あらゆる執着を捨てて無心に遊行する時期)といった区分です。現代で言えば、学生期が大学を卒業するぐらいまでの人生の時期で、家住期が仕事と子育ての終わる60歳ぐらいまでの時期、そして林棲期が前期高齢者として区分される75歳ぐらいまでの時期となり、それ以降の年齢が遊行期ということになるでしょうか。現代のライフサイクルモデルが、青年期・壮年期・老年期などの人間の身体の加齢過程に応じて一生を区分するのに対し、四住期は、人生の各段階における生き方の内容と課題を意識して区分する点に違いがあります。終活というのは、ライフサイクルモデルでは人生の各段階での生き方の指針と課題が示せないことから、老年期の指針と課題を別に示すために生まれてきた言葉と言えるでしょう。ただし終活という言葉がそもそも生まれてきた背景には、少子化の問題があって、残された子供に負担をかけず、周囲にもなるたけ迷惑をかけずに人生を終わりたいという思いがあります。そのために生きている間に、出来るだけの準備をしておこうという思いが、色濃く反映された内容となっているのが現状のようです。
従って現在の終活において取り上げられる項目は、後に残された者が困らないように、生前のうちに自分の身辺を整理しておこうということと、死および死後に備えて自分の要望を明確にし、また準備出来るものは準備しておこうというものに限られているように思われます。ここで身辺の整理というのは、身の回りの物品や財産の整理と、社会的な関係の整理(後継者への継承や集団や組織で自分が居なくなっても良いようにしておくこと)のことです。また死に向けての要望とは、介護や末期の医療ケア(延命治療の有無等)の方針などで、死後に向けての要望とは、葬儀やお墓についての要望や遺産相続などについてです。その上で葬儀や墓などについては、後に残された人たちに迷惑をかけないように、出来るだけ生前のうちに自分で準備しておくことが推奨されたりしています。エンディングノ-トでは、こうした準備に加えて、一応ではありますが自分のプロフィ-ルの紹介と残された人たちへのメッセ-ジの欄が設けられています。
しかしこれらの項目は、いずれもモノに関わる整理や準備に限られており、果たしてそれで終活は尽くされるのかという思いが沸き起こってきます。例えば自分自身の人生の締め括りをどのように取り纏めていくのか、死に赴く孤独と恐怖にどう備えていくのか、死後に自分はいったい何を残すのか、残せる物はただ財貨の遺産だけなのか、そして自分自身が考える死後の世界にどう向き合い備えていくのか。終活にはこういったいわば人生といのちの整理といった側面もあるはずなのですけど、モノ法則と経済が支配する現代の社会にあっては、終活においてもモノに関わる整理や準備にしか焦点が当たらないことは、仕方の無いことなのかもしれません。一方先に紹介した古代インドの四住期の捉え方では、老いは遊行期とされ、これは身にあるもの一切を振り捨て、無一物で天蓋孤独の乞食となって自由に心の中を遊行し、もはや死を願うことも生を願うこともない境地に至ることを意味します。確かに年をとって身体の自由も利かず気力も衰えてくれば、それまでの自分の人生で築きあげてきたものの一切を振り捨てるしかありません。そして自由に自分のこれまでの人生の記憶と向き合い、一切の欲や囚われからも自由になって、本当に大切ないのちの価値から自分の人生を見つめ直し、美しく慈しみに満ちたものとして締め括っていく物語をつくっていくことが大切になってきます。それはまた自分の生きてきた人生に対して、有難うと感謝が言える物語であって、残された者たちに対してもそのいのちを導き励ます物語となっていくはずのものなのです。
相続財産1つをとって考えてみても、それは何も財貨の遺産ばかりとは限りません。聖書では家畜や金品などの資産とあわせて、祝福の継承が相続財産として非常に重要視されています。先頃公開されたトルコのエルトゥ-ルル号の遭難を描いた映画では、乗組員を救助した日本人の誠意が、莫大な財産となって後のトルコの人たちに継承されたことが描かれています。財産には、財貨の富とあわせていのちの富というものもあるのです。この生きる意欲と力を励ますいのちの富を、どう自分の人生の最後の物語として描き出し、自分の死に様を通じて後の世代に遺産として受け渡していくのか。これが出来た時に、私たちは本当に自分の人生に最終的に意味と価値を見出し、有難うと感謝が言え、もはや死の恐怖に捉われることなく生死を越えたいのちの希望をもって旅立っていく事が出来るようになるのです。そんないのちの物語を、遊行期における人生最後に描き出していければと思うのですが、それはいったいどのようにすれば出来るものなのでしょうか。それについては若干ではありますが、すでにパンセ通信のNo.62とNo.64において簡単な指針を考えてみていますので、ご参照頂ければと思います。
このように終活には、大きく分けてモノの整理の側面といのちの整理の2つの側面があるのですが、現代においてはモノの整理の側面にしか関心が向けられていません。そこで捨象されているいのちの整理をもあわせて行っていくことが、私たちの終活の課題となってくることがお分り頂けると思います。ところでこのいのちの整理とは、結局のところは人生最後のいのちの物語を自分なりに描いていくことに他なりません。そしてこのいのちの物語をうまく描いていくためには、実は遊行期の前の林棲(住)期の生き方の物語がしっかりしているのでなければ、うまく準備の出来るものではないのです。引退して仕事や子育ての責任から解き放たれる林棲期の物語は、さらにその前の働き盛りの家住期の人生の物語とは大きく異なるのです。その意味では人間は、四住期に従って4回は大きく自分の人生の物語を書き変えねばならないのです。残念ながら現代は、家住期の人生の物語のままで死を迎えてしまうような状況にあるように思われます。未だ成長社会の残滓から脱しきれていないために、そうなることも仕方のないことかもしれません。しかし家住期(壮年期)とは異なる林棲期、そして遊行期の人生の物語を、どう一人一人がうまく描き出していけるかということこそが、まさに成熟社会に向けての時代の課題であると言っても過言ではないように思われるのですがいかがでしょうか。
次回のパンセの集いは、モノの整理といのちの整理の両面をあわせもった終活のあり方、特に遊行期における人生最後の物語の描き方について考えていきたいと思います。そしてまた林棲期における物語の内容についても、時間があれば検討を進めていければと思っています。さらにはこうしたいのちを育む物語をつくる支援の取組みについても検討を始めていければと思います。1月12日火曜日の16時からです。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、参加ご希望の方は白鳥までご連絡下さい。)
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Eテレの番組『東北発未来塾』の今月の講師に、宮城県栗原市にある曹洞宗(禅宗)通大寺のご住職金田諦應(たいおう)さんが登場されています。3.11東北大震災の後、超教派の宗教者による移動式傾聴ボランティア喫茶『カフェ・デ・モンク(修道士、僧)』の活動を続けてこられた方です。あまりにも大きな自然の猛威によって近親者を失った時、人は悲しみの深さに茫然自失して心が凍りついてしまいます。そんな量り難い喪失感と苦悩の中にある多くの人々のために、金田さんは宗教者としてこの取組みを始め、2万人にも上る人々の心を癒してこられました。そしていつしか敬愛の念を込めて、ガンジ-金田とも呼ばれるようになった方です。
その金田さんが、津波で子供を亡くした一人のお母さんの話を紹介されていました。子供を抱いて逃げたのですが、津波に飲み込まれてしまい、その手を離してしまったそうです。そして自分だけが生き残ってしまった。それ故このお母さんは、子供を殺したのは自分だと自らを責め、鬱状態に陥り、リストカットや自殺未遂を繰り返されていたのです。そのお母さんがある時、金田さんに焦点の定まらない目を向けてこう尋ねたのです。「和尚さん、私の子供は今どこにいるのでしょうか。」その時金田さんは、何も答えずただじっと待っていたとのことです。それから10分ほどもしてようやく金田さんが口を開いて、「お母さんだったら、どこにいてもらいたい。」と逆に尋ねます。そしてまた10分ほどの時間が流れてお母さん自身がようやく、「お花がいっぱい咲いて、光がいっぱいの場所に居てほしい。」と答えられたそうです。お母さんが息子さんの居る場所について、自分で自分の心の納得のいく答えを、時間をかけてつくっていかれたのです。そして次に金田さんがそのお母さんに会われた時に、お母さんは1枚の絵を描いて持ってこられたのです。花がいっぱいに咲いていて、光が豊かに降り注いでいる場所の絵です。さらにその絵の中には金田さんへのメッセ-ジも書いてあって、「わざわざ来て頂き本当に有難うございます。いつか息子に会える日まで、ゆっくり過ごしていきたいです。」と記されていたのです。金田さんは、この絵はルーブル美術館に飾られるべき価値のある絵だと言って、今も大切に保管されています。
金田さんはこのお話を紹介された後に、こう語られていました。「人間は、物語をつくることによって生きることが出来るものなのです。そして誰でも、自分で自分を生かす物語をつくる能力を持っている。東北大震災のように現実の悲劇が大きすぎると、人の心は動かなくなってしまいます。だからその凍りついた心を、喜怒哀楽の感情を取戻して揺り動かし、自分で物語をつくる能力呼び覚ましてあげなければなりません。私たちはただそのお手伝いをするだけです。」確かにこのお母さんは、自分で自分の物語をつくることで、癒されて生きる力を取り戻していきました。感じて、心を動かして、そして自分の物語をつくっていける時に、人は生きていくことができるのです。共に生きるとは、じつは自分が生きることの出来る物語を、互いにつくりあっていくことなのかもしれません。そしてそれは、老いにおいても同じです。人生の終末を迎えて、あらゆるものへの自分の影響力が覚束なくなり、もはや身一つとてもままならなくなった時に、もう1度子供が遊ぶように無心になって自分の人生を振り返り、自分が生きた人生の物語をつくり直して仕上げていく。そして望みのうちに平安な死を迎えていくと共に、そのいのちの望みを次の世代へと伝えていく。若い世代はそのいのちの望みを糧として受け取り、自分たち自身のこれからの生きる物語と時代全体の物語を新たにつくっていく。
今週のパンセの集いは、私たち人間が物語をつくって生きる存在であることを手掛かりに、今まで考えてきた老いの意味と価値を踏まえて、老いの課題と備えについて整理し、さらに現代における終活のあり方についても検討していければと思います。日時は1月12日火曜日の16時からです。場所につきましては、当初両国の大徳院を予定しておりましたが、法要が重なり、当面の間はいのちの求めの多い初台・幡ヶ谷で、地域の人たちの参加も得て行うことと致します。
ところで古代インドの人々は、人生の誕生・成長、壮年(生産期)、成熟、老衰・死という人生のサイクルにあわせて、四住期という人生を区分する捉え方をしていました。学生期(学問、技術を身につける時期)、家住期(職業を持ち家庭を営む時期)、林棲(住)期(本来の自分に立ち返って人生に向きあう時期)、そして遊行期(あらゆる執着を捨てて無心に遊行する時期)といった区分です。現代で言えば、学生期が大学を卒業するぐらいまでの人生の時期で、家住期が仕事と子育ての終わる60歳ぐらいまでの時期、そして林棲期が前期高齢者として区分される75歳ぐらいまでの時期となり、それ以降の年齢が遊行期ということになるでしょうか。現代のライフサイクルモデルが、青年期・壮年期・老年期などの人間の身体の加齢過程に応じて一生を区分するのに対し、四住期は、人生の各段階における生き方の内容と課題を意識して区分する点に違いがあります。終活というのは、ライフサイクルモデルでは人生の各段階での生き方の指針と課題が示せないことから、老年期の指針と課題を別に示すために生まれてきた言葉と言えるでしょう。ただし終活という言葉がそもそも生まれてきた背景には、少子化の問題があって、残された子供に負担をかけず、周囲にもなるたけ迷惑をかけずに人生を終わりたいという思いがあります。そのために生きている間に、出来るだけの準備をしておこうという思いが、色濃く反映された内容となっているのが現状のようです。
従って現在の終活において取り上げられる項目は、後に残された者が困らないように、生前のうちに自分の身辺を整理しておこうということと、死および死後に備えて自分の要望を明確にし、また準備出来るものは準備しておこうというものに限られているように思われます。ここで身辺の整理というのは、身の回りの物品や財産の整理と、社会的な関係の整理(後継者への継承や集団や組織で自分が居なくなっても良いようにしておくこと)のことです。また死に向けての要望とは、介護や末期の医療ケア(延命治療の有無等)の方針などで、死後に向けての要望とは、葬儀やお墓についての要望や遺産相続などについてです。その上で葬儀や墓などについては、後に残された人たちに迷惑をかけないように、出来るだけ生前のうちに自分で準備しておくことが推奨されたりしています。エンディングノ-トでは、こうした準備に加えて、一応ではありますが自分のプロフィ-ルの紹介と残された人たちへのメッセ-ジの欄が設けられています。
しかしこれらの項目は、いずれもモノに関わる整理や準備に限られており、果たしてそれで終活は尽くされるのかという思いが沸き起こってきます。例えば自分自身の人生の締め括りをどのように取り纏めていくのか、死に赴く孤独と恐怖にどう備えていくのか、死後に自分はいったい何を残すのか、残せる物はただ財貨の遺産だけなのか、そして自分自身が考える死後の世界にどう向き合い備えていくのか。終活にはこういったいわば人生といのちの整理といった側面もあるはずなのですけど、モノ法則と経済が支配する現代の社会にあっては、終活においてもモノに関わる整理や準備にしか焦点が当たらないことは、仕方の無いことなのかもしれません。一方先に紹介した古代インドの四住期の捉え方では、老いは遊行期とされ、これは身にあるもの一切を振り捨て、無一物で天蓋孤独の乞食となって自由に心の中を遊行し、もはや死を願うことも生を願うこともない境地に至ることを意味します。確かに年をとって身体の自由も利かず気力も衰えてくれば、それまでの自分の人生で築きあげてきたものの一切を振り捨てるしかありません。そして自由に自分のこれまでの人生の記憶と向き合い、一切の欲や囚われからも自由になって、本当に大切ないのちの価値から自分の人生を見つめ直し、美しく慈しみに満ちたものとして締め括っていく物語をつくっていくことが大切になってきます。それはまた自分の生きてきた人生に対して、有難うと感謝が言える物語であって、残された者たちに対してもそのいのちを導き励ます物語となっていくはずのものなのです。
相続財産1つをとって考えてみても、それは何も財貨の遺産ばかりとは限りません。聖書では家畜や金品などの資産とあわせて、祝福の継承が相続財産として非常に重要視されています。先頃公開されたトルコのエルトゥ-ルル号の遭難を描いた映画では、乗組員を救助した日本人の誠意が、莫大な財産となって後のトルコの人たちに継承されたことが描かれています。財産には、財貨の富とあわせていのちの富というものもあるのです。この生きる意欲と力を励ますいのちの富を、どう自分の人生の最後の物語として描き出し、自分の死に様を通じて後の世代に遺産として受け渡していくのか。これが出来た時に、私たちは本当に自分の人生に最終的に意味と価値を見出し、有難うと感謝が言え、もはや死の恐怖に捉われることなく生死を越えたいのちの希望をもって旅立っていく事が出来るようになるのです。そんないのちの物語を、遊行期における人生最後に描き出していければと思うのですが、それはいったいどのようにすれば出来るものなのでしょうか。それについては若干ではありますが、すでにパンセ通信のNo.62とNo.64において簡単な指針を考えてみていますので、ご参照頂ければと思います。
このように終活には、大きく分けてモノの整理の側面といのちの整理の2つの側面があるのですが、現代においてはモノの整理の側面にしか関心が向けられていません。そこで捨象されているいのちの整理をもあわせて行っていくことが、私たちの終活の課題となってくることがお分り頂けると思います。ところでこのいのちの整理とは、結局のところは人生最後のいのちの物語を自分なりに描いていくことに他なりません。そしてこのいのちの物語をうまく描いていくためには、実は遊行期の前の林棲(住)期の生き方の物語がしっかりしているのでなければ、うまく準備の出来るものではないのです。引退して仕事や子育ての責任から解き放たれる林棲期の物語は、さらにその前の働き盛りの家住期の人生の物語とは大きく異なるのです。その意味では人間は、四住期に従って4回は大きく自分の人生の物語を書き変えねばならないのです。残念ながら現代は、家住期の人生の物語のままで死を迎えてしまうような状況にあるように思われます。未だ成長社会の残滓から脱しきれていないために、そうなることも仕方のないことかもしれません。しかし家住期(壮年期)とは異なる林棲期、そして遊行期の人生の物語を、どう一人一人がうまく描き出していけるかということこそが、まさに成熟社会に向けての時代の課題であると言っても過言ではないように思われるのですがいかがでしょうか。
次回のパンセの集いは、モノの整理といのちの整理の両面をあわせもった終活のあり方、特に遊行期における人生最後の物語の描き方について考えていきたいと思います。そしてまた林棲期における物語の内容についても、時間があれば検討を進めていければと思っています。さらにはこうしたいのちを育む物語をつくる支援の取組みについても検討を始めていければと思います。1月12日火曜日の16時からです。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、参加ご希望の方は白鳥までご連絡下さい。)