ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信No.74『格差解消と経済発展-サンダ-ス候補の経済観』

Mar 06 - 2016

■2016.3.6パンセ通信No.74『格差解消と経済発展-サンダ-ス候補の経済観』 

皆 様 へ

格差の拡大が問題になっています。アメリカの大統領選挙でトランプ氏の勢いが止まらないのも、本来中間層で良識的であるはずの人々の多くが生活と仕事に不安を抱え、そのイライラの矛先として非難の対象を求めて、容易に目につくイスラム教徒や不法移民、そして貿易黒字国の日本や中国へと向かっているからでしょう。格差の状況は日本でも変わりません。近所の親しいコ-ヒ-チェ-ン店のマスタ-も、経営を維持するためにタイムセ-ルで値下げを断行し、さらに営業時間を伸ばして、とうとう無休の状態に陥ってしまいました。本来資本主義というのは、勤勉に働けば働くほどその分だけ裕福になり、生産性を上げればそれに見合った報酬が得られるのがゲ-ムのル-ルだったはずです。ところが今は、働いて働いても生活を維持するのが精一杯で、余裕も無くて疲れ果て、イノベ-ションどころではありません。格差そのものは資本主義にとっては競争原理ともなり、決して否定すべきものではありません。しかし問題となる格差もあるということです。それでは格差はどういう状況になった時に問題となるのでしょうか、そしてその問題とはどういうものなのでしょうか。さらにその問題を、私たちが日常生活で実践的に解決していくためには、いったいどうすれば良いのでしょうか。こうした問題を検討することによって、現在私たちが取り組んでいるこれからの資本主義の形、つまり生き方の豊さやいのちの富を求める資本主義を構想していく上での、経済学や実践的な事業の形態、また経営改善の手法や私たちの消費生活行動のあり方について考えていってみたいと思います。前回はこの問題をミクロ経済的な視点から扱いましたが、今回はマクロ経済的な観点から考えていってみたいと思います。そのためのパンセの集いは3月8日火曜日の16時からを予定しております。場所は初台・幡ヶ谷の地域で行います。

ところで格差は本当に問題なのでしょうか。現在は1980年代のイギリスのサッチャ-改革(サッチャリズム)、アメリカのレーガノミクス、そして日本でも2001年の小泉・竹中構造改革以来の新自由主義(小さな政府、市場における自律調性)的経済政策・価値観の影響下にあって、私たちの生活の豊かさは、企業の自由な経済活動による競争力の拡大に依存し、また富裕な者の投資や消費で、中間層や貧困層の所得も引き上げられて、富が自動的に再分配されると考えることが主流となっています。ところが世の中にはその対極にある考え方もあって、それは格差を本当に問題とし、その是正が現在の社会・経済的課題を解消とすると考えるのです。それではその立場から見ると、私たちの今の社会の現状は、どのように見えることになるのでしょうか。実はそれがオバマ大統領が目指して挫折したビジョンであり、今またサンダ-ス大統領候補がさらに原理的に推進しようとしている構想なのです。社会主義者を標榜し異端的に見られていたはずのサンダ-ス候補が、なぜこれほどまでに善戦して支持を得ているか。ひょっとするとサンダ-ス候補の政策を経済的な視点から見てみると、異端的でもなんでもなく、アメリカの中で新自由主義に対抗するかつてのもう1つの経済潮流、需要サイドに立つリベラル派のマクロ経済政策を代表しているからなのかもしれません。そんな問題意識を持ちながら、リベラル派を代表する経済学者、カリフォルニア大学バークレ-校教授でクリントン政権下での労働長官も務めたロ-バ-ト・ライシュ氏の考えを引きあいにしながら、今回はサンダ-ス候補の経済観を想定していってみたいと思います。

まず格差と言いますが、いったい何をもって格差を計る基準とするのでしょうか。そのために、最も裕福な層と中間層との年収を比較する方法が用いられます。そうすると1978年に典型的な男性労働者の年収が$48,302(500万円強)で上位1%の富裕層の年収が$393,682(4,000万円強)だったものが、2009年には典型的労働者の年収は$33,751にダウンし、富裕層の年収はなんと$110万へとかつての2倍以上に上昇していることがわかります。さらに2012年には、最も裕福なアメリカ人400人の資産が、底辺に位置する1億5千万人、つまり人口の半分の資産をすべてあわせた額よりも上回ってしまっているのです。こうした格差拡大の状況を、実証的に検証したのがエマニュエル・サエズとトマ・ピケティです。彼らはアメリカ国税庁の税務記録から、1913年以来現在までの最上位1%の富裕層に集中する富の割合の変化を調べました。そうすると1928年と2007年に国民総所得に対する富裕層の所得の割合は約25%に達し、逆に1950~1960年代にその割合が最も低くなっているのが分かったのです。これをグラフに描くと、1928年と2007年の位置に鉄塔を建てて、その頂点からワイヤ-で橋を吊るしたような吊り橋状の形になるのです。

このグラフは、アメリカの経済と社会に何が起こったかを知る上で重要な手掛かりとなります。富裕層への所得集中がピ-クに達し、格差が最も拡大した1928年の後に株価が暴落して大恐慌が発生しました。同じく2007年の翌年にはリ-マンショックが起こり、現在に至る金融経済不安を惹き起こしています。この2つの時代は驚くほどよく似ていて、それ以前には中間層の所得が伸び悩み、富裕層に所得が集中していました。そして富裕層は手にした巨万の富を使い切ることなく、さらにその資産を増やそうと金融セクタ-つまり不動産や金や債権に投資していました。このために金融セクタ-が膨れ上がり、投機的バブルを惹き起こされたのです。一方で中間層は生活水準を維持するために借金を重ね、債務バブルも生み出していました。これがこの2つの時代を、巨大な経済危機に陥れた元凶だったのです。実は経済を安定させる鍵を握るのは中間層なのですが、この2つの時代に共通して、中間層が疲弊していたのです。中間層(ミドルクラス)というのは、年収の中央値が$50,000とするとその中央値の50%以内に年収がある層、つまり$25,000~$75,000の範囲に年収がある世帯層のことです。中間層は富裕層と異なり、所得の多くの割合を消費に回し、また余った一定割合のお金を貯蓄して、これが社会の健全な金融資産として活用されていきます。そのために中間層は、アメリカの経済支出の70%を占める個人消費を牽引する中核の役割を担っていきます。つまり経済を牽引するのは一部の富裕層でも企業家でもなく、中間層であって、中間層の安定と成長以外に経済を長期にわたり力強く維持する方法は無いのです。このように見てくると、現在アメリカで広く受け入れられている『雇用創出者である富裕層、経営層に課税すればその意欲を失わせ、雇用が失われる』という考え方の信憑性が怪しなってくることが解ります。トランプ氏を支持する多くの人たちも、成功した経営者なので雇用や経済を良くしてくれると期待しますが、この期待は、経済の仕組みをなんら理解しているものではありません。実際に雇用を生み出しているのは、企業の経営者や富裕な投資家などではなく、顧客つまり経済活動を中心的に牽引するミドルクラス(の需要)なのです。

さてピケティなどの実証研究により、現在も所得格差が拡大している現状は分かったのですが、それでは格差はなぜ拡大していったのでしょうか。ここで1つ押さえておかなければならないことは、近年の日本と異なり、アメリカは1929年以降でも一貫して経済成長を続けてきたということです。1980年以降でも3%程度の成長を維持しているのです。これに対して労働者の平均給与は、1970年代の終わり頃までは経済成長と同レベルの上昇を続けてきたのですが、その後突如横ばい状況に移行し、GDPの成長率と所得上昇率とのギャップが拡大していくのです。1970年代の終わりに何かが起こったのです。いったい何が起こったのでしょうか? 

実はこの頃からグロ-バル化と情報分野を含めた技術革新が進展してくるのです。アメリカの製造業は次々と海外に移転し始めました。コンテナ船による輸送と衛星通信技術、さらにコンピュ-タとインタ-ネットを組み合わせて、生産プロセスを世界中に分散させることが可能となりました。つまりもはやアメリカ国内で製造する必要は無くなったのです。iPhoneひとつとっても、原価の34%分は日本で製造され、ドイツが17%、韓国が13%、アメリカ国内はわずか6%です。参考までにiPhoneの組み立てが行われて出荷される中国の原価比率は、たったの3.6%です。この数字を見て、日本の比率が高いからと言って喜んではいけません。アメリカのグロ-バル企業にとっては、日本はただハイエンドの部品供給を行うグロ-バル製造チェ-ンの一環を占めるパ-ツにしか過ぎず、事業全体から生み出される利益の大半は、アップルのようなグロ-バル企業の手の中に落ちていくのです。この結果アメリカでは、企業の利益が拡大していく一方で、多くの製造業の労働者が職を失うことになりました。そしてそれは、必然的に労働者の賃金が下がることを意味しました。またこのこととを軌を一にするかのように、1970年代の終わり頃から、企業や政府による大々的な労働組合つぶしも始まりました。この結果労働組合の組織率も、中間層の所得の減少と同様に低下していきます。こうして中間層は、企業家や富裕層に対抗して雇用を守り、利益の分配を要求する術を失っていってしまったのです。これがグロ-バル企業と中間層労働者との間における、もう1つの格差拡大の現状です。もちろん流通業の中では、アマゾンなどのようにアメリカ国内に大規模な拠点を設ける企業もあります。しかしその内部はコンピュ-タとロボットで徹底的に効率化され、800億ドル(約9兆円)に上る売上高に対して、従業員はわずか6万人という人数です(売上高9兆円の日立の従業員は33万人)。今後グロ-バル企業が製造拠点をアメリカ国内に回帰させたとしても、その内部はコンピュ-タやロボットで埋め尽くされて、もはやかつてのような雇用の規模は期待できないでしょう。

ここで1つ注意が必要なことは、グロ-バル化とテクノロジ-の革新は、アメリカ人の雇用を減らしたのではなかったということです。実際に統計デ-タを見ても、アメリカの就業者数は人口の増加と比例する形で堅調に増加し、失業率もリ-マンショック後の一時期を除き、ここ20年間は5%前後でほぼ一定しています。雇用を減らしたのではなく、賃金を引き下げたのです。例えば食肉加工スタッフの年収を比べてみると、1970年代の平均が$40,599であったものが、2010年には$24,190に落ちています。銀行の窓口係りの年収も、$27,920であったものが、$24,100となっています。さらに製造業から労働人口を多く吸収したサ-ビス産業の主な職種の現在の平均年収を見てみると、レジ係$20,230、調理$21,280、タクシ-運転手$25,120、保育士$30,150、介護$20,520といった具合で、日本円に換算するせいぜい200万円~300万円といったところです。日本でも同じように、雇用が減るのではなく正規から非正規社員への置き換えが進んで、賃金が減少するという状況が進んでいます。しかし日本よりもアメリカがさらに残酷なのは、この間アメリカは経済成長をしてきたことから、それに見合ってインフレも3%程度で進行したということです。つまり賃金が下がるばかりでなく、生活費も上昇したのです。そのためにアメリカでは、ミドルクラスにあっても、共働きで働いても働いても生活に余裕の出来ない世帯が増大していきました。(一方経済成長しない日本においては、デフレは必然的なことでした。実はデフレのおかげで、賃金の上がらない私たちの生活はかろうじて支えられてきたのです。だから2%のインフレにしようなどというアベノミクスの金融政策は、無けなしの庶民のお金をさらに巻き上げて、結局内部留保にしかならない企業の利益を増やそうとする、とんでもない政策なのです。)

さて中間層が弱体する一方で所得格差が拡大し、それがバブルを生んで崩壊して経済危機をもたらすという、庶民にとっても経済にとっても救いようのない現状を見てきたのですが、それではこうした状況からの改善の可能性はあるのでしょうか?じつはかつてそれをやってのけた国があったのです。それもまたアメリカで、第2次世界大戦後の1947年~1977年の大繁栄時代のことです。この間アメリカの所得格差は縮小し、それにつれて経済は大きく成長しました。政府は税収でもって教育、特に高等教育に公共投資し、4年生大学の学位取得率は、1940年代の5%から1977年には24%と爆発的に増加しました。さらに公立大学の拡充により、すでに働き始めていた多くの社会人にも高等教育への門戸が開かれるようになったのです。この結果アメリカは、世界で最も教育水準の高い労働力を持つ国となりました。また一方で労働組合の組織率も高まり、1930年代に13%であったものが1950年代には35%に上昇し、全労働者の1/3が労働組合に加わるようになりました。この労働組合が、労働者に交渉力を与え、本来分け与えられるべき利益の取り分を労働者に分配させたのです。このように統計デ-タから見ると、小さな政府ではなく人への公共投資が経済を成長させ、労働組合が会社や経済を弱めるのではなく、その存在が逆に経済と企業を強めて経済を繁栄させたことが読み取れます。

こうしてアメリカは世界最大の中間層を生み出し、その中間層が経済の繁栄と好循環を実現していったのです。その好循環とは、教育水準の高い労働力による
①生産性向上 ⇒ ②賃金の増加 ⇒ ③労働者の購買力上昇 ⇒ ④会社の雇用増大 ⇒ ⑤税収増加 ⇒ ⑥公共投資増加 ⇒ ⑦労働者の教育水準の向上
という好循環のサイクルで、繁栄すればするほどより多くの人がその好循環の恩恵を受け、更なる繁栄を生み出していったのです。

ところが1970年代の後半から大学での学位取得率は横ばいとなり、すでに述べたように労働者の賃金も横ばいとなります。その大きな原因はグロ-バル化による国際競争で、アメリカ企業が勝者になれなかったことです。この時に勝者となったのは日本やドイツです。こうした国々と何が違ったのか。実は教育投資を含めた国民一人当たりの公共投資の額や、企業の従業員への教育投資の額が違ったのです。そのために日本やドイツでは、アメリカよりも高度な技術力を持つ優秀な労働力を生みだし、技術力と生産性を向上させたのです。しかしこの事態に際し、アメリカは日独と同じ人的公共投資の増大という方法では対処しませんでした。なぜなら増税による政府投資は悪であるという迷信があったからです。実際は増税が問題なのではなく、投資先とその投資効率が問題なのですけれども。その代わりに先に述べたように、技術革新とグロ-バル製造チェ-ンの確立という方法により対処したのです。そしこの中間層の賃金と国内需要を犠牲にしたモデルによりアメリカのグロ-バル企業は巻き返しを図り、逆にこのアメリカモデルを国際標準として、日本も他の先進国も追随を余儀なくされていったのです。しかしそれによって、労働者は手当をカットされたにも関わらず仕事量は倍になり(これが現代における生産性向上)、中間層が掘り崩されて経済が悪循環に陥っていく悲劇が始まったのです。

それでは所得が目減りする中間層に対して、富裕層の収入はどのように拡大していったのでしょうか。グロ-バル化やオ-トメ-ション化、あるいは後のIT化をもたらしたテクノロジ-が、これを巧みに利用する能力を持った企業や経営者層に、まず過大ともいえる報酬をもたらしました。またグローバル生産モデルは企業の利益を拡大させ、株価も上昇させます。ダウ平均株価の推移は、1980年代にせいぜい2千ドル代だったものが、1990年代入って一挙に上昇し、1999年には1万ドルを上回るようになりました。このように企業が多くの利益を出せるようなった1つの理由は、労働者の賃金を抑えたからです。その背景には労働組合の弱体化があり、これによって企業に圧力をかけるのは、もはや株主だけという事態になりました。株主は企業に対して、収益と株価の上昇を強要します。こうして企業は、ますます利益を拡大するように駆り立てられ、この株主からの過剰な期待に応えた経営者には、過大な報酬が支払わるようになっていったのです。こうして賃金が目減りする労働者を尻目に、90年代以降タガが外れたように経営者層の報酬が跳ね上がっていきます。そして労働者の賃金の何百倍という額にまで拡大し、中には何十億円、いや100億円を上回る報酬を手にする者まで現れてくるのです。

そしてこの状況は、次に企業、経営者・投資家層に続く極めて羽振りの良い第3のグル-プを生み出しました。元来金儲けに長けて、格差が拡大して投資資金が増えるほど大儲けをする人々、つまり金融業者です。90年代におこる金融規制緩和で、ウオ-ル街はやりたい放題のことが出来るようになり(そのことが後のエンロン事件やリ-マンショックにつながっていくのですが)、金融セクタ-の相対賃金も上昇していきます。この金融セクタ-の相対賃金を表すグラフを描くと、最初に紹介した中間層と富裕層の収入を比べた格差のグラフと全く同じ形、つまり1928年と2007年をピ-クとした釣鐘型のグラフを描くようになるのです。そしてこのことはまた、金融セクタ-の過剰な賃金上昇は、経済崩壊のシグナルであることを統計デ-タが示すのです。

一方賃金の下落傾向と物価上昇という困難を背負わされた中間層は、こうした事態にどのように対処していったのでしょうか。格差拡大の不平等に怒りを発して、大規模な暴動をおこしたのでしょうか。いやそんな歴史はどこにも記録されていません。実は中間層は、自分たちの収入が減っても生活水準を下げなくてやりくりする3つの方法を編み出していったのです。その第1は女性が働きに出ることでした。アメリカでも女性が働きに出始めたの70年代の後半からでした。それは男女平等で女性にもキャリアへの門戸が開かれていったからなどではありません。男性の賃金が頭打ちで生活費が上昇する状況の中で、家計を維持するために仕方がなかったのです。第2の方法は90年代から顕著になってくるのですが、長時間労働による収入の確保です。深夜、早朝、残業と時には2~3の仕事を掛け持ちして、働きづめに働くのです。それでも現代の日本と同じように、働いても働いても余裕が出来ないという状況が続きます。そして第3の方法が借金です。借金が可能となったのは、住宅価格が上がっていったからです。これも富裕層の膨大な余剰資金が、金融セクタ-の巧妙な金融工学によって不動産分野に注ぎ込まれ、不動産バブルを惹き起していったからです。90年代の中盤から住宅価格は高騰し、以降13年にもわたって上昇し続けたのです。中間層の人々は、自宅を担保にお金を借りたり、わずかな頭金で住宅を購入し、値上がり益や住宅ロ-ンを借り換えて資金を捻出しました。住宅はまるで人々にとっての貯金箱かATMのようになりました。2001年から2005年までの4年間で、借金等により現金化された住宅資産はなんと5,000億ドル以上(50兆円以上)と言われています。そしてこのバブルが弾けたのが、2008年のリ-マンショックだったのです。

こうして1970年代の終わりから30年にもわたって、賃金が上昇しない中でインフレによる生活費の高騰にも耐えて、生活水準を維持してきた中間層も、ついに万策尽きてその経済基盤が掘り崩されていく事態に直面します。中にはホ-ムレス状態に陥る者さえ現れてくるのです。こうして中間層が、本来得られるべき利益の配分が得られずに弱体していくと、需要も落ち込んで経済は負の循環に陥っていきます。つまり
①賃金の伸び悩み ⇒ ②労働者の購買力の低下 ⇒ ③企業の人員整理 ⇒ ④税収の減少 ⇒ ⑤政府の予算削減 ⇒ ⑥労働者の教育水準の低下 ⇒ ⑦失業者の上昇
この悪循環が、現在アメリカ(そして日本も)が直面する経済危機の現状なのです。

それではこの事態にどう対処していけば良いのでしょうか。原因は格差の拡大による中間層の所得水準の低下です。アメリカでは共和党支持者を中心に、市場の規制を緩和し、自由な市場の調整機能にまかせれば、富は適正に分配されて経済は発展するという考え方が根強くあります。しかし上記のように見てくれば、1980年以降市場は格差の拡大や金融業者のマネ-ゲ-ムに都合よく動かされてきただけで、この考えが神話であったことがわかります。そしてもう1つの神話は、増税は経済の活力を失わせるという迷信です。特に富裕層への増税は、雇用創出力を失うという迷信です。ところが実際のアメリカの歴史を振り返ってみると、逆に富裕層への増税が経済繁栄もたらしてきた現実が浮かび上がってきます。格差と最高税率は反比例の関係を示しているのです。かつて格差が拡大し経済が最悪となった1930年の所得税の最高限界税率はわずか25%、また格差拡大が顕著になってきた1990年頃の最高限界税率も28%だったのに対し、経済が繁栄を極めた1950年代から60年代の初頭の最高限界税率は、なんと91%だったのです。1950年~60年代初頭のアイザンハワ-大統領、ケネディ大統領の時代が91%、その後ジョンソン、ニクソン、フォ-ド、カ-タ-と続く60年代後半から70年代にかけても、最高限界税率は70%(実行税率で50%ほど)を下回ることはなかったのです。それが新自由主義政策(レーガノミクス)を推進するレ-ガン政権になって、最高税率は50%から一挙に28%にまで引き下げられたのです(現在は35%)。その結果中間層が掘り崩され、経済が悪循環へと進み始めたのです。しかも現在の所得税の最高実行税率が35%といっても、富裕層は金融資産が多いことから実際の収入のほとんどを配当などの資産運用から得ているために、現実の税負担はわずか15%程度と言われています。一般の労働者の税率がは33%なのにです。この結果富裕層は適正な税金を支払わず、中間層も収入が停滞して支払える税金が少なくなって、税収が落ち込んでいきます。現在の連邦政府の綱渡りのような財政危機は、こうして必然的にもたらされてくることになったのです。

サンダ-ス候補が主張する富裕層への増税は、需要サイドのリベラル派の立場から見れば、このように経済を立て直して好循環をもたらすために、きわめて正当な理由を持っているのです。そしてここ30年以上にわたって続いてきた新自由主義的な経済政策では、結局経済の悪循環をもたらすだけである事実にも、アメリカの中間層の人々が気づき初めているのです。さらにまた格差を解消して経済を是正していくためには、富裕層のマネ-支配によって歪められた政治権力と市場の構造も改革していかなければならず、それはまた民主主義の復興とも軌を一にすることに、若者たちを中心に気づき始めているのです。これが若者を始めとして広範な層の中間層の人々が、サンダ-ス候補を支援する背景となっているのです。

以上のような需要サイドのリベラル派から見たマクロ経済観が、すべてが正しいとは限りません。しかし経済の好循環の根幹をなすのは、中間層への成長に見あった所得配分とその層による安定的な需要支出であることは間違いの無いことでしょう。このことを念頭に置きながら、今度はその実現にむけてのミクロでの経済理論と具体的な事業活動の実践、そして膨大な資金の運用先に窮する金融セクタ-とのソ-シャル・インパクト投資の手法開発等を通じた連携の方法についても、考えていってみたいと思います。次回のパンセの集いは3月8日の火曜日、16時からです。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)