ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信No.75『新自由主義の終焉と新しい効用のミクロ経済』

Mar 13 - 2016

■2016.3.13パンセ通信No.75『新自由主義の終焉と新しい効用のミクロ経済』

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前回はアメリカのリベラル派の経済学者ロバ-ト・ライシュ教授(カリフォルニア大学バ-クレ-校)の説を参考に、なぜ米国の大統領の予備選挙でサンダ-ス候補が予想外の善戦をしているのかについての推測を行ってみました。アメリカでは1%の富裕層が全資産の半分近くを所有し、さらにその格差が拡大する方向にあるために、日本にいる私たちは、アメリカ国民の一部が感情的・倫理的に反発して支持を与えているのだろうという程度に考えています。しかし実はそれだけではなく、今アメリカ国民の中に“格差の解消”こそが、需要と供給が低迷しバブルを惹き起しながら危機を深める現在の経済状況を、構造的に改革していくキ-ファクタ-となるのではないか。そして単なる反発のレベルを超えて、格差縮小に基づく経済・社会政策のビジョンが次第に形を整えつつあり、それこそが現状の行き詰まる経済社会状況を克服していくのではないか、という認識が芽生えつつあるようなのです。このマクロ政策のビジョンに共感するからこそ、特に北部の白人を中心としたリベラルな中間層の関心を惹き、その支持を得ていることが考えられてきます。

1980年以降英国のサッチャリズム、米国のレ-ガノミクスに主導されて、世界の経済はサプライサイドを重視する新自由主義を中心に運営されてきました。つまり簡単に説明すると、企業が自由に活動して利益を出せば、雇用が拡大し、経済が成長するという考え方です。所得の分配も市場機能を通じて最適に調整されるので、政府は出来るだけ企業活動や市場を妨げることのないよう減税し、小さな方が良いとされたのです。しかしその結果は、非常に大きな格差の拡大をもたらしました。大企業に集中する利益は、労働者や中小業者に分配されることなく、一部の企業経営者や投資家に集中し、その結果中間層を中心に国民の所得は伸び悩むか低下して、購買力は下がりました。そのために需要は低迷し経済は減速します。一方経営者や投資家に集中した富は、さらなる投資先を求めて金融バブルを惹き起します。また企業や富裕層はタックスヘブンを用いるか、自分たちに有利な税制を施行して適正な税金を払わず、また中間層以下の庶民は所得が低迷して担税力が減退し、この結果政府に巨額の財政赤字をもたらすことになりました。こうして新自由主義による格差の拡大は、単に道義的な不公平をもたらすだけでなく、経済の機能そのものを行き詰らせ、社会の矛盾を深めてしまったのです。

この新自由主義に対して、第2次世界大戦後の先進国の経済繁栄(日本の高度成長期も含めて)期を主導したのが、需要サイドの機能を重視するケインズ型の経済政策です。簡単に言えば、雇用を創出するのは企業や経営者の努力の以前に、顧客が製品やサ-ビスを購入する購買力を有するからであって、この購買力こそが需要を生みだし、経済を成長させると考えるのです。そのために中間層の所得と購買力を育成することを重視します。なぜなら中間層は、一人当たりの所得を最も有効に消費に回し、適正な貯蓄も行って金融資金をも提供して、全体としての国内需要を高めて経済を活性化させるからです。また政府は市場の調整機能に経済を委ねるだけでなく、人材教育投資など積極的な経済政策をも担っていくことになります。

今大統領予備選挙を期にアメリカで起こっていることは、格差を機とした単なる既存のエスタブリッシュメントへの反発だけではありません。むしろいよいよ30年以上に渡って続いてきた新自由主義の経済体制の終焉が迫り、再び需要サイドにシフトした新しい形態での中間層主体の経済・社会体制への模索が始まったと考えた方が良いでしょう。実際新自由主義が頼みとする金融政策も、金利が0近辺で張り付いて身動きがとれなくなっている現状では、マイナス金利にしたところでもはや金利調整によってでは総需要を増大させることは出来ません。むしろ富裕層や企業への増税等所得格差是正を目的とする再配分政策の方が、総需要を調整する金融政策としての効果を発揮する可能性のあることは、前回のパンセ通信で見てきたところです。しかしこの所得の再配分政策を行うということは、現状の新自由主義のもとで大きな利益を得ている階層、つまりグロ-バル企業、経営者や投資家などの富裕層、ウォ-ル街の金融業界、そして軍事(軍産複合体企業)と金融で世界をアメリカの一極支配の下に置こうとするネオコン勢力等の利害と真っ向から対立することになります。莫大な富でアメリカの政治権力を支配する彼らは、これまではしたたかに自分たちへの挑戦をはねのけてきました。中間層の保護政策を訴えて当選したオバマ大統領も、すっかり彼らに取り込まれてしまいました。ところが今回のアメリカの大統領予備選挙では、全く予想だにしない事態が生じています。現状の新自由主義政策で利益を得る階層の筋書き通りには、民主党でも共和党でも事が運ばずに、トランプ候補やサンダ-ス候補への支持の潮流を、彼らが本気になって押し止めようとしても、もはやその抑えが効かなくなってきてしまっているのです。トランプ候補やサンダ-ス候補が目指すところは共通で(トランプ候補の言葉遣いはかなり荒いですが)、富裕層への増税や中間層以下への減税と福祉の充実、さらには大学授業料の減額等による人的教育投資によって格差を縮小し、中間層を中心とする国内需要再建のためにアメリカが孤立主義へと回帰することです。そのための方法として、トランプ氏はファシズム的な手法をとり、サンダ-ス氏は社会民主主義的な方法を取るだけの違いで、共に現状の支配階層の利益構造に挑戦し、権力の重心を移行させようとしているのです。

じつはこのアメリカと同じ動きは、日本でも潜在的には進行しています。昨年の国会前デモに象徴される草の根の市民運動の圧力から、共産党と小沢一郎(生活の党)氏が牽引して形成された野党連合が、程なくサンダ-ス型のリベラルな形態での、中間層の需要サイドに立った政治経済政策を結実させてくるものと思われます。一方安倍首相を中心とする保守のタカ派勢力は、もはや命脈の尽きたアベノミクスに早晩見切りをつけて臆面も無く豹変し、大阪維新の会の橋下徹氏等と結んで、トランプ氏型の国家主義的な手法を用いて格差の是正政策に切り込んでくることも予想されます。いずれにしても新自由主義的な政策はもはやその役割を終え、中間層の購買力を重視した需要サイドの経済政策に移行することで、現在の経済的困難を乗り切ろうとする可能性が高まってくることでしょう。しかしそれは経済的支配階層の権益構造を解体することにもつながり、その過程においては困難と混乱が生じることが予想されます。それを私たち庶民の側からいかにスム-ズに進めるか、そしてまた私たちの生活利益を増すと共に、後の世代までをも含めた全体の利益につなげられるように、経済と社会を安定的で私たちのいのちと暮らしを育むものに変えていけるかということが、大きな課題となってきます。そのためにもう1度前々回に考えたミクロの経済視点に立ち戻って、私たちの具体的な日常生活での対応から考えていってみたいと思います。次回のパンセの集いは3月15日火曜日の16時からです。場所は初台・幡ヶ谷の地域で行います。

さてマクロ経済を企業や富裕層主体の新自由主義的なものから、ケインズ的な経済政策をも用いた中間層の購買力を主体する需要サイドに立ったものへと切り替えていくためには、主たる利益主体が富裕層から中間層へと移行するわけですから、必然的に政治体制の移行・権力の移行(政権交代)が伴ってきます。この切り換えを行う1つの方法が、権力を独裁し(集中させ)、国家権力の主導のもとに行っていく方法です。しかし先進国においてこの方法がうまくいかないことは、すでに私たちは社会主義の実験や全体主義の崩壊と惨劇によって深く学んでいるところです(途上国における開発独裁においては、うまくいったケ-スも見られますが)。私たちが生きる本来の目的である“いのちの価値”と“生きる意欲と力”を高めていくことを主眼とするなら、この転換が私たちの日常生活のレベルにおいては、将来への希望のもとに私たちが納得して、漸進的に進めていくことが求められます。つまり自由と民主主義的方法によるということです。そうでなければ、社会への軋轢と私たちの生活へのダメ-ジはきわめて大きなものとなってしまうことが考えられるからです(例えばロシア革命以降のソビエトでの民衆の生活や、戦時体制下での日本の庶民の生活の激変と困難を考えてみて下さい)。また経済の効率性や生産性、そして社会の機能性が新自由主義よりも上回るのでなければ、理念や精神論で不効率をカバ-するというような“しんどくて無理がある”体制になってしまうことでしょう。そのためにはやはり、市場経済の機能と競争原理や自由な選択などは最大限に活用していかなければならないと思われます。

実は英米や欧州においては、この企業や富裕層(保守)と中間層・労働者層(リベラル・社会民主主義)との間での政権の移行と経済・社会政策の移行が、市場経済の枠内で、また民主主義の制度の範疇で、自由な合意形成のもとに行われる仕組みがすでに一定程度確立されています(もちろん、時代状況は進展していますから、今回もしアメリカの大統領選挙で、万が一トランプ氏やサンダ-ス氏が政権を担うようなことになった場合には、従来では想定できない軋轢と混乱の生じることが予想されますが)。一方日本においては、戦後すぐの社会党片山内閣を除いて、2009年に至るまで自民党を中心とする保守政党が政権を担い続け、欧米のような政権交代の仕組みが国民の中での合意事項としても、また政党の主体的能力としても準備されていませんでした。それが先の民主党政権下における政治的混乱と幻滅の原因の1つとなったのです。なにせ政権移行のルール(市場経済の活用、民主主義の堅持等)を考える前に、民主党におけるニュ-リベラルの政治理念や新自由主義に対する経済政策がはっきりしていなかったのですから、政治が無茶苦茶になっても仕方の無かったことでしょう。しかしこれも歴史を紐解けばよくあることで、大切なことは失敗からよく学んで、2度目の政権交代の時には確かな経済改革、政治社会改革の主体として機能してもらえるようになることです。そのためには野党連合も、立憲主義(憲法を守った政治を行う)での共闘のレベルに留まらず、さらに踏み込んでニュ-リベラルの政治経済政策やその移行プロセスまでも明確にして、政策協調を行っていってもらいたいと期待するところです。

幸いにして日本の政治状況も、ようやくにして政党とその利権団体が主導する状況から、市民の圧力が政党を動かす段階へと移行してきました。もしこれまで述べてきたように、経済活動が新自由主義的方法から、中間層の所得に依存する需要サイドのモデルに移行する段階に来ているとするなら、そしてそのために格差を縮小し(企業や富裕層の利益を中間層の所得に振り向け)、中間層の所得を増やす政策を実行する段階に来ているとするなら、私たちはこの移行を出来るだけ私たちの生活に支障がない形で進めていかねばなりません。それが国権主義的な方法によるか、社会民主主義的な方法によるかには関わらずにです。そのためにこの移行のプロセスをも私たち自身がよく考えて、政党に影響力を及ぼすかあるいは政党の動きを判断する指針としていかなければならいでしょう。そこで今回の最後には、少しだけそのプロセスについても考えていってみたいと思います。

現代においてこの移行を進めるためには、先ほども述べたように政権交代等による政治権力の行使(もちろん民主主義的な方法による)と市場機能をも活用する方法が必要となってきます。それでは市場機能を活用するとはいったいどんな方法なのでしょうか。簡潔に言えば、企業が中間層の所得を増やした方が、自分たちの利益が増大すると思うようになり、全くの自由意思でそちらの方向に経営の舵を切るようになるということです。また有り余る資産を持ってその運用先に困る富裕層も、危険で無意味なバブル投資やマネ-ゲ-ムに投資するよりも、その資金がミドルクラス以下の所得を増やして実体経済を成長させるような、堅実な投資に振り向けられる(つまり利回りが低くても長期で安定的なリタ-ンが得られる)ことを望むようになるということです。そこで前々回パンセ通信No.73で考えた、労働価値説と効用価値説を組み合わせたヒット商品が生まれる方程式に戻って、ミクロ経済の次元でその具体策について考えていってみたいと思います。その方程式とは、
生産コスト<値段<商品の効用
というものでした。この式から分かることは、生産コストが下がるほど、また商品の顧客に対する効用が高まるほどお得感が増して、商品が良く売れて企業は儲かるということでした。ここで左辺のコストダウンについては、すでに日本の企業はお手のものでしょうから、右辺の商品の効用を増す方法について、具体的な事例を参考に考えていってみたいと思います。もしこの効用を増す方法が、同時に企業の内外や地域や家庭に眠る現在不効率のままに活用されない様々な資本や資産を活用し、資本効率を高めるものであったとするならば、同時それは企業の利益を増すだけでなく、庶民の所得をも増やす機能を果たすことになるはずです。また現在運用先に窮する何百兆円もの膨大なマネ-が、今の金融システムでは投資することの出来ない最も資金を必要とする対象、あるいは資金があれば事業効率が一挙に高まる投資先へと動き出す仕組みをも考えられれば、需要サイドの経済へと移行するプロセスも明らかに考えられるようになってくるはずです。その具体的な筋道を、現在私たちが地域で手掛けようとしている映画鑑賞事業、そして大徳院の増田ご住職と進める老いと死の可能性を拓く終活事業、及びいのちの価値に関わる様々なテキストづくり、そして私たちの本来の出発点である『高野山の案内犬ゴン』の作品づくり(ここ何か月間か手つかずになっていますが)をモデルに考えていってみたいと思います。

次回のパンセの集いは3月15日の火曜日、16時からです。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)