■2016.3.20パンセ通信No.76『トランプ旋風から映画の効用分析、なりわい事業へ』
皆 様 へ
アメリカで共和党のトランプ候補の躍進が止まりません。大統領選挙の予備選を機に、アメリカの庶民の怒りが表だって現れてきているようです。そして世界の指導者層の思惑を超えた時代の潮流の変化が、表面化してきたようです。相次ぐ暴言で顰蹙を買うトランプ氏ですが、しかしその主張を冷静に確認してみると、前回のパンセ通信でもご紹介したとおり、オバマ大統領が立候補時に掲げた理想と実は大差が無いようにも思えてきます。結局はその主張の行き着くところは、社会保障制度の拡充や富裕層(&企業)への増税による格差の是正、さらに関税引き上げ(トランプ氏の場合はプラス移民の排斥)による国内雇用の確保、加えてこれまで世界の警察として君臨したアメリカのグロ-バル外交から孤立主義への回帰。これによって要は中間層・庶民層の所得を増大させ、需要サイドに立った立場から庶民生活と経済を再生しようとしていることが、庶民の人気を博している理由のようです。しかしこれは企業経営者や資本家(投資家)、ウオール街の金融業界、軍事関連産業(ネオコン)の利害を基盤とする新自由主義的経済政策、つまり従来の共和党の政策とは真っ向から対立するもので、まさにトランプ氏は『共和党をぶっ壊す!』『私に反対する者はすべて抵抗勢力』という、かつてこの国でも聞いたことのあるような主張で、トランプ旋風を巻き起こしていることが分かってきます。
ではなぜこんな乱暴な主張が、庶民層からの熱狂的な支持を得ているのでしょうか。それには3つほどの理由が考えられます。第1にアメリカの失業率が改善されたとはいえ、実際には庶民の生活が悪化し、苦しさを増しているからです。実際に増えた仕事は日本と同じく非正規で賃金も低いものばかりで、若者は大学卒業時に何百万円もの奨学金の借金を背負い、しかも満足な就業先も無い状況です。加えてアメリカの場合にはインフレも進行していて、家計を圧迫しています。第2には、トランプ氏の詐欺師的でインチキな暴言によって、逆に現在のアメリカのエスタブリッシュメントたちが仕組んでいた、もっとスケ-ルが大きくて巧妙なインチキが、暴き出されることになったからです。「雇用をつくり出すのは企業家だから、(事業で成功した)富裕層に増税してはならない。」「企業の国際競争力を高めなければ、雇用は維持されない。」「人一倍努力すれば、誰にでもアメリカンドリ-ムの可能性が開かれている。」こうした価値観に基づく新自由主義的政策による洗脳が、結局格差の拡大をもたらし、富裕層の利益にしかならないことに庶民が気づき始めたのです。いやすでに無意識のうちにはとっくの昔に気づいていたのでしょうけど、もやもやとしたごまかしの中で、そのことに怒りを向けて良いのかどうか躊躇していた庶民たちに対して、トランプ氏がその抑圧を取り除き、もはや国全体の経済利益を考慮することなく、自分たち自身の利益のために本音を主張し、既存政治をぶっ壊して良いのだと、その怒りの回路を解放したのです。そして第3は、すでにアメリカの国民の多数が、シェ-ルガス開発によりもはやアメリカが中東の石油に依存する必要は無くなったこと、また現在の新自由主義的経済政策が、このままでは繰り返すバブル崩壊により破滅的な帰結をもたらすことを直感しているからです。そして自分たちの利益となる庶民層の所得を増やす政策へと切り替えることが、経済と社会を立て直す道だという論説が、心に強く響いているからです。こうした理由から、もはや押し止めようが無くなりつつあるトランプ氏の勢いに対して、アメリカのエスタブリッシュメントたちは、対抗馬を支援するばかりでなく、今後はオバマ大統領のようにトランプ氏そのものを取り込むことを画策してくることでしょう。しかしヒトラ-を彷彿させるイレギュラ-な人格ですから(オバマ大統領のような優等生、あるいは人種的なハンデから優等生にならざるを得ない立場にあるわけではないですから)、今後のアメリカの展開からは目が離せません。
それでは、アメリカと同じような状況は日本においても出てくるのでしょうか。日本人はアメリカ人と違って、我慢強くておとなしい民族なので、アメリカの庶民のように怒りを露わにすることはない?いやいやそんなことはありません。すでに昨年の安保法制反対デモから、SEALDSを始めとして、若者たちの意義申し立ては始まっています。その中心となるのは、かつての学生運動のようなエリ-ト大学の学生ではありません。その意義申し立てが、やがて政治的主張から経済的不平等への主張へと拡散してくることを予想してもおかしくはありません。事実最近の彼らの主張は、学費の値下げや奨学金の返済問題に移ってきています。その延長で、3900億円もかけて高齢者に3万円の臨時給付金をバラ撒くのであれば、将来を担う自分たちに投資しろと、自分たちの本音を主張し始めるのも時間の問題かもしれません。そして『保育園落ちた、日本死ね!!!』のはてな匿名ダイアリ-へ投稿されたストレ-トな怒りの表現は、子育て世代の働くお母さんたちに瞬く間に共感の輪を広げています。そもそもアメリカで起こることは、日本でも追随して起こるのを常としてきました。実際今のままでウソとごまかしのアベノミクスを続けていけば、日本の企業も財政も立ち行かなくなり、やがてハイパ-インフレに帰結し、戦後すぐの時のような預金封鎖と新円切替で、国民資産没収によっての財政赤字の解消という事態になりかねないことを、私たちはすでに予感しています。状況はアメリカと同じです。後は誰がいつ私たちの怒りのスイッチを入れて、蓄積した怒りを解放するかだけでしょう。方法論は、すでにアメリカでつくられつつあるモデルを真似れば良いのですから。
そうなる前に、中間層の所得拡大による需要サイド経済への移行を、混乱が少なく、また本当に私たちと社会全体や将来の世代の利益になるように、そのプロセスをよく考えて準備しておかなければなりません。そのプロセスとは、前回のパンセ通信でも申し上げたとおり、政治権力を移行しその権力の行使を民主的に行うことと、市場機能を活用して無理なくみんなが自由意思で移行していくプロセスです。つまり自由な選択でより多くの利益の得られる見込みに魅かれて、企業や(金融業界の)資金、そして働く庶民層が需要サイドエコノミ-に移行してくる回路をつくることでしょう。そこでパンセ通信では、この後者の市場機能を活用する方法について、具体的な事業モデルを例にとったミクロの経済次元からの移行について考えていってみたいと思います。そのためのパンセの集いは、3月22日の火曜日の16時から行います。場所は初台・幡ヶ谷の地域です。
さて現在パンセの集いでは、(株)フィルム・クレッセントから継承した、相澤徹さん製作による全映画の著作権を保有しています。また山口巧監督の収集した千数百点にのぼる20世紀初頭から1990年代に至るまでの映画作品のコンテンツをも保有しています。さらに一通りの上映機材をも取り揃えております。そして幡ヶ谷の地域において、地元の商店とタイアップして実際の上映会も試験的に実施し、成功させております。つまり映画鑑賞の事業化を試みようと思えば、すでにその必要条件が整っている状況にあるのです。しかしここでふと気づくのですが、日本では映画の製作、配給、映画館の営業という事業はバラバラに経営されていて、意外なことですが自分たちの求める映画を上映して、それを観賞するというビジネスは今までにありません。つまり配給と上映が一体となった事業の形態です。もしこの新しい分野が事業化できれば、新しい需要創造が行えるということになります。さらに今まで事業の対象にならなかった小さな規模で、しかも客足の落ちた店舗等のスペ-スを活用し、また退職者等の未就業人材をも活用して、採算ベースに乗る事業を展開できれば、今まで活用されなかったまちの遊休資産を利用した資本効率を高める事業を行えることとなります。IT技術の活用が、こうした小規模で非効率だった事業や遊休資産を繋ぎ合わせて、効率化させて事業化できる可能性を拓いています。日本がグローバル競争で完全に敗北したIT技術の活用にもう1度目を向け、それをグローバル企業が目指すような省力(人)化投資に向けるのではなく、人が良く生きて生活していけるような仕事、つまりなりわいづくりに向けていくのです。こうして庶民階層や中小零細事業者層の所得を増やす、事業創出の可能性が開けてきます。もしそうした事業モデルが確立すれば、企業や金融業界の資金も動き始めて、この事業モデルを他の様々な分野の事業に応用していくことも考えられます。そして需要サイドの経済を促進する一助ともなっていくことでしょう。そうしたスト-リ-を思い描きつつ、まずは映画鑑賞ビジネスの事業化について検討していってみたいと思います。
それでは事業化が出来る条件とは何でしょうか。それはパンセ通信No.73で考えたように、商品の価格が生産コストを上回ることと、商品の効用が価格を上回り、顧客がお得感を感じて商品への需要が高まるということです。ここではまず、私たちがモデルとしてシュミレ-ションする映画鑑賞事業の商品の効用から考えていってみたいと思います。そしてその後に、その効用を充たしたりさらにニ-ズを高めていくために、マ-ケティングの手法を用いた価値提供の仕組みを考え、最後にコスト分析から価格設定を行い、事業性の評価とビジネスモデルの組み立てを行っていってみたいと思います。
さて一口に映画鑑賞ビジネスの効用と言っても、じつはこの事業に関わる様々なステークホルダーがいるわけであって、それぞれの利害関係者ごとに異なる効用を考えていかなければなりません。そこでざっとステークホルダーの数を数え上げると、次の9つぐらいが浮かび上がってくるでしょうか。①映画鑑賞者(顧客)の効用 ②上映会を運営する側(企業・経営者)の効用 ③上映会を企画する人たち(シネマサ-クル、上映委員会)の効用 ④上映スタッフ(会場設営、映写技師等)の効用 ⑤上映会場を提供(商店等)したり、上映会に協力する人たちの効用 ⑥上映会場周辺の商店街やまち、地域の効用(将来的に他のなりわい事業とも結びつけて里まちづくりへと展開していくために) ⑦既存の映画産業関係者の効用・著作権への対応(コンテンツを提供する配給者、映画製作会社、出演者・制作スタッフ等) ⑧資金を提供する金融機関・投資家の効用 ⑨インターネット等を活用して、小規模分散の事業形態を効率化するIT業者、その他の関連業者。これらの中でも中心的に検討しなくてはならないのは、①の映画鑑賞者(顧客)の効用と、②の上映会を運営する側の効用でしょう。そこで今回は、映画鑑賞者の効用について分析を行うこととし、次回に上映会の運営側の効用を、マーケティング的な視点から検討していってみることにしたいと思います。
ところで人が映画見る動機というのは様々で、そこから得る満足というものも様々に異なります。そこでまず映画鑑賞そのものから得ることの出来る効用の前に、映画鑑賞を手段的に利用する効用について考えてみることにします。まず第1に流行している映画だから観るとか、評判の高い名作だから観る、あるいは滅多に見られない珍しい映画だから観るということがあるでしょう。映画鑑賞を世間的な価値観に同調させる手段として用いるのです。第2には、自分の教養主義的な趣味を充たすという観賞の形態があります。芸術性の高い映画を観ることによって、自分を高尚な者に見せてちょっと優越感に浸るとか、つまり映画を自己演出の手段として用いる効用ですね。第3には岩波ホールのエキプ・ド・シネマの会員になる等、そのシネマサ-クルの価値観を自己に体現し、特別感を得るような効用です。こういう会員制組織に加入すると、料金割引やイベント招待等のお得なサ-ビスを受けることも出来ます。つまり自分自身が特別感を得られるための手段として映画鑑賞を活用する効用です。第4には、映画鑑賞をデ-トの場として利用する方法です。これは非常にニーズの高い利用の仕方ですね。他に政治団体や宗教教団が、自分たちのプロパガンダのために映画観賞を用いることがあります。またある価値観や商品等の宣伝や刷り込みのために鑑賞を行うということもあるでしょう。さらに教育委員会や学校組織が、いじめ問題の啓発等のために鑑賞会を開くことなどもあります。これらの映画の観方は、自分たちの持つ別の目的のために、その手段として映画を利用するということです。そして最後に高齢者の方などが、老いやボケ防止の手段として映画を観るといったこともあるでしょう。こうした映画鑑賞に関わる手段的効用というのは、映画鑑賞という商品の販売促進を行う上で、おざなりに済ますことの出来ない効用でしょう。
次に映画鑑賞を通じて得られる、感情の消費的効用というものが考えられます。この効用は、従来から行われている商業主義的なビジネスモデルにおいて分析の対象とされる効用で、お客様を消費者として捉えて、提供する映画商品を通じてお客様が感情消費をすることで得られる満足を、サービスとして提供するビジネスです。現時点ではこの効用の提供が、お金に換えてお客様から料金として頂くことの出来るサービス事業となっています。この消費的効用には、まず第1に消極的な効用というものがあります。例えば暇つぶしをしたい、退屈を紛らわせたいといったものです。そしてつらい日常や苦悩を忘れるために、仮想空間に逃避したいという求めもあるでしょう。もう少し軽いところでは、気分転換をしたいといったことも考えられます。あるいは恋愛映画やファンタジ-の主人公になって、現実には不可能なヒーロ-やヒロインの体験をするということもあるでしょう。次に第2番目として考えられるのが、欲望を刺激したりバラエティ的享楽を与えるエンタ-テイメント的な効用です。CGやSFXなどの新しい趣向や仕掛けで、今まで経験したことのないような体感や興奮を提供するスペクタル等がこれにあたります。また『半沢直樹』のように日頃の鬱憤を晴らしたり、『水戸黄門』のように安心して勧善懲悪を楽しめるようなものもあるでしょう。さらにはバイオレンスやスピードとスリルを提供するなど、私たちの本能的衝動を解消するものも考えられます。またホラ-映画や怪談ものを見て、恐怖を味わいたくなるのも人間の本能的な衝動かもしれません。そしてSEXやタブ-を犯す快感などがあります。アダルトシネマはこうした効用を充たすジャンルでしょう。さらに付け加えられるのが、能天気にひたすら笑えるドタバタコメディ-などです。しかし残念ながらこのジャンルは、TVのバラエティ番組などにすっかりお株を奪われてしまったようです。最後に3番目として考えられるのが、感情消費によってリフレッシュしたり、再生感が得られるような積極的な効用です。誰でも毎日のマンネリ化した日常の中で、麻痺した感情が飢え乾くことを覚えることがあります。感動やスリルや笑いによって、感情を躍動させたいという衝動に駆られることがあるでしょう。あるいはロマンスやファンタジ-などの非日常空間・祝祭空間に魂を解放することによって、平凡な日常生活を豊かに持続させていく効用もあるでしょう。映画はその効用のツ-ルとなるのです。
以上が現在、お客様からお金に換えて頂くことの出来ている映画鑑賞の消費的な効用です。消費的効用というのは、映画を見終った後の効用には、事業者がお金に換えられる効用としては関与しないということです。しかしご承知のとおり、映画を見終わった後には何かが残るものです。まして優れた作品を観た後には、深く考えさせられたり、場合によっては人生観を一変させるような強い衝撃を受けたりするものです。つまり新しい気づきがあったり、人間の生き様死に様を知っていのちの有り様を学んだり、そしてそのことによって自分自身の生きる力を高めたりという、単に鑑賞した場限りで消費する効用では尽くせない、その後の人生の糧となる生産的効用というものもあるはすです。次回にはこの効用を、これまでパンセ通信で考えてきた伝統宗教の価値観や、江戸時代や老舗企業の事業観とも結びつけながら、“いのちの効用”として取り出してみたいと思います。そしてさらにその効用を、映画上映会の運営者側の効用とも考え合せながら、マーケテイング的な視点からその価値の提供をお金に換える仕組みを検討していってみたいと思います。
次回のパンセの集いは3月22日の火曜日、16時からです。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)
皆 様 へ
アメリカで共和党のトランプ候補の躍進が止まりません。大統領選挙の予備選を機に、アメリカの庶民の怒りが表だって現れてきているようです。そして世界の指導者層の思惑を超えた時代の潮流の変化が、表面化してきたようです。相次ぐ暴言で顰蹙を買うトランプ氏ですが、しかしその主張を冷静に確認してみると、前回のパンセ通信でもご紹介したとおり、オバマ大統領が立候補時に掲げた理想と実は大差が無いようにも思えてきます。結局はその主張の行き着くところは、社会保障制度の拡充や富裕層(&企業)への増税による格差の是正、さらに関税引き上げ(トランプ氏の場合はプラス移民の排斥)による国内雇用の確保、加えてこれまで世界の警察として君臨したアメリカのグロ-バル外交から孤立主義への回帰。これによって要は中間層・庶民層の所得を増大させ、需要サイドに立った立場から庶民生活と経済を再生しようとしていることが、庶民の人気を博している理由のようです。しかしこれは企業経営者や資本家(投資家)、ウオール街の金融業界、軍事関連産業(ネオコン)の利害を基盤とする新自由主義的経済政策、つまり従来の共和党の政策とは真っ向から対立するもので、まさにトランプ氏は『共和党をぶっ壊す!』『私に反対する者はすべて抵抗勢力』という、かつてこの国でも聞いたことのあるような主張で、トランプ旋風を巻き起こしていることが分かってきます。
ではなぜこんな乱暴な主張が、庶民層からの熱狂的な支持を得ているのでしょうか。それには3つほどの理由が考えられます。第1にアメリカの失業率が改善されたとはいえ、実際には庶民の生活が悪化し、苦しさを増しているからです。実際に増えた仕事は日本と同じく非正規で賃金も低いものばかりで、若者は大学卒業時に何百万円もの奨学金の借金を背負い、しかも満足な就業先も無い状況です。加えてアメリカの場合にはインフレも進行していて、家計を圧迫しています。第2には、トランプ氏の詐欺師的でインチキな暴言によって、逆に現在のアメリカのエスタブリッシュメントたちが仕組んでいた、もっとスケ-ルが大きくて巧妙なインチキが、暴き出されることになったからです。「雇用をつくり出すのは企業家だから、(事業で成功した)富裕層に増税してはならない。」「企業の国際競争力を高めなければ、雇用は維持されない。」「人一倍努力すれば、誰にでもアメリカンドリ-ムの可能性が開かれている。」こうした価値観に基づく新自由主義的政策による洗脳が、結局格差の拡大をもたらし、富裕層の利益にしかならないことに庶民が気づき始めたのです。いやすでに無意識のうちにはとっくの昔に気づいていたのでしょうけど、もやもやとしたごまかしの中で、そのことに怒りを向けて良いのかどうか躊躇していた庶民たちに対して、トランプ氏がその抑圧を取り除き、もはや国全体の経済利益を考慮することなく、自分たち自身の利益のために本音を主張し、既存政治をぶっ壊して良いのだと、その怒りの回路を解放したのです。そして第3は、すでにアメリカの国民の多数が、シェ-ルガス開発によりもはやアメリカが中東の石油に依存する必要は無くなったこと、また現在の新自由主義的経済政策が、このままでは繰り返すバブル崩壊により破滅的な帰結をもたらすことを直感しているからです。そして自分たちの利益となる庶民層の所得を増やす政策へと切り替えることが、経済と社会を立て直す道だという論説が、心に強く響いているからです。こうした理由から、もはや押し止めようが無くなりつつあるトランプ氏の勢いに対して、アメリカのエスタブリッシュメントたちは、対抗馬を支援するばかりでなく、今後はオバマ大統領のようにトランプ氏そのものを取り込むことを画策してくることでしょう。しかしヒトラ-を彷彿させるイレギュラ-な人格ですから(オバマ大統領のような優等生、あるいは人種的なハンデから優等生にならざるを得ない立場にあるわけではないですから)、今後のアメリカの展開からは目が離せません。
それでは、アメリカと同じような状況は日本においても出てくるのでしょうか。日本人はアメリカ人と違って、我慢強くておとなしい民族なので、アメリカの庶民のように怒りを露わにすることはない?いやいやそんなことはありません。すでに昨年の安保法制反対デモから、SEALDSを始めとして、若者たちの意義申し立ては始まっています。その中心となるのは、かつての学生運動のようなエリ-ト大学の学生ではありません。その意義申し立てが、やがて政治的主張から経済的不平等への主張へと拡散してくることを予想してもおかしくはありません。事実最近の彼らの主張は、学費の値下げや奨学金の返済問題に移ってきています。その延長で、3900億円もかけて高齢者に3万円の臨時給付金をバラ撒くのであれば、将来を担う自分たちに投資しろと、自分たちの本音を主張し始めるのも時間の問題かもしれません。そして『保育園落ちた、日本死ね!!!』のはてな匿名ダイアリ-へ投稿されたストレ-トな怒りの表現は、子育て世代の働くお母さんたちに瞬く間に共感の輪を広げています。そもそもアメリカで起こることは、日本でも追随して起こるのを常としてきました。実際今のままでウソとごまかしのアベノミクスを続けていけば、日本の企業も財政も立ち行かなくなり、やがてハイパ-インフレに帰結し、戦後すぐの時のような預金封鎖と新円切替で、国民資産没収によっての財政赤字の解消という事態になりかねないことを、私たちはすでに予感しています。状況はアメリカと同じです。後は誰がいつ私たちの怒りのスイッチを入れて、蓄積した怒りを解放するかだけでしょう。方法論は、すでにアメリカでつくられつつあるモデルを真似れば良いのですから。
そうなる前に、中間層の所得拡大による需要サイド経済への移行を、混乱が少なく、また本当に私たちと社会全体や将来の世代の利益になるように、そのプロセスをよく考えて準備しておかなければなりません。そのプロセスとは、前回のパンセ通信でも申し上げたとおり、政治権力を移行しその権力の行使を民主的に行うことと、市場機能を活用して無理なくみんなが自由意思で移行していくプロセスです。つまり自由な選択でより多くの利益の得られる見込みに魅かれて、企業や(金融業界の)資金、そして働く庶民層が需要サイドエコノミ-に移行してくる回路をつくることでしょう。そこでパンセ通信では、この後者の市場機能を活用する方法について、具体的な事業モデルを例にとったミクロの経済次元からの移行について考えていってみたいと思います。そのためのパンセの集いは、3月22日の火曜日の16時から行います。場所は初台・幡ヶ谷の地域です。
さて現在パンセの集いでは、(株)フィルム・クレッセントから継承した、相澤徹さん製作による全映画の著作権を保有しています。また山口巧監督の収集した千数百点にのぼる20世紀初頭から1990年代に至るまでの映画作品のコンテンツをも保有しています。さらに一通りの上映機材をも取り揃えております。そして幡ヶ谷の地域において、地元の商店とタイアップして実際の上映会も試験的に実施し、成功させております。つまり映画鑑賞の事業化を試みようと思えば、すでにその必要条件が整っている状況にあるのです。しかしここでふと気づくのですが、日本では映画の製作、配給、映画館の営業という事業はバラバラに経営されていて、意外なことですが自分たちの求める映画を上映して、それを観賞するというビジネスは今までにありません。つまり配給と上映が一体となった事業の形態です。もしこの新しい分野が事業化できれば、新しい需要創造が行えるということになります。さらに今まで事業の対象にならなかった小さな規模で、しかも客足の落ちた店舗等のスペ-スを活用し、また退職者等の未就業人材をも活用して、採算ベースに乗る事業を展開できれば、今まで活用されなかったまちの遊休資産を利用した資本効率を高める事業を行えることとなります。IT技術の活用が、こうした小規模で非効率だった事業や遊休資産を繋ぎ合わせて、効率化させて事業化できる可能性を拓いています。日本がグローバル競争で完全に敗北したIT技術の活用にもう1度目を向け、それをグローバル企業が目指すような省力(人)化投資に向けるのではなく、人が良く生きて生活していけるような仕事、つまりなりわいづくりに向けていくのです。こうして庶民階層や中小零細事業者層の所得を増やす、事業創出の可能性が開けてきます。もしそうした事業モデルが確立すれば、企業や金融業界の資金も動き始めて、この事業モデルを他の様々な分野の事業に応用していくことも考えられます。そして需要サイドの経済を促進する一助ともなっていくことでしょう。そうしたスト-リ-を思い描きつつ、まずは映画鑑賞ビジネスの事業化について検討していってみたいと思います。
それでは事業化が出来る条件とは何でしょうか。それはパンセ通信No.73で考えたように、商品の価格が生産コストを上回ることと、商品の効用が価格を上回り、顧客がお得感を感じて商品への需要が高まるということです。ここではまず、私たちがモデルとしてシュミレ-ションする映画鑑賞事業の商品の効用から考えていってみたいと思います。そしてその後に、その効用を充たしたりさらにニ-ズを高めていくために、マ-ケティングの手法を用いた価値提供の仕組みを考え、最後にコスト分析から価格設定を行い、事業性の評価とビジネスモデルの組み立てを行っていってみたいと思います。
さて一口に映画鑑賞ビジネスの効用と言っても、じつはこの事業に関わる様々なステークホルダーがいるわけであって、それぞれの利害関係者ごとに異なる効用を考えていかなければなりません。そこでざっとステークホルダーの数を数え上げると、次の9つぐらいが浮かび上がってくるでしょうか。①映画鑑賞者(顧客)の効用 ②上映会を運営する側(企業・経営者)の効用 ③上映会を企画する人たち(シネマサ-クル、上映委員会)の効用 ④上映スタッフ(会場設営、映写技師等)の効用 ⑤上映会場を提供(商店等)したり、上映会に協力する人たちの効用 ⑥上映会場周辺の商店街やまち、地域の効用(将来的に他のなりわい事業とも結びつけて里まちづくりへと展開していくために) ⑦既存の映画産業関係者の効用・著作権への対応(コンテンツを提供する配給者、映画製作会社、出演者・制作スタッフ等) ⑧資金を提供する金融機関・投資家の効用 ⑨インターネット等を活用して、小規模分散の事業形態を効率化するIT業者、その他の関連業者。これらの中でも中心的に検討しなくてはならないのは、①の映画鑑賞者(顧客)の効用と、②の上映会を運営する側の効用でしょう。そこで今回は、映画鑑賞者の効用について分析を行うこととし、次回に上映会の運営側の効用を、マーケティング的な視点から検討していってみることにしたいと思います。
ところで人が映画見る動機というのは様々で、そこから得る満足というものも様々に異なります。そこでまず映画鑑賞そのものから得ることの出来る効用の前に、映画鑑賞を手段的に利用する効用について考えてみることにします。まず第1に流行している映画だから観るとか、評判の高い名作だから観る、あるいは滅多に見られない珍しい映画だから観るということがあるでしょう。映画鑑賞を世間的な価値観に同調させる手段として用いるのです。第2には、自分の教養主義的な趣味を充たすという観賞の形態があります。芸術性の高い映画を観ることによって、自分を高尚な者に見せてちょっと優越感に浸るとか、つまり映画を自己演出の手段として用いる効用ですね。第3には岩波ホールのエキプ・ド・シネマの会員になる等、そのシネマサ-クルの価値観を自己に体現し、特別感を得るような効用です。こういう会員制組織に加入すると、料金割引やイベント招待等のお得なサ-ビスを受けることも出来ます。つまり自分自身が特別感を得られるための手段として映画鑑賞を活用する効用です。第4には、映画鑑賞をデ-トの場として利用する方法です。これは非常にニーズの高い利用の仕方ですね。他に政治団体や宗教教団が、自分たちのプロパガンダのために映画観賞を用いることがあります。またある価値観や商品等の宣伝や刷り込みのために鑑賞を行うということもあるでしょう。さらに教育委員会や学校組織が、いじめ問題の啓発等のために鑑賞会を開くことなどもあります。これらの映画の観方は、自分たちの持つ別の目的のために、その手段として映画を利用するということです。そして最後に高齢者の方などが、老いやボケ防止の手段として映画を観るといったこともあるでしょう。こうした映画鑑賞に関わる手段的効用というのは、映画鑑賞という商品の販売促進を行う上で、おざなりに済ますことの出来ない効用でしょう。
次に映画鑑賞を通じて得られる、感情の消費的効用というものが考えられます。この効用は、従来から行われている商業主義的なビジネスモデルにおいて分析の対象とされる効用で、お客様を消費者として捉えて、提供する映画商品を通じてお客様が感情消費をすることで得られる満足を、サービスとして提供するビジネスです。現時点ではこの効用の提供が、お金に換えてお客様から料金として頂くことの出来るサービス事業となっています。この消費的効用には、まず第1に消極的な効用というものがあります。例えば暇つぶしをしたい、退屈を紛らわせたいといったものです。そしてつらい日常や苦悩を忘れるために、仮想空間に逃避したいという求めもあるでしょう。もう少し軽いところでは、気分転換をしたいといったことも考えられます。あるいは恋愛映画やファンタジ-の主人公になって、現実には不可能なヒーロ-やヒロインの体験をするということもあるでしょう。次に第2番目として考えられるのが、欲望を刺激したりバラエティ的享楽を与えるエンタ-テイメント的な効用です。CGやSFXなどの新しい趣向や仕掛けで、今まで経験したことのないような体感や興奮を提供するスペクタル等がこれにあたります。また『半沢直樹』のように日頃の鬱憤を晴らしたり、『水戸黄門』のように安心して勧善懲悪を楽しめるようなものもあるでしょう。さらにはバイオレンスやスピードとスリルを提供するなど、私たちの本能的衝動を解消するものも考えられます。またホラ-映画や怪談ものを見て、恐怖を味わいたくなるのも人間の本能的な衝動かもしれません。そしてSEXやタブ-を犯す快感などがあります。アダルトシネマはこうした効用を充たすジャンルでしょう。さらに付け加えられるのが、能天気にひたすら笑えるドタバタコメディ-などです。しかし残念ながらこのジャンルは、TVのバラエティ番組などにすっかりお株を奪われてしまったようです。最後に3番目として考えられるのが、感情消費によってリフレッシュしたり、再生感が得られるような積極的な効用です。誰でも毎日のマンネリ化した日常の中で、麻痺した感情が飢え乾くことを覚えることがあります。感動やスリルや笑いによって、感情を躍動させたいという衝動に駆られることがあるでしょう。あるいはロマンスやファンタジ-などの非日常空間・祝祭空間に魂を解放することによって、平凡な日常生活を豊かに持続させていく効用もあるでしょう。映画はその効用のツ-ルとなるのです。
以上が現在、お客様からお金に換えて頂くことの出来ている映画鑑賞の消費的な効用です。消費的効用というのは、映画を見終った後の効用には、事業者がお金に換えられる効用としては関与しないということです。しかしご承知のとおり、映画を見終わった後には何かが残るものです。まして優れた作品を観た後には、深く考えさせられたり、場合によっては人生観を一変させるような強い衝撃を受けたりするものです。つまり新しい気づきがあったり、人間の生き様死に様を知っていのちの有り様を学んだり、そしてそのことによって自分自身の生きる力を高めたりという、単に鑑賞した場限りで消費する効用では尽くせない、その後の人生の糧となる生産的効用というものもあるはすです。次回にはこの効用を、これまでパンセ通信で考えてきた伝統宗教の価値観や、江戸時代や老舗企業の事業観とも結びつけながら、“いのちの効用”として取り出してみたいと思います。そしてさらにその効用を、映画上映会の運営者側の効用とも考え合せながら、マーケテイング的な視点からその価値の提供をお金に換える仕組みを検討していってみたいと思います。
次回のパンセの集いは3月22日の火曜日、16時からです。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)