ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信No.87『映画「怒りの葡萄」に見る逆境に屈せぬ人間性への信頼』

Jun 04 - 2016

■2016.6.4パンセ通信No.87『映画「怒りの葡萄」に見る逆境に屈せぬ人間性への信頼』

皆 様 へ

第1回の幡ヶ谷ホームシアターサ-クルの課題映画である『怒りの葡萄』を鑑賞しました。有名なジョン・スタインベックの小説を原作に、1940年に制作されたアメリカ映画で、アカデミー賞の受賞作品です。ション・フォードが監督し、ヘンリー・フォンダが主演しました。時代は1930年代の大恐慌時代、農地を追い立てられたオクラホマの貧しい農民一家が、職を求めてカリフォルニアに向かう物語です。しかしそこでも仕事は無くて困窮し、人間の尊厳も踏みにじられて、さんざんな目に遭っていきます。この理不尽さに戸惑いを覚え、怒りもこみあげてくるストーリ-を主軸に、その苦境に生きる家族と、その周囲の人々の人間模様が丹念に描かれていきます。しかしこの人間の悲惨は過去のものでも何でもなく、現在もシリアやアフリカなど世界各地で難民となった多くの人々において生じている問題です。また日本においても、今回の熊本のような直下型地震や東北大震災における津波のような被害に襲われ、いつ私たちもこうした悲惨の中で流浪する運命に陥るかわかりません。次回のパンセの集いでは、この映画感想から困難な時に生きる人間の生き様について学び、また私たちもこの映画の登場人物たちのように、不屈に生きる術を身につける方法について考えていってみたいと思います。日時は6月6日の月曜日、時間は18時からです。場所は、初台・幡ヶ谷の地域で行います。

さてこの映画を見て、2つのことを考えさせられました。1つは、なぜこんな理不尽な悲惨が生じたのかということです。そしてもう1つは、もし私たちがこうした逆境に陥ったなら、いったいどう生きれば良いのかということです。そこでまず、この映画のような事態を招いた原因から考えてみることにしたいと思います。当時のオクラホマを中心としたアメリカ中西部においては、干ばつとダストボウル(土地の荒廃による砂嵐)という現象が生じ、耕作が不可能となって農民を困窮させました。その背景となったのは、生態系を無視した開墾と耕作です。本来降水量が少なく草原地帯であったところに、自分の土地を持つ夢を抱いた開拓農民が入植し、耕作を始めたのです。当初は大きな稔りをもたらせましたが、数十年の時を経て草原と表土を失い、露出した土地が乾燥して砂塵となって舞い上がるようになっていったのです。しかしそのこと以上に残酷なのは、大規模資本主義農業の無慈悲な進展です。困窮した農民の借金の形(かた)として、あるいは恐らく農地所有権のあいまいさの不備を突いた狡猾な不動産会社や農業資本家による所有権の収奪によって、自作農たちは容赦なく代々耕してきた土地を取り上げられていきます。資本集約と機械化により、ブルドーザーやトラクターが1台で、14~5軒分もの農家と同じ生産量を上げることが出来るようになったからです。この映画の最初の部分で、立ち退きに抵抗する農民一家を尻目に、容赦なく一家の住居をブルドーザーで押し潰すシーンが出てきます。そのブルドーザーを運転するのも、同じく困窮してやっとこの仕事にありついた近隣の顔なじみ農民です。「こんなひどい仕打ちをするのは誰なんだ」という追い立てられた農民からの問いに、その運転手は、背後に彼を雇う“会社”があり、その背後には“銀行”があり、さらにその背後に東部の大資本があることをほのめかしますが、もはやその黒幕については人間としての顔は見えず、実態はわかりません。これが現代にも通じる、強欲資本主義の正体とも言えるものでしょう。

こうしてオクラホマを中心に、この当時350万人もの農民が移住を余儀なくされ、その多くが農場での季節労働があると期待されたカリフォルニアへと向かいます。家財道具を売り払い、なけなしのお金でおんぼろトラックを購入し、ルート66をカリフォルニアへと向かうのです。この映画に登場するジョード一家も、そんな移住農民の群れの中にありました。今にも朽ち果てそうな1台のトラックに、山積みの家財と13人の家族が乗り込む道中は過酷で、途中で祖父母が亡くなり、道端に遺骸を埋めて旅を続けます。また家族を見捨てて逃げ出す者も現れます。こうしてやっとの思いで到着したカリフォルニアでも、希望は打ち砕かれて過酷な運命が待ち受けていました。確かにカリフォルニアには仕事はあったのですが、その仕事量以上の数の移民が押し寄せてきてしまったのです。仕事の数に対して労働者数は圧倒的に多いのですから、需給は崩れ賃金は暴落します。また仕事にあぶれる者も多く出て、治安は悪化しました。この状況は、元からカリフォルニアに住む住民にとってはたまったものではありません。そこで流入する移民に対処するために、郊外に移民キャンプが設けられることになり、ジョード一家もそこに辿り着きました。こうした現代の難民収容所さながらのキャンプには、あくどい手配師が暗躍し、食うに窮する移民たちを低賃金で雇い入れて大農場に送り込みます。そうした農場では暴力団さながら武装警備員を配置し、雇い入れた農業労働者を監視し、結局さらに低い賃金で生存もままならない奴隷さながらの労働に使役していきます。こうした状況に対して一部の労働者は、組合を組織してストライキで対抗し、賃金の下落に歯止めをかけようとしていました。しかしそうした争議を先導する労働運動の活動家は、農場主たちから目の敵にされ、見つかれば私刑(リンチ)によりいのちが奪われかねない状況にあったのです。

以上がこの映画に描かれた理不尽な悲惨をもたらした背景と、その結果として展開された人間の苦悩の状況です。それではもし私たちがこうした逆境の中を生きなければならなくなったとしたら、いったうどうすれば良いのでしょうか。そこで目に留まるのが、この映画の主要な3人の登場人物の生き様です。もちろんこの映画に登場するすべての人物が、それぞれに醜さも含めて、逆境に対する生き方の姿勢を示して興味深いのですが、中でも主人公のトム・ジョード、元キリスト教説教師のジム・ケーシー、そしてトムの母親の姿がこの物語では中心に描かれていきます。トム・ジョードは止む無く犯した殺人で服役し、仮出所して戻ってきて家族の移住に合流します。前科のために自暴自棄になりそうなトムの心を、家族が支えます。トムは無学で教養も無く、自分を抑えられないところがあるのですが、素朴な正義感を貫く人物です。目の前で起こる不法に指を咥えて見ていることが出来ません。やっとの思いで職を得た農場で生じていた騒動も、他人事として見過ごすことが出来ませんでした。自分の保身だけに生きられないトムは、やがてその騒動が労働争議によるものであることを知り、その争議のリーダーとなっていた友人のジム・ケーシーと再会します。そしてジムから、労働者が自分の保身だけを考えて行動すればますます搾取されることになり、連帯して農場主と対峙し、自分たちの生活を守っていくことの必要を学んでいきます。そのジムが農場主の警備員に撲殺された時、その場に居合わせたトムは怒りに燃えてその警備員を殺害してしまいます。家族に難の及ぶことを恐れたトムは、母親に別れを告げ、一人去っていきます。その際のトムの胸の内には、2つの思いがありました。1つは、自分は早晩殺人罪で捕まる身。しかも以前に犯した殺人罪の保釈中であり、また若干ではあるが労働争議にも加担したのだから、場合によっては極刑もまぬがれないかもしれない。しかしそれまでの残された時間を精一杯生きてみたい。ジムが教えてくれた労働運動の意味を、もっと深く知るために。そして貧しく虐げられた者たちが、力をあわせていのちを守っていく道のあることを、多くの人々に伝えていきたい、そういった思いです。そしてもう1つの思いは、トムが母親に残した遺言ともとれる言葉に現れています。「心配はいらん、俺は暗闇のどこにでもいる。母さんの見える所どこにでもいる。警官が人を殴っている中にも、食事が出来て笑っている子供たちの中にも。」恐らく自分が、この不正はびこる世界の中で正義だと確信した思いは、けっして滅びることなく受け継がれ、母さんたち虐げられた者を見守り、支えとなっていくという思いがあったのでしょう。

次に注目したいのが、ジム・ケーシーです。キリスト教の説教者であったジムは、挫折して堕落し、放浪の身となっていた時に仮出所で戻ってきたトムと出会い、ジョード一家と行動を共にします。恐らく人一倍誠実に、人々のいのちの救済を求めた人物だったのでしょう。それ故に現実の無慈悲さの前で、為す術の無い当時の宗教に無力さを覚え、また何の救いも施せない自分自身に深い罪の念を覚えたのでしょう。そんなジムが、移民キャンプでトムの身代わりとなって逮捕された気持ちも、分からないではありません。トムが他の人物の逃走を助けるために、残虐な警備員を殴り倒した時に、ジムが身代わりとなって捕まりトムを逃がしたのです。それはせめて自分が犠牲になって誰かに役立つことで、自分の罪を償いたいという思いがあったからなのでしょう。その後釈放されたジムは、労働運動のリーダーとして成長していきました。労働者が自分だけ生き残ろうと、不当な待遇でも目先の仕事に飛びついて自分の首を絞めるのではなく、そんな愚かな我欲を越えて、みんなのいのちと利益を守るために連帯していこうとする労働運動に加わることに、新たな神の救済の姿を見たのかもしれません。やがてジムは、この新たな救済の“真理”に殉教していきます。しかしそのことによって、ジムが見出した“真理”はトムに受け継がれ、そしてこの物語を見る私たちのいのちにも影響を及ぼしていくのです。

そしてもう一人は、トムの母親です。土地を追われるという災厄が降りかかり、放浪の旅の途中ではトムの祖父母が亡くなり、また家族の一員が逃げ出すという一家離散の危機の中で、トムの母親は必死で家族の絆をつなぎ止めていきます。例えばトムがどんなに過ちを犯して挫けそうになっても、母親だけは何があってもトムに味方して支え続けます。恐らく本能的に人が生きていくためには、家族あるいは身近な人間関係の支えが一番大事で、それさえ崩れなければ、人はどんな苦難にも耐えていけることを知っていたのでしょう。そして映画のラストにおいて、次のようなセリフを語ります。「女は男より変化に強い。男は誰かが死んだ、農場を無くしたと言っては立ち止まってしまう。しかし女は流れる川のように止まらない。大きな滝や渦で打ちのめされても、逆に強くなる。金持ちに搾取されてもしぶとく生きる。私たちは死なない。永遠に生きて行く。民衆だから。」ショード一家が、やっと人間らしい扱いを受けた国営のキャンプを後にし、再び農場での日雇い労働に向かう場面で母親が語った言葉です。またしても不条理な待遇と搾取が待っているかもしれない状況に際して、しかし私たちはもう恐れない、その不条理を甘んじて受け入れて、生き抜いてみせるという決意です。トムが“正義”を貫き、ジムが“真理”を実現することで悲惨を生き抜こうとしたのに対し、トムの母親は、悲惨そのものに翻弄されても、なおそれを受け入れて生き抜こうとするのですから、さらに強い人間の生きる姿勢であると言えるかもしれません。この見事な演技によって、トムの母親役を演じたジェーン・ダーウェルは、アカデミ-助演女優賞を獲得しました。

『怒りの葡萄』を初めとする原作者であるスタイン・ベックの小説は、社会主義的な労働運動に希望を見る文学だと言われています。しかしこの映画を観て思うのは、それ以上に人間の不屈の強さを描いた普遍性のある映画だということです。大恐慌直後の1930年代のアメリカは、政治的にも無策で、労働政策、農民政策、社会保障政策とも不備が重なり、恐らく一千万人を越えるであろう人々が全米各地で露頭にさ迷いました。その中で多くの人が挫折し、生きる気力を失っていきました。しかし大多数の人たちは、トムの母親のように不条理と屈辱に翻弄されながらも、必死で生き抜いていったのです。また中には、トム・ジョードやジム・ケーシー等のように、不正のはびこる社会の中で、人間の真実と正義を求めて、不屈な生き方を貫いていった人たちも少なくなかったのです。特にトムは、無学で罪も犯した人物ですが、必死に迷いながら素朴な正義感を曲げずに生きていきました。そこにアメリカの民衆が、自分たちの奥底に根づく良心を見てとって強く共感していったものと思われます。ジョン・フォード監督は、こうした人間が素朴に持つ不屈の強さに信頼を置き、また今は悲惨の極みにあってもアメリカの未来に希望のあることを信じ、この映画を撮っていったのでしょう。そしてこの映画を観た多くの観客も、登場人物たちの素朴な不屈さに、アメリカの民衆である自分たちの底力を見、そこに希望を読み取って大きな喝采を送ったのでしょう。この映画は、その直前に公開された『風と共に去りぬ』に次ぐヒット作になったと伝えられています。そしてどうしようもない悲惨な現実を描きながら、どこか映像に湿っぽさが感じられないのも、この映画が人間に対する深い信頼を伝えているからかもしれません。

ここで一点申し述べておきたいのは、ミュージシャンでラジオパーソナリティを務められている大阪のバンディ石田さんから、前回のパンセ通信No.86において書いたオバマ大統領の広島訪問の評価について、ご意見を頂いたことです。パンセ通信ではオバマ大統領の訪問を、政略的・否定的に捉えていたのですが、バンディさんからは、オバマ大統領の行動が、たくさんの人々の核廃絶への思いと平和への思いを勇気づけて、心を動かした面のあることについて指摘して下さいました。まことにそのとおりだと思います。じつはその指摘は、この映画のテーマとも通じるところがあると思うのです。それは人間の深いところにある良心への信頼と、その良心に触れて私たちの心が共鳴する現象です。人間には、悪人も強欲な者も含めて様々なタイプの者がいるのですが、しかしその人間性の深い所では、どこかに自分のいのちを生かそう、他のいのちも生かそう、そしてすべてのいのちを慈しもうという思いがあるものです。この映画の主題もそしてオバマ大統領の広島訪問も、こうした底流にある良心への信頼を呼び覚まし、その良心に生きる勇気を共鳴させるものだったと思われるのです。

こうした人間の良心への信頼に関連して、この映画のシーンでどうしても忘れられない印象的な場面がありました。それはおんぼろトラックでカリフォルニアへと向かうジョード一家が、道路沿いの軽食堂に立ち寄る場面です。軽食堂ですから調理したサンドイッチは提供しても、食材としてのパンは販売しません。しかもパンを求めて二人の子供を連れたジョード家の父親には、5セントしか使えるお金が無く、それでは一斤のパンさえも買えませんでした。しかし店の主人は、5セントで一斤のパンを分け与えます。しかも1個2セントするキャンディーを、2個で1セントだと言って、子供たちがキャンディーを買えるようにしてあげたのです。この店主の人情を見ていた別の2人づれの客が、自分たちが代金を払う際に、釣り銭はいらないといってお金を置いていきます。おそらく店主がジョード一家に施した人情以上の額を、釣銭分として残していったことでしょう。このさりげないエピソードの中に、ジョン・フォード監督が見てとった人間への信頼と希望が見て取れます。

『怒りの葡萄』の原作者であるスタインベッグは、聖書から決定的な影響を受けた作家で、この物語も聖書の内容が下敷きとなって描かれています。今回はキリスト教的な視点からの作品の読み解きは行いませんでしたが、一言でいえば、神も仏もあるものかと思えるまさにそんな状況においてこそ、神は共にいて下さる、私たちを支え生かして下さるということでしょう。それが人間の不屈さということにつながります。私たちは困難に直面したときに、すぐにもうだめだというあきらめの思いに苛まれたり、卑屈になって、前を振り向くことを意固地になって拒否したりしてしまいます。しかしもしそんな思いを振り払うことが出来て、自然な意識の状態に立ち返ることが出来たとしたなら、この物語の登場人物たちのように、私たちの奥底にある良心が呼び覚まされてくるのではないでしょうか。この良心に至り、この良心に生きる術を、まずは内観法(瞑想と祈り)をも手掛かりとして考えていってみたいと思います。次回のパンセの集いは6月6日の月曜日、18時からです。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)

なおバンディさんのご意見は、パンセ・ドゥ・高野山のホームーページ上等でも共有できればと思っております。皆さんもご意見や感じられること等がございましたら、このメールの通信への返信等で結構ですので、お寄せ頂ければ幸いです。一人一人が確かな自分の実感として抱く気づきや思いは貴重で、その思いが他の人の気づきをも呼び覚まし、いのちの糧となっていくからです。また異なる見方も含めて、尊重しあい、受け入れあっていくことが、私たちが共に生きていくための基礎となっていくことでしょう。皆さんと共に、様々な思いや気づきを共有していく場をつくっていければと思っております。