ゴンと高野山体験プロジェクト〜

パンセ通信No.88『参議院選挙に備えて-選挙が自分と結びつくために』

Jun 11 - 2016

■2016.6.11パンセ通信No.88『参議院選挙に備えて-選挙が自分と結びつくために』

皆 様 へ

6月1日に通常国会が閉幕し、参議院選挙が6月22日公示され、投票日が7月10日と決定されました。これから次第に選挙報道も増え、関心は高まってくるものと思いますが、果たして投票率が60%近くに達するなどということが起こるのでしょうか(因みに前回2013年の参議院選挙の投票率は52.66%でした)。アメリカの大統領予備選挙ではトランプ旋風が巻き起こり、サンダース候補が善戦し、かなりの盛り上がりを見せているようです。英国ではEU離脱をめぐる国民投票が6月23日に予定され、EUと英国の命運を左右する激しい選挙戦が展開されています。確かに今、世界も日本も大変な状況にあって、現状からの転換が求められているにも関わらず、それがうまく出来ずに世界があえいでいる状況にあるのは分かります。またそうした状況に対処するためにも、国政が大事であり、その国政の指針を決めるために、選挙が行われることも理念的にはよく分かっています。しかし実感としては選挙も政治も縁遠く思えて関心が持てず、どこか無力感さえ漂う思いになってしまう人が少なくないのは何故でしょうか。

日本人はもともと政治に関心が薄く、生活に困窮しても一人自分を責めて、社会に対してはもの申さない傾向にあるからというのは、答えとしては安易なものでしょう。1946年5月の米よこせメーデー(食料メーデー)では、戦後の食糧危機に瀕して、子供を背負った主婦たちまでも立ち上がって、25万人もの人々が皇居前広場での抗議集会に参加しました。そのわずか1年前には、大日本帝国臣民として、同じく飢餓状態にあっても抵抗せず、粛々と“聖戦”にいのちを捧げていった人々が様変わりしたのです。また2009年の民主党が政権を奪った衆議院選挙では、投票率は69.28%に達しました。従って一概に日本人が政治に無関心だとは言えないのです。ところが直近の2014年衆議院選挙では、投票率は52.65%にまで落ち込んでしまいました。投票総数でみると、7,200万票あったものが、5,500万票にまで落ち込んだのです。なんと1,700万人もの人々が投票に行かなくなってしまったのです。この時の自民党への投票総数が1,750万票でしたから、1,700万票というのは、実に政権与党を誕生させるのに匹敵する投票数であることが分かります。因みに民主党への政権交代が起こった2009年の衆議院選挙では、民主党への投票総数は3,000万票にも及びました。それが前回衆院選ではわずか1,000万票ですから、2,000万票も得票を減らしたことになるのですが、投票率の差を考えると、実質的には前回衆院選では1,700万票程度を失ったと判断しても良いかもしれません。一方ここ最近の選挙での各党別での投票数を調べてみると、自民党が大勝しているように見えて、じつは1,800万票程度で変わっていません(自民党が大勝した2012年衆院選挙でも1,700万票です)。公明党も700万票台で一定です。民進党(旧民主党)も、その基礎票は900万票程度というところでしょう。こうして選挙結果の数字を見てくると、この国の政治構造の特徴として、既存政党の支持者の数が固定していて変化はなく、普段はこうした人々が中心に投票に行っていることがわかります。しかしいつもは選挙に足を運ばない1,700万人の無党派層の人たちが、一票を投じて政治活動に参加する時には、確かにこの国の政治構造が地殻変動を起こしていくことも分かってきます。このように整理してみると、無党派層の人々が、政治的に無関心だと判断するのは早計でしょう。むしろ既存政党の支持者のように、利害や所属団体への配慮や思想信条等で“凝り固まった”人々に対して、もっと柔軟に自分の頭でこの国の行く末を判断し、確信を得られた時にしか政治行動を起こさないのが1,700万人の無党派層の人々だと言えるのです。それ故にこの国の命運を握るのは、実は与党でも野党でもなく、普段は選挙に行かないこの1,700万人の無党派層の人々であると言っても過言ではないでしょう。

それでは、普段は選挙に行かない40%以上に及ぶ人々(前回衆院選の投票棄権者は4,900万人)のうちで、けっして政治に無関心であるわけではない少なくとも1,700万人の人々が、確かな自分なりの納得をもって投票行動に移るようになるためには、どのような要素や条件が必要になってくるのでしょうか。さらには選挙になると棄権してしまう40%の有権者の残りの部分の人々についても、その政治への期待と関心を少しでも高めるためにはどうすれば良いのでしょうか。それはまた私たちが、挫けずに自分の生活と人生に可能性を見出す努力を続けることと、政治がその努力を支援するために、いかに相応しく機能することが期待出来るかという問題とも結びついてくると思われます。第24回の参議院選挙も近づいてきたことですし、その条件について、まず日本の政治と政党の側が抱える問題点、また現在日本の政治構造に起こっている変化から、ここ1ヶ月ばかりは考えていってみたいと思います。そして、私たちが今進めている自分自身の内面の力を高めていく取り組みと結び合わせ、私たちが個人的にも社会的にも良くなっていける条件を洗い出していければと思います。次回のパンセの集いでは、6月13日の月曜日、時間は18時からです。場所は、初台・幡ヶ谷の地域で行います。

さて選挙が始まると、今回の選挙の政策の争点は何?という疑問が当然のことながら浮かび上がってきます。各党党首は、それぞれに思惑を込めて語っているようですが、ちょっと考えただけでも様々なテーマが浮かんできます。アベノミクスの効果、消費税増税の引き伸ばしの是非と財政危機、TPPへの対応。憲法改正(悪)、安保関連法の是非。年金・医療や子育て支援などの社会保障問題。原発や震災復興への対応。そして沖縄の基地問題(日米地位協定を含む対米問題)や中国や北朝鮮との対応の問題。様々な問題が断片的に宙に漂い、どれが一番大切な争点なのかよく分かりません。また様々な課題の連関も定かではなく、自分の問題として政治課題を捉えることが出来ません。本来ならば選挙の政策の争点は、政権与党がつくるものでしょう。安倍首相は、アベノミクスの加速による経済浮揚を争点に掲げたいようなのですが、さすがにこれまで、さして現実的な成果を上げてもいない政策を、さも大した効果があったかのように言いくるめることが続いてきてしまったために、アベノミクスの効果もどうも私たちの心に深く響いてきません。

そこで今度の参院選の争点を含めた政治の側の問題点の整理と、今この国の中で大きく進展している政治構造の変化、及びそこから見て取れる課題と可能性を明らかにすることが出来るならば、私たち一人一人の意識も喚起されて、私たちの政治への関心も高まってくる可能性が出てくるのではないかと思われます。しかしこの試みについては、ここでは触れずに次週以降に回すことにしたいと思います。今回はむしろ、選挙がどこか縁遠く、自分のものとしては捉えられない私たちの意識の側の方に焦点を当てて、選挙が自分の実感として湧いてくるようなるための条件を考えてみたいと思います。もちろん支持政党が決まっていて、毎回投票に行く方々については、すでに選挙の争点は明確になっていることでしょう。しかし問題となるのは、日本の政治変化のキャスティングボ-ドを担う、普段は投票に行かない1,700万人の無党派の有権者です。そこでまずは、この1,700万人の無党派層の選挙に対する意識の持ち方に焦点を当てて考えることから始めていってみたいと思います。

もちろん今度の参院選において、無党派層である1,700万人が動き始めることは想定できません。従来同様支持政党の決まっている5,500万人の有権者を対象として、選挙戦の展開されることが予想されます。小選挙区の1人区で実現した野党共闘に象徴されるように、限られた支持者を対象に、いかに効率良く当選者を出していくかという選挙戦術面での成否が、今回の選挙の構造的な争点でしょう。しかしこのことの持つ意味合いは意外に大きく、これまで国会で与野党が馴れ合いや茶番劇に興じたり、“永田町論理”が当然のこととしてまかり通ってきた日本の政治構造に、大きな変化の兆しが現れ始めたことを示唆しているのかもしれません。このことについても、投票日までには詳しく検討していきたいと思いますが、もしそうであるならば、今回の参院選を最初の準備として、あと何回かの選挙で日本の政治風土が大きく変化していく可能性が出てくることになります。そうなれば1,700万人の無党派層の人たちが、再び確かな納得と期待をもって動き始めるということも起こってきます。それ故に少し先走って、今から無党派層と目される人たちの選挙に対する意識を吟味しておくことは、無駄なことにはならないでしょう。さらにそのことはまた、私たちが無理のない実感を持って選挙の課題が捉えられるようになり、また自分のなすべきことが見えてくるようになるための、条件を明らかにしていくための参考ともなっていくように思われます。

それでは自分が無党派層だと仮定して、その意識には今回の選挙はどのように映ってくるのでしょうか。まず義務的に選挙に行っても、どの政党に入れて良いか分からない、誰に入れて良いか判断がつかないという煩わしさが現れてくることは想定されます。そうなってしまうのは、1つには先ほど申し上げたように、様々に政治課題があるのは分かるのですが、それがバラバラにあって自分の中で結びつかず、自分にとっての選挙の争点か見えてこないということがあるでしょう。また仮にある政策課題が重要だとしても、その課題をどこから手をつければ良いのか分からず、無力感に苛まれて思考停止に陥ってしまうということもあります。例えば財政再建が大事だと言われても、いったいどこからどう手をつければ良いか分かりません。私自身のささやかな努力においても、今ここから何かできることはあるのかと問われても途方に暮れます。結局消費税の増税を甘んじて受け入れて、生活水準をダウンさせるしかないのでしょうか。でもそれでは消費が落ち込み、内需が落ち込み、却って税収が落ち込んでしまうことは結果が証明しているところです。こうして考えようが無くなってくると、問題を先送りしてなるべく触れないようにし、テーマを意識から封印せざるを得なくなってしまうのです。

こうした意識上に捉えられる政治課題の混乱や、またどうにもやりようが無くて無力感に襲われ、無気力にさえも捕らわれてしまう意識状況は、いったいどうして生じてくることになるのでしょうか。1つには確かに自分に必要なもの、自分の求めるもの、言い換えれば本音の自分から出発して、自分にとっての必要を1つ1つ積み上げていって、政治にまで結びつけていくというプロセスが、どこかで麻痺してしまっているからでしょう。実は現代という社会そのものが、自分が自分ではない欲望に駆り立てられて疎外される仕組みを含みこんでいるのです。特にマスコミは、そのための重要な役割果たす装置と化してしまっています。従ってここから2つの課題が浮かび上がってきます。まずどうすれば私たちが、自然な自分の求めに立ち戻って、そこから確かに自分のものである必要を、自分らしく積み上げていくことが出来るようになるのか、その方法論を考えてみることです。そして次に、確かな自分の必要から考えていった時に、現在の日本の政治の状況や今度の参院選挙の争点はどのように捉えられ、どう自分と結びついてくるかということを明らかにしてみることです。

幸いにして自分に立ち戻るための方法論につきましては、ご協力頂ける方々もあって、幡ヶ谷で実験的に“自分に気づく内観法のクラブ”を立ち上げることが出来ました。このクラブで得られる方法論の成果を踏まえつつ、参議院選挙という機会を捉えて、日本の政治の構造の変化から見えてくる可能性と、確かな自分の必要から捉えられる政治のあり方を突き合わせて考えてみることで、1,700万人の無党派層の人たちが投票行動へと動き出す条件を、検討していってみたいと思います。今回のパンセ通信は、7月の参議院選挙に私たちが臨むにあたっての論点整理が中心になりましたが、パンセの集いでは、その論点の1つ1つについて具体的に検討を深めていってみたいと思います。次回のパンセの集いは6月13日の月曜日、18時からです。お時間許す方はご参加下さい。(場所は初台・幡ヶ谷の地域で行いますが、当面の間都度場所が変わる可能性もございますので、初めて参加ご希望の方は、白鳥までご連絡下さい。)